【1377】シリーズ記事「あの年の〇月〇日」を振り返る

拙ブログは平成31年4月までで定期更新を終了しておりましたが、ブログ開設10周年だった昨年は「あの年の〇月〇日」を毎日連載してまいりました。1年間、身辺に何かあったら継続は難しいだろうと多少気にしていましたが、幸いにして大した障壁に阻まれることもなく完結できました。偶然にも新型コロナの影響で在宅時間が多く取れたからこそ、企画が1年間続けられたと言えなくもありません。 ところで、今年に入って「あの年の12月13日」の記事中、前半部分に1か月の日付誤り(1月13日が正当)を発見しましたので、該当部分を正しい日の記事に移動しました。コメント欄のほうも内容を壊さないよう留意したうえで記事移動に該当する部分を分離して、記事といっしょに移動しましたので、ご報告しておきます。申し訳ありませんでした。今後も記述の誤りや状況変化に気が付いた時点で訂正や追記はしておきたいと思っています。 シリーズ記事「あの年の〇月〇日」では、2月29日以外はその日に関係するモノやその日に撮影した過去の画像を見つけることができ、出かけた記録のない日には、昼休みに撮影していた春日井貨物の画像でごまかしながらも366回継続ができました。鉄道中心にはしましたが、以下のとおり鉄分薄めの旅行や自分の趣味の分野も取り混ぜました。 ◆決まったメンバーで何度も行ったグループ旅 会社のメンバー3人でやっていた「清酒ん18きっぷの旅」と「50代5000円でGO!」・車掌区時代の先輩2人と私の計3人で行く温泉旅・車掌区時代の鉄を中心とするメ…

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【1374】あの年の12月31日《1996年・2006年》

1996年12月31日 昨日書いた高山本線上麻生の続き(翌日)になります。実家に行って正月用の食料などの買い出しが終われば、特にすることもないので、父とうちの子供といっしょに自動車で地元の保存蒸機の様子を見に行ってきました。 恵那市に保存されているC12 74廃車後は恵那市役所の敷地内に保存してあったものが、ここ(現在地)に移設されていました。のちに、このすぐ隣に恵那市中央図書館の建物が建設されました。事故防止のためなのはわかるとしても、展示物である機関車本体にフェンスを取り付けてしまう神経が自分にはわかりません。それにしても、機関車に乗ってもいいから落っこちないようにするためなのか、機関車に乗せないためなのかの判断にも苦しみます。 明智小学校に保存されていたC12 244当時は埃を被っていましたが、ご承知のように現在は明知鉄道明智駅で圧縮空気による構内運転が行われるまでに整備されています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2006年12月31日 この日は2006年最後の日の出を東谷山(とうごくさん)山頂で眺めるつもりで、まだ夜が明けない中、閑散とした高蔵寺駅から徒歩でスタートしました。 東谷山は標高198 mで、名古屋市守山区と瀬戸市にまたがっています。山頂には尾張戸神社(おわりべじんじゃ)があり、元日は初日の出を目的とする人々がたくさん来るでしょうから、1日ずらしました。初日の出ではなく大晦日の日の出を見に来るもの好きはそ…

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【1369】あの年の12月26日《1973年・1974年・2009年》

1973年12月26日 昨日から書いている「山陰地方と北九州の蒸機撮影」で、山陰本線京都発前夜22:04出雲市行普通列車から早朝降りたのは倉吉駅でした。ここで倉吉線のC11が牽く混合列車に乗り換え、まず関金駅付近で折り返す客車列車から撮影を始めました。関金~上小鴨 倉吉~上灘 この旅のことは、以前【832】撮り鉄12か月…1973年12月「山陰・北九州蒸機巡り」で書きましたので、詳細は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1974年12月26日 昨日書いた夜行急行紀州5号で、この日の早朝に降りたのは新宮駅でした。ここから急行きのくに1号に乗り換えて行った先は御坊。紀州鉄道の気動車を撮影するのが目的でした。 非電化私鉄には強い関心を持っていましたので、このあとは藤並へ移動し有田鉄道へ行きました。 この旅は単独行でした。いっしょにSLを追いかけた仲間は、さらにSLを追いかけて北海道に渡ったり、旧形電機に転向したりと、志向がそれぞれ変わっていくのを感じていました。それよりも、受験に向けて鉄道どころではないというのが、同年代のあるべき姿だったことと思われます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・・ 2009年12月26日 この年は、前日に家内と首都圏に来ていましたが、家内だけが用を済ませてその日のうちに帰り、私だけが中山道歩きのために宿泊しました。朝、埼京線で戸田公園駅で降…

