【1387】 鉄コレ52系飯田線スカ色4両セットとスチール棚の現況

8~9年も前に購入したまま、長らく手を付けることなく放置して段ボール箱の中に眠っていたTOMYTEC鉄道コレクション「国鉄52系1次車飯田線(横須賀色)4両セット」「国鉄52系2次車飯田線(横須賀色)4両セット」を、先月になってNゲージ化改装したうえでスチール棚のひな壇に展示しましたので少し触れておきます。改装したと言っても、パンタグラフを金属製に交換し、カプラー・車輪をNゲージ用に取り換え、ウエイトを載せて補重しただけのことです。今では市場には車両はもちろんのこと、対応する動力ユニットも在庫切れのようですので、2編成とも現状は無動力です。しかし当面走らせることはないので無問題であります。 《2021.10.17追記》メーカーより「対応する動力ユニット(TM-17 動力ユニット20m級用B2)は2022年3月再生産」とのアナウンスあり(^^♪ この2つの4両セットは、どちらも先頭車と中間車がそれぞれ同じ形式2両ずつセットされていますが、同じ形式であっても各車の細かい違いが作り分けされていることに、このたびNゲージ化の工作をしていて初めて気が付き、「たかが鉄コレ、先頭車2両と中間車2両はそれぞれナンバーの印刷以外は同じ車体なのだろう」という認識を改めることになりました。その違いについて書いておきます。 はじめに「国鉄52系1次車飯田線(横須賀色)4両セット」から。 内容は「クモハ52001+サハ48021+サハ48024+クモハ52002」です。すべて狭窓で、紙箱には「32系サハ…

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【1385】 DD51の思い出(8 最終回) 稲沢のDD51人生いろいろ

長々とこのシリーズを続けてしまいましたが、今回で最終回となります。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 私が乗務した列車を牽いてくれたDD51は、ほとんどが稲沢第一機関区(のちに稲沢機関区)の所属で、一部の列車では亀山機関区の所属でした。いちばん多くDD51のお世話になったのは貨物列車の列車掛時代(1980年を中心とした約1年半)であったことは、以前にもこのシリーズ記事の中で書きましたが、その当時の稲沢第一機関区に配属されていたDD51について、1980年版(3月31日現在)の国鉄車両配置表で確認しておきましょう。 《稲沢第一機関区配置DD51=27両》 661 662 712 713 714 717 746 749 750 751 816 817 818 819 820 821 822 823 824 825 826 889 890 891 892 893 896 自分の乗務記録と照合すると、貨物列車乗務時代に27両すべてに乗務列車を牽いてもらっています。 それから5年後の1985年版(3月31日現在)の国鉄車両配置表ではどう変化しているでしょう。 《稲沢機関区配置DD51=33両》 555 556 557 558 587 588 589 590 591 592 712 713 714 746 749 750 751 816 817 818 819 820 821 822 823 824 825 889 890 891 8…

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【1384】 DD51の思い出(7)愛知機関区DD51 825

JR貨物愛知機関区所属のDD51の定期運行がこの3月のダイヤ改正で終了しました。 今から2年前に「【983】稲沢にて ~DD51 890に寄せて~」の記事で、稲沢生え抜きのDD51 890号機と891号機のことを書きました。その2両はその後、解体されています。その記事の最後に、私は「愛知機関区で稼働しているDD51はあと数両となりました。稼働機の中には稲沢第一機関区時代から在籍する825号機もいます。終焉までに一度くらいはDD51の「生エンジン音」を聴きに関西本線に出向こうと思っています。」と書いたのですが、その後、825号機は休車になったらしく、あれから一度もDD51に会いに出かけることがないまま愛知機関区のDD51は終焉を迎えました。それでも825号機は稼働機ではなかったとは言っても稲沢生え抜きの最後の1両であったことには違いなく、縁があった者として感慨深いものがあります。 DD51 825は1970年9月8日に三菱重工業で製造された機関車です。1970年と言えば大阪万博が開催された年で、この年10月からは国鉄の「DISCOVER→JAPAN」キャンペーンが始まり、首都圏では高島線のSL廃止イベントで東京駅からD51 791が運転されています。こうしたSLブームの真っただ中でDD51 825は誕生していました。中京圏でも東海道本線の名古屋~米原間でD51が牽くSL臨時列車が、DD51 825の新製日の一週間後となる9月15日から運転されたということですので、あるいはDD51 825の配…

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【1383】 DD51の思い出(6)展示機関車・保存機関車との出会い

