【1373】あの年の12月30日《1971年・1982年・1996年》

1971年12月30日 中学生の頃撮影した画像です。 名鉄瀬戸線の地平時代の大曽根駅に留置されていたデキ202。 これも名鉄瀬戸線の地平時代の大曽根駅。このワフ39は予備車なのか、いつもこの位置に留置されていました。手ブレーキのカバーがある緩急車は私鉄っぽくて、私のお気に入りでした。 森下~大曽根間 モ750形 この日のネガを見ると、大曽根駅とその周辺で撮影した瀬戸電関係5コマ。この前に1コマ、後ろに3コマ分の露光していない部分があるのですが、これだけを撮影しに来たとは思えないので、もしかしたらコンパクトカメラゆえにレンズキャップを外さずに肝心な被写体を撮り逃していたのではないかという気がします。カメラを買ってまだ3本目のカラーフィルムで、大曽根に来た本来の目的も今となっては何だったのかさっぱり記憶にありません。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1982年12月30日 自動車で飯田線に来ていました。飯田線は南北に長い路線ですが、どちらかというと愛知県内の撮影にはあまり行ったことがありませんでしたので、同県内の有名撮影地を訪ねました。 飯田線 長篠城~鳥居 飯田線 野田城~東上 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1996年12月30日 例年、この日は岐阜県の実家へ行く日になっていました。この年は、その途中に自動車で少し遠回りをして、高山本線上麻生駅前に保存さ…

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【1372】あの年の12月29日《1973年・2000年・2002年》

1973年12月29日 12月25日から書いている「山陰地方と北九州の蒸機撮影」 この日は北九州での撮影でした。 後藤寺線 起行~船尾 筑豊本線 東折尾~中間 この日までで撮影日程は終了し、その夜の急行「阿蘇」のスハネ16に乗って、翌日名古屋に着いています。 この旅のことは、以前【832】撮り鉄12か月…1973年12月「山陰・北九州蒸機巡り」で書きましたので、詳細は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2000年12月29日 名鉄電車・バス全線乗り放題の「1DAYフリーきっぷ」を使って、ふだん乗ることがない名鉄電車の支線区間へ乗りにいきました。 <当日乗った名鉄電車のルート> 上飯田―犬山―新可児―明智―八百津(折返し) 八百津―明智―御嵩(折返し)―犬山―新岐阜―(田神経由)―新関(折返し)―野一色―徹明町―美濃北方―黒野 黒野―谷汲(折返し)―黒野―本揖斐(折返し)―黒野―岐阜駅前・新岐阜―金山 この9日後、年が明けて2001年1月7日に、再び「1DAYフリーきっぷ」を使って名鉄線乗り鉄の続きをやっています。 (【1015】あの年の1月7日《1974年・2001年》で触れています) ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2002年12月29日 昨日の続きになります。北九州乗り鉄旅の2日目です。 <当日の行程> 久留米―夜明―田川後藤寺―新飯塚―…

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【1371】あの年の12月28日《1973年・1981年・2002年・2003年》

1973年12月28日 12月25日から書いている「山陰地方と北九州の蒸機撮影」 山陰本線 三見~玉江 山陰本線 長門市駅 このあと九州入りしましたので自由周遊区間から出ました。 この旅のことは、以前【832】撮り鉄12か月…1973年12月「山陰・北九州蒸機巡り」で書きましたので、詳細は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1981年12月28日 車掌時代のことですが、乗り鉄の同僚に誘われて名松線に乗りに行ったのがこの日でした。当日はキハ55+キハ30という2両編成で1往復してきました。そのときの画像を【685】JRダイヤ改正で思いだすこと⑥~名松線で、アップしていますので、今回は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2002年12月28日 この日から1泊で北九州へ乗り鉄旅に出ています。 <当日の行程> ―(新幹線)―小倉―(ソニック13号)―大分 大分―由布院―久留米(泊) 久大線 由布院この日の目的は久大線の初乗りでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2003年12月28日 昨日の続きで、1泊での山陽・四国へ乗り鉄旅2日目です。 <当日の行程> 倉敷市―(水島臨海鉄道)―三菱自工前を往復 倉敷駅―(バス)―JR児島駅 児島―多度津―琴平 琴電琴平―(琴電)―仏生山―(…

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【1370】あの年の12月27日《1973年・2003年》