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【1366】あの年の12月23日《1991年・1992年・1993年・1994年・2005年》

平成の時代、12月23日が天皇誕生日でした。我が家では、まだ子供が幼少だった1991年・1992年・1993年・1994年に、この祝日を絡めて一泊の家族旅行をしていました。観光シーズンではないし、帰省にも早すぎるので交通機関も宿泊施設も空いていることに加えて、青春18きっぷの使用期間であることが動機でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1991年12月23日 昨日の続きです。瀬戸大橋が見える鷲羽山のホテルで泊まった2日目は、岡山の池田動物園へ行きました。 そして帰路は青春18きっぷではなく新幹線を使いました。時間短縮だけでなく100系新幹線の食堂車に乗ることも目的で、「二階建新幹線の食堂車に乗せてあげよう」と子供たちをダシに使いました。そのとき乗った食堂車のレシートの画像が、【992】変なコレクション12: レシートにアップしてあります。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1992年12月23日 昨日の続きです。奈良の興福寺五重塔が見える旅館で泊まった2日目。関西本線で名古屋方面とは逆に天王寺へ行きました。目的地は天王寺動物園でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ その翌年1993年12月23日は青春18きっぷでなく東京ミニ周遊券と往復新幹線を使って関東方面へ行きました。 湘南モノレールで江の島江の島から江ノ電で鎌倉へ、そ…

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【1365】あの年の12月22日《1974年・1991年・1992年・1994年・2002年・2012年》

1974年12月22日 こんなものが保存してあります。私は麻丘めぐみのファンではありませんでしたが、大ファンだった友人から、「いっしょに行くはずだった者が行けなくなったので、代わりに行ってほしい」と言われて買わされたような記憶です。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 平成の時代、12月23日が天皇誕生日でした。我が家では、まだ子供が幼少だったころに、その祝日を絡めて一泊の家族旅行をしていました。観光シーズンではないし、帰省にも早すぎるので交通機関も宿泊施設も空いていることに加えて、青春18きっぷの使用期間であることが旅行の動機でしたから、積極的に青春18きっぷを利用していました。 1991年12月22日は、瀬戸大橋へ行きました。 その途中、姫路で播但線の福崎まで寄り道をしてDD51が牽引する客車列車(下り12系・上り50系)に乗ってきました。播但線 福崎駅 動画からのキャプチャー画像です。 この日の宿泊先は瀬戸大橋が見える鷲羽山のホテルでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ その翌年の家族旅行、1992年12月22日に京都と奈良へ行きました。 この日の宿は自分が小学生の修学旅行で宿泊したことがある興福寺の五重塔が見える旅館にしました。消費税が3%であること、それに加えて特別地方消費税があることに平成初期を感じます。  (その翌年1993年の家族旅行は12月23日出発…

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【1363】あの年の12月20日《1999年・2004年・2012年》

1999年12月20日  1990年代後半から、M社からNゲージの蒸気機関車の模型が続々と製品化され始めていました。私は、ボイラー直径の小さいC12とかC56の製品化は難しいだろうと思っていました。それでも、ついにこの年12月に、M社からC12 66とC12199の2種類が同時にリリースされ、さっそくこの日に名古屋市内へ買いに行ったのでした。これが、その帰りに使った乗車券です。 買ったC12は、腰高で、ボイラーは太すぎるし納得できかねる作りでしたので、早々に手放しました。そのプロポーションの崩れた模型の画像は、のちにK社からすばらしいC12がリリースされたときの記事【602】KATO-N蒸機 C12~そして思うことの中に1枚だけアップしています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2004年12月20日 松屋の領収書。こんなものもコレクションです。10年前の夏に、100枚めになるときは「100枚記念に、どこか遠くの街の知らないところで食べてみる旅にでようかな?」などと書いたのですが、旅にもほとんど出ない、外食もめったにしない生活になりましたので、いっこうに行く機会がなく、現在までに集まっている松屋の領収書の数は91。しばらく行ってないなと思い、最新の領収書を見ると3年も前のものでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2012年12月20日 中央西線 春日井~勝川そしてこのころは、昼休み…

