【1206】あの年の7月16日《2007年・2008年》

2007年7月16日 旧街道や古い商店街を歩くのが好きなほうなので、この日名古屋市内の大曽根駅から名古屋駅まで歩いてみました。そのとき北区内で見掛けたものを・・・ 名古屋市電2000形の先頭部がありました。建物と一体化していますが、ホンモノのようで、すばらしい保存方法だと思います。 これは、自動車と建物が一体化しているわけではなさそうで、車庫なのだと思われますが、近年よくある「アクセルとブレーキを踏み間違えて突っ込んだ」ように見えなくもない図です。 おもしろい屋号のお店です。 すべて2007年7月16日の撮影ですので、これらの現況は確認しておりません。 <所有者及び関係者の方へ> どの物件も、あまりに感動して、お声がけもせずに撮影してしまいました。申し訳ございません。もし不都合がございましたら削除します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年7月16日 中央西線 春日井駅 王子製紙の入換動車が貨車を牽いて入ってきました。 昨日2008年7月15日に撮影したEF65 1082が牽引する東海道の赤ホキの画像をアップしましたが、そのEF65 1082は翌日(2008年7月16日)は春日井貨物に充当されて春日井に現れました。

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【1205】あの年の7月15日《1973年・2008年・2009年》

1973年7月15日 中央西線 中津川~美乃坂本(再掲画像) 7月10日に書いたとおり、この年には中央本線全線が電化されダイヤ改正が行われました。そのダイヤ改正で名古屋口に日中毎時1本の快速列車が運転されるようになり、主に神領に新たに配置された113系が使用されました。新製車ではなく首都圏からの転属車だったので、湘南色と横須賀色との混色編成も見られました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年7月15日 中央西線 金山駅(再掲画像) 1059が牽引する春日井貨物です。 このあとすぐ名古屋へ移動して東海道の赤ホキ。EF65 1082この日もフレックスタイムで、出勤途中のオアソビでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2009年7月15日 中央西線 美乃坂本~中津川EF64 1041+EF64 1040です。 この当時、中央西線のEF64は0番台が主流で、1000番台は愛知区には4両しか配置されていませんでした。EF64 1000番台が岡山・高崎からいっせいに愛知機関区に転属して集中配置となったのはその翌年でした。

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【1203】あの年の7月13日《1973年・2008年・2011年》

1973年7月13日 恵那~美乃坂本 余命わずかな明知線のC12でしたが、学校があるので明知線には休日しか行けません。日没時刻が遅いこの時期であれば、帰宅後に恵那から中津川に帰っていく単行機関車列車の撮影がかろうじて可能だったので、天気がよい日には学校から帰ってから線路端に出かけていました。この時間帯には153系電車や、80系電車の先頭に付いたクモニ83といった1日1往復しか見られない車種も見られました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年7月13日 高蔵寺~定光寺多治見貨物の牽引機はこのころ新鶴見のEF65PFでした。国鉄特急色の機関車が来るのが楽しみでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2011年7月13日 高蔵寺~定光寺 その3年後の多治見貨物。牽引機は吹田のEF66に変わっていました。7月10日にも同じEF66 35が牽く3日前の多治見貨物の画像をアップしましたが、この時期には35号機の多治見貨物ループ運用が目立った記憶です。

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【1201】あの年の7月11日《1973年・1983年・2009年》

1973年7月11日 全線電化でD51が引退した中央西線でしたが、その後も3ヵ月ほどは明知線の貨物列車用のC12だけが中津川機関区所属のまま運用され、中津川から明知線分岐駅の恵那まで、毎日単行機関車列車が運転されていました。恵那~美乃坂本 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1983年7月11日、線路のバラストを輸送する臨時工事列車が、この日恵那~阿木間に運転されました。阿木駅での機関車転線作業の様子。 すでに明知線では貨物列車は廃止されていたので、このような工事列車が運転されたことになります。この日は、上のC12を撮影して10年目になるわけですが、後継機DD16が本来の役目である貨物列車の牽引に就いた期間が異常に短かったことに気付かされます。 明知線では貨物列車・工事列車などの車掌乗務は省略できるのですが、阿木駅には入換作業要員がいませんので、阿木駅の管理駅である恵那駅から入換作業要員がこの列車に便乗していました。この駅で入換作業をすることは異例でしたので、恵那駅長も添乗してきて作業を見守っていました。(ヨの左にいる人物) 夏場なので駅長は白い接客夏服用ズボンを穿いているので、それと判別できるわけですが、暑いので上着は省略し、ヘルメットを着用されています。 そして列車は折返し恵那駅に戻っていきました。阿木~東野(現阿木~飯沼) ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2009年7月1…

