【1263】あの年の9月11日《1990年・1991年・2010年》

1990年9月11日 航空機に縁はないのですが、家から遠くないので子連れで飛行機を見に名古屋空港(今は県営名古屋空港)へ出かけました。常滑に中部国際空港(セントレア)が開港したのは、これより15年も先のことです。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1991年9月11日 東海道新幹線の車窓からもよく見える清州城(模擬天守) 上司と2人で出張途中に、休憩を兼ねて入場してみました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年9月11日  中央西線 恵那~美乃坂本 9月9日にアップした画像とほとんど同じ場所ですが、今日アップした画像は、その前年に実家に行ったとき撮影しています。このあたりにはリニア中央新幹線の高架橋が並行する予定になっており、工事が本格化すれば、この田んぼもなくなってしまうものと思われます。

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【1258】あの年の9月6日《1983年・2013年》

1983年9月6日 木曽御嶽山に登ってきました。Y君と前日夜に自動車にフトンを積んで家を出て、山麓にあった公園で、Y君はクルマの中で、私は遊具として置いてあった土管の中にフトンを敷いて寝ました。ご来光をそれなりの場所で見るつもりだったのに寝過ごしてしまって、中腹のスキー場のあたりで、日の出時刻になってしまい、クルマを停めて眺めました。 田ノ原からは登山道を歩き剣ヶ峰到着 そこから三の池まで行って御神水を汲んできました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2013年9月6日 関西本線 八田駅 例年、国鉄時代の友人と一献傾けるために、年に2~3回ほど八田へ行きます。集合時刻はだいたいいつも同じで、私が乗った列車が八田駅に着くとたいていDD51重連が牽く石油輸送列車が停車中でした。行き違いで出ていくその列車を見送ってから待ち合わせ場所に行くのが通例になっていますが、今年は新型コロナのため、一度も行っていません。次に行くときにはDD200を見ることになるはずです。個人的には馴染みのあるDD51が加速していくエンジン音を聞く機会としていただけに、ついに来るべき時がきたのだなという思いがします。 そして、その日の帰路、八田駅で上り列車を待っていると、反対側のホームに211系0番台の下り列車が到着し、私が乗る上り列車との行き違い待ちをしていました。 毎回、帰る時刻は一定しませんが、時には自分が乗る列車が211系0番台のこともあります…

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【1249】あの年の8月28日《2010年》

2010年8月28日 会社のメンバー3人でやっていた「清酒ん18きっぷの旅」 この日の行先は松本でした。すでにこのブログを始めていたので、そのことは、【59】清酒ん18きっぷの旅2010.8.28:松本で記事にしていますので、内容は省略しますが、その酒蔵さんにあった「つもりちがい十ヵ条」思い当たることがたくさんあります。。。。 帰路の中津川駅のホームで、そろそろ空のほうも秋らしくなってきたような… 約6年間続いた「清酒ん18きっぷの旅」はこの日が最終回となりました。2004年から2010年まで開催回数は計17回でした。

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【1247】あの年の8月26日《1969年・1982年・2005年》

1969年8月26日 中日球場特別席券この画像も含めて、当日のことは【92】中日球場アクセスの記憶……国鉄×自動車書いていますので、詳細は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1982年8月26日 明知線 明知駅すでにこの時点で明知線の貨物列車は廃止されていましたが、この日は臨時で工事列車が運転されました。定期旅客列車が停車中の本線を避け、恵那方面から下りの工事列車が副本線に入線してきました。駅員がホームのない本線との線間で通票を受け取ろうとしています。よほど暑いのか、折り返す旅客列車はホーム反対側の扉まで開放しています。 【1201】あの年の7月11日《1973年・1983年・2009年》でも明知線の工事列車について書いていますが、今回の画像はその前年に撮影したものです。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2005年8月26日 JRバス関東 長久保営業所つばめマークと、濃いブルーの塗装が国鉄バスの面影をよく残していると思います。 この日は、8月13日に休日ダイヤだったことに気付かず果たせなかった「中山道宿駅巡り」に再チャレンジして長久保宿と和田宿に行きました。 当日の帰路に乗った しなの鉄道の乗車券

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【1242】あの年の8月21日《1981年・2007年・2010年》

