【1378】 DD51の思い出(1)全線電化前の中央西線

JR貨物愛知機関区所属のDD51の定期運行がこの3月13日のダイヤ改正でなくなりました。国鉄型車両が地元で見られなくなっていくのは寂しいですが、車齢から考えても世代交代になるのは致し方ないことで、よくぞここまで生き延びてくれたと思います。 一昨年2019年11月11日 愛知機関区横の側線で解体を待つDD51 1146 と1147 彼らは鷲別から転属した道産子A寒地仕様機でした。 自分にとってDD51とはいろんな立場で関わりがありました。以前にブログ記事内や、そのコメント欄に書き込んだことと重複することもありますが、その関わりについて関連する過去記事へのリンクを貼りながらDD51との接点や想いなどを数回に分けて書き留めておこうと思います。今回は私が国鉄に就職する前に、中央西線で日常的に見ることができたDD51についてです。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ ディーゼル機関車というものを初めて見たのは1966年の篠ノ井線でした。その日のことは「【867】52年前の家族旅行を辿ってみる」で少し触れていますが、そのとき自分が乗った列車を牽いていた赤い機関車は、おそらくDD51だったと思います。その日は赤い車体だったことを確認しただけなので、凸型の特徴ある外観を間近に見て、ずいぶん変な形の機関車だと思ったのは、その少し後で、地元中央西線の旅客列車の無煙化用として稲沢第一機関区に配置されたDD51を地元で見たときでした。当初は稲沢第一機関区に5両、2ケ…

続きを読む

【1377】シリーズ記事「あの年の〇月〇日」を振り返る

拙ブログは平成31年4月までで定期更新を終了しておりましたが、ブログ開設10周年だった昨年は「あの年の〇月〇日」を毎日連載してまいりました。1年間、身辺に何かあったら継続は難しいだろうと多少気にしていましたが、幸いにして大した障壁に阻まれることもなく完結できました。偶然にも新型コロナの影響で在宅時間が多く取れたからこそ、企画が1年間続けられたと言えなくもありません。 ところで、今年に入って「あの年の12月13日」の記事中、前半部分に1か月の日付誤り(1月13日が正当)を発見しましたので、該当部分を正しい日の記事に移動しました。コメント欄のほうも内容を壊さないよう留意したうえで記事移動に該当する部分を分離して、記事といっしょに移動しましたので、ご報告しておきます。申し訳ありませんでした。今後も記述の誤りや状況変化に気が付いた時点で訂正や追記はしておきたいと思っています。 シリーズ記事「あの年の〇月〇日」では、2月29日以外はその日に関係するモノやその日に撮影した過去の画像を見つけることができ、出かけた記録のない日には、昼休みに撮影していた春日井貨物の画像でごまかしながらも366回継続ができました。鉄道中心にはしましたが、以下のとおり鉄分薄めの旅行や自分の趣味の分野も取り混ぜました。 ◆決まったメンバーで何度も行ったグループ旅 会社のメンバー3人でやっていた「清酒ん18きっぷの旅」と「50代5000円でGO!」・車掌区時代の先輩2人と私の計3人で行く温泉旅・車掌区時代の鉄を中心とするメ…

続きを読む

【1376】50年前のカメラと鉄道写真

今年は初めて自分のカメラを持ってから50周年にあたります。最初に所有したカメラは、このKONICA C35で、ここからカメラとの付き合いが始まりました。このカメラで初めて列車の撮影をしたときの画像がこちらです。肝心の列車は小さくなってしまいましたので、どちらの画像もトリミングしてあります。なにぶんにも初めての鉄道写真撮影であったことと、レンズシャッター式焦点距離38㎜のカメラですので、何が写っているか判るだけよしとしなければなりません。撮影場所は美乃坂本~恵那間。撮影は1971年4月ですが日付が特定できていません。両方とも既出画像で、電車は475系中津川発名古屋行。多治見~大曽根間無停車の快速運転で、この編成は名古屋到着後に急行玄海号博多行になりました。客車列車の方は名古屋を朝一番に出る長野行普通列車です。 今ではこの場所にはフェンスが設けられていますので、同じ場所からこのように撮影するのは難しそうではありますが、なにぶんにも田舎のことですから周辺の様子は、家が増えた程度で50年経ってもそれほど変わっていません。しかしこの先、リニア中央新幹線の工事が本格化すると背景は大きく変わるのだろうと思います。 このころの中央西線の看板列車は181系DCで運転されていた特急しなの号でした。下の画像は、そのKONICA C35で撮影した181系DC時代の特急しなの号です。2枚とも落合川~中津川間での撮影で、撮影時期はカメラを買ってから2年後(1973年)です。 私の父は多少はカメラを嗜む人でしたので、…

