【991】 スチール棚の企画展16: 気動車

この画像の上半分が企画展全景です。 所有する鉄道模型車両はこの数年でかなり減らしましたが、気動車は国鉄形国鉄色を中心に、かなり生き残りました。それだけ国鉄形気動車は特急用を除けば編成を組むのに制限が少なく、かつバラエティに富んでいて趣味的に面白い対象だということです。系列の違う形式の混結こそが気動車お面白さだと私は思ってはいますが、今回は所有する車種の許す範囲で、できるだけ整った編成に組んでみました。また、気動車はもともと短編成で運転できる形式が多いので、棚部分を左・中央・右と3つに分けて展示しました。 左側にはレールバスと短編成用の気動車を配置しましたいすみ鉄道 いすみ200’・わたらせ渓谷鐵道 わ89-100 真岡鐵道 モオカ63・名古屋鉄道 キハ20 長良川鉄道 ナガラ1・伊勢鉄道 イセ1 甘木鉄道 AR100・天竜浜名湖鉄道 TH1 樽見鉄道ハイモ180・ハイモ230-300・明知鉄道 アケチ1 有田鉄道ハイモ180・南部縦貫鉄道キハ10・国鉄キハ02・国鉄キハ01 国鉄キハ04・国鉄キハ07+キハ07 北陸鉄道キハ5201・JR東海キハ11+キハ11 JR東海キハ48-1500+キハ48-500 上の方はレールバスです。主に国鉄特定地方交通線転換第三セクター鉄道各社で見られましたが、今では、そのほとんどが次の世代の新型車種に主役の座を譲り渡しています。 その下はさらに前世代の顔ぶれが・・・ここまで時代を遡ると、国鉄の2軸レールバスのように現役時代を私が…

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【987】 EF58 60号機と61号機の思い出画像

下は1996年11月9日JRおおみや鉄道ふれあいフェアで撮影したEF5861号機のサイドです。 私は特別なEF58フリークというわけではありませんが、国鉄に就職した直後の約3年間、荷扱作業員として乗務していた荷物列車を東海道本線で牽引していた機関車がEF58だったので馴染みはあり、旅客用機関車としての威厳も感じています。その中で60号機と61号機はブラウン系の車体にステンレスのラインが入り、ひときわ目立っていたので印象に残りました。 60号機を初めて見たのは、高校生時代の名古屋駅でした。 九州へSL撮影に行く途中、名古屋駅で急行「桜島・高千穂」に乗る前に、偶然にも60号機が牽引する上り荷物列車に出くわしました。その列車は荷42列車で、それから3年後には実際にその列車の機関車の直後に連結された「マニ」に乗務することになる列車でありました。 1973年8月2日 名古屋 この画像は【549】思い出の乗務列車46:東海道本線 荷42列車の使いまわしです。乗務している荷物列車の牽引機が60号機だったことは幾度かありました。 上の画像では、正面窓がまだ原型を保っていますが、それから5年半後に撮影した下の画像では、正面窓はHゴム支持の小窓に改造されています。1979年3月9日 荷2033列車 新鶴見 私自身はこの画像を撮影した翌4月に荷扱乗務員を卒業しました。そしてEF5860はその年の5月に愛知県植樹祭で運転されたお召し列車の予備機を務めることになります。 _/_/_/_/_/_/…

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【986】 御料車1号編成の回送列車(1979年/岡多線・東海道本線)

前回、40年前の1979年5月26日~27日に愛知県で行われた全国植樹祭で運転されたお召し列車について書きましたが、今回はその続きです。 このお召し列車の運転日は土日曜でしたので、沿線はかなりの人出でした。これは飯田線の上りお召し列車を撮影した場所の様子です。警察官と鉄道公安職員も現れ、撮影者とのやりとりがありましたが、大勢の撮影者を排除させるようなことはなく無事に撮影できました。 このころの私は部内試験に合格し、列車掛(車掌業務に加え貨車の検査業務をする乗務員で 「【3】貨物列車」で仕事について書いています。)になるために名古屋市内にあった中部鉄道学園に入学中だった時期で、4か月半にわたる全寮制の学園生活を送っていました。土曜日の講義は半日だけで日曜日は休みでしたから、お召し列車と回送列車を撮影することができたというわけです。 以下、小難しい話になりますが、この植樹祭関連のお召し列車運転日当日に、車掌になるための運転法規などを学んでいる身にとってはたいへん興味深いことがありました。それは御料車1号編成をEF5861が後方から後押しする「推進運転」による回送列車が新豊田→北野桝塚間で運転されたことでした。列車の運転業務に従事されている方なら基本中の基本としてご承知のことですが、「推進運転」とは「最前部の運転室以外の場所で列車を運転すること」です。 このときは、東北本線の尾久~上野間の回送列車と同じ運転方式が用いられ、具体的に言うと、列車の先頭(1号編成の供奉車〈電源車460〉)…

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【985】 1979年全国植樹祭お召し列車(ED62・EF58)

