【1223】あの年の8月2日《1972年・1997年・2008年》

1972年8月2日 中学生の自由研究で、東海道本線急行「比叡」に「乗り鉄」しました。詳細は【905】1972年夏・自由研究で出かけたときの画像より(東海道本線・名古屋・大阪間)で記事化していますので画像と内容の記載はここでは省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ それから25年後となる1997年8月2日には、うちの子の自由研究の一環で豊橋鉄道田口線廃線跡へ出かけています。事前に田口線について下調べをしてから、私の自動車に自転車2台を積んで現地まで行き、廃線跡を自転車に乗って2人で巡りながら現地調査するという趣向でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年8月2日 世田谷文学館この年は故宮脇俊三没後5年にあたり、世田谷文学館で「宮脇俊三と鉄道紀行展」が開催されました。自筆原稿や「時刻表2万キロ」に出てくる完乗地図など見るべきものが豊富で、長居をしてしまいました。

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【1222】あの年の8月1日《1975年・1987年・1991年・2009年》

1975年8月1日 尾小屋鉄道 新小松~西吉竹 キハ1軽便鉄道の魅力にはまっていました。北陸本線小松駅から出ていた尾小屋鉄道は鉄道模型誌にも紹介されていましたので、ぜひ行きたかったところでした。暑い夏の日、ドア開放のまま走っている小さな気動車には生活感があふれています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1987年8月1日  JR東海 神領電車区国鉄が分割民営化された年の神領電車区まつり。承継された各鉄道会社は、国鉄時代とは違うのだと国民にアピールしなければならないという使命が課せられていましたから、こういうイベントは各地で行われていました。スタッフの中には、顔見知りがたくさんいましたから、グッズなどを買うことになりましたが、近年処分したものもあり、今でも手元にあるのは、この使用済みのオレンジカードと、何枚かのプラ製サボ、車掌用の時計くらいです。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1991年8月1日  私の父母も交えた家族で、飯田線中部天竜駅構内にその年の春にオープンした佐久間レールパークへ出かけました。そのときの往路に乗ったトロッコファミリー号の指定席券と青春18きっぷです。 帰路は117系快速ナイスホリデー天竜・奥三河。こういう列車が運転されなくなり、スポット的な臨時列車しかなくなってしまうと、わざわざ鉄道で出かけようとは思わなくなるものです。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆…

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【1221】あの年の7月31日《1982年・2005年・2010年》

1982年7月31日  国鉄時代は撮り鉄中心だった私にしては珍しく、1982年7月30日~31日には北陸・信越方面へ乗り鉄に出かけています。そのことは、【811】乗り鉄12か月…1982年7月 北陸・信越で書いていますので、ここでは省略とします。 この旅で7月31日は3食とも駅弁で過ごしたようで、 朝食=上野駅 生姜焼弁当 昼食=小淵沢駅 編笠釜めし 夕食=塩尻駅 とり釜めし の掛け紙が残っています。 (朝食と昼食の弁当掛け紙の画像は、上記【811】の記事内に掲載しています。) 2食連続で釜飯ですが、手ごろな幕の内弁当がなかったからでしょうか? まったく覚えていませんが、釜飯は箱でなく薄紙の掛紙でしたから、掛紙の保存には適していることを考慮した結果でもあると思われます。容器は保存していません。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2005年7月31日 愛知環状鉄道 瀬戸口駅「愛・地球博」開催期間中でした。この日は夏休み中の日曜日ということで、観客輸送用の「快速エキスポシャトル」が増発され113系電車で運転されました。 「愛・地球博」開催期間中に毎日運転されていた「快速エキスポシャトル」と「エキスポシャトル」は211系が使用されていました。この画像は、同じ7月31日に、瀬戸市駅で撮影しています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年7月31日  中央西線恵那駅で乗…

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【1220】あの年の7月30日《1973年・1975年・2011年》