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【1190】あの年の6月30日《1983年・2010年》

1983年6月30日 ついにこの日、飯田線の旧形国電が定期運用から引退しました。 以上、飯田線平井(信)付近 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年6月30日 この日はEF6627が稲沢に来ていることまでは把握していました。中央西線の運用に入らないか期待していましたところ、多治見貨物に運用されました。 父がこの4日前に入院し、私は月末の時期なのに会社は休みがちになっていたので仕事が山積でした。この日も病院に事務手続きなどに行く必要があって会社を休んでいましたが、誰もいない早朝に出勤し、とりあえずするべきことをして10時前に勝川を通過していくこの列車を見てから、すぐ病院に直行したというあわただしい日でした。 高架工事がほぼ終了したころで、地平に降りた地点に仮置きされた工事用フェンスの隙間から線路内をのぞくように公道上から撮影しています。

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【1189】あの年の6月29日《1996年》

1996年6月29日 日の出が早いこの時期でないと撮影できなさそうな列車を撮影したいと思い、夜明け前に自動車で家を出ました。 「ちくま」大阪行です。中央西線内での走行写真は非常に難しいです。新守山・大曽根間でまだ薄暗い中、どうにもならない絵になってしまいました。 このあと先回りして、東海道本線五条川(信)付近に場所を移します。 すっかり夜は明けて、名古屋で牽引機がEF65PFに変わった「ちくま」を再び出迎えます。 飼料ホキを連ねたDD51 このほかにもこの時期でないと撮影できない列車を撮影しましたが、今ではこの付近には建物が建ったりフェンスが張り巡らされて、立入りができなくなりました。 EF651065 不意打ちで白ホキを牽いてきました。

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【1188】あの年の6月28日《1983年・2008年》

1983年6月28日 連日の飯田線詣で。 七久保~伊那本郷 合の子クモハ53008です。 自分にしては飯田線の聖地みたいな千代~金野。 特別な旧国ファンでもなく、どちらかというと伊那の風景と旧国とのマッチングが気に入っていただけなので、運用を調べたりして特定の車種を狙うようなことはしていませんでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年6月28日 地元画像です。 土曜日でしたので、春日井駅へ行っています。 入ってきたのはEF65 1076でした。大宮三色更新機なのに異常に汚れて二色かと思ってしまいます。 とび色2号のワムハチがめっきり少なくなってきたころです。

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【1185】あの年の6月25日《1982年・2009年》

1982年6月25日 この日は旧街道に残る石造道標の撮影に行きました。 場所は岐阜県瑞浪市内で中央西線の瑞浪~釜戸間にあたり、下街道と中街道との分岐点ということのようです。石造道標は旧道の交差点によくあるものですが、新道ができると顧みられることがなくなり放置されます。しかし徒歩交通時代の名残として私としては興味をそそられる遺物です。 そして旧街道の古い街並みには造り酒屋さんが似合います。「いとう鶴酒造」さんは中央西線(釜戸~武並)に沿った下街道旧道に面していて、列車の車窓からよく見え、煙突があるその風景はお気に入りで、列車の中からいつでも眺めるスポットでした。冬場の早朝に湯気が立ち上っている造り酒屋さんの風景は大好きですが、現在「いとう鶴酒造」さんは酒造をされていないようで、付近の酒屋さんで「いとう鶴」を見なくなって久しいです。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2009年6月25日 6月20日に続き、EF64-0番台の撮影をしています。この日もお手軽に高蔵寺前後で撮影しています。 広島更新色で人気があった67号機。一生涯稲沢(愛知)区に所属し、国鉄時代に仕事でも関わった機関車でした。 オーソドックスな大宮更新色の51号機+77号機 

