【1201】あの年の7月11日《1973年・1983年・2009年》

1973年7月11日 全線電化でD51が引退した中央西線でしたが、その後も3ヵ月ほどは明知線の貨物列車用のC12だけが中津川機関区所属のまま運用され、中津川から明知線分岐駅の恵那まで、毎日単行機関車列車が運転されていました。恵那~美乃坂本 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1983年7月11日、線路のバラストを輸送する臨時工事列車が、この日恵那~阿木間に運転されました。阿木駅での機関車転線作業の様子。 すでに明知線では貨物列車は廃止されていたので、このような工事列車が運転されたことになります。この日は、上のC12を撮影して10年目になるわけですが、後継機DD16が本来の役目である貨物列車の牽引に就いた期間が異常に短かったことに気付かされます。 明知線では貨物列車・工事列車などの車掌乗務は省略できるのですが、阿木駅には入換作業要員がいませんので、阿木駅の管理駅である恵那駅から入換作業要員がこの列車に便乗していました。この駅で入換作業をすることは異例でしたので、恵那駅長も添乗してきて作業を見守っていました。(ヨの左にいる人物) 夏場なので駅長は白い接客夏服用ズボンを穿いているので、それと判別できるわけですが、暑いので上着は省略し、ヘルメットを着用されています。 そして列車は折返し恵那駅に戻っていきました。阿木~東野(現阿木~飯沼) ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2009年7月1…

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【1200】あの年の7月10日《1973年・2011年》

1973年7月10日 中津川~木曽福島間で「さよならSL列車」が運転された翌10日にはダイヤ改正がありました。この日「しなの」で381系電車がデビューし、名古屋発の下り初列車「しなの1号」の到着に合わせて中津川駅でセレモニーが催されました。 「しなの1号」の中津川着時刻は朝の8時前だったので、ちょうど登校する時刻にあたりました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2011年7月10日 EF66 35 中央西線 定光寺 下りの多治見貨物です。EF66が中央西線で撮影できるとは国鉄時代には考えもしませんでした。この画像を撮影した時点で381系デビューの日から38年経っていますから、中央西線の日常もずいぶんと変わったものですが、今ではEF66が入線することはなくなり、このEF66 35は、京都鉄道博物館に保存展示されています。今の日常もまた遠い過去の世界になっていくのが世の常です。

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【1198】あの年の7月8日《1985年》

1985年7月8日 この日、東海道本線に日中2本の20系臨客が運転されたので、撮影にでかけました。三河大塚~三河三谷 上の20系は北オク車です。下り列車ですが、いつも東海道筋で見る20系編成とは逆で、下り方がカヤ21でなくナハネフ22になっていました。 サロンエクスプレス東京も見ることができました。 そのあとは岡崎~安城(現在の岡崎~西岡崎)間にある矢作川に場所を移しました。このころの20系客車は2本ラインに変わりつつあるころでしたが、画像のカヤ21は3本ラインのようで、しかも車体が煤けた感じで、おそらく熊クマ車ではないかと思われます。こちらも下り列車ですが、下り方がカヤ21の見慣れた編成になっています。

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【1190】あの年の6月30日《1983年・2010年》

1983年6月30日 ついにこの日、飯田線の旧形国電が定期運用から引退しました。 以上、飯田線平井(信)付近 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年6月30日 この日はEF6627が稲沢に来ていることまでは把握していました。中央西線の運用に入らないか期待していましたところ、多治見貨物に運用されました。 父がこの4日前に入院し、私は月末の時期なのに会社は休みがちになっていたので仕事が山積でした。この日も病院に事務手続きなどに行く必要があって会社を休んでいましたが、誰もいない早朝に出勤し、とりあえずするべきことをして10時前に勝川を通過していくこの列車を見てから、すぐ病院に直行したというあわただしい日でした。 高架工事がほぼ終了したころで、地平に降りた地点に仮置きされた工事用フェンスの隙間から線路内をのぞくように公道上から撮影しています。

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【1188】あの年の6月28日《1983年・2008年》

