【1379】 DD51の思い出(2)荷物列車・貨物列車の乗務員時代

JR貨物愛知機関区所属のDD51の定期運行が、この3月のダイヤ改正で終了しました。
DD51とはいろんな立場で関わりがありました。以前にブログ記事内やコメント欄に書き込んだことと重複することもありますが、その関わりについて関連する過去記事へのリンクを貼りながら進めています。今回は私が国鉄在職中の前半にあたる荷物列車・貨物列車の乗務員時代にあったDD51との出会いについて書いていきます。

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私は1976年に国鉄に就職し、国鉄が分割民営化されるまで11年間車掌区で乗務員をしていました。その間、乗務掛(荷扱)~車掌補(荷扱)~列車掛~車掌~専務車掌(客扱)と職名が変わり、勤務先も2度変わりましたが、すべての職種で、稲沢第一機関区(稲沢第二機関区と統合後は稲沢機関区)と亀山機関区のDD51に、乗務した列車を牽いてもらう機会がありました。

就職直後の約3年間は荷物車の荷扱乗務員でした。職名はその間に乗務掛(荷扱)から車掌補(荷扱)と変わりましたが、仕事の内容は荷物車内での荷物の仕訳作業でした。就職した時点でDD51が牽引する列車に乗務したのは関西本線の名古屋~亀山~百済(現百済貨物ターミナル)の間でした。過去記事「【478】思い出の乗務列車39:関西本線 荷44~224列車(前篇)」では、新堂駅で撮影したDD51が牽引する荷44列車の画像を掲載しています。また、「【370】思い出の乗務列車19:紀勢本線921列車(前篇)」で、DD51が牽引するその921列車の画像(名古屋駅停車中)を掲載しています。
その間に東海道本線熱田駅に新荷物基地が完成し、名古屋駅で取扱いをしていた手小荷物のほとんどが熱田へ移転すると、関西本線、中央西線方面の荷物車は熱田駅発着に改められ、DD51牽引列車の乗務区間に東海道本線の熱田~名古屋間が追加されました。しかし、それと同時に所属していた車掌区の荷物車乗務員の乗務範囲から関西本線亀山以西がはずされました。

就職から約3年後、乗務列車の貨車検査業務と車掌業務とを受け持つ列車掛養成課程の試験を受けて合格できたので、荷物車乗務員生活にピリオドを打ち、4か月半の養成期間の後に列車掛見習を経て列車掛になりました。1979年のことです。乗務する列車は専ら貨物列車で、この列車掛時代には、稲沢を起点にして亀山操・名古屋港・西名古屋港との間でDD51牽引列車に乗務しました。
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稲沢駅出発線でEF65とDD51(1980年月日不明)
 このDD51は820号機で、1977年に和歌山県で催された全国植樹祭のとき、名古屋-(伊勢線経由)→津でお召列車を牽引した機関車でした。
  
列車掛は荷扱作業員のように車内の仕事ばかりではなく、機関士との連携作業がいくつもあり、始発駅での貨車解結通知書の交付と変更事項の照合のため、必ず機関車のところへ行きます。貨物線にプラットホームなどありませんから、すごく高い位置にある運転室に向かって機関士を呼びますが、エンジンの音で気が付いてくれないこともあり、そういうときは運転室窓下の車体を手でバンバンたたくと、機関士が私に気が付いてくれて窓を開けて顔を出すといったこともよくありました。それでも応答がないと勝手にキャブ内に立ち入ることもありました。外観から運転室内のことはわかりにくいですが、SG装備機と非装備機とでは別形式のように異なっていて、SG非装備機は広々とした室内でしたからドアを開けた瞬間の印象がまるで違っていました。
私がDD51の機関士に貨車解結通知書を窓ごしに交付している場面と、亀山操で発車待ちしているDD51がけん引する貨物列車の画像を、「【644】55.10前後の関西本線の普通貨物列車2」で掲載しています。
関西本線の貨物列車乗務中には、途中駅で入換作業のため機関車を誘導することが幾度もあり、そのときにはDD51のデッキ部分に添乗し、動いているDD51のステップから飛び降りたりもしなければなりませんでした。そしていつもDD51のハシゴ状に直立したステップは添乗しにくいと思っていました。それに対して、入換用としても多用されるDE10のステップは、階段状になっていて1段目が広く、昇降や誘導がしやすかったものです。
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左:DD51  右:DE10

「【33】列車掛3:その仕事の概要は…」に、八田駅での入換作業従事中に私がデッキ上に添乗している画像を掲載しています。中間駅で入換作業が連続する貨物列車には機関車の直後に前部緩急車(通称ゼンカン)が連結されており、乗務位置は作業の関係から前部緩急車でしたから、走行中でも緩急車のデッキに出れば、目の前がDD51。排気量61000cc×2という排ガスをもろに浴びつつエンジンの息づかいが伝わってきたものです。貨物列車に乗務していた約1年半が、国鉄在職中で最もDD51との交流密度が濃かった時期でした。