本日、令和になって最初の全国植樹祭が愛知県で開催されました。愛知県での全国植樹祭開催は2度目で、前回は40年前の1979年5月でした。そのときは御料車1号編成によるお召し列車が、飯田線・東海道本線・岡多線で運転されました。そのとき撮影した画像とともに、運転経路などをたどってみようと思います。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 【1979年5月26日の御料車1号編成お召し列車】 豊橋―(お召)→三河槇原―(回送)→三河川合 三河川合-(回送)→本長篠-(お召)→豊橋 豊橋―(お召)→蒲郡―(回送)→名古屋 このときの天皇皇后両陛下は豊橋まで東海道新幹線をご利用されましたので、御料車1号編成によるお召し列車は豊橋始発でした。飯田線内の牽引機はED6215で、三河槇原から三河川合まで回送したわけは、折り返し運転で機関車を編成の反対側に連結しなおす(機回り)ためだと思われます。豊橋に向かう飯田線上りお召し列車(野田城~東条)※再掲画像 ED62によるお召し列車はこの日が唯一だったと思います。 折り返して本長篠を発車したお召し列車は豊橋に到着後、ED6215が切り離されて、編成の反対側にEF5861が連結され、進行方向が逆になってこの日の両陛下のご宿泊先最寄駅である蒲郡まで直通しました。 このあと蒲郡から御料車1号編成はEF5861とともに名古屋まで回送されました。名古屋に向かう東海道本線の回9003列車(蒲郡~三ヶ根) 回送列車なので編成はそのままで…

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【984】 お召し列車を牽いた機関車

昭和の時代には、毎年開催される全国植樹祭と国民体育大会のときに運転されるお召し列車の撮影を楽しみにされていた方は多かったと思います。実際にお召し列車の撮影には行けないまでも、後日になってお召し列車をけん引したきらびやかな装飾の面影を残す機関車を見たり、雑誌で当日の写真を見たときには、お召し列車牽引機には後光が射しているように思えたものです。 令和元年を迎え、まもなく一ヵ月が経とうとしていますが、来月、令和になってから初めての全国植樹祭が愛知県で催されます。愛知県での開催は2度目で、前回は1979年(昭和54年)5月でした。そのときは県内の飯田線・東海道本線・岡多線でお召し列車が運転されましたので、昭和の鉄道員としてはそのときのことを思い出します。そのときのことは後日書くことにして、今回は、昭和の時代にお召し列車をけん引した経歴を持つ機関車たちの画像をいくつかアップします。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 【EF64 77とDD51 820】 撮影1987年8月22日 稲沢機関区国鉄が分割民営化された年の夏、JR貨物の公開イベント時の撮影です。 左側のEF64 77は1986年に山梨県で催された「かいじ国体」のとき10月11日に原宿→甲府間、同10月14日に大月→原宿間でお召し列車をけん引したということです。(日付と区間はRail Magazine誌1997年6月号を参照しました。)このときが、国鉄最後のお召し列車になりましたが、私個人はこの年の秋は人生の岐路…

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【983】 稲沢にて ~DD51 890に寄せて~

先週、名古屋市内で知人と飲む機会があったので、その往路にJR東海道本線の稲沢駅に途中下車してみました。と言っても、多治見~美濃太田~岐阜経由というICカードによる大回り乗車中という事情があるので改札外には出ないで、次の上り普通列車が来るまでの15分の間に、旅客ホーム上から見える範囲に留置してあるJR貨物愛知機関区の機関車群を観察してみようと思っただけのことです。 その旅客ホーム付近には、いつもJR貨物の機関車が留置されているのですが、休車や車籍が抹消された機関車が多く含まれ、昨年度末までにまたそのうちの何両かが解体されてしまったので、そのあとにどんな車両たちが留置されているのか確認しておこうという目的でした。 この日、ホームから確認できた機関車は、米原方から大雑把にEF64 1047・DD51 890・EF64 1021・DD51 1146・DD51 1147・DD51 891・DE10 1557・DD51 1803・DD51 1156といったところでした。ほかにも留置車両がありましたが、手前に留置されている車両に遮られて番号が確認できませんでした。この中には国鉄時代からこの地で稼働していたDD51 890とDD51 891の2両がいます。   ↑DD51 890    ↑後ろがDD51 891(手前は岩見沢~鷲別から流れてきたDD51 1147) DD51 890とDD51 891のほかは、国鉄最末期以後(主にJR貨物時代)に各地から転属してきた機関車ばかりですが、それでも国…

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【978】 中央西線を走った車両27: その他の非営業列車 

国鉄時代に中央西線で活躍した車両たちを振り返りながらここまでまいりましたが、今回がこのシリーズの最終回です。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 初めて振り子式車両381系電車で営業運転を行ったのが中央西線・篠ノ井線の特急しなの号でしたが、その381系を開発するにあたって試作されたのがクモハ591系でした。当初は3連接車体構造だったということですが、中央西線で試運転したころには、クモハ590+クモハ591の2車体に改造されていました。1973年2月3日 釜戸駅で このときの試運転は名古屋~釜戸間で行われ、土曜日、学校が終わってから釜戸まで列車に乗って友人と2人で出かけました。1973年2月3日 釜戸駅で 新聞に掲載されたので、このことを知りました。 中央西線で初めて見た特急色の電車でしたが、特急色の2両編成は、どことなく間抜けな感じもしました。 その試運転から半年後に新製された381系による営業運転が開始されました。営業運転開始後も中央西線では381系による高速試験が行われています。そのときのことは【643】中央西線を走った車両9:381系電車(4)の記事前半をご覧ください。 そのほか、国鉄時代に中央西線の検測車として入線していた意外な車両としては、交直両用のクモヤ494・495があります。1983年3月4日 坂下~田立 このほかにも、キヤ190・191とマヤ34も検測のために入線していました。「【57】国鉄時代の検測車」の記事で中央西…

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【977】 中央西線を走った車両26:  工場入出場のパートナー +α