1973年7月30日  中央西線 美乃坂本~恵那この線路の手前にはリニア中央新幹線の高架橋がいずれ建設されることと思われます。 走っていくのは、SL時代の残り火のような存在になっていた明知線の貨物列車を迎えに行くC12単行機関車列車。家から自転車で行ける距離でSLが見られるとはありがたいことでした。 同日同区間で撮影したデビュー間もないころの381系電車 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1975年7月30日 坂川鉄道廃線跡巡り 坂川鉄道は中央西線の坂下駅近くにあった新坂下駅から出ていた軽便鉄道でした。しかしその廃線時期は早く、私はその現役時代を知りません。多少は知識がある父と、その友人の方の記憶などを頼りに、父と原付2台に分乗して探索に出かけました。たいした予備知識もないままでしたが、自動車が入れないような道にも入れて駐車スペースに困らない原付は探索には便利で、それらしい遺跡が見つかりました。あいにく、現在は道路の付替えや圃場整備事業で、廃線跡の痕跡が失われた区間も多く、撮影場所を正確に記録していないので、現在のどのあたりなのか特定できていません。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2011年7月30日 中央西線 美乃坂本駅 線路の向こう側にはリニア中央新幹線の岐阜県駅が高架で建設されることと思われます。時が止まることは決してなく、今この瞬間も過去へ過去へと遠ざかっていくこと…

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【1219】あの年の7月29日《1974年・1985年・1995年・1999年》

1974年7月29日 昨日に続いて、高校生の夏休みに一泊でローカル鉄道の写真撮影に出かけたときの2日目です。行程その他詳細は、【810】撮り鉄12か月…1974年7月「越後交通栃尾線・銚子電鉄」に書いたので省略しますが、その記事の中でアップしていない画像を・・・ 銚子から仲ノ町に向かう列車です。海水浴シーズンで書き入れ時のようです。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1985年7月29日 国鉄稲沢機関区で公開イベントがありました。稲沢機関区は稲沢第一・第二の両機関区を、この年の3月に統合して誕生した機関区で、現在のJR貨物愛知機関区とは別の位置にあり、現在は影も形もありません。このイベントでユーロライナー塗装になったEF64 66がお披露目されました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1995年7月29日夏休みの定番イベントとして松屋銀座で開催される鉄道模型ショウに行きました。模型店で模型を買ったら招待券がいただけたので、高い交通費を使って行ってみました。人ごみに辟易しながらも、新製品情報や掘り出し物は、当時インターネット環境がまだなかった私には有益でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1999年7月29日旧国鉄汐留駅跡地の様子です。今は高層ビル街になっていますが、20年以上前はこんな状態でした。ところで、なぜこの時期に東京の銀座近…

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【1217】あの年の7月27日《1991年・1996年・2003年》

1991年7月27日 青春18きっぷを使った家族での日帰り旅。出かけた先は、大阪弁天町にあった交通科学博物館でした。  ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1996年7月27日 東海道本線五条川信号場付近夏場でないと撮影できない時間帯の列車を撮影するために、夜明け前に家を出て東海道本線五条川信号場付近へ行きました。現在はフェンスが造られてこういう写真は撮れなくなりましたが、当時は定番撮影スポットであったようで、このときも獣道のような踏み跡をたどっていくと、そこだけ草が踏み倒された撮影ポイントに自動的にたどりつけたことを覚えています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2003年7月27日 昨日に引き続き、関東地方に散在していた未乗の旧国鉄線やローカル私鉄乗り鉄旅の2日目 ◆以下の車両画像はすべて当日撮影 当日の行程は まず、取手~水海道・・・ 旧国鉄のキハ35だった車両を見るために、水海道駅から水海道車両基地まで徒歩で往復しました。 水海道~下館・・・ 真岡鐵道のSL列車が停車中でしたが、それには乗らず、その1本前の普通列車に乗りました。 下館~市塙~茂木(市塙ではSL列車撮影のため下車) 茂木~下館~小山~西大井~品川~大崎(折返し)~東京~(東海道新幹線)~名古屋 途中、小山から湘南新宿ラインの列車で西大井まで行っていますが、大崎~蛇窪ルートに荷物列車乗務…

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【1216】あの年の7月26日《1972年・2003年》

1972年7月26日  中学生の自由研究で、中央西線に「乗り鉄」しました。詳細は【903】1972年夏・自由研究で出かけたときの画像より (中央西線 第829列車)で記事化していますので省略します。 画像は当日塩尻駅(移転前)で見たDD51です。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2003年7月26日 この日から一泊で、関東地方に散在していた未乗の旧国鉄線やローカル私鉄に乗りに出かけました。 ◆以下の画像はすべて当日撮影 当日の行程は 名古屋~(東海道新幹線)~東京~千葉~大網~東金~成東~銚子~外川(折返し)~仲ノ町銚子電鉄仲ノ町駅 仲ノ町…(徒歩)…銚子~佐原(折返し)~鹿島神宮~新鉾田鹿島臨海鉄道新鉾田駅 新鉾田…(徒歩)…鉾田鹿島鉄道鉾田駅 鉾田~石岡~取手(泊) 鹿島鉄道乗車中、途中の常陸小川に留置してあったDD901 わかる人にしかわからないと思いますが、こういうのを見るとワクワクします。なんでも名古屋の笹島で使用されたこともあるそうな。 ◆この日初乗りした線区 ・東金線全線 ・成田線のうち香取~松岸 ・鹿島鉄道線全線