続きを読む

【1363】あの年の12月20日《1999年・2004年・2012年》

1999年12月20日  1990年代後半から、M社からNゲージの蒸気機関車の模型が続々と製品化され始めていました。私は、ボイラー直径の小さいC12とかC56の製品化は難しいだろうと思っていました。それでも、ついにこの年12月に、M社からC12 66とC12199の2種類が同時にリリースされ、さっそくこの日に名古屋市内へ買いに行ったのでした。これが、その帰りに使った乗車券です。 買ったC12は、腰高で、ボイラーは太すぎるし納得できかねる作りでしたので、早々に手放しました。そのプロポーションの崩れた模型の画像は、のちにK社からすばらしいC12がリリースされたときの記事【602】KATO-N蒸機 C12~そして思うことの中に1枚だけアップしています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2004年12月20日 松屋の領収書。こんなものもコレクションです。10年前の夏に、100枚めになるときは「100枚記念に、どこか遠くの街の知らないところで食べてみる旅にでようかな?」などと書いたのですが、旅にもほとんど出ない、外食もめったにしない生活になりましたので、いっこうに行く機会がなく、現在までに集まっている松屋の領収書の数は91。しばらく行ってないなと思い、最新の領収書を見ると3年も前のものでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2012年12月20日 中央西線 春日井~勝川そしてこのころは、昼休み…

続きを読む

【1361】あの年の12月18日《2010年》

2010年12月18日 実家へ週1回程度通っていました。この日は神領始発、朝の下り一番列車松本行普通列車で出かけました。 この列車で行けば、いったん実家に行ってから冬場に運転される朝の貨物列車に間に合うのです。 中央西線 美乃坂本~中津川 何のために実家に行っているのかわからないようにも思われるかもしれませんが、実家では時間指定ですべきことは限られるので、時間調整さえすれば写真撮影の時間くらいは取れました。帰る時刻も考えておきました。暮れの早い日没より前にやってくる貨物列車の時刻に合わせて実家を離れ、駅の近くで撮影中央西線 美乃坂本~中津川 その足で駅から帰りの列車に乗るのです。 コンデジ1つをポケットに忍ばせての撮影は、撮り鉄活動とは言えないですが、実家のことと会社のこと、双方に一向に進まない問題が山積していましたので、鉄道との接点がせめてもの息抜きでした。 中央西線 美乃坂本 あれから10年たっても未だ解決することなく引きずったままの問題はありますし、新しい悩みの種が次々と発生しつつあるのがこの世の現実です。でも時が解決してくれたことはたくさんあったことは確かですし、これからもそれを信じていくことにしています。 ◆画像はすべて当日の撮影です。

続きを読む

【1360】あの年の12月17日《1978年・2015年》

1978年12月17日 中央西線 神領電車区 中央西線から70系電車が引退した日でした。 こちらは、そのとき神領で撮影したクモエ21800とクモハ40800 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2015年12月17日 飯田線豊川へ行きました。 この日、日本車両豊川製作所で新製された台湾鉄路管理局「普悠瑪(プユマ)号」用TEMU2000型電車の甲種輸送がありました。 甲種輸送は、豊川~豊橋~笠寺~東港のルートでした。 画像は進行方向が変わる豊橋駅で、東海道本線下り線側に転線するため、いったん東方へ引き上げている場面です。 東海道本線 蒲郡駅

続きを読む

【1359】あの年の12月16日《2011年》

2011年12月16日 中央西線 春日井~勝川 ほかに、アップすべき画像がありませんので、またこれです。 EF65 1083は、際立った特徴がないようで、ありきたりの絵ではありますが、まだJR貨物更新色で2000番台化される前であることや、ワムハチを牽いていること、そして線路沿いの高いフェンスがないことから、それらが9年の時のしわざであることに納得します。

