【978】 中央西線を走った車両27: その他の非営業列車 

国鉄時代に中央西線で活躍した車両たちを振り返りながらここまでまいりましたが、今回がこのシリーズの最終回です。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 初めて振り子式車両381系電車で営業運転を行ったのが中央西線・篠ノ井線の特急しなの号でしたが、その381系を開発するにあたって試作されたのがクモハ591系でした。当初は3連接車体構造だったということですが、中央西線で試運転したころには、クモハ590+クモハ591の2車体に改造されていました。1973年2月3日 釜戸駅で このときの試運転は名古屋~釜戸間で行われ、土曜日、学校が終わってから釜戸まで列車に乗って友人と2人で出かけました。1973年2月3日 釜戸駅で 新聞に掲載されたので、このことを知りました。 中央西線で初めて見た特急色の電車でしたが、特急色の2両編成は、どことなく間抜けな感じもしました。 その試運転から半年後に新製された381系による営業運転が開始されました。営業運転開始後も中央西線では381系による高速試験が行われています。そのときのことは【643】中央西線を走った車両9:381系電車(4)の記事前半をご覧ください。 そのほか、国鉄時代に中央西線の検測車として入線していた意外な車両としては、交直両用のクモヤ494・495があります。1983年3月4日 坂下~田立 このほかにも、キヤ190・191とマヤ34も検測のために入線していました。「【57】国鉄時代の検測車」の記事で中央西…

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【977】 中央西線を走った車両26:  工場入出場のパートナー +α

国鉄時代に中央西線で活躍した車両たちを、引き続きご紹介してまいります。このシリーズで紹介する車両の範囲は「国鉄分割民営化まで」としていますが、その間に走った車両を網羅する内容ではないことも、あらかじめご承知おきください。今回と次回は一般客扱いをしない回送列車などです。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 中央西線にあった車両基地のうち、電車を担当するのが神領電車区でした。瑞浪から中津川まで電化区間が延伸された1968年に開設され、中央西線のほかにも東海道本線など他線区で使用する車両を擁していました。 車両基地には営業用車両ではなく、黒子的存在として電車区内の入換作業や、車両工場への入出場のときの牽引用に使用される事業用車も配置されているものです。まず神領電車区に配置されていた事業用車を中心に取り上げます。 <クモヤ90>クモヤ90804 1979年撮影日不明 倉本駅で後部から。 先頭←クハ86+モハ80+クハ85+クハ165+クモヤ90 クモヤ90は神領に2両配置され、神領電車区の80系と165系が長野工場で検査担当をしていたので、そのうち1両(クモヤ90804)が中央西線南木曽以北にある狭隘トンネル通過を考慮して低屋根化改造されていました。画像は、その長野工場の検査上がり車両を回送しているところだと思われます。クモヤ90804のパンタ側のお面は正方形に近くて違和感を覚えます。 <クモハ40>クモハ40800  1977年…

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【975】 中央西線を走った車両25: ジョイフルトレイン 

国鉄時代に中央西線で活躍した車両たちを振り返りながらここまでまいりましたが、一般客扱いではない団体専用列車や回送列車、試運転列車なども、いくつか画像に記録しておりますので、引き続きご紹介してまいります。 国鉄では昭和40年代から、「ジョイフルトレイン」の嚆矢ともいうべき団体用の特殊車両を誕生させていました。それが畳敷きの和式客車で、最初に盛岡鉄道管理局で試作され、その後はオハ35・オハフ33を改造して編成単位の臨時運転を前提にして「お座敷列車」と銘打って名古屋鉄道管理局と長野鉄道管理局で各1編成ずつ誕生しました。 両者はオハ80・オハフ80を名乗りましたが、のちにグリーン車扱いとなってオロ80・オロフ80と形式変更されています。 1973年6月26日 恵那(「名ナコ」のオハ80・オハフ80編成) そのあとも各鉄道管理局で続々とお座敷列車が誕生しましたが、改造種車が冷房付グリーン車スロ62・スロフ62に変わり、スロ81・スロフ81を名乗りました。1973年5月12日 落合川~中津川 スロ81・スロフ81編成 外観上はグリーン座席車時代とほとんど変わらず、他のグリーン車同様、のちにグリーン帯が消されて特別感がなくなりました。後発の東京南局と大阪局の編成だけは改造時に車体側面には2本の白いラインが入れられて登場しました。↓1984年7月1日 落合川~中津川 時代が移り、スロ81・スロフ81改造のお座敷列車も世代交代が進行して、新たなお座敷列車は12系座席車から改造されるようになっ…

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【973】 中央西線を走った車両24: 20系客車(団体と回送)

国鉄時代に中央西線で活躍した車両たちを振り返りながらここまでまいりましたが、一般客扱いではない団体専用列車や回送列車、試運転列車なども、いくつか画像に記録しておりますので、引き続きご紹介してまいります。1985年1月22日 大桑~須原(既出画像) 20系寝台客車については、「ちくま」関連で以前に書いたのですが、「ちくま」の20系客車は12系客車との併結編成でした。しかも夜行列車でしたから中央西線内で撮影した画像がありません。しかし国鉄末期になり、20系客車が特急運用から外されて団体用に転用されるようになると、九州方面から信州方面への団体臨時列車として入線してくることが増えてきました。 1986年(撮影日不明) 釜戸 ほとんどが冬場の運転で、高校のスキー学習の団体さんのようでした。こういう列車が冬場の信州には集中しましたから、現地に車両の留置や整備清掃する基地がなく、輸送後に空いている車両基地まで回送する列車が運転され、逆に車両基地から帰路の団体さんを信州にお迎えに行く回送列車もあったわけで、こういう列車は日中に運転されることが多かったのです。 1987年(撮影日不明) 美乃坂本~中津川 このころの20系客車の車体に3本あったラインのうち、一番上の1本が消されつつあった時代で、それが特急用から格下げされた証のようにも思えました。 1986年月日不明 中津川~美乃坂本(既出画像) 20系の入線が増えたころ、名古屋鉄道管理局に欧風客車ユーロライナーが誕生し、EF64 66が…