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【1215】あの年の7月25日《1992年》

家族で日帰りで海水浴に行きました。うちの子たちが幼児だったころの家族旅行には青春18きっぷを愛用していました。例によって人ごみは苦手なので、マイナーなところへマイナーな列車で、ということで、臨時快速「あたしか」に乗って紀勢本線新鹿駅に近い新鹿海水浴場へ行きました。キハ65の5000番台は時速110㎞対応のリクライニングシート車で、本来は快速「みえ」用の車両。「国鉄コンテナ」の文字が残る廃コンテナも懐かしい。。。場所は特急を先に通すために長時間停車した三瀬谷駅だったと思います。 予想どおり海水浴場も列車も空いていて、帰路、疲れた子供たちは、2人分のシートを独占して眠らせて快適な往復でした。今では名古屋からはそういう列車がなくなってしまい鉄道旅の良さが半減しています。

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【1213】あの年の7月23日《1979年・2005年》

1979年7月23日 高山本線 鷲原(信)~下油井キユニ28が高山本線らしさを演出しているなと思います。 以下2枚:同日 高山本線 鷲原(信)~白川口特急「北アルプス」・DD51が牽く貨物列車 貨物列車の編成を眺めてみると、セメントタキ・チップ積トラ・石油類タキで、専用列車化が進行していたように見受けられます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2005年7月23日 昨日2006年に行った「中山道徒歩の旅」(愛知川宿から武佐宿)のことを書きましたが、その前年の2005年の夏には、青春18きっぷを使って、「中山道宿駅巡り」のため信州へ4回出かけていました。毎回中央西線の下り一番の普通列車で出かけ、塩尻で篠ノ井線の列車に乗り換えました。その待ち合わせ時間には、いつも南松本から辰野へ向かう貨物列車が通過していきました。 2005年7月23日の行程は、篠ノ井から「しなの鉄道」(青春18きっぷが使えないので、別途乗車券を購入)経由で小諸、そこから小海線に乗り換え、岩村田駅で下車。岩村田宿から八幡宿の先までを徒歩で歩きました。。帰路はバスで小諸に戻り、また篠ノ井まではしなの鉄道線を利用しました。長野県内の中山道は鉄道が並行していないところが多いのと、鉄道が並行していても列車本数が少なく、歩いた方が早いことが多々ありました。そんなこともあって、この2005年秋からは、宿場間を公共交通機関でつなぐ「中山道宿駅巡り」から、中山道全区間を徒歩で結ぶ「中山…

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【1211】あの年の7月21日《1973年・1993年・1998年》

1973年7月21日 中央西線恵那駅中央西線が全線電化された後ですが、恵那から分岐する明知線にはC12が牽く貨物列車が1日1往復残っていました。画像は左から、貨物列車を組成するために入換作業一休み中のC12と、通過する381系上り特急「しなの1号」、それを待避中の165系上り急行「きそ1号」 そしてこのあと、明知線内でC12を撮影するために、気動車列車に乗って山岡へ行っています。(その画像は省略) ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1993年7月21日 中央東線(辰野線)小野~塩尻昨日も書いた「信州博アルピー号」の試運転列車です。辰野でD51の方向転換ができないので、下りはEF64が牽引し、D51が最後部にぶら下がっています。SL列車もいいですが、客車列車が少なくなったこのころになると12系を牽引するEF64が決して脇役でなく主役に思えるのでした。 実家を宿にして青春18きっぷで20日に続いて出かけています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1998年7月21日 そして、これもまた連日書いてきた3泊4日の北海道乗り鉄旅最終日。 行程は、 旭川~(快速 狩勝)~富良野~滝川~(特急ライラック10号)~岩見沢=三笠ターミナル=鉄道記念館前=旧三笠駅=三笠ターミナル=岩見沢~苫小牧~(特急北斗11号)~南千歳~新千歳空港―(空路)―名古屋 旧三笠駅構内に保存してあるキハ80系ですが、編成…

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【1210】あの年の7月20日《1986年・1993年・1998年・2003年》