JR貨物愛知機関区所属のDD51の定期運行がこの3月のダイヤ改正で終了しました。 DD51とはいろんな立場で関わりがありました。前回は旅先で見た「列車の先頭に立つDD51」の画像を集めてみましたが、今回はイベント会場で展示されていたDD51や、博物館などで保存展示されているDD51の画像を集めました。 (過去の記事で紹介したことがある再掲載画像を含みます。) ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ まずは、イベント等で展示されていたDD51から見ていきましょう。 1986年5月1日 DD51 891 笹島(再掲画像) 愛知県に鉄道が敷設されて100年になるということで、国鉄末期の春の大型連休中7日間にわたって旧笹島貨物駅で「愛知の鉄道100年フェア」というイベントがありました。その中でDD51運転室の試乗会が行われ、構内を往復していました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ お召列車けん引機が、イベント時にお召装備を再現して展示される例はよくあります。 1987年8月22日 夏休みの稲沢機関区公開イベントに行ったときには、EF64 77とDD51 820との並びで展示されていました。(再掲画像) ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2005年5月28日に出かけた恒例のJRおおみや鉄道ふれあいフェアでは、大宮総合車両センターでJR東日本のお…

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【1381】 DD51の思い出(4)高山本線のDD51から見えてくる鉄道の移り変わり

JR貨物愛知機関区所属のDD51の定期運行がこの3月のダイヤ改正で終了しました。 DD51とはいろんな立場で関わりがありました。以前にブログ記事内やコメント欄に書き込んだことと重複することもありますが、今回は撮影対象とした立場で、高山本線で走っていたころのDD51について書いていきます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 高山本線では、昭和42年度から3か年をかけた輸送近代化計画が実施され、そのなかで客車列車は気動車化、貨物列車はDD51によって無煙化を早期に達成した近代化線区でした。ここではDD51が国鉄分割民営化後まで長きにわたって使用されていました。主に国鉄時代に高山本線で撮影したDD51牽引列車の編成から、貨物列車と臨時旅客列車に分けて、昭和50年代中期から国鉄改革をはさんで21世紀を迎えようとしていた時期までの鉄道の変化を見ていこうと思います。 まずは貨物列車からご覧いただきましょう。 1979年2月24日 少ヶ野(信)~焼石 組成された貨車の種類がさまざまです。これは中間駅で貨物扱いをする駅が多く、途中駅で連結解放を繰り返していたことを現しています。もちろんこのころには岐阜・富山間全線にわたって直通する貨物列車の設定があり、昔からずっと続けられた全国ネットの鉄道貨物輸送があった時代のDD51の姿です。 1984年10月26日 鷲原(信)~下油井 国鉄も末期に近づいてくると、貨物取扱駅が集約されてゆき専用列車化が進み…

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【1380】 DD51の思い出(3)旅客列車の乗務員時代

JR貨物愛知機関区所属のDD51の定期運行がこの3月のダイヤ改正で終了しました。 DD51とはいろんな立場で関わりがありました。以前にブログ記事内やコメント欄に書き込んだことと重複することもありますが、その関わりについて関連する過去記事へのリンクを貼りながら進めています。今回は私が国鉄在職中の後半にあたる旅客列車乗務員時代のDD51のことを書いていきます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 列車掛を1年半ほど経験したあと、旅客列車ばかりに乗務する車掌区に転勤しました。それまでは貨物列車専門の車掌区に配属されていたため、車掌としての資格はありながら「車掌」の職名ではありませんでした(客車列車も乗務する車掌区だと「車掌兼列車掛」という職名)が、貨車の検査業務はしないことになり、職名は「車掌」で、初めて赤い腕章を貸与されました。時は関西本線の亀山電化を翌年に控えた1981年。関西本線には旧形客車列車がまだ残っており、稲沢第一・亀山両機関区のDD51が旅客列車をけん引していましたので、ここでも関西本線名古屋~亀山間でDD51が牽く列車に乗務する機会がありました。ただし自分が乗務する列車には亀山機関区の運用はなく、さらに旧形客車列車には暖房用の蒸気発生装置(SG)が必要ですので、稲沢第一機関区配置のDD51のうち過半数を占めていたSG非装備の800番台とは仕事上での関わりがなくなってしまいました。 関西本線で旧形客車列車を牽くDD51の画像は【64…

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【1379】 DD51の思い出(2)荷物列車・貨物列車の乗務員時代