1983年6月28日 連日の飯田線詣で。 七久保~伊那本郷 合の子クモハ53008です。 自分にしては飯田線の聖地みたいな千代~金野。 特別な旧国ファンでもなく、どちらかというと伊那の風景と旧国とのマッチングが気に入っていただけなので、運用を調べたりして特定の車種を狙うようなことはしていませんでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年6月28日 地元画像です。 土曜日でしたので、春日井駅へ行っています。 入ってきたのはEF65 1076でした。大宮三色更新機なのに異常に汚れて二色かと思ってしまいます。 とび色2号のワムハチがめっきり少なくなってきたころです。

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【1187】あの年の6月27日《1983年》

1983年6月27日 この年6月いっぱいで飯田線の旧形国電が定期運用から離脱することになっていたので、この日は一日中飯田線沿線をさまよっていたようです。 天竜峡で折返し留置中のクモハユニ64に惜別マークが付けられていました。この留置時間帯だけ付けられていたみたいで、このあと上片桐のカーブで撮影した同じ編成の列車に惜別マークはありませんでした。 飯田線では、当時珍しくもなかった165系急行などスルーしてしまうことが多かったのですが、この日は駅通過時の通票授受シーンを撮影していました。 165系電車に通票はミスマッチですね。低速運転で受け取りは素手で行っていました。車両側にタブレットキャッチャーなどがあれば高速で通過できるのに…などと考えるまでもなく、今でも飯田線では駅前後の分岐器通過速度が25㎞などという駅はいくらでもあり、「伊那路」でも超低速で通過する駅が実に多く、特急とは名ばかりです。

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【1186】あの年の6月26日《1973年・1988年》

1973年6月26日 この日、明知線でC12重連が牽くお座敷列車の団臨が走りました。しかしこの日は平日、しかも1往復(下りは回送)設定されたダイヤは定期列車運転前の早朝でした。つまり始発列車で撮影に出かけても間に合わず、下りの回送が恵那を出るのは4時前という悪条件なのでした。 そこに救いの手が差し伸べられました。やすたろう様のお母様が軽乗用車で明知線の阿木まで私どもを乗せていってくださるというのです。帰路は列車に乗れば学校の始業時刻には十分に間に合いますので、往路だけをお願いしました。 現地では、まず下りの回送列車を撮影しましたが、阿木付近に列車が来るのは4時台前半で、まともには撮影できませんでした。阿木~飯羽間  C1269+C12230の重連で、客車はオロ80系でした。 明知から折返して乗客を乗せてくる上り列車のC12は逆向きで、明知では2両の機関車の前後が入れ替わって、下り同様にC1269が先頭でした。阿木~東野(現在の阿木~飯沼) この列車を撮影したあとは阿木駅まで歩いて恵那行の始発列車に乗車。恵那駅でその列車から降りると、まだお座敷列車は停車中でしたが、この先名古屋方面に直通するため機関車はEF64に付け替えられていました。このあと中央西線の下り始発列車に乗り継いでそのまま登校しても早く着きすぎますので、いったん家に帰りました。 お座敷列車は2本ともラジカセで走行音を録音しましたが、早朝にもかかわらず撮影者は他に何人もいて、足音や声が入っていてまともには録れていませんで…

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【1184】あの年の6月24日《1973年・1985年》

1973年6月24日 6月19日の記事に書いたように、望遠レンズを使いたくてしかたなかったので、また明知線に出かけています。   美乃坂本~恵那 中津川からは逆向き単行機関車列車として恵那まで中央西線を走っていきます。   山岡~明知(現在の山岡~野志) 急こう配を停まってしまいそうなゆっくりとした足取りで近づいてくるC12は、夏なのでまったく煙がなく絵になりませんが、ブラストはなかなかのものでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1985年6月24日 酒ラベル集めの一環で、長野県内に地酒の買い出しに行きました。 その日買った酒 このころは、道中で琺瑯看板を見つけると写真を撮るようにしていました。正確な場所を記録していないのが大きな手落ちですが、2枚とも長野県辰野町小野地内だったと思います。 アースの水原弘と由美かおる、金鳥の琺瑯看板はあちこちにありました。