1986年7月20日 美乃坂本~中津川 急行「たてしな」 前にも貼った画像ですが、名古屋発小淵沢行169系急行「たてしな」が走ったのが、国鉄最後の夏1986年の7月19・20日でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1993年7月20日塩尻~小野「信州博アルピー号」(試運転) この年の夏に開催された信州博覧会に合わせて松本・辰野間にD51 498の牽引で運転されたのが「信州博アルピー号」で、この日はその試運転でした。   ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1998年7月20日 昨日の続きで、3泊4日の北海道乗り鉄旅の3日目 この日の行程は、 釧路~(釧路湿原ノロッコ2号)~釧路湿原~(釧路湿原ノロッコ1号)~東釧路~(快速しれとこ)~網走~(オホーツク6号)~旭川(泊) この日に初乗りした区間は、かつてタクシー移動したために乗り残していた釧網本線の北浜・網走間わずか11.5㎞だけでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2003年7月20日 JR貨物の篠ノ井総合鉄道部開設30周年を記念したイベントが開催されました。EF64 4は中央西線中津川電化時から馴染みの機関車。 EF64 1015は現在の中央西線でも見かける愛知機関区の現役機関車ですが、この当時はEF65を思わせる3色更新色でした。この塗装はEF64 1000…

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【1209】あの年の7月19日《1982年・1986年・1998年》

1982年7月19日 この日は岐阜県地方にある旧街道の石道標を探しながら、加子母村~蛭川村~八百津町をクルマで巡っていました。 (加子母村と蛭川村は、のちに中津川市に合併)加子母村万賀で撮影 右 白川街道 志らかわ やをつ 左 南北街道 つけち さか志た とあり、明治年間のものらしいです。 「志らかわ」は高山線の白川口駅が最寄 「やをつ」は名鉄旧八百津線の終点 「つけち」は旧北恵那鉄道の終点だった下付知が最寄 「さか志た」は中央西線の坂下 八百津は木曽川舟運の拠点でした。徒歩交通時代の物や人の流れがわかる遺物ですが、鉄道が開業・延長されるたびに、その流れは変わっていったのでしょう。その鉄道も道路網の発達によって地方では廃れてゆき、常識はいつも変わっていきつつあると感じます。こういうものに出会うと、廃駅跡を発見したのと似た何かが心の中で湧いてきます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1986年7月19日 国鉄の専務車掌時代で、この日は早い勤務明けでした。地酒のラベル収集をしていましたので、家に帰る前に名古屋市中川区内へ酒を買いに出かけました。この日買った酒のラベルです。流通量が少なく地元でしか入手できない酒は、直接蔵元さんを訪ねて買ってくるのがいちばん確実です。よく間違われるのですが、私が入手すべき酒は製造量の少ない高級酒ではなく、地元で消費される一般酒です。鉄道で例えれば乗るべき対象はローカル列車なのであって、あっさり…

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【1208】あの年の7月18日《1998年》

1998年7月18日から3泊4日で2人で北海道へ出かけました。往路は鉄道利用で、初日7月18日の行程は、 東海道・東北新幹線~盛岡~(はつかり7号)~青森~(海峡9号)~函館~(北斗17号)~札幌(泊) 当時の「のぞみ」は300系、「やまびこ」は200系の時代でした。 この「はつかり」は485系電車。相方はスモーカー。 「海峡」は14系客車で、カーペット車もありましたが、私どもは普通車自由席でした。 「北斗」は183系気動車で、すでに新塗装になっていました。 名古屋を発ったのが7時05分で札幌着は20時50分。この間、乗り継ぎ時間は東京10分・盛岡10分・青森5分・函館31分と、ほぼ連絡はスムーズでしたが、13時間以上もかかっています。今だと鉄道利用でも10時間かからないと思います。 明日以降もこの続きの行程について書いてまいります。

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【1204】あの年の7月14日《1988年・1990年》

1988年7月14日 梅小路蒸気機関車館 D51 200梅小路に行ってからのD51 200は黒ナンバーという認識なので、赤ナンバーには違和感を覚えます。本線運転に復帰して一時的に赤ナンバーになったことは記憶に新しいですが、撮影した1988年はJR発足翌年にあたります。手元にその日に丹波口駅で買った乗車券があるので、この日に行ったことは間違いないですが、赤ナンバーを見た記憶がないだけでなく、誰と何の目的で行ったのかも記憶が怪しいです。その日のネガには、京都駅で撮影した特急日本海、その日梅小路での展示運転機関車8630と、このD51 200が写っていますが、そのほかには何も撮影されていません。時期的に子供に手がかかるころなので家族で出かけたとも思えず、思い当たるのは、そのころ一人で特急「出雲」の個室にわざわざ乗りに行ったりしていた会社の同僚がいたので、彼と2人でフラッと出かけたのかもしれません。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1990年7月14日 会社のメンバーで始まった西国三十三所巡礼旅 この日で結願となりました。 名神八日市インターで降りて長命寺(第31番)・宝厳寺(第30番)・華厳寺(第33番)と巡りました。 宝厳寺は琵琶湖に浮かぶ竹生島にありますので、長浜港から船で往復しなければなりません。 華厳寺は「谷汲山」のほうが通りがよく第33番結願の地です。華厳寺では、御朱印が3つあります。オフィシャルサイトから引用すると、「三つの御朱…