国鉄時代に中央西線で活躍した車両たちを、引き続きご紹介してまいります。このシリーズで紹介する車両の範囲は「国鉄分割民営化まで」としていますが、その間に走った車両を網羅する内容ではないことも、あらかじめご承知おきください。今回と次回は一般客扱いをしない回送列車などです。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 中央西線にあった車両基地のうち、電車を担当するのが神領電車区でした。瑞浪から中津川まで電化区間が延伸された1968年に開設され、中央西線のほかにも東海道本線など他線区で使用する車両を擁していました。 車両基地には営業用車両ではなく、黒子的存在として電車区内の入換作業や、車両工場への入出場のときの牽引用に使用される事業用車も配置されているものです。まず神領電車区に配置されていた事業用車を中心に取り上げます。 <クモヤ90>クモヤ90804 1979年撮影日不明 倉本駅で後部から。 先頭←クハ86+モハ80+クハ85+クハ165+クモヤ90 クモヤ90は神領に2両配置され、神領電車区の80系と165系が長野工場で検査担当をしていたので、そのうち1両(クモヤ90804)が中央西線南木曽以北にある狭隘トンネル通過を考慮して低屋根化改造されていました。画像は、その長野工場の検査上がり車両を回送しているところだと思われます。クモヤ90804のパンタ側のお面は正方形に近くて違和感を覚えます。 <クモハ40>クモハ40800  1977年…

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【976】 国鉄時代の観光案内車内放送:「ひだ」(後篇)

前篇からの続きで、国鉄時代の高山本線の特急ひだ号の車内放送です。 ・録音日:1985年12月23日 ・列車:東海道本線・高山本線「ひだ3号」 ・運転区間:名古屋・高山 ・今回の収録区間:飛騨金山~高山 ・収録時間:約12分05秒 この間には分岐する鉄道はなく、途中の停車駅は下呂だけですから、沿線の観光案内放送が中心になります。 ◆中山七里(飛騨金山~)  このあたりの車窓はすばらしいですが、鉄道写真にも適していたので、よく撮影に行きました。 ◆下呂到着 録音に付けた画像(下の画像)は、下呂発車後の風景ですので、少し場面は前後します。ずっと深い谷間を走ってきて下呂に近づくと、突然変異のように鉄筋コンクリートの温泉旅館を中心とする街が現れ、この急な車窓の変化も面白く感じます。 ◆禅昌寺(禅昌寺駅通過前) 禅昌寺は駅名にもなっています。このあたりは今も変わらず、列車から山門や鐘楼を見ることができます。 ◆宮峠と野麦峠(久々野発車後) 特に冬場には、飛騨小坂のあたりで天候が急変することがよくあります。にわかに曇って雪が舞ってきたり、そうでなくとも積雪が目立つようになります。地形が険しくなり、撮り鉄の心をくすぐるところなので、ここでも録音に付けた久々野発車時の映像には、かみ合いませんが、あえて久々野より手前で撮影した画像を付けていますので、ご了承ください。 録音のほうは禅昌寺から一気に久々野を発車した時点に飛びます。宮峠の勾配に挑むエンジ…

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【975】 中央西線を走った車両25: ジョイフルトレイン 

国鉄時代に中央西線で活躍した車両たちを振り返りながらここまでまいりましたが、一般客扱いではない団体専用列車や回送列車、試運転列車なども、いくつか画像に記録しておりますので、引き続きご紹介してまいります。 国鉄では昭和40年代から、「ジョイフルトレイン」の嚆矢ともいうべき団体用の特殊車両を誕生させていました。それが畳敷きの和式客車で、最初に盛岡鉄道管理局で試作され、その後はオハ35・オハフ33を改造して編成単位の臨時運転を前提にして「お座敷列車」と銘打って名古屋鉄道管理局と長野鉄道管理局で各1編成ずつ誕生しました。 両者はオハ80・オハフ80を名乗りましたが、のちにグリーン車扱いとなってオロ80・オロフ80と形式変更されています。 1973年6月26日 恵那(「名ナコ」のオハ80・オハフ80編成) そのあとも各鉄道管理局で続々とお座敷列車が誕生しましたが、改造種車が冷房付グリーン車スロ62・スロフ62に変わり、スロ81・スロフ81を名乗りました。1973年5月12日 落合川~中津川 スロ81・スロフ81編成 外観上はグリーン座席車時代とほとんど変わらず、他のグリーン車同様、のちにグリーン帯が消されて特別感がなくなりました。後発の東京南局と大阪局の編成だけは改造時に車体側面には2本の白いラインが入れられて登場しました。↓1984年7月1日 落合川~中津川 時代が移り、スロ81・スロフ81改造のお座敷列車も世代交代が進行して、新たなお座敷列車は12系座席車から改造されるようになっ…

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【974】 国鉄時代の観光案内車内放送:「ひだ」(前篇)

「しなの」の車内放送に引き続いて、今回は国鉄時代に収録した高山本線「ひだ」の車内放送録音で飛騨路の旅にご案内したいと思います。ここにアップする特急「ひだ3号」は、名古屋と高山を結ぶ列車で、キハ80系気動車6両編成で運転されていました。 乗務する車掌は、車掌長(チーフ)と専務車掌各1人ずつで、車内放送は主に車掌長がグリーン車の乗務員室に乗務して受け持ちました。専務車掌は最後部運転室でドア扱いも担当する「運転兼掌」でしたので、到着時など補助的に放送することはありました。この録音の収録時期は、私が専務車掌になって1年半ほど経った1985年12月で、そのとき私は予備勤務に指定され、ふだん勤務ローテーションに入っていない高山本線の列車に乗務する可能性がありました。 私は岐阜県人でしたし高山本線へは撮り鉄で当時はマイカーでよく出かけましたから、地理的感覚はあるものの高山本線への乗務経験はわずかしかなく、いつでも自信を持って乗務できるようにしたいと思っていたのでした。ちょうどこの日、私は早い勤務明けで、いつも「しなの」号の乗務でお世話になっていた車掌長氏(これまでアップした「しなの」車内放送をされていた方)が「ひだ3号」に乗務される日でしたので、仕事の手順や取扱いの確認をするために、高山までプライベートで乗りに行ったのでした。その直後に「ひだ1号」に急遽乗務する機会があり、この録音をして予習したうえで乗車できたことは大変有意義でした。  と、いうわけで、今回はYoutubeにアップした「ひだ3号」…