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【1183】あの年の6月23日《1974年・2011年》

1974年6月23日 暗いうちから家を出て原付に乗って武並まで来ました。上り「きそ5号」の寝台車を撮影するためでしたが、通過時刻は4時35分ごろですから、非常に無理がありました。しかし日の出が早い時期だからこそ、わざわざTRI-Xを調達して何とか地元を走る寝台車の撮影をしようと意気込んでいたのも確かです。前にもアップした画像ですのでご容赦ください。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2011年6月23日  フレックスタイムでしたので、その出勤途中の撮影です。 春日井の王子製紙専用線の入換動車です。手前の線路は中央西線の本線。 そのあと少し名古屋方へ移動してEF66が牽く多治見貨物を撮影。遊ぶだけ遊んで、このあと出勤です。

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【1182】あの年の6月22日《1988年・1996年》

1988年6月22日 中央東線(辰野線)でC56 160が牽く臨時列車「SLほたる号」が運行されることになり、この日、試運転が行われました。 最初の1往復は客車なしでDE10をお供につけて。 次の1往復は客車3両を牽引していますが、煙はサッパリです。最後部の客車には大勢の人が乗っているようですが報道関係者? ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1996年6月22日 稲沢に行っています。手前のEF65には一休車の札があります。EF64は黒ゴム。国鉄が分割民営化されて9年目で、そんなところにも少しずつ歴史が動いていることを感じます。 DD51重連は、つい最近までは当たり前の風景でした。 この2枚以外に撮影していないようなので、何をしに行ったのか不明。この時期は、よく子連れで買い物ついでに東海道本線の列車を見に行っていたので、そのとき撮影した画像のようです。

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【1180】あの年の6月20日《2009年》

2009年6月20日 近場ということで中央西線の定光寺~高蔵寺間に出没しています。 すでに高崎から愛知区へEF64 1000の第一陣4両が転入し、0番台の引退は時間の問題となっていたころでした。国鉄色で残った0番台34・33のコンビでした。特に次位の白ゴム33号機は一番人気でした。しかしこの2両が中央東線から中央西線に活躍の場を変えたのは国鉄末期の61.11ダイヤ改正からでしたので、私の仕事上での接点はありませんでした。 JR貨物更新色の47号機ですが、こちらは国鉄時代には篠ノ井機関区に所属しており、国鉄時代の中央西線には縁が深い機関車で、私が乗務した貨物列車を牽いてもらったことがありました。中央西線の旅客列車がすでにJR世代に代替わりしていた中でEF64 0番台の引退は、国鉄から中央西線でずっと残されてきた車両がなくなってしまうことも意味していました。

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【1177】あの年の6月17日《1972年・2005年》

1972年6月17日  2泊3日の修学旅行最終日でした。行先は箱根と東京で、この日予定どおり行程を消化して、ずいぶん早く品川駅の団体待合室に着いて、待たされた後、159系「こまどり」に乗車して帰りました。単独行動はできなかったので、ホームで「こまどり」の先頭部の撮影などはできませんでした。2日前に往路で乗車したときに入線する編成先頭部には「こまどり」のヘッドマークがなかったですから、帰路の編成にもなかったのだろうと思います。そういうわけでそのときの159系の画像は撮影できていません。その列車内から、並走していた京浜東北線の103系の写真を1枚だけ撮影していました。昔の通勤列車は換気対策十分でした。まだ中京圏に103系は走っていませんでしたし、田舎者には列車の並走シーンなどめったに見られることではなかったので撮影したのでしょう。フィルムは自前ではなく、グループに1人指定された写真係として学校から支給されたものでしたから、勝手に鉄道写真を撮影することができない中の1枚です。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2005年6月17日  5月28日に書いた「中山道徒歩の旅」の前身にあたる「中山道宿駅巡り」の第二回目に出かけました。この日は倉賀野宿・高崎宿・板鼻宿・安中宿・松井田宿を訪問しました。安中宿から松井田宿までは列車で移動しました。列車待ちの安中駅では濃硫酸専用タンク車が停車中 この日の宿は高崎市内に取りました。