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【1181】あの年の6月21日《1973年》

1973年6月21日 中央西線と篠ノ井線の電化工事が完成し、381系しなの号がデビューする7月10日のダイヤ改正を控えた中津川の様子を撮影していました。下校途中に立ち寄ったものか、いったん家に帰ってからカメラを持ちだしてきたものか、記憶にありません。撮影したネガを順に見ると、途中でかなり強い雨が降ってきたにもかかわらず、日没が遅いこの時期、日が暮れて撮影が難しくなるまで徘徊していたようです。そのうちから4枚をピックアップします。 すでにD51は役目を終えており、検修庫沿いに留置されていました。 検修庫内には中津川駅の入換用C12の後継となるDD16の姿があり、スタンバイしていました。 本線には165系4両編成の試運転列車が運転されていました。 給炭設備のあたりには、まだ入換用として稼働していたC12、そのとなりにDD51。 そしてその隣にはD51・DD51から代わった主役EF64夕立があり、地面が濡れ、照明灯が点灯しています。

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【1179】あの年の6月19日《1973年》

1973年6月19日  明知線の阿木へ出かけました。 中央西線のD51が引退した直後でしたが、中津川機関区のC12は、中津川駅構内入換用と明知線貨物列車用として2両が常時稼働していました。この日は初めて使う望遠レンズの試用が目的でした。135㎜ではありましたが、カメラに付属していた50㎜しか使ったことがない私には感動的なレンズに思えました。父でさえ望遠レンズどころか一眼レフを持っていない(そのかわり8㎜カメラでズームレンズを使用)くらいでした。当時の田舎住まいの高校生にはそれは贅沢なものだと自覚はしていました。列車本数が少ないので練習にはなりませんでしたが、遠い日の充実した1日がほほえましく思えてきます。

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【1176】あの年の6月16日《1974年》

1974年6月16日 6月8日に続いて、また木曽福島と上松に来ています。 こうして通うわけは、蒸気機関車が身近にいなくなった反動というより、それまで中央西線で見られるのがD51とC12ばかりだったのに、新たにC56が見られるようになったことへの興味のほうが大きかったと思います。そもそも私はC12とC56は以前から好きでしたが、C12は身近にあったのでいいとしても、C56のほうはそうでもなく、小海線には最後に行く機会があったのに、わけがあって直前に行けなくなり、一度も行けずじまいになってしまったという悔しい思いもありました。そしてこの124号機は七尾線時代に見たことがあり、思いがけず自宅から楽に日帰りできる場所で再会できるようになったということもありました。

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【1168】あの年の6月8日《1974年》

中央西線が全線電化されたあとも木曽福島機関区には、木曽福島駅と隣の上松駅の入換用として蒸気機関車が配置されていました。 1974年6月8日 木曽福島を訪れています。中央西線からD51が引退して約1年が過ぎていました。 扇形庫には保存を控えた機関車が背を向けて眠っていました。 この日はC56124が稼働していました。とは言っても、もうこのころの稼働機はこの1両のみになってしまっていたようです。七尾から来た機関車でした。どうでもいいことですが、四角い区名札差しに「木」の字が入っていると「困」と読めてしまい、余命わずかで困っている感じだなあといつも思っていました。 入換作業が終わると水を飲みカマガエをして、早々と扇形庫に入って睡眠時間に入りました。 定年後にちょっと軽めのバイトをしながら年金暮らしをしている人みたいだなあと今になって思ってみたりします。

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【1167】あの年の6月7日《1997年・2003年》

1997年6月7日 この日は、子連れで保存機関車巡りで名古屋市内に行っています。 今はリニア鉄道館に保存されているC62 17当時は東山動植物園内の入園者の目に触れにくい、かなり奥の方に保存されていました。 そしてこちらも、今はリニア鉄道館に保存されているC57 139当時は名古屋市千種区にあったJR東海社員研修センターに保存されていました。現地は国鉄時代には中部鉄道学園という教育施設で、私は4か月半の全寮制研修所生活をしたことがありました。C57 139の保存場所は道路に沿ったところで、国鉄時代には自由に入れるようになっていたと記憶するのですが、フェンスにある扉は施錠され、木々もあって写真が撮りにくかったので、玄関にいた警備員氏に写真が撮りたいと申し出ました。こちらは子連れなので、昔なら「どうぞどうぞ」となったでしょうし、場合によっては「運転室にも乗るか?」カギを開けてあげようなどとなることも考えられるところでしたが、もうこの時代には「立ち入りはできません」という事務的な返事でしたので、敷地外から無理やり撮影しました。 国鉄が分割民営化されてちょうど10年が経っており、一般常識は確実に変わりつつありました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ そのように冷たい時代になった代わりに、JR東海は国鉄時代の鉄道車両を見学できる保存施設として、飯田線中部天竜駅構内に「佐久間レールパーク」をオープンさせていました。そこには幾度か出かけましたが、…