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【973】 中央西線を走った車両24: 20系客車(団体と回送)

国鉄時代に中央西線で活躍した車両たちを振り返りながらここまでまいりましたが、一般客扱いではない団体専用列車や回送列車、試運転列車なども、いくつか画像に記録しておりますので、引き続きご紹介してまいります。1985年1月22日 大桑~須原(既出画像) 20系寝台客車については、「ちくま」関連で以前に書いたのですが、「ちくま」の20系客車は12系客車との併結編成でした。しかも夜行列車でしたから中央西線内で撮影した画像がありません。しかし国鉄末期になり、20系客車が特急運用から外されて団体用に転用されるようになると、九州方面から信州方面への団体臨時列車として入線してくることが増えてきました。 1986年(撮影日不明) 釜戸 ほとんどが冬場の運転で、高校のスキー学習の団体さんのようでした。こういう列車が冬場の信州には集中しましたから、現地に車両の留置や整備清掃する基地がなく、輸送後に空いている車両基地まで回送する列車が運転され、逆に車両基地から帰路の団体さんを信州にお迎えに行く回送列車もあったわけで、こういう列車は日中に運転されることが多かったのです。 1987年(撮影日不明) 美乃坂本~中津川 このころの20系客車の車体に3本あったラインのうち、一番上の1本が消されつつあった時代で、それが特急用から格下げされた証のようにも思えました。 1986年月日不明 中津川~美乃坂本(既出画像) 20系の入線が増えたころ、名古屋鉄道管理局に欧風客車ユーロライナーが誕生し、EF64 66が…

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【972】 国鉄時代の観光案内車内放送:「しなの」(4-4)

(画像は国鉄時代の松本駅ではありません) 先週に引き続いて、国鉄時代に録音した「しなの号」の車内放送の解説や補足などを書いておくことにします。音声は、車内放送部分だけを編集してアップしていますので、車内録音ノーカット版ではありません。収録した日と列車は前回と同じで、続編となっています。 録音日:1986年10月26日 列車:中央西線・篠ノ井線「しなの7号」 運転区間:名古屋・長野 今回の収録区間:松本発車~長野到着放送 収録時間:約11分20秒 ◆松本発車時の放送~北アルプス~奈良井川と梓川の合流点 松本を出ると松本城が見えましたが、たくさんの建物に遮られ、よほど注意していないとわからないためか、放送では触れられていません。今では市街地の建物が増えただけでなく、高さのある建物も増えましたので、車窓からはほとんど見えないと言ってもいいように思います。その反対側の車窓からは北アルプス連峰が見え、奈良井川と梓川が合流するあたりから見た車窓は個人的にも好きなところです。しかし朝方は天気が良くても「しなの7号」が通過するお昼ごろになると山頂付近が雲に覆われることが多いです。 ◆冠着トンネル~姨捨の展望(2分20秒付近~) 国鉄の三大車窓の一つと言われた姨捨の展望は、しなの号の車窓では寝覚ノ床と並ぶ見どころでした。 塩尻駅で進行方向が変わっていたころは、名古屋発車時点で進行左側窓側の座席を確保しておくと、寝覚ノ床と姨捨の展望の両方を楽しめましたが、今ではそうはいかなくなりましたの…

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【971】 中央西線を走った車両23: 70系電車(後篇)

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないので、あらかじめご承知おきください。 今回は先週の70系電車の続きです。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 神領電車区の70系は6両編成で運用されていました。 1978年10月 釜戸~武並 そのほか朝夕の増結用(岡多線の旅客営業開業後は岡多線用としても使用)として4両の付属編成もありましたので10両編成も組んでいました。一時期12両編成もあったと記憶しています。10両編成以上で中津川まで入っていた定期列車は私が知る限り1往復だけでした。 <ある日の10両編成の記録> 1969年4月28日 626M 6:29中津川発=8:07名古屋行   クハ68082   モハ70116   モハ70044   サハ75004   モハ70078   クハ76305   クハ76030   モハ70307   モハ70018   クハ68075 (所属名未確認ですが、全車「名シン」と思われます) 4両・6両編成とも、両端のクハがどちらもクハ68という編成は見たことがなく、それはたぶんクハ68にはトイレがないからだと私は思っています。しかし10両(6両+4両)になると、この例のように両端がクハ68になることがありました。当時の私はクハ68に対して偏見を持っていたこともあって、こういう編成は嫌…

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【970】 国鉄時代の観光案内車内放送:「しなの」(4-3)