JR貨物愛知機関区所属のDD51の定期運行が、この3月のダイヤ改正で終了しました。 DD51とはいろんな立場で関わりがありました。以前にブログ記事内やコメント欄に書き込んだことと重複することもありますが、その関わりについて関連する過去記事へのリンクを貼りながら進めています。今回は私が国鉄在職中の前半にあたる荷物列車・貨物列車の乗務員時代にあったDD51との出会いについて書いていきます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 私は1976年に国鉄に就職し、国鉄が分割民営化されるまで11年間車掌区で乗務員をしていました。その間、乗務掛(荷扱)~車掌補(荷扱)~列車掛~車掌~専務車掌(客扱)と職名が変わり、勤務先も2度変わりましたが、すべての職種で、稲沢第一機関区(稲沢第二機関区と統合後は稲沢機関区)と亀山機関区のDD51に、乗務した列車を牽いてもらう機会がありました。 就職直後の約3年間は荷物車の荷扱乗務員でした。職名はその間に乗務掛(荷扱)から車掌補(荷扱)と変わりましたが、仕事の内容は荷物車内での荷物の仕訳作業でした。就職した時点でDD51が牽引する列車に乗務したのは関西本線の名古屋~亀山~百済(現百済貨物ターミナル)の間でした。過去記事「【478】思い出の乗務列車39:関西本線 荷44~224列車(前篇)」では、新堂駅で撮影したDD51が牽引する荷44列車の画像を掲載しています。また、「【370】思い出の乗務列車19:紀勢本線921列車(前…

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【1378】 DD51の思い出(1)全線電化前の中央西線

JR貨物愛知機関区所属のDD51の定期運行がこの3月13日のダイヤ改正でなくなりました。国鉄型車両が地元で見られなくなっていくのは寂しいですが、車齢から考えても世代交代になるのは致し方ないことで、よくぞここまで生き延びてくれたと思います。 一昨年2019年11月11日 愛知機関区横の側線で解体を待つDD51 1146 と1147 彼らは鷲別から転属した道産子A寒地仕様機でした。 自分にとってDD51とはいろんな立場で関わりがありました。以前にブログ記事内や、そのコメント欄に書き込んだことと重複することもありますが、その関わりについて関連する過去記事へのリンクを貼りながらDD51との接点や想いなどを数回に分けて書き留めておこうと思います。今回は私が国鉄に就職する前に、中央西線で日常的に見ることができたDD51についてです。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ ディーゼル機関車というものを初めて見たのは1966年の篠ノ井線でした。その日のことは「【867】52年前の家族旅行を辿ってみる」で少し触れていますが、そのとき自分が乗った列車を牽いていた赤い機関車は、おそらくDD51だったと思います。その日は赤い車体だったことを確認しただけなので、凸型の特徴ある外観を間近に見て、ずいぶん変な形の機関車だと思ったのは、その少し後で、地元中央西線の旅客列車の無煙化用として稲沢第一機関区に配置されたDD51を地元で見たときでした。当初は稲沢第一機関区に5両、2ケ…

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【1373】あの年の12月30日《1971年・1982年・1996年》

1971年12月30日 中学生の頃撮影した画像です。 名鉄瀬戸線の地平時代の大曽根駅に留置されていたデキ202。 これも名鉄瀬戸線の地平時代の大曽根駅。このワフ39は予備車なのか、いつもこの位置に留置されていました。手ブレーキのカバーがある緩急車は私鉄っぽくて、私のお気に入りでした。 森下~大曽根間 モ750形 この日のネガを見ると、大曽根駅とその周辺で撮影した瀬戸電関係5コマ。この前に1コマ、後ろに3コマ分の露光していない部分があるのですが、これだけを撮影しに来たとは思えないので、もしかしたらコンパクトカメラゆえにレンズキャップを外さずに肝心な被写体を撮り逃していたのではないかという気がします。カメラを買ってまだ3本目のカラーフィルムで、大曽根に来た本来の目的も今となっては何だったのかさっぱり記憶にありません。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1982年12月30日 自動車で飯田線に来ていました。飯田線は南北に長い路線ですが、どちらかというと愛知県内の撮影にはあまり行ったことがありませんでしたので、同県内の有名撮影地を訪ねました。 飯田線 長篠城~鳥居 飯田線 野田城~東上 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1996年12月30日 例年、この日は岐阜県の実家へ行く日になっていました。この年は、その途中に自動車で少し遠回りをして、高山本線上麻生駅前に保存さ…

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【1372】あの年の12月29日《1973年・2000年・2002年》