1973年12月27日 一昨日から書いている「山陰地方と北九州の蒸機撮影」 江津駅に停車中の三江北線貨物列車。(集煙装置付C56 126) 山陰本線 鎌手~岡見 山陰本線 宇田郷~須佐 この旅のことは、以前【832】撮り鉄12か月…1973年12月「山陰・北九州蒸機巡り」で書きましたので、詳細は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2003年12月27日 この日から1泊で山陽・四国へ乗り鉄旅に出ています。 <当日の行程> ―(新幹線)―京都―(スーパーはくと3号)―郡家 郡家―(若桜鉄道)―若桜―(若桜鉄道)―郡家 郡家―(スーパーいなば6号)―岡山―清音 清音―(井原鉄道)―神辺―福山―倉敷(泊) この日の目的は、若桜鉄道と井原鉄道初乗りでした。

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【1369】あの年の12月26日《1973年・1974年・2009年》

1973年12月26日 昨日から書いている「山陰地方と北九州の蒸機撮影」で、山陰本線京都発前夜22:04出雲市行普通列車から早朝降りたのは倉吉駅でした。ここで倉吉線のC11が牽く混合列車に乗り換え、まず関金駅付近で折り返す客車列車から撮影を始めました。関金~上小鴨 倉吉~上灘 この旅のことは、以前【832】撮り鉄12か月…1973年12月「山陰・北九州蒸機巡り」で書きましたので、詳細は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1974年12月26日 昨日書いた夜行急行紀州5号で、この日の早朝に降りたのは新宮駅でした。ここから急行きのくに1号に乗り換えて行った先は御坊。紀州鉄道の気動車を撮影するのが目的でした。 非電化私鉄には強い関心を持っていましたので、このあとは藤並へ移動し有田鉄道へ行きました。 この旅は単独行でした。いっしょにSLを追いかけた仲間は、さらにSLを追いかけて北海道に渡ったり、旧形電機に転向したりと、志向がそれぞれ変わっていくのを感じていました。それよりも、受験に向けて鉄道どころではないというのが、同年代のあるべき姿だったことと思われます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・・ 2009年12月26日 この年は、前日に家内と首都圏に来ていましたが、家内だけが用を済ませてその日のうちに帰り、私だけが中山道歩きのために宿泊しました。朝、埼京線で戸田公園駅で降…

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【1362】あの年の12月19日《1999年》

1999年12月19日、青春18きっぷを使って保存SL巡りをしてきました。 中央東線茅野駅前に保存されているC12 67 この機関車は中津川機関区で廃車になっています。明知線と中津川での現役時代を知っていますので、懐かしさがあります。ただ、たいていの保存蒸機は、自分が知っているころの装いはまったく違っているので、別物を見ているような気にならないわけではありません。 中津川では炭庫に警戒色が塗られ、一般受けしない姿でしたが、自分としてはあの警戒色こそが懐かしさであり、見たままの67号機に思えます。 続いて下諏訪へ行きました。青少年広場に保存されているC12 171 この機関車は木曽福島機関区で廃車になっているので見たことがあるのですが、現役時代をカメラで記録したことがないように思います。木曽福島ではデフレクタが付いたC12 199のほうに気が向いていたので、そういうことになっているのかもしれません。 この2両とも、上諏訪機関区所属時代がありますので、ゆかりの地の近傍に保存され幸運なほうでしょう。 ところで、このころ保存蒸機の情報収集は今のようにインターネットでチャチャッと調べることはできませんでした。私の情報源は「Rail Magazine」通巻117号(特集:蒸機こそすべて)で、全国の保存蒸機を撮り尽くされた方の記事でした。そこに記された保存場所を分県地図の都市図などから探し出すという方法でした。今回のC12 171号機の保存場所なども、現地に行ってやや迷いましたが、それはそ…

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【1358】あの年の12月15日《1981年・1982年》

1981年12月15日 中央西線 美乃坂本~恵那 この日はキヤ191系検測車が中央西線に入線しました。当時は名古屋第一機関区に1編成2両が配置され、中部地方の国鉄線の検測に使用されていました。 ついでに撮影した381系電車 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1982年12月15日 天気がよく中央アルプスが見えそうだったので、飯田線に行きました。まだ雪が少ないのであまり映えません。 以上2枚は飯田線 田切~伊那福岡 飯田線 七久保~伊那本郷 どこに行っても山があり、峠を越えると街がある信州に通い詰めるうち、すっかり信州ファンになってしまいました。