先週に引き続いて、国鉄時代に録音した「しなの号」の車内放送の解説や補足などを書いておくことにします。音声は、車内放送部分だけを編集してアップしていますので、車内録音ノーカット版ではありません。収録した日と列車は前回と同じで、続編となっています。 ・録音日:1986年10月26日 ・列車:中央西線・篠ノ井線「しなの7号」 ・運転区間:名古屋・長野 ・今回の収録区間:薮原~松本到着放送 ・収録時間:約11分20秒 ◆薮原宿 鳥居峠 奈良井宿(0分05秒~) 薮原駅と奈良井駅の間に鳥居峠があり、ここが太平洋と日本海との分水嶺になっています。蒸機時代は難所だったそうですが、複線電化されるにあたって現在の新ルートに付け替えられて、今では電車が鳥居トンネルを通って難なく通過します。 中山道時代はさらに大変だったわけで、その難所の麓にある薮原と奈良井の両宿場町が栄えたということです。奈良井宿は昔の面影を残す観光地になっており、中央西線はその宿場町に並行していますが、残念ながら車窓から眺められるのは宿場町の家々の裏側なので、宿場町の風情を味わうためには普通列車に乗って奈良井駅で降りなくてはなりません。 放送にもありますが、しなの号の運転区間の中で、いちばん桜が咲くのが遅いのがこのあたりです。4月に「しなの号」に乗ると、どこかで満開の桜に出会えます。その約1ヶ月間で満開の桜を見られる場所が変わっていき、年によって多少は違うものの大型連休あたりにこの付近で満開を迎え、その年の車窓からの花…

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【969】 中央西線を走った車両22: 70系電車(前篇)

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないので、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 70系電車は、80系電車に比べると知名度が落ちますが、電化されたばかりの1966年から中央西線で使用されていました。そのころ電化区間は名古屋~瑞浪間だけで、まだ神領電車区もなかった時代でしたから、大垣電車区の所属になっていました。1968年に中津川までの電化工事が完成すると神領電車区が開設され、70系は大垣電車区から神領電車区へ全車が転入し、それとは別に大船電車区からも新たに70系が神領電車区に転入してきました。これでその年の10月からの中津川電化に伴うダイヤ改正への車両配置が整ったわけです。1977年3月10日 高蔵寺~定光寺 瑞浪・中津川間の複線電化工事は1968年8月に完成し、10月のダイヤ改正を前にして、夏休みに沿線の小中学校の児童生徒を対象とした試運転列車の無料試乗会が催されました。大人たちが10月のダイヤ改正まで乗車できない「電車」に乗れることはこの上ない喜びでした。しかし定員の関係なのか全校児童生徒が対象というわけではなく、私が住んでいた校区では学年が指定され、小学5・6年生と中学1年生に限られていました。私はそのとき小学5年生でしたので、かろうじてセーフとなり幸運でした。学校の行事という感覚で、欠席者もほとんどなかったような…

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【968】 国鉄時代の観光案内車内放送:「しなの」(4-2)

先週に引き続いて、国鉄時代に録音した「しなの号」の車内放送について解説や補足を書いておくことにします。音声は、車内放送部分だけを編集してアップしていますので、車内録音ノーカット版ではありません。収録した日と列車は前回と同じで、その続編となっています。 ・録音日:1986年10月26日 ・列車:中央西線・篠ノ井線「しなの7号」 ・運転区間:名古屋・長野 ・今回の収録区間:倉本~宮ノ越付近(4-2) ・収録時間:約13分00秒 ◆乗鞍岳(0分05秒付近~) 深い谷が続く木曽谷の底から乗鞍岳が見えることは意外に知られていません。もっとも雲がなく空気が澄んだ快晴の日でないと見られないのですが、コンディションさえよければ、倉本駅を出てすぐ、左側の車窓から列車と並行しながら左へカーブしていく木曽川の上流方面に見えます。 ◆小野の滝(案内放送0分18秒付近~1分25秒)       (現地を通過するのは2分44秒付近) 放送で「滝の上のほうだけ見えます」と言っているように、列車の車窓から滝の全容を見るのは不可能です。下を走る国道19号線には駐車スペースもあり、そこからは全容が見られますが、滝の正面を横切る中央西線の鉄橋がたいへん目障りです。江戸時代に安藤広重による浮世絵「木曽海道六拾九次之内『上ヶ松』」にも描かれた名瀑ですが、明治時代に造られた鉄道によって景観が台無しになったわけで、今なら景観の保護が優先されたのではないかと思います。 ◆寝覚ノ床(1分25秒付近…

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【967】 中央西線を走った車両21 :80系電車と115系電車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないので、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 80系電車は、国電の代表形式のうちの一つで、幹線からローカル線まで幅広く活躍し、電化された中央西線でも使用されていました。 1980年3月頃 美乃坂本~中津川 中津川電化時点(1968年)ごろは、中津川まで乗り入れる定期列車には70系が主に使われていましたから、そのころ中津川界隈で80系を見た記憶といえば、週末に運転された臨時快速「恵那峡」くらいでした。 厳密に言うとそれはウソになります。と言うのは神領電車区の70系に組み込まれたサハのうち3両は横須賀色に塗装された80系のサハ85が混入していたからで、いつも「スカ色」の80系を見ていたことになります。そのサハ85については、後日70系の記事のなかで語ることにしますので、今回は触れません。 中央西線で本格的に80系電車が使用されるようになったのは、中央西線が全線電化された1973年からと言ってよいと思います。 1979年4月29日 田立~坂下 南木曽以北に断面が小さいトンネルがあるため、使用されたのは電動車モハ80のうち低屋根800番代か、折り畳み高さが低いPS23パンタに取り換えた神領電車区の編成に限定され、4両単位で編成を組んでいました。70系にはそういう狭隘ト…

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【966】  国鉄時代の観光案内車内放送:「しなの」(4-1)

