【1225】あの年の8月4日《1967年・1973年・1990年・2000年・2007年》

1967年8月4日の連続乗車券家族で大垣へ行ったときに使ったもので、往路美濃太田経由、帰路名古屋経由でした。岐阜~大垣間の往復は別途購入したのだと思います。父が連続乗車券というのだと教えてくれた記憶もあり、珍しいと思い保存していたものですが、なぜ美乃坂本で下車するときに回収されず手許に残ったか記憶にありません。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1973年8月4日昨日から書いている、初めての九州SL行脚の続きです。 この旅の概要は、【820】撮り鉄12か月…1973年8月「九州一周蒸機巡り」+今思うことで書いたので、8月4日に撮影した中から、その記事に出していない画像を貼っておきます。田川線 油須原駅の夕方です。  ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1990年8月4日  稲沢機関区の公開日でした。国鉄分割民営化から3年が経ち、展示された機関車は3両ともJR貨物色です。交流機ED75・ED76は当地で見ることがない珍しい顔ぶれで、このほかにも鷲別から北海道支社の試験塗装機DD51 1059が来ており、広範囲から特色ある機関車を集めた関係者の皆さんの努力の跡が感じられました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2000年8月4日 この年も、鉄道模型ショウを見に行ったようですが、往路に使ったこんな自由席特急券が残っていました。千葉行の「あずさ」…

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【1099】あの年の3月31日《1967年・1974年・1975年・1987年》

またまた前にアップした画像の使いまわしですが、1967年3月31日、初めて家族で「交通科学館」へ行ったとき買ってもらった乗車券 帰りに弁天町駅で大阪までの乗車券を買ったところ、出てきた地図式の乗車券がたいへん珍しい切符に思えました。この切符がほしいという私のために、保存用として1枚余分に母が小児券追加で買ってくれたのがこの乗車券です。このあと大阪駅で下車してから阪急百貨店の模型売場へ行って、16番の貨車を買ってもらいました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1974年3月31日は、名古屋市の路面電車が終焉を迎えた日でした。 当日は無料運転が行われ、私も乗ったり撮ったりしてきました。その日のことは、【775】撮り鉄12か月…1974年3月「名古屋市電最後の日」で書いたので、ここでは省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ その翌年1975年3月31日には、王滝森林鉄道で最後の運材列車が走りました。 1970年代は、各地で鉄道が廃止されていった時期でした。鉄道を取り巻く状況は半世紀で大きく変わり、過疎化や道路交通の発達で、鉄道の存在価値を見い出すのが難しい例がある一方で、地球環境に代表されるような当時なかった価値観が生まれたことにより、今でも残っていれば、改良によって有効に使える交通機関になり得ただろうと思う鉄道もあります。地域間の格差は進むばかりで、この国の交通政策ははたして正解だっ…

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【1091】あの年の3月23日《1980年・2013年》

1980年3月23日  中央西線から80系電車が引退する日でした。 臨時に運転されたお別れ列車です。  坂下駅で撮影。 乗車記念券が手許にありますが、この日私は乗車していません。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2013年3月23日 交通系ICカードの全国相互利用が始まったのがこの日でした。 相互利用を記念して各鉄道事業者から共通デザインの記念ICカードが発売されましたので、私は地元のTOICAを買いに行きました。共通デザインのmanacaもその日入手。 購入希望者の行列ができていました。 どんな場面であっても行列は嫌いなので、こういう列に加わることは異例です。

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【1070】あの年の3月2日《1976年・1992年・2007年》

前日の夜、その道の同好者数人で名古屋から高山本線経由の夜行「のりくら7号」に乗って金沢で乗換えて、3月2日早朝の小松駅に降り立ちました。ここまで来た目的は尾小屋鉄道の撮影でした。私はこのとき尾小屋へは2度目の訪問で、今回の目的地は前回撮影できなかったこの場所でした。鉄橋ではなく木橋であることが、いかにも軽便鉄道らしいところです。一方でトンネルは案外しっかりした石積ポータルがありました。 沿線は、あまりにも何もないところで、前夜から何も食べることができず、たまたま見つけた小さな商店で、いつから置いてあるかわからないようなキャラメルコーンを買って、一袋食べつくしたことを44年経った今でもはっきり覚えています。   ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 昨日書いた1992年3月1日の家族旅行の続きですが、白浜で泊った翌日、帰路に使った青春18きっぷ。レンタカーを返却した紀伊田辺から乗車しています。 もともと風邪気味だった上の子が前夜熱を出してしまい、帰路は普通列車を乗り継いで名古屋まで帰るのを断念して、新大阪から名古屋まで新幹線を使って、早く家に帰りました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2007年3月2日 中山道歩きで長久保宿から芦田宿まで歩きました。この間にある笠取峠には、自動車道が開通する前の原道が残されていました。 まだ一部に残雪がありましたが、路傍の道祖神も出迎えてくれて、気持ち…

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【1016】あの年の1月8日《1976年・1989年》

昨日の記事に引き続いて名鉄瀬戸線の画像ですが、こちらはその2年後の1976年1月8日で、今はなき堀川駅です。 そして下は同じ日に撮影した本町駅の堀川寄りにあったガントレットポイント。 今でも変わらないことですが、古く個性的な車両が走るローカル鉄道に足が向きます。新しい乗り物は便利で快適で、性能もよくなっていくわけですが、趣味の世界とはそういうものであってよいと思います。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 「【982】平成から令和へ」でも書いたことと重複してしまいますがご容赦を。。。 1989年1月8日発行の入場券を2枚。 前日に昭和64年が終わり、この日が平成元年初日でした。 この平成初日には、この入場券を買いに行っただけでなく、1月4日の記事に書いたように尾張四観音のうちタイムアウトで行きそこなった龍泉寺観音に出向いたのですが、納経帳に元号を「昭和」と間違って書かれてしまいました。(「【982】平成から令和へ」にその画像があります。)