1981年8月21日 埼玉県中津川林道8月19日から2泊で神奈川・東京・埼玉方面のワインディングロードを走りに出かけていました。その最終日、奥秩父から長野県側へ抜ける中津川林道で素掘りのトンネルをくぐり、雲海を見ながら三国峠を越えて帰ってきました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2007年8月21日 近鉄名古屋線 近鉄八田 この日もフレックスタイムの出勤途中。結局のところ、遅くまで家で寝ていることができる性分ではないので、いつもどおりではないにせよ、かなり早めに家を出て、道草しながらご出勤というパターンはよくありました。 当然フレックスタイムの日は帰宅が遅くなるわけですが、そういう日の帰路には、定時退勤の日には見られないDD51の貨物列車がJR八田駅に停車中であったりします。そういうわけで、この日も闇の中でその貨物列車発車のエンジン音を鑑賞しています。 2007年8月21日 関西本線 八田駅 日々の通勤経路にも癒しはあるもので、つまらなく気の進まない仕事に毎日出かけられる原動力になっていたと思っています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年8月21日 中央西線 大曽根~新守山 このころの春日井貨物は新鶴見区のEF65の運用でしたが、7~9月の間はほとんど愛知区のEF64-1000が代走していました。同一機のループ運用になることがよくあり、少し前から広島更新色1046が春日…

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【1238】あの年の8月17日《1986年・2005年・2018年》

1986年8月17日 中央西線 恵那~美乃坂本お座敷列車「みやび」です。 このあと4ヵ月少々の命で、国鉄最後の年越しもかなわず、悲惨な最期を遂げるとはだれが想像したことでしょう。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2005年8月17日 メナード美術館 東山魁夷展芸術のことはまったくわからない低能人種の私が美術館に縁はないのですが、東山画伯は別格で、近くでこういう催しがあれば出かけます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2018年8月17日 尾張戸神社鉄道と疎遠になったあと、2017年から神社巡りを始めています。 大小問わず、地元はもちろん、訪れた旅先、通りがかりの小さなお社も参詣します。ルールは「必ず家内と2人で参詣すること」だけで、ほかにはありません。尾張戸神社(おわりべじんじゃ)は名古屋市守山区と瀬戸市にまたがる東谷山(とうごくさん)山頂にあり、神社巡りを始めてから100社目の神社にあたります。(複数回行ったところは数に加えません。)標高198mの山頂から名古屋市街地を見下ろします。 今年は、ステイホームなので、今のところ9社しか行けていません。

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【1235】あの年の8月14日《2013年》

お盆です。我が家でも質素ながらお盆飾りをしています。昨日は2011年に実家に帰ったときに撮影した貨物列車の画像を貼りましたが、その2年後2013年7月に父は亡くなりました。その年のお盆は四十九日前なので初盆とはならず、納骨前ということもあって、この年8月14日に、父の亡骸と家内との「3人」で、父の第二、第三の故郷とも言える稲沢と米原へドライブに行って、父の思い出の地を巡りました。使った自動車は、いつも実家で私が買い物に使っていた父名義の軽自動車ミラで、この運行をお別れ運転と位置付けました。 私の祖父は機関区の助役をしていたので、父は子供のころに、実家があった中津川のほかに2つの機関区所在地を祖父が転勤するたびに移り住んだのでした。 稲沢車掌区があったJR貨物のビル。父は長く貨物列車に乗務していたので、ここへは数えきれないほどきていました。 父が卒業した小学校。(現在は取り壊され現存しません。) 滋賀県の地酒も買ってきましたので、お供えしました。 以上、2013年8月14日撮影 ミラは後日業者さんに引き取ってもらい、父の遺骨は四十九日の法要のとき「永代納骨合祀墓」に納骨しました。

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【1233】あの年の8月12日《1989年・2001年・2006年+2020年》

1989年8月12日 中津川駅で165系臨時快速「赤沢森林」と新鋭211系5000番台普通列車実家に子供連れで行ったときに撮影。 あれから今日で31年、165系は過去のものとなり、211系にも後継車が決まっています。そしてこのときいっしょに出かけた子供は親になり、このとき迎えてくれた父はおりません。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2001年8月12日  当時の中央西線には定員制快速セントラルライナーが走っていました。この手の列車は自分には縁がないというか存在価値がなく避けたい性分なのですが、何を思ったかこの日は1人で名古屋まで乗っていました。そういう時に限って、車端部の4人ボックスに当たったりします。目的地はセントラルタワーズ内にある書店と生活雑貨店でした。続いて名古屋から定期乗車券所持区間までの乗車券を買って、こんどは家電量販店へ出かけました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2006年8月12日 実家の庭先で撮影父は毎年アサガオを育てていましたので、夏に行くと必ず掃き出し窓ごしに張られたネットのところに、たくさん咲いていました。父が亡くなって空き家になったのは、この7年後の2013年で、空き家になった翌年も落ちた種が芽を出して、ネットはないのに地面を這って花を付けていました。 今から4年前にその空き家を処分しました。その年、アサガオはもう咲かなくなっていましたが、アサガオとは別…