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【1202】あの年の7月12日《1984年・1985年》

1984年7月12日 八ヶ岳公園有料道路を通行 そして着いた先は清里。列車に乗るでもなく、そのまま自動車で野辺山まで行って、その日のうちに帰りました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ その翌年1985年7月12日 近鉄内部線内部駅 この2~3年ほど前から新車が導入された近鉄内部線に乗ってきました。高校生の頃に行ってから2回目の訪問でした。近鉄線には疎い私ですが、このときは近鉄に詳しい人といっしょでした。現在この鉄道は「四日市あすなろう鉄道」となっています。

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【1197】あの年の7月7日《1989年・1996年・2007年》

1989年7月7日 この日は仕事で同僚と2人で名古屋市内を回っていました。途中、相方が愛知県体育館内で仕事をしている人に会う用事があるとのことでしたが、私にはまったく関係がなかったので、その間、 たまたま開催中だった大相撲本場所6日目の取組を観て待たせてもらうことになりました。 その日にもらった前日までの星取表彼の用事はほどなく終わりましたが、そのあとも予定があり観ることができた取組は、幕下のほんの一部だけでした。 そういうわけで、この幕内の取組は観ていないのですが、今になって星取表を眺めてみると、このとき東の横綱は北勝海と千代の富士、西の横綱は大乃国となっています。千代の富士は故人となりましたが、北勝海は公益財団法人日本相撲協会の現八角理事長であり、ちょっと調べてみると現在の理事を勤めておられる10人のうち8人までが、この場所の幕内で現役力士として名前がありました。 星取表で、横綱大乃国は前日5日目が不戦敗となっており、これも調べてみるとこの日から休場となっています。大乃国の引退は1991年7月場所で、その引退までの2年間をケガと病気と闘い始めたのが、この1989年7月場所になっています。 下は幕下の星取表幕下に貴花田・若花田の名前があることにも時代を感じます。この日は若花田の取組はありませんでした。前述のようなわけで、早々と愛知県体育館を後にすることになりましたが、貴花田の取組くらいは観ていこうと2人で言っていたことは記憶していますが、勝ったのか負けたのか記憶がありません。し…

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【1196】あの年の7月6日《1973年・2008年》

1973年7月6日 中央本線 中津川機関区たしか下校途中だったと思いますが、中津川機関区に立ち寄ってみると、この3日後に運転される予定になっていた「さよなら列車」を牽く本務機D51 827に、本番で使用する装飾が取り付けられているところに出くわしました。ついに来るべき時が迫っていたのでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年7月6日 篠ノ井線 桑ノ原(信)~姨捨 篠ノ井線には当時、羽尾信号場・姨捨駅・桑ノ原信号場と連続して3つのスイッチバック式停車場がありました。そのうちの一つである羽尾信号場が廃止されることになり、実際に羽尾信号場でスイッチバックする臨時快速列車「スイッチバック街道惜別羽尾号」が運転されました。クモユニ143×2+115系×3の編成で、聖高原駅停車中にクモユニ143の車内見学が可能でした。

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【1195】あの年の7月5日《1983年・1989年・2000年》

1983年7月5日 岐阜県の白川村荻町の合掌集落父と2人で、私の自動車で白川村へ一泊の予定で出かけました。 ところが急に家に帰らなければならなくなって当日決めた民宿で夕食だけ食べて宿泊をキャンセルすることになったという忌まわしい思い出の旅でした。経緯は【930】天生峠越えと白川郷の後段に書いています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1989年7月5日 千里浜なぎさドライブウェイ車掌区時代の先輩2人と私の計3人で行く温泉旅で、能登半島にある新宮温泉へ行きました。 途中、千里浜海岸の砂浜を道路として利用できる千里浜なぎさドライブウェイを走ってみました。   ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2000年7月5日  画像は2000年の善光寺参りの往路で使用した「しなの号」の特急券です。途中駅からの乗車なので指定席。平成年間は毎年1回長野市にある善光寺に参拝していました。