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【1163】あの年の6月3日《1973年》

1973年6月3日 先月はD51最末期1973年の中央西線の画像を連日アップしたのですが、もうこのころD51を本線上で見ることはなくなり、代わって電車の試運転などが行われていました。その年7月10日のダイヤ改正でデビューする381系特急電車の試運転列車です。まだ営業編成(9両)でなく暫定の6両編成で走っています。運転室窓から電気ケーブルが出ているのが見えます。 そして、中央西線全線電化に伴い、D51だけでなくDD51も中央西線から姿を消すことになりますので、カメラを向けました。大阪行の季節急行「ちくま1号」です。 ◆今回の画像は2枚とも中津川~美乃坂本で撮影

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【1159】あの年の5月30日《1975年・1986年》

1975年5月30日 この年の3月31日に王滝森林鉄道では運材列車が廃止されており事実上の役目を終えていた王滝森林鉄道でしたが、上松でお別れのセレモニーが5月30日に催されました。すべて上松で撮影 当日は保存してあったボールドウィン蒸気機関車が、ディーゼル機関車の力を借りながら本線上を運転されました。しかし中間テスト中でしたので、テスト終了後に中央西線の下り列車に乗って上松に着いた頃には、すでにその蒸機列車は上松に到着した後でしたので、本線上の走りを撮影することはできませんでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1986年5月30日 岡山のジョイフルトレイン「ゆうゆうサロン岡山」が中央西線に入線しました。 国鉄時代の中央西線には、は山陽・関西方面対信州方面の団体臨時列車がよく運転されていたように思います。 その後、国鉄の分割民営化、バブル経済の崩壊と続き、JR東海に至っては機関車そのものが在籍しなくなって、そういった団臨を見ることはほとんどなくなってしまいました。

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【1158】あの年の5月29日《1980年・1994年・2010年》

1980年5月29日  この日は長野県飯田から、国道152号線のうち自動車で通り抜けができない2つの峠の迂回路となる赤石林道と兵越林道を自動車で踏破しに行きました。両林道を無事に踏破して静岡県の水窪に下ったあと、帰路に飯田線の列車を撮影しています。  水窪~大嵐   城西~向市場   向市場~城西「渡らずの鉄橋」です。 この翌年春に再訪しています。↓ 【1121】あの年の4月22日《1979年》 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1994年5月29日  前日から私の父母を含めた家族で下呂温泉に来ていました。この画像も使いまわしです。 下呂~禅昌寺 5月29日の朝、ホテルの部屋から撮影しています。背景左端に見える建物もホテルで、2017年にはそのホテルに泊まり、逆方向からこの画像を撮影したホテルを眺め、この日のことを想いました。今はこの画面中央上のあたりに、大きなホテルが建っています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年5月29日  この日は災害で長期間不通になっていてバス代行中だった三重県のJR名松線に行きました。 【14】鉄分補給名松線&アルコール分補給2010.5.29に、その日のことを書いていますので、そちらをご覧ください。

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【1157】あの年の5月28日《1975年・2005年》

1975年5月28日  この時期は各地の全国植樹祭が行われていたので、これまでもそのときに運転されたお召し列車について触れることが多かったのですが、この日は【987】EF58 60号機と61号機の思い出画像の中で書いたように、中間テスト期間中にその日のテスト終了後に名古屋駅に向かい、到着するお召し列車の撮影をしたものの、まともに撮れていませんでした。ネガを見返すと、せっかく名古屋まで来た以上このまま帰るのがもったいないと思ったのか、金山駅付近に場所を移して名鉄や国鉄東海道本線の列車の撮影に興じていたようで、その画像が残っていました。その中から東海道本線の列車の画像を2つ。 この場所は、現在の金山駅があるところです。奥には中央西線の金山駅の跨線橋が見えています。EH10が走っているような昔から、ホームになる部分は上下線間が空き、土盛がされていつでも駅の建設ができそうな状態になっていたことがわかりますが、東海道本線にも金山駅が開業したのはこの14年もあと、国鉄が分割民営化された2年後の1989年でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2005年5月28日  一昨日に2007年に行った「JRおおみや鉄道ふれあいフェア」のことを書きましたが、それより2年前にも「JRおおみや鉄道ふれあいフェア」へ行っていました。この催しは毎年5月第4土曜日に行われていますので、この2005年は28日が第4土曜日であったわけです。 このときは、前日5月27日…