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【1011】あの年の1月3日《1979年・1991年》

正月の混雑が嫌いではあっても、若いころはまだフットワークが軽く、なるべく混雑しないルートをたどって混雑しないスポットに訪れるような行動をしていました。1979年1月3日 飯田線 伊那福岡~田切 1979年1月3日 飯田線 元善光寺~伊那上郷 旧形国電末期時代の飯田線にはよく出かけました。まだこの時点では完全に飯田線が新性能化されるまでに4年以上残っていましたから、他の撮影者に煩わされることもありませんでした。旧形国電そのものだけでなく信州のロケーションには惹かれるものがありました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1991年1月3日発行・美乃坂本駅の乗車駅証明書中学校の同窓会の帰りに美乃坂本駅で渡されたものです。 二次会だか三次会だか忘れたのですが、とにかく時間があっという間に過ぎていきました。翌4日は出勤だったので、その日のうちに家に帰る必要がありました。駅までクルマで送ってもらい、閑散とした美乃坂本駅に着いたのは終列車の時刻ギリギリで、乗車券を買う暇がなかったので、改札でこれを渡されて車内で乗車券を買ったはずです。そのとき車掌に渡さなかったから手許に残ったのでしょうが、経緯はまったく覚えていません。田舎の終列車は早いので、鉄道利用者は宴たけなわでも早々と失礼しなければならない場面が出てきます。当時の時刻表を見ると、美乃坂本駅の上り終列車の時刻は22時01分でした。(今でも22時27分が終列車)

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【1000】 1000にまつわるコレクション

ブログ開設から約9年半で、1000回目の記事をアップできることとなりました。途中でウェブリブログのシステムリニューアルがあり、それに伴ってアクセス数など累積的なデータがリセットされただけでなく、集計方法も変更されたので、これまで何人の方々にどの記事をどれだけご覧いただいたか不明ですが、ブログ開設から戴いたコメントはそのまま残っており、その数は10950件に達しました。お返しコメントが約半数ですから少なくとも5000件以上ものコメントを頂戴したことになるわけで、改めまして読者の皆様には感謝します。ありがとうございました。 上の画像はJR東海名古屋車両区公開時に、千回 旋回しているキハ85の画像です。SLが転車台に乗っている画像にしようと思いましたが、方向転換するために半回転するだけでは旋回不足?なので、ギャラリーの前で見世物になって何回もぐるぐる回っている画像にしました。 という調子で、今回は1000回にふさわしく?、家にあるコレクション(と言えるかどうかは別にして)の中から「1000」に関係するモノをひっかき集めてみるというくだらない企画にいたしました。 初めに、「千」の字が入る駅のキップがないかと思い、コレクションを漁りました。身近なところで、中央西線の千種駅の硬券が出てきました。 画像の上は昭和48年8月2日発行の入場券で、高校生のころ九州にSL撮影に出かける途中に立ち寄って買い求めました。千種で途中下車した理由は、同行者が名古屋市内発の九州周遊券を買うため、それから帰路に乗車…

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【998】 変なコレクション15:回数券カードなど

このところ各地で甚大な自然災害が度重なっていますが、被災されました皆様に心からお見舞い申し上げます。 今がいちばん苦しい場面ですが、目前にある階段に足を掛ければ、その階段を焦ることなく一歩ずつ昇るたびに視界は開け、いつかは冷静に今を振り返ることができます。 そして復興に向けて尽力されておられる皆様方には、深く敬意を表します。 ************************* 2007年から3年間、名古屋市中川区内に通勤していました。自宅から中央西線で名古屋までは定期券を使いましたが、名古屋からはJR関西本線・近鉄・地下鉄・あおなみ線と選択肢があり、朝は乗車した中央西線の列車の時刻によって、名古屋から利用する交通機関が変わりました。名古屋から地下鉄又はあおなみ線に乗るときは、プリペイドカード「トランパス」を使いました。 上から名古屋市交通局発行の「ユリカ」・名古屋臨海高速鉄道(あおなみ線)発行の「あおなみカード」・名古屋鉄道系発行の「SFパノラマカード」です。IC乗車券manacaが登場する前の時代でしたが、これら名古屋圏の公共交通で相互共通利用できたので大変便利でした。これらは磁気券で、裏面には使用履歴が印字されています。 この履歴を見ると、4月から転勤したので利用がピタッと止まっていて、残額は名鉄バスや地下鉄、名鉄電車で消化しているのが読み取れます。最後の3月5日「μ金・内海」「河和券購」は知多半島日帰り旅で、その日のことは「【145】「50代5000円でGO!」201…

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【996】 変なコレクション13:梅小路と交博の入館記念券