私が国鉄末期に乗務していた「しなの」号は、名古屋と信州を結ぶ列車で、381系電車9両編成で運転されていました。 乗務する車掌は3人チームで、その中の車掌長がチーフと呼ばれ、車内放送も受け持っていました。チーフは列車全体の責任者としてグリーン車の乗務員室に乗務し、私は最後部の運転室でドア扱いも担当する最下位の専務車掌で、乗客扱いのほかに列車の運転に関する取扱(ドア扱いをはじめ信号現示確認し列車を発車させるなど)を兼ねていました。もう一人は特別改札行路の専務車掌(車掌長行路に組み入れられていたので、実際には車掌長職の場合がほとんど)で、主に前寄り3両の自由席車を受け持ちました。チーフはグリーン車を含む編成中央部の指定席3両を、最後部の私は後寄り3両(指定席)を受け持つのが一般的でした。 当時の私は、何事もなければ将来は車掌長になるのが自然の成り行きでしたから、車掌長の仕事のテクニックなどを見て、後の自分の仕事に活かそうと思っていました。 この列車では、観光客のみなさんから、車内巡回中に沿線の風景や名所について尋ねられることもありましたから、私は必ず木曽路の観光ガイドブックを持って乗務していました。詳細な沿線観光案内放送をされる車掌長氏とコンビになったときには、最後部の運転室で私物の小型テープレコーダーでそれを録音したこともあり、わかりやすい放送のしかたや、沿線の観光地のことなどを勉強したものです。 その録音テープを今になって聴きなおしますと、あたかも実際にしなの号に揺られているようで、…

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【965】 中央西線を走った車両20 :475系電車と72系電車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないので、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 《475系電車》 中央西線に交直両用475系とは実に違和感を持ちますが、名古屋~博多間の急行「玄海」の間合い運用でした。それはおそらく神領電車区が完成した年、1968年10月のダイヤ改正(中津川電化時)からだと思いますが、当時は中津川まで運用されていなかったので、私は見たことがありませんでした。私が475系に気付いたのは中津川まで運用されるようになったときで、古い時刻表と記憶とを総合すると、中津川始発の上り快速列車が2本体制になった1969年10月のダイヤ改正からではなかったかと思います。その1年前の電化完成時1968年10月のダイヤ改正で中津川を朝7時台に153系の上り快速が設定されましたが、1969年10月の時刻表を見ると朝7時台に中津川始発の上り名古屋行快速が運転されるようになっています。下の画像は時が経過して1971年4月に美乃坂本~恵那で撮影した快速636M名古屋行です。(列車後方から撮影)  画像では正面愛称板こそ白表示ですが、字幕には「急行」が出ていて、そういうことに無頓着だった時代であったことを反映しています。 1本前の153系快速が普通車8両編成で、中央西線にデビューしたころは輝いて見えたものでしたが、この475系はサ…

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【964】 駅名のアクセントと読み間違い

国鉄時代の1983年8月8日に、関西本線の桑名・富田間に「朝日」駅が開業しました。 記念の臨時列車が運転されました。 記念乗車券も発売されました。記念乗車券は硬券セットで、これは部内でも予約注文を受け付けていましたので、当時の私の乗務範囲内のことでもありましたから入手し、増収に協力?しました。駅の近くにアサヒビールの工場などがあるわけではないと思うのですが、ホルダーにアサヒビールの広告があるのが、面白いと思います。 どうでもよいことかもしれませんが、新駅ができて、「次は、あさひ、あさひです」と車内放送をする立場になると、アクセントが「あ」に来るか「さ」に来るか、気になってしまいました。部内の指導資料には、記念乗車券を回収するときは記念券部分を旅客に交付しろとか、当たり前のことは書いてあるくせに、アクセントをどうするかというようなくだらないことはもちろん書いてありません。結局のところ正しいアクセントは未だによくわかりません。近鉄は「伊勢朝日」ですから、参考になりそうですが、そう考えると「名古屋」にしても「近鉄名古屋」「名鉄名古屋」では「な」にアクセントが来ますし「名古屋市」「名古屋行」だと「ごや」にアクセントが来ますが、単独で「なごや」と言うと「な」にアクセントが置かれる場合もあれば「ごや」の場合も聞きます。どちらかが正しいとか間違っているということではないのでしょうから、どうでもいいことなのは承知していますが、特に地元民の方がお聴きになると違和感を感じる方はあるだろうと思うわけです。 …

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【963】 中央西線を走った車両19:159系・155系・167系・169系電車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないので、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 159系は大垣電車区に所属した中京地区の修学旅行用電車でした。 この電車は、修学旅行以外にも臨時急行・臨時快速に使用されたほか、定期列車にも153系に代わって運用されることがよくあり、先週書いた中央西線中津川と東海道本線を直通する朝夕1往復の快速列車でも、運用されているのを見たことがありました。 1973年2月26日 快速2636M 美乃坂本 前日夕刻の大垣発中津川行に159系が運用されているのを見て、翌日の朝、登校前に駅まで出かけて撮影した画像です。 ところで、私は中学校の修学旅行で159系に乗った世代ですが、徐々に新幹線に移行し始めるころでした。小学校6年生のときに、まだまだ先の中学校の修学旅行について保護者向けのアンケートがあったことを今でも記憶しているのですが、その内容は、修学旅行で新幹線を使いたいか、それとも従来どおり在来線の修学旅行列車を使いたいかという希望調査でした。従来のように在来線利用なら、修学旅行の行先は箱根と東京だけになるが、往復新幹線を使えば日光まで足を延ばせる。ただし新幹線利用だと、費用負担が1人3000円余計にかかるが、さてどうする?ということでした。私は言うまでもなく「こまどり」がいいと親に伝えました…

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【962】 自動音声による案内放送で思うこと…P.S.ノーサイド