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【971】 中央西線を走った車両23: 70系電車(後篇)

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないので、あらかじめご承知おきください。 今回は先週の70系電車の続きです。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 神領電車区の70系は6両編成で運用されていました。 1978年10月 釜戸~武並 そのほか朝夕の増結用(岡多線の旅客営業開業後は岡多線用としても使用)として4両の付属編成もありましたので10両編成も組んでいました。一時期12両編成もあったと記憶しています。10両編成以上で中津川まで入っていた定期列車は私が知る限り1往復だけでした。 <ある日の10両編成の記録> 1969年4月28日 626M 6:29中津川発=8:07名古屋行   クハ68082   モハ70116   モハ70044   サハ75004   モハ70078   クハ76305   クハ76030   モハ70307   モハ70018   クハ68075 (所属名未確認ですが、全車「名シン」と思われます) 4両・6両編成とも、両端のクハがどちらもクハ68という編成は見たことがなく、それはたぶんクハ68にはトイレがないからだと私は思っています。しかし10両(6両+4両)になると、この例のように両端がクハ68になることがありました。当時の私はクハ68に対して偏見を持っていたこともあって、こういう編成は嫌…

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【969】 中央西線を走った車両22: 70系電車(前篇)

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないので、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 70系電車は、80系電車に比べると知名度が落ちますが、電化されたばかりの1966年から中央西線で使用されていました。そのころ電化区間は名古屋~瑞浪間だけで、まだ神領電車区もなかった時代でしたから、大垣電車区の所属になっていました。1968年に中津川までの電化工事が完成すると神領電車区が開設され、70系は大垣電車区から神領電車区へ全車が転入し、それとは別に大船電車区からも新たに70系が神領電車区に転入してきました。これでその年の10月からの中津川電化に伴うダイヤ改正への車両配置が整ったわけです。1977年3月10日 高蔵寺~定光寺 瑞浪・中津川間の複線電化工事は1968年8月に完成し、10月のダイヤ改正を前にして、夏休みに沿線の小中学校の児童生徒を対象とした試運転列車の無料試乗会が催されました。大人たちが10月のダイヤ改正まで乗車できない「電車」に乗れることはこの上ない喜びでした。しかし定員の関係なのか全校児童生徒が対象というわけではなく、私が住んでいた校区では学年が指定され、小学5・6年生と中学1年生に限られていました。私はそのとき小学5年生でしたので、かろうじてセーフとなり幸運でした。学校の行事という感覚で、欠席者もほとんどなかったような…

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【968】 国鉄時代の観光案内車内放送:「しなの」(4-2)

先週に引き続いて、国鉄時代に録音した「しなの号」の車内放送について解説や補足を書いておくことにします。音声は、車内放送部分だけを編集してアップしていますので、車内録音ノーカット版ではありません。収録した日と列車は前回と同じで、その続編となっています。 ・録音日:1986年10月26日 ・列車:中央西線・篠ノ井線「しなの7号」 ・運転区間:名古屋・長野 ・今回の収録区間:倉本~宮ノ越付近(4-2) ・収録時間:約13分00秒 ◆乗鞍岳(0分05秒付近~) 深い谷が続く木曽谷の底から乗鞍岳が見えることは意外に知られていません。もっとも雲がなく空気が澄んだ快晴の日でないと見られないのですが、コンディションさえよければ、倉本駅を出てすぐ、左側の車窓から列車と並行しながら左へカーブしていく木曽川の上流方面に見えます。 ◆小野の滝(案内放送0分18秒付近~1分25秒)       (現地を通過するのは2分44秒付近) 放送で「滝の上のほうだけ見えます」と言っているように、列車の車窓から滝の全容を見るのは不可能です。下を走る国道19号線には駐車スペースもあり、そこからは全容が見られますが、滝の正面を横切る中央西線の鉄橋がたいへん目障りです。江戸時代に安藤広重による浮世絵「木曽海道六拾九次之内『上ヶ松』」にも描かれた名瀑ですが、明治時代に造られた鉄道によって景観が台無しになったわけで、今なら景観の保護が優先されたのではないかと思います。 ◆寝覚ノ床(1分25秒付近…