以前、【873】「交通科学博物館」のこと~津山で再会した車両たちの中で、大阪にあった交通科学博物館のパンフレットの表紙などをアップしましたが、今回は京都鉄道博物館としてリニューアルされた梅小路蒸気機関車館と聖地だった交通博物館に関係するものをアップします。 上の画面でC56が写っているほうは、初めて梅小路に行った時のものです。当時は中学生でしたが小児料金が適用されていたようです。D50が写っているほうは、国鉄に就職する直前、つまり高校の卒業式の後、2回目に訪問した時のものです。 この後はしばらくご無沙汰しましたが、国鉄分割民営化後には子供たちを伴って幾度か訪れました。 JRロゴが入るようになり、入場料金は値上げされていきます。鋏痕がある入場整理券から入館記念券に名称が変わったのは、券売機対応になった入場券を入場時に回収し、代わりに記念券を交付する方式に変わったからなのでしょうか。 交通博物館にも幾度か行きました。 こちらも古いものは「見学記念入館券」となっていますが、時が移り「見学記念券」に変わり、最新のものは「入館記念券」になっています。同じ施設の記念券でも名称は変わっていくものです。 記念券だけでなくパンフレットも、行くたびに違っていました。 ご承知のように旧梅小路蒸気機関車館は現在京都鉄道博物館に取り込まれています。京都鉄道博物館になってからは2回訪問していますが、最初に行ったときの同行者とは「入館券」の車両画像が違っており、さらに2度目に行ったときにも…

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【982】 平成から令和へ

5月1日に令和元年がスタートしましたが、平成元年初日は1月8日でした。 平成初日は日曜日で仕事が休みでしたので、私はその日付が入った入場券を買うために駅へ行きました。印字された年・月・日がすべて一けたの入場券を見るのは初めてで、違和感がありました。 同じように令和初日にも同じ駅で入場券を買ってみました。もちろん硬券はなくて、印字された日付は西暦表示、そして地平にあった小さな駅舎は新しい橋上駅に建て替えられて、30年の間にすっかり様変わりしています。それなのに30年も経って、こうして同じ行動をしている私は、まったく進化することもなく、変わったことといったら、ジジイになって劣化しただけなのには我ながら呆れますが、この2枚の入場券を見比べてみると、30年の年月を経ても変わらないことがあるのに気付きます。 それは入場料金で、30年を経ても140円のままになっています。平成初日の時点では消費税法は成立していましたが、まだ施行前でした。その後も消費税の税率アップが2度あったのに、140円のままになっているのですね。 またくだらないことで恐縮ですが、昭和の時代に遡って、国鉄の入場券を振り返ってみましょう。 上から、昭和37年、昭和51年、昭和61年に発行された国鉄の入場券です。様式は微妙に違っていますが似ています。いちばん古い昭和37年のものは平成元年から30年と遡ってはいませんが、料金は10円で、すでに平成時代を待たずに昭和61年のものは140円になっていますから、なんと14倍です。私の記憶…

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【867】 52年前の家族旅行を辿ってみる

私は子供のころに宿泊を伴う家族旅行をしたことがほとんどなく、記憶にあるのはほとんど日帰りである。そんな家族であったが、小学3年生に進級する直前の春休みに、名古屋市内に住んでいた母方の祖母を伴って家族で善光寺参りに出かけ、戸倉上山田温泉で一泊したことがあった。日付は手元にある帰路の乗車券で特定できる。偶然ではあるが、その日付は、この記事をアップした4月2日になっている。 1966年4月1日に出発し、翌日に帰ってきたことになる。 こちらは今年使った乗車券。 今から52年前、中央西線の名古屋発朝一番の長野行普通列車に私ども家族が美乃坂本から乗り、大曽根から一人でその列車に乗ってきた祖母と合流したから、手元にある1965年10月改正の名古屋鉄道管理局のポケット版時刻表からその列車の時刻は特定できた。 825列車 名古屋5:20発 大曽根5:41発 美乃坂本7:44発 長野13:38着 当時の列車本数の少なさは、今からは想像できない。中央西線は全線が未電化で、瑞浪電化の直前であった。手元の時刻表はボロボロになっていて表紙が半分欠落しているが、たぶん父がそのときに持って行ったからではないかと思う。その表紙の残った部分には「九州へその日に着きます」の文字が印刷されていて、名古屋始発の特急「つばめ」熊本行と急行「はやとも」博多行が誕生したころだったことがわかる。    便行?・・・「便利」の誤植か このように列車本数が少ないながらも、時刻表からは、まだ国鉄に活力があって長距離輸送の分野…

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【848】 車内補充券は魔法の切符

冒頭の画像は、使用済として発行された車内補充券です。もう使えませんよとお客様に対して明確な表現です。視点を変えると、この乗車券は北陸本線下り方向行なのに、上りの特急列車で発行されたものであることが列車番号からわかります。車内補充券は50枚の冊になっていて控片が車掌側に残りますので、控片を見れば乗務行路の時間的経過と発行した乗車券の発着駅が連動します。上り方面行きで発行された控片のなかに1枚だけ下りの片道乗車券が発行されていれば不自然で、あとで審査する部署の担当者が不審に思いますが、「使用済」と書いてあれば、「ああ、無札で野々市から乗って、金沢で折り返しそのまま上りの特急に乗ったお客様からの申告だったのだな」と想像がつきます。 車内ではどんな申告があるかわかりませんから、事前印刷された1つの様式でありながら、車内で起こりうるケースに可能な限りの事例に対応できる車内補充券は、魔法の切符と言ってもいいと思います。企画乗車券のような切符を除けば、これ1枚で片道・往復・連続乗車券・特急券・急行券・グリーン券・寝台券のほか、区間変更、指定席変更、種類変更は言うに及ばず、不正乗車の増運賃の精算も可能でした。ほかには、 間違って小児用の乗車券の買った時の精算 私鉄からの連絡乗車券の区間変更 誤って乗継割引として発行された特急券の精算 運賃を誤って発行された乗車券の精算 自由席グリーン車が満員で着席できなかった時の不使用証としての発行 複数人に1枚で発行された乗車券の分割 往復割引が適用されなくなる…