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【1357】あの年の12月14日《1973年》

名古屋鉄道のモ765が北恵那鉄道に転入してきたのが、1973年12月14日でした。 モ765は、北恵那鉄道ではモ565を名乗ることになります。 当日のことは【722】北恵那鉄道29:「モ565入線の日」で、すでに書いたので、今日はその記事でアップしていない画像を貼っておきます。 美乃坂本~中津川この画像ではモ765は手前の土盛に隠れてしまっていますが、この貨物列車の最後部ワフ(増緩急車)の前位で名古屋鉄道モ765が甲種輸送されてきました。 国鉄中津川駅 貨物列車から切り離され、駅構内にいったん留置されたところです。このあとDD16によって中津川機関区の転車台まで移動して方向転換したあと、連絡線を北恵那鉄道デ2に牽引されて北恵那鉄道中津町にある車両基地へ収まりました。

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【1343】あの年の11月30日《1984年》

1984年11月30日 専務車掌時代でした。 前日に名古屋・亀山間を2往復して名古屋泊りで、この日は名古屋・亀山間1往復する行路でした。亀山では朝食が取れるよう、折り返し間合いが1時間半ほどありました。ちょっと駅から機関区や操車場のあるほうへ行ってみました。 キハ35系 スエ71  どちらもすでに役目を終えて長期留置中のように思えました。 そして旧東海道筋の古い街並みの方へも行ってみました。琺瑯看板がいくつもありました。 下はこの日の亀山宿とその周辺で撮影した看板類を1枚にまとめた画像です。

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【1335】あの年の11月22日《1982年・1992年・1998年》

1982年11月22日 未乗線区に乗りに行こうという誘いで、車掌3人で出かけました。 まず、信楽線を一往復 画像は貴生川駅の信楽線ホーム そのあと、木津へ出て片町線に乗りましたが、途中で日没になりました。画像は長尾駅。木津からここまでは非電化でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1992年11月22日 JR西日本の「セイシェル」が東海地方まで来るというので、稲沢へ出かけました。 稲沢~清州 3両編成の中間車はスハフ12を改造したキサロ59 501で、気動車になり切っていました。 同日同区間で「しらさぎ」 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1998年11月22日 昨日書いた東北の旅2日目で、宮古からスタートしました。昨日貼ったのと同じリンク先ですが、【151】鉄道あちこち訪問記6:利府線・三陸海岸縦断1998.11.21~22で、前日と当日のことを書いています。

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【1332】あの年の11月19日《1978年・1995年》

1978年11月19日  飯田線 野田城~東上 飯田線の流電クモハ52のお別れ運転がありました。 一人でクルマで出かけ、飯田線に沿った国道151号線を走っていると、渥美郡田原町(現田原市)在住の友人のクルマとすれ違いました。お互いに気が付き、その場でクルマを停めて、その日は非鉄の彼を引っ張り込んで流電の撮影に付き合わせる結果となりました。彼はひとりで鳳来寺山へドライブに行く途中だったとのこと。予想もしていない場所での偶然の出会いにお互いビックリでしたが、私も彼もクルマはサニー→カリーナと乗り継ぎ、互いのクルマの特徴をよく知っていたからこそ気が付いたのでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1995年11月19日  東濃鉄道駄知駅跡 11月3日の記事で書いたのと同じ場所です。あれから21年経っていましたが、検修庫だった建物はそのまま残り、バス用として使用されていました。こうして廃線になった鉄道の痕跡に出会うと感動します。感覚が変だという人もおられるでしょうが、理屈ではないと思っています。 駄知線の駄知駅は「西駅」、その先の東駄知駅は「東駅」と呼ばれていたようです。町名に「駄知町西駅」とあります。通称名らしいですが、こうして駅が廃止されたあとも、鉄道駅が存在した証が意外なところに残っているのでした。

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【1329】あの年の11月16日《1983年・1985年・2007年》

1983年11月16日 明知線に軌道検測車マヤ34が入線しました。 東野~阿木(現東野~飯沼) 明知線では貨物列車に併結されて検測をしていたのですが、このころ、すでに貨物列車が廃止されていましたので、臨時試運転列車として運転されるようになっていました。こちらも同じ列車です。岩村駅で通票の授受がありました。 貨物列車の廃止後は、工事列車やこういう検測のときしかDD16が入線しなくなりました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1985年11月16日 明知鉄道 恵那駅そしてマヤ検を撮影しにいってからちょうど二年経ったこの日は第三セクター明知鉄道の開業日でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2007年11月16日 北陸新幹線(長野行新幹線)安中榛名駅 中山道徒歩の旅で、安中榛名駅で下車しました。その気にならないと乗降する機会がないひっそりした駅です。