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【1231】あの年の8月10日《1981年》

8月初旬には、夏休みのイベントが多く、書くべきことに困りませんでしたが、一転して中旬は巷が盆休みでいちばん混雑する時期になりますので、あまり書くべきことがありません。 1981年8月10日 長野県林道ドライブ 治部坂高原から蛇峠山に向かう林道 下は阿智村側から神坂峠で県境を越えて岐阜県中津川市側に抜ける林道のうち長野県側(峰越林道)。 中央自動車道恵那山トンネルの近くです。このころ岐阜県側も含めてほとんどがダートで、それも普通の状態ではなく落石がゴロゴロあり深い轍ができた悪路で、乗用車では腹擦りまくり、雨の後は長期通行止めを覚悟しなければならないところで、それが魅力でもありました。もう長い間出かけていないので今はどんな状態なのかまったく存じませんが、Wikipediaによると、長野県側が一般車通行禁止になっているようですから、こういう県境またぎの楽しみ方は不可能なのでしょう。 どこへ行っても渋滞にうんざりするような時期でも、誰もいないこういうところは避暑には最高。神坂峠の標高は1,569mです。

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【1209】あの年の7月19日《1982年・1986年・1998年》

1982年7月19日 この日は岐阜県地方にある旧街道の石道標を探しながら、加子母村~蛭川村~八百津町をクルマで巡っていました。 (加子母村と蛭川村は、のちに中津川市に合併)加子母村万賀で撮影 右 白川街道 志らかわ やをつ 左 南北街道 つけち さか志た とあり、明治年間のものらしいです。 「志らかわ」は高山線の白川口駅が最寄 「やをつ」は名鉄旧八百津線の終点 「つけち」は旧北恵那鉄道の終点だった下付知が最寄 「さか志た」は中央西線の坂下 八百津は木曽川舟運の拠点でした。徒歩交通時代の物や人の流れがわかる遺物ですが、鉄道が開業・延長されるたびに、その流れは変わっていったのでしょう。その鉄道も道路網の発達によって地方では廃れてゆき、常識はいつも変わっていきつつあると感じます。こういうものに出会うと、廃駅跡を発見したのと似た何かが心の中で湧いてきます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1986年7月19日 国鉄の専務車掌時代で、この日は早い勤務明けでした。地酒のラベル収集をしていましたので、家に帰る前に名古屋市中川区内へ酒を買いに出かけました。この日買った酒のラベルです。流通量が少なく地元でしか入手できない酒は、直接蔵元さんを訪ねて買ってくるのがいちばん確実です。よく間違われるのですが、私が入手すべき酒は製造量の少ない高級酒ではなく、地元で消費される一般酒です。鉄道で例えれば乗るべき対象はローカル列車なのであって、あっさり…

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【1206】あの年の7月16日《2007年・2008年》

2007年7月16日 旧街道や古い商店街を歩くのが好きなほうなので、この日名古屋市内の大曽根駅から名古屋駅まで歩いてみました。そのとき北区内で見掛けたものを・・・ 名古屋市電2000形の先頭部がありました。建物と一体化していますが、ホンモノのようで、すばらしい保存方法だと思います。 これは、自動車と建物が一体化しているわけではなさそうで、車庫なのだと思われますが、近年よくある「アクセルとブレーキを踏み間違えて突っ込んだ」ように見えなくもない図です。 おもしろい屋号のお店です。 すべて2007年7月16日の撮影ですので、これらの現況は確認しておりません。 <所有者及び関係者の方へ> どの物件も、あまりに感動して、お声がけもせずに撮影してしまいました。申し訳ございません。もし不都合がございましたら削除します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年7月16日 中央西線 春日井駅 王子製紙の入換動車が貨車を牽いて入ってきました。 昨日2008年7月15日に撮影したEF65 1082が牽引する東海道の赤ホキの画像をアップしましたが、そのEF65 1082は翌日(2008年7月16日)は春日井貨物に充当されて春日井に現れました。

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【1204】あの年の7月14日《1988年・1990年》

