【991】 スチール棚の企画展16: 気動車

この画像の上半分が企画展全景です。 所有する鉄道模型車両はこの数年でかなり減らしましたが、気動車は国鉄形国鉄色を中心に、かなり生き残りました。それだけ国鉄形気動車は特急用を除けば編成を組むのに制限が少なく、かつバラエティに富んでいて趣味的に面白い対象だということです。系列の違う形式の混結こそが気動車お面白さだと私は思ってはいますが、今回は所有する車種の許す範囲で、できるだけ整った編成に組んでみました。また、気動車はもともと短編成で運転できる形式が多いので、棚部分を左・中央・右と3つに分けて展示しました。 左側にはレールバスと短編成用の気動車を配置しましたいすみ鉄道 いすみ200’・わたらせ渓谷鐵道 わ89-100 真岡鐵道 モオカ63・名古屋鉄道 キハ20 長良川鉄道 ナガラ1・伊勢鉄道 イセ1 甘木鉄道 AR100・天竜浜名湖鉄道 TH1 樽見鉄道ハイモ180・ハイモ230-300・明知鉄道 アケチ1 有田鉄道ハイモ180・南部縦貫鉄道キハ10・国鉄キハ02・国鉄キハ01 国鉄キハ04・国鉄キハ07+キハ07 北陸鉄道キハ5201・JR東海キハ11+キハ11 JR東海キハ48-1500+キハ48-500 上の方はレールバスです。主に国鉄特定地方交通線転換第三セクター鉄道各社で見られましたが、今では、そのほとんどが次の世代の新型車種に主役の座を譲り渡しています。 その下はさらに前世代の顔ぶれが・・・ここまで時代を遡ると、国鉄の2軸レールバスのように現役時代を私が…

続きを読む

【984】 お召し列車を牽いた機関車

昭和の時代には、毎年開催される全国植樹祭と国民体育大会のときに運転されるお召し列車の撮影を楽しみにされていた方は多かったと思います。実際にお召し列車の撮影には行けないまでも、後日になってお召し列車をけん引したきらびやかな装飾の面影を残す機関車を見たり、雑誌で当日の写真を見たときには、お召し列車牽引機には後光が射しているように思えたものです。 令和元年を迎え、まもなく一ヵ月が経とうとしていますが、来月、令和になってから初めての全国植樹祭が愛知県で催されます。愛知県での開催は2度目で、前回は1979年(昭和54年)5月でした。そのときは県内の飯田線・東海道本線・岡多線でお召し列車が運転されましたので、昭和の鉄道員としてはそのときのことを思い出します。そのときのことは後日書くことにして、今回は、昭和の時代にお召し列車をけん引した経歴を持つ機関車たちの画像をいくつかアップします。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 【EF64 77とDD51 820】 撮影1987年8月22日 稲沢機関区国鉄が分割民営化された年の夏、JR貨物の公開イベント時の撮影です。 左側のEF64 77は1986年に山梨県で催された「かいじ国体」のとき10月11日に原宿→甲府間、同10月14日に大月→原宿間でお召し列車をけん引したということです。(日付と区間はRail Magazine誌1997年6月号を参照しました。)このときが、国鉄最後のお召し列車になりましたが、私個人はこの年の秋は人生の岐路…

続きを読む

【983】 稲沢にて ~DD51 890に寄せて~

先週、名古屋市内で知人と飲む機会があったので、その往路にJR東海道本線の稲沢駅に途中下車してみました。と言っても、多治見~美濃太田~岐阜経由というICカードによる大回り乗車中という事情があるので改札外には出ないで、次の上り普通列車が来るまでの15分の間に、旅客ホーム上から見える範囲に留置してあるJR貨物愛知機関区の機関車群を観察してみようと思っただけのことです。 その旅客ホーム付近には、いつもJR貨物の機関車が留置されているのですが、休車や車籍が抹消された機関車が多く含まれ、昨年度末までにまたそのうちの何両かが解体されてしまったので、そのあとにどんな車両たちが留置されているのか確認しておこうという目的でした。 この日、ホームから確認できた機関車は、米原方から大雑把にEF64 1047・DD51 890・EF64 1021・DD51 1146・DD51 1147・DD51 891・DE10 1557・DD51 1803・DD51 1156といったところでした。ほかにも留置車両がありましたが、手前に留置されている車両に遮られて番号が確認できませんでした。この中には国鉄時代からこの地で稼働していたDD51 890とDD51 891の2両がいます。   ↑DD51 890    ↑後ろがDD51 891(手前は岩見沢~鷲別から流れてきたDD51 1147) DD51 890とDD51 891のほかは、国鉄最末期以後(主にJR貨物時代)に各地から転属してきた機関車ばかりですが、それでも国…

続きを読む

【981】 平成時代の鉄道と私(平成21年~平成31年)

平成元年から平成31年まで撮影してきた鉄道関連の画像のうち、なるべくいままでアップしていない画像を選んで、各年1枚ずつ3回に分けて順にアップしています。今回は平成21年から平成31年までです。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 平成21年(2009年) この年あたりから通勤時にコンデジを常に持ち歩くようになり、通勤途中や昼休みに日常の鉄道風景を撮影するようになりました。このころになると通勤経路で見ることができる国鉄形旅客車両はかなり限られたので、カメラを向ける先は貨物列車が多くなりました。<平成21年11月20日 中央本線春日井駅 EF66> 諸事情で出かけることが少なくなり、中山道歩きは前年末から1年放置した後、この年の年末に東京へ出かけたついでに一泊して、朝から一日で戸田公園駅から日本橋まで歩いて草津~日本橋間完歩達成になりました。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 平成22年(2010年) 出かけることが少なくなった代わりに、この年に拙ブログを開設しました。以後の私の行状は随時ブログにアップしていますので、なるべく重複しない画像を選んで貼っていきます。<平成22年3月9日 放出駅 103系> 国鉄時代の「城東貨物線」で、平成20年から新たに「おおさか東線」として一部区間で旅客営業が開始されていましたが、未乗のまま放置していましたので、この年に初乗りをしました。先日「おおさか東線」の北区間が開業しましたが、何かのついでがあれば乗りに行くつ…

