【992】 変なコレクション12: レシート

我が家では、買い物をしたとき渡されるレシートは必ず家に持ち帰り、家計簿に記録していますが、一般にレシートの多くは、受け取らない人がおられますし、そうでなくても受け取ってもすぐ廃棄される方が多くおられるように思います。 最近のレシートは、買った商品の品名と金額だけでなく、割引金額の明細やポイントの収支など多くの情報が見やすく表示されるようになっています。感熱紙に印字されたものがほとんどなので、これをコレクションとして保存しても、年月とともに印字内容が薄くなって消えてゆき意味がないですので、持ち帰っても経理上必要な年限が経過すれば廃棄すべきものと自分でも考えており、実際にはその気になって収集を継続したことはありません。それでも自分が使用した乗車券類の収集同様に、自分がいつどこに出かけて何を買ったのかが後々わかるという記念券的な意味で保存しているものは一部にあり、それらは自分の行動、交友関係などを振り返るには有効です。そのほか、実家を処分する際に整理していたときに発掘した古いレシートも併せてご紹介します。 昔のレシートはシンプルでした。 左下の数字から推定するに1971年10月20日のものだと思われます。 店名の下に印字された電話番号は一桁ですから、当時は自動電話ではなかったようで、有線電話番号も併記されています。家の整理をしていたら出てきたものですので、誰が何を買ったのかは不明です。このレシートは実家から歩いていける範囲にあった数少ない食料品店のもので、小学生のころには、ここでよく買い…

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【990】 変なコレクション11:交通違反はやめよう!…;;

「変なコレクション」シリーズの続編で、今回はキップです。キップと言っても乗車券類ではありません…… 青地の用紙なので通称は青キップと言われているモノですが、わざわざ公開するものでもないでしょうから、画像は小さくして、加工もしてありますです(*^^)v 反則金6000円という金額が読み取れるかと思います。40年以上も前のものですから経年で褪色しているのに加え、ホワイトバランスをオート設定のまま撮影したら青キップが白く写ってしまいました。 このときの違反場所は岐阜県中津川市内でしたので、岐阜の交通反則通告センターへの出頭日時が書かれています。ご経験がおありの方はご承知のように反則金を仮納付すれば出頭の必要はないことも書かれており、そのとき渡された納付書を使って地元の郵便局で3日後に仮納付しています。 青キップの正式名は「交通反則告知書・免許証保管証」という名称のようで、この場合は免許証保管「無」となっていますので、「交通反則告知書」ということになります。 ということで、この画像はこの記事の一番上にアップした青キップとは別の青キップです。つまり複数回キップを切られているわけで、このキップの職業欄には「公社員」と書かれています。 「職業は?」 「公社の職員!」 「公社ァ? 電電公社か?」 「電電公社のほかにも国の公社は2つある。そのうちのひとつ!」 「…」 「三公社五現業の三公社知らんのか?」 これは3回目で、もう反省するでもなく、警察官に当たってしまいます。こういう性分では、やさ…

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【989】 自動車保険特約のその後

昨年初めて、「やさしい運転キャッシュバック型」という某保険会社の「やさしい運転特約」を付加した自動車保険に加入しました。自動車にドライブカウンタを設置して、そこで計測された成績に応じてキャッシュバックがあるという特約でした。その内容については、その該当記事「【924】自動車保険を更新」をご覧ください。少し前になりますが、キャッシュバック申告をしましたので、「やさしい運転計測特約」について思ったことなどを書いておきたいと思います。 ドライブカウンタ取付後180日を過ぎたら任意の時点で申告し、その時点の成績に応じたキャッシュバックが受けられるのですが、今年に入ってからは61点のままで、成績が上がる気配はありませんでしたし、59点以下になってしまえばキャッシュバック対象にはならないので、微妙な点数でした。一時期62点になりましたが、その後、大した急加速急減速をした感覚はなかったのに61点に再び下がりましたので、この先もボーダーラインを気にしながらアクセル&ブレーキワークに注力し続けたとしても、目標としていた80点台(キャッシュバック率15%)ははるか遠いかなたで、70点台(キャッシュバック率10%)さえも困難になってきたので、61点の状態で申告し5%のキャッシュバックで手打ちすることにしました。 確定した状態のドライブカウンタです。 もともと保険本体が安い契約でしたから5%キャッシュバック額は千円ちょっと。それでも、この特約を付けるために加算した金額にはまったく及びませんでした。契約時には…

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【988】 変なコレクション10: 投票に行こう!

<はじめにおことわり> ウェブリブログが7月2日にリニューアルされて最初の記事更新になります。今回のリニューアルによって、従来の設定が引き継がれていないことがたくさんあります。また、廃止された機能や新機能があり、しばらく対応が間に合いませんので見苦しい状態が続きますことをご容赦ください。たとえば記事の見出し画像が、リニューアル前と変わってしまい、アフィリエイト広告画面が表示されていますので、順次手動にてメンテしてまいります。 《2019年7月7日追記》リニューアル後にかなりの不具合が報告されています。たとえば、・最初の画像でない画像が載っている、または画像が表示されない、等の不具合・スマートフォンでページ最下部の「PC版を見る」を選んでもPC版が表示されない(スマートフォン版が表示され続ける)不具合などですが、上記2点については「調査対応中」とのことです。他にも多々不具合や改悪点が満載でご迷惑をおかけしますが、ウェブリブログ事務局の対応を見ながら時間をかけて気長に個々の対応を行っていきますので、ご容赦願います。 《2019年7月9日追記》リニューアル後に自動的に変換されたブログデザインを変更しました。まだ試行錯誤は長く続きそうです。 ++++++++++++++++++++ ということで、ひさしぶりに「変なコレクション」シリーズの続編です。 参院選が本日公示されました。これから21日まで全国で選挙戦が繰り広げられます。私は政治には詳しくないですが、ほとんど棄権することなく投票に出か…