1973年12月29日 12月25日から書いている「山陰地方と北九州の蒸機撮影」 この日は北九州での撮影でした。 後藤寺線 起行~船尾 筑豊本線 東折尾~中間 この日までで撮影日程は終了し、その夜の急行「阿蘇」のスハネ16に乗って、翌日名古屋に着いています。 この旅のことは、以前【832】撮り鉄12か月…1973年12月「山陰・北九州蒸機巡り」で書きましたので、詳細は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2000年12月29日 名鉄電車・バス全線乗り放題の「1DAYフリーきっぷ」を使って、ふだん乗ることがない名鉄電車の支線区間へ乗りにいきました。 <当日乗った名鉄電車のルート> 上飯田―犬山―新可児―明智―八百津(折返し) 八百津―明智―御嵩(折返し)―犬山―新岐阜―(田神経由)―新関(折返し)―野一色―徹明町―美濃北方―黒野 黒野―谷汲(折返し)―黒野―本揖斐(折返し)―黒野―岐阜駅前・新岐阜―金山 この9日後、年が明けて2001年1月7日に、再び「1DAYフリーきっぷ」を使って名鉄線乗り鉄の続きをやっています。 (【1015】あの年の1月7日《1974年・2001年》で触れています) ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2002年12月29日 昨日の続きになります。北九州乗り鉄旅の2日目です。 <当日の行程> 久留米―夜明―田川後藤寺―新飯塚―…

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【1371】あの年の12月28日《1973年・1981年・2002年・2003年》

1973年12月28日 12月25日から書いている「山陰地方と北九州の蒸機撮影」 山陰本線 三見~玉江 山陰本線 長門市駅 このあと九州入りしましたので自由周遊区間から出ました。 この旅のことは、以前【832】撮り鉄12か月…1973年12月「山陰・北九州蒸機巡り」で書きましたので、詳細は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1981年12月28日 車掌時代のことですが、乗り鉄の同僚に誘われて名松線に乗りに行ったのがこの日でした。当日はキハ55+キハ30という2両編成で1往復してきました。そのときの画像を【685】JRダイヤ改正で思いだすこと⑥~名松線で、アップしていますので、今回は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2002年12月28日 この日から1泊で北九州へ乗り鉄旅に出ています。 <当日の行程> ―(新幹線)―小倉―(ソニック13号)―大分 大分―由布院―久留米(泊) 久大線 由布院この日の目的は久大線の初乗りでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2003年12月28日 昨日の続きで、1泊での山陽・四国へ乗り鉄旅2日目です。 <当日の行程> 倉敷市―(水島臨海鉄道)―三菱自工前を往復 倉敷駅―(バス)―JR児島駅 児島―多度津―琴平 琴電琴平―(琴電)―仏生山―(…

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【1370】あの年の12月27日《1973年・2003年》

1973年12月27日 一昨日から書いている「山陰地方と北九州の蒸機撮影」 江津駅に停車中の三江北線貨物列車。(集煙装置付C56 126) 山陰本線 鎌手~岡見 山陰本線 宇田郷~須佐 この旅のことは、以前【832】撮り鉄12か月…1973年12月「山陰・北九州蒸機巡り」で書きましたので、詳細は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2003年12月27日 この日から1泊で山陽・四国へ乗り鉄旅に出ています。 <当日の行程> ―(新幹線)―京都―(スーパーはくと3号)―郡家 郡家―(若桜鉄道)―若桜―(若桜鉄道)―郡家 郡家―(スーパーいなば6号)―岡山―清音 清音―(井原鉄道)―神辺―福山―倉敷(泊) この日の目的は、若桜鉄道と井原鉄道初乗りでした。

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【1369】あの年の12月26日《1973年・1974年・2009年》

1973年12月26日 昨日から書いている「山陰地方と北九州の蒸機撮影」で、山陰本線京都発前夜22:04出雲市行普通列車から早朝降りたのは倉吉駅でした。ここで倉吉線のC11が牽く混合列車に乗り換え、まず関金駅付近で折り返す客車列車から撮影を始めました。関金~上小鴨 倉吉~上灘 この旅のことは、以前【832】撮り鉄12か月…1973年12月「山陰・北九州蒸機巡り」で書きましたので、詳細は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1974年12月26日 昨日書いた夜行急行紀州5号で、この日の早朝に降りたのは新宮駅でした。ここから急行きのくに1号に乗り換えて行った先は御坊。紀州鉄道の気動車を撮影するのが目的でした。 非電化私鉄には強い関心を持っていましたので、このあとは藤並へ移動し有田鉄道へ行きました。 この旅は単独行でした。いっしょにSLを追いかけた仲間は、さらにSLを追いかけて北海道に渡ったり、旧形電機に転向したりと、志向がそれぞれ変わっていくのを感じていました。それよりも、受験に向けて鉄道どころではないというのが、同年代のあるべき姿だったことと思われます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・・ 2009年12月26日 この年は、前日に家内と首都圏に来ていましたが、家内だけが用を済ませてその日のうちに帰り、私だけが中山道歩きのために宿泊しました。朝、埼京線で戸田公園駅で降…