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【1193】あの年の7月3日《1993年・1994年》

1993年7月3日 因美線高野駅タブレットと腕木式信号機、そして国鉄色の気動車。そういったかつてのローカル鉄道の日常の風景が、この時点で因美線だけになっていましたので、日帰りで出かけました。いきなり砂丘色先頭の列車がやってきて出鼻をくじかれました。 同日 因美線美作河井駅それでも最後には国鉄色キハ58の行き違いを目にすることができたのですが、この日はカメラのフィルム感度設定を誤るという凡ミスがあり、減感現像を依頼することになりました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1994年7月3日 豊肥線 立野~赤水 7月1日から書いている2泊3日の九州乗り鉄旅3日目の画像です。この旅の行程は【693】鉄旅1994年7月「787系つばめ・熊本のキハ52・豊肥本線」で書いていますので、ここでは省略します。 この日見たSLあそボーイは、SLが不調だったらしくDLが先頭に連結されていました。

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【1192】あの年の7月2日《1994年》

1994年7月2日 昨日書いた2泊3日の九州乗り鉄旅2日目です。この旅の行程は【693】鉄旅1994年7月「787系つばめ・熊本のキハ52・豊肥本線」で書いていますので、ここでは省略します。 肥薩線を八代から隼人まで普通列車を乗り継いで行く途中に、人吉で厚化粧の急行「くまがわ」が停車中でした。 西鹿児島(現鹿児島中央)駅では長旅を終えた特急「なは」が停車中同じ青でも、こちらは厚化粧を思わせないのはなぜでしょう? 初乗りの指宿枕崎線終点「枕崎」では、乗車した下り列車が遅延していたために慌ただしい折返しになってしまいました。

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【1191】あの年の7月1日《1984年・1992年・1994年》

1984年7月1日 落合川~中津川スロ81・スロフ81お座敷列車を牽くEF64です。 このころ、お座敷列車は12系改造車が主流になっており、旧客改造のお座敷列車は南シナと大ミハに1編成ずつしかなかったはずですので、そのどちらかですが特定しかねます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1992年7月1日 松本建設のDL愛知県東加茂郡旭町(現在は豊田市の一部)にある製材所には、こんな機関車がいました。何のついでだったか忘れましたが、たぶん三河山間部のドライブ途中にクルマを停めてちょっと撮影しただけですが、今になってみると大変興味をそそられます。鉄橋もある本格的な施設で、軌道は山間部の狭隘な地形にある製材所敷地内に分散する現場を結んでいました。軌間は508㎜だったらしいです。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1994年7月1日 九州乗り鉄旅初日この日は金曜日でしたので仕事を昼過ぎに切り上げて、3人で2泊3日の九州乗り鉄に出かけました。 その旅のことは【693】鉄旅1994年7月「787系つばめ・熊本のキハ52・豊肥本線」で書いています。この日に乗った新幹線は、名古屋から食堂車を利用する目的で、あえて途中の岡山まで100N系「ひかり」に乗車して、岡山で300系のぞみに乗り換えています。そのときの食堂車のレシート画像が、【992】変なコレクション12: レシートのなかにアップしてあります。

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【1178】あの年の6月18日《2005年》

2005年6月18日 昨日書いた「中山道徒歩の旅」の前身にあたる「中山道宿駅巡り」第二回目の2日目は、宿泊先の高崎から坂本宿の最寄り駅である横川駅まで列車移動したのち坂本宿まで徒歩で往復しました。その後には「碓氷峠鉄道文化むら」にも立ち寄りました。6月14日の記事で書いた最後の碓氷峠の列車乗車から8年ぶりとなるこの日はトロッコ列車に乗車してみました。信越本線時代の面影がしっかり残っていることに感動します。以前もこのトロッコ列車のことは【999】銀河鉄道999と碓氷峠鉄道文化むらで書きましたが、現在このトロッコ列車は丸山変電所前にある「まるやま」には停車しないそうですのでご注意ください。このあとバスで軽井沢へ出て、レンタサイクルで軽井沢宿・沓掛宿・追分宿を訪問しました。

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【1177】あの年の6月17日《1972年・2005年》