直接の乗務と関係がないですが、国鉄時代のDD51について少し。
列車掛時代に東海道本線の乗務で吹田へ行くと、吹田第一機関区でいつも見かける非重連タイプの若番DD51が気になっていました。貨物列車の乗務は夜間が多いのですが、日中に吹田に着く行路のときに一度だけカメラを持っていき、吹田に着いた後に吹田第一機関区を訪れたことがありました。
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そのとき撮影したDD51 17です。(1980年月日不明)
このDD51は3次車で、4次車(20~)とは正面の塗分けが違うので、たいへん違和感を覚えました。重連用の装備がないので全体的にもシンプルな印象を受けます。このグループまでは2000PSエンジンで登場していたのですが、撮影時点では後期型と同じ2200PSエンジンに換装されていたと思われます。

◆今回の記事で参考にした図書:
 鉄道図書刊行会刊 国鉄車両配置表1980年版
 交友社刊 鉄道ファン 1981年9月号

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この記事へのコメント

  • やくも3号

    しなの7号様 こんばんは。
    自動車とは異なり、鉄道車両(とくに機関車)は、船舶や建築構造物と同様、一つの車種がいろいろなメーカーに発注されて「競作」となっているのが面白いと思います。それぞれが同じ仕様であるはずですが、メーカーごとに微妙に異なっていることもあり、興味が尽きません。
    たしかDD51の初期型のエンジンは、DMH17と同じく、それこそダイハツ工業製だったかと思います。
    2021年04月13日 23:13
  • しなの7号

    やくも3号様 こんばんは。
    DD51のエンジンDML61系は、DD13の直列DMF31系をV形に発展させたもので、国鉄、新潟鉄工、ダイハツ、振興造機の共同設計だそうです。日本の主力エンジンメーカーが束になって純国産鉄道車両用エンジンの開発に携わっていたことが窺えますね。開発したメーカー各社が製品を車両製造会社に納入したことになったということでしょうか。
    2021年04月14日 20:10
  • YUNO

    最後のDD51 17の写真では、デッキのステップに少し傾斜が付いていますね。
    普通は現場の意見などを取り入れて改良されていく物だと思うので、新しい方が垂直なのが意外です。
    2021年04月23日 03:38
  • しなの7号

    YUNO様
    初期形は、おっしゃるように正面から見るとステップに傾斜が付いていますね。本文で「直立したステップ」と書きましたが、正面からは垂直に見える一般形のステップでも、実際には踏板自体は下の段のほうがわずかながらも横方向に出っ張って、垂直になった枠からはみ出ています。ですので外枠の形状が変わっても改悪にはなっていないように思います。DD51のステップの形状は、最下段を分離させてスノープロ―に溶接してある例もあり、一部には1段減らして最下段の踏み板スペースを広くとった変形例もあるとのことです。いずれにしてもDE10のようにできないのは、フレームの構造上とか何か理由があるんじゃないでしょうか。DD13以降のセンターキャブやセミセンターキャブの国鉄DLに、DD51みたいな直立(に近い)ステップを持った形式はないようです。他形式では、このステップが機関士がキャブへ入る通路になりなすが、DD51には側面に乗務員室扉と直下にステップがあるので、構内作業や検修にしか使わないデッキのステップを、あえて簡易な構造にしたわけじゃないと思うのですが、理由はわかりません。
    2021年04月23日 20:01
  • 風旅記

    こんにちは。
    貨物列車の駅ごとに貨車を連結・解結したり、荷物列車のやはり駅ごとの積み下ろしの作業は、作業工程として複雑なものだったのだろうと想像しています。
    拠点駅間を直行する今の貨物列車とは、仕組みそのものが違っているのですね。
    終着駅に着くまでに時間も要したものと思いますが、それも時代背景あってのこと、単純に今と比べるでなく、興味を惹かれます。
    DD51形も引退し、貨物の世界からもまた一つ、国鉄の面影が消えていきました。素人にはなかなか理解の難しい貨物列車の仕組み、最近興味を持つ機会があり、こちらの記事も楽しく拝見させて頂きました。
    風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
    2021年05月01日 16:05
  • しなの7号

    風旅記様 こんばんは。
    国鉄の輸送システムは速度やサービス水準などすべての点で、機械化・IT化が進化した今の時代にはとても理解できないことばかりだと思われたことでしょう。道路交通の発達で急激に輸送量が減少すると、一気に貨物・手小荷物ともに事業の縮小を伴う輸送システムの変革が続きました。手小荷物に至ってはJRに引き継ぐことなく全廃され、貨物輸送は大量定形輸送だけが残され単純化されました。
    地方ローカル線の切り捨てや駅の無人化などが行われたことは一般によく知られていますが、荷物や貨物のことは直接の影響を受けたのが小規模な荷主さんたちですから、多くの国民には間接的にしか関わっていないので知られていないことが多いと思います。
    2021年05月01日 20:18