【1357】あの年の12月14日《1973年》

名古屋鉄道のモ765が北恵那鉄道に転入してきたのが、1973年12月14日でした。 モ765は、北恵那鉄道ではモ565を名乗ることになります。 当日のことは【722】北恵那鉄道29:「モ565入線の日」で、すでに書いたので、今日はその記事でアップしていない画像を貼っておきます。 美乃坂本~中津川この画像ではモ765は手前の土盛に隠れてしまっていますが、この貨物列車の最後部ワフ(増緩急車)の前位で名古屋鉄道モ765が甲種輸送されてきました。 国鉄中津川駅 貨物列車から切り離され、駅構内にいったん留置されたところです。このあとDD16によって中津川機関区の転車台まで移動して方向転換したあと、連絡線を北恵那鉄道デ2に牽引されて北恵那鉄道中津町にある車両基地へ収まりました。

続きを読む

【1356】あの年の12月13日《1994年》

1994年12月13日 この年は高山本線全線開通60周年で、これを記念して高山~飛騨古川間では蒸気機関車(C56 160)が運転されました。12月7日の記事で、その試運転の撮影に出かけたことを書きましたが、12月9日から5日間が営業運転日(毎日2往復で12系客車使用)となっていて、12月13日はその最終日でした。 この日だけは通常の2往復の12系客車による「SL飛騨路1・3号」(折返し「2・4号」)の運転前に、旧形客車(オハフ46)2両編成の「SL飛騨路61号」(折返し「60号」)1往復が走りました。このSL飛騨路61~60号は、時刻表に「車内暖房が入りません」の注釈付きでした。旧形客車には蒸気暖房が標準装備されていますが、旧国鉄からトロッコファミリー号に使用する目的でJR東海に編入された客車でしたから、冬季に蒸気暖房を使用する想定ではなく、運行時間わずか20分程度の1往復だけのために蒸気暖房の整備を省略したということだったのでしょうか? SL飛騨路1号 SL飛騨路3号 ◆以上3枚とも上枝~飛騨国府で撮影

続きを読む

【1355】あの年の12月12日《1985年・2009年・2010年》

1985年12月12日 中央西線 坂下駅 この年の1985年11月14日~12月13日にわたって、湖西線(安曇川~永原)と中央西線(高蔵寺~坂下)で、試験用の制御付振り子装置や操舵性台車・パンタグラフ・主電動機に換装した日根野区の381系電車で、高速試験が実施されていました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2009年12月12日 会社のメンバー3人でやっていた「清酒ん18きっぷの旅」で、加古川線に乗って「白雲谷温泉ゆぴか」へ行きました。 「白雲谷温泉ゆぴか」最寄駅は市場駅。このあと姫路城へ行っています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年12月12日 「清酒ん18きっぷの旅」の延長線上にあった「50代5000円でGO!」の旅で、長良川鉄道を利用して郡上八幡へ行きました。 その日のことは、【112】「50代5000円でGO!」2010.12.12:郡上で、書いています。

続きを読む

【1354】あの年の12月11日《2004年》

2004年12月11日 前日からの続きで、常陸多賀駅前のビジホからスタートしました。 常陸多賀…(徒歩)…鮎川―(日立電鉄)―常北太田 常北太田…(徒歩)…常陸太田―水戸―佐貫―(関東鉄道竜ケ崎線)―竜ヶ崎 竜ケ崎―(関東鉄道竜ヶ崎線)―佐貫―我孫子―成田―千葉―東京―(東海道新幹線)―この旅では、往復の新幹線区間を除いてJR線では青春18きっぷを使用しました。 この日乗ったJR線区間はすべて既乗区間で、参考記録区間もありませんでしたが、せっかく関東地方に来たので、翌年春に廃線予定になっていた日立電鉄と、経路上にあって未乗だった関東鉄道竜ケ崎線への初乗りが目的でした。あとは千葉方面に寄り道して成田山新勝寺などへ立ち寄り、青春18きっぷを有効活用してきました。

続きを読む

【1353】あの年の12月10日《2004年》

2004年12月10日 この日から2日間、関東地方で気になっていた鉄道に乗りに行きました。 <この日の乗車経路> ―(東海道新幹線)―小田原―平塚―(湘南新宿ライン)―大宮―(快速むさしの2号)―立川―(青梅特快)―西立川(折返)―吉祥寺―(京王井の頭線)―東松原…(徒歩)…梅ヶ丘―(小田急)―代々木上原―(東京メトロ千代田線~常磐線)―松戸or柏(どちらの駅で乗り換えたか?)―水戸―常陸多賀(泊) 自分で決めた基準では「旧国鉄の未乗線とはならないが、実質未乗となっている区間」を参考記録として乗っておこうという趣旨でした。 この日は、余命わずかな東海道本線113系サロ110と湘南新宿ラインのグリーン車を乗り継いで小田原から大宮へ向かっています。 大宮からの快速「むさしの」のルートに乗ることが一番の目的でした。国鉄時代には毎日運転される旅客列車が走っていなかった貨物線ルートを走りますので参考記録として乗車しました。 「東松原…(徒歩)…梅ヶ丘」の部分は、雑誌「旅」2000年9月号に収録(2003年8月号臨時増刊「宮脇俊三の旅」にも再録)された、故宮脇俊三氏の「ご当地、東松原散歩コース探見」を見て歩きたくなったということによります。散歩コースを歩いて宮脇宅の前も通ってきました。マンション銘板を見て、ここが「聖地」! 常陸多賀に泊まったのは翌日の行程に便利だという理由によります。

続きを読む