続きを読む

【980】 平成時代の鉄道と私(平成11年~平成20年)

平成元年から平成31年まで撮影してきた鉄道関連の画像のうち、なるべくいままでアップしていない画像を選んで、各年1枚ずつ3回に分けて順にアップしています。今回は平成11年から平成20年までです。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 平成11年(1999年) 撮り鉄活動はほとんどしなくなりましたが、乗り鉄のほうは、毎年恒例になった東北行を継続するほか、乗り残した旧国鉄線区に乗ることを兼ねて中小私鉄巡りや保存車両巡りに行くことはありました。<平成11年3月13日 蒲原鉄道村松車庫> 旧国鉄キハ41000の払下げ車クハ10で、国鉄時代の面影が存分に残っています。この車両に乗ることはできませんでしたが、現役でいることが驚きでした。けれども蒲原鉄道自体が、この年10月に廃止されバス化されました。 このときは蒲原鉄道乗車と撮影、新潟交通の撮影、JR越後線初乗りを兼ねて出かけています。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 平成12年(2000年) この年は九州と東北地方の乗り鉄に出かけています。 秋田~鷹ノ巣間で、「あけぼの」のヒルネを利用しました。<平成12年2月12日 秋田駅> 乗り鉄に専念してきた結果、このころになると未乗の旧国鉄線は、名古屋から直接アプローチしにくい北関東や房総方面に集中して残ったほか、各地に散在する旧国鉄特定地方交通線から転換された第三セクター鉄道が目立つようになってきました。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ …

続きを読む

【979】 平成時代の鉄道と私(平成元年~平成10年)

国鉄が分割民営化されて2年も経たないうちに平成の世になりました。それから30年以上経ち、平成が終わりを迎えようとしていますが、鉄分は薄まりつつも維持しています。平成元年から平成31年まで撮影してきた鉄道関連の画像のうち、なるべくいままでアップしていない画像を選んで、各年1枚ずつ3回に分けて順にアップしていきます。今回は平成元年から平成10年までです。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 平成元年(1989年) まだまだ、地元で見る列車も駅も国鉄のころの面影をそのまま残していましたが、少しずつ国鉄にはなかった新形式がJR各社で登場しつつありました。<平成元年8月13日 中央西線 美乃坂本~中津川> 実家へ帰ったときに、JR東海が昭和63年に旧国鉄のキハ80系を改造して誕生したジョイフルトレイン「リゾートライナー」を撮影しました。このころ国鉄形車両の改造車や車体色変更車両がたくさん現れましたが、どれを見ても違和感だけでなく、センスのなさを感じました。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 平成2年(1990年) 樽見鉄道で蒸機運転が行われたのがこの年でした。<平成2年8月23日 樽見鉄道 谷汲口~神海> C56160をJR西日本から、客車も一部をJR東海から借り入れるなど、バブル景気最後の年らしい大盤振舞のイベントでした。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 平成3年(1991年) 撮り鉄にはめっきり行かなくなったかわりに、積極…

続きを読む

【962】 自動音声による案内放送で思うこと…P.S.ノーサイド

鉄道の車内に限ったことではありませんが、今どきは公共の場で、必要となる情報を自動音声による放送で客に伝えることが多くなりました。通常時は音量が適度でスピーカーなど機器が正しく機能していれば、人の手間をかけることなく、客が知りたいことを正確に伝えられますから、必要に応じて肉声放送を補助的に用いればよいわけです。 愛知環状鉄道2000系です。2005年に行われた「愛・地球博」に対応するために投入され、私は通勤に使っていました。愛知環状鉄道ではワンマン列車がありませんが、開業時に導入された100・200・300形の時代から自動放送が導入されており、この2000系の自動放送は聞き取りやすく私のお気に入りでした。 ところで、国鉄時代に私が乗務していた車両のなかに自動放送の設備があるものはなく、すべてを肉声放送で行っていました。 駅の放送は、国鉄時代から自動化が始まっており、名古屋駅では1982年12月から在来線ホームにも自動放送が導入されました。これによってホーム案内要員が複数のホームを掛け持ちで担当するようになったことで、ホームに案内要員が不在になる時間が大幅に増え、案内要員が受け持っていた終着列車の車内遺失物点検業務が業託化されました。このとき導入された自動音声は不自然極まりない放送でした。 「8、番線、の列車は、 特急、 しなの、 7、号、 長野、 ゆきです」 という調子で、単語で切れている部分が多く、イントネーションもめちゃくちゃで「ほう、長野は雪ですか?」と突っ込みを入れたくなるほど…

続きを読む

【954】 国鉄の悪弊は解消されたけれど・・・

先週は、いかにも当時の国鉄らしい例をご紹介しました。出札窓口や改札口、車内でも、今では信じられないようなことがあったことは確かで、これもよく言われる国鉄の汚点の一つだと思います。 私が高校生のころ、名古屋起点に紀伊半島を時計回りに一周したときのことです。名古屋始発の夜行急行紀州5号に乗るために、発車時刻の1時間近くも前に名古屋駅に行きました。冬休みに入ったばかりだったので出札窓口はたいへん混雑しており「関西・紀勢方面」の窓口の長い行列に並びました。あのころはコンコースの壁面に長距離切符の出札窓口が方面別にずらりと並んでいました。20分ほども並んだでしょうか。やっと順番が来たので、「発駅:名古屋市内、着駅:名古屋市内(経由:関西・紀勢・阪和・東海道)と書いた父の名前で発行された職員割引証を窓口に出すと、すぐに硬券が発券されたのはいいとしても、「あのねえ、こういう切符買うときは、前もって買わんといかん」と説教するような口調で怒られました。 「こういう切符」というのは、「一周する経路で、しかも職員割引という厄介な切符」という意味であったのでしょうか。それなら、こうして常備券が出てきていますので、結果としては問題なかったように思うのですが、あるいは国鉄職員の家族なのだから、他のお客様のご迷惑にならないように、窓口の空いた時間に前もって買っておけという意味だったのかもしれませんし、その両方だった可能性もあります。いずれにしても、そういう説教じみた応対を受けたことは45年経った今でも忘れることはあ…