1988年7月14日 梅小路蒸気機関車館 D51 200梅小路に行ってからのD51 200は黒ナンバーという認識なので、赤ナンバーには違和感を覚えます。本線運転に復帰して一時的に赤ナンバーになったことは記憶に新しいですが、撮影した1988年はJR発足翌年にあたります。手元にその日に丹波口駅で買った乗車券があるので、この日に行ったことは間違いないですが、赤ナンバーを見た記憶がないだけでなく、誰と何の目的で行ったのかも記憶が怪しいです。その日のネガには、京都駅で撮影した特急日本海、その日梅小路での展示運転機関車8630と、このD51 200が写っていますが、そのほかには何も撮影されていません。時期的に子供に手がかかるころなので家族で出かけたとも思えず、思い当たるのは、そのころ一人で特急「出雲」の個室にわざわざ乗りに行ったりしていた会社の同僚がいたので、彼と2人でフラッと出かけたのかもしれません。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1990年7月14日 会社のメンバーで始まった西国三十三所巡礼旅 この日で結願となりました。 名神八日市インターで降りて長命寺(第31番)・宝厳寺(第30番)・華厳寺(第33番)と巡りました。 宝厳寺は琵琶湖に浮かぶ竹生島にありますので、長浜港から船で往復しなければなりません。 華厳寺は「谷汲山」のほうが通りがよく第33番結願の地です。華厳寺では、御朱印が3つあります。オフィシャルサイトから引用すると、「三つの御朱…

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【1202】あの年の7月12日《1984年・1985年》

1984年7月12日 八ヶ岳公園有料道路を通行 そして着いた先は清里。列車に乗るでもなく、そのまま自動車で野辺山まで行って、その日のうちに帰りました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ その翌年1985年7月12日 近鉄内部線内部駅 この2~3年ほど前から新車が導入された近鉄内部線に乗ってきました。高校生の頃に行ってから2回目の訪問でした。近鉄線には疎い私ですが、このときは近鉄に詳しい人といっしょでした。現在この鉄道は「四日市あすなろう鉄道」となっています。

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【1197】あの年の7月7日《1989年・1996年・2007年》

1989年7月7日 この日は仕事で同僚と2人で名古屋市内を回っていました。途中、相方が愛知県体育館内で仕事をしている人に会う用事があるとのことでしたが、私にはまったく関係がなかったので、その間、 たまたま開催中だった大相撲本場所6日目の取組を観て待たせてもらうことになりました。 その日にもらった前日までの星取表彼の用事はほどなく終わりましたが、そのあとも予定があり観ることができた取組は、幕下のほんの一部だけでした。 そういうわけで、この幕内の取組は観ていないのですが、今になって星取表を眺めてみると、このとき東の横綱は北勝海と千代の富士、西の横綱は大乃国となっています。千代の富士は故人となりましたが、北勝海は公益財団法人日本相撲協会の現八角理事長であり、ちょっと調べてみると現在の理事を勤めておられる10人のうち8人までが、この場所の幕内で現役力士として名前がありました。 星取表で、横綱大乃国は前日5日目が不戦敗となっており、これも調べてみるとこの日から休場となっています。大乃国の引退は1991年7月場所で、その引退までの2年間をケガと病気と闘い始めたのが、この1989年7月場所になっています。 下は幕下の星取表幕下に貴花田・若花田の名前があることにも時代を感じます。この日は若花田の取組はありませんでした。前述のようなわけで、早々と愛知県体育館を後にすることになりましたが、貴花田の取組くらいは観ていこうと2人で言っていたことは記憶していますが、勝ったのか負けたのか記憶がありません。し…

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【1185】あの年の6月25日《1982年・2009年》

1982年6月25日 この日は旧街道に残る石造道標の撮影に行きました。 場所は岐阜県瑞浪市内で中央西線の瑞浪~釜戸間にあたり、下街道と中街道との分岐点ということのようです。石造道標は旧道の交差点によくあるものですが、新道ができると顧みられることがなくなり放置されます。しかし徒歩交通時代の名残として私としては興味をそそられる遺物です。 そして旧街道の古い街並みには造り酒屋さんが似合います。「いとう鶴酒造」さんは中央西線(釜戸~武並)に沿った下街道旧道に面していて、列車の車窓からよく見え、煙突があるその風景はお気に入りで、列車の中からいつでも眺めるスポットでした。冬場の早朝に湯気が立ち上っている造り酒屋さんの風景は大好きですが、現在「いとう鶴酒造」さんは酒造をされていないようで、付近の酒屋さんで「いとう鶴」を見なくなって久しいです。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2009年6月25日 6月20日に続き、EF64-0番台の撮影をしています。この日もお手軽に高蔵寺前後で撮影しています。 広島更新色で人気があった67号機。一生涯稲沢(愛知)区に所属し、国鉄時代に仕事でも関わった機関車でした。 オーソドックスな大宮更新色の51号機+77号機 

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【1184】あの年の6月24日《1973年・1985年》