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【1328】あの年の11月15日《1972年・1985年・1996年・2001年》

1972年11月15日 梅小路蒸気機関車館 梅小路蒸気機関車館が開館したのが、この年の10月ですから、オープン後1ヵ月で京都まで出かけたことになります。よほど行きたかったのでしょう。当時は中学生でした。ほとんどの蒸気機関車は初めて見る形式でしたが、DD54を初めて見たのもこのときでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1985年11月15日 明知線 飯羽間駅国鉄明知線最後の日でした。翌日からは第三セクター明知鉄道に転換されるため、鉄道としてはそのまま残ることになったのは結末としてよかったと思います。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1996年11月15日 中央西線 高蔵寺~定光寺JR西日本広島支社のお座敷列車「旅路」が中央西線に入線しました。 真っ赤な塗装と展望室付に改造された姿を中央西線で見たのは初めてでした。ユーロ色EF65 106との組み合わせは、マッチしているとは言えませんが、さまざまな牽引機との組み合わせが見られたことが機関車が牽引する列車の魅力になっていました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 11月11日の記事で、1989年に飯山へ行ったことを書きましたが、それから12年後の2001年11月15日に飯山駅で購入した乗車券が残っていました。何をしに行ったのか思い出せず、ネガ袋を繰っていくと、長野電鉄「木島線」(信州中…

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【1325】あの年の11月12日《1985年・1994年・1995年》

1985年11月12日 明知線 飯羽間~阿木第三セクター転換まであとわずか。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1994年11月12日 前日、車掌区時代の鉄を中心とするメンバーで岳南鉄道へ行ったあと熱海で泊ったその翌日は、まず東海道本線 根府川~早川間の玉川橋梁で、ブルートレインなどの列車撮影をしました。ここには国鉄時代にも来ていますので2回目でした。 そのあとは、「JRおおみやイベント 大宮工場100周年」のイベントに出かけています。 この2両が、のちに中央西線の貨物列車を担当することとなり、地元で再会することになろうとは思いもよりませんでした、しかし再会したときはこのような特別塗装ではありませんでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1995年11月12日 そしてその翌年は、子連れ鉄で首都圏へ行っていました。 まず、東京駅で、東北上越新幹線とブルトレ群を見ました。 このあと、上野駅に行って北斗星やスーパーひたち651系を見て、次の目的地大宮へ行きました。 この日の前日は「JRおおみや鉄道ふれあいフェア」の開催日でした。前年(この記事の1994年)には、「JRおおみやイベント 大宮工場100周年」の催しが2日間開催されていたので、てっきり例年2日間開催されているものと勘違いをしていました。この年(1995年)の催しは11月11日だけで、それに気づいたのは現地へ行ってからで…

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【1320】あの年の11月7日《1985年・2009年》

1985年11月7日 明知線 阿木駅 国鉄明知線から第三セクター明知鉄道への移管まで10日を切っていました。 上の画像の左は定期旅客列車で、右は明知鉄道所有アケチ1形による試運転列車です。この年9月には、メーカーからアケチ1形が甲種輸送されており、このころは連日試運転が行われ、第三セクター鉄道としての開業準備が進んでいたようです。 駅に隣接する倉庫の壁面には「明知線撤廃絶対反対」と書かれた看板がありましたが、文字は色褪せ、路線廃止論議が長期間にわたっていたことを物語っています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2009年11月7日 JR貨物の車両基地愛知機関区で一般公開がありました。 EF64 1040は、5月26日の記事で大宮で全検に入っている画像を、そして10月16日の記事で春日井貨物での運用中の画像をアップした機関車です。そこにも書きましたが、もうこの世にこの機関車は存在しません。長く同じ趣味を続けていると、ほんとうに時の移り変わりの目まぐるしさを感じるとともに、今日の何げないことはすべて、明日には大きく違っていることが普通にあり得るという現実を思い知らされることの繰り返しです。

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【1317】あの年の11月4日《1974年・1985年・1989年》