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【1173】あの年の6月13日《2011年》

梅雨の時期、さすがにこの時期に出かけることは少ないので、アップできる画像は限られてきます。 この日はどこかへ行った記録が見当たりませんので、9年前の「昼休みの春日井貨物」の画像を。 2011年6月13日 春日井~勝川 このころには、このようなEF65PFの2色更新色が現れる確率がいちばん高かったのですが、日によってPFの色違いとか他形式のELが運用されることもあって、それが昼休みのお楽しみでした。 まだJRFのPFが1000番台だったころで、+1000=2000番台への改番が始まったのは、この翌年でした。

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【1162】あの年の6月2日《1983年・1996年》

1983年6月2日  行楽シーズンでもなく、臨時列車も少ないこの時期は、乗務員は休みが取りやすいもので、車掌区の親睦旅行はこういう時期に行われることがふつうでした。1983年には、私が所属していた車掌区内で組織された、ある親睦会の旅行が6月1~2日にあり、その行先は静岡県の寸又峡温泉でした。その2日目(6月2日)は、寸又峡からバスで奥泉に出たあと、大井川鉄道井川線に乗って終点井川に出て、そこからバスに乗り継いで静岡に出て新幹線で帰るというルートでした。 途中で行き違った対向列車です。井川線の車両が小さいので1067㎜の軌間が、やけに広く見えます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1996年6月2日 これより少し前に、尾張旭市内をクルマで仕事で外回りしていたところ、偶然にもコキフ50000の車掌室ユニットを見つけました。そういうことは気になるので日曜日だったこの日、プライベートで自分のクルマで現地へ行きました。 (失礼なことに、バックに撮影目的としていない他人様の家がもろに入ってしまいましたので、モザイク処理をしました。死ねと言われても困るので???)発見場所は資材置き場みたいなところで、現場事務所として使われているようにお見受けしましたが、現地には、のちに住宅が建ってしまったようで、その後この車掌室ユニットは行方不明になりました。 このあと、名鉄瀬戸線の車両基地があった喜多山に立ち寄りました。すでに瀬戸線では貨物輸送が行われていません…

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【1160】あの年の5月31日《1997年・2008年・2010年》

1997年5月31日  東濃鉄道笠原線の廃線跡を巡っていたところ、旧市之倉口駅跡地付近に、東京窯業の入換用と思われる動車の廃車体が放置されていました。現在は復元されて、別の場所で屋根付きで保存されているようです。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年5月31日 JR東海のウォーキングイベント「さわやかウォーキング」にコースの一部だけに参加しました。この日のコースのメインが岐阜県にある花フェスタ記念公園で、公園内には列車形の遊覧自動車(ロードトレイン)が走っていました。どうでもいいことではありますが、色違いで2種類があり、見比べると装備が違っているのがわかります。青いのが「夢ポッポ」、赤いのが「花ポッポ」と命名されているとのこと。 「夢ポッポ」にシリンダとロッドが表現されているのに対し、「花ポッポ」はゴムタイヤ丸出しですが、これはインサイドシリンダという設定でしょう。色替えだけでなくちゃんとスタイルが変えてあるのがエライです。しかし鉄道車両のスタイルをどれだけ真似ても、レールがないことだけで、興味がそがれるのはなぜでしょう。上の入換動車も、足元の草むらのなかにレールが隠れているわけではなさそうですが、あるべきレールがないのと、もともとレールがなくてもよいのとでは、まるで想いが違ってきます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年5月31日 昼休みに通過していく春日井貨物 こ…

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【1152】あの年の5月23日《2008年・2009年》

2008年5月23日 この日はフレックスタイムで、遅い出勤でした。通勤経路の途中、春日井、大曽根、鶴舞、近鉄名古屋に寄り道して、ホーム上から撮影などしながらゆっくり出勤しました。 その中から、2枚大曽根を通過する多治見貨物 鶴舞を通過する春日井貨物 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ その翌年2009年5月23日は土曜日で仕事は休みでした。身近にありながら乗る用事がまったくなく、その気にならないと乗る機会がない東海交通事業城北線に乗って、沿線にあるショッピングモールへ出かけました。 勝川駅 この車両は、のちに「ひたちなか海浜鉄道」に部品取り用として譲渡されたとのことです。 不便なだけでなく運賃もかなり割高な鉄道です。クルマで行くのに比べれば無駄遣いになるだけでなく時間も無駄になりますが、全線が高架で乗客も少ない列車で眺望を楽しむ小さな旅です。 このとき初めて降りた小田井駅。異常なまでに高さのある高架橋の最上部がホームです。