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【1154】あの年の5月25日《1983年・1985年》

1983年5月25日 明知線でマヤ検がありました。  明知~山岡(現在の野志駅付近)   飯羽間~阿木 明知線に貨物列車があったころは、貨物列車にマヤ34が併結されて検測をしていましたが、このときはもう明知線内の貨物列車が廃止されていましたので、臨時試運転列車が仕立てられるようになりDD16が牽引しました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1985年5月25日 サロンエクスプレス東京が中央東線から西線に直通してきました。  落合川~中津川    中津川~美乃坂本 雨に煙ってコンディションは最悪で、画像では読み取れないと思いますが、当時は八王子機関区所属だったEF64 78が牽引しています。当時の中央西線の定期列車には稲沢機関区(以前の稲沢第二機関区)と篠ノ井機関区のEF64が使用されていましたので、こうして中央東線から直通する臨客でしか見ることがないブロック式ナンバーの第8~9次量産車(76~79)には新鮮さを感じたものです。しかし、その翌年に国鉄分割民営化前提で行われた61・11ダイヤ改正時には、車両の転配が行われ、このEF64 78も含め、8~9次車全部が稲沢機関区に転属し、そのままJR貨物に引き継がれる結果となりましたので、以後は中央西線で日常的にみられる機関車となりました。一期一会という言葉もありますが、二度と会うことはないと思っていた人と、腐れ縁になることだってあるのですね。

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【1153】あの年の5月24日《1997年・2008年》

1997年5月24日、保存鉄道車両巡礼の一環で愛知県一宮市の保存蒸機D51 718に会いに行きました。 正面のナンバープレートは盗まれてしまったのか付いていませんでした。ナンバープレートは走行するうえでの機能としては意味がないパーツでありますが、これによって機関車の表情が変わると言ってもいいほど重要だと思っているので残念なことです。中央西線には縁がない機関車でしたので、この日が初対面のつもりでしたが、ずっとあとになってから、自分が1973年12月に山陰本線三保三隅で撮影した機関車であることがわかりましたので、次に見る機会があれば、そのつもりで見ようと思います。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年5月24日、JR東海のウォーキングイベント「さわやかウォーキング」に参加して熱田区内を歩いていましたら、偶然にも東海道本線を走っていく211系0番台を見かけました。今は関西本線で閑職についているみたいで、来年度以降導入される予定といわれる315系に置き換えられることが決まっていますが、国鉄時代からの生き残りとして思い出深い車両です。乗務しているとき名古屋駅でこの列車を見た男児が「地下鉄みたい」と言っていたことは今も覚えています。それだけステンレス製の国鉄電車は子供の目には新鮮に映っていたのでしょう。しかし今ではステンレス車ばかりになりました。

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【1151】あの年の5月22日《1973年・1993年》

1973年5月22日 中央西線のD51に最期のときが近づいてくると、ついに平日でも学校の放課後に南木曽まで列車で撮影に出かけるようになってしまいました。もはや中毒症状で、この日も3~4人で出かけたと記憶します。  南木曽~田立 これは新線に切り替えられる前の旧線を行く上り2858列車で、下り勾配のために軽快に駆け抜けていきました。この日の本来の目的は、隣の田立駅でこの2858列車と行違ってくる後補機付きの下り5881列車で、前後の機関車共に盛大に煙を上げて旧線を登ってくるのを期待していました。しかしながら、夕方でもろに逆光になる悪条件に加え、険しい木曽谷で長い貨物列車の最後尾まで見渡せるかもしれないと期待した場所も、新緑の木々の枝が生い茂って後部まで見渡すことはできず失敗作となりましたので、その画像は省略します。どのみち下校時の寄り道程度の撮影ではまともな結果は得られません。新線への切替はこの直後でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1993年5月22日 昨日書いた温泉旅(寸又峡)の2日目、5月22日は三保の松原に行きました。ここまで来たのなら、未踏の地となっていた国鉄旧清水港線三保駅跡地に立ち寄ることにしました。旅客より貨物が中心だった駅だったからか、入換動車と貨車が展示保存されていました。