1974年11月4日 中央西線 美乃坂本~中津川 もう食堂車は外されていますが、おなじみの場所?で181系気動車をこの日撮影していました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1985年11月4日 中央西線 中津川機関区中津川機関区で公開イベントが催されていました。明知線が第三セクターに転換されたのが、この年11月16日でしたから、その関係でのイベントだったと思いますが,このころの中央西線では見ることができなかったEF58とEF65PFも展示されました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1989年11月4日 中央西線 落合川~坂下時は平成元年となり、JR東海時代に入っています。サロから改造されたクロ381を先頭にしたしなの号ですが、このころはまだ貫通幌を取り付けない状態で運用されていましたので、正面がすっきりしていました。

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【1315】あの年の11月2日《1982年・2006年・2008年》

1982年11月2日 飯田線 千代~天竜峡 まだ紅葉が早かった天竜峡。帰路は紅葉のダートドライブで、大平峠(標高1358m)経由で帰りました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2006年11月2日 この日のことは【241】中山道宿場巡りで見た鉄道風景(9):徒歩で再訪 塩尻宿~芦田宿で書いていますが、和田峠越えをした日でした。 麓の和田宿に、その日のうちに家に帰ることができる時刻にたどり着けたときにはほんとうにホッとして、「よろずや」に立ち寄って難所踏破記念の地酒を買い求めました。 帰路は「あさま」と「しなの」の乗継でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年11月2日 父と貨物鉄道博物館へ行きました。西藤原まで自家用車で移動し、そこから三岐線で丹生川まで列車に乗りました。父は80歳になっていましたから、一緒に出掛けることがいつまでできるかわからないといつも思っていましたが、折しもこの日は修復が完成した展示車両ワ5490の積込実演が行われた日でしたので、父を誘い出しました。 父は実際に小口貨物輸送の「荷扱手」をやっていたので興味をひかれたようでした。 そして乗務した緩急車ワフ21000なども懐かしく見入っていました。

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【1313】あの年の10月31日《1973年・1978年・1985年・1998年》

1973年10月31日  中央西線の「しなの」のうち、キハ181系使用列車2往復だけで営業していた食堂車が,この日で営業を終えることになりました。(見出し以外はボカシ処理をしてあります。) 最終日の食堂車を夕暮れの学校からの帰り道に中津川駅で見送りました。そのことは、【119】中央西線を走った車両4 :181系気動車(4)で書きましたので、ここでは詳細は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1978年10月31日 この日は、貨物輸送だけ残っていた東濃鉄道笠原線の営業最終日でした。その日のことは、【360】東濃鉄道笠原線 営業運転最後の日で書きましたので、詳細は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1985年10月31日  以下2枚 高山本線 飛騨小坂~渚飛騨まで来ると、山々は少し色付き始めました。1枚目は「のりくら1号」(後方からの撮影)、2枚目は「のりくら6号」  どちらも名古屋と富山を結ぶ急行です。このころ高山本線全線を通して運転される特急「ひだ」は1本もなく、飛騨古川以北を運転される特急は名鉄から乗り入れる「北アルプス」だけでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1998年10月31日 昨日書いた「さわやか信州フリーきっぷ」を使った長野県内の旅、2日目は実家からスタートしました。前日、家内が使って有…

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【1309】あの年の10月27日《1974年・1999年・2012年》

1974年10月27日  中央西線が電化されてから1年以上経っていました。この日は、入換用として生き残っていたC56を撮影するためだけに、木曽福島と上松に行きました。 木曽福島 上松 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1999年10月27日  毎年1回の善光寺参りの途中、篠ノ井で途中下車して、保存されているD51921に会ってきました。 長野市篠ノ井 D51 921長く木曽福島機関区に所属していました。中央西線の機関車であったことを誇示するかのように、集煙装置もそのままで佇んでいました。ただしナンバープレートは木曽福島機関区の黒でよかったのではないでしょうか。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2012年10月27日 10月20日に書いた「家から夫婦で善光寺まで少しずつ歩く旅」改め「家から夫婦で中津川まで少しずつ歩く旅」、この日は20日の続編で土岐市~瑞浪間を歩きました。瑞浪駅近くを歩行中に大阪発長野行「しなの9号」が通過していきました。

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【1308】あの年の10月26日《1984年・2011年・2012年》