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【982】 平成から令和へ

5月1日に令和元年がスタートしましたが、平成元年初日は1月8日でした。 平成初日は日曜日で仕事が休みでしたので、私はその日付が入った入場券を買うために駅へ行きました。印字された年・月・日がすべて一けたの入場券を見るのは初めてで、違和感がありました。 同じように令和初日にも同じ駅で入場券を買ってみました。もちろん硬券はなくて、印字された日付は西暦表示、そして地平にあった小さな駅舎は新しい橋上駅に建て替えられて、30年の間にすっかり様変わりしています。それなのに30年も経って、こうして同じ行動をしている私は、まったく進化することもなく、変わったことといったら、ジジイになって劣化しただけなのには我ながら呆れますが、この2枚の入場券を見比べてみると、30年の年月を経ても変わらないことがあるのに気付きます。 それは入場料金で、30年を経ても140円のままになっています。平成初日の時点では消費税法は成立していましたが、まだ施行前でした。その後も消費税の税率アップが2度あったのに、140円のままになっているのですね。 またくだらないことで恐縮ですが、昭和の時代に遡って、国鉄の入場券を振り返ってみましょう。 上から、昭和37年、昭和51年、昭和61年に発行された国鉄の入場券です。様式は微妙に違っていますが似ています。いちばん古い昭和37年のものは平成元年から30年と遡ってはいませんが、料金は10円で、すでに平成時代を待たずに昭和61年のものは140円になっていますから、なんと14倍です。私の記憶…

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【976】 国鉄時代の観光案内車内放送:「ひだ」(後篇)

前篇からの続きで、国鉄時代の高山本線の特急ひだ号の車内放送です。 ・録音日:1985年12月23日 ・列車:東海道本線・高山本線「ひだ3号」 ・運転区間:名古屋・高山 ・今回の収録区間:飛騨金山~高山 ・収録時間:約12分05秒 この間には分岐する鉄道はなく、途中の停車駅は下呂だけですから、沿線の観光案内放送が中心になります。 ◆中山七里(飛騨金山~)  このあたりの車窓はすばらしいですが、鉄道写真にも適していたので、よく撮影に行きました。 ◆下呂到着 録音に付けた画像(下の画像)は、下呂発車後の風景ですので、少し場面は前後します。ずっと深い谷間を走ってきて下呂に近づくと、突然変異のように鉄筋コンクリートの温泉旅館を中心とする街が現れ、この急な車窓の変化も面白く感じます。 ◆禅昌寺(禅昌寺駅通過前) 禅昌寺は駅名にもなっています。このあたりは今も変わらず、列車から山門や鐘楼を見ることができます。 ◆宮峠と野麦峠(久々野発車後) 特に冬場には、飛騨小坂のあたりで天候が急変することがよくあります。にわかに曇って雪が舞ってきたり、そうでなくとも積雪が目立つようになります。地形が険しくなり、撮り鉄の心をくすぐるところなので、ここでも録音に付けた久々野発車時の映像には、かみ合いませんが、あえて久々野より手前で撮影した画像を付けていますので、ご了承ください。 録音のほうは禅昌寺から一気に久々野を発車した時点に飛びます。宮峠の勾配に挑むエンジ…

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【974】 国鉄時代の観光案内車内放送:「ひだ」(前篇)

「しなの」の車内放送に引き続いて、今回は国鉄時代に収録した高山本線「ひだ」の車内放送録音で飛騨路の旅にご案内したいと思います。ここにアップする特急「ひだ3号」は、名古屋と高山を結ぶ列車で、キハ80系気動車6両編成で運転されていました。 乗務する車掌は、車掌長(チーフ)と専務車掌各1人ずつで、車内放送は主に車掌長がグリーン車の乗務員室に乗務して受け持ちました。専務車掌は最後部運転室でドア扱いも担当する「運転兼掌」でしたので、到着時など補助的に放送することはありました。この録音の収録時期は、私が専務車掌になって1年半ほど経った1985年12月で、そのとき私は予備勤務に指定され、ふだん勤務ローテーションに入っていない高山本線の列車に乗務する可能性がありました。 私は岐阜県人でしたし高山本線へは撮り鉄で当時はマイカーでよく出かけましたから、地理的感覚はあるものの高山本線への乗務経験はわずかしかなく、いつでも自信を持って乗務できるようにしたいと思っていたのでした。ちょうどこの日、私は早い勤務明けで、いつも「しなの」号の乗務でお世話になっていた車掌長氏(これまでアップした「しなの」車内放送をされていた方)が「ひだ3号」に乗務される日でしたので、仕事の手順や取扱いの確認をするために、高山までプライベートで乗りに行ったのでした。その直後に「ひだ1号」に急遽乗務する機会があり、この録音をして予習したうえで乗車できたことは大変有意義でした。  と、いうわけで、今回はYoutubeにアップした「ひだ3号」…

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【970】 国鉄時代の観光案内車内放送:「しなの」(4-3)

先週に引き続いて、国鉄時代に録音した「しなの号」の車内放送の解説や補足などを書いておくことにします。音声は、車内放送部分だけを編集してアップしていますので、車内録音ノーカット版ではありません。収録した日と列車は前回と同じで、続編となっています。 ・録音日:1986年10月26日 ・列車:中央西線・篠ノ井線「しなの7号」 ・運転区間:名古屋・長野 ・今回の収録区間:薮原~松本到着放送 ・収録時間:約11分20秒 ◆薮原宿 鳥居峠 奈良井宿(0分05秒~) 薮原駅と奈良井駅の間に鳥居峠があり、ここが太平洋と日本海との分水嶺になっています。蒸機時代は難所だったそうですが、複線電化されるにあたって現在の新ルートに付け替えられて、今では電車が鳥居トンネルを通って難なく通過します。 中山道時代はさらに大変だったわけで、その難所の麓にある薮原と奈良井の両宿場町が栄えたということです。奈良井宿は昔の面影を残す観光地になっており、中央西線はその宿場町に並行していますが、残念ながら車窓から眺められるのは宿場町の家々の裏側なので、宿場町の風情を味わうためには普通列車に乗って奈良井駅で降りなくてはなりません。 放送にもありますが、しなの号の運転区間の中で、いちばん桜が咲くのが遅いのがこのあたりです。4月に「しなの号」に乗ると、どこかで満開の桜に出会えます。その約1ヶ月間で満開の桜を見られる場所が変わっていき、年によって多少は違うものの大型連休あたりにこの付近で満開を迎え、その年の車窓からの花…