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【1149】あの年の5月20日《1973年・1983年》

1973年が続きます。 5月20日の日曜日は、早朝からD51を追って須原と宮ノ越に行っています。   大桑~須原   宮ノ越~藪原 中学生時代には、中津川や落合川で撮影していたのが、高校進学とともに少しずつ北へ向かって行動範囲は広まっていきました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ それから10年後、1983年には飯田線の旧形国電の終焉が迫っていました。 1983年5月20日   伊那福岡~田切   七久保~伊那本郷 ちょうど田んぼに水が張られるころなので水鏡を狙って出かけていますが、思ったようにはなかなか写ってくれませんでした。このころの撮影はもっぱら自動車を使っていました。中央自動車道に恵那山トンネルが開通してから伊那谷と東海地方との交通の常識は大きく変わっていました。 2016-9 D51 標準形(再販)[KATO]《発売済・在庫品》価格:9070円(税込、送料別) (2020/5/14時点)楽天で購入 [鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1350 クモハ54-0+クモハ50+クハユニ56 飯田線 3両セット価格:9575円(税込、送料無料) (2020/5/14時点)楽天で購入

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【1148】あの年の5月19日《1973年》

また1973年です。 5月19日は土曜日でしたので、前の週と同じように半日で学校が終わると、そのまま家には帰らず、直接中津川駅から下り列車に乗っていました。この日の行先は上松と大桑。上松へ行った理由は、上松駅で入換作業を終えたC12が所属区である木曽福島に戻る際にD51牽引の貨物列車の後付になるので、その列車を撮影しようということでした。しかしこの日は納得のいくものが撮れず、後日改めて出かけることになります。 ついでに上松駅の裏手にあった王滝森林鉄道の車庫にも行っています。 そしてもうひとつの目的地、大桑に向かいました。下りの後補機付き貨物5881列車と上りの重連貨物872列車との行き違いです。山間部の夕暮れ時で条件は最悪でしたが、日没が遅い時期なので何とか写りました。この下り貨物5881列車は、一昨日書いた平日の下校時に中津川を発車していく貨物列車です。その下り貨物5881列車が発車したあと下り181系DCしなの3号が続行し、上り貨物872列車はしなの号が通過したあと発車していきました。ネガの順番からそれが読み取れましたが、雑誌にあったダイヤグラム上では、上り貨物872列車は、しなの3号を待たずに発車することになっていました。 <2010年5月19日13時30分追記> 時刻変更か運転整理の結果かと思っていたのですが、いろいろ調べていたところ、その雑誌(1973年4月10日発行のSLダイヤ情報)が出版された直後の1973年4月27日に中央西線でダイヤ改正があったことがわか…

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【1147】あの年の5月18日《1985年・2001年》

1985年5月18日 前日から一泊で、当時所属していた車掌区の鉄分が濃いメンバーで東海道本線の撮影に出かけています。 18日は根府川駅付近にある白糸川橋梁と根府川~早川間の玉川橋梁へ行って、そのあと伊東線伊豆多賀付近に場所を移しました。そのときのことは、 【792】撮り鉄12か月…1985年5月「白糸川橋梁・玉川橋梁・伊豆多賀」で書いていますので、今回はそのときアップしていない画像をアップしておきます。   朝の白糸川橋梁 ワムハチ貨物など、当時はスルーしてもおかしくありません。しかも吹田の汚い一般形EF65。…ですが、これが普段着の東海道本線でした。 65P+20系でないと「あさかぜ」じゃないみたいに思っていました。 とは言いつつも、こうして名の知れたお立ち台に来れば、どのような列車も引き立つものです。EF66が九州ブルトレ群を牽くようになったのは、このときから2か月ほど前のことでした。それから九州ブルトレ廃止まで長きにわたってブルトレ釜としで定着し、違和感を感じなくなりました。次々とやってきた列車は、その時代のありのままを表現しており、今の非日常であります。そして今は未来の非日常であるだろうことにも気付きます。 伊豆多賀では伊豆急100系が走っていましたが、たぶんヘッドマークがなければ写さなかったように思います。写真に限らず、日頃当たり前のことに有難みを感じず、それがなくなってから後悔するということを繰り返すことを反省せねばと思います。 ゚*:。+◆+。・゚*:。…