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【1123】あの年の4月24日《2009年》

出かけた記録がないので、2009年4月24日通勤途中で撮影した画像を2枚アップしておきます。 このころは名古屋市中川区内に通勤していました。まず朝は、あおなみ線小本駅。DD51892でした。 この時期にはDD51更新色が幅を利かせていました。いつかは国鉄色に会えるだろうと、朝の通勤であおなみ線に乗った日は、週に1~2回はこの列車を小本駅ホームで、または乗っている列車の先頭にかぶりついて待ち構えていましたが、この日は3回目でハズレ。この先5月に入ってから6回目にして国鉄色のDD51832に巡り会えています。 そして同じ2009年4月24日、会社からの帰路鶴舞で撮影したEF6477(お召し牽引機)です。午後の列車ですが、この日は名古屋市内で私用があったので半休を取りました。その集合時間までの時間調整中に撮影しました。 このような日常生活の中での鉄道との接触は、当時の私には大変重要な心の栄養素となっていました。そういう存在であった機関車たちが続々と消え去っていきました。 「【487】ロクヨン1000とヤクザのカマ隠し~EF64 77の近況(´・ω・`)」という記事を書いてからもうすぐ6年ですが、もうEF64 77はこの世にはありません。さみしいことですが、なにより感謝を意を伝えなければならないと思っています。

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【1112】あの年の4月13日《2010年》

この日は、どこかに行った記録が見当たりません。 出てきた画像は、フレックスタイムのとき出勤前に撮影した画像だけでした。 2010年4月13日 貨物の発送があるときに、貨車を牽いてJR春日井駅に午前中に姿を現す通称ネピア号 10年前になりますが、ワム80000が健在でした。 そのネピア号が引き揚げていったあとに、多治見貨物が通過していきます。 見向きもしなかったEF64-0のJR貨物色も今となっては懐かしく思えるから不思議です。 多治見貨物が通過してから、自転車で線路沿いを勝川方面へ走って地蔵川を越えた先で、春日井貨物を待ちます。このころの春日井貨物は新鶴見のEF65PFがコキ4車とその後にワム80000が続く編成を牽いていました。

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【1103】あの年の4月4日《1976年》

新年度直後は、出歩けるような状況になりにくいため、なかなかその日の画像や資料が見つからず困っていますが、1976年4月4日に中央西線武並駅付近で撮影した列車の画像を2枚発見できました。 113系電車は当時のロ-カル列車の主力でした。背後にはこの前年に開通したばかりで真新しい中央自動車道の法面が見えています。中央自動車道が東京まで全通したのは、これより6年も後のことです。 貨物列車は、コンテナ化が推進されていたものの、車扱がまだまだ多かったころです。コンテナ色のヨ5000も健在でしたが、すでにこのころにはコンテナ専用列車として使用されておらず、他の「ヨ」と共通で本州と九州内でランダムに運用されていましたから、いつどこに出没するかわからず、なかなか撮影するチャンスはありませんでした。 【365】貨車車票で書いたことですが、この元画像は、思いがけず『貨車車票の歴史(戦後編)』の表紙に使っていただいています。