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【968】 国鉄時代の観光案内車内放送:「しなの」(4-2)

先週に引き続いて、国鉄時代に録音した「しなの号」の車内放送について解説や補足を書いておくことにします。音声は、車内放送部分だけを編集してアップしていますので、車内録音ノーカット版ではありません。収録した日と列車は前回と同じで、その続編となっています。 ・録音日:1986年10月26日 ・列車:中央西線・篠ノ井線「しなの7号」 ・運転区間:名古屋・長野 ・今回の収録区間:倉本~宮ノ越付近(4-2) ・収録時間:約13分00秒 ◆乗鞍岳(0分05秒付近~) 深い谷が続く木曽谷の底から乗鞍岳が見えることは意外に知られていません。もっとも雲がなく空気が澄んだ快晴の日でないと見られないのですが、コンディションさえよければ、倉本駅を出てすぐ、左側の車窓から列車と並行しながら左へカーブしていく木曽川の上流方面に見えます。 ◆小野の滝(案内放送0分18秒付近~1分25秒)       (現地を通過するのは2分44秒付近) 放送で「滝の上のほうだけ見えます」と言っているように、列車の車窓から滝の全容を見るのは不可能です。下を走る国道19号線には駐車スペースもあり、そこからは全容が見られますが、滝の正面を横切る中央西線の鉄橋がたいへん目障りです。江戸時代に安藤広重による浮世絵「木曽海道六拾九次之内『上ヶ松』」にも描かれた名瀑ですが、明治時代に造られた鉄道によって景観が台無しになったわけで、今なら景観の保護が優先されたのではないかと思います。 ◆寝覚ノ床(1分25秒付近…

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【964】 駅名のアクセントと読み間違い

国鉄時代の1983年8月8日に、関西本線の桑名・富田間に「朝日」駅が開業しました。 記念の臨時列車が運転されました。 記念乗車券も発売されました。記念乗車券は硬券セットで、これは部内でも予約注文を受け付けていましたので、当時の私の乗務範囲内のことでもありましたから入手し、増収に協力?しました。駅の近くにアサヒビールの工場などがあるわけではないと思うのですが、ホルダーにアサヒビールの広告があるのが、面白いと思います。 どうでもよいことかもしれませんが、新駅ができて、「次は、あさひ、あさひです」と車内放送をする立場になると、アクセントが「あ」に来るか「さ」に来るか、気になってしまいました。部内の指導資料には、記念乗車券を回収するときは記念券部分を旅客に交付しろとか、当たり前のことは書いてあるくせに、アクセントをどうするかというようなくだらないことはもちろん書いてありません。結局のところ正しいアクセントは未だによくわかりません。近鉄は「伊勢朝日」ですから、参考になりそうですが、そう考えると「名古屋」にしても「近鉄名古屋」「名鉄名古屋」では「な」にアクセントが来ますし「名古屋市」「名古屋行」だと「ごや」にアクセントが来ますが、単独で「なごや」と言うと「な」にアクセントが置かれる場合もあれば「ごや」の場合も聞きます。どちらかが正しいとか間違っているということではないのでしょうから、どうでもいいことなのは承知していますが、特に地元民の方がお聴きになると違和感を感じる方はあるだろうと思うわけです。 …

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【962】 自動音声による案内放送で思うこと…P.S.ノーサイド

鉄道の車内に限ったことではありませんが、今どきは公共の場で、必要となる情報を自動音声による放送で客に伝えることが多くなりました。通常時は音量が適度でスピーカーなど機器が正しく機能していれば、人の手間をかけることなく、客が知りたいことを正確に伝えられますから、必要に応じて肉声放送を補助的に用いればよいわけです。 愛知環状鉄道2000系です。2005年に行われた「愛・地球博」に対応するために投入され、私は通勤に使っていました。愛知環状鉄道ではワンマン列車がありませんが、開業時に導入された100・200・300形の時代から自動放送が導入されており、この2000系の自動放送は聞き取りやすく私のお気に入りでした。 ところで、国鉄時代に私が乗務していた車両のなかに自動放送の設備があるものはなく、すべてを肉声放送で行っていました。 駅の放送は、国鉄時代から自動化が始まっており、名古屋駅では1982年12月から在来線ホームにも自動放送が導入されました。これによってホーム案内要員が複数のホームを掛け持ちで担当するようになったことで、ホームに案内要員が不在になる時間が大幅に増え、案内要員が受け持っていた終着列車の車内遺失物点検業務が業託化されました。このとき導入された自動音声は不自然極まりない放送でした。 「8、番線、の列車は、 特急、 しなの、 7、号、 長野、 ゆきです」 という調子で、単語で切れている部分が多く、イントネーションもめちゃくちゃで「ほう、長野は雪ですか?」と突っ込みを入れたくなるほど…