続きを読む

【1358】あの年の12月15日《1981年・1982年》

1981年12月15日 中央西線 美乃坂本~恵那 この日はキヤ191系検測車が中央西線に入線しました。当時は名古屋第一機関区に1編成2両が配置され、中部地方の国鉄線の検測に使用されていました。 ついでに撮影した381系電車 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1982年12月15日 天気がよく中央アルプスが見えそうだったので、飯田線に行きました。まだ雪が少ないのであまり映えません。 以上2枚は飯田線 田切~伊那福岡 飯田線 七久保~伊那本郷 どこに行っても山があり、峠を越えると街がある信州に通い詰めるうち、すっかり信州ファンになってしまいました。

続きを読む

【1355】あの年の12月12日《1985年・2009年・2010年》

1985年12月12日 中央西線 坂下駅 この年の1985年11月14日~12月13日にわたって、湖西線(安曇川~永原)と中央西線(高蔵寺~坂下)で、試験用の制御付振り子装置や操舵性台車・パンタグラフ・主電動機に換装した日根野区の381系電車で、高速試験が実施されていました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2009年12月12日 会社のメンバー3人でやっていた「清酒ん18きっぷの旅」で、加古川線に乗って「白雲谷温泉ゆぴか」へ行きました。 「白雲谷温泉ゆぴか」最寄駅は市場駅。このあと姫路城へ行っています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年12月12日 「清酒ん18きっぷの旅」の延長線上にあった「50代5000円でGO!」の旅で、長良川鉄道を利用して郡上八幡へ行きました。 その日のことは、【112】「50代5000円でGO!」2010.12.12:郡上で、書いています。

続きを読む

【1352】あの年の12月9日《1986年・1989年・2012年》

1986年12月9日 このとき国鉄の余命はあと4か月を切っており、前月に行われた61.11ダイヤ改正では、事実上のJR体制に移行していました。私はこの時期には複数の就職希望先の二次試験を終えており、いつまで乗務の仕事ができるのかまったくわからない状況下にありましたが、あとは結果を待つだけでしたから、千葉鉄道管理局のお座敷列車「なのはな」が名古屋鉄道管理局内への入線があったので、刈谷~大府間(現逢妻~大府間)へ撮影に行きました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1989年12月9日 転職後、会社のメンバーで始まった西国三十三所巡礼旅、この日は日帰りでした。行程は以下のとおり 〔集合〕~一宮IC―(名神高速)―八日市IC―観音正寺<第32番>―竜王IC―(名神高速)―瀬田東IC―(京滋バイパス)―宇治東IC―三室戸寺<第10番>―醍醐寺(下醍醐から上醍醐<第11番>徒歩往復)―京都東IC―(名神高速)―一宮IC~〔解散〕 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2012年12月9日 中央西線 美乃坂本駅 前日は東京に行っていましたが、実家のことでは心配事が続いていました。この日は早朝から実家へ行って、午後帰途につきました。

続きを読む

【1347】あの年の12月4日《2010年・2012年》

2010年12月4日  ブログで「北恵那鉄道:その廃線跡」のシリーズをアップするに当たっての取材を兼ねて、久しぶりに北恵那鉄道廃線跡へ出かけました。 田瀬駅跡 栗本駅跡 並松駅跡あれから10年。並松駅跡は宅地造成されており、この遺構は現存しません。 夕方、実家から家への帰り道、恵那山は冠雪。3回恵那山に雪が降ると里にも雪が降ると言われていました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2012年12月4日 いつものように昼休みに春日井貨物の撮影に行きました。この日は大宮更新色のEF64 1008でした。(画像省略) そのあと、近くにある春日井市交通児童遊園に立ち寄り、そこに保存してあるD51 792の様子を見てきました。「きかんしゃトーマス」らしき絵が描かれた看板が括り付けてあるのに気が付きました。手作り感があふれ心が安らぎます。