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【1146】あの年の5月17日《1973年》

またまた1973年です。5月10日に引き続き、朝の貨物列車866列車を登校前に中津川駅の近くで撮影しています。 鮮明でない画像ですが、牽引機はD51 101で、この日は次位に無火回送のC56 131がつながっていました。撮影している私の背後には、中津川駅の上り場内信号機があるのですが、これがたまたま停止信号で、この列車はのろのろ近づいてきて、目の前で機外停車しました。わずかな時間でしたが、すぐ近くでC56 131を観ることができました。長野運転所から浜田機関区への転属途中だったものと思われます。 このまま登校し、下校途中には、中津川を16時過ぎに発車する下り貨物列車5881列車を撮影しました。 後補機付のこんな列車が放課後にいつでも見られた環境にあったことは、今から思えば幸せこの上ないことですが、そういう幸せとは短いもので、高校入学から2ヵ月も経たないうちにEF64に置き換わりました。 ネガを見ますと、そのあと機関区へも立ち寄ったみたいで、C12 69の画像がありました。このC12 69は、このあと中津川駅の入換と明知線貨物列車のDL化に伴い木曽福島へと移り、この翌年に廃車になりましたが、4月26日の記事で、廃車直後に木曽福島から再び中津川に回送されてきたときの画像をアップしています。 以上、本日は全部1973年5月17日、学校の始業前と放課後に撮影した蒸機の写真でした。 [鉄道模型]カトー (Nゲージ) 2016-8 D51 200 蒸気機関車価格:10789円(税込、送料無料)…

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【1145】あの年の5月16日《1985年・2009年》

1985年5月16日 神領電車区の電留線  神領電車区内にある乗務員宿泊所で起きてから、乗務する前に撮影した画像です。 牽引車クモヤ22・113系・381系・485系が並んでいます。 上の画像で、右から2本目に停まっている編成の先頭部です。この編成は名古屋まで回送されたあと、9時ちょうどに発車する「しなの5号」白馬行になりました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2009年5月16日 実家へ行く途中に明知鉄道の終点明智から近い大正村ロマン館前のバラ園に行ってみました。ここではバラの画像は省略しますが、ついでに立ち寄った明智駅での画像を。 そのとき車庫にアケチ12とアケチ13が並んでいました。 自分の中では「新車」と思っているこれらアケチ10形時代から、さらに新型のアケチ100形の時代になりつつあり、アケチ12(左側「ぎふ清流国体」PRヘッドマークを取り付けた車両)のほうはすでに廃車になって、車両は構内に留置されているとのことです。

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【1142】あの年の5月13日《1973年・1979年》

1973年5月13日 昨日に引き続き1973年です。12日が土曜日であれば13日は日曜日ですから連日のD51三昧ということになっています。 田立~南木曽間は電化直前までトンネルが連続する新線に切り替えられずに、地形まかせに木曽川沿いに敷かれていた旧線が使われていました。この日は架線がないこの区間を選んで来たのでした。 そのあとは上松まで移動し、寝覚ノ床へ行っています。このように、ほとんどの区間で電化工事は完了しており、撮影には目障りなポールや架線にも目をつぶるしかなく、楽しくもありますが、あとわずかで終焉を迎えるという切羽詰まった焦りのような気持ちもありました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1979年5月13日 この日は誰も遊んでくれる人がいなかったのかどうか?よく覚えていませんが、なぜか自動車で父と浜名湖方面へ出かけています。こちらとしては、ただ走りたかっただけで、自動車運転免許がなかった父としても、どこでもいいから乗せて行けということだったのかもしれません。  寸座~西気賀   気賀~西気賀   二俣線沿線を走っていて、列車の時刻を気にしながら、こうして写真を撮ったりしていましたが、別に写真が目的ではなかった記憶で、この日はこの2列車しか撮影していません。 [鉄道模型]カトー (Nゲージ) 2016-8 D51 200 蒸気機関車価格:10789円(税込、送料無料) (2020/5/11時点)楽天で購入 …