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【960】 聴かれていた車内放送

私は子どもの頃、中津川へ親の買い物に付いていくとき、乗った列車では、きまって中津川到着前には、「ハイケンスのセレナーデ」のオルゴールのあと、連絡する急行列車や北恵那鉄道への乗換案内、切り離す車両があることや停車時間が丁寧に放送されたものです。 車内放送を自分もやってみたいとの思いもあって、子どものころには車内放送の真似をしたこともありました。高校生の頃になってラジカセを持つようになると、旅先で乗った列車の車内放送を録音したこともあります。そのころの録音のうち2列車(上り急行「阿蘇」と、下り急行「だいせん1号」)についてYoutubeにアップしています。それらは拙ブログの過去記事からお聴きいただくことができます。 【701】【名古屋】旧客編成・急行阿蘇【熊本】 【605】山陰旅行の今と過去6:車内放送 国鉄時代の録音をいろいろと再生してみると、放送する人間側の技術にばらつきがあったことを感じます。放送の主や担当する車掌区によって、言い回しなどが微妙に違っていて、非常に聞きやすくわかりやすい内容で感動するような放送があると思えば、その逆の場合もありました。そういうことは地域によっても特徴があることも、先週の記事にご投稿いただいたコメントから改めて気付かされたりもしました。また、機器の不具合または整備状況のせいなのか、音量が小さく、または雑音があったりして、まったく意味をなさない車内放送も聴いてきました。言ってみれば均一な品質の放送ができていなかったわけで、放送機器の性能もよくありま…

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【958】 改めたい放送(国鉄時代のテキストより)

国鉄時代のテキストに書かれていたことについて連載しています。 改めたい放送例が書かれており、どうすればよいかが書かれています。以下、抜粋です。 <左:改めたいことば→右:適切なことば>  公衆電報→電 報  陸 橋→ 橋  着発線→のりば(又は〇番ホーム)  余 席→座席がある  接 続→連 絡  解 放→切りはなす  増 結→つなぐ・つける  運転休止→運転しない・運転をやめる  踏切障害→踏切事故  国鉄自動車→国鉄バス  110分→1時間50分 以上は、部内用語や専門用語なので、ことばにすると伝わりにくいということでしょうか。他にも、  にて→で  より→から  お越しください→おいでください  清掃→そうじ  たいへんながらく→たいへん(長らくは使わない)  悪いこと→よくないこと などと、私には説明できませんが口語体の日本語としてのあり方みたいなことでしょうか。果たして自分がどこまで忠実だったかは、何とも言えません。 「着発線」という言葉が上に出てきましたが、着発線を表すことばは、「乗り場、ホーム、〇番線、〇番乗り場、上り線、下り線」とたくさんあるわけですが、放送では「乗り場、又は〇番ホーム」に統一したほうがよいと思われるということのようです。ほかにも、 ◆「〇〇行、急行□□」「急行〇〇行、□□」などと表現のしかたはいくつかあるが「急行□□ 〇〇行」 下の例ですと、「特急やくも 松江行」となります。行先字幕も、その順…

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【956】 国鉄時代の車内放送

「60がらみのおじいさん」の事例や投書と思われる、よからぬ接客事例が載っていた列車掛養成課程で使ったテキストには、車内放送の注意点なども書いてありました。 テキストは中央鉄道学園で作成されたもので、つまり全国の国鉄の接客業務を行う職員を対象にしているものでした。しかるに国鉄で放送の質にばらつきがあったのは、現業機関での教育が行き届かなかったのか、職員の意識の問題でもあったのでしょう。 (京都鉄道博物館101系モックアップ) 画像の左端にある車内連絡用送受話器が放送用マイクロホンを兼ねていました。送受話器を右手で掴むと、親指の位置にあたる部分に押しボタンスイッチがあって、それを押している間だけ車内連絡用から車内放送用回路に切り替わる仕掛けでした。 そのテキストに書かれていた注意点など内容を少し抜粋してみます。 ◆始発駅発車前の車内放送での「おはようございます」のあいさつ放送は9時ごろまでとし、その後の放送は「ご案内いたします」とする。 ◆始発駅発車後の案内放送のときは、車掌長の名前(姓名)を明らかにすると、お客様に親しみと安心感を与える。 ◆車掌室の所在を放送する。 ◆停車駅、到着時刻、列車の編成などの案内放送をするときは「〇〇についてご案内いたします」の例により最初に見出しをつける。 と、いう具合です。この中で、乗務員が放送で「車掌長の名前(姓名)を明らかにすると、お客様に親しみと安心感を与える。」という書き方は、必ず名乗れとは言っていません。事実、昭和50年代の…

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【954】 国鉄の悪弊は解消されたけれど・・・

先週は、いかにも当時の国鉄らしい例をご紹介しました。出札窓口や改札口、車内でも、今では信じられないようなことがあったことは確かで、これもよく言われる国鉄の汚点の一つだと思います。 私が高校生のころ、名古屋起点に紀伊半島を時計回りに一周したときのことです。名古屋始発の夜行急行紀州5号に乗るために、発車時刻の1時間近くも前に名古屋駅に行きました。冬休みに入ったばかりだったので出札窓口はたいへん混雑しており「関西・紀勢方面」の窓口の長い行列に並びました。あのころはコンコースの壁面に長距離切符の出札窓口が方面別にずらりと並んでいました。20分ほども並んだでしょうか。やっと順番が来たので、「発駅:名古屋市内、着駅:名古屋市内(経由:関西・紀勢・阪和・東海道)と書いた父の名前で発行された職員割引証を窓口に出すと、すぐに硬券が発券されたのはいいとしても、「あのねえ、こういう切符買うときは、前もって買わんといかん」と説教するような口調で怒られました。 「こういう切符」というのは、「一周する経路で、しかも職員割引という厄介な切符」という意味であったのでしょうか。それなら、こうして常備券が出てきていますので、結果としては問題なかったように思うのですが、あるいは国鉄職員の家族なのだから、他のお客様のご迷惑にならないように、窓口の空いた時間に前もって買っておけという意味だったのかもしれませんし、その両方だった可能性もあります。いずれにしても、そういう説教じみた応対を受けたことは45年経った今でも忘れることはあ…

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【952】 60歳は「おじいさん」?