1984年10月26日 高山本線 鷲原(信)~下油井急行「のりくら3号」 全国そこかしこで見ることができたキハ58系の急行列車です。山間を縫って走る高山本線には特に似合っていたような気もします。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・   2011年10月26日 京阪 交野市駅トーマスファンでしたので、こういうものも撮ります。この日も家内同行で他の目的を兼ねています。他の目的地とは「大阪たこ焼きミュージアム」で、まったく程度ヒクイ旅なのですが、うちではそういうレベルの旅、たとえば動物園とか道の駅巡りなどがこの10年くらい続いています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2012年10月26日 中央西線 春日井駅 仕事からの帰り、側線にEF65PFとともに、シキ1000が3両空車で留置されていました。ここで時折見た大物車はシキ800でしたので、この日初めてシキ1000をしげしげと眺めました。 そうとうに低床です。

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【1301】あの年の10月19日《1982年・1996年》

1982年10月19日 高山本線 焼石~少ヶ野(信) スロ81系お座敷車の団臨です。ネガを見ると、この列車を2か所で撮影しただけで帰ってきたようです。雨がひどくて、撮影意欲を失ったのだと考えられます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1996年10月19日 落合川に来ていました。 中央西線 中津川~落合川しなのクロ381-0のホロ付きお面。 中央西線 落合川~坂下165系普通列車が駆け抜けていきます。否が応でもSL時代を思わせる場所ですが、165系さえも遠い過去のものになってしまいました。

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【1299】あの年の10月17日《1983年・2006年・2008年》

1983年10月17日 中央西線 恵那~美乃坂本 タンク車の専用貨物列車です。黒タキ車のように見えますが日本オイルターミナルブルーのタキ43000系が連なっています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2006年10月17日 愛知環状鉄道 中水野駅 2005年に開催された「愛・地球博」の観客輸送のために愛知環状鉄道では線路の複線化やJR中央西線との連絡線が整備されました。「愛・地球博」閉幕後も、その設備を使って直通列車が設定され、平日朝の通勤時間帯には、瀬戸口始発名古屋行が10両編成で運転されるようになりました。そのうち1本は113系が使用されていました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年10月17日 寝台特急「はやぶさ・富士」の終焉がせまっていました。残業で遅くなったついでに、名古屋駅であと何回見られるかわからないとの思いで、到着を待ちました。この列車が着くと、駅が国鉄時代に戻っていくように、空気が入れ換わるような思いがします。

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【1296】あの年の10月14日《1973年・1989年・2001年》

1973年10月14日  東海道本線 名古屋駅神領電車区から回送されてきた特急「しらさぎ2号」 この編成は、早朝に特急「金星」で名古屋到着後、いったん神領電車区まで回送され、寝台を座席に変身させた編成でした。富山まで1往復してたあと、同じように神領電車区へ回送されて寝台に戻されたあと、その日の夜、特急「金星」で博多へ向かうという多忙な運用でした。 この日は名古屋まつりの花電車を撮影するために名古屋へ来たのでした。名古屋市電 沢上交差点 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1989年10月14日 車掌区時代の鉄を中心とするメンバーで、信越本線の横川・軽井沢間の列車撮影に行きました。一泊の行程でしたが1日目は移動日で、その途中で小海線の撮影をしました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2001年10月14日 この年から自家用車を軽自動車に変えました。その試乗会と称して友人3人とともに、長野県内を周遊してきました。そのとき須坂に立ち寄り、元木曽福島機関区の所属機で、現役時代に幾度か撮影したことがあるD51 401に再会してきました。

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【1293】あの年の10月11日《1973年・1982年》

1973年10月11日 ついに明知線のDL化の時をむかえ、この日が中津川機関区のC12最終運用日となりました。あいにく平日で、学校を休むような度胸もありませんでしたから、明知線から帰ってくるC12を中津川で見届けることにしました。夏場なら、まだ少しばかりは明るい時間帯でしたが、10月ともなると真っ暗でしたから、C12のネグラだった機関区の検修庫を背景にして、最後の単行機関車列車の光跡を捉えました。 機関区に入区したC12から蒸気と煙 そして明日から仕事を引き継ぐDD16がアイドリング音を響かせていました。傍らにはすでに冷たくなったD51 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1982年10月11日  東海道本線 稲沢 ツム1000形かつては珍しくもなんともなかった通風車「ツム」は、このころになってくると、珍しいと思うようになっていました。1983年版の国鉄車両配置表によれば在籍19両となっていました。 ツムの左側に写り込んだタンク車はタキ6900形。そのとき気にもしておらず、今になって調べてみるとアクリルニトリル輸送用で、こちらもその配置表では在籍27両となっており、案外少数派なのでした。この1年半前まで貨物輸送に携わっていたくせに、そういうことにもまったく気付きもしない愚か者が、この日に沿線に出かけた目的は、この列車の撮影でした。 幾度か掲載している画像ですが、鉄道110周年記念号(上り)