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【1100】あの年の4月1日《2006年・2011年》

今日から新年度ですが、新型コロナウイルスの影響で、例年とは違った新年度をお迎えの方々が多いことと思います。この災難が一刻も早く終息することを願っています。。。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ ということで、何かと行事のある新年度の初日にわざわざ写真を撮りに、あるいは列車に乗りに行ったことはないようで、今日はめぼしい画像がありません。 出てきたのは、「清酒ん18きっぷの旅」のメンバーで催したお花見の画像です。 2006年4月1日 そのお花見当日の画像です。公園の奥のほうで、人がそれほど来ないこの池の堤防にあった桜の木の下が会場になりました。 この池がある公園は、のちにメンバーの中で「首吊り公園」と通称されるようになりました。 (「首吊り公園」の通称が使われるようになった事情は【157】「50代5000円でGO!」番外編?で書いています。) 近くのスーパーで調達してきた食い物を広げています。左上の串物はメンバーの奥さんが作ってくださったものです。当時はにわかにカップ酒が流行していた時期で、そのスーパーで買ってきたカップ酒の種類はこんなにたくさんありました。なんでも、その奥さんはスーパーの常連さんで、お店の売り場担当者さんに、並べる商品の希望などを逐一伝えていたそうで、カップ酒の種類をぜひ増やしてほしいなどと進言してくださった効果でもありました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 201…

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【1094】あの年の3月26日《2009年・2010年》

2009年3月26日 私は、通勤列車でも外を眺めていることが多い車窓派です。毎日同じ風景が過ぎていくようでも、古い家が取り壊され、区画整理が進み、街が少しずつ変わっていくことが車窓からわかります。都市部では季節感がわかりにくいですが、公園の木々や川原の草木に四季を発見できるもので、新守山・大曽根間にある庄内川を通過するときに見える菜の花の咲き具合も車窓から気にしながら車窓から眺めていました。 この日は現地に出かけてみました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ その翌年2010年3月26日 16回目の「清酒ん18きっぷの旅」に出かけました。 <その日の行程>  ―(中央西線)―松本―信濃木崎 信濃木崎で下車し、木崎湖温泉で入浴と食事 信濃木崎―島内島内で下車して、酒蔵さんで見学と試飲をさせていただきました。 島内―松本―(中央西線)― 松本では買い出しをして、帰路の車中ではたのしい時間が…

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【1084】あの年の3月16日《1978年・1989年・2010年》

1978年3月16日 初めて買ったB110サニーをこの日TA17カリーナに入れ替えました。当日、中古車センターで下取り車B110サニーと新たに買ったTA17カリーナを並べて撮影しました。 なぜかサマーセールの看板がありますが、昨年使ったものが保管してあったのではないかと思われ、撮影日が夏場だったわけではありません。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1989年3月16日 このころよく車掌区時代の先輩2人と私の計3人で温泉旅に出かけていました。この日は私の勝手な希望で、当時ハマっていた西国の寺院巡りに付き合わせてしまいました。 第3番 粉河寺・第4番 施福寺(槇尾寺)・第5番 葛井寺 施福寺は階段のある山道を1㎞ほど登らなければならない難所でしたが、先輩たちは付き合ってくれました。このとき宿泊したのは竜神温泉でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年3月16日 関西本線 春田~八田 このころは名古屋市中川区内に通勤していました。この少し前から45分間だった昼休みが1時間に延長されましたので、JR関西本線と近鉄名古屋本線沿線まで行って帰ってこられる時間的余裕ができましたので、ときどき出かけるようになりました。 あたりまえにDD51が来る時代でした。それから10年…このあとの去就が注目されるようになりました。

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【1075】あの年の3月7日《2009年》

3月7日は出かけた記録がありませんので、11年前の3月7日に地元で撮影した画像を… 2009年3月7日 中央西線 高蔵寺~定光寺 多治見貨物には当時新鶴見区のEF65PFが運用されていました。 もう撮り鉄をやめていましたが、コンデジ片手に近くへふらりと出かけることはよくありました。JR東海管内では国鉄形車両が早々と姿を消していきましたから、今でも国鉄形の機関車が牽引する貨物列車の通過は楽しみです。もう中央西線でEF65PFを見ることはありませんが、EF64ともども国鉄色が増殖しているのをうれしく思います。

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【1065】あの年の2月26日《1973年・2011年》