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【1362】あの年の12月19日《1999年》

1999年12月19日、青春18きっぷを使って保存SL巡りをしてきました。 中央東線茅野駅前に保存されているC12 67 この機関車は中津川機関区で廃車になっています。明知線と中津川での現役時代を知っていますので、懐かしさがあります。ただ、たいていの保存蒸機は、自分が知っているころの装いはまったく違っているので、別物を見ているような気にならないわけではありません。 中津川では炭庫に警戒色が塗られ、一般受けしない姿でしたが、自分としてはあの警戒色こそが懐かしさであり、見たままの67号機に思えます。 続いて下諏訪へ行きました。青少年広場に保存されているC12 171 この機関車は木曽福島機関区で廃車になっているので見たことがあるのですが、現役時代をカメラで記録したことがないように思います。木曽福島ではデフレクタが付いたC12 199のほうに気が向いていたので、そういうことになっているのかもしれません。 この2両とも、上諏訪機関区所属時代がありますので、ゆかりの地の近傍に保存され幸運なほうでしょう。 ところで、このころ保存蒸機の情報収集は今のようにインターネットでチャチャッと調べることはできませんでした。私の情報源は「Rail Magazine」通巻117号(特集:蒸機こそすべて)で、全国の保存蒸機を撮り尽くされた方の記事でした。そこに記された保存場所を分県地図の都市図などから探し出すという方法でした。今回のC12 171号機の保存場所なども、現地に行ってやや迷いましたが、それはそ…

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【1358】あの年の12月15日《1981年・1982年》

1981年12月15日 中央西線 美乃坂本~恵那 この日はキヤ191系検測車が中央西線に入線しました。当時は名古屋第一機関区に1編成2両が配置され、中部地方の国鉄線の検測に使用されていました。 ついでに撮影した381系電車 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1982年12月15日 天気がよく中央アルプスが見えそうだったので、飯田線に行きました。まだ雪が少ないのであまり映えません。 以上2枚は飯田線 田切~伊那福岡 飯田線 七久保~伊那本郷 どこに行っても山があり、峠を越えると街がある信州に通い詰めるうち、すっかり信州ファンになってしまいました。

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【1357】あの年の12月14日《1973年》

名古屋鉄道のモ765が北恵那鉄道に転入してきたのが、1973年12月14日でした。 モ765は、北恵那鉄道ではモ565を名乗ることになります。 当日のことは【722】北恵那鉄道29:「モ565入線の日」で、すでに書いたので、今日はその記事でアップしていない画像を貼っておきます。 美乃坂本~中津川この画像ではモ765は手前の土盛に隠れてしまっていますが、この貨物列車の最後部ワフ(増緩急車)の前位で名古屋鉄道モ765が甲種輸送されてきました。 国鉄中津川駅 貨物列車から切り離され、駅構内にいったん留置されたところです。このあとDD16によって中津川機関区の転車台まで移動して方向転換したあと、連絡線を北恵那鉄道デ2に牽引されて北恵那鉄道中津町にある車両基地へ収まりました。

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【1343】あの年の11月30日《1984年》

1984年11月30日 専務車掌時代でした。 前日に名古屋・亀山間を2往復して名古屋泊りで、この日は名古屋・亀山間1往復する行路でした。亀山では朝食が取れるよう、折り返し間合いが1時間半ほどありました。ちょっと駅から機関区や操車場のあるほうへ行ってみました。 キハ35系 スエ71  どちらもすでに役目を終えて長期留置中のように思えました。 そして旧東海道筋の古い街並みの方へも行ってみました。琺瑯看板がいくつもありました。 下はこの日の亀山宿とその周辺で撮影した看板類を1枚にまとめた画像です。

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【1335】あの年の11月22日《1982年・1992年・1998年》