1972年6月17日  2泊3日の修学旅行最終日でした。行先は箱根と東京で、この日予定どおり行程を消化して、ずいぶん早く品川駅の団体待合室に着いて、待たされた後、159系「こまどり」に乗車して帰りました。単独行動はできなかったので、ホームで「こまどり」の先頭部の撮影などはできませんでした。2日前に往路で乗車したときに入線する編成先頭部には「こまどり」のヘッドマークがなかったですから、帰路の編成にもなかったのだろうと思います。そういうわけでそのときの159系の画像は撮影できていません。その列車内から、並走していた京浜東北線の103系の写真を1枚だけ撮影していました。昔の通勤列車は換気対策十分でした。まだ中京圏に103系は走っていませんでしたし、田舎者には列車の並走シーンなどめったに見られることではなかったので撮影したのでしょう。フィルムは自前ではなく、グループに1人指定された写真係として学校から支給されたものでしたから、勝手に鉄道写真を撮影することができない中の1枚です。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2005年6月17日  5月28日に書いた「中山道徒歩の旅」の前身にあたる「中山道宿駅巡り」の第二回目に出かけました。この日は倉賀野宿・高崎宿・板鼻宿・安中宿・松井田宿を訪問しました。安中宿から松井田宿までは列車で移動しました。列車待ちの安中駅では濃硫酸専用タンク車が停車中 この日の宿は高崎市内に取りました。

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【1175】あの年の6月15日《1997年》

1997年6月15日  昨日の続きで、一泊で長野県内を中心とする保存車両巡りの2日目 佐久市内でC56 101と、旧佐久鉄道キホハニ56 旧別府鉄道キハ3の里帰り。 そのあと坂城でD51 245(画像省略) 屋代でD51 1001この機関車については、以前「【1001】「千」がつく日本酒ラベルコレクション / 1001回なのでD51 1001について」で書きましたが、解体され現存しません。 麻績のD51 769は再塗装作業の途中 伊那のD51 209は2月8日の記事で書いたのですが、この4か月前の2月に出かけた折には防雪用にカバーが掛けられて見られなかった機関車でした。

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【1174】あの年の6月14日《1997年・2008年》

1997年6月14日  この年の秋に信越本線の横川~軽井沢間が廃止されました。そこで、最後の乗車をすることと、長野県内とその周辺の保存車両巡りをすることを目的に、一泊の行程で出かけました。 子連れでもあり、効率を重視して自動車で出かけています。 清里 C56 149  現在の保存場所は駅前ですが、当時は清泉寮付近で荒れ果て、悲惨な状態で放置されていました。 そのあと、画像は省略しますが、野辺山のC56 96、軽井沢のED42 2と巡り、碓氷峠旧線跡の見学をしながら横川まで下ってED42 1を撮影しました この日の最大の目的は、横川~軽井沢間でEF63が後押しする列車に乗車することでした。最後に御代田でD51 787を見てからこの日の予定を終了。この日の宿は佐久市内のビジネスホテルでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年6月14日 青空フリーパスを使って、日帰りで三重県方面のJR線に乗るだけの目的で出かけました。 まずは名松線で伊勢奥津まで1往復して、そのあと紀勢本線を南下。 青空フリーパスの有効区間は紀伊長島までなので、ここで下車しました。 紀伊長島駅 駅周辺の「社会探訪」(駅周辺の街歩き)をして、折り返し紀勢本線を多気まで戻り、参宮線にも乗ってきました。 鳥羽駅 ロングシートの普通列車が主体になった今では、こういう旅程で出かけたいとはあまり思わなくなりました。

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【1171】あの年の6月11日《1994年・2010年》

1994年6月11日 昨日書いた車掌区時代の先輩2人と私の計3人で行く温泉旅の2日目です。 宿泊したのは奈良県にある入之波温泉でした。 ダム湖に面した急傾斜地に張り付くようにある旅館で、秘湯感が溢れます。帰りにダムの反対側から泊った旅館のほうを眺めた画像です。橋の下の方に木々に覆われた旅館があるのですが、そう言ってもわからないような立地です。 あれから26年経ちましたが、この旅館は今も営業されているようで、ホームページもあります。 そもそも「車掌区時代の先輩2人と私の計3人で行く温泉旅」は秘湯巡りからスタートしています。今は日帰り温泉旅orただの飲み会に変わっていますが、最低年1回は継続中です。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年6月11日 いつもの春日井貨物です。どうという特徴もない1069号機がワムハチを牽いてきました。10年前の日常です。 何の変哲もない日常が続くことこそが幸せというものであって、何の変哲もない日常と思えることは、実は奇跡の連続とWith a Little Help from My Friendsとで成り立っていることに気付くまで、どれだけかかったことかと…みなさんに感謝です。