【縞の風呂敷を振り分けに、あたふたと待合室へとびこんできた60がらみのおじいさん。額には玉のような汗を浮かべていた。おじいさんは、大きく深呼吸すると、やおら「〇〇行の汽車は何時ですか」と改札氏に尋ねた。肩まであろうかと思われるような長髪をかきあげた改札氏は、さもうるさそうに一べつをくれると、黙して語らず、手にしていた改札鋏をピョンと立てた。 「〇時」という答えを期待していたおじいさんは、何のことかわからず再び尋ねた。 しかしその返事は相変わらず無言のまま再び改札鋏をピョコンとたてたにすぎなかった。 なるほど、改札鋏の指したところを目で追っていくと、それは改札口の上の発車時刻表であった。でも、尋ねたおじいさんは、何のことか一向にわからず、けげんな顔で改札氏からの返事を待っている。】 この文章は、私が列車掛養成課程で教習を受けているときに使ったテキストの中から抜粋したもので、実例かどうかは書いてないですが、ありそうな話ではあります。 そのテキストは接客用のもので、改めて読み返すにつけ、国鉄の恥部をさらされている思いがします。あのころを知っておられる方だとニヤリとするか、忘れていた悪い思い出が蘇って、国鉄職員はカスばっかりだったと改めて怒りをあらわにされる方もあるかもしれません。 このテキストは接客に関することも書かれ、【763】 酔っ払い(>_<)で書いた酔っ払いへの応対事例?として私が以前書いた下敷きの内容も、そのまま掲載されていましたので、このテキストが出典元のよう…

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【936】 昭和の自動車よもやま話

それぞれの自動車にいろんな想いがありましたが、国鉄に勤めていたころ、つまり昭和50年代には購入を検討したものの、いろんな理由で買わなかった(買えなかった)自動車も,実はいくつかありました。 【チェリーF-2】 B110サニーの次の自動車として候補に挙げていましたが、チェリーF-2の中古車が出てこないうちに中古カリーナが出たので購入せずに終わりました。B110サニーと同じ日産のA型エンジンは定評がありましたし、中古車なら手ごろな価格で買えそうでした。あのころはまだFR車が主流でしたが、チェリーはエンジン横置FF車で、たしか4輪独立懸架のサスペンションを採用していたと記憶します。 そのあとに乗ったカローラを新車購入したとき、並行して検討した中の有力候補車がオースターでした。バイオレット・スタンザとともに日産の三つ子車の仲間で、オースターがいちばん若者向けのアレンジになっていました。購入を検討していた時期は昭和53年排ガス規制後で、1気筒に点火プラグが2本ある日産Zエンジンが採用されていました。結局は購入に至らず安価なカローラに落ち着きました。 それ以降に興味を持った自動車たちの一部です。 前に書いたようにワインディングロードによく出向いていた私の用途に適した4WD車とか、車室の高さがあって使い勝手のよさそうな車を検討していました。このほかにもジムニーとかドミンゴ、スプリンターカリブ、シャレードなどなど… 結果的には、サニーカリフォルニアで平成にの時代に入り、その後は実用…

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【934】 都府県境の道で(後篇)

かつて都府県境で一時停車して自家用車の記念撮影をしていたことがあるので、そのときの写真をアップしています。今回はその後篇で、昭和末期から平成元年までの国鉄分割民営化前後+今年の画像です。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 1986年2月24日 国道168号線 奈良・和歌山県境 奈良県十津川村と和歌山県本宮町(現在は田辺市)との県境で、熊野川沿いです。現在はこの辺りには新道ができています。十津川周辺の露天風呂を巡ったあと、この県境を通り抜け、川湯温泉に立ち寄り、その日は白浜で一泊しています。このときは、国鉄の車掌時代の先輩2人との3人旅で、このあとこのメンバーでの日帰りまたは一泊の温泉巡りの自動車旅が何度か続きました。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 1987年11月12日 兵庫県道・京都府道11号香美久美浜線 兵庫県・京都府境 兵庫県豊岡市と京都府久美浜町(現在は京丹後市)との府県境、三原峠です。すぐ上に書いた白浜で泊まった温泉メンバー3人で、城崎温泉に行った帰路の撮影です。このあと加悦SL広場に立ち寄り、天橋立を経由して帰っています。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 1988年10月12日 国道18号線 長野県・新潟県境 長野県信濃町と新潟県妙高高原町(現在は妙高市)との県境です。ここも今では妙高野尻バイパスが開通していますので、この撮影場所…

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【932】 都府県境の道で(前篇)

若いころの自動車に関することは、最近の車種別連載などのほかにも、かなり前に 【12】自動車 【37】自動車による国道乗りつぶし で、書いています。 かつて都府県境では一時停車して記念撮影をしていたことがあるので、そのときの写真を2回に分けてアップします。以前使用した画像も一部使いまわしますのでご承知ください。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 1978年夏 国道158号線 長野・岐阜県境 長野県安曇村(現在は松本市)、岐阜県丹生川村(現在は高山市)との境、安房峠です。家からの日帰り周回コースを作って、単純に峠越えドライブに行ったときの撮影です。現在は峠の直下を、トンネルで県境を貫く安房峠道路が開通しています。  冒頭のサニーカリフォルニアの画像も同じ場所で、そちらは10年後の1988年6月7日の撮影です。このころは、国鉄時代に同じ職場にいた先輩たち2人といっしょに、自動車であちこちの温泉巡りによく行っていました。その日は長野県側の麓にある中ノ湯温泉の露天風呂に入りました。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 1979年8月 国道360号線 岐阜・富山県境 岐阜県宮川村(現在は飛騨市)、富山県細入村(現在は富山市)との境です。宮川沿いの谷間でしたが、この付近は現在、高山本線に並行して長いトンネルがある新道に切り替えられたようです。高山本線の列車撮影を兼ねてドライブに出かけたときの撮影で…