続きを読む

【944】 2018年中の少ない鉄分から昔を回顧(2):坂の上下・田んぼアート・車両基地公開イベント

先週に引き続き、この1年間に地元で撮影した画像をアップします。いろんなところで時が流れたことを実感します。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ◆坂上行と坂下行 終点を坂下とする列車は中津川始発で1日に数本存在しますが、坂上行はというと、高山始発の下り終列車1本があるだけです。 この坂上行の画像は岐阜駅で撮影しました。最近は自然災害が多いですが、今年は高山本線でも長期間にわたって不通区間が何カ所も発生し、猪谷行が坂上行に変更されていたのでした。 画像の坂下行のほうも災害がらみの列車で、4年前の2014年に南木曽~十二兼間の土石流による橋梁流失と土砂流入によって不通になったときに中津川駅で撮影したものです。このとき列車は坂下と野尻で、それぞれ折り返し運転となり、両駅間に代行バスが運転されました。 坂上と坂下は、ともにJR東海管内の岐阜県内に所在しますが、坂上は高山本線の駅であるのに対し、坂下は中央西線の駅で、両者はまったく関係がなく離れた位置関係にあります。 画像の車両も、両者大変良く似たJR東海の車両ですが、坂上行は気動車であるのに対し、坂下行は電車ですから、まったくの別物です。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ◆明知鉄道 今年はNHK連続テレビ小説「半分、青い。」が放映されたことによって、岐阜県東濃地方が今までになく注目されました。そういう私はテレビをほとんど見ない人なので、そのドラマそのものは視聴していなかった…

続きを読む

【913】 JR貨物の迂回運転に思うこと

この7月に西日本の広い範囲を襲った豪雨では甚大な被害が発生し、その後も21号台風、北海道の地震が続きました。被災された方や、関係者の方には心からお見舞い申し上げます。 9月に入りましたが、今も山陽本線には不通区間があります。この不通区間を迂回する目的で、伯備線~山陰本線~山口線を経由する貨物列車が8月28日の名古屋貨物ターミナル発の列車から1日1往復運転されるようになったという報道を耳にしました。この列車に使用されている機関車は、岡山貨物ターミナルから米子までが愛知機関区のEF64で、米子~幡生操車場までが愛知機関区のDD51だそうです。いろんな情報をもとして総合すると、今回、愛知機関区からDD51の857・1802・1804が赴き、その任に当たっているようです。 このうち、1804号機は、8年前に中央西線に入線した機関車で、その日のことは【105】鉄分補給2010.11.27:中央西線へ入線したDD51の記事で書きました。(その記事上にナンバーがわかる画像や表現はありません。また、上の画像は6年前に関西本線の四日市駅で撮影したものです。) 上の画像は、EF65 1091 (新)+DD51 1804(愛)のコンビで、そのとき(2010年11月27日)中央西線の大曽根~新守山間で撮影しています。 上の画像は春日井駅で切り離されたDD51 1804です。今ではワム80000の姿はなくなり、後ろに見えている桜の木は無残にも切り倒され、このあたりには橋上駅舎が覆いかぶさっています。 …

続きを読む

【875】 津山での再会:キハ33 1001とキハ40 2134

4月から月曜日には子供のころの鉄道に関わる内容を取り交ぜて書いていますが、今回は子供のころの鉄道とは関係ない内容です。しかし2回続けた「津山まなびの鉄道館」での再会に関係する内容なので、そのまま続けさせていただきます。来週以降はまた子供のころの鉄道に関することを続けて書いていきます。 ********************* 「津山まなびの鉄道館」の保存車両の中で、いちばん地味だなあと思うのはキハ33です。 こうしてキハ181と並べられてしまうと引き立て役のような印象も受けますが、キハ33はJR西日本が国鉄から引き継いだ客車オハ50を気動車化改造した特徴ある車両で、改造されたのはわずか2両。このキハ33 1001がそのうちの1両という希少な車両なのです。 50系客車の一員として当時の国鉄でデビューしたのは昭和50年代前半で、わずか10年足らずで国鉄は分割民営化。機関車が牽引する客車列車は気動車列車へと置き換えが進んだことで、まだ新しいのに用無しになり、エンジンを載せ気動車化改造を受け第二の人生へ。しかし改造車ゆえの特殊事情が邪魔をして特定線区だけで使用される異端車として扱われ、それでも与えられた仕事はいちおう全うして、目立たず引退。気が付けば、国鉄での客車時代より気動車時代のほうが2倍以上長くなってしまっていたという経歴は、まさにどこぞの誰かの経歴に酷似し身につまされる思いがします。こういうところに、現場で厄介者扱いされながらも、表向きは終始特急として華やかな優等生として通し…

続きを読む

【871】 「津山まなびの鉄道館」での再会:DE50 1

4月に入って、残してあった青春18きっぷの1日分を使って、津山にある「津山まなびの鉄道館」に行ってきました。 ご承知のように、そこには国鉄時代に1両だけ試作され量産に至らなかったDE50の1号機が保存されています。私の中学生時代に中央西線で貨物列車を牽いていたそのDE50 1に再会することが今回の一番の目的でした。 「津山まなびの鉄道館」で保存されている車両は、すべて扇形庫に格納され、庫内への立ち入りは禁止されていますので、平時には車両の全景を拝むことはできません。主に土休日に、庫内の車両を転車台に1日1両だけを引き出して展示することがあって、4月7・8日には保存車両の目玉ともいえるDE50 1が転車台上で展示される日なのでした。 名古屋起点ですと津山はずいぶん遠いですが、時刻表を繰れば土休日に東海道本線の名古屋朝一番の始発下り列車に乗れば、大垣(接続3分)・米原(6分)・姫路(12分)・播磨新宮(5分)・佐用(8分)と乗り継いで12時過ぎに津山に着けることがわかりました。 津山では4月前半が「さくらまつり」の期間中にあたりますが、今年の桜は早すぎて見ごろはすっかり過ぎていましたし、そういうところに一人で行ってもしかたがないので、津山滞在時間は1時間少々あればよいとして、帰路は経路を変えて、岡山(接続18分)・播州赤穂(1分)・野洲(1分)・米原(13分)と乗り換えれば20時台には名古屋に戻って来られます。これなら多少列車が遅れて接続列車に乗れなくなっても、終列車までは余裕があ…

