【972】 国鉄時代の観光案内車内放送:「しなの」(4-4)

(画像は国鉄時代の松本駅ではありません) 先週に引き続いて、国鉄時代に録音した「しなの号」の車内放送の解説や補足などを書いておくことにします。音声は、車内放送部分だけを編集してアップしていますので、車内録音ノーカット版ではありません。収録した日と列車は前回と同じで、続編となっています。 録音日:1986年10月26日 列車:中央西線・篠ノ井線「しなの7号」 運転区間:名古屋・長野 今回の収録区間:松本発車~長野到着放送 収録時間:約11分20秒 ◆松本発車時の放送~北アルプス~奈良井川と梓川の合流点 松本を出ると松本城が見えましたが、たくさんの建物に遮られ、よほど注意していないとわからないためか、放送では触れられていません。今では市街地の建物が増えただけでなく、高さのある建物も増えましたので、車窓からはほとんど見えないと言ってもいいように思います。その反対側の車窓からは北アルプス連峰が見え、奈良井川と梓川が合流するあたりから見た車窓は個人的にも好きなところです。しかし朝方は天気が良くても「しなの7号」が通過するお昼ごろになると山頂付近が雲に覆われることが多いです。 ◆冠着トンネル~姨捨の展望(2分20秒付近~) 国鉄の三大車窓の一つと言われた姨捨の展望は、しなの号の車窓では寝覚ノ床と並ぶ見どころでした。 塩尻駅で進行方向が変わっていたころは、名古屋発車時点で進行左側窓側の座席を確保しておくと、寝覚ノ床と姨捨の展望の両方を楽しめましたが、今ではそうはいかなくなりましたの…

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【970】 国鉄時代の観光案内車内放送:「しなの」(4-3)

先週に引き続いて、国鉄時代に録音した「しなの号」の車内放送の解説や補足などを書いておくことにします。音声は、車内放送部分だけを編集してアップしていますので、車内録音ノーカット版ではありません。収録した日と列車は前回と同じで、続編となっています。 ・録音日:1986年10月26日 ・列車:中央西線・篠ノ井線「しなの7号」 ・運転区間:名古屋・長野 ・今回の収録区間:薮原~松本到着放送 ・収録時間:約11分20秒 ◆薮原宿 鳥居峠 奈良井宿(0分05秒~) 薮原駅と奈良井駅の間に鳥居峠があり、ここが太平洋と日本海との分水嶺になっています。蒸機時代は難所だったそうですが、複線電化されるにあたって現在の新ルートに付け替えられて、今では電車が鳥居トンネルを通って難なく通過します。 中山道時代はさらに大変だったわけで、その難所の麓にある薮原と奈良井の両宿場町が栄えたということです。奈良井宿は昔の面影を残す観光地になっており、中央西線はその宿場町に並行していますが、残念ながら車窓から眺められるのは宿場町の家々の裏側なので、宿場町の風情を味わうためには普通列車に乗って奈良井駅で降りなくてはなりません。 放送にもありますが、しなの号の運転区間の中で、いちばん桜が咲くのが遅いのがこのあたりです。4月に「しなの号」に乗ると、どこかで満開の桜に出会えます。その約1ヶ月間で満開の桜を見られる場所が変わっていき、年によって多少は違うものの大型連休あたりにこの付近で満開を迎え、その年の車窓からの花…

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【966】  国鉄時代の観光案内車内放送:「しなの」(4-1)

私が国鉄末期に乗務していた「しなの」号は、名古屋と信州を結ぶ列車で、381系電車9両編成で運転されていました。 乗務する車掌は3人チームで、その中の車掌長がチーフと呼ばれ、車内放送も受け持っていました。チーフは列車全体の責任者としてグリーン車の乗務員室に乗務し、私は最後部の運転室でドア扱いも担当する最下位の専務車掌で、乗客扱いのほかに列車の運転に関する取扱(ドア扱いをはじめ信号現示確認し列車を発車させるなど)を兼ねていました。もう一人は特別改札行路の専務車掌(車掌長行路に組み入れられていたので、実際には車掌長職の場合がほとんど)で、主に前寄り3両の自由席車を受け持ちました。チーフはグリーン車を含む編成中央部の指定席3両を、最後部の私は後寄り3両(指定席)を受け持つのが一般的でした。 当時の私は、何事もなければ将来は車掌長になるのが自然の成り行きでしたから、車掌長の仕事のテクニックなどを見て、後の自分の仕事に活かそうと思っていました。 この列車では、観光客のみなさんから、車内巡回中に沿線の風景や名所について尋ねられることもありましたから、私は必ず木曽路の観光ガイドブックを持って乗務していました。詳細な沿線観光案内放送をされる車掌長氏とコンビになったときには、最後部の運転室で私物の小型テープレコーダーでそれを録音したこともあり、わかりやすい放送のしかたや、沿線の観光地のことなどを勉強したものです。 その録音テープを今になって聴きなおしますと、あたかも実際にしなの号に揺られているようで、…