1973年2月26日、美乃坂本駅の名古屋方で撮影した159系上り快速列車 前日書きました明知線での撮影の帰りに、153系運用の下り快速列車の名古屋方に159系が混入していたのを偶然に確認したので、この日の朝折り返してくるこの上り快速列車を撮影しました。朝7時前に自転車でここまで来て、いったん家まで帰ってから登校しました。 線路の右側は、その昔、引上線があった跡地です。引上線は貨物の取扱いがなくなったあとも、錆びたレールが長くそのまま放置され、地元民の近道としても利用されていました。手前には、近所の人たちがゴミを焼いた跡が見られます。レールがなくなった後は近所の人がゴミ捨て場としても利用していたようです。今はここには入れないと思いますが、当時は田舎ならあたりまえの風景で、鉄道用地内侵入だの沿線火災だのと考える人はいなかったと思います。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年頃から、実家で暮らしていた両親の健康に不安が出てきたので、週一くらいの割で実家に通うようになりました。行き帰りに乗る列車は、貨物列車が撮影できる時刻に合わせるようにすることがよくありました。 2011年2月26日には、美乃坂本~中津川間で3本の貨物列車を撮影していましたから、もはや何が目的なのか本末転倒。そのうちの2本の画像です。 実家へ行くたびに、その先数年間でいろんな変化が身の回りに起こってくるのだろうという予感はありました。それから10年経ってみると、たし…

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【1031】あの年の1月23日《2010年》

2010年1月23日 JR貨物愛知区のDD51が下り春日井貨物EF66次位で中央西線の春日井まで入線しました。 大曽根~新守山 日中は春日井駅に留置されていました。 シキ800C   DD51がここへ来たのは、これを牽くため。 この特大貨物列車は深夜に運転されました。 ◆全部2010年1月23日に撮影

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【1025】あの年の1月17日《2012年》

連日、地元沿線で撮影した画像になってしまいますが、中央西線の春日井貨物です。 2012年1月17日 中央西線 春日井~勝川 新鶴見のEF65PFが牽引する春日井始発の上り貨物列車は、昼の12時30分過ぎに春日井を発車しました。息が詰まるような会社から出られる昼休みのこの時間が、当時の私の毎日の楽しみで、たとえ雨が降っても、少々寒くても、昼休みに用事がなければ線路端に出かけたものでした。 2012年1月17日 中央西線 春日井~勝川(上と同じ日、同じ列車) この辺りはロングレールで、二軸車独特のジョイント音が聞けないことがちょっと残念。 でも、ブルースカイを仰ぐ癒しの時間に癒しのブルートレイン。

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【983】 稲沢にて ~DD51 890に寄せて~

先週、名古屋市内で知人と飲む機会があったので、その往路にJR東海道本線の稲沢駅に途中下車してみました。と言っても、多治見~美濃太田~岐阜経由というICカードによる大回り乗車中という事情があるので改札外には出ないで、次の上り普通列車が来るまでの15分の間に、旅客ホーム上から見える範囲に留置してあるJR貨物愛知機関区の機関車群を観察してみようと思っただけのことです。 その旅客ホーム付近には、いつもJR貨物の機関車が留置されているのですが、休車や車籍が抹消された機関車が多く含まれ、昨年度末までにまたそのうちの何両かが解体されてしまったので、そのあとにどんな車両たちが留置されているのか確認しておこうという目的でした。 この日、ホームから確認できた機関車は、米原方から大雑把にEF64 1047・DD51 890・EF64 1021・DD51 1146・DD51 1147・DD51 891・DE10 1557・DD51 1803・DD51 1156といったところでした。ほかにも留置車両がありましたが、手前に留置されている車両に遮られて番号が確認できませんでした。この中には国鉄時代からこの地で稼働していたDD51 890とDD51 891の2両がいます。   ↑DD51 890    ↑後ろがDD51 891(手前は岩見沢~鷲別から流れてきたDD51 1147) DD51 890とDD51 891のほかは、国鉄最末期以後(主にJR貨物時代)に各地から転属してきた機関車ばかりですが、それでも国…