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【846】 釣銭と概算収受

車掌は車内で乗車券類を発行する関係上、運賃早見表、営業キロ早見表と車内補充券の冊などを持ち歩きます。 車内巡回中には、左手に運賃早見表、営業キロ早見表と車内補充券の冊を持ち、売上金の紙幣はその2つの早見表にまたがって掛けた表紙カバーの裏側にはさんでいました。硬貨は画像にあるような小銭入れも使いましたが、左手がふさがっていますから、右手だけで釣銭を素早く出せるように、10円硬貨と50円硬貨を上着のポケットに、100円硬貨をズボンのポケットというように裸銭のまま分けて入れていました。50円硬貨は穴があるので、ポケットの中に手を突っ込んで硬貨に触れた指の感触で他の硬貨と区別がつきますが、10円と100円は上着とズボンのポケットに分けておかないと、感触だけでは区別がつきません。けれど、上着を着用しなくてもよい夏場には上着のポケットが使えないので、ズボンの尻側のポケットを使ったこともありました。なお、私が車掌になったときには、まだ500円は紙幣しか発行されていない時代でした。それでも500円硬貨が普及するにつれて、500円紙幣をお客さんから受け取ることが急激に少なくなっていきましたが、500円硬貨は大きさでわかるので、100円硬貨に混ぜていました。 (上は再掲画像ですが「車内補充券」です。さまざまな乗車券類をこれ1枚で発行可能な様式になっていました。) 乗務するにあたり、あらかじめ準備しておく釣銭は自前でした。私の場合は、常に10,000円を用意し、このうち紙幣の内訳は5000円札1枚…

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【844】 割引切符

上の画像は、自分で購入、使用した乗車券です。そのころ私は名古屋鉄道管理局と静岡鉄道管理局管内有効の職務乗車証を交付されていたので、同じ国鉄線であっても、乗車証の区間外については乗車券を購入しなければなりませんでした。そこで別に支給される職員用割引券を使って、名古屋鉄道管理局と長野鉄道管理局の境界駅であった中央西線の坂下から東京南鉄道管理局と静岡鉄道管理局の境界駅であった函南駅までの乗車券を買ったということで、つまり、中央西線・中央東線・東海道本線をぐるりと一周してきたわけです。目的地は東京で、安産祈願のため水天宮へ参詣したときのものです。 割引券には種類がいくつかありました。 手前から、職員本人用、家族用、永年勤続者用です。それぞれ、在職年数などで発行枚数に基準が設けてあり、このころはすでに、こうした乗車証や割引制度は国民の理解を得られないとして、適用範囲や交付枚数がかなり縮小されたあとでした。それ以前は「運賃料金割引証」という名称でした。 画像では見難いですが、割引証には〇に「職」の字が書かれていて、乗車券類にも同じようなゴム印が捺されて「マルショク」と呼ばれました。再掲画像ですが、自分が使用した切符です。 このような職員割引をはじめ、学生割引、身体障害者割引など割引証を必要とする割引乗車券類は、旅行開始前に発売するものであって、原則として旅行開始後に車掌が車内で割引乗車券を発行することはありません。しかし、無人駅から乗車される場合は除かれていたので、車掌も割引の乗車券類を発…

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【842】 切符を失くしたとき

「【806】車内の遺失物」そして「【808】変な忘れ物」と、昨年2週続けて忘れ物の話をしてきましたが、旅行中大切な切符をなくしてしまうことも、ときにはありますね。私は、東京都内のどこかで、名古屋市内着の乗車券を落としたのが最高額の切符紛失事例で、このときは結局発見に至りませんでした。 切符を紛失したときには、どうしたらよいかということは、時刻表の営業案内のページに書いてあります。要するに紛失したのと同じ切符を買い直し「紛失再」の表示がある切符を発行してもらいます。下車駅ではその切符は改札で渡してしまわずに、その切符に「再収受証明」を受けて持ち帰れと言う意味のことが書かれています。1年以内に紛失した切符が発見されたら、再収受証明がされた切符と一緒に駅に持っていけば、手数料を差し引いて払い戻しを受けられるという取り扱いです。これは定期券や回数券のほか多くの割引切符では適用されません。私の場合は、長距離に乗車する場合、金券ショップの切符や企画切符を買って乗ることが多く、まともな運賃で乗ることが少ないので、あまり関係がないのですが、それでも高額な切符や、変わった切符を購入したら、撮影しておき券面事項が特定(確認)できるようにしています。もっとも主目的は、自分が使った切符の収集に代わるもので、画像で保存しようというだけのことです。 当然ですが、車内で紛失されたお客さんに新たな乗車券を発行するケースも稀にあるので、車内補充券で発行する場合は事由欄「紛失」として発売することになっていました。下の例は、木…

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【800】 800回めを迎えました~私は犬じゃなくてフリーきっぷを買いたい