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【930】 天生峠越えと白川郷

紅葉の時期でもあるので、飛騨方面に家内と2人でドライブに行くことにして、直前に飛騨市内の宿を予約しました。往復で走行ルートを変えて、なるべくたくさんの道の駅を訪れ、野菜を買い回ることも目的の一つなので、高速道路は使いません。道路地図を見て思いついたルートは、往路をJR高山本線と並行する国道41号線で北上し、帰路は国道360号線~国道156号線(白川村~郡上市経由)という一周ルートでした。このうち国道360号線の飛騨市~白川村の間にある天生峠(あもうとうげ)が、例年積雪がある11月頃から6月頃までは通行止めになるので一年のうち約半分の期間は通行できません。ネット検索してみると今年は雪害箇所が数か所あり、復旧工事をするために昨年から通行止めが継続され、9月25日に開通したばかりであることがわかりました。まもなく積雪があることを考えれば、今年の通行可能期間はわずか2カ月程度というわけで、天生峠越をするにはよい機会になりました。 以前、ブログで20代の頃に峠越えにハマっていたということを書きましたが、当時も天生峠にチャレンジしたいとかねがね思っていました。しかし今より道路事情がよくありませんでしたから、当時同じ岐阜県内に住んでいたにもかかわらず日帰りが難しい位置関係にありました。それでも一度だけ郡上経由で白川村に一泊して、翌日に天生峠越えをするつもりで出かけたことがありましたが、その日のうちに急遽帰らなくてはならない事情ができて、峠の麓にある白川村荻町に着いたあと、そのまま引き返したので、峠には行け…

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【928】 アルトアレコレ

これまで私が乗り継いだ自動車を晒してきましたが、一般にクルマ好きな人がこだわることにはこだわらず、そうかといって一般受けするオーソドックスな車種選択をしない変人ぶりがお判りかと思います。 このアルト(CVT車の最低グレードの「L」)は、3年前に現金価格+諸費用で959,050円。下取り車価格30,000円とリサイクル料9,050円を差し引いて追金920,000円で購入しました。 現金払いできる範囲でしか物事を考えない私と違って、これを頭金にしてローンを組んで普通車を買う方もあるんでしょうか。前も書いたとおり私はブラックではないですが、所有権留保で自動車を買ったことは一度もありません。じゃあ、もっと現金が用意できたのならグレードの高いのを買ったのか?普通車にしたのか?と聞かれてもそうではなく、同じ車種にして差額は別の物に使うでしょう。 これも前にも書いたことですが、そのときのアルト以外の選択肢はミライースしかありませんでした。居住性、装備、経済性どれを取っても両者に大差はなく、仕事で二十数年間にわたって出張に使ってきた各メーカーのさまざまな軽自動車(すべて最低グレード車)の印象から言えば、どの時代でもいちばんクセがなく運転しやすいと思っていたのがスズキ車でありました。それまで14年半乗ったダイハツのネイキッドには不満はなかったものの、仕事で乗っていた何代目かのダイハツミラのアクセルとブレーキ操作フィーリングが最悪で最後まで馴染めなかった経験が、私の中でのダイハツ車の印象を悪くしてしまい…

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【927】 機関紙「つばめ」に見る国鉄の終末期

◆タイトルに「つばめ」と書きましたが列車の話とはまったく関係がありません。国鉄では、職員向けとして本社広報部の編集による「つばめ」というタブロイド判の機関紙が発行されていました。 たしか週刊だったと思います。個々の職場のロッカーに配られましたが、それを熱心に読みふける機会があったとすれば、給与改定があったときに掲載される新しい給料表くらいではなかったかという印象で、多くはろくに読まれもせずにゴミ箱行きになったのではないかと思います。 昭和51年5月1日付の「つばめ」です。昭和51年度の全国鉄レクリエーション各種大会の日程が決まったこと、そして折しも第400号ということで、「国鉄一家という合言葉で」という朝日新聞OBからの寄稿が第一面を飾っています。 朝日新聞OB氏の記事には「新聞に「国鉄一家」という言葉を多分に批判めいた意味で使っているが、もっともっと自分たちの職場である国鉄を愛してほしいと思う気持ちの人たちが「国鉄一家」という言葉で結びあうことは、誰にはばかる必要もない」と書かれていました。臨時雇用員だった私は、実はこの日に晴れて準職員を拝命し、新規採用職員入社式に出席しました。 そして、その第二面には、当時の交通博物館にC57 135が静態保存されることと、それまで岡崎~北野桝塚間で貨物輸送だけを行っていた国鉄岡多線の北野桝塚~新豊田が延長開業し、岡崎~新豊田間で旅客営業が開始されたことが報じられています。 私が国鉄に就職したのは、蒸気機関車が廃止された直後であり、まだ新線が…

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【926】 車検を受けました

アルトに乗り換えて3年になりますので、先日車検を受けました。 最初の車検ですから、それほど整備すべき個所は多くはないでしょうし、どうせ安い車ですから、故障して動かなくなったり危険な目に遭う確率が減ればよいので、経費をかけたくありません。 3年間で走行距離は15,000㎞。この間、エンジンオイルは1回換えただけなので、この際エンジンオイルとオイルフィルターを交換することに決めていました。いちおう10年は乗りたいので、、、 ディーラーから半年前に郵送された案内状では、 軽自動車の車検費用 :78,862円(エンジンオイルとオイルフィルター交換込) 6ヶ月以上前の予約で:▲4,320円 代車不要 : ▲2,160円 重量税免除: ▲6,600円(自分の場合はエコカー減税で0円) と、なりますので、最低でも65,782円必要です。 実はそれより前から、私は複数の車検代行業者さんの新聞チラシなどもチェックしていました。その中で、いつも給油しているGSのチラシによれば、軽自動車の車検費用:43,070円とありました。 「代車なし」「1ヶ月以上前予約」「チラシ持参」による割引3,000円適用後の金額となっていました。つまり車検基本料金が10,000円ということでした。私の場合はエコカー減税による重量税免除分6,600円を差し引くと36,470円でよいことになりますが、エンジンオイルとオイルフィルター交換は当然別としても、整備内容に違いがあることが推察されましたので、そのGSに見積を依…