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【964】 駅名のアクセントと読み間違い

国鉄時代の1983年8月8日に、関西本線の桑名・富田間に「朝日」駅が開業しました。 記念の臨時列車が運転されました。 記念乗車券も発売されました。記念乗車券は硬券セットで、これは部内でも予約注文を受け付けていましたので、当時の私の乗務範囲内のことでもありましたから入手し、増収に協力?しました。駅の近くにアサヒビールの工場などがあるわけではないと思うのですが、ホルダーにアサヒビールの広告があるのが、面白いと思います。 どうでもよいことかもしれませんが、新駅ができて、「次は、あさひ、あさひです」と車内放送をする立場になると、アクセントが「あ」に来るか「さ」に来るか、気になってしまいました。部内の指導資料には、記念乗車券を回収するときは記念券部分を旅客に交付しろとか、当たり前のことは書いてあるくせに、アクセントをどうするかというようなくだらないことはもちろん書いてありません。結局のところ正しいアクセントは未だによくわかりません。近鉄は「伊勢朝日」ですから、参考になりそうですが、そう考えると「名古屋」にしても「近鉄名古屋」「名鉄名古屋」では「な」にアクセントが来ますし「名古屋市」「名古屋行」だと「ごや」にアクセントが来ますが、単独で「なごや」と言うと「な」にアクセントが置かれる場合もあれば「ごや」の場合も聞きます。どちらかが正しいとか間違っているということではないのでしょうから、どうでもいいことなのは承知していますが、特に地元民の方がお聴きになると違和感を感じる方はあるだろうと思うわけです。 …

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【960】 聴かれていた車内放送

私は子どもの頃、中津川へ親の買い物に付いていくとき、乗った列車では、きまって中津川到着前には、「ハイケンスのセレナーデ」のオルゴールのあと、連絡する急行列車や北恵那鉄道への乗換案内、切り離す車両があることや停車時間が丁寧に放送されたものです。 車内放送を自分もやってみたいとの思いもあって、子どものころには車内放送の真似をしたこともありました。高校生の頃になってラジカセを持つようになると、旅先で乗った列車の車内放送を録音したこともあります。そのころの録音のうち2列車(上り急行「阿蘇」と、下り急行「だいせん1号」)についてYoutubeにアップしています。それらは拙ブログの過去記事からお聴きいただくことができます。 【701】【名古屋】旧客編成・急行阿蘇【熊本】 【605】山陰旅行の今と過去6:車内放送 国鉄時代の録音をいろいろと再生してみると、放送する人間側の技術にばらつきがあったことを感じます。放送の主や担当する車掌区によって、言い回しなどが微妙に違っていて、非常に聞きやすくわかりやすい内容で感動するような放送があると思えば、その逆の場合もありました。そういうことは地域によっても特徴があることも、先週の記事にご投稿いただいたコメントから改めて気付かされたりもしました。また、機器の不具合または整備状況のせいなのか、音量が小さく、または雑音があったりして、まったく意味をなさない車内放送も聴いてきました。言ってみれば均一な品質の放送ができていなかったわけで、放送機器の性能もよくありま…

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【958】 改めたい放送(国鉄時代のテキストより)

国鉄時代のテキストに書かれていたことについて連載しています。 改めたい放送例が書かれており、どうすればよいかが書かれています。以下、抜粋です。 <左:改めたいことば→右:適切なことば>  公衆電報→電 報  陸 橋→ 橋  着発線→のりば(又は〇番ホーム)  余 席→座席がある  接 続→連 絡  解 放→切りはなす  増 結→つなぐ・つける  運転休止→運転しない・運転をやめる  踏切障害→踏切事故  国鉄自動車→国鉄バス  110分→1時間50分 以上は、部内用語や専門用語なので、ことばにすると伝わりにくいということでしょうか。他にも、  にて→で  より→から  お越しください→おいでください  清掃→そうじ  たいへんながらく→たいへん(長らくは使わない)  悪いこと→よくないこと などと、私には説明できませんが口語体の日本語としてのあり方みたいなことでしょうか。果たして自分がどこまで忠実だったかは、何とも言えません。 「着発線」という言葉が上に出てきましたが、着発線を表すことばは、「乗り場、ホーム、〇番線、〇番乗り場、上り線、下り線」とたくさんあるわけですが、放送では「乗り場、又は〇番ホーム」に統一したほうがよいと思われるということのようです。ほかにも、 ◆「〇〇行、急行□□」「急行〇〇行、□□」などと表現のしかたはいくつかあるが「急行□□ 〇〇行」 下の例ですと、「特急やくも 松江行」となります。行先字幕も、その順…

