【1378】 DD51の思い出(1)全線電化前の中央西線

JR貨物愛知機関区所属のDD51の定期運行がこの3月13日のダイヤ改正でなくなりました。国鉄型車両が地元で見られなくなっていくのは寂しいですが、車齢から考えても世代交代になるのは致し方ないことで、よくぞここまで生き延びてくれたと思います。
s-R0018495.jpg
一昨年2019年11月11日 愛知機関区横の側線で解体を待つDD51 1146 と1147
彼らは鷲別から転属した道産子A寒地仕様機でした。
自分にとってDD51とはいろんな立場で関わりがありました。以前にブログ記事内や、そのコメント欄に書き込んだことと重複することもありますが、その関わりについて関連する過去記事へのリンクを貼りながらDD51との接点や想いなどを数回に分けて書き留めておこうと思います。今回は私が国鉄に就職する前に、中央西線で日常的に見ることができたDD51についてです。

゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・

ディーゼル機関車というものを初めて見たのは1966年の篠ノ井線でした。その日のことは「【867】52年前の家族旅行を辿ってみる」で少し触れていますが、そのとき自分が乗った列車を牽いていた赤い機関車は、おそらくDD51だったと思います。その日は赤い車体だったことを確認しただけなので、凸型の特徴ある外観を間近に見て、ずいぶん変な形の機関車だと思ったのは、その少し後で、地元中央西線の旅客列車の無煙化用として稲沢第一機関区に配置されたDD51を地元で見たときでした。当初は稲沢第一機関区に5両、2ケタナンバーの非重連タイプが配置されただけで、電化区間のうち名古屋~多治見間を除けば、まだまだ中央西線の主力機関車は蒸機D51の時代でした。中央西線は1968年にその先の中津川までが電化されましたが、その後も稲沢第一機関区のDD51は増えてゆき、関西本線などでも使用されました。そのころの中央西線では中津川までの電化区間でもEF64に交じって、主に客車列車を牽いており、長野運転所の所属機も乗り入れていました。そのころは全国的にSLブームで、蒸気機関車を次々と駆逐して増殖していくDD51は赤ブタなどと呼ばれてSLファンの嫌われ者というのが当時の鉄道ファンの意識でありました。私も1971年から鉄道写真を撮るようになりましたが、限りある列車がDD51になってしまえば、撮影に出かけても損をした気分になりましたから、その常識に異を唱える立場ではありませんでした。しかし1973年に中央西線が全線電化されると、地元中央西線ではD51のみならずDD51も見ることがなくなることは明らかでしたので、全線電化間際のわずかな期間には、地元で撮影をしています。
s-Film0220.jpg
1973年4月14日 中央西線 落合川~中津川 830列車
寒冷地に対応した旋回窓仕様なのがわかります。

拙ブログでは、中央西線時代のDD51のことを「【953】中央西線を走った車両14:ディーゼル機関車」で書いています。その記事中にDD51が牽引している列車の画像が4枚ありますが、1枚目のDD51 723(稲一)の運転室窓ガラスは旋回窓仕様で、3枚目のDD51 750(稲一)の画像はワイパーを装備した一般仕様車(暖地用)なのが確認できます。つまり中央西線には北海道でも通用するA寒地用のDD51から暖地用までが運用されていたことになります。ちなみに雑誌による知識によると新製時点でB寒地用はワイパーと電熱式デフロスタの組み合わせ、一般用は電熱式デフロスタもないということだそうで、中央西線と篠ノ井線はB寒地用でよかったとのことです。ずっと長い間、私は旋回窓があるのは寒冷地で使用される長野運転所所属機だろうなどと勝手に思っていたのですが、こうしてブログ用に使用する画像に写っているナンバーを確認しているうちに、そうではなくA寒地用のDD51は稲沢第一機関区の所属車であったことが後になってわかったというのがホントのところです。
s-Film0245.jpg
1973年6月2日 中央西線 美乃坂本~恵那
 7802列車 ちくま1号 DD51723(稲一)
この画像もA寒地用旋回窓仕様車です。

1973年版の国鉄車両配置表をチェックすると、稲沢第一機関区にはその時点で32両ものDD51が配置され、A寒地用、B寒地用、一般用とが混在し、一般用にはSG非装備の800番台も含まれるといった、バラエティ豊かな陣容であったことがわかりました。その時点では非重連タイプの2ケタ車は他区へ転出済で、稲沢第一機関区のDD51は全部重連タイプの3ケタナンバー機に統一されていました。
中央西線の運用は主にA/B寒地用SG車で運用されていたものと思われ、750号機のような一般用も冬季を除いて運用されていた?ということが推定できます。さらに鉄道雑誌で確認していくと、中部地方でA寒地用が必要となる線区は高山本線だけとなっていて、国鉄末期に稲沢にDLの配置が統合されるまでの高山本線は美濃太田機関区で担当していました。では高山本線の運用がなかった稲沢第一機関区になぜA寒地用が必要であったかという疑問が湧いてきますが、当時の状況を考慮すれば想像はつきます。中央西線の全線電化までのつなぎ役として就役したDD51の一部は、全線電化後にA寒地用が必要な線区への転用を見越したうえで新製されていたのでしょう。そこで翌年の1974年版の国鉄車両配置表を見ると、稲沢第一機関区所属に所属したA寒地用のほとんどが北海道に転出したことが確認できました。
s-21-6650.jpg
中央西線時代のDD51 719(稲一)1973年5月3日 中津川
ツララ防護枠が取り外されています。他の画像も同様ですので取り外して運用されていたように思えます。この機関車も全線電化後には小樽築港に転属しています。

そのほか、DD51の中央西線時代で思い当たるのは、EF64やEF58との共演があったことで、それは鉄道雑誌にも紹介されたことがありました。拙ブログでも「【818】国鉄中央西線で見た回送車両」のコメント欄で読者の皆さん方によって語られています。(画像はありません。)

自分にとっては日常の鉄道風景になっていたDD51が中央西線の全線電化後に見られなくなってから約3年後、私は国鉄に就職し、こんどは仕事でDD51と関わるようになりました。その話は次回にします。

◆今回の記事で参考にした図書
 交友社刊 ‘73 国鉄車両配置表
 交友社刊 ‘74 国鉄車両配置表
 交友社刊 鉄道ファン 1981年9月号
 企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)刊 レイル・マガジン 1992年4月号

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 17

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い 面白い 面白い
ナイス ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい かわいい かわいい

この記事へのコメント

  • 管理人しなの7号

    休載中も多数の閲覧ありがとうございます。
    久しぶりの新規記事になりました。このシリーズは10日程度の間隔で数回に分けてUPする予定にしています。
    2021年04月07日 20:10