続きを読む

【869】 美乃坂本駅回想

美乃坂本駅は中央西線で名古屋から18番目、営業キロ73.5㎞の地点にある。リニア中央新幹線の岐阜県駅が隣接して建設されることになっているが、現況は田舎の駅である。 子供のころから国鉄を退職するまでの間、この駅周辺は私の遊び場でもあり、高校生のときは通学で、国鉄に就職してからは通勤で利用してきた。 駅舎は内外装ともリニューアル工事がされているが、国鉄時代から建て替えられることなく木造駅舎がそのまま使われている。中央西線の名古屋~中津川間で木造駅舎が残っているのは、この駅のほかには釜戸駅しかない。 上の画像で左側はトイレであるが、未だ水洗式ではないし男女共用になっている。臭気抜きのためなのか、撮影した日にはご覧のように個室も含めて窓が開け放たれていた。国鉄が分割民営化されてから、一般にトイレは改札内に設けられ、乗降客以外は使えない駅が増えたが、この駅は構造上の理由なのか、そのままにされ、改札内にはトイレがない。もっとも数年前にすぐそばにJRとは関係のないきれいな公衆トイレが造られたので、駅のトイレを使う人は少ないと思う。 上の画像は待合室内部の様子(ベンチ側)。 私が小学生のころから、造り付けの木製ベンチは変わっていないが、このように塗りつぶされてはいなかった。そのころ窓や改札口の建具は全部木製だったし、冬には画面中央手前に石炭ストーブが置かれたが、のちに灯油ストーブに変わった。上の画像には天井と窓上の幕板に補修跡が残っているが、そこにはストーブの煙突が通っていた。 こちら…

続きを読む

【868】 夜の美乃坂本駅

今から8年前、このブログを開設した年に父が病に伏して一時入院したときから、私は週に1回程度、美乃坂本駅を利用するようになった。 仕事を定時で切り上げてから自宅には寄らず、会社の最寄駅から直接中央西線の中津川行列車に乗って実家に近い美乃坂本駅に降り立つころは、夏場以外は日が暮れて、あたりは真っ暗であった。 けれど、マイカーより速くて楽で、実家で一杯飲んでもいいし、そういう気分でない時も帰路の空っぽの列車内で自棄酒が飲める鉄道は、私にとってはベストな移動手段であった。 跨線橋から去っていく列車を見送ると、ホームの照明以外に灯りは少ない。 このあと歩いて、時には自転車で実家へ行って、そのために買って実家に常備した低年式中古軽自動車に乗って、すぐさまスーパーへ出かけ、1週間分の食糧など生活必需品の買い出しをしてから、実家で簡単に食事を済ませたら、帰宅するためにまた美乃坂本駅に戻る。けれど、すっきりした気持ちで実家を後にすることは少なく、複雑な思いのままで、その途中にトトロの森にいつも立ち寄っていた。駅の近くまで来ると田んぼに張った水に映る駅の灯りで癒されたこともあった。 ひっそりとした美乃坂本駅に戻る。そういうことが3年間、父が再び入院して亡くなるまで続いた。 夜間に名古屋方面へ向かう列車は少なく、夜の美乃坂本駅は列車が着いた直後以外はひっそりしていた。 遠くに上り列車のヘッドライトの灯りが見えると、駅に隣接した苗木街道踏切の警報器が鳴り出す。ほかには乗る人も稀なホー…

続きを読む

【865】 コカ・コーラ ラッピング電車

先日、信州に行く機会があり、復刻デビューしたばかりのコカ・コーララッピング電車を見ることができました。 コカ・コーラレッドに塗装されたのは、しなの鉄道の115系電車3両編成で、資金調達はクラウドファンディングによったとのこと。しなの鉄道では、これまで「湘南色」・「横須賀色」・「初代長野色」の復刻塗装を実施していましたし、改造による「観光列車ろくもん」と在来の「しなの鉄道色」・「長野色」も含めれば、そのカラーバリエーションが7種も楽しめることとなり、「乗ってよし撮ってよし」の鉄道になりました。 このコカ・コーララッピング電車は、国鉄が分割民営化された直後の1987年からJR東日本長野支社で広告電車として塗り替えられていた1編成の復刻塗装車です。私もそのころ、雑誌で真っ赤な交流電車のようにも見える外観写真を見て、信州に行ったらぜひ見たいと思っていたのですが、偶然に自分が乗っている列車と高速で行き違った赤い車体が瞼に一瞬映っただけで、画像に残すことはできませんでした。約3年間の広告契約期間が過ぎた後は、当時の長野地区の115系の標準色であった「初代長野色」に塗り替えられたということですが、今回復刻塗装されたのは、その編成そのものだそうです。 実車の塗装が変わって20年も経った2010年になって、TOMIXからNゲージのコカ・コーラ塗装115系電車が発売されました。さすがに忘れ去られたような時期には売れなかったのか、たまたま行った量販店で店頭在庫整理とかで、半額投げ売り状態だったので買っ…