1982年11月22日 未乗線区に乗りに行こうという誘いで、車掌3人で出かけました。 まず、信楽線を一往復 画像は貴生川駅の信楽線ホーム そのあと、木津へ出て片町線に乗りましたが、途中で日没になりました。画像は長尾駅。木津からここまでは非電化でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1992年11月22日 JR西日本の「セイシェル」が東海地方まで来るというので、稲沢へ出かけました。 稲沢~清州 3両編成の中間車はスハフ12を改造したキサロ59 501で、気動車になり切っていました。 同日同区間で「しらさぎ」 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1998年11月22日 昨日書いた東北の旅2日目で、宮古からスタートしました。昨日貼ったのと同じリンク先ですが、【151】鉄道あちこち訪問記6:利府線・三陸海岸縦断1998.11.21~22で、前日と当日のことを書いています。

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【1332】あの年の11月19日《1978年・1995年》

1978年11月19日  飯田線 野田城~東上 飯田線の流電クモハ52のお別れ運転がありました。 一人でクルマで出かけ、飯田線に沿った国道151号線を走っていると、渥美郡田原町(現田原市)在住の友人のクルマとすれ違いました。お互いに気が付き、その場でクルマを停めて、その日は非鉄の彼を引っ張り込んで流電の撮影に付き合わせる結果となりました。彼はひとりで鳳来寺山へドライブに行く途中だったとのこと。予想もしていない場所での偶然の出会いにお互いビックリでしたが、私も彼もクルマはサニー→カリーナと乗り継ぎ、互いのクルマの特徴をよく知っていたからこそ気が付いたのでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1995年11月19日  東濃鉄道駄知駅跡 11月3日の記事で書いたのと同じ場所です。あれから21年経っていましたが、検修庫だった建物はそのまま残り、バス用として使用されていました。こうして廃線になった鉄道の痕跡に出会うと感動します。感覚が変だという人もおられるでしょうが、理屈ではないと思っています。 駄知線の駄知駅は「西駅」、その先の東駄知駅は「東駅」と呼ばれていたようです。町名に「駄知町西駅」とあります。通称名らしいですが、こうして駅が廃止されたあとも、鉄道駅が存在した証が意外なところに残っているのでした。

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【1329】あの年の11月16日《1983年・1985年・2007年》

1983年11月16日 明知線に軌道検測車マヤ34が入線しました。 東野~阿木(現東野~飯沼) 明知線では貨物列車に併結されて検測をしていたのですが、このころ、すでに貨物列車が廃止されていましたので、臨時試運転列車として運転されるようになっていました。こちらも同じ列車です。岩村駅で通票の授受がありました。 貨物列車の廃止後は、工事列車やこういう検測のときしかDD16が入線しなくなりました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1985年11月16日 明知鉄道 恵那駅そしてマヤ検を撮影しにいってからちょうど二年経ったこの日は第三セクター明知鉄道の開業日でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2007年11月16日 北陸新幹線(長野行新幹線)安中榛名駅 中山道徒歩の旅で、安中榛名駅で下車しました。その気にならないと乗降する機会がないひっそりした駅です。

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【1328】あの年の11月15日《1972年・1985年・1996年・2001年》

1972年11月15日 梅小路蒸気機関車館 梅小路蒸気機関車館が開館したのが、この年の10月ですから、オープン後1ヵ月で京都まで出かけたことになります。よほど行きたかったのでしょう。当時は中学生でした。ほとんどの蒸気機関車は初めて見る形式でしたが、DD54を初めて見たのもこのときでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1985年11月15日 明知線 飯羽間駅国鉄明知線最後の日でした。翌日からは第三セクター明知鉄道に転換されるため、鉄道としてはそのまま残ることになったのは結末としてよかったと思います。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1996年11月15日 中央西線 高蔵寺~定光寺JR西日本広島支社のお座敷列車「旅路」が中央西線に入線しました。 真っ赤な塗装と展望室付に改造された姿を中央西線で見たのは初めてでした。ユーロ色EF65 106との組み合わせは、マッチしているとは言えませんが、さまざまな牽引機との組み合わせが見られたことが機関車が牽引する列車の魅力になっていました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 11月11日の記事で、1989年に飯山へ行ったことを書きましたが、それから12年後の2001年11月15日に飯山駅で購入した乗車券が残っていました。何をしに行ったのか思い出せず、ネガ袋を繰っていくと、長野電鉄「木島線」(信州中…

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【1325】あの年の11月12日《1985年・1994年・1995年》