続きを読む

【1340】あの年の11月27日《1982年・1988年・1995年・2010年》

1982年11月27日  自動車で道標巡りをしていました。情報も少ない中を、2つの旧道が交わる交差点などにひっそりと建っている道標を見つけることは、今でいうとスマートフォン向けの位置情報ゲームアプリのお遊びに似たものだったように思います。そこで発見した道標には、廃線跡に残された鉄道施設に出会えたときに似た思いがいたします。ここでは案内看板がありました。書いてあるとおり、この場所に道標が存在することに大きな意味があります。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1988年11月27日 昨日書いた係の旅行の話の続きで、京都の2日めです。 行願寺革堂 ここで初めて西国三十三所専用の納経帳を買いました。私にとっては西国巡礼の始まりの日であり始まりの地です。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1995年11月27日 一昨日から書いている東北地方2泊3日の一人旅3日目です。この日は大湊線と下北交通に乗ってから、東北本線の50系普通客車列車~はつかり~やまびこ~ひかり~と乗り継いで帰ってきました。 この3日間の旅については、【831】乗り鉄12か月…1995年11月 JR五能・津軽・大湊線、下北交通(リンク先は一昨日・昨日と同じ)に書きましたので、詳細は省略とします。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年11月27日 この日も、中央西線…

続きを読む

【1337】あの年の11月24日《2003年・2010年・2011年》

2003年11月24日 振替休日の月曜日でしたので、前日に引き続いて、中央西線に臨時運転されている夜行「ちくま」の回送列車目的で出かけました。 中央西線 高蔵寺駅付近 まず多治見貨物を撮影します。国鉄特急色EF65 1091が現れました。 そして「ちくま」の回送。 中央西線 高蔵寺駅 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年11月24日 高蔵寺駅 ホームライナー太多2号出勤前の道草でした。 この翌年3月のダイヤ改正でホームライナー太多は廃止されました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ その翌年2011年11月24日  神領駅 多治見貨物EF66 35 この日も出勤前。平日この時間帯にこんなところで撮影していられたのは、この日がフレックスタイムだったに違いありません。出勤時刻が遅くなっても、どうせ出勤しなければならないとなれば、家でのんびりしていられない性格でしたので。。。

続きを読む

【1336】あの年の11月23日《1974年・2000年・2003年》

1974年11月23日 この日は北恵那鉄道へ行っていました。 【716】北恵那鉄道26:「混合列車」に書いた記事中、「とある休日」となっているのが1974年11月23日のことで、美濃福岡駅側線の画像以外は、この日に撮影した画像です。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2000年11月23日 のと鉄道 穴水駅 前日から、のと鉄道の初乗りに来ていて、輪島に泊まっていました。この日は蛸島まで一往復してきました。 帰路は和倉温泉駅から名古屋へ直通する「しらさぎ12号」で帰りました。 和倉温泉駅 【1282】あの年の9月30日《1973年・2005年》で少し触れましたが、国鉄時代には名古屋から高山本線経由で夜行急行「のりくら」が季節延長運転で七尾線・能登線に乗り入れていたことがありました。それは廃止になりましたが、時は流れてJR西日本時代に入ると、七尾線が和倉温泉まで電化されたことによって、名古屋から和倉温泉まで北陸本線経由で直通する特急「しらさぎ」が運転されるようになり、これは大きな進化だと思ったものの、北陸新幹線金沢開業と同時に名古屋から七尾線への乗入れは終了しました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2003年11月23日 名鉄三河線 猿投~西中金間の廃止が翌年春に迫ってきていました。仕事ではときどき自動車で通るところだったのですが、仕事中に撮影などできませんので、祝日を利用して自家…