拙ブログ開設から7年。この記事が800回めになりました。 長らく、ご覧いただいた皆様には厚くお礼申し上げます。 800回を記念しての企画は「800円」としました。800円を支払って私がこれまでしてきたことや買ったものなどを振り返ります。 以前、といっても8年も前ですが、ソフトバンクのCMで、 「安いお弁当選んで買ってみても490円。でも味噌汁付かない。  ホワイト学割は学生も家族も基本料金490円。でも味噌汁付かない。」 というのがありました。800円でできることはけっこう限られますが、昔はNゲージの客車が買えたりしました。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 国鉄が分割民営化された1987年のKATOのカタログそのものが800円でした。そのカタログによれば、 「20系カニ21買ったら800円。でもテールライト点かない」↓ ↑ちょっと遡って国鉄があったころの1982年のTOMIXのカタログは500円。そのカタログによれば、 「583系モハネ583買ったら800円。でも動力付かない。」 私がNゲージ模型で関水金属20系旧製品を買ったのは、それよりもっと前、中学生時代で700円でした。国鉄在職中はほとんどNゲージには手を出さず、退職後の1988年頃から再開しましたが、すでに市場にはTOMIXの583系旧製品はなく、ずいぶん探し回って、目にしたのは学研の「動力付いてるモハネ583」の不良在庫品だけでした。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~…

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【799】 閑話3-3…持っていた切符によって精算金額が違うのか!~昭和57年夏

(内容はフィクションであり、登場人物はすべて架空のものです。) 10時04分に名古屋を発車した普通列車亀山行に乗った6人、さんざん国鉄と車掌に対して内輪で悪口を言い放題でしたが、八田を出てしばらくしてから、やっと車掌が乗務員室から切符とお釣りを持って出てきました。 「たいへんお待たせして申し訳ございませんでした。全部で840円です。1000円お預かりしましたから。160円のお釣りです。」 亀島さん 「さっき、一人180円と聞いたけど、間違いか? 6人で840円ちゅうことは、一人140円が正しかったわけやないか。ちゃんと仕事せんか。何年車掌やっとる!」 「はい、お客様が名古屋駅の入場券を出されましたので、お連れの方も全員名古屋からお乗りかと思ったものですので…。ところが名古屋までお持ちの切符がそれぞれ違っていましたので、個々に計算させていただきましたら、合計額が840円になりましたが、運賃はお一人ずつ違ってきまして…お一人様だけ追加の運賃も発生しませんでしたし…。」 そう言って、釣銭160円と手書きで書きこんだ車内補充券を6枚亀島さんに渡しました。 前回最後のところは、以上のような場面でした。 車掌から乗車券類を購入すると車内補充券で発行される場合が多いです。下は、自由席特急券の乗り越し差額を収受した例で、車内で遭遇するさまざまな精算に対応できる様式になっています。 あとの5人は、亀島さんの手元の6枚の切符を覗き込みます。 下の画像は、車内補充券の上半分を拡大したイメ…

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【798】 閑話3-2…乗車変更します~昭和57年夏

(内容はフィクションであり、登場人物はすべて架空のものです。) 前回の続きです。 いちばん早く、中央西線の普通列車で集合場所である国鉄名古屋駅新幹線南乗換改札口に着いて、在来線側改札内で立ち話をしている南木曽さんと今池さん。9時34分に着いたので、10時の集合時刻まで時間があります。 今池さんが、 「ここは暑いなあ。クーラーもないんやなあ・・・木曽は涼しいんやろ?」 南木曽さんが、 「朝晩はね。でも昼間は暑いぞ。それにしても中央線って、相変わらず冷房ないんやな。国鉄はサービス悪いなあ。」 この新幹線南乗換改札口の在来線側の壁面には、在来線各線の時刻表が掲示されていました。 「この時刻表見てみい。関西線の汽車少ないやらぁ… みんな近鉄に乗るに決まっとるわなあ」 たしかに関西本線の列車本数は他の在来線より少なかったですが、この年の5月関西本線は名古屋・亀山間の電化が完成したことによって時刻改正があって、普通列車が増発されたばかりでした。と言っても日中の普通列車は1時間に1本程度です。 2人が時刻表を眺めていると、 10:00 特急 南紀1号 紀伊勝浦  11番線 10:04 普通      亀 山  13番線 と表示されています。 今池さんが、 「そういえば“えいわくん”が言ってとったけど、5月に関西線が電化されて本数が増えたらしいし、冷房車があるらしいぞ。ちょうど10時04分のがあるな。」 そこで南木曽さんが 「関西線か。3年前、1回だけ“えいわ…

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【797】 閑話3-1…名古屋へ集合!~昭和57年夏

(内容はフィクションであり、登場人物はすべて架空のものです。3回の連載で完結します。) 時は1982年、まだ国鉄があったころのことです。この年は東北新幹線の大宮~盛岡間が開業した年に当たります。 名古屋市内に本社がある会社員の仲良し同期生7人が、何年ぶりかに集まることになりました。この会社に就職して名古屋市内の研修施設で3か月の寮生活をしていたのは10年前のこと。このとき各人は会社でのそれなりの役職に就いて分散配置されていました。この会社には京都支社があって、その7人のなかには京都に転勤して、そのまま関西地方で家庭を持った者がいるかと思えば、家の都合で若くして退職し、長野県南部の実家で家業を継いでいる者もいました。 7人が集まる先は、愛知県海部郡佐屋町(現愛西市)にある富吉永和(とみよし ながかず)さんの家でした。富吉永和さんは、みんなから「えいわくん」と皆に呼ばれていて、「えいわくん・えいわくん・あんたはどうでもえいわくん」などと親しく呼ばれるだけあって、気さくな性分で、この時も「おい!みんなで集まるぞ!うちへ来い」と誘ったのでした。富吉永和さんの家の最寄り下車駅は近鉄名古屋線富吉駅です。 各地から集まる6人は名古屋駅の新幹線南乗換改札口付近に10時に待ち合わせて、一緒に近鉄乗換改札を通って近鉄に乗り換えることにしました。京都から新幹線で参加するのは、小倉さん、北大路さん、二条さんの3人で、京都9時05分発の東京行「ひかり32号」に乗ることにしました。この列車に乗れば名古…