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【1141】あの年の5月12日《1973年・1996年》

1973年5月12日 中央西線 落合川~中津川 このところよく出てくる1973年の中央西線です。この日は土曜日だったので、学校が半日で終わったあと落合川に寄り道していました。 過去にもアップしている画像ですが、この日のメインはD51が牽くスロ81系お座敷列車でした。D51漬けだったことに我ながらまったく呆れます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1996年5月12日 中央西線 高蔵寺~定光寺 この日のメインは、165系9両で運転された「さわやかウォーキング臨」でした。 つい数年前のことのように思えるのですが、24年も経ってしまったことに、改めて時の移り変わりの早さを思い知らされます。 [鉄道模型]カトー (Nゲージ) 2016-8 D51 200 蒸気機関車価格:10789円(税込、送料無料) (2020/5/11時点)楽天で購入 [鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1335 165系飯田線 急行「伊那」4両セット価格:10164円(税込、送料無料) (2020/5/11時点)楽天で購入

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【1140】あの年の5月11日《1984年・2012年》

5月8日のところで書いた東北への旅の帰路、旅程を1日延長して東京都内で一泊しました。 1984年5月11日 この日撮影した山手線。     上野駅付近  上野動物園へジャイアントパンダを見に行きました。     原宿駅  明治神宮に参拝してきました。  ふつうに103系だった時代。。。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2012年5月11日  母がこの年2度目の入院をした日です。その日のことは【280】病院鉄で、書きましたし、画像もアップしてありますが、まだアップしていない別画像をご覧ください。 このころには中津川駅から上り(名古屋方面)へ3㎞くらいの線路が見渡せました。蒸機だったら、数分間のドラマが見られたことでしょう。ステンレスの電車は周りの風景に溶け込みすぎです。

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【1139】あの年の5月10日《1973年・1981年》

1973年5月10日 落合川~中津川 朝の8時ごろに中津川に着く上り貨物列車、866列車に無火のC57がきれいに整備された状態で連結されていました。 登校途中に寄り道して同級生たちといっしょに撮影したものです。C57は148号機できれいに整備されていました。この機関車は一般的によくある自治体への貸与でなく民間へ売却されたものでした。長野工場で整備されて大阪の某保存場所に輸送されていくところです。のちに保存状態が日本一きれいと言われる機関車になりました。 クルマはコロナマークⅡとサニーか。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1981年5月10日 奥琵琶湖と三方五湖方面へドライブに出かけました。 奥琵琶湖パークウェイは現在無料化されています。センターラインをはみ出した自動車は20系カローラか。 三方五湖を望む梅丈岳へは、レインボーラインを使います。 こうした写真入りの通行券は、今ではめっきり減りました。 このときは稲沢鉄道寮を2人で出発し、途中で滋賀県在住のT君の家に立ち寄って、そこで彼を拾ってナビをお願いしました。私ども3人は、その2年前に名古屋市内にあった中部鉄道学園で列車掛の養成を受けた同期生仲間で、全寮制だった4か月半の養成期間の生活を共にしたことがありました。 3人は国鉄分割民営化で進路がばらばらになり、T君はJR西日本、もう一人がJR東海、そして私が鉄道を離れました。

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【1138】あの年の5月9日《1983年》

1983年5月9日  終焉が迫っていた飯田線の旧形国電詣でに、また出かけていました。 仕事が休みで天気がよければ飯田線沿線に出かけるという感覚でした。ただし東海地方は晴天でも長野県伊那地方が好天とは限りませんし、この辺りは濃霧が立ち込めることもよくありました。晴れていても中央アルプスが見えているかどうかはわかりませんでした。     飯島~田切     田切~伊那福岡 飯田線特有の、段丘を深くえぐった田切地形をカーブと急こう配を繰り返して越えていくときの吊掛モーターの音は、いつまでも忘れることはできません。     大沢(信)~伊那田島     伊那大島~山吹 前にも書いていますが、連休明けころの信州が私は一番好きです。

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