続きを読む

【863】 飯山線

3月初旬に長野~(しなの鉄道北しなの線)~豊野~(JR東日本飯山線)~十日町間に家内と2人で往復乗車してきた。例によって十日町に用があったわけではなく、雪解け前に車窓からの雪見をしたいと思っただけのことで、十日町滞在時間はわずか30分ほどであった。 飯山線には過去にも数回乗っているが、北陸新幹線金沢開業後に行くのは今回が初めてで、旧JR東日本の信越本線部分(長野~豊野間)は、しなの鉄道北しなの線に転換された関係で、この区間だけJR線ではなくなったから別にこの区間の乗車券を買った。 乗った列車は、長野から車掌が乗務する2両編成であったが、この日は前寄り1両だけに「おいこっと」用車両が使われていた。後寄りの一般車1両は途中の戸狩野沢温泉で切り離された。 国鉄時代に比べれば、列車の連結解放に伴う作業は簡易化され、連結器とは別にある電気と空気関係の連結解放が自動化されて、身体的負担と汚損度、危険度、作業の手間が軽減されたが、豪雪地帯ゆえ戸狩野沢温泉駅での作業では解放後に連結器をカバーで覆う作業などもあって、荒天時や厳冬期はつらい作業だろうとお察しする。ローカル線の中間駅なのでこういうことは車掌の仕事になる。 そこから先は1両ワンマン運転となる。下の画像は、途中の森宮野原駅で、除雪されたホームと通路のほかは、まだ雪で覆われていた。 列車の乗客は多くはないが、この長野・新潟県境地帯の地元利用者は少ないらしく、私どものような旅行者風ばかりが目立つ。 この列車は下り越後川口行だが、私た…

続きを読む

【839】 JR各社のパンフレット(後篇)

先週アップしたJRパンフレットの続きで、JR東海、JR西日本、JR四国、JR九州編となります。 ~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~ JR東海「JR東海のスキー列車」 1997年1~3月、名古屋から出るスキー列車を紹介する6ページの冊子です。 画像はその表紙部分ですが、内容は「シュプールユーロ赤倉・志賀」「シュプール栂池・八方」「ワイドビューひだスキー」「快速 木曽スキー」について、運転日・時刻・停車駅などが書かれ、「シュプール栂池・八方」「ワイドビューひだスキー」の車内にテレカ専用公衆電話があることが写真入りで紹介されており、ふた昔前であることを感じさせます。 ~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~ JR東海「12月4日“セントラルライナー”デビュー」 1999年に、中央西線にデビューした乗車整理券を必要とする日中の座席定員制快速列車“セントラルライナー”がデビューすることを告知する1枚ものパンフレットです。裏面に列車の概要が書かれています。“セントラルライナー”は2013年に廃止されましたが、この列車のために新製された313系8000番代は現在も快速・普通列車に使用されています。 ~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~ JR東海「9月8日高山本線全線開通」 2004年10月の大雨による災害で最後まで不通になっていた高山本線の角川~…

続きを読む

【837】 JR各社のパンフレット(前篇) 

国鉄が分割民営化されてから、私は旧国鉄線に乗ることを目的に、意識してあちこちに出かけた時期がありました。 途中下車したときなど、駅の待合室などに置かれているパンフレットをいただいて、宿泊先のホテルの部屋や、夜間で車窓が見られなくなった帰路の新幹線の中で見るのがいつもの旅のスタイルでした。不要なものは捨てましたが、一部は今でも家にあって、フラットファイルに綴じて保管しています。パンフレットの内容そのものにも、今とは違うなあと思わせるものや、面白いと感じるものがありますので、2回に分けて紹介していきます。 ~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~ JR北海道「より便利に 深名線」 一見「?」なタイトルですが、深名線廃止周知用の2つ折りパンフレットです。 1995年のものだと思われますが、この年に私は北海道には行っていないし、そもそも深名線は未乗のままなので、記事の中で、このパンフレットだけは、私が北海道に行ったときに持ってきたものではなく、深名線へ乗りに行った方からの戴きものです。以下はすべて自分か旅先で見つけたものです。 ~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~ JR北海道「ドラえもん海底列車」 2つ折りパンフレットです。これは1999年のもので、前年の「ドラえもん海底列車」パンフレットも手元にありますが、装飾は年とともに派手になっていき、新企画も増えていったようです。2014年には海底駅が廃…

続きを読む

【833】 乗り鉄12か月…2002年12月 北関東・みなみ東北

2002年秋から、コンデジを使い始めた。その時点で国鉄分割民営化から15年もの月日が流れていて、国鉄型車両は減少して、被写体とすべきものが少なくなりつつあった。その少なくなった被写体には人々が集中するようになって、群衆の中で写真撮影をすることがストレスになった。「復活○○」「ありがとう○○」のようなJRの増収を目的としたイベントにも近寄りたくなくなった。そして個人的に乗り鉄中心の旅が増えていたこともあり、いつも撮りたいときにちょっと撮れて持ち歩きに便利で軽いコンデジが自分の使い方にもっとも適していた。 カメラは変わっても、新しいカメラを持つとどこかに行きたくなることに変わりはなく、その年の9月にはさっそく2泊の行程で四国へ渡り、四国島内に残っていた旧国鉄線を完乗し、翌10月には「【829】乗り鉄12か月…2002年10月 広島・山口県下の旧国鉄線」で書いたとおり、山陽方面の未乗線区に乗りに行き、その1週間後には、千葉県のいすみ鉄道(旧木原線)・久留里線へも行っている。11月には乗り鉄こそなかったが、日帰りで毎年恒例にしている長野の善光寺参拝に出かけ、12月には、今回書く烏山線・磐越西線・会津鉄道(旧会津線)・野岩鉄道(国鉄としては未開業となった鉄建公団建設線)・日光線・わたらせ渓谷鉄道(旧国鉄足尾線)に乗りに行って、さらにそのあと、九州にも行っている。 家で子供たちに手がかからない年頃になったことで、自由時間が増え、仕事面でも7年ぶりに、国鉄からの転職直後に8年間続けた職種に戻れて余裕があった…