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【720】 北恵那鉄道28:「乗車券と入場券」

前にも書きましたが、私は北恵那鉄道に乗ったことがそれほどありませんでした。しかし、切符は少しですが手許にありますので、ご覧ください。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 中津町駅発行の入鋏使用済乗車券です。 北恵那鉄道廃止後に、名鉄百貨店で北恵那鉄道の廃品が売り出されました。切符も例外ではなく未使用・使用済とも、大量に出回ったようです。この乗車券は、そこで袋入りでまとめ売りされてたものを友人が買ったところ、ダブったものがたくさんあったとかで、それをお譲りいただいたものです。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 上の画像と同じで、いただき物です。こちらは未使用券で日付も入っていませんから、駅の死蔵品だったのでしょう。苗木駅は路線廃止から7年も遡った1971年には無人化されていましたし、2等と印刷されてますから、それなりに古いものです。 しかし、実際に私が乗ったとき3等表示のままの切符を渡されたことがあります。それが下の画像です。日付は昭和46年(1971年)10月17日で、この時点では2等級制すら廃止になっていました。 まだ日中の運転が行われていたころで、母といっしょに乗っています。1区間でいいので乗ってみたかったいうことで、中津町の次駅である恵那峡口までの往復乗車券を買ったわけです。こんな短区間(1.4㎞)の往復乗車券などめったに売れなかったので3等表示のまま残っていたのでしょう。20円とありますが、そんなに…

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【661】 意味不明になった青春18きっぷ

先週、非鉄の方と青春18きっぷを使用した旅のお話をしました。 A君と2人で乗り鉄旅をしたときは、こういう行程でした。 3月1日 高蔵寺-松本-長野-十日町-越後川口-長岡-東三条-弥彦-東三条-長岡【泊】 3月2日 長岡-水上-高崎-横川-小諸-小淵沢-上諏訪-松本-高蔵寺-大曽根 このシーズンから青春18きっぷは5回(人)で1枚の様式に変わりました。このとき使った青春18きっぷの日付印を捺すスペースを拡大してみましょう。 1回目と2回目の位置には、「8.3.-1」日付ゴム印が捺されているにもかかわらず、4回目と5回目の位置にも「長野駅3.-1」の改札印が捺されてしまっています。さらに訂正もされ、誤入鋏の字も見え、訳が判らなくなってしまっています。 これは、長野駅で途中下車して再入場したときに、改札氏が、使用開始時に高蔵寺駅で捺されていた日付ゴム印が改札印でなかったため、未使用券と思ってしまったのか、二重に捺したものです。こうなると4人で3月1日に使用したみたいに受け取れます。(しかし、その時点では「3回目」が空欄になっていますから不自然) +++++++++++++++++++++ この青春18きっぷが、このような面相になるまでの経緯を順にご説明しましょう。 3月1日  高蔵寺駅出札カウンターで青春18きっぷ購入。 これから使うので日付スタンプを2個捺してほしいと申し出るも、改札で捺してもらうよう案内される。 高蔵寺駅改札。1回目・2回目のと…

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【424】 「鉄」へのプレゼントいろいろ

先週、郵送で切手シートが送られてきました。 「鉄道シリーズ第1集」とあります。 送り主は、国鉄時代に同じ職場で列車掛~車掌~専務車掌を一緒にやってきた先輩でした。私がカレチ(専務車掌(客扱))になった昭和59年、名古屋から奈良へ線路見習として乗務したときの先生がこの方でした。そして分割民営化を迎えた時、この方も私と同様にJRに行くことなく、郵政職員として新たな途を選択されたのでした。 職業柄、鉄道関連の記念切手が発行したのを知っておられたのでしょう。約1年もの間、ご無沙汰していたのに、私が「鉄」であることをよく知っておられるので、こうして送っていただけたわけで、たいへんうれしいことです。 さて、現物を見ると復元なった東京駅舎と有名な車両群9種の計10枚が1シートに収められています。 車両は、小田急3000形・国鉄151系・近鉄10100系・国鉄キハ81系・名鉄7000系・近鉄20100系・小田急3100形・国鉄0系・JR東日本E5系となっています。使ってこそ切手なのですが、使っても手許に残るプリペイドカードやICカードとは違って、使用すると手許には残らないのが惜しいとの思いがよぎります。これはコレクター的考えで、その切手を貼って差し出した手紙を、先方がうれしい気持ちで受け取ってくだされば、これもまたよしと思うわけです。そういえば切手の話で思い出すことがあります。 私は鉄道を離れた後でも、再就職先の会社では「鉄」であることを隠さず周りに喋ってきました。ほかに大した趣味がない者にと…

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【384】 特定車掌~武豊線篇

先週に引き続いて、「特定の車掌」を乗客のほうが覚えているというお話で、これも自分の経験談です。 日中の武豊線に乗務していて、車内巡回中にオバチャンから呼びとめられて、「この前はありがとうございました。」とお礼を言われたことがありました。さて、何のことだったかさっぱりわかりません。 判らぬまま話をそのまま聞くと、「あのときは無事に行くことができました」とおっしゃる。 それでも判らないので、「何でしたかねえ?」と聞くと、「新幹線で九州行って云々…」で、やっと思い出しました。 その一か月くらい前だったか、久大本線の由布院までの切符を車内で買っていただいた方でした。 話はこういうことです。 武豊線の朝一番の名古屋行921Dでのことでした。 石浜だったか尾張森岡だったか、とにかく無人駅からそのオバチャンが乗ってきました。「身内にお葬式ができたのでこれから九州の由布院っていうところまで行くんですけど、どうやって行ったらいいのか全然わからない。とにかく一番列車に乗ったんですが、名古屋で降りて新幹線に乗ればいいんですか?一番早く着く方法で行きたいんです」 そこで、まず時刻表をめくって由布院までの時刻を調べました。小倉、大分経由のほか、念のため博多、久留米経由の時刻も調べました。その結果、小倉で新幹線から日豊本線の特急にちりんの乗継が最速と確認して乗車券類の発行をしました。今であれば、車内補充券発行機(車発機)で一発で乗車券も特急券も発行できるのでしょうが、当時はそんな代物はありませ…