続きを読む

【1334】あの年の11月21日《1998年・2009年》

1998年11月21日  東北本線利府駅に立ち寄ったときの画像です。 上はED71 1 下の画像で、右のナンバープレートが外されたELは、窓配置から推定するとED91 21。左のDLはネガ原版ではDD154と読めます。ほかにもEF71 1,ED75 1,ED77 1,ED78 1が同じような状態で置かれていました。この保存機関車たちは、今はどうなってしまったのでしょうか。 この日は、この機関車の撮影が目的ではなく、東北地方の未乗線区に乗ることが目的でした。 【151】鉄道あちこち訪問記6:利府線・三陸海岸縦断1998.11.21~22で、この日と翌22日のことを書いています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2009年11月21日  旧国鉄中央本線の愛岐トンネル群 ふだんは立入禁止ですが、例年紅葉の時期など期間を限定して公開されます。 小学生のころに実際に何回も列車で通ったトンネルですので、すごく親しみがある場所ですが、明治時代に造られた巨大な、しかも連続する遺構がこういうところに残っていることは奇跡のように思えます。「NPO法人 愛岐トンネル群保存再生委員会」公式サイトによると2020年秋の特別公開日は来週28日から9日間(雨天中止)とのことです。

続きを読む

【1333】あの年の11月20日《2004年・2009年・2010年》

2004年11月20日 車掌区時代の先輩2人と私の計3人で行く温泉旅。この年も日帰りになり、目的地は岐阜県関市内にある日帰り温泉でした。そのとき行った樽見鉄道は開業20周年だったようで、気動車にはこのようなヘッドマークが取り付けられていました。 こちらは名鉄美濃町線の列車です。旧札幌市電の連接車モ870形に華奢な鉄橋。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2009年11月20日 この日の春日井貨物はEF66 27が牽いてきました。 中央西線 春日井駅 春日井駅の隣にある勝川駅の高架化工事が進捗していましたので、そのあと勝川駅に向かいました。地上の仮線を走る列車を撮影しておきました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年11月20日 この日は実家へ帰る途中に寄り道をして、明知鉄道で恵那~明知間を一往復してきました。その日のことは【101】鉄分補給2010.11.20ちょっと寄り道 明知鉄道1往復で書きました。そのころの記事を見ると否応なく10年前を思い出します。先が見えないところからスタートした実家への往復もちょっと落ち着いたころ、と思えば次々と問題発生。ブログも一時休載することが幾度かありました。それの繰り返しが人生だとわかってはいるのですが… それでも今年はあと1か月少々、なんとか年内は連載を継続できればと思っています。

続きを読む

【1331】あの年の11月18日《1981年・2010年》

今日も、出かけたときに撮影した画像が見当たりません。 1981年11月18日 【990】変なコレクション11:交通違反はやめよう!…;;でアップした青キップの画像です。 この年2回目の速度超過による検挙でありました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ そしていつもの昼休みです。 2010年11月18日  中央西線 春日井~勝川このEF65 1068は2068に改番され、今では国鉄特急色に戻っていますし、ワム80000はすでにありません。 211系も、いずれはここから消えていくのでしょう。

続きを読む

【1328】あの年の11月15日《1972年・1985年・1996年・2001年》

1972年11月15日 梅小路蒸気機関車館 梅小路蒸気機関車館が開館したのが、この年の10月ですから、オープン後1ヵ月で京都まで出かけたことになります。よほど行きたかったのでしょう。当時は中学生でした。ほとんどの蒸気機関車は初めて見る形式でしたが、DD54を初めて見たのもこのときでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1985年11月15日 明知線 飯羽間駅国鉄明知線最後の日でした。翌日からは第三セクター明知鉄道に転換されるため、鉄道としてはそのまま残ることになったのは結末としてよかったと思います。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1996年11月15日 中央西線 高蔵寺~定光寺JR西日本広島支社のお座敷列車「旅路」が中央西線に入線しました。 真っ赤な塗装と展望室付に改造された姿を中央西線で見たのは初めてでした。ユーロ色EF65 106との組み合わせは、マッチしているとは言えませんが、さまざまな牽引機との組み合わせが見られたことが機関車が牽引する列車の魅力になっていました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 11月11日の記事で、1989年に飯山へ行ったことを書きましたが、それから12年後の2001年11月15日に飯山駅で購入した乗車券が残っていました。何をしに行ったのか思い出せず、ネガ袋を繰っていくと、長野電鉄「木島線」(信州中…