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【1170】あの年の6月10日《1994年》

車掌区時代の先輩2人と私の計3人で行く温泉旅が1994年6月10~11日にあり、奈良県方面に向かいました。 行先は奈良県にある入之波(しおのは)温泉でした。 その往路では、近江鉄道と信楽高原鐡道の列車を撮影 そのまま信楽高原鐡道沿いにクルマを進め、ここに立ち寄りました。 信楽高原鐵道列車衝突事故現場近くに建立された慰霊碑です。事故が起きたのはこの3年前でした。事故についての詳細はここでは省きますが、本当にいろいろ考えさせられた事故でした。

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【1169】あの年の6月9日《1990年・2010年》

先週も書いたように、こういう行楽シーズンでもなく臨時列車も少ない時期は、乗務員は休みが取りやすいので、乗務員の親睦会が行われることがよくありました。 1990年6月9日 この日から一泊で列車掛の同期会が岐阜市内にあったJRの保養所で行われました。私はすでに鉄道員ではありませんでしたが、JRに採用された者が多いという関係と、土日曜が休みの転職者の都合も配慮した結果、6月の土曜日であるこの日が設定されたのだと想像します。 同期生は20代前半の時期に4か月半にわたって全寮制の学園生活を共にしてきただけに、結びつきは強かったはずでしたが、それから10年以上経過したというだけではなく、その間に国鉄分割民営化を経験して3年経っていましたから、25人の同期生の進路や立場はバラバラになってしまい、この日の同期会に参加した人数は多くありませんでした。同じ鉄道会社に採用された者どうしであっても、立場上互いに顔を合わせたくないことがあろうことは、鉄道会社とは関係のなくなった私にも容易に理解できました。こういう同期会などは共済組合の保養所を利用することが多かったものです。全国各地にこうした施設がありました。 「【862】変なコレクション9:国鉄保養所のマッチ箱など」で宿泊した施設について書いています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年6月9日 春日井~勝川 朝のホームライナー太多出勤途中にフェンスの切れ間がある地蔵川で無理やりの撮影です。 …

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【1167】あの年の6月7日《1997年・2003年》

1997年6月7日 この日は、子連れで保存機関車巡りで名古屋市内に行っています。 今はリニア鉄道館に保存されているC62 17当時は東山動植物園内の入園者の目に触れにくい、かなり奥の方に保存されていました。 そしてこちらも、今はリニア鉄道館に保存されているC57 139当時は名古屋市千種区にあったJR東海社員研修センターに保存されていました。現地は国鉄時代には中部鉄道学園という教育施設で、私は4か月半の全寮制研修所生活をしたことがありました。C57 139の保存場所は道路に沿ったところで、国鉄時代には自由に入れるようになっていたと記憶するのですが、フェンスにある扉は施錠され、木々もあって写真が撮りにくかったので、玄関にいた警備員氏に写真が撮りたいと申し出ました。こちらは子連れなので、昔なら「どうぞどうぞ」となったでしょうし、場合によっては「運転室にも乗るか?」カギを開けてあげようなどとなることも考えられるところでしたが、もうこの時代には「立ち入りはできません」という事務的な返事でしたので、敷地外から無理やり撮影しました。 国鉄が分割民営化されてちょうど10年が経っており、一般常識は確実に変わりつつありました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ そのように冷たい時代になった代わりに、JR東海は国鉄時代の鉄道車両を見学できる保存施設として、飯田線中部天竜駅構内に「佐久間レールパーク」をオープンさせていました。そこには幾度か出かけましたが、…

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【1166】あの年の6月6日《1987年・1992年・2009年》

1987年6月6日~7日に、篠ノ井線にEF55が臨時運転されたので撮影に出かけています。そのことは【802】撮り鉄12か月…1987年6月「篠ノ井線のEF55」で、書きましたので、今日と明日の記事からは省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1992年6月6日、家族で大阪へ行っています。 この日は子連れで海遊館と交通科学博物館を見学して、この乗車券を使って日帰りしています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2009年6月6日 1992年6月6日に海遊館と交通科学博物館へいっしょに行った子は、それから17年後には成人になっていました。その子が金券ショップで買った近鉄の切符が2枚余ったというので、その切符を使って家内と2人で淡路島まで日帰りしてきたのが同じ6月6日でした。 往路は鶴橋からJR線に乗り換え、明石から「たこフェリー」でした。 帰路は大阪まで高速バス バスから降ろされた場所が大阪駅のどのあたりなのかさっぱりわからず、迷子になりかけながらたどりついたJR大阪駅では、スカートが切り裂かれてみじめな姿ながらも、国鉄色の485系に出会いました。 このあと新大阪から東海道新幹線で帰ってきました。

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