鉄道の車内に限ったことではありませんが、今どきは公共の場で、必要となる情報を自動音声による放送で客に伝えることが多くなりました。通常時は音量が適度でスピーカーなど機器が正しく機能していれば、人の手間をかけることなく、客が知りたいことを正確に伝えられますから、必要に応じて肉声放送を補助的に用いればよいわけです。 愛知環状鉄道2000系です。2005年に行われた「愛・地球博」に対応するために投入され、私は通勤に使っていました。愛知環状鉄道ではワンマン列車がありませんが、開業時に導入された100・200・300形の時代から自動放送が導入されており、この2000系の自動放送は聞き取りやすく私のお気に入りでした。 ところで、国鉄時代に私が乗務していた車両のなかに自動放送の設備があるものはなく、すべてを肉声放送で行っていました。 駅の放送は、国鉄時代から自動化が始まっており、名古屋駅では1982年12月から在来線ホームにも自動放送が導入されました。これによってホーム案内要員が複数のホームを掛け持ちで担当するようになったことで、ホームに案内要員が不在になる時間が大幅に増え、案内要員が受け持っていた終着列車の車内遺失物点検業務が業託化されました。このとき導入された自動音声は不自然極まりない放送でした。 「8、番線、の列車は、 特急、 しなの、 7、号、 長野、 ゆきです」 という調子で、単語で切れている部分が多く、イントネーションもめちゃくちゃで「ほう、長野は雪ですか?」と突っ込みを入れたくなるほど…

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【961】 中央西線を走った車両18: 153系・165系電車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないので、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 153系・165系 1968年に中央西線の瑞浪~中津川間の電化工事が完成した時点から、私の実家の最寄り駅での「電車」との付き合いが始まりました。そのころ古い70系電車と、気動車、機関車牽引の客車列車が混在するなかで出色だったのが、1往復だけあった中津川発着の東海道本線直通快速列車でした。この列車は大曽根~多治見間ノンストップという速達性のほか、大垣電車区の153系8両編成であったことが、「急行」を思わせ、よく乗りました。 1971年4月 中津川発大垣行快速1634M 美乃坂本~恵那 大垣電車区の153系編成の先頭車は、正面が橙色一色の低運転台と高運転台のクハ153が混在していました。ほかにも正面が橙と緑の2色塗装のクハ165が混用されましたので、どの顔が来るのかということも楽しみの一つでありました。 165系による急行が中央西線を走るようになったのは、そのあと1973年の全線電化時からでした。こちらは新たに神領電車区に配置された車両でしたが、すべて他区からの転属車で新車ではありませんでした。 1973年7月21日 上り急行「きそ1号」 恵那駅で 急行では、165系の中間にサハ153が混入することが多く、153系から改造…

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【960】 聴かれていた車内放送

私は子どもの頃、中津川へ親の買い物に付いていくとき、乗った列車では、きまって中津川到着前には、「ハイケンスのセレナーデ」のオルゴールのあと、連絡する急行列車や北恵那鉄道への乗換案内、切り離す車両があることや停車時間が丁寧に放送されたものです。 車内放送を自分もやってみたいとの思いもあって、子どものころには車内放送の真似をしたこともありました。高校生の頃になってラジカセを持つようになると、旅先で乗った列車の車内放送を録音したこともあります。そのころの録音のうち2列車(上り急行「阿蘇」と、下り急行「だいせん1号」)についてYoutubeにアップしています。それらは拙ブログの過去記事からお聴きいただくことができます。 【701】【名古屋】旧客編成・急行阿蘇【熊本】 【605】山陰旅行の今と過去6:車内放送 国鉄時代の録音をいろいろと再生してみると、放送する人間側の技術にばらつきがあったことを感じます。放送の主や担当する車掌区によって、言い回しなどが微妙に違っていて、非常に聞きやすくわかりやすい内容で感動するような放送があると思えば、その逆の場合もありました。そういうことは地域によっても特徴があることも、先週の記事にご投稿いただいたコメントから改めて気付かされたりもしました。また、機器の不具合または整備状況のせいなのか、音量が小さく、または雑音があったりして、まったく意味をなさない車内放送も聴いてきました。言ってみれば均一な品質の放送ができていなかったわけで、放送機器の性能もよくありま…

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【959】 中央西線を走った車両17 :12系・14系・20系客車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないことも、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 12系客車は波動輸送用として製造された客車でしたから、中央西線のように季節や曜日による輸送量の増減が激しい線区では、臨時列車を中心によく入線していました。1973年2月3日 急行「ちくま1号」 釜戸駅 1973年5月5日 臨時快速「木曽路」 坂下~落合川 12系客車は定期急行「ちくま」・「きそ」にも使用されるようになりました。「ちくま」では20系寝台車と12系が併結されました。 1986年8月21日 長野で 時刻表を見ますと、1986年の1~2月に臨時急行「なにわ銀嶺」という寝台列車が運転されたことになっています。深夜なので見に行ったわけではありませんが、おそらく宮原の20系で運転されたのではないかと思います。中央西線の定期列車で座席車がない寝台列車はなかったので、一般客扱列車としての寝台列車は珍しいと思います。時刻表画像は1985~1986年(60.3改正時)冬版名古屋鉄道管理局ポケット時刻表の臨時列車ページです。大阪発妙高高原行で運転日は1/31・2/14・2/28でした。(折り返しは2/2・2/16の運転)。その前年の冬にも臨時急行「なにわ銀嶺」は時刻表の臨時列車ページに名を連ねていますが、全車普通車座席指定となっています…

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【958】 改めたい放送(国鉄時代のテキストより)