続きを読む

【1327】あの年の11月14日《2012年》

今日は、まともな画像が見つかりませんでした。 そういうときには、昼休みの春日井貨物。2012年11月14日 中央西線 春日井~勝川 すでにワムハチの活躍は終了し、全車コンテナ化されています。EF64 1043が大宮更新色の時代(現在は国鉄色)ですが、それもまた歴史の一ページとなりました。 この日は編成中にコンテナ輸送50周年記念のコンテナがありました。 この列車を撮影して会社へ帰る途中に、川面にカラスがたかっていました。よく見ると鯉の亡骸が。。。南無阿弥陀仏。 チベット仏教などには、鳥葬というのがあるんですね。この川には大きな鯉が放流されています。時には亀も見ますし、カラスだけでなくシラサギ、アオサギも飛来し、鴨の仲間も水浴びしています。毎日繰り返し歩く道でも、日々違う自然の営みがあります。自分もその中の一人です。近くには踏切名にもなっているお寺さんがあり、線路を挟んで反対側に墓地がありますから、おそらく明治時代に中央西線が開通したときに敷地が分断されてしまったのでしょう。 お寺の門のところに、このころには「求める心は淋しい 捧げる心はゆたか」と貼紙がありました。このお寺さんにはいつも貼紙があります。ひと月に一回くらい貼りかえられます。 「あなたの道をたどりなさい 道がなければ跡を残しなさい」 「一日の終わりに自分にもありがとうが言えたらいいね」 「小さな水溜まりも大きな空をうつす」 「今日の生き方が明日を開く」 「笑えば笑顔の花が咲く 渡るこの世は我次第」 「成功…

続きを読む

【1319】あの年の11月6日《2010年》

出張途中に117系を撮影していた翌11月6日は土曜日で、会社は休みでしたので実家に行っていました。父がその夏に一度目の脳梗塞を発症したので原付に乗るのをやめさせ、その代わりに私が両親の買い物などのアッシーをすることにして、定期的に実家へ行くようになっていた時期でした。空いた時間には中央西線の列車を見に行きました。子供のころから慣れ親しんだ風景は変わりませんが、やってくる列車は、すべて変わっていました。リニア中央新幹線の工事が始まればその風景までも変わってしまうはずです。 ◆本日の画像はすべて恵那~美乃坂本間で当日撮影しました。

続きを読む

【1317】あの年の11月4日《1974年・1985年・1989年》

1974年11月4日 中央西線 美乃坂本~中津川 もう食堂車は外されていますが、おなじみの場所?で181系気動車をこの日撮影していました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1985年11月4日 中央西線 中津川機関区中津川機関区で公開イベントが催されていました。明知線が第三セクターに転換されたのが、この年11月16日でしたから、その関係でのイベントだったと思いますが,このころの中央西線では見ることができなかったEF58とEF65PFも展示されました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1989年11月4日 中央西線 落合川~坂下時は平成元年となり、JR東海時代に入っています。サロから改造されたクロ381を先頭にしたしなの号ですが、このころはまだ貫通幌を取り付けない状態で運用されていましたので、正面がすっきりしていました。

続きを読む

【1313】あの年の10月31日《1973年・1978年・1985年・1998年》

1973年10月31日  中央西線の「しなの」のうち、キハ181系使用列車2往復だけで営業していた食堂車が,この日で営業を終えることになりました。(見出し以外はボカシ処理をしてあります。) 最終日の食堂車を夕暮れの学校からの帰り道に中津川駅で見送りました。そのことは、【119】中央西線を走った車両4 :181系気動車(4)で書きましたので、ここでは詳細は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1978年10月31日 この日は、貨物輸送だけ残っていた東濃鉄道笠原線の営業最終日でした。その日のことは、【360】東濃鉄道笠原線 営業運転最後の日で書きましたので、詳細は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1985年10月31日  以下2枚 高山本線 飛騨小坂~渚飛騨まで来ると、山々は少し色付き始めました。1枚目は「のりくら1号」(後方からの撮影)、2枚目は「のりくら6号」  どちらも名古屋と富山を結ぶ急行です。このころ高山本線全線を通して運転される特急「ひだ」は1本もなく、飛騨古川以北を運転される特急は名鉄から乗り入れる「北アルプス」だけでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1998年10月31日 昨日書いた「さわやか信州フリーきっぷ」を使った長野県内の旅、2日目は実家からスタートしました。前日、家内が使って有…