続きを読む

【831】 乗り鉄12か月…1995年11月 JR五能・津軽・大湊線、下北交通 

再就職9年目に入った1995年春の異動で、3つ目の勤務地に転勤し、そこで初めて担当する職種に就いていた。仕事は遅々として進まないしトラブルの種をまく上司もいて、孤立無援で最悪の年であったが、腹いせでどこかに出かけることにした。このころはチマチマと青春18きっぷで日帰り乗り鉄旅をしていたころであったが、私としては非常に珍しく、特急日本海の寝台車で1人で東北に行った。使用した乗車券はミニ周遊券。 出かけるのは金曜日にして、2時間ほど休暇を取って早退し、どこに行くともどんな用事があるとも会社では誰にも言わず、翌々日の日曜日の夜遅くに帰る行程であった。 高蔵寺16:34―(3750M)―16:53金山 金山17:00―(1151M)―17:33大垣 大垣17:59―(2135M)―18:33米原 米原18:36―(161M)―19:24敦賀 万一、どうしても早退できないような事態が起こっても、新幹線としらさぎを使えば特急日本海1号には追いつけるようにしてあったが、仕事のほうは2時間早く片付けて列車に乗りたい。しかしそういう能力もないし、誰の協力もないから仕事は途中でも切り上げて、特急日本海に乗る敦賀駅までは普通列車の乗り継ぎで行った。無駄に新幹線や特急に乗る必要はない。その結果、米原から583系改造の419系電車でくつろぐことができた。 敦賀19:41―(4001 日本海1号▲)―6:25東能代 敦賀から乗った日本海1号は函館行であったが、私は東能代で降りた。できれば寝…

続きを読む

【829】 乗り鉄12か月…2002年10月 広島・山口県下の旧国鉄線

今回は、中国地方で広島・山口県下に乗り残した旧国鉄線に乗るための旅で、行程は1泊2日の1人旅である。 このころ毎年10月には、青春18きっぷが発売されない代わりに、「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」が発売されていたので、この2日間で使用し、残る1日分は後日、久留里線・いすみ鉄道・小湊鉄道に行く時に使用して使い切った。 (「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」は、現在発売されている「秋の乗り放題パス」に似ているが、その内容は異なり、3日間飛び飛びの日に利用することができ、また1枚を複数人数で使用することもできた) 青春18きっぷより割高なので、これ以後に買ったことはなかった。 (往路の特急券は回収されたので手元に残っていない。) 名古屋から現地までの往復は新幹線を使うので、そこは「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」が使用できず、別途乗車券と特急券を購入する必要があるので、価格的なメリットはないかもしれないが、乗りつぶしの旅では乗るルートが複雑なので、経路が複雑な乗車券や、枝線区間で別途往復の乗車券をいちいち買う手間が省ける。駅員氏や車掌氏の手を煩わすことがないのが最大のメリットとも言える。 高蔵寺5:57―(3102M)―6:23名古屋 名古屋6:50―(ひかり177号)―8:53岡山 岡山8:58―(こだま607号)―9:46三原 岡山までの「ひかり」は300系で、ここから三原までの「こだま」は0系であった。このあとに0系に乗った覚えがないので、たぶんこの…

続きを読む

【827】 乗り鉄12か月…1990年9月 東羽衣と和田岬

1990年は、国鉄から転職して3年目の年にあたる。現場ではなんとか仕事も一人前に任されるようになって、気持ちにもゆとりが出てきたころであった。このころは毎シーズン青春18きっぷ(当時は1日(回)につき1枚の5枚セット)を買っては家族旅行で4枚使い、余った1枚を一人で使って日帰り乗りつぶし旅をしていたが、この夏には別に使うあてがあった。しかし先方の希望で予定が変更になり、結果的に青春18きっぷ1回分が余り、会社で誰かに売りつけようにも使用期間が9月10日まででは引き取り手もなく、有効期限ぎりぎりの9月9日の日曜日、近畿圏の枝線未乗線区の乗りつぶしに出かけた。 主要な目的地は山陽本線の支線、通称「和田岬線」で、この年10月には専用車両オハ64・オハフ64が気動車化されることになっていたので、この旧形客車に乗車することにした。しかしこの「和田岬線」は、休日には朝夕の2往復しか運転されていない。朝の1往復は7時台で、名古屋から青春18きっぷで出かけていては間に合わないから、夕方の兵庫16:57発の和田岬行に乗って1往復するしか選択肢がなかった。夕方まで時間があるので、この当時未乗区間であった関西本線の平野~湊町間、阪和線の支線「東羽衣線」に乗ることにした。それだけでは時間が余るので、既乗区間ではあるが、乗車年月日が特定できない桜島線にも乗って、この日を正式な乗車日とした。 名古屋から湊町へ行くのには、やはり関西本線経由がよい。たまたま前月に珍しくも仕事で奈良へ出張する機会があり、2か月連続の関…

続きを読む

【821】 乗り鉄12か月…1994年8月 四国日帰り

国鉄時代に連絡船を介していた北海道と四国は、私にとって縁遠かったところで、国鉄時代にはどちらにも足を踏み入れることなく、青函トンネルと瀬戸大橋が開通後にいずれも列車で初上陸している。四国へ初上陸したのは、この1994年よりわずか3年前、それも瀬戸大橋を乗ってみただけで坂出で折り返したから、四国島内は全くの未乗に等しい状態であった。そこでこのときも瀬戸大橋を起点にして、高松~鳴門~徳島~阿波池田~多度津と四国の4分の1を日帰りで乗ってくることにした。 高蔵寺5:44―(620M)―6:11名古屋 クハ111-2001 名古屋6:21―(こだま491号)―8:46岡山 100系 全車自由席の「こだま」。岡山まで「ひかり」の待避は1本だけ。がら空きの16号車で6人分のボックス席を作って余裕のスタート。車窓からは、建設中の明石海峡大橋にワイヤーが張られていたのが見えた。橋の開業はこれからさらに4年も後のことになる。姫路では機関区の扇形庫が見えたが壊される寸前のように見えた。 岡山9:03―(3133Mマリンライナー13号)―10:00高松 クハ212-2 初めての高松駅。まだ連絡船の設備が残っていた。やはりここまで連絡船で来ておくべきだったと思う。 高松10:11―(65Dうずしお5号)―10:46三本松 キハ185-1014 先行している普通列車に追いつくために、高松から50㎞までの最短区間で収まる三本松までの新幹線乗継特急券を用意しておいた。自由席特急券250…