国鉄時代のテキストに書かれていたことについて連載しています。 改めたい放送例が書かれており、どうすればよいかが書かれています。以下、抜粋です。 <左:改めたいことば→右:適切なことば>  公衆電報→電 報  陸 橋→ 橋  着発線→のりば(又は〇番ホーム)  余 席→座席がある  接 続→連 絡  解 放→切りはなす  増 結→つなぐ・つける  運転休止→運転しない・運転をやめる  踏切障害→踏切事故  国鉄自動車→国鉄バス  110分→1時間50分 以上は、部内用語や専門用語なので、ことばにすると伝わりにくいということでしょうか。他にも、  にて→で  より→から  お越しください→おいでください  清掃→そうじ  たいへんながらく→たいへん(長らくは使わない)  悪いこと→よくないこと などと、私には説明できませんが口語体の日本語としてのあり方みたいなことでしょうか。果たして自分がどこまで忠実だったかは、何とも言えません。 「着発線」という言葉が上に出てきましたが、着発線を表すことばは、「乗り場、ホーム、〇番線、〇番乗り場、上り線、下り線」とたくさんあるわけですが、放送では「乗り場、又は〇番ホーム」に統一したほうがよいと思われるということのようです。ほかにも、 ◆「〇〇行、急行□□」「急行〇〇行、□□」などと表現のしかたはいくつかあるが「急行□□ 〇〇行」 下の例ですと、「特急やくも 松江行」となります。行先字幕も、その順…

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【957】 中央西線を走った車両16 :旧形客車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないことも、あらかじめご承知おきください。機関車編が終わりましたので、一般客扱列車に連結されていた客車について2週に分けてアップします。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 小学生のころに見た客車について、いくつかお話してきましたので、重複しないように進めます。 自分が中央西線の定期列車で見たり乗ったりした旧形客車の形式を列挙してみます。 ナハ10、オハ31、オハ34、オハ35、オハ36、スハ40、スハ43、オハ46、オハ47、オハ51、オハ53、オハ55、オハ60、オハ61、オハ62 ナハフ10、オハフ33、スハフ36、スハフ42、オハフ45、オハフ52、オハフ60、オハフ61 スロ51、オロ61、スロフ51、オロフ61、スロフ62 オロハネ10、スハネ16、オハネ17、オハネフ12 スハニ31、スハニ32、オハニ36、オハニ61 スユニ60、スユニ61、マニ32、マニ36、マニ60、マニ74、マニ76、オユ10、スユ43、マヌ34 ほかにもあったかもしれませんが、特定しかねる形式もありますので、このくらいにしておきます。 上に列挙した形式のうち、下のブログ記事の中でカッコ内に示した形式やグループについて、出会った経緯や思い出を書いています。(画像はありません。) 【891】小学生時代…

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【956】 国鉄時代の車内放送

「60がらみのおじいさん」の事例や投書と思われる、よからぬ接客事例が載っていた列車掛養成課程で使ったテキストには、車内放送の注意点なども書いてありました。 テキストは中央鉄道学園で作成されたもので、つまり全国の国鉄の接客業務を行う職員を対象にしているものでした。しかるに国鉄で放送の質にばらつきがあったのは、現業機関での教育が行き届かなかったのか、職員の意識の問題でもあったのでしょう。 (京都鉄道博物館101系モックアップ) 画像の左端にある車内連絡用送受話器が放送用マイクロホンを兼ねていました。送受話器を右手で掴むと、親指の位置にあたる部分に押しボタンスイッチがあって、それを押している間だけ車内連絡用から車内放送用回路に切り替わる仕掛けでした。 そのテキストに書かれていた注意点など内容を少し抜粋してみます。 ◆始発駅発車前の車内放送での「おはようございます」のあいさつ放送は9時ごろまでとし、その後の放送は「ご案内いたします」とする。 ◆始発駅発車後の案内放送のときは、車掌長の名前(姓名)を明らかにすると、お客様に親しみと安心感を与える。 ◆車掌室の所在を放送する。 ◆停車駅、到着時刻、列車の編成などの案内放送をするときは「〇〇についてご案内いたします」の例により最初に見出しをつける。 と、いう具合です。この中で、乗務員が放送で「車掌長の名前(姓名)を明らかにすると、お客様に親しみと安心感を与える。」という書き方は、必ず名乗れとは言っていません。事実、昭和50年代の…

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【955】 中央西線を走った車両15 :電気機関車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないことも、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 国鉄時代の中央東西線は、ともにEF64(0番台)が大活躍した舞台で、中央西線では中津川電化の1968年から使用されていました。このとき配置された14両のうち新車は2両(29・30)だけで、あとは奥羽本線福島機関区からの転属車(1~12)でした。 EF641[稲一] 1973年10月 急行ちくま2号大阪行 中津川駅 東海道・山陽本線という表舞台で活躍したEF60・61・65・66や、碓氷峠のような特別な区間で活躍したEF62・63などと比べると、EF64はずいぶん地味な機関車だったと思いますし、そもそもD51が消えてからの中央西線自体が撮影者には見向きされにくい線区でした。 EF64が入線する前、1966年の中央西線の瑞浪電化時から1968年の中津川電化時まで、EF60が多治見まで入っていました。このEF60は甲府機関区から稲沢第二機関区へ転属してきたもので、1965年の中央東線松本電化時に吹田第二機関区から甲府機関区に転属して中央東線で活躍を始めたグループでした。勾配線区での制輪子による空気ブレーキのみの制動では問題があったとのことで、「中央西線瑞浪電化用」としてEF64(16~28)が甲府機関区に新製配置され、追い出されたEF6…

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