続きを読む

【1309】あの年の10月27日《1974年・1999年・2012年》

1974年10月27日  中央西線が電化されてから1年以上経っていました。この日は、入換用として生き残っていたC56を撮影するためだけに、木曽福島と上松に行きました。 木曽福島 上松 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1999年10月27日  毎年1回の善光寺参りの途中、篠ノ井で途中下車して、保存されているD51921に会ってきました。 長野市篠ノ井 D51 921長く木曽福島機関区に所属していました。中央西線の機関車であったことを誇示するかのように、集煙装置もそのままで佇んでいました。ただしナンバープレートは木曽福島機関区の黒でよかったのではないでしょうか。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2012年10月27日 10月20日に書いた「家から夫婦で善光寺まで少しずつ歩く旅」改め「家から夫婦で中津川まで少しずつ歩く旅」、この日は20日の続編で土岐市~瑞浪間を歩きました。瑞浪駅近くを歩行中に大阪発長野行「しなの9号」が通過していきました。

続きを読む

【1302】あの年の10月20日《1985年・1996年・2012年》

1985年10月20日 中央西線 美乃坂本~恵那まだ国鉄時代です。長野鉄道管理局のお座敷列車「白樺」は12系座席車からの改造ですが、明るい塗装は国鉄離れしてカルすぎるほどでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1996年10月20日 中央西線 田立~坂下国鉄分割民営化から9年半後の381系しなの号です。昨日も、この前日(1996年10月19日)の381系の画像をアップしていますが、実はこの年12月に行われるダイヤ改正で、381系がしなの号の定期運用から撤退することになっており、それが撮影の動機になっています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2012年10月20日 家から、夫婦で善光寺まで少しずつ歩く旅を始めて、この日は多治見市から土岐市まで歩きました。その日、中央西線沿いに歩いていたときに撮影しました。歩く道は交通量の多い国道を避けるので、道中は旧道歩きがメインになりますが、中央西線も明治時代に建設され、軽やかに通過するステンレス製電車とは不釣り合いで重厚な煉瓦製の架道橋(拱渠)があることにも初めて気付きます。通勤や乗務でどれだけこの上の線路を通過したかしれないのに、こういうものは列車に乗っていても見えません。知り尽くしているようでも基本に戻って初めて知ることがあると教えられます。 ところで、この徒歩旅ですが、お互いの年齢や体力、健康状態等々から、とても無理と判断し、最終目的地を大幅…

続きを読む

【1301】あの年の10月19日《1982年・1996年》

1982年10月19日 高山本線 焼石~少ヶ野(信) スロ81系お座敷車の団臨です。ネガを見ると、この列車を2か所で撮影しただけで帰ってきたようです。雨がひどくて、撮影意欲を失ったのだと考えられます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1996年10月19日 落合川に来ていました。 中央西線 中津川~落合川しなのクロ381-0のホロ付きお面。 中央西線 落合川~坂下165系普通列車が駆け抜けていきます。否が応でもSL時代を思わせる場所ですが、165系さえも遠い過去のものになってしまいました。

続きを読む

【1298】あの年の10月16日《1982年・2010年・2012年》

10月16日は鉄分が少ない特異日のようです。 1982年10月16日 長野県の御嶽山へ林道ドライブに出かけました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年10月16日 実家へ向かう中央西線の恵那~美乃坂本間走行中の列車から見る御嶽山(中央やや右側の山)この時期になると空気が澄んできて、くっきり見えるようになります。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2012年10月16日 中央西線 春日井~勝川 愛知機関区へ転属してきたEF64-1000番台の第一期生4両のうちの1両、1040号機です。いつものように昼休みに通過していく春日井貨物。 この5年前(2007年)に全般検査中の1040号機を「JRおおみや鉄道ふれあいフェア」で見たときには、こうして地元でこの機関車を見るようになるとは考えもしませんでした。 この機関車も2014年には廃車解体されました。それから、もう6年以上経ちました。。。