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【1346】あの年の12月3日《2005年》

2005年12月3日 愛知環状鉄道 八草駅(画像を修正加工したわけではありません。) 愛・地球博が閉幕した後、駅名が「万博八草」から「八草」に戻された八草駅の様子を見に行ってきました。 駅の規模は大幅に縮小されるため、施設の取壊し工事が進行中でした。 この縮小工事で不要となったホームの一部は、その3年後に開業した明知鉄道極楽駅にも再利用されたそうです。 工事期間中の乗車券発売施設は仮のプレハブ構造の建物になっていて、貼り紙によれば営業時間は7時15分~11時55分と15時30分~20時30分だけのようで、撮影時は日中の営業時間外でした。

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【1345】あの年の12月2日《1990年・2008年・2010年》

1990年12月2日 天竜浜名湖鉄道 三ヶ日駅 会社の所属課の忘年会を兼ねた旅行で三谷温泉に行った帰り、寄り道をして天竜浜名湖鉄道に少しだけ乗ってきました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年12月2日 JRセントラルタワーズ名古屋駅が入るJRセントラルタワーズでは、年末年始に壁面を利用したイルミネーション「タワーズライツ」を毎年実施していました。(壁面を利用したイルミネーションは、この翌年が最後になりました。) ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年12月2日 中央西線 春日井~勝川いつもの春日井貨物。 この日は紅葉色プレートで側面蛍光灯装備の異端車1089号機が来ました。

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【1343】あの年の11月30日《1984年》

1984年11月30日 専務車掌時代でした。 前日に名古屋・亀山間を2往復して名古屋泊りで、この日は名古屋・亀山間1往復する行路でした。亀山では朝食が取れるよう、折り返し間合いが1時間半ほどありました。ちょっと駅から機関区や操車場のあるほうへ行ってみました。 キハ35系 スエ71  どちらもすでに役目を終えて長期留置中のように思えました。 そして旧東海道筋の古い街並みの方へも行ってみました。琺瑯看板がいくつもありました。 下はこの日の亀山宿とその周辺で撮影した看板類を1枚にまとめた画像です。

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【1342】あの年の11月29日《2008年・2018年》

2008年11月29日は、昨日書いた中山道徒歩の旅の2日目で、高崎線上尾駅から東北本線浦和駅まで、中山道を歩きました。途中で大宮を通りますので、寄り道をしました。 早朝から歩いていたので、鉄道博物館では朝昼兼用食を含む休憩時間という設定でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2018年11月29日 岐阜県内をあちこちクルマで巡りました。 まず多治見市図書館へ。 この年は太多線開通100周年だったこともあって、「太多線の歴史」の展示コーナーが設けられていました。 そのあと、多治見市内にある虎渓山永保寺周辺の紅葉を眺めてきました。 昼食は可児の回転ずし。そのそばには100年目の太多線 (下切~可児)

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【1341】あの年の11月28日《1980年・2008年》

1980年11月28日 国鉄在職中、列車掛同期の者2人とともに、私のカローラで奈良へドライブに行っていました。前日に出発し、奈良市内で泊り、この日は薬師寺と唐招提寺に行きました。 そのときの参拝券です。 11月25日の記事で、これから9年後に行った参拝券の画像をアップしていますが、それと比べると、カラー写真もなくてシンプルな参拝券であります。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年11月28日 北鴻巣~鴻巣 一泊で中山道徒歩の旅に出ました。この日は高崎線吹上駅から上尾駅まで、中山道を歩きました。 中山道では鉄道線に並行する場面がときどきありますし、踏切で線路を横断することもよくありました。そういうところでは、どんな列車が来るか気になりますので、踏切の警報音や列車の走行音に反応してしまい、立ち止まることが増えてしまいます。

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【1340】あの年の11月27日《1982年・1988年・1995年・2010年》