1973年6月24日 6月19日の記事に書いたように、望遠レンズを使いたくてしかたなかったので、また明知線に出かけています。   美乃坂本~恵那 中津川からは逆向き単行機関車列車として恵那まで中央西線を走っていきます。   山岡~明知(現在の山岡~野志) 急こう配を停まってしまいそうなゆっくりとした足取りで近づいてくるC12は、夏なのでまったく煙がなく絵になりませんが、ブラストはなかなかのものでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1985年6月24日 酒ラベル集めの一環で、長野県内に地酒の買い出しに行きました。 その日買った酒 このころは、道中で琺瑯看板を見つけると写真を撮るようにしていました。正確な場所を記録していないのが大きな手落ちですが、2枚とも長野県辰野町小野地内だったと思います。 アースの水原弘と由美かおる、金鳥の琺瑯看板はあちこちにありました。

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【1171】あの年の6月11日《1994年・2010年》

1994年6月11日 昨日書いた車掌区時代の先輩2人と私の計3人で行く温泉旅の2日目です。 宿泊したのは奈良県にある入之波温泉でした。 ダム湖に面した急傾斜地に張り付くようにある旅館で、秘湯感が溢れます。帰りにダムの反対側から泊った旅館のほうを眺めた画像です。橋の下の方に木々に覆われた旅館があるのですが、そう言ってもわからないような立地です。 あれから26年経ちましたが、この旅館は今も営業されているようで、ホームページもあります。 そもそも「車掌区時代の先輩2人と私の計3人で行く温泉旅」は秘湯巡りからスタートしています。今は日帰り温泉旅orただの飲み会に変わっていますが、最低年1回は継続中です。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年6月11日 いつもの春日井貨物です。どうという特徴もない1069号機がワムハチを牽いてきました。10年前の日常です。 何の変哲もない日常が続くことこそが幸せというものであって、何の変哲もない日常と思えることは、実は奇跡の連続とWith a Little Help from My Friendsとで成り立っていることに気付くまで、どれだけかかったことかと…みなさんに感謝です。

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【1169】あの年の6月9日《1990年・2010年》

先週も書いたように、こういう行楽シーズンでもなく臨時列車も少ない時期は、乗務員は休みが取りやすいので、乗務員の親睦会が行われることがよくありました。 1990年6月9日 この日から一泊で列車掛の同期会が岐阜市内にあったJRの保養所で行われました。私はすでに鉄道員ではありませんでしたが、JRに採用された者が多いという関係と、土日曜が休みの転職者の都合も配慮した結果、6月の土曜日であるこの日が設定されたのだと想像します。 同期生は20代前半の時期に4か月半にわたって全寮制の学園生活を共にしてきただけに、結びつきは強かったはずでしたが、それから10年以上経過したというだけではなく、その間に国鉄分割民営化を経験して3年経っていましたから、25人の同期生の進路や立場はバラバラになってしまい、この日の同期会に参加した人数は多くありませんでした。同じ鉄道会社に採用された者どうしであっても、立場上互いに顔を合わせたくないことがあろうことは、鉄道会社とは関係のなくなった私にも容易に理解できました。こういう同期会などは共済組合の保養所を利用することが多かったものです。全国各地にこうした施設がありました。 「【862】変なコレクション9:国鉄保養所のマッチ箱など」で宿泊した施設について書いています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年6月9日 春日井~勝川 朝のホームライナー太多出勤途中にフェンスの切れ間がある地蔵川で無理やりの撮影です。 …

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【1161】あの年の6月1日《2006年》

2006年6月1日  中山道徒歩の旅で、5月14日の続きとして関ケ原宿から鳥居本宿までを歩きました。 車窓が気になる人であることは以前から書いていますが、昔から東海道新幹線に乗っていると、東海道在来線(関ケ原~柏原)の下をアンダークロスするあたりで、下り列車だと進行右側の車窓から一瞬見える民家の茅葺屋根が気になっていました。この日は、その家の屋根をすぐ際に眺めながら歩いて通過しました。(現在、その茅葺屋根の民家はないようです。) 画面左が東海道新幹線の線路で、中央付近でその上を跨いでいるのが東海道在来線の橋梁です。 道中、番場宿にあった石の道標。指さす方向は米原駅方面で「汽車汽船道」と読めます。こういうものが時代を越えて残っていることにいたく感動します。 この日、鳥居本宿まで予定どおりに歩き通して、鳥居本駅から近江鉄道に乗車して帰路につきました。

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【1160】あの年の5月31日《1997年・2008年・2010年》