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【925】 国鉄が運んだ新聞・雑誌

鉄道趣味はほんとうに幅広い分野に広がっているもので、鉄道グッズの収集をしている方も多いことでしょう。対象物はさまざまですが、車両に関係するものが人気でしょう。収集の対象にならず、あまり集めたがらない不人気なものであっても、年月が過ぎ去っていくと別の意味での郷愁を感じさせることはあります。国鉄という大組織が解体されて30年以上も過ぎると、国鉄に関する文字が入っているだけで、特に列車や車両にまったく関係のないものでも、「国鉄があったことを忘れるんじゃないぞ」と教えてくれているようにも思えてきます。このところ、そんな収集物をご覧いただいております。 *********************** 私は国鉄に就職してすぐに荷物列車の車内での荷扱業務に従事しました。荷物には、一般の手小荷物のほかに、新聞もありました。 下の画像を見ていただくと「国鉄名局特別扱承認新聞紙」とあります。 (「中日新聞」昭和60年7月31日朝刊の例) そして、こういう特別扱承認新聞紙の輸送は、積載方や輸送方が一般の荷物より優先され、輸送する列車があらかじめ指定されていました。 上の例は、東北本線の103列車(急行「北星」)に連結された荷物車に積み込まれる朝刊包数と行先明細の一部です。(昭和48年10月の通達より) また、定期刊行の雑誌も列車で輸送されていて、下の画像のように、「国鉄東局特別扱承認雑誌」の表示がされています。国鉄時代には貨物以外に「荷物輸送」があり、こうした出版物が列車によって全国に…

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【924】 自動車保険を更新

2年前から自動車保険を年間走行距離に合わせた保険料のインターネット契約にしました。以前は勤務していた会社に出入りしていた生命保険の外交員さんを通して契約していたのですが、私は、その会社を退職してから、さまざまな分野で不必要な家計の出費を見直し、自動車保険でも不必要と思われる補償を削って、最小限のオプションを付加する、つまり自動車を買うときと同じような考え方と基準を作って、割安なインターネット契約に切り替えたのです。 昨年は、条件を変えずに更新しましたが、今年2度目の更新手続きをする時期になったので、新たな契約での補償内容はこれまでのままでよいか、その保険会社のサイトを眺めていました。そこで目に留まったのは「やさしい運転キャッシュバック型」という契約でした。これは一般的な保障内容に「やさしい運転特約」を付加した自動車保険ということでした。つまりそれまでと同じ補償内容に上乗せする特約です。 「やさしい運転特約」とは、 1「やさしい運転計測特約」 2「対人諸費用補償特約」 3「人身傷害重度後遺障害時生活支援金補償特約」 以上3つの特約がセットされています。2と3については、ここに補償内容を書くことを省略しますが、興味をひかれたのは1の「やさしい運転計測特約」です。 「やさしい運転計測特約」では、急加速や急減速の発生状況を自動で計測するドライブカウンタが保険会社から送られてきます。それを契約車両に取り付けて運転すると、その結果が100点満点で点数表示され、一定期間(180…

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【921】 傾いていく国鉄~慰安会ほか

以前、国鉄時代の職場の親睦会の話を書いたことがありますが、そこで公共企業体に職員の慰安旅行などありませんでしたと書きました。しかし福利厚生事業として、私が就職したころには年に1度、夏に家族も参加できる「慰安会」というものがありました。ホールを一定期間貸し切って、芸能ショーを観るもので、その入場券が職員1人につき2枚ずつ配られるというものでした。しかし出演者は有名どころではなく、まだ20代だった私にはまったく興味をそそられるものではありませんでした。 職場に割り当てられる入場券の枚数が、日別・午前午後別に発表され、希望する日に自分の名前を書くのですが、土休日はいつも希望者が多く抽選になり、逆に平日は券が余るようなこともありました。しかし年配の方だと、家族が休みの休日に行きたいという人はおりましたので、「行かないのなら〇日の日曜日に申し込んで、当たったらわしにくれんか。」という方もあって、たいてい私はそういう方にお譲りしていました。 在職中に1度だけ参加したことがあって、そのときの入場券半券がこれです。 昭和54年8月24日  この日は、中部鉄道学園で4か月半にわたる列車掛養成を受けていた期間の最終日で、午前中に修了式がありました。午後はフリーでしたが、翌週からは列車掛見習として貨物専門の車掌区に転勤することになっていましたので、それまで所属していた車掌区に、同じ立場の者と2人で立ち寄って、転勤の挨拶をし、20日に出ていた給料を受け取り、貸与されていた物品を返納してきました。ロッカーの…