1982年11月27日  自動車で道標巡りをしていました。情報も少ない中を、2つの旧道が交わる交差点などにひっそりと建っている道標を見つけることは、今でいうとスマートフォン向けの位置情報ゲームアプリのお遊びに似たものだったように思います。そこで発見した道標には、廃線跡に残された鉄道施設に出会えたときに似た思いがいたします。ここでは案内看板がありました。書いてあるとおり、この場所に道標が存在することに大きな意味があります。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1988年11月27日 昨日書いた係の旅行の話の続きで、京都の2日めです。 行願寺革堂 ここで初めて西国三十三所専用の納経帳を買いました。私にとっては西国巡礼の始まりの日であり始まりの地です。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1995年11月27日 一昨日から書いている東北地方2泊3日の一人旅3日目です。この日は大湊線と下北交通に乗ってから、東北本線の50系普通客車列車~はつかり~やまびこ~ひかり~と乗り継いで帰ってきました。 この3日間の旅については、【831】乗り鉄12か月…1995年11月 JR五能・津軽・大湊線、下北交通(リンク先は一昨日・昨日と同じ)に書きましたので、詳細は省略とします。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年11月27日 この日も、中央西線…

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【1339】あの年の11月26日《1988年・1989年・1995年》

1988年11月26日 昨日、私が配属された係で、毎年給料天引き積立して1年に1度旅行をしていたことを書きましたが、その前年も同じ係だったので、同じように旅行に行っていました。その年の行先は京都でした。 人事異動があった4月から毎月積立をして、旅行に行ける程度までお金が貯まるのがこの時期なので、係の旅行は毎年こういう時期になるわけです。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1989年11月26日 係の旅行の話が続きますが、こちらは昨日書いた1989年に奈良へ行ったときの2日目の画像です。 奈良市内、東大寺界隈にあった看板類です。観光地だけにフィルムの看板が多いです。仁丹も旅のお供でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1995年11月26日 東北地方へ2泊3日の一人旅2日目です。この日は五能線と津軽線に乗って青森に泊まりました。 この3日間の旅については、【831】乗り鉄12か月…1995年11月 JR五能・津軽・大湊線、下北交通(昨日貼ったリンク先と同じです。)に書きましたので、省略とします。

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【1338】あの年の11月25日《1989年・1995年》

1989年11月25日 これまでに何回か出てきた話ですが、このころには会社のメンバーでは西国三十三所巡礼旅が流行していました。私が配属された係では毎年給料天引きで積立をして1年に1度旅行をしていたのですが、この年の行先は奈良になりました。ただし個人的にやっていた西国三十三所巡礼ではなく一般的な観光ルートで寺院巡りという内容でした。 薬師寺 そして法隆寺の御朱印 以和為貴 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1995年11月25日 仕事を2時間ほど休んで、夕方から東北地方へ2泊3日の一人旅に出ました。この日の宿は「日本海」のB寝台でした。 この3日間のことは、【831】乗り鉄12か月…1995年11月 JR五能・津軽・大湊線、下北交通に書きましたので、省略とします。

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【1331】あの年の11月18日《1981年・2010年》

今日も、出かけたときに撮影した画像が見当たりません。 1981年11月18日 【990】変なコレクション11:交通違反はやめよう!…;;でアップした青キップの画像です。 この年2回目の速度超過による検挙でありました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ そしていつもの昼休みです。 2010年11月18日  中央西線 春日井~勝川このEF65 1068は2068に改番され、今では国鉄特急色に戻っていますし、ワム80000はすでにありません。 211系も、いずれはここから消えていくのでしょう。

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【1327】あの年の11月14日《2012年》

今日は、まともな画像が見つかりませんでした。 そういうときには、昼休みの春日井貨物。2012年11月14日 中央西線 春日井~勝川 すでにワムハチの活躍は終了し、全車コンテナ化されています。EF64 1043が大宮更新色の時代(現在は国鉄色)ですが、それもまた歴史の一ページとなりました。 この日は編成中にコンテナ輸送50周年記念のコンテナがありました。 この列車を撮影して会社へ帰る途中に、川面にカラスがたかっていました。よく見ると鯉の亡骸が。。。南無阿弥陀仏。 チベット仏教などには、鳥葬というのがあるんですね。この川には大きな鯉が放流されています。時には亀も見ますし、カラスだけでなくシラサギ、アオサギも飛来し、鴨の仲間も水浴びしています。毎日繰り返し歩く道でも、日々違う自然の営みがあります。自分もその中の一人です。近くには踏切名にもなっているお寺さんがあり、線路を挟んで反対側に墓地がありますから、おそらく明治時代に中央西線が開通したときに敷地が分断されてしまったのでしょう。 お寺の門のところに、このころには「求める心は淋しい 捧げる心はゆたか」と貼紙がありました。このお寺さんにはいつも貼紙があります。ひと月に一回くらい貼りかえられます。 「あなたの道をたどりなさい 道がなければ跡を残しなさい」 「一日の終わりに自分にもありがとうが言えたらいいね」 「小さな水溜まりも大きな空をうつす」 「今日の生き方が明日を開く」 「笑えば笑顔の花が咲く 渡るこの世は我次第」 「成功…