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【1292】あの年の10月10日《1972年・1973年・2009年・2010年》

1972年10月10日  中央西線 南木曽駅この年の秋、南木曽以北で土休日に臨時運転されていた「木曽路D51号」です。 中津川まで運転されないというのは、当時の国鉄長野鉄道管理局と名古屋鉄道管の理局との境界が長野・岐阜県境にあたる田立・坂下間であったことに関係していそうです。しかしこの画像(下り列車)では名古屋局管内中津川機関区のD51 688が使用されています。上りは木曽福島機関区のD51が使用されていた記憶です。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1973年10月10日  中央西線 美乃坂本~恵那明知線の貨物列車を迎えに行く単行機関車列車で、中津川機関区のC12 230です。このあと、自転車で明知線へ先回りして貨物列車を待ちました。明知線 東野~阿木 撮影した翌日(10月11日)がC12の明知線最終運行日となり、10月12日からDD16の運用が始まりました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2009年10月10日  信楽高原鐡道 雲井駅この日は家内と2人で近江鉄道と信楽高原鐡道に乗ってきました。 齢を経るとともに家庭や自分を取り巻く環境が変化し、このころになると未乗とか既乗とか、そういうことに関係なく、ただ列車に揺られてくるようなことが増えていました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年10月10日  この日は長野…

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【1291】あの年の10月9日《1976年・1982年・2011年》

1976年10月9日 「やまがたすみこ」のコンサートに行きました。え?その人だれ?という方は多いと思いますが、大ファンだった友人と2人で行きました。16時開演のところ、私は仕事明けで乗務列車の名古屋到着時刻が16時でしたから間に合うはずもありません。大急ぎで行って、会場に着いたのは16時30分を回っていたと思われます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1982年10月9日 高山本線 渚~久々野特急「北アルプス」です。この日は高山祭の日でしたので増結されて8両編成になっています。 この日は臨時列車も運転されていました。高山本線 飛騨小坂~渚 DD51が牽く臨客で、ネガ袋の撮影メモには9925列車「たかやま祭号」とあり、名ナコの81系和式客車6両にスロフ62を1両増結した編成でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2011年10月9日 長野電鉄 須坂駅 この翌年、2012年の春に長野電鉄屋代線が廃止になることが決まっていました。以前に乗ったことがあるような気もしていましたが、その日付もわからないし、本当に全部乗ったのか記憶も怪しかったので、混雑する前に乗っておこうと思い、毎年恒例にしていた善光寺参拝を兼ねて、この日に乗ってきました。あいにく当日は沿線の松代でお祭りか何かのイベント開催日だったようで、大変混雑したのは誤算でした。

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【1290】あの年の10月8日《1972年・2006年・2015年》

1972年10月8日 この年は日本に鉄道が開業して100年めでした。各地で鉄道100年記念行事が行われ、記念グッズもたくさん出た年でした。 その年10月7・8日に神領電車区の公開があり、私は8日に出かけました。そのときの画像は、【828】撮り鉄12か月…1972年10月「鉄道100年 神領電車区」でアップしていますので、今日は省略とします。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2006年10月8日 「中山道徒歩の旅」で、この日は下諏訪に来ていました。その日のことは、【241】中山道宿場巡りで見た鉄道風景(9):徒歩で再訪 塩尻宿~芦田宿で書きましたが、下諏訪駅から最大級の難所である和田峠の途中にある樋橋バス停まで歩いた日でした。 和田峠へ向かう国道142号線は急坂路で、あちらこちらに緊急避難所が見られます。長い下り勾配でブレーキを踏み続けることによって、ベーパーロック現象が起こってブレーキが効かなくなった場合に突っ込む場所だと思われます。鉄道ですと、用途的には車両逸走対策に通じますし、設備的な見かたをすれば安全側線のようでもあります。いずれにしても突っ込みたくない場所ですが、鉄道の場合は分岐器によって否応なしにそこに誘導されてしまうのに対し、自動車の場合は能動的にステアリング操作をして突っ込むことになりますから、それなりの覚悟が要りそうです。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2015年1…

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【1288】あの年の10月6日《1981年・1992年・2002年》