1985年11月12日 明知線 飯羽間~阿木第三セクター転換まであとわずか。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1994年11月12日 前日、車掌区時代の鉄を中心とするメンバーで岳南鉄道へ行ったあと熱海で泊ったその翌日は、まず東海道本線 根府川~早川間の玉川橋梁で、ブルートレインなどの列車撮影をしました。ここには国鉄時代にも来ていますので2回目でした。 そのあとは、「JRおおみやイベント 大宮工場100周年」のイベントに出かけています。 この2両が、のちに中央西線の貨物列車を担当することとなり、地元で再会することになろうとは思いもよりませんでした、しかし再会したときはこのような特別塗装ではありませんでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1995年11月12日 そしてその翌年は、子連れ鉄で首都圏へ行っていました。 まず、東京駅で、東北上越新幹線とブルトレ群を見ました。 このあと、上野駅に行って北斗星やスーパーひたち651系を見て、次の目的地大宮へ行きました。 この日の前日は「JRおおみや鉄道ふれあいフェア」の開催日でした。前年(この記事の1994年)には、「JRおおみやイベント 大宮工場100周年」の催しが2日間開催されていたので、てっきり例年2日間開催されているものと勘違いをしていました。この年(1995年)の催しは11月11日だけで、それに気づいたのは現地へ行ってからで…

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【1320】あの年の11月7日《1985年・2009年》

1985年11月7日 明知線 阿木駅 国鉄明知線から第三セクター明知鉄道への移管まで10日を切っていました。 上の画像の左は定期旅客列車で、右は明知鉄道所有アケチ1形による試運転列車です。この年9月には、メーカーからアケチ1形が甲種輸送されており、このころは連日試運転が行われ、第三セクター鉄道としての開業準備が進んでいたようです。 駅に隣接する倉庫の壁面には「明知線撤廃絶対反対」と書かれた看板がありましたが、文字は色褪せ、路線廃止論議が長期間にわたっていたことを物語っています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2009年11月7日 JR貨物の稲沢駅で、コンテナ輸送50周年を記念して車両展示イベントがありました。 EF64 1040は、5月26日の記事で大宮で全検に入っている画像を、そして10月16日の記事で春日井貨物での運用中の画像をアップした機関車です。そこにも書きましたが、もうこの世にこの機関車は存在しません。長く同じ趣味を続けていると、ほんとうに時の移り変わりの目まぐるしさを感じるとともに、今日の何げないことはすべて、明日には大きく違っていることが普通にあり得るという現実を思い知らされることの繰り返しです。

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【1317】あの年の11月4日《1974年・1985年・1989年》

1974年11月4日 中央西線 美乃坂本~中津川 もう食堂車は外されていますが、おなじみの場所?で181系気動車をこの日撮影していました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1985年11月4日 中央西線 中津川機関区中津川機関区で公開イベントが催されていました。明知線が第三セクターに転換されたのが、この年11月16日でしたから、その関係でのイベントだったと思いますが,このころの中央西線では見ることができなかったEF58とEF65PFも展示されました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1989年11月4日 中央西線 落合川~坂下時は平成元年となり、JR東海時代に入っています。サロから改造されたクロ381を先頭にしたしなの号ですが、このころはまだ貫通幌を取り付けない状態で運用されていましたので、正面がすっきりしていました。

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【1315】あの年の11月2日《1982年・2006年・2008年》

1982年11月2日 飯田線 千代~天竜峡 まだ紅葉が早かった天竜峡。帰路は紅葉のダートドライブで、大平峠(標高1358m)経由で帰りました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2006年11月2日 この日のことは【241】中山道宿場巡りで見た鉄道風景(9):徒歩で再訪 塩尻宿~芦田宿で書いていますが、和田峠越えをした日でした。 麓の和田宿に、その日のうちに家に帰ることができる時刻にたどり着けたときにはほんとうにホッとして、「よろずや」に立ち寄って難所踏破記念の地酒を買い求めました。 帰路は「あさま」と「しなの」の乗継でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年11月2日 父と貨物鉄道博物館へ行きました。西藤原まで自家用車で移動し、そこから三岐線で丹生川まで列車に乗りました。父は80歳になっていましたから、一緒に出掛けることがいつまでできるかわからないといつも思っていましたが、折しもこの日は修復が完成した展示車両ワ5490の積込実演が行われた日でしたので、父を誘い出しました。 父は実際に小口貨物輸送の「荷扱手」をやっていたので興味をひかれたようでした。 そして乗務した緩急車ワフ21000なども懐かしく見入っていました。

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【1313】あの年の10月31日《1973年・1978年・1985年・1998年》