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【1318】あの年の11月5日《1992年・2005年・2010年》

1992年11月5日 大糸線 平岩~北小谷まだ水害による長期不通(1995~1997)になる前の撮影です。このあたりは被害が甚大だった区間で、今は河川改修が行われて川幅が変わっています。 同じ日、大糸線 平岩~小滝 この日は列車で撮影に行っていました。 帰路に買った乗車券 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2005年11月5日 中山道 落合宿~中津川宿 中山道の旅が岐阜県に入り中津川の宿場町のすぐ手前まで到達しました。この日は中津川宿中心部の手前で旅を中断して、中山道と交わる駅前通りを右に折れて中津川駅へ向かい、そこから列車に乗って実家に立ち寄ることにしました。中山道の続きは後日改めて中津川駅から再開することとなりました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年11月5日 東海道本線 名古屋駅 この日は会社に寄らず、直接家から一宮市へ出張を命じられていましたので、朝の名古屋駅で中央西線から東海道本線に乗り換えて尾張一宮駅まで行きました。朝夕主体の運用になっていた117系に出会うために、予定時刻より少し早く名古屋駅に着く中央西線の列車に乗ってこの写真を撮りました。ただし117系の列車はどちらも反対方向へ向かう上り列車でしたので乗ることはできませんでした。

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【1315】あの年の11月2日《1982年・2006年・2008年》

1982年11月2日 飯田線 千代~天竜峡 まだ紅葉が早かった天竜峡。帰路は紅葉のダートドライブで、大平峠(標高1358m)経由で帰りました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2006年11月2日 この日のことは【241】中山道宿場巡りで見た鉄道風景(9):徒歩で再訪 塩尻宿~芦田宿で書いていますが、和田峠越えをした日でした。 麓の和田宿に、その日のうちに家に帰ることができる時刻にたどり着けたときにはほんとうにホッとして、「よろずや」に立ち寄って難所踏破記念の地酒を買い求めました。 帰路は「あさま」と「しなの」の乗継でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年11月2日 父と貨物鉄道博物館へ行きました。西藤原まで自家用車で移動し、そこから三岐線で丹生川まで列車に乗りました。父は80歳になっていましたから、一緒に出掛けることがいつまでできるかわからないといつも思っていましたが、折しもこの日は修復が完成した展示車両ワ5490の積込実演が行われた日でしたので、父を誘い出しました。 父は実際に小口貨物輸送の「荷扱手」をやっていたので興味をひかれたようでした。 そして乗務した緩急車ワフ21000なども懐かしく見入っていました。

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【1305】あの年の10月23日《1982年・2004年》

1982年10月23日  このころ、鉄道が未整備だったころの交通の生き証人ともいうべき道標に興味を持ち、地元の旧街道を自動車でよく訪れていました。 恵那市槇ヶ根の道標これは中山道(上街道)と下街道との追分だった場所に残る道標です。 現国道から離れた山中にあるためか、美しい状態で残っていました。 右 西亰 大坂 左 伊勢名古屋 東から来た者のために造られています。今はこの場所から名古屋はもちろんのこと、伊勢・京都・大阪も日帰り圏内ですが、当時の人々には信じられないことでしょう。 明治8年の建立。そのとき、すでに日本で鉄道が開業していますが、この地に鉄道が敷かれるまで27年も待たねばなりませんでした。(明治35年に多治見~中津川間が開業) この道標がある場所のすぐ南側の地下を、中央西線下り線が新槇ヶ根トンネル(2761m)で貫いています。 自動車や鉄道の時代になっても槇ヶ根越えは今のように快適にはまいりませんでした。個人的な経験談ではありますが、【895】槇ヶ根越え《中央西線 恵那→武並》で書いています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2004年10月23日 長野市 善光寺山門(三門) 平成年間には毎年1回善根寺への参拝は欠かしませんでした。このころは、山門が平成大修理期間中(2002~2007年)でしたので、足場が組まれて、このような状態になっていました。