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【967】 中央西線を走った車両21 :80系電車と115系電車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないので、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 80系電車は、国電の代表形式のうちの一つで、幹線からローカル線まで幅広く活躍し、電化された中央西線でも使用されていました。 1980年3月頃 美乃坂本~中津川 中津川電化時点(1968年)ごろは、中津川まで乗り入れる定期列車には70系が主に使われていましたから、そのころ中津川界隈で80系を見た記憶といえば、週末に運転された臨時快速「恵那峡」くらいでした。 厳密に言うとそれはウソになります。と言うのは神領電車区の70系に組み込まれたサハのうち3両は横須賀色に塗装された80系のサハ85が混入していたからで、いつも「スカ色」の80系を見ていたことになります。そのサハ85については、後日70系の記事のなかで語ることにしますので、今回は触れません。 中央西線で本格的に80系電車が使用されるようになったのは、中央西線が全線電化された1973年からと言ってよいと思います。 1979年4月29日 田立~坂下 南木曽以北に断面が小さいトンネルがあるため、使用されたのは電動車モハ80のうち低屋根800番代か、折り畳み高さが低いPS23パンタに取り換えた神領電車区の編成に限定され、4両単位で編成を組んでいました。70系にはそういう狭隘ト…

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【966】  国鉄時代の観光案内車内放送:「しなの」(4-1)

私が国鉄末期に乗務していた「しなの」号は、名古屋と信州を結ぶ列車で、381系電車9両編成で運転されていました。 乗務する車掌は3人チームで、その中の車掌長がチーフと呼ばれ、車内放送も受け持っていました。チーフは列車全体の責任者としてグリーン車の乗務員室に乗務し、私は最後部の運転室でドア扱いも担当する最下位の専務車掌で、乗客扱いのほかに列車の運転に関する取扱(ドア扱いをはじめ信号現示確認し列車を発車させるなど)を兼ねていました。もう一人は特別改札行路の専務車掌(車掌長行路に組み入れられていたので、実際には車掌長職の場合がほとんど)で、主に前寄り3両の自由席車を受け持ちました。チーフはグリーン車を含む編成中央部の指定席3両を、最後部の私は後寄り3両(指定席)を受け持つのが一般的でした。 当時の私は、何事もなければ将来は車掌長になるのが自然の成り行きでしたから、車掌長の仕事のテクニックなどを見て、後の自分の仕事に活かそうと思っていました。 この列車では、観光客のみなさんから、車内巡回中に沿線の風景や名所について尋ねられることもありましたから、私は必ず木曽路の観光ガイドブックを持って乗務していました。詳細な沿線観光案内放送をされる車掌長氏とコンビになったときには、最後部の運転室で私物の小型テープレコーダーでそれを録音したこともあり、わかりやすい放送のしかたや、沿線の観光地のことなどを勉強したものです。 その録音テープを今になって聴きなおしますと、あたかも実際にしなの号に揺られているようで、…

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【965】 中央西線を走った車両20 :475系電車と72系電車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないので、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 《475系電車》 中央西線に交直両用475系とは実に違和感を持ちますが、名古屋~博多間の急行「玄海」の間合い運用でした。それはおそらく神領電車区が完成した年、1968年10月のダイヤ改正(中津川電化時)からだと思いますが、当時は中津川まで運用されていなかったので、私は見たことがありませんでした。私が475系に気付いたのは中津川まで運用されるようになったときで、古い時刻表と記憶とを総合すると、中津川始発の上り快速列車が2本体制になった1969年10月のダイヤ改正からではなかったかと思います。その1年前の電化完成時1968年10月のダイヤ改正で中津川を朝7時台に153系の上り快速が設定されましたが、1969年10月の時刻表を見ると朝7時台に中津川始発の上り名古屋行快速が運転されるようになっています。下の画像は時が経過して1971年4月に美乃坂本~恵那で撮影した快速636M名古屋行です。(列車後方から撮影)  画像では正面愛称板こそ白表示ですが、字幕には「急行」が出ていて、そういうことに無頓着だった時代であったことを反映しています。 1本前の153系快速が普通車8両編成で、中央西線にデビューしたころは輝いて見えたものでしたが、この475系はサ…

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【963】 中央西線を走った車両19:159系・155系・167系・169系電車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないので、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 159系は大垣電車区に所属した中京地区の修学旅行用電車でした。 この電車は、修学旅行以外にも臨時急行・臨時快速に使用されたほか、定期列車にも153系に代わって運用されることがよくあり、先週書いた中央西線中津川と東海道本線を直通する朝夕1往復の快速列車でも、運用されているのを見たことがありました。 1973年2月26日 快速2636M 美乃坂本 前日夕刻の大垣発中津川行に159系が運用されているのを見て、翌日の朝、登校前に駅まで出かけて撮影した画像です。 ところで、私は中学校の修学旅行で159系に乗った世代ですが、徐々に新幹線に移行し始めるころでした。小学校6年生のときに、まだまだ先の中学校の修学旅行について保護者向けのアンケートがあったことを今でも記憶しているのですが、その内容は、修学旅行で新幹線を使いたいか、それとも従来どおり在来線の修学旅行列車を使いたいかという希望調査でした。従来のように在来線利用なら、修学旅行の行先は箱根と東京だけになるが、往復新幹線を使えば日光まで足を延ばせる。ただし新幹線利用だと、費用負担が1人3000円余計にかかるが、さてどうする?ということでした。私は言うまでもなく「こまどり」がいいと親に伝えました…