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【929】 超過勤務手当

当然のことですが、乗務員は終点についたら仕事はそれで完結です。車内巡回が中途半端で、無人駅から乗ったお客さんに切符が書ききれなくても、壊れた冷房がなおっていなくても、乗客と揉めごとがあっても残業があるわけではありません。のちに国鉄を退職して自分の山のよう残った仕事を残業で片付けているときや、朝出勤して前日の取引先とのトラブルの後始末のしかたを考えているときに、後腐れがない仕事とはいいもんだと思ったものです。まあ裏を返せば、乗務員の仕事は、締切日時が絶対に延びない中で完結させるため、後回しとか締切の延長はないわけですから、それはそれで辛い面があるにはあるのですが…。(画像は別に直接本文と関連はありません。) 乗務員に残業はないと書きましたが、列車が遅れれば超過勤務手当は出ます。こんな様式の列車遅延証明書で乗務終了後車掌区に提出しました。 遅れは1か月単位で積算し、30分を境として1時間の超過勤務手当がつくか、手当はナシか運命の分かれ道になります。月初めに25分くらい遅れて、その分の列車遅延報告を出してあれば、月末までにあと数分遅れないかといつも気になりますから、そういう人は遅れろ遅れろと念じますが、なかなかそうはなりません。短時間で折り返す場合は勤務時間が継続しているので、多少遅れても全く勤務時間に関係しません。ただ折り返し駅で駆け足で乗務位置を運転士と入れ替わるわけですから、何の得にもなりません。列車が終点に着いたら寝るだけとか、行路の最後の列車など、勤務時間が連続しない列車でないと超過勤…

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【913】 JR貨物の迂回運転に思うこと

この7月に西日本の広い範囲を襲った豪雨では甚大な被害が発生し、その後も21号台風、北海道の地震が続きました。被災された方や、関係者の方には心からお見舞い申し上げます。 9月に入りましたが、今も山陽本線には不通区間があります。この不通区間を迂回する目的で、伯備線~山陰本線~山口線を経由する貨物列車が8月28日の名古屋貨物ターミナル発の列車から1日1往復運転されるようになったという報道を耳にしました。この列車に使用されている機関車は、岡山貨物ターミナルから米子までが愛知機関区のEF64で、米子~幡生操車場までが愛知機関区のDD51だそうです。いろんな情報をもとして総合すると、今回、愛知機関区からDD51の857・1802・1804が赴き、その任に当たっているようです。 このうち、1804号機は、8年前に中央西線に入線した機関車で、その日のことは【105】鉄分補給2010.11.27:中央西線へ入線したDD51の記事で書きました。(その記事上にナンバーがわかる画像や表現はありません。また、上の画像は6年前に関西本線の四日市駅で撮影したものです。) 上の画像は、EF65 1091 (新)+DD51 1804(愛)のコンビで、そのとき(2010年11月27日)中央西線の大曽根~新守山間で撮影しています。 上の画像は春日井駅で切り離されたDD51 1804です。今ではワム80000の姿はなくなり、後ろに見えている桜の木は無残にも切り倒され、このあたりには橋上駅舎が覆いかぶさっています。 …

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【796】 模型…その実車の現役時代(7):トラ90000

発売時期が延期に延期を重ね、やっと4月にK社からトラ90000が発売されました。 実車は製紙パルプ原料である木材チップ輸送用に特化した無蓋車で、トラ23000とトラ35000からの改造車でした。既存のアオリ戸と妻板の上部を黄緑色の金網で囲ったかご状の部分が、模型でどのように表現されるのかが関心事でした。 模型は積車状態が表現され、上部にシートが掛けられた状態になっていました。かご部分は全部軟質プラ製で、骨組みの枠部分に別パーツの金網部分を窓ガラスパーツのように嵌め込む構造で、細かい金網は印刷による表現のように見えます。 同車の現役時代に、こうした貨車の形式写真などを意識して撮影したことがなかったので、そのころの実態をきちんとお伝えできないのですが、積荷の圧力で金網部分が膨れていたりしました。また、金網が破れて当て布をするように補修されている箇所があったりしました。 そうとうに細かかった網目の表現は難しいと思いますが、金網を押さえている格子状の枠の表現に、もっと凹凸を強調して欲しかったとも思います。 それと、ユーザー側の対応として、積車状態を表現しているのに上部に掛けられたシートを固定するために幾本も車体に掛けられていたロープ表現がないので、細い糸を車体に巻き付けるのも一興でしょう。実際には垂直にロープが張られていたようですから正しくないかもしれませんが、ためしに細いミシン糸を使ってロープを表現してみました。あくまでも、個人的な嗜好の問題ですが、この模型のようにスッキリ整った姿は、…

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