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【1300】あの年の10月18日《2000年・2008年》

2000年10月18日 この日から2泊3日で関東方面へ行っていました。ただし目的は仕事であって、ちゃんと任務を負っていました。 目的地が、東京都葛飾区と埼玉県上福岡市・新座市・浦和市・菖蒲町・加須市・草加市と、たくさんありましたので、めったに乗ることがない東武鉄道線などに乗る機会がありました。上福岡駅 初めて利用しました。 そのとき撮影した写真を見ると、のちに平成の大合併があって、当時の市町名がなくなっていることに気付きました。 上福岡市→ふじみ野市 浦和市→さいたま市 下は浦和の市街地で撮影 このほか、この日に行った菖蒲町は現在の久喜市の一部になっています。 ◆以上4枚の画像は当日(10月18日)撮影 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年10月18日 武豊線に乗って家内と半田へ行ってきました。 JR半田駅は国鉄時代の面影が色濃く残っていました。衣浦臨海鉄道から乗り入れるKE65が牽く貨物列車が到着しますと、さらにそれらしい雰囲気になりました。 帰路には緒川でいったん途中下車して、イオン東浦に立ち寄りました。買った乗車券は金山まで。中央西線内は通勤定期乗車券がありました。

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【1298】あの年の10月16日《1982年・2010年・2012年》

10月16日は鉄分が少ない特異日のようです。 1982年10月16日 長野県の御嶽山へ林道ドライブに出かけました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年10月16日 実家へ向かう中央西線の恵那~美乃坂本間走行中の列車から見る御嶽山(中央やや右側の山)この時期になると空気が澄んできて、くっきり見えるようになります。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2012年10月16日 中央西線 春日井~勝川 愛知機関区へ転属してきたEF64-1000番台の第一期生4両のうちの1両、1040号機です。いつものように昼休みに通過していく春日井貨物。 この5年前(2007年)に全般検査中の1040号機を「JRおおみや鉄道ふれあいフェア」で見たときには、こうして地元でこの機関車を見るようになるとは考えもしませんでした。 この機関車も2014年には廃車解体されました。それから、もう6年以上経ちました。。。

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【1297】あの年の10月15日《1989年・2010年》

1989年10月15日 車掌区時代の鉄を中心とするメンバーで行った信越本線横川・軽井沢間の画像です。国鉄分割民営化から2年半しかたっていませんでしたから、国鉄の面影を残した列車がまだまだ残っていました。 169系ですが、普通列車として3両編成になっています。往年の急行時代の貫禄はありません。 特急あさま189系は、まだ国鉄特急色。 お座敷列車「江戸」がEF63を先頭にして峠を下っていきます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年10月15日 伊勢正三・太田裕美・大野真澄の3人によるユニット「なごみーず」のコンサートに行きました。 鉄道も音楽も、私の世代は「昭和」がベストです。

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【1290】あの年の10月8日《1972年・2006年・2015年》

1972年10月8日 この年は日本に鉄道が開業して100年めでした。各地で鉄道100年記念行事が行われ、記念グッズもたくさん出た年でした。 その年10月7・8日に神領電車区の公開があり、私は8日に出かけました。そのときの画像は、【828】撮り鉄12か月…1972年10月「鉄道100年 神領電車区」でアップしていますので、今日は省略とします。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2006年10月8日 「中山道徒歩の旅」で、この日は下諏訪に来ていました。その日のことは、【241】中山道宿場巡りで見た鉄道風景(9):徒歩で再訪 塩尻宿~芦田宿で書きましたが、下諏訪駅から最大級の難所である和田峠の途中にある樋橋バス停まで歩いた日でした。 和田峠へ向かう国道142号線は急坂路で、あちらこちらに緊急避難所が見られます。長い下り勾配でブレーキを踏み続けることによって、ベーパーロック現象が起こってブレーキが効かなくなった場合に突っ込む場所だと思われます。鉄道ですと、用途的には車両逸走対策に通じますし、設備的な見かたをすれば安全側線のようでもあります。いずれにしても突っ込みたくない場所ですが、鉄道の場合は分岐器によって否応なしにそこに誘導されてしまうのに対し、自動車の場合は能動的にステアリング操作をして突っ込むことになりますから、それなりの覚悟が要りそうです。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2015年1…