1973年10月31日  中央西線の「しなの」のうち、キハ181系使用列車2往復だけで営業していた食堂車が,この日で営業を終えることになりました。(見出し以外はボカシ処理をしてあります。) 最終日の食堂車を夕暮れの学校からの帰り道に中津川駅で見送りました。そのことは、【119】中央西線を走った車両4 :181系気動車(4)で書きましたので、ここでは詳細は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1978年10月31日 この日は、貨物輸送だけ残っていた東濃鉄道笠原線の営業最終日でした。その日のことは、【360】東濃鉄道笠原線 営業運転最後の日で書きましたので、詳細は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1985年10月31日  以下2枚 高山本線 飛騨小坂~渚飛騨まで来ると、山々は少し色付き始めました。1枚目は「のりくら1号」(後方からの撮影)、2枚目は「のりくら6号」  どちらも名古屋と富山を結ぶ急行です。このころ高山本線全線を通して運転される特急「ひだ」は1本もなく、飛騨古川以北を運転される特急は名鉄から乗り入れる「北アルプス」だけでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1998年10月31日 昨日書いた「さわやか信州フリーきっぷ」を使った長野県内の旅、2日目は実家からスタートしました。前日、家内が使って有…

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【1309】あの年の10月27日《1974年・1999年・2012年》

1974年10月27日  中央西線が電化されてから1年以上経っていました。この日は、入換用として生き残っていたC56を撮影するためだけに、木曽福島と上松に行きました。 木曽福島 上松 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1999年10月27日  毎年1回の善光寺参りの途中、篠ノ井で途中下車して、保存されているD51921に会ってきました。 長野市篠ノ井 D51 921長く木曽福島機関区に所属していました。中央西線の機関車であったことを誇示するかのように、集煙装置もそのままで佇んでいました。ただしナンバープレートは木曽福島機関区の黒でよかったのではないでしょうか。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2012年10月27日 10月20日に書いた「家から夫婦で善光寺まで少しずつ歩く旅」改め「家から夫婦で中津川まで少しずつ歩く旅」、この日は20日の続編で土岐市~瑞浪間を歩きました。瑞浪駅近くを歩行中に大阪発長野行「しなの9号」が通過していきました。

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【1308】あの年の10月26日《1984年・2011年・2012年》

1984年10月26日 高山本線 鷲原(信)~下油井急行「のりくら3号」 全国そこかしこで見ることができたキハ58系の急行列車です。山間を縫って走る高山本線には特に似合っていたような気もします。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・   2011年10月26日 京阪 交野市駅トーマスファンでしたので、こういうものも撮ります。この日も家内同行で他の目的を兼ねています。他の目的地とは「大阪たこ焼きミュージアム」で、まったく程度ヒクイ旅なのですが、うちではそういうレベルの旅、たとえば動物園とか道の駅巡りなどがこの10年くらい続いています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2012年10月26日 中央西線 春日井駅 仕事からの帰り、側線にEF65PFとともに、シキ1000が3両空車で留置されていました。ここで時折見た大物車はシキ800でしたので、この日初めてシキ1000をしげしげと眺めました。 そうとうに低床です。

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【1301】あの年の10月19日《1982年・1996年》

1982年10月19日 高山本線 焼石~少ヶ野(信) スロ81系お座敷車の団臨です。ネガを見ると、この列車を2か所で撮影しただけで帰ってきたようです。雨がひどくて、撮影意欲を失ったのだと考えられます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1996年10月19日 落合川に来ていました。 中央西線 中津川~落合川しなのクロ381-0のホロ付きお面。 中央西線 落合川~坂下165系普通列車が駆け抜けていきます。否が応でもSL時代を思わせる場所ですが、165系さえも遠い過去のものになってしまいました。

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【1299】あの年の10月17日《1983年・2006年・2008年》

1983年10月17日 中央西線 恵那~美乃坂本 タンク車の専用貨物列車です。黒タキ車のように見えますが日本オイルターミナルブルーのタキ43000系が連なっています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2006年10月17日 愛知環状鉄道 中水野駅 2005年に開催された「愛・地球博」の観客輸送のために愛知環状鉄道では線路の複線化やJR中央西線との連絡線が整備されました。「愛・地球博」閉幕後も、その設備を使って直通列車が設定され、平日朝の通勤時間帯には、瀬戸口始発名古屋行が10両編成で運転されるようになりました。そのうち1本は113系が使用されていました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年10月17日 寝台特急「はやぶさ・富士」の終焉がせまっていました。残業で遅くなったついでに、名古屋駅であと何回見られるかわからないとの思いで、到着を待ちました。この列車が着くと、駅が国鉄時代に戻っていくように、空気が入れ換わるような思いがします。

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