続きを読む

【803】 乗り鉄12か月…2004年6月「みなみ東北乗り歩き」

6月は旅行向きの時期ではないけれど、昼の時間が長いことと、夏休み前なので交通機関の混雑が比較的少ない。乗ることを目的とするならば条件としてはいいし、冬場のように、風邪やインフルエンザで自身の体調によって予定をキャンセルしなくてはならなくなる可能性が少ない。個人的に言えば、年度が変わって仕事が軌道に乗ってさえいれば、5月の連休と夏休みの間に当たるので、ちょっと休みたくなる時期でもある。 2004年は、旧国鉄線踏破の乗り鉄のほうも、JR線は北海道の一部が未乗で残すだけになっていて、あとは各地に散在する過去の乗車年月日が不明な区間に再度乗車したり、旧国鉄から転換された未乗の第三セクター鉄道に乗りに行っていたころであった。 この旅で乗るべき旧国鉄線(国鉄時代の未成線を含む)は、阿武隈急行線(福島~丸森~槻木間)と、山形鉄道フラワー長井線(赤湯~荒砥間)だったが、せっかく東北まで行くのだから、ほかに寄り道する線区があるのだが、それは後で書く。 今、掲げた乗るべき2線区は第三セクター鉄道であり、JR線区でないから運賃は別払いとなる。そこで往路と帰路の経路を変えて無理やり一筆書きの乗車券にして、第三セクター鉄道などのはみだし部分を現地で別払いすることにした。 高蔵寺5:20―100M 213系EC―名古屋5:47 名古屋6:20―ひかり290号 700系EC―東京8:16 できる限り列車内では座って移動時間を楽しむためと、経費節約のため、私の乗り鉄旅の出発はたいてい早い。楽をした…

続きを読む

【802】 撮り鉄12か月…1987年6月「篠ノ井線のEF55」

毎月1回第1月曜日に、その月に行った撮り鉄の話を、そしてその週の木曜日には、その月に行った乗り鉄の話をアップしています。 今回は30年前の1987年6月6~7日にEF55が臨時運転された篠ノ井線に行ったときのことを振り返ってみます。 30年前ということは、国鉄が分割民営化された年で、いつもの車掌仲間で出かけています。私は車掌の仕事から離れて2か月少々、仕事が変わったこと以外に転居もしたので、日々の生活が大きく変わった時期でした。こういう催しに誘っていただき、大いに気分転換になった2日間でした。このEF55は、その前年(1986年)に国鉄で車籍が復活したばかりで、それを引き継いだ新生JRにしても、こうしてEF55を各地で運転することで、従来のわるい国鉄のイメージを払拭して民営化されたことによるイメージアップをはかるとともに増収を企図したものだったのでしょう。 第一日目(6月6日)は塩尻~広丘間で撮影 先頭字幕が「回送」となっていたので、団臨関係の回送列車だと思われます。JR西日本167系の12両編成↓ 本命のEF55ファミリー号 9533列車↑ 19M あずさ19号↓ 2523M 快速かもしか3号↑ 飯田発と茅野発の4両ずつを岡谷で併結した快速長野行。松本から急行になります。 この2日間に、EF55は長野を起点にして塩尻と黒姫とを1日に各1往復しました。 編成は「EF55+旧形客車5両+EF64」で、流線形のEF55を常に先頭にするため、上りで塩尻到着後は編成を…

続きを読む

【793】 乗り鉄12か月…1995年5月 中央~八高~信越~篠ノ井線

これまで5月には、あまり遠出をしていない。連休を利用してあちこち行かれる方は多いだろうと思うが、私は混雑が大嫌いなので連休はなるべく出かけないようにしている。そして人事異動で仕事にならなかった4月と連休で遅れてしまった仕事に本格的に取り組めるのが5月の連休明けであるから、仕事モードになりがちで休みづらい時期でもあった。この1995年も転勤があった年で、私は初めて経験する職種に、その転勤先で取り掛かったばかりで戸惑っていた。それでも出かける気になったのは、それなりの理由があった。国鉄から転職した直後に上司だった方が、JR東日本の株主だったらしく、この人から、まだ上場して間もないころで珍しかったJR東日本の株主優待券を2枚いただいたのが動機と言えば動機である。自分の趣味を公表しておけば、こういうこともある。その有効期限が迫っていたので、5月中になんとしても使ってしまおうと思っていた。 優待割引券が使用できるのは、当然にJR東日本管内線区だけである。どうせなら一筆書きの片道乗車券で何日もかかって東北地方の未乗線区を乗りつぶすのが理想かもしれないが、あいにく前述のような状況で仕事を休むわけにはいかないので、日曜日の日帰りにして、未乗だった八高線の一部区間に乗車することと、2年後に控えていた信越本線横川=軽井沢間の廃止前の乗り納めをすることを主な目的として出かけた。 高蔵寺5:59―(825M)―8:34塩尻 乗車駅高蔵寺で、JR東日本との境界駅塩尻までのJR東海区間の往復乗車券を買ってか…