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【1263】あの年の9月11日《1990年・1991年・2010年》

1990年9月11日 航空機に縁はないのですが、家から遠くないので子連れで飛行機を見に名古屋空港(今は県営名古屋空港)へ出かけました。常滑に中部国際空港(セントレア)が開港したのは、これより15年も先のことです。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1991年9月11日 東海道新幹線の車窓からもよく見える清州城(模擬天守) 上司と2人で出張途中に、休憩を兼ねて入場してみました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年9月11日  中央西線 恵那~美乃坂本 9月9日にアップした画像とほとんど同じ場所ですが、今日アップした画像は、その前年に実家に行ったとき撮影しています。このあたりにはリニア中央新幹線の高架橋が並行する予定になっており、工事が本格化すれば、この田んぼもなくなってしまうものと思われます。

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【1258】あの年の9月6日《1983年・2013年》

1983年9月6日 木曽御嶽山に登ってきました。Y君と前日夜に自動車にフトンを積んで家を出て、山麓にあった公園で、Y君はクルマの中で、私は遊具として置いてあった土管の中にフトンを敷いて寝ました。ご来光をそれなりの場所で見るつもりだったのに寝過ごしてしまって、中腹のスキー場のあたりで、日の出時刻になってしまい、クルマを停めて眺めました。 田ノ原からは登山道を歩き剣ヶ峰到着 そこから三の池まで行って御神水を汲んできました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2013年9月6日 関西本線 八田駅 例年、国鉄時代の友人と一献傾けるために、年に2~3回ほど八田へ行きます。集合時刻はだいたいいつも同じで、私が乗った列車が八田駅に着くとたいていDD51重連が牽く石油輸送列車が停車中でした。行き違いで出ていくその列車を見送ってから待ち合わせ場所に行くのが通例になっていますが、今年は新型コロナのため、一度も行っていません。次に行くときにはDD200を見ることになるはずです。個人的には馴染みのあるDD51が加速していくエンジン音を聞く機会としていただけに、ついに来るべき時がきたのだなという思いがします。 そして、その日の帰路、八田駅で上り列車を待っていると、反対側のホームに211系0番台の下り列車が到着し、私が乗る上り列車との行き違い待ちをしていました。 毎回、帰る時刻は一定しませんが、時には自分が乗る列車が211系0番台のこともあります…

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【1249】あの年の8月28日《2010年》

2010年8月28日 会社のメンバー3人でやっていた「清酒ん18きっぷの旅」 この日の行先は松本でした。すでにこのブログを始めていたので、そのことは、【59】清酒ん18きっぷの旅2010.8.28:松本で記事にしていますので、内容は省略しますが、その酒蔵さんにあった「つもりちがい十ヵ条」思い当たることがたくさんあります。。。。 帰路の中津川駅のホームで、そろそろ空のほうも秋らしくなってきたような… 約6年間続いた「清酒ん18きっぷの旅」はこの日が最終回となりました。2004年から2010年まで開催回数は計17回でした。

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【1247】あの年の8月26日《1969年・1982年・2005年》

1969年8月26日 中日球場特別席券この画像も含めて、当日のことは【92】中日球場アクセスの記憶……国鉄×自動車書いていますので、詳細は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1982年8月26日 明知線 明知駅すでにこの時点で明知線の貨物列車は廃止されていましたが、この日は臨時で工事列車が運転されました。定期旅客列車が停車中の本線を避け、恵那方面から下りの工事列車が副本線に入線してきました。駅員がホームのない本線との線間で通票を受け取ろうとしています。よほど暑いのか、折り返す旅客列車はホーム反対側の扉まで開放しています。 【1201】あの年の7月11日《1973年・1983年・2009年》でも明知線の工事列車について書いていますが、今回の画像はその前年に撮影したものです。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2005年8月26日 JRバス関東 長久保営業所つばめマークと、濃いブルーの塗装が国鉄バスの面影をよく残していると思います。 この日は、8月13日に休日ダイヤだったことに気付かず果たせなかった「中山道宿駅巡り」に再チャレンジして長久保宿と和田宿に行きました。 当日の帰路に乗った しなの鉄道の乗車券