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【956】 国鉄時代の車内放送

「60がらみのおじいさん」の事例や投書と思われる、よからぬ接客事例が載っていた列車掛養成課程で使ったテキストには、車内放送の注意点なども書いてありました。 テキストは中央鉄道学園で作成されたもので、つまり全国の国鉄の接客業務を行う職員を対象にしているものでした。しかるに国鉄で放送の質にばらつきがあったのは、現業機関での教育が行き届かなかったのか、職員の意識の問題でもあったのでしょう。 (京都鉄道博物館101系モックアップ) 画像の左端にある車内連絡用送受話器が放送用マイクロホンを兼ねていました。送受話器を右手で掴むと、親指の位置にあたる部分に押しボタンスイッチがあって、それを押している間だけ車内連絡用から車内放送用回路に切り替わる仕掛けでした。 そのテキストに書かれていた注意点など内容を少し抜粋してみます。 ◆始発駅発車前の車内放送での「おはようございます」のあいさつ放送は9時ごろまでとし、その後の放送は「ご案内いたします」とする。 ◆始発駅発車後の案内放送のときは、車掌長の名前(姓名)を明らかにすると、お客様に親しみと安心感を与える。 ◆車掌室の所在を放送する。 ◆停車駅、到着時刻、列車の編成などの案内放送をするときは「〇〇についてご案内いたします」の例により最初に見出しをつける。 と、いう具合です。この中で、乗務員が放送で「車掌長の名前(姓名)を明らかにすると、お客様に親しみと安心感を与える。」という書き方は、必ず名乗れとは言っていません。事実、昭和50年代の…

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【950】 165系電車時代の急行「赤倉」に関することいろいろ

先週は気動車時代の急行「赤倉」号が名古屋に着いた後、その編成を使用して中央西線を折り返した普通気動車列車について書きました。 その赤倉号は、1982年11月の上越新幹線開業に伴うダイヤ改正で165系電車化されました。 このダイヤ改正で急行「赤倉」の運転時刻は変更され、かなりスピードアップしましたが、それまで中央西線で特急に混じって運転されていた定期昼行急行列車「つがいけ」「きそ」は特急化されるなどして、「赤倉」は中央西線唯一の定期昼行急行列車になりました。気動車時代は上下列車とも後続の特急「しなの」に追い抜かれるダイヤでしたが、電車化で下りのみ長野まで追いつかれずに逃げ切れるようになりましたが、停車駅は増えてグリーン車は1両だけになり、中央西線内では、中部日本横断列車ということを除けば、特急の脇役的な色が濃くなりました。 ◆気動車時代の「赤倉」(1982.5)  名古屋10:03-長野14:42-新潟18:17 ◆電車化された「赤倉」(1982.11)  名古屋9:02-長野13:04-新潟16:23 脇役であっても、スピードアップとともに、遅れに遅れていた全車冷房化が達成されたことが最大の改善点だと思われました。 以下、【246】乗務した車両:165系電車(3)ほかで書いた内容と重複する部分があります。 赤倉編成は神領電車区で滞泊するため、上り「赤倉」が名古屋到着後、折り返し普通列車高蔵寺行となり、高蔵寺から再び折り返し神領へ回送されました。ダイヤ改正時に普通車掌だ…

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【948】 思い出の乗務列車57:中央西線普通列車531D&522D

新年から毎木曜日に「中央西線を走った車両たち」について、「国鉄分割民営化まで」のことを書き始めましたので、今回は表題の中央西線の普通列車531Dと522Dに加えて、中央西線に走っていた昼行長距離急行「赤倉」号のことも併せて書いていこうと思います。 1982年9月24日 下り急行「赤倉」落合川~坂下 「赤倉」号は名古屋と新潟を長野経由で直通する気動車急行として1962年にデビューしています。私が車掌になったのは1981年でしたが、そのころは新潟から名古屋に着いた赤倉号2802Dの編成は、すぐ普通列車531Dとして多治見に折り返し、多治見から太多線内を回送され美濃太田機関区で滞泊しました。翌朝は美濃太田始発多治見経由名古屋行普通列車522Dで名古屋。折り返して赤倉号2801Dになって新潟に戻っていました。 この普通列車531Dと522Dの名古屋~多治見間は専務車掌と普通車掌との2人で乗務していました。 急行「赤倉」の所定編成は新潟運転所のキハ58(8両)とキロ28(2両)からなる10両編成でした。 1982年9月29日 下り急行「赤倉」落合川(後方から撮影) このうち指定席はキロ2両とキハ2両で、この4両だけが冷房車で、自由席6両は非冷房でした。2両のグリーン車キロ28のうち1両は自車を含