続きを読む

【791】 「土岐市駅(土岐津駅)昭和の風景」と「さわやかウォーキング」

★こちらは臨時増便記事になります。毎月1回第1月曜日に、定例でアップしております「撮り鉄12か月」の5月号記事は、時刻変更しております。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 先日、土岐市駅に行ったところ、駅舎の2階にある「土岐市郷土物産陳列所(観光案内所)」で、古い土岐市駅の写真が展示されていました。 <2018年3月31日 追記> 「土岐市郷土物産陳列所(観光案内所)」は2018年3月31日閉鎖されました。 4月29日から5月7日(5月1日は休館日)までの展示とされています。 展示期間を一週間程度延長されるとのことです。(毎月曜日は休館) ここは、陶磁器の常設展示・販売と、土岐市の観光パンフレットがおいてあるスペースですが、その奥の壁面に写真が展示してあります↓ そのほか、上の画面奥(白い壁面の左)には「中央線を駆け抜けた昭和の列車たち」と題された中央西線内で撮影された国鉄形車両を中心とした列車の写真もありました。 ※関係者の方には撮影・公開について許可をいただいています。 5月4日には土岐市駅スタートで「さわやかウォーキング」が行われますので、もしお出かけの方がおられましたら、帰りの列車待ちのときにでも立ち寄られてはいかがでしょうか。 私は「さわやかウォーキング」には先週参加したばかりなので、今回はコースに鉄分がないし、どうするか…  ちなみに土岐市スタートの「さわやかウォーキング」には10年前に1回だけ参加…

続きを読む

【789】 鉄分補給2017.4.23:名古屋車両区

昨日4月23日、JR東海の名古屋車両区へ行ってきました。 JR東海のウォーキングイベントである「さわやかウォーキング」で、この日は名古屋駅スタートの「みんな集まれ 列車とバスの夢の共演ウォーキング!!」というコースが設定され、そのコース中に名古屋車両区が取り入れられたのでした。 歩くことはたいへん好きな私ですが、人ごみは大嫌いなので、ふだんはこういうところには出没しないのですが、名古屋車両区に入れる機会など、こういう時でなければありませんから、【219】鉄分補給2011.11.13:美濃太田車両区で書いた「美濃太田駅開業90周年記念 みのかも文化の森と美濃太田車両区見学」以来5年半ぶりの「さわやかウォーキング」でした。 コースマップによれば、コース距離は約5.2㎞、所要時間約1時間30分とありましたから、そのつもりで午前中だけ時間が空いていたので出かけたところ、かなりの人出で、車両区前の近鉄の踏切待ちのために公道上で長蛇の列に巻き込まれてしまいました。 それをクリアすると、検修庫に展示された車両群が出迎えてくれました。 現在の主役たちが並ぶ姿は壮観です。この検修庫は、かつては蒸機が出入りしたものです。現地には名古屋車両区の沿革が掲示されており、この場所に移転した昭和10年に竣工した建物であるとのことです。屋根には蒸機時代の煙突があった跡が残っているそうですが、庫内は公開されていませんでした。 この名古屋車両区では、現役の転車台があります。この日はキハ85を転車台に載せて回転…

続きを読む

【785】 今年の桜

今年も桜が咲きました。鉄道写真を撮る目的で出かけることは少なくなったこの頃ですが、桜の花に誘われてコンデジをポケットに入れて出かけました。 同じような大きさの桜の木が川に沿って何本も植えられています。一部の木には「昭和61年(提供者の名前)、〇〇記念植樹」などと書かれたアクリル板が枝に掛けられていましたので、昭和61年にいっせいに植樹されたのではないかと思います。そうだとすればその翌年に国鉄が分割民営化されたわけです。桜の木はそれから30回、こうして花を咲かせてきたわけです。 春は何かにつけて人生の節目になるころなので、年越しのように、桜が咲いたことによって、また1年がたったなあと思う季節です。 中央西線の列車が少しずつ変わっていったのをこの桜の木は見てきたはずです。 ここを通っていく多くの列車のなかで、唯一国鉄時代に生まれた車両がEF64の1000番代です。ただし、ここを通るようになったのは、わずか8年ほど前からのことです。 いまでは、この桜が植えられたころを知る列車がここを通ることはありません。 来年以降も、この桜の木の傍らを新しい車両が通過していき、そして年老いた車両が姿を現さなくなるのでしょう。いつも思うことですが、未来に咲く花はその時の花であって、同じように見えても今年こうしてみている花は、今年の花以外の何物でもなく、二度と逢えぬ花です。 熊本地震からまもなく1年。思うのは、この1年にあったこと。昨年の桜を見てから今年の桜まで短かく感じるようにな…

続きを読む

【784】 乗り鉄12か月…1992年4月「山陰」

乗り鉄旅を始めたのが転職後で、妻子があったので、2泊以上の行程の乗り鉄では一人旅は少なく、どなたかのお誘いによることが多かった。1夜行+1泊の行程だったこの旅でも、当時滋賀県内在住だった元国鉄職員の方との二人旅であった。 夜行急行「だいせん」に乗ることと、列車本数が限られて乗りにくいローカル線の初乗りを主な目的として、私は仕事を定時で終えたあと、家に帰らずにそのまま名古屋駅から東海道本線の下り列車に乗り、待ち合わせ場所とした大阪駅まで行った。 名古屋18:50―(快速3139M)―米原20:00 米原20:15―(普833M)―彦根20:21(食糧調達) 彦根20:40―(新快速3657M)―京都21:29 新幹線を含む特急は、必要に応じて使うのが望ましいとかねがね思っている。定時に仕事を終えて名古屋にいる人間が大阪発22時55分の夜行列車に乗るためには新幹線に乗る必要はないので、東海道本線の普通列車を乗り継いで大阪まで行った。新幹線を使えば、夜行列車に乗る前に、同行者と久々の再会と旅の始まりを祝して梅田で乾杯の時間が取れるわけだが、そういうことは夜行列車の車中でできることであって、特急料金と飲み代の二重の無駄遣いとなる。 それに在来線では、このころ毎週末には、京都始発で14系座席車のアコモ改良車による快速「ムーンライト九州」が運転されていたので、京都~大阪間の短距離ではあったが、試乗することができた。 京都21:32―(快速ムーンライト九州 9231レ)―大阪22:…

続きを読む