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【1242】あの年の8月21日《1981年・2007年・2010年》

1981年8月21日 埼玉県中津川林道8月19日から2泊で神奈川・東京・埼玉方面のワインディングロードを走りに出かけていました。その最終日、奥秩父から長野県側へ抜ける中津川林道で素掘りのトンネルをくぐり、雲海を見ながら三国峠を越えて帰ってきました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2007年8月21日 近鉄名古屋線 近鉄八田 この日もフレックスタイムの出勤途中。結局のところ、遅くまで家で寝ていることができる性分ではないので、いつもどおりではないにせよ、かなり早めに家を出て、道草しながらご出勤というパターンはよくありました。 当然フレックスタイムの日は帰宅が遅くなるわけですが、そういう日の帰路には、定時退勤の日には見られないDD51の貨物列車がJR八田駅に停車中であったりします。そういうわけで、この日も闇の中でその貨物列車発車のエンジン音を鑑賞しています。 2007年8月21日 関西本線 八田駅 日々の通勤経路にも癒しはあるもので、つまらなく気の進まない仕事に毎日出かけられる原動力になっていたと思っています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年8月21日 中央西線 大曽根~新守山 このころの春日井貨物は新鶴見区のEF65の運用でしたが、7~9月の間はほとんど愛知区のEF64-1000が代走していました。同一機のループ運用になることがよくあり、少し前から広島更新色1046が春日…

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【1238】あの年の8月17日《1986年・2005年・2018年》

1986年8月17日 中央西線 恵那~美乃坂本お座敷列車「みやび」です。 このあと4ヵ月少々の命で、国鉄最後の年越しもかなわず、悲惨な最期を遂げるとはだれが想像したことでしょう。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2005年8月17日 メナード美術館 東山魁夷展芸術のことはまったくわからない低能人種の私が美術館に縁はないのですが、東山画伯は別格で、近くでこういう催しがあれば出かけます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2018年8月17日 尾張戸神社鉄道と疎遠になったあと、2017年から神社巡りを始めています。 大小問わず、地元はもちろん、訪れた旅先、通りがかりの小さなお社も参詣します。ルールは「必ず家内と2人で参詣すること」だけで、ほかにはありません。尾張戸神社(おわりべじんじゃ)は名古屋市守山区と瀬戸市にまたがる東谷山(とうごくさん)山頂にあり、神社巡りを始めてから100社目の神社にあたります。(複数回行ったところは数に加えません。)標高198mの山頂から名古屋市街地を見下ろします。 今年は、ステイホームなので、今のところ9社しか行けていません。

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【1235】あの年の8月14日《2013年》

お盆です。我が家でも質素ながらお盆飾りをしています。昨日は2011年に実家に帰ったときに撮影した貨物列車の画像を貼りましたが、その2年後2013年7月に父は亡くなりました。その年のお盆は四十九日前なので初盆とはならず、納骨前ということもあって、この年8月14日に、父の亡骸と家内との「3人」で、父の第二、第三の故郷とも言える稲沢と米原へドライブに行って、父の思い出の地を巡りました。使った自動車は、いつも実家で私が買い物に使っていた父名義の軽自動車ミラで、この運行をお別れ運転と位置付けました。 私の祖父は機関区の助役をしていたので、父は子供のころに、実家があった中津川のほかに2つの機関区所在地を祖父が転勤するたびに移り住んだのでした。 稲沢車掌区があったJR貨物のビル。父は長く貨物列車に乗務していたので、ここへは数えきれないほどきていました。 父が卒業した小学校。(現在は取り壊され現存しません。) 滋賀県の地酒も買ってきましたので、お供えしました。 以上、2013年8月14日撮影 ミラは後日業者さんに引き取ってもらい、父の遺骨は四十九日の法要のとき「永代納骨合祀墓」に納骨しました。

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