1997年5月31日  東濃鉄道笠原線の廃線跡を巡っていたところ、旧市之倉口駅跡地付近に、東京窯業の入換用と思われる動車の廃車体が放置されていました。現在は復元されて、別の場所で屋根付きで保存されているようです。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年5月31日 JR東海のウォーキングイベント「さわやかウォーキング」にコースの一部だけに参加しました。この日のコースのメインが岐阜県にある花フェスタ記念公園で、公園内には列車形の遊覧自動車(ロードトレイン)が走っていました。どうでもいいことではありますが、色違いで2種類があり、見比べると装備が違っているのがわかります。青いのが「夢ポッポ」、赤いのが「花ポッポ」と命名されているとのこと。 「夢ポッポ」にシリンダとロッドが表現されているのに対し、「花ポッポ」はゴムタイヤ丸出しですが、これはインサイドシリンダという設定でしょう。色替えだけでなくちゃんとスタイルが変えてあるのがエライです。しかし鉄道車両のスタイルをどれだけ真似ても、レールがないことだけで、興味がそがれるのはなぜでしょう。上の入換動車も、足元の草むらのなかにレールが隠れているわけではなさそうですが、あるべきレールがないのと、もともとレールがなくてもよいのとでは、まるで想いが違ってきます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年5月31日 昼休みに通過していく春日井貨物 こ…

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【1143】あの年の5月14日《2006年・2015年》

2006年5月14日 中山道徒歩旅に出かけています。この日は美濃赤坂駅で下車し、西へ向かって歩き始めました。 東海道本線 垂井~関ケ原間。 線路の手前の松並木があるところが旧中山道です。「中山道」歩きをしているのに並行する鉄道はJR「東海道」本線で、線路名称が実態と一致しません。鉄道と旧東海道とがぴったり並行していない区間は多々あるにしても、名実ともに東海道本線と言って差し支えないのは東京~熱田間と草津~京都間ということになるでしょう。 この日の徒歩旅は赤坂宿~垂井宿~関ケ原宿まで。 関ケ原駅の跨線橋です。3本のホームを結ぶ長い跨線橋は国鉄駅の面影を残し、いい味を出しています。 まだお昼前でしたが早朝から歩きましたので、この日はこれで終了。列車に乗ってとりあえず大垣まで戻りました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2015年5月14日 2015年5月12~14日に松江~出雲大社、境港を巡った旅の帰路、14日に乗った特急「やくも18号」の特急券です。 この旅のことは、「【595】山陰旅行の今と過去1:特急やくも号」から「【605】山陰旅行の今と過去6:車内放送」まで6回にわたって以前に書いていますので、前日・前々日を含め、内容は省略とします。 歩いて旅する中山道 六十九次の宿場&街道歩きを楽しむ [ ウエスト・パブリッシング ]価格:1980円(税込、送料無料) (2020/5/11時点)楽天で購入 KATO …

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【1119】あの年の4月20日《1996年・2008年》

1996年4月20日 長年使っていたカメラが壊れたので新しいカメラを買い、このときからレンズもやっとオートフォーカス+ズームになりました。さっそく名古屋駅ホームで試し撮りをしました。 このころの名古屋駅では、東海道本線の普通列車は211系3両もあたりまえ。しかも美濃赤坂行。113系は中央西線の列車です。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年4月20日 瀬戸市内で恒例の陶祖まつりが開催され、催し物の一つとしてボンネットバスが市内を走りました。 この日の帰りに、JR東海バスの車庫の前を通りがかりました。瀬戸市には国鉄バス時代からバスの車庫と駅がありました。ガイドウェイバスの車両もいます。 私は国鉄退職後、瀬戸市内に勤務していたことがありましたので、この車庫に隣接する営業窓口でJRの乗車券類をときどき買っていました。国鉄バス時代の「瀬戸追分」駅のなれの果てということなのか、マルス端末があってオバチャンが発券しておられましたが、バスの定期券や新幹線の乗車券類くらいしか売れないだろうと思われるところでしたから、あまり発行することがないだろうと思われるマイナーな周遊券とか、企画乗車券、変な経路の連続乗車券を所望する私は迷惑な存在だったかもしれません。現在はJR東海バスが一般路線バス事業から全面撤退し、車庫とともに、この窓口も廃止されてしまいました。

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【1104】あの年の4月5日《1992年・2008年》

1992年4月5日 東海道本線 尾張一宮駅  東海道本線から樽見鉄道に直通する臨時快速「薄墨桜」 子供に、ちょっとだけブルートレインに乗ろう(半分ウソ?)などと言って、名古屋から尾張一宮まで乗ってきました。尾張一宮で乗る客はあっても、この列車から降りたのはもちろん我々親子だけでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年4月5日  この日は実家に行く途中に恵那駅に立ち寄りました。目的は東濃鉄道のボンネットバスを見るためでした。ツアー客専用なので乗車はできませんが、子供のころいつも見ていた東濃鉄道旧塗色のボンネットバスには郷愁を覚えます。昔はもっとたくさんのバスが駅前に並んでいて、いつも乗る中津川行のほかに、行ったこともない行先の字幕を表示したバスを見るのが楽しみの一つでした。