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【920】 私の自動車遍歴8 スズキ アルト L

所有自動車が軽自動車ネイキッド1台だけという生活を始めて14年半経過した2015年。この間に普通車だったらよかったのにと思ったことは特になく、まったく不自由なく暮らしてきました。岐阜県にあった実家が空き家になったことで、ますます自動車での行動範囲は狭くなりました。この際、自動車を持たずに必要な時だけカーシェアリングの活用をする生活もちょっと頭の中をよぎりました。実際に毎日が平穏無事で何事も起こらなければそれでいいのですが、いざというときにさっと乗れることが自家用車の最大のメリットですから、わが家からカーシェアのステーションまでの距離を考えると実用的ではなく、その選択肢は消えました。自家用車は使用頻度が少なくても経費がかかりますが、従来どおり自家用車を保有することにしました。 一般に60歳前後には、無駄がなく実態に合ったタイプの住まいに移り住むか、リフォームをすべき時期だと思います。退職金などまとまった金額を使える時期に、この先お陀仏になるまで耐えうる設備投資をしておくべきで、我が家では、ガス給湯器やエアコン、トイレなど、耐用年数を超えて稼働している住宅設備の取り換えをこの時期に集中して行いました。これらの取り換え後にはランニングコストが少しは軽減し、余裕がない年金生活の負担軽減に寄与するはずです。自家用車も同様な考えで、14年半乗ったネイキッドは不具合も不満もありませんでしたが、この時期に買い換えて10年ほど乗った時点で自動車も自分も耐用年数を迎え、免許証の返納をすれば合理的であります。 …

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【918】 私の自動車遍歴7 ダイハツ ネイキッド ターボG

そのまえに9年近く乗っていたスプリンターワゴンは、平均すると年間5000㎞程度しか乗らなかったことになります。年によっては1年間に使ったガソリン代が自動車税額(34500円)を下回ったこともあったほどで、そういう結果を見て思うのは、乗らなくても自動車の維持費はかなりの負担になるという事実でした。折しも家内が自動車運転免許を取得して2年ほど経っていて、買い物とかのチョイ乗りが主体でしたから、小回りが利く軽自動車にしたいという希望もあったので、軽自動車に買い替えることになり、ダイハツネイキッドを選択しました。 子供たちも成長して、家族そろって出かけることなどすっかりなくなっていましたから、2人乗れれば、後席は補助的使用として荷物室の一部という考えかたであれば、軽自動車で不便はなかろうと思われました。 ほかにもう1台乗用車があるならともかく、軽自動車に買い替えるには、多くの人々はたぶん抵抗があるのでしょうが、私はそのころ、会社に出張用として配備されていた複数メーカーの複数車種の最低グレードの軽自動車に、出張時に常時乗っていました。ちょうどこの少し前に軽自動車が新規格になって排気量や車体のサイズが大きくなり、そういう最低グレードの軽自動車でも必要最小限の性能と装備があり、車室内の空間もかなり普通車に近付いた印象を持ちましたから、軽自動車1台だけの生活を始めることに抵抗を感じませんでした。その会社の軽自動車では、さすがに高速走行時の追い越しとか、坂道での加速と速度の維持には余裕がまったくなく、ア…

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【916】 私の自動車遍歴6 トヨタ スプリンターワゴンLエクストラ

前車のサニーカリフォルニアには9年近く乗りました。日常生活に欠かせないながらも依存度は多くはなく、その後半は雨ざらしの環境で、洗車も年に1回~2回。さすがにくたびれてきたので、買い替えたのがスプリンターワゴンでした。 . サニーカリフォルニアで、ステーションワゴンの使い勝手の良さを知りましたので、4ドアセダンタイプの選択肢はありませんでしたし、ワンボックス車という選択肢も当時はありましたが、価格差と重量増は避けられず、乗用車的な運転感覚を維持したいこともありました。それ以外に車種の選択に当たっては「目立たない自動車にすること」「子連れで出かけることに支障がない大きさであること」「使用頻度が少なく、どうせ子供に汚されるからグレードは低めで十分」ということを選考基準としました。 もうこのころ私は「自動車は移動ための道具」という考え方になっていました。目立たない自動車にする理由は防犯対策で、前回書いたように、車庫がない環境で、ガラスを割られたりドアのカギ穴を壊された経験をしたからでした。カリフォルニアのウッドパネルは目立ちましたから、単なるいたずらにしても、車上狙いにしても、そういう車種は狙われやすいと思ったからです。 車体色は灰色系の紺色にして、ただの商用車を装いました。その効果かどうか不明ですが、この公営アパートに住んでいた期間は、サニーカリフォルニア時代よりこの自動車に換えてからのほうが長かったのに、そういう被害には一度も遭わずに済みました。それでもこの色は5ナンバーの乗用車仕様だけに…

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【914】 私の自動車遍歴5 サニーカリフォルニア1500SGL

これまで3台続けて2ドア車を乗り継いできて、初めてステーションワゴンに移行しました。結婚することを前提に購入したのでファミリーユースにシフトした結果でした。 購入したのは車掌をしていたころで、当時の国鉄では貨物取扱いが廃止される駅が続出しており、遊休地になった貨物ホームを駐車場として賃貸している駅がたくさんありました。いつも乗務していた武豊線半田駅でも、貨物用ホームとその周辺が月極駐車場になっていたらしく、そこにいつでも同じ位置に、白にウッドパネルを貼ったサニーカリフォルニアが線路のほうに背を向けて停められていました。乗務中の列車から、その後ろ姿を見て、私は「ステーションワゴンなんて一般にはライトバンと同格に思われがちだけれど、これこそが使い勝手が良いカタチであって、ウッドパネルによって普通のバンとは一味違う個性がにじみ出ている」と思ったのでした。 SGLよりスポーティな装備のSGXが頂点でしたが、両者の違いは、タイヤと内外装の些細な違いがあるだけで駆動系は同じで、少々SGXより安く、やや内装を充実させたのがSGLでした。実際に買って思ったのは、内装のセンスはひと昔前を思わせ、今まで乗っていたカローラのほうが格段に良かったことでした。しかし車体は決して大きくないのに、思ったとおり車室内は格段に広く使い勝手はよく、自分の用途には最適でありました。 これまでは、単独行の峠越えで、けっこうワインディングで一般車の通行が制限された林道や、落石や転落の危険が付きまとうような峠道を好んで走りに行…

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