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【269】 「TOICA manaca 相互利用記念」のTOICA

先日(4月21日)実家へ行く前に早起きして「TOICA manaca 相互利用記念」のTOICAを買ってきました。 朝6時20分くらいから発売開始時刻の8時まで駅で並んで購入したのが写真左側のTOICAです。 なお右側はmanacaで、こちらはうちの息子が買ってきたものです。テレビ塔を中心にして、左のTOICAにはセントラルタワーズが描かれ、右のmanacaには名古屋城が描かれています。 実家からの帰路には、すでに完売となっていました。 こんなふうに、身の回りにいろいろあると言いながらも、適当に鉄分はちゃんと摂りながら暮らしております(*^^)v

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【218】 鉄分の多いお菓子(4):「秘電最中」と「かなえ饅頭」

鉄道をモチーフにしたお菓子は、大手の菓子メーカーからローカルなものまで、いろいろ存在します。 過去にも 【139】 鉄分の多いお菓子(1):チロルチョコほか 【141】 鉄分の多いお菓子(2):JR電車チョコ 【184】 鉄分の多いお菓子(3):ミニトレイン と、3回にわたって紹介しました。 今回はローカルな鉄道「飯田線」の、これまたローカルな和菓子の登場です。 ***************************** 飯田線はJR東海が経営する鉄道で、東海道本線の豊橋から中央本線の辰野を結ぶ長大なローカル線です。ここには119系という国鉄時代に製造された電車が今なお活躍しています。 上の写真はいずれも119系です。左側のアイボリーのほうは飯田線でふつうに見かける電車です。いっぽう、右側の水色に塗装されたほうは、2009年に国鉄デビュー当時の外部色を再現した電車で、1編成2両だけが存在します。 飯田線は人家がほとんどないような山間部を通り抜けていますので、「秘境駅」と呼ばれる駅がいくつも存在します。それを目当てで飯田線に乗りに来られる方も少なくありません。 まずは「秘電最中」を紹介します。 「秘境の電車」を略した「秘電」と「秘伝」を掛けたネーミングなのでしょうか。 最中の箱には国鉄時代の旧型国電から、現在活躍中の新型まで電車の絵がいくつも描かれています。 肝心の最中のほうは、1つずつ最中の皮と餡が別々に包装され、自分で餡を皮の…

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【214】 国鉄二俣線の切符

先日、天竜浜名湖鉄道へ行く機会があったのですが、この鉄道はご承知のように旧国鉄の廃止対象ローカル線を引き継いだ鉄道で、国鉄時代は「二俣線」という線名で、国鉄静岡鉄道管理局の管轄下にありました。 私は名古屋鉄道管理局に採用されていましたので、二俣線は隣の鉄道管理局の線ということになります。両管理局の境界は西小坂井・豊橋間でした。私は乗務員なのでその境界を越えて静岡鉄道管理局管内には仕事で何度も乗務で乗り入れていたのですが、新所原駅から分岐する二俣線には乗務する機会もなく、東海道本線乗務の際に新所原到着時に「二俣線で三ケ日、金指方面はお乗り換えです。こんどの掛川行は○時○分です」と放送するくらいしか、仕事での関わりはありませんでした。 当時は二俣線も全国ネットワークの国鉄線の一部だったわけですので、東海道本線から直通の切符も見かけましたので紹介しましょう。 初めは国鉄時代の東海道本線西小坂井駅からの矢印式片道乗車券です。 矢印で示された複数の行先の中に二俣線にある気賀駅の文字が見えます。この切符には、天竜浜名湖鉄道同様、現在は第三セクター愛知環状鉄道の一部になった国鉄岡多線の永覚駅の文字もあります。 続いては、二俣線の車掌が発行した車内補充券です。 地図式でありながら駅名式でもある変わった様式で豊橋車掌区乗務員が発行した切符です。 切符ではありませんが、二俣線の列車をデザインしたオレンジカードも発売されていました。 もう退職が決まっていた頃、乗務の折り返し時間に豊橋…

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【195】 H君のこと~明知線の車内補充券・381系最終しなの号

先週の続きになります。 稲沢鉄道寮に住んでいたH君は転勤希望がかなって、寮を出て家に近い恵那駅勤務となり、地元明知線の車掌を務めました。 明知線も樽見線同様、車掌区の車掌でなく「恵那駅」所属の車掌が専門に乗務していたのです。私は例によって車内補充券を集めていたので、明知線の「恵那駅乗務員発行」の車内補充券を発行してもらいました。 彼の直筆の車内補充券です。 参考までに国鉄時代の明知線では、樽見線同様駅名式の車内片道乗車券もありました。 寮から出てしまうと、私は彼と顔を合わす機会はめったになくなってしまい、さらには私が国鉄を退職したことで全くの疎遠になってしまい、以来年賀状だけの付き合いになってしまいました。彼は明知線が第三セクター化され経営が明知鉄道に転換されたとき、再び転勤して中央西線の車掌としてJRに残りました。 私が国鉄を退職して数年後、青春18きっぷで飯田線に乗りに行ったときのことです。豊橋から飯田線を乗り通したその帰路、塩尻から乗った中央西線の165系普通列車の車掌が偶然にも彼でした。国鉄を退職した後、通勤時などで知り合いの車掌に出会うことはよくあったのですが、ふだん、あまり乗る機会のない区間で知り合いに出会うとお互いにビックリします。さらにこのときは運悪く落雷による信号機故障で途中の薮原駅で1時間以上足止めされてしまったのでした。こんなところで出会うとは…と、その薮原駅で発車までの時間にホームで立ち話をしました。これも何かの縁だったのでしょうか。 その後、彼は運転…