続きを読む

【1286】あの年の10月4日《1981年・1982年》

1981年10月4日 京都駅 列車掛の同期生のうち同年だった3人が、車掌時代に休みを合わせて山陰方面へ2泊3日の旅に出ました。画像はその往路で、京都駅の山陰ホーム。停車中の列車は急行「白兎」、人物は管理人。手に持っているのはラジカセです。この急行「白兎」に乗って、この日は鳥取で泊っています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ その翌年1982年の10月4日には、中央西線の列車を撮影していますが、誰と行ったのか、または単独だったか、まったく記憶にありません。そのうちから2枚の画像をアップしておきます。 中央西線 田立~坂下 EF64が牽く14系座席車で、たぶん団体臨時列車かと思います。 中央西線 須原~大桑 中央西線に1往復だけ残っていた旧形客車による普通列車で、長野~中津川間の運転でした。この撮影から3年前の1979年春まで、私はこの列車の後ろの方に連結されている荷物車に乗務していました。

続きを読む

【1281】あの年の9月29日《1982年・2007年・2011年》

1982年9月29日 中央西線 落合川毎度のことですが、急行「赤倉」下り新潟行を、この日は後方から撮影しています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2007年9月29日 近鉄橿原線 西ノ京薬師寺へ参拝した後に撮影しています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2011年9月29日 中央西線 落合川 赤倉号を撮影してから29年経っていましたが、同じ日に落合川に行っていました。実家に来たとき寄り道して撮影したものです。このころには、ここで国鉄形車両による定期旅客列車を見ることはなくなっており、貨物列車を牽くEF64だけが国鉄世代の車両でした。今もその状態が続いています。時が流れても、背景の恵那山は変わることなく時とともに変わりゆく列車を見下ろしています。

続きを読む

【1278】あの年の9月26日《2009年・2015年》

2009年9月26日 中央西線 大曽根~新守山 このころ中央西線の貨物列車を牽くELは、多治見貨物はEF65-1000(新)、春日井貨物がEF66(吹)、そのほかの貨物列車はEF64-0(愛)に加えて、EF64-1000が高崎から4両が先行して愛知区に転入していました。それぞれの形式に未更新国鉄色と各種更新車があったのでバラエティは豊富でした。EF66が春日井に到着し、転線した後の画像です。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 昨日書いた続きですが、前日(2015年9月25日)に「その日現在で乗ることができる旧国鉄線」が完乗になった翌日(9月26日)は、宿泊地津久見から日豊本線に乗って九州鉄道記念館の見学と平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線に乗りに行きました。平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線の一部は旧国鉄線には違いありませんが、通年営業でもなく国鉄時代には旅客営業していなかった貨物支線区間でしたので完乗すべき線区には加えていませんでしたが、参考記録として乗車しました。この前年から自由席特急券の有効日数が1日になりました。 当日及び翌27日のことは、【649】九州乗り物乗りある記(後篇)で、書いておりますので、ここでは(翌日分も含め)省略させていただきます。

続きを読む

【1276】あの年の9月24日《1974年・1982年・2004年》

1974年9月24日 この日から2日間、山陽方面に撮り鉄旅に出ていました。 その2日間のことは、【826】撮り鉄12か月…1974年9月「岡山電軌・水島臨海・瀬野八」で書いていますから内容は省略しますが、この日に倉敷で撮影した未公開画像を2枚アップしておきます。廃車になった水島臨海キハ311(元国鉄キハ04)の向こう側をEF58が牽く客車列車。当時の時刻表を紐解いても客車列車に心当たりがないので、この列車は荷物列車(午後だったので時間的に荷39か?)で、オハフらしき旧客は工場入場車か転属車ではないかと思います。 夕方、キハ303+ナハニフ153+キハ320からなる3両編成が到着。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1982年9月24日 中央西線 落合川~坂下当時のお立ち台に、またも足を運んで、残りわずかなDC急行「赤倉」に会いに行っていました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2004年9月24日 4度目の北海道の最終日 この日は、帯広からスタートでした。3850円もするとは思えない券売機発行の片道乗車券。 池田からはふるさと銀河線に乗り換えました。旧国鉄池北線です。 終点北見まで乗車したところで、その時点で営業していた北海道内の旧国鉄線が完乗となりました。ここからが旅の帰路となります。 北見から札幌まではオホーツク4号 札幌から快速エアポート146号で新千歳空港 新千歳空…

続きを読む