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【961】 中央西線を走った車両18: 153系・165系電車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないので、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 153系・165系 1968年に中央西線の瑞浪~中津川間の電化工事が完成した時点から、私の実家の最寄り駅での「電車」との付き合いが始まりました。そのころ古い70系電車と、気動車、機関車牽引の客車列車が混在するなかで出色だったのが、1往復だけあった中津川発着の東海道本線直通快速列車でした。この列車は大曽根~多治見間ノンストップという速達性のほか、大垣電車区の153系8両編成であったことが、「急行」を思わせ、よく乗りました。 1971年4月 中津川発大垣行快速1634M 美乃坂本~恵那 大垣電車区の153系編成の先頭車は、正面が橙色一色の低運転台と高運転台のクハ153が混在していました。ほかにも正面が橙と緑の2色塗装のクハ165が混用されましたので、どの顔が来るのかということも楽しみの一つでありました。 165系による急行が中央西線を走るようになったのは、そのあと1973年の全線電化時からでした。こちらは新たに神領電車区に配置された車両でしたが、すべて他区からの転属車で新車ではありませんでした。 1973年7月21日 上り急行「きそ1号」 恵那駅で 急行では、165系の中間にサハ153が混入することが多く、153系から改造…

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【959】 中央西線を走った車両17 :12系・14系・20系客車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないことも、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 12系客車は波動輸送用として製造された客車でしたから、中央西線のように季節や曜日による輸送量の増減が激しい線区では、臨時列車を中心によく入線していました。1973年2月3日 急行「ちくま1号」 釜戸駅 1973年5月5日 臨時快速「木曽路」 坂下~落合川 12系客車は定期急行「ちくま」・「きそ」にも使用されるようになりました。「ちくま」では20系寝台車と12系が併結されました。 1986年8月21日 長野で 時刻表を見ますと、1986年の1~2月に臨時急行「なにわ銀嶺」という寝台列車が運転されたことになっています。深夜なので見に行ったわけではありませんが、おそらく宮原の20系で運転されたのではないかと思います。中央西線の定期列車で座席車がない寝台列車はなかったので、一般客扱列車としての寝台列車は珍しいと思います。時刻表画像は1985~1986年(60.3改正時)冬版名古屋鉄道管理局ポケット時刻表の臨時列車ページです。大阪発妙高高原行で運転日は1/31・2/14・2/28でした。(折り返しは2/2・2/16の運転)。その前年の冬にも臨時急行「なにわ銀嶺」は時刻表の臨時列車ページに名を連ねていますが、全車普通車座席指定となっています…

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【957】 中央西線を走った車両16 :旧形客車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないことも、あらかじめご承知おきください。機関車編が終わりましたので、一般客扱列車に連結されていた客車について2週に分けてアップします。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 小学生のころに見た客車について、いくつかお話してきましたので、重複しないように進めます。 自分が中央西線の定期列車で見たり乗ったりした旧形客車の形式を列挙してみます。 ナハ10、オハ31、オハ34、オハ35、オハ36、スハ40、スハ43、オハ46、オハ47、オハ51、オハ53、オハ55、オハ60、オハ61、オハ62 ナハフ10、オハフ33、スハフ36、スハフ42、オハフ45、オハフ52、オハフ60、オハフ61 スロ51、オロ61、スロフ51、オロフ61、スロフ62 オロハネ10、スハネ16、オハネ17、オハネフ12 スハニ31、スハニ32、オハニ36、オハニ61 スユニ60、スユニ61、マニ32、マニ36、マニ60、マニ74、マニ76、オユ10、スユ43、マヌ34 ほかにもあったかもしれませんが、特定しかねる形式もありますので、このくらいにしておきます。 上に列挙した形式のうち、下のブログ記事の中でカッコ内に示した形式やグループについて、出会った経緯や思い出を書いています。(画像はありません。) 【891】小学生時代…

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【955】 中央西線を走った車両15 :電気機関車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないことも、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 国鉄時代の中央東西線は、ともにEF64(0番台)が大活躍した舞台で、中央西線では中津川電化の1968年から使用されていました。このとき配置された14両のうち新車は2両(29・30)だけで、あとは奥羽本線福島機関区からの転属車(1~12)でした。 EF641[稲一] 1973年10月 急行ちくま2号大阪行 中津川駅 東海道・山陽本線という表舞台で活躍したEF60・61・65・66や、碓氷峠のような特別な区間で活躍したEF62・63などと比べると、EF64はずいぶん地味な機関車だったと思いますし、そもそもD51が消えてからの中央西線自体が撮影者には見向きされにくい線区でした。 EF64が入線する前、1966年の中央西線の瑞浪電化時から1968年の中津川電化時まで、EF60が多治見まで入っていました。このEF60は甲府機関区から稲沢第二機関区へ転属してきたもので、1965年の中央東線松本電化時に吹田第二機関区から甲府機関区に転属して中央東線で活躍を始めたグループでした。勾配線区での制輪子による空気ブレーキのみの制動では問題があったとのことで、「中央西線瑞浪電化用」としてEF64(16~28)が甲府機関区に新製配置され、追い出されたEF6…

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【953】 中央西線を走った車両14 :ディーゼル機関車

中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないことも、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 昭和40年代の中央西線では、主にSL時代からEL時代へのつなぎ役としてDD51が使用されました。 DD51723[稲一] 1973年5月5日 十二兼~野尻 主に客車列車用として使用され、中央西線全線電化完成の2年前の1971年4月には線内全部の定期客車列車がELまたはDL牽引になり、旅客列車の無煙化が達成されました。 1973年3月 落合川 その後も、定期客車列車のDL化後も客車増結時にD51が補機として使用されることがあり、異動力による機関車牽引の客車列車を見ることがありました。 DD51750[稲一] 1973年5月13日 倉本~上松 また、臨時列車はD51牽引の場合とDD51の場合とがありました。当時はD51に来てほしいと思ったもので、DD51の画像は、D51撮影に行ったついでに撮影したようなものです。ずいぶんDD51に対して失礼な接し方だったわけですが、長い人生の中での関わりがどこにあるかわからないもので、例えば上の列車を牽いているDD51750など、この写真を撮影した7年後、私が国鉄の列車掛をしていた時代には、関西本線の貨物列車で自らがこの機関車のステップに乗って入換作業に従事するという深い付き合いに…