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【186】 樽見鉄道との付き合い 1 :国鉄樽見線時代

今回から木曜日の更新は3回に分けて樽見鉄道のお話をします。 では第1回目をスタートしましょう。 樽見鉄道は東海道本線の大垣駅から分岐している第三セクター鉄道です。旧国鉄特定地方交通線転換線である樽見線(大垣~美濃神海(現 神海))を昭和59年に引き継ぎました。その後、平成元年に、ほぼ工事が完成していた旧日本鉄道建設公団建設線である延長区間(神海~樽見)を開業して現在に至っています。 私の実家があるのは岐阜県で、樽見線鉄道も同じ岐阜県内にあって、しかも旧中山道でつながっているのですが、私が住んでいたのは県の東端。この鉄道は西端になります。離れていることもあって、子供のころからこの鉄道を利用するような用事は全くなく、利用する機会がありませんでした。 国鉄に就職して車掌になった時でも、同じ大垣駅を起点としている美濃赤坂線には乗務していたのに、なぜか国鉄樽見線は乗務範囲には入っておらず、樽見線では「車掌区」ではなく大垣「駅」所属の車掌が乗務していたのでした。 そんな縁の薄い樽見鉄道でしたが、国鉄樽見線時代から、私のこれまでの関わりについてお話したいと思います。 関わりは薄いようで、それでも鉄道としての面白味もあったので、思い出はいくつかあるのです。 国鉄樽見線と私との初めての関わりは、昭和47年4月で、私は中学3年生になったばかりでした。 当時は全国のあちこちで蒸気機関車が姿を消していく時期で、その前月に樽見線からもC11の貨物列車がディーゼル化されDE10に置き換えら…

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【152】 鉄道あちこち訪問記7:仙石線・石巻線・米坂線ほか 2001.9.7~9

<<東北地方鉄道各線の早期完全復旧を願って・・・の訪問記>> 私は三陸海岸地方に足を踏み入れたことが2回ある。私は鉄道が好きだから、その2回ともが、まだ乗ったことがない鉄道路線に乗りたいというだけの動機だった。したがって観光名所巡りをしたわけでもないし、列車の車窓から流れる景色を眺めてきただけのことだ。 動機はどうであれ、とにかく行ったので、今回はその2回目の写真をお目にかけながら、この行程をたどってみたい。 時は2001年(平成13年)9月7~9日だった。 7日(金曜日)の夕方、中央西線から名古屋で東海道新幹線(「ひかり238号」300系)に乗り継ぎ、まずは首都圏を目指す。中途半端な時刻に家を出たのには訳がある。理由は、これまで東北地方の旅で愛用してきた「ウイークエンドフリーきっぷ」が発売されなくなり、かわってフリー乗車区間から北東北の部分を除外した「土・日きっぷ」が登場したことによる。 この切符はフリー乗車区間が狭まったばかりでなく、使用当日の発売をしない。JR東日本の企画乗車券なのでJR東海エリアでの発売もされていない。それで、前日に切符を買っておくためにJR東日本エリアへ入っておく必要があるわけだ。 私は東京都区内のはずれである赤羽駅で京浜東北線から降り、この「土・日きっぷ」を買って、その晩は大宮で泊った。 翌8日は大宮から東北新幹線「やまびこ1号・こまち1号」に乗って仙台下車。仙石線に乗り換えるが、乗り残し区間を作らないように、いったん仙石線始発駅の「あおば通」…

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【136】 manacaデビュー記念カード

本日2月11日から名古屋圏の鉄道・バスのICカード「manaca」がスタートしました これまで、名古屋ではJR東海のTOICAしかありませんでしたが、これで主要な鉄道がICカード対応になったのです。やっとスタートという気がしますが、とにかくめでたいことです 導入事業者は下の写真のとおりです。この写真は本日、20,000枚限定で発売されたデビュー記念カードの台紙です 私はというと、これらの鉄道やバスを高い頻度で利用することはないのですが、なにぶんにも名古屋人としては珍しく自家用車はあまり使わず公共交通機関と徒歩を愛用している人種なので、カードがあれば何かと便利です 発売日は三連休の初日でもあり、記念カードを買いに行くことにして家を6時に出発したのでした 発売箇所は、名古屋市地下鉄・名鉄ほかの主要駅で、どの駅も午前7時からの発売でした。我が家から一番近いのは「名鉄大曽根駅」と「ゆとりーとライン大曽根駅」でした。 JR中央本線で大曽根に着いたのは6時35分過ぎ。 この時点で、「ゆとりーとライン大曽根駅」では、すでに発売枚数(250枚)分の整理券をちょうど配り終えたところで発売時刻前なのに購入の可能性はなくなってしまい…続いて名鉄大曽根駅に行ってみたのですが、ここも同様で{%困るwebry%…

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