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【1100】あの年の4月1日《2006年・2011年》

今日から新年度ですが、新型コロナウイルスの影響で、例年とは違った新年度をお迎えの方々が多いことと思います。この災難が一刻も早く終息することを願っています。。。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ ということで、何かと行事のある新年度の初日にわざわざ写真を撮りに、あるいは列車に乗りに行ったことはないようで、今日はめぼしい画像がありません。 出てきたのは、「清酒ん18きっぷの旅」のメンバーで催したお花見の画像です。 2006年4月1日 そのお花見当日の画像です。公園の奥のほうで、人がそれほど来ないこの池の堤防にあった桜の木の下が会場になりました。 この池がある公園は、のちにメンバーの中で「首吊り公園」と通称されるようになりました。 (「首吊り公園」の通称が使われるようになった事情は【157】「50代5000円でGO!」番外編?で書いています。) 近くのスーパーで調達してきた食い物を広げています。左上の串物はメンバーの奥さんが作ってくださったものです。当時はにわかにカップ酒が流行していた時期で、そのスーパーで買ってきたカップ酒の種類はこんなにたくさんありました。なんでも、その奥さんはスーパーの常連さんで、お店の売り場担当者さんに、並べる商品の希望などを逐一伝えていたそうで、カップ酒の種類をぜひ増やしてほしいなどと進言してくださった効果でもありました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 201…

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【1090】あの年の3月22日《2008年》

今日は鉄分がありません。 2008年3月22日 この日はJR大曽根駅からJR春日井駅まで歩いてきました。 ここがこの日の出発点となる大曽根駅。 この徒歩旅は名古屋にある熱田神宮から長野にある善光寺まで徒歩でつなぐ行程の一部という位置づけでした。しかし後に行程を大幅に短縮し、実家があった中津川に終点を変更しましたが、それすら現時点に至るも未達成となっています。 できるだけ旧街道を歩くのが原則としていますが、国道19号線そのものを歩かなければならない部分もあります。徒歩交通の時代を偲ぶことは困難ですが、このような造り酒屋さんがルート上にあると、旧街道が吸収されているのだろうと納得もします。 「金虎」名古屋市北区 金虎酒造さん(弘化二年(1845年)創業) 「東龍」名古屋市守山区 東春酒造さん(元治二年(1865年)創業) 日本酒ではありませんが、アサヒビール名古屋工場も遠望できます。工場の手前に見える橋梁は中央西線のもので、かつて工場と新守山駅とは専用線で結ばれ、製品が鉄道輸送されていました。 旧街道を歩くと、わずかながらも大きく古い民家が残るところがあったり、昔ながらの商店街もあります。ここでは、昔から鉄道模型も扱っています。 この日の終点、春日井駅。 現在は橋上駅に変貌しています。 このあと、この旅は続いてはいますが、諸事情で愛知岐阜県境となる内津峠の手前にある内々神社までで中断しました。4年後の2012年に再開して中央西線釜戸駅まで踏破したところで再び…

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【1084】あの年の3月16日《1978年・1989年・2010年》

1978年3月16日 初めて買ったB110サニーをこの日TA17カリーナに入れ替えました。当日、中古車センターで下取り車B110サニーと新たに買ったTA17カリーナを並べて撮影しました。 なぜかサマーセールの看板がありますが、昨年使ったものが保管してあったのではないかと思われ、撮影日が夏場だったわけではありません。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1989年3月16日 このころよく車掌区時代の先輩2人と私の計3人で温泉旅に出かけていました。この日は私の勝手な希望で、当時ハマっていた西国の寺院巡りに付き合わせてしまいました。 第3番 粉河寺・第4番 施福寺(槇尾寺)・第5番 葛井寺 施福寺は階段のある山道を1㎞ほど登らなければならない難所でしたが、先輩たちは付き合ってくれました。このとき宿泊したのは竜神温泉でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年3月16日 関西本線 春田~八田 このころは名古屋市中川区内に通勤していました。この少し前から45分間だった昼休みが1時間に延長されましたので、JR関西本線と近鉄名古屋本線沿線まで行って帰ってこられる時間的余裕ができましたので、ときどき出かけるようになりました。 あたりまえにDD51が来る時代でした。それから10年…このあとの去就が注目されるようになりました。