1981年10月6日 宮津線 天橋立駅一昨日、山陰方面へ2泊3日の旅に出たときの1日目、京都駅の画像をアップしましたが、翌10月5日は鳥取砂丘、出雲大社、日御碕を巡って、10月6日は出雲市から名古屋まで帰路につきました。乗ったのは急行「大社」で、出雲市発時刻は8時01分。山陰本線・宮津線・小浜線・北陸本線・東海道本線経由で、名古屋着が18時40分着という長距離昼行列車でした。画像は天橋立駅で車両を増結している場面ですが、連結されたのは福井行で、この先の敦賀で名古屋行本編成から分割されました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1992年10月6日 土合駅下りホームから改札口まで続く階段  この駅で降りたのは車掌区時代の先輩2人と私の計3人で行く温泉旅の途中です。自動車利用でしたが、土合駅の階段を昇ることと、ループ線を体験してみる目的で、自動車を湯檜曽駅に置いて、湯檜曽~土合間を列車で往復してみました。こちらは土合駅舎です。すでに無人駅になっていましたが、日勤で渋川駅からJRの社員氏が派遣されていたので、乗車券が買えました。この乗車券を発行してくれた社員氏も私どもが乗った同じ列車で渋川駅へ帰って行かれました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2002年10月6日 昨日書いた山陽方面の旧国鉄未乗線区への乗り鉄旅の2日め この日の目的は、錦川鉄道・宮島航路と、芸備線のうち未乗だった広島~三次間…

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【1284】あの年の10月2日《1972年・1973年・1988年》

1972年10月2日 明知線 恵那~東野C12 67が1日1往復の貨物列車を牽いています。C12 67はこの年に上諏訪機関区から中津川機関区に転入したばかりでした。しかしC12 67が明知線を走った期間は短く、翌年4月に廃車されています。現在は中央東線茅野駅前に保存されています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ C12 67の撮影から1年後の同じ日に明知線を訪れていました。 1973年10月2日 明知線 岩村~花白 明知線 阿木~東野 すでにこのときには、明知線にC12 67の姿はなく、ここに写っているのは、C12 67とほぼ同じ時期に加古川気動車区から中津川機関区に転入してきたC12 230です。C12 230は明知線のSL最終運転日まで主力として用いられた機関車で、明知線のDL化後は木曽福島機関区に転出し、翌年廃車されています。現在は愛知県西尾市内で保存されています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1988年10月2日  車掌区時代の鉄を中心とするメンバーで、北陸本線の新疋田へ撮り鉄に来ていました。 北陸本線 敦賀~新疋田「日本海4号」 国鉄分割民営化翌年ですから、まだまだ国鉄の面影をそのまま残した列車が多かったことが、この日撮影したネガを見るとわかります。 北陸本線 新疋田~敦賀「雷鳥9号・ゆぅトピア和倉」 後方からの撮影です。「ゆぅトピア和倉」はJR世代の列車の…

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【1283】あの年の10月1日《1973年・2011年》

1973年10月1日 一昨日から書いています「ふるさと列車 おくのと号」撮影行の続きです。この日はダイヤ改正の日でした。「ふるさと列車 おくのと号」が前日で運転を終了したあとも、七尾線の七尾以北には朝夕2往復、C56が牽く貨物列車が残されていました。朝の貨物列車を撮影してから帰ることにして、前日は七尾駅に近い旅館に泊まりました。朝の貨物列車の七尾発車時刻は6時台なので、前日に旅館の精算をしておき、早朝に発ちますと伝えておいたのですが、前夜が夜行だったことがあり、盛大な寝坊をしてしまいました。そうなると夕方まで蒸機列車はないので帰るしかありませんでした。帰路の金沢駅で、図らずもこの日から1往復増発された上り特急「白山2号」(10:10発)の出発セレモニーに立ち会うことができました。隣のED70も、珍しく思ったものです。ホーム上から線路に降りて撮影していますが、他にも報道関係者や撮影者がおり、警備の職員や鉄道公安職員立会いの下での撮影で、咎められることもありませんでした。今では信じられない時代というほかありません。金沢駅滞在中には、富山・福井間を結んでいた475系快速列車「こしじ」も現れました。 このあと、475系急行「兼六」米原経由名古屋行(10:55発)で早々と引き揚げました。サハシ455を狙って乗ったのを覚えています。ただし高校生の分際でビュフェで食事をしようなどという気は毛頭なく、その目的はサハシにしかない「戸袋になっていない2人掛の座席」に座ることでした。手元にあるこの日11時調製のゴム…

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