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【951】 中央西線を走った車両13:気動車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないので、あらかじめご承知おきください。今回は気動車編です。 私が中央西線で国鉄時代に見た営業用の気動車を列挙してみます。 キハ17・18・20・25・26・28・35・40・48・51・52・55・57・58・65・90・91・180・181 キロ25・27・28・58・180 キサロ90・キサシ180 上の画像は使いまわしですが、1972年10月10日に中央西線の南木曽~十二兼間で撮影した気動車の画像です。キハ26(300番代)+キハ51+キハ51+キハ26(300番代)です。キハ26(300番代)はキロハ25の格下車、一見キハ17と見えるのは2個エンジンのキハ51です。画像は縮小しており判別できないと思いますが、元画像ではキハ17とは窓配置が異なり、戸袋窓の形状で判別できます。 ところで、キハ181系とキハ91系については過去に紹介していますので、 【114】 中央西線を走った車両1:181系気動車(1) 【115】 中央西線を走った車両2:181系気動車(2) 【117】 中央西線を走った車両3:181系気動車(3) 【119】 中央西線を走った車両4:181系気動車(4) 【780】 中央西線を走った車両10:キハ91系気動車 をご参照ください。 このほか、中央西線の気動車列車については、 【907】 下り急行「きそこま」~「…

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【950】 165系電車時代の急行「赤倉」に関することいろいろ

先週は気動車時代の急行「赤倉」号が名古屋に着いた後、その編成を使用して中央西線を折り返した普通気動車列車について書きました。 その赤倉号は、1982年11月の上越新幹線開業に伴うダイヤ改正で165系電車化されました。 このダイヤ改正で急行「赤倉」の運転時刻は変更され、かなりスピードアップしましたが、それまで中央西線で特急に混じって運転されていた定期昼行急行列車「つがいけ」「きそ」は特急化されるなどして、「赤倉」は中央西線唯一の定期昼行急行列車になりました。気動車時代は上下列車とも後続の特急「しなの」に追い抜かれるダイヤでしたが、電車化で下りのみ長野まで追いつかれずに逃げ切れるようになりましたが、停車駅は増えてグリーン車は1両だけになり、中央西線内では、中部日本横断列車ということを除けば、特急の脇役的な色が濃くなりました。 ◆気動車時代の「赤倉」(1982.5)  名古屋10:03-長野14:42-新潟18:17 ◆電車化された「赤倉」(1982.11)  名古屋9:02-長野13:04-新潟16:23 脇役であっても、スピードアップとともに、遅れに遅れていた全車冷房化が達成されたことが最大の改善点だと思われました。 以下、【246】乗務した車両:165系電車(3)ほかで書いた内容と重複する部分があります。 赤倉編成は神領電車区で滞泊するため、上り「赤倉」が名古屋到着後、折り返し普通列車高蔵寺行となり、高蔵寺から再び折り返し神領へ回送されました。ダイヤ改正時に普通車掌だ…

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【949】 中央西線を走った車両12 :蒸気機関車《後篇C12・C56》

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないことも、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ <C12> C12は主に入換用でしたから、本線上での活躍は限られましたが、中央西線が全線電化された後も中津川と木曽福島両機関区に配置されていました。 中津川機関区所属のC12は、中津川の入換作業に従事していました。 C1269[中]  1973年7月 DL化される直前、中津川での入換作業 そのほか中津川機関区のC12は、恵那から分岐する明知線の貨物列車の仕業も受け持っていましたので、明知線の貨物列車が運転される日には毎日、中津川~恵那間の中央西線本線上の回送がありました。 C1269[中](再掲画像)1972年・月日不明 美乃坂本~恵那 上り定期旅客列車最後部での回送。下りは貨物列車最後部で回送されていた時期もありましたが、回送は、単行機関車列車による時期もありました。最末期は上下列車ともに単行機関車列車のダイヤが引かれていました。 C1269[中] 1973年7月30日 美乃坂本~恵那 この写真を撮影した時点で、すでに中央西線は全線電化されD51は引退していましたから、この単行機関車列車は、木曽福島・上松間に運転されていた木曽福島機関区のC12による単行機関車列車とともに、線内に残された希少な蒸機列車でした…

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【948】 思い出の乗務列車57:中央西線普通列車531D&522D

新年から毎木曜日に「中央西線を走った車両たち」について、「国鉄分割民営化まで」のことを書き始めましたので、今回は表題の中央西線の普通列車531Dと522Dに加えて、中央西線に走っていた昼行長距離急行「赤倉」号のことも併せて書いていこうと思います。 1982年9月24日 下り急行「赤倉」落合川~坂下 「赤倉」号は名古屋と新潟を長野経由で直通する気動車急行として1962年にデビューしています。私が車掌になったのは1981年でしたが、そのころは新潟から名古屋に着いた赤倉号2802Dの編成は、すぐ普通列車531Dとして多治見に折り返し、多治見から太多線内を回送され美濃太田機関区で滞泊しました。翌朝は美濃太田始発多治見経由名古屋行普通列車522Dで名古屋。折り返して赤倉号2801Dになって新潟に戻っていました。 この普通列車531Dと522Dの名古屋~多治見間は専務車掌と普通車掌との2人で乗務していました。 急行「赤倉」の所定編成は新潟運転所のキハ58(8両)とキロ28(2両)からなる10両編成でした。 1982年9月29日 下り急行「赤倉」落合川(後方から撮影) このうち指定席はキロ2両とキハ2両で、この4両だけが冷房車で、自由席6両は非冷房でした。2両のグリーン車キロ28のうち1両は自車を含めて3両まで給電可能な4VK冷房電源用エンジンと発電機を搭載した2000番代の車両が使用されて、2両の普通車指定席のキハ58に冷房電源を供給していました。自由席のキハ58は基本的に非冷…

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【947】 中央西線を走った車両11 :蒸気機関車《前篇:D51》

【「中央西線を走った車両」シリーズ記事再開にあたって】 昨年は、子供のころの中央西線との関わりについて書きましたが、カメラを持ち始めたのが中学生からでしたので、それ以前に見たり乗ったりした車両を画像として記録することはできませんでした。残っているネガフィルムは1971年以降ですが、それでもそれから45年以上経過し、国鉄が分割民営化されてからでも30年以上経過していますので、改めて見ると懐かしいと思うだけでなく、そのころの日常が今となっては大袈裟に言えば異次元空間だなと思うことさえあります。「中央西線を走った車両」のシリーズ記事は、これまで1~5(181系DC)・6~9(381系EC)・10(91系DC)で書いてまいりましたので、その続番で継続する形をとりますが、中央西線を走った車両は実に多いので、これまでよりサラッと流す内容として、その代わり中高生時代から国鉄在職中までの個人的な思い出なども織り込もうと思います。また、「乗務した車両」のシリーズ記事で取り上げた車種については、その当該記事の中で中央西線での画像と使用列車などをすでに書いていますので、原則的に新たな記事は起こさず省略とさせていただき、該当記事へのリンクを貼ることにします。また、過去に掲載した画像をいくつか使いまわしで使用しますのでご承知ください。 今回のシリーズで紹介する車両の範囲は「国鉄分割民営化まで」としますが、その間に走った車両を網羅する内容ではないことも、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.…

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【945】 2018年中の少ない鉄分から昔を回顧(3):急行「中山道トレイン」

前回に引き続き、この1年間に地元で撮影した画像をもとに、それより前に時代に遡った関連画像で、時の流れを感じていただく企画ですが、最後は地元中央西線の木曽方面を対象とした行楽臨時列車に絞って書きました。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ このところ毎年JR東海では秋に急行「中山道トレイン」が運転されています。 今年は383系電車を使用して6日間運転されました。 過去には途中駅で長時間停車する「木曽路クルーズ」という臨時急行が、やはり383系で運転されたことがありましたが、「中山道トレイン」を名乗る急行は、昨年までの3年間373系が使用されていました。 その前、2013・2014年には371系が使用されて、これはかなり注目されました。 2011・2012年には、117系の改装車「トレイン117」が使用され、運転区間は短く南木曽までの運転で、列車種別が快速でした。2012年は「中山道トレイン」を名乗りましたが、2011年に運転されたときの列車名は「宿場町トレイン」で、その年だけは車体にキノコやモミジなどがラッピングされ鮮やかな装いでした。 現在の「中山道トレイン」のルーツは、この列車か、急行ということを考慮すれば前述の383系急行「木曽路クルーズ」ということになりましょうか。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 木曽路への行楽用臨時快速列車(運転区間が中京圏から塩尻までで完結する列車)は、秋に限らず観光シーズンには国鉄時…

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【944】 2018年中の少ない鉄分から昔を回顧(2):坂の上下・田んぼアート・車両基地公開イベント

先週に引き続き、この1年間に地元で撮影した画像をアップします。いろんなところで時が流れたことを実感します。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ◆坂上行と坂下行 終点を坂下とする列車は中津川始発で1日に数本存在しますが、坂上行はというと、高山始発の下り終列車1本があるだけです。 この坂上行の画像は岐阜駅で撮影しました。最近は自然災害が多いですが、今年は高山本線でも長期間にわたって不通区間が何カ所も発生し、猪谷行が坂上行に変更されていたのでした。 画像の坂下行のほうも災害がらみの列車で、4年前の2014年に南木曽~十二兼間の土石流による橋梁流失と土砂流入によって不通になったときに中津川駅で撮影したものです。このとき列車は坂下と野尻で、それぞれ折り返し運転となり、両駅間に代行バスが運転されました。 坂上と坂下は、ともにJR東海管内の岐阜県内に所在しますが、坂上は高山本線の駅であるのに対し、坂下は中央西線の駅で、両者はまったく関係がなく離れた位置関係にあります。 画像の車両も、両者大変良く似たJR東海の車両ですが、坂上行は気動車であるのに対し、坂下行は電車ですから、まったくの別物です。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ◆明知鉄道 今年はNHK連続テレビ小説「半分、青い。」が放映されたことによって、岐阜県東濃地方が今までになく注目されました。そういう私はテレビをほとんど見ない人なので、そのドラマそのものは視聴していなかった…

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【942】 2018年中の少ない鉄分から昔を回顧(1):愛環・木曽あずさ

2018年もあとわずかになりました。今年のまとめを書くにしても、このところめっきり鉄道旅が減って、今年は春に青春18きっぷを使って、飯山線の雪見(【863】飯山線)と津山(【871】「津山まなびの鉄道館」での再会:DE50 1)へ行ったくらいのものでした。鉄道で遠出をするときには、よくお世話になった新幹線ですが、振り返ってみますと2015年に九州まで往復したのが最後で、新幹線には以後3年間乗る機会がなかったことからも、近年は遠くに出かけていないことがわかります。その九州行のときに、最後まで未乗で残ったままになっていた線区に乗ったことによって、「現在乗ることができる旧国鉄線」は全部乗りつくしたものですから、「【647】九州乗り物乗りある記(前篇)」の末尾に「乗るべき線区や乗るべき列車がなくなりつつある現状から考えるに、一人で泊まり込みの旅に出ることなど、もうないようにも思います。」と書いたのですが、今のところ、そのとおりになっています。出かけたくても出られないのはストレスになりますが、見たい列車乗りたい列車がなくなってしまい、遠くに「行く用事」がなくなっただけであって、仕事や付き合いで「遠くに行かなければならない」、または「行かされる用事」がないことは、むしろありがたいことでもあるのです。かつてはそんな「行かされる」ような機会にも、ちゃんとカメラを携えて撮るべき車両を撮り、乗るべき列車に乗ったりしたものです。そういう気にさせてくれる対象物がすっかりなくなりました。 そして、地元を走る列車を見渡して…

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【940】 スチール棚の企画展15: 「中央西線の機関車牽引列車」

先週に引き続いて、私の部屋に造ったスチール棚の模型展示スペースの企画展をアップします。 いちおう今回は「中央西線の機関車牽引列車」ということになっていますが、いつものように在庫車両に偏りがありますので、、、、、今回もまたまた、むりやり感のある面々で繕っています。これが現況で、この状態で年越しすることになっています。 展示車両は、相変わらずで、これまで別の企画展で展示したものがほとんどですので、展示車両の説明コメントは最小限にして、その代わりに、これまでに書いた関連記事へのリンクを貼っておきます。 ******************* 今回も前回同様に、左方を先頭として展示しています。そして上のほうに20系客車があるのも前回と同じです。 上から順に、 ◆EF64 77が牽く20系団臨  【485】模型…その実車の現役時代(3):EF64 77    ◆EF64 0番台前期形が牽く12系+20系の「ちくま」   【681】JRダイヤ改正で思いだすこと③~急行ちくま     ◆DD51が牽く旧客編成の「きそ」   【899】小学生時代に見た旧形客車の記憶4     ここまでは前回の「夜行列車」展示車両の続投で、一部車両を入れ替えただけです。 ◆EF64 66が牽くユーロピア+ユーロライナーによる「シュプールユーロ赤倉・志賀」   【304】乗務した車両:ユーロライナー(4) そのJR移管後    ◆D51標準形が牽く旧客編成825列車   【8…

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【923】 ~昭和57年秋~ 父の遺品「レールの文鎮」そして・・・

私の父の遺品のなかに、レール文鎮があります。 1982年(昭和57年)は名古屋から建設されてきた中央本線が中津川まで開通してから80周年を迎えた年でした。 裏面には父が長年勤務した車掌区の名が入っています。当時の車掌区長の言葉が綴られた手紙もいっしょに箱に収められていました。 この年には多治見~中津川間開通80周年記念乗車券も発売されています。 記念乗車券には、開通日が明治35年12月21日とされていますが、冒頭の画像にあるレールの文鎮には57.11.20のゴム印で日付が入っています。変ですが、ほんとうの開業80年の日は、たぶん12月21日で、レール文鎮の日付は単に配られた日を表しているだけなのだと想像します。 この年11月20日と、その翌21日には中津川駅で記念行事が行われたことが、翌21日の中日新聞記事で報道されています。レール文鎮もこの記念行事に合わせて配布されたのでしょう。 (新聞記事の内容掲載について許可等受けていませんので見出しだけがわかる状態の大きさと範囲の画像としてあります。) 本来12月21日にすべき記念行事を11月20日に早めた理由については新聞記事に触れられていませんでしたが、中津川開業の日は明治35年12月21日であると書かれていました。なぜ記念行事を11月に行ったのか、その背景を探ると、この年11月15日にダイヤ改正があり上越新幹線が開業していました。ダイヤ改正後最初の土・日曜が11月20・21日に当たりますから、国鉄としてはダイヤ改正のPRも兼ねて…

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【911】 昭和40年代:中央西線の気動車普通列車

時刻表の1956年(昭和31年)12月号復刻版を見ると、もう中央西線の名古屋~中津川間に普通気動車列車が運転されていることがわかる。おそらくこのころは多治見機関区に配置されたキハ17系が使用されていたのだろう。そんな古い写真は手元にはないので、今回アップする画像はずっとあとの1971年以降に撮影したものであることをお断りしておく。こちらは中津川で撮影 「鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション7」に収録されている1968年3月31日現在の国鉄車両配置表で確認すると、多治見機関区所属の気動車の全容は キハ52-7両 キハ35-10両 キハ28-3両 キハ25-4両 キハ18-3両 キハ17-13両 小学生になった1964年には日中の急行はすべて気動車列車になっていたし、普通気動車列車はさらに増発されて、運転区間も延長されて名古屋発明科行という列車があった。 この明科行は、午前中の下り列車で、買い物などに出かけるのに便利な時間帯の列車であったから、美乃坂本から中津川までの1区間だけではあったが、母とよく乗った。母も私も明科がどこにあるのかわからず、読み方も知らなかったから「アケシナ行のジーゼル」と言っていた。(正しくはアカシナ行のディーゼル) その列車は4両編成で、中間に必ず運転台がないキハ18が1両連結されていた。 これも当時の画像がないので、1973年12月に後藤寺線で撮影した気動車列車の画像で代用するが、3両編成の列車の中間車をよく見れば運転室がないキハ18である…

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【909】 塩尻発武豊行?

このまえ、昭和40年代の中央西線で運転されていた下り長野行気動車急行「きそこま」(→「きそ1号」)について書いたが、この列車が多治見始発だったころに塩尻で切り離された多治見機関区(→美濃太田機関区)所属の2両のキハ28について、話を続ける。 塩尻で「きそこま」から切り離された2両のキハ28は、日中に普通列車名古屋行(注釈付きの「武豊」行…後述)として折り返してきた。 その折り返しとなる上り普通列車が美乃坂本を通るのは12時台で、1968年10月の中津川電化前は840D、それ以後は828Dという列車番号が付されていた。当初は美乃坂本到着時点では一般形気動車が増結されていた記憶だが、のちに増結がなくなってたいへん混みあう列車になった。しかしこの列車では必ず急行形キハ28に乗れた。日中だったので乗ったり見たりする機会も多かったから、キハ2814というナンバーの車両の窓下にあるテーブル(裏にセンヌキがついている)の柄が他車と違って、1㎝くらいの格子模様だったことを覚えている。(画像は一般的な柄) 改めて「鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション7」掲載の1968年3月31日現在の国鉄車両配置表で確認すると、多治見機関区所属の気動車のほとんどが一般形と通勤形で、急行形はキハ28(14・76・159)が3両だけとなっていることから、キハ28は急行「きそこま」編成専用だったものと思われる。多治見機関区は、1959年12月に急行「しなの」が気動車化されたとき使用されたキハ55が配置されていた機関区でもある…

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【907】 下り急行「きそこま」~「きそ1号」

以前、早朝に家で聞こえてくる列車の音で時刻がわかるという話を「【887】時計代わりになった列車の音」で書いたが、そのなかで、朝6時前、最初に通過していく下りの旅客列車が長野行気動車急行「きそこま」(→「きそ1号」)であった。そのころ中央西線の定期急行は、下の画像のように8両編成以上の長編成で、1等車(→グリーン車)を2両連結している編成が多かった。 ところが、この急行はそうではなく、1等車もない全車自由席の4両編成であった。 時刻表の編成表にも、こんなローカル急行の編成は掲載されていなかったが、その編成は前2両が長野運転所(長ナノ)のキハ57かキハ58で長野行。後ろ2両が多治見機関区(名タミ)のキハ28で塩尻行であった。なにより珍しかったのは、この急行列車は名古屋始発でなく多治見始発だったことと、勾配線区なのに1エンジンのキハ28が使用された定期急行列車だったことである。いちおうお断りしておくが、当然全車が非冷房時代のことであって、キハ28には冷房電源用エンジンを装備していないころのことである。 そもそも、そのころの私にはキハ28、キハ58とキハ57の違いがさっぱりわからず区別ができなかったが、それは小学4年生の時に誕生日祝いとして親に買ってもらった誠文堂新光社刊「気動車ガイドブック」を読んでからわかったことである。 古い時刻表を参照していくと、「きそこま」はもともと準急行列車として運転されており、1966年10月のダイヤ改正から急行列車になったようである。それにしても、格が低く感じら…

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【899】 小学生時代に見た旧形客車の記憶 4

小学校の高学年になると、車両の形式と所属箇所の標記を注意してみるようになっていった。 画像は国鉄就職後に撮影した荷物列車で、子供のころのものではない。カメラや時計を持つ子供など、身近にはいなかったから、撮影して記録することはできず、見た表記を忘れないようにメモしておくしかなかった。たまに名古屋に行ったりすると、中央西線では見られない形式の車両や所属標記を見ることができてうれしかったものだ。 東海道本線の車両にある門モシ・鹿カコなどの表記の車両を見ると、一生行くことがないような遠方から来ている車両に出会ったような気がしていた。 中央西線の普通列車でも、一時的ではあったが信じられないような車両を見たことがあった。その車両とは、オハフ60とオハ62の2種類で、所属表記は「旭アサ」「札イワ」「札ムロ」の3種類があった。1両や2両ではなく、たぶん数両以上は運用されていたと思う。なぜ北海道の車両が紛れ込んでいたのかわからないが、記憶も確かだし、小学校5年生のころのノートに所属表記と形式名が書かれているので間違いない。 季節が夏だったか冬だったかは記憶にないが、期間は1週間や2週間ではなく、もっと長い期間にわたって、名古屋客貨車区(名ナコ)の編成に混入していたように記憶する。その時期には、普通列車に使用する3両の付属編成が2両に減車されたり、オハフがオハニに変更されたりしたこともあったから、波動輸送で臨時急行列車を多発するに当たって、普通列車用のオハ35やオハフ33あたりを臨時用として使用すると、普…

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