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【1068】今年の2月29日《2020年》

過去50年に遡っても、2月29日に撮影した画像が一枚も見当たりません。 他の日と違って、閏年にしかない2月29日は4年に一度しかないのだから致し方ありません。それと、2月は他の月より日数が少ないので月末締切の仕事が集中して、なかなか遊びには行きづらかったのかもしれません??? てなわけで、今日、2020年の2月29日のスチール棚の様子です。 天気は良くないし、新型コロナウイルス騒動の中にあります。午前中は某所の運営推進会議が予定されており、この時期ですから中止か延期かと思ったら、異論が出る中、中止されることなく短縮形で行われました。 不要不急の外出はしたくないので、会議が終わった後は直ちに帰り、午後は引きこもり。 明日は、孫娘が来ることになっています。まだ2歳なのですが、「しんかんせん」がお好みです。けれどジイジの家には新幹線はありません。ジイジが幼いころは、こういうのが特急だったのですから。 以前、いつもはC12やキハ52が走っているスチール棚のレイアウトを孫娘に見せたところ、当然ながらまったく受けが悪かったので、明日に備えて急遽代走の国鉄151系電車を投入し、本日試運転をしました。上の棚にあるレジェンドコレクションの151系をここで走らせる勇気はありませんので、Bトレです。適当な台車がなく、コイルバネの台車を履いています。 あとは彼女がリアルで見ているJR東海313系と愛環2000系も加えることにしま…

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【1064】あの年の2月25日《1973年・1986年》

1973年2月25日 明知線へC12を撮影しに出かけました。 いつもはお手軽に恵那~東野間で撮影していたのですが、この日は終点の明知まで行ってみました。 山岡~明知間のサミット付近。 撮影者はほかにも何人かいたので、ドレーンのサービスがありました。中途半端に折れた木が目障りですが、もとから折られていました。撮り鉄の行いについては半世紀前から褒められないことばかりです。そういうところに身を置くことが嫌になったのも、撮り鉄から遠ざかった理由の一つにもなっています。 明知~山岡 折返しの上りは、逆向き。タンク機のバック運転はとても好きです。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 国鉄末期、同じ車掌区の先輩2人と私の計3人で行く温泉旅を始めました。この旅は自動車で出かけることを原則としていました。 その第一回目が1986年2月24~25日で、その1日目は十津川温泉と川湯温泉を巡る紀伊山地の山岳ルートを経由して、宿泊地は南紀白浜温泉でした。温泉はその日だけで、2日目となる2月25日は、海沿いを紀勢本線に沿った国道42号線を使って帰ってきました。 適当な駅で休憩したりもします。田並駅 このころ、すでに日本酒のラベル収集を始めていたので、この旅では地酒をたくさん買えました。 こういう看板も気になる質なので写真を撮ります。

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【1057】あの年の2月18日《1989年・1990年》

昨日の続きになりますが、会社のメンバーで始まった西国三十三所巡礼旅で1989年2月17日に新宮で泊った明くる2月18日は、レンタカーを借りて青岸渡寺(1番)・阿弥陀寺(番外)を巡りました。 そのあとは紀勢本線の列車で紀三井寺(2番)へ移動 さらに列車で天王寺へ移動し、四天王寺にも参拝しました。 鉄道を使った西国三十三所巡礼旅はこの回だけでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ こちらも昨日の続きで1990年の北海道行き、2月18日は釧路から特急おおぞらで札幌、そのあと小樽に向かいました。途中でニセコエクスプレスに追い越されます。 客車列車は残っていましたが、乗ることはできませんでした。小樽では運河のあたりまで散策しただけで、数の少ない山線経由の普通列車をつかまえて長万部泊り。 ◆この北海道行きのことは、【768】乗り鉄12か月…1990年2月「初めての北海道」で書いた内容と重複します。画像だけはなるべく未公開のものを使うようにしていますので、ご容赦ください。

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【1032】あの年の1月24日《2009年》

2009年1月24日 日帰りで敦賀まで車窓からの雪見に出かけました。 この日は土曜日だったのでJR東海の「青空フリーパス」を使用して米原へ。 米原から乗った北陸本線の列車です。 米原から先は「青空フリーパス」のエリア外になるので、車内で別途乗車券を購入。道中の雪はそれほどでもなく、やや期待外れでした。 帰路に大垣と尾張一宮で途中下車。 尾張国一宮である真清田神社に遅い初詣。しかも夕方の遅い時刻で人もまばら。雑踏嫌いな私には理想的な状況です。 参道商店街は昭和チックな雰囲気が漂います。画像右の店はちょっと気になりますが、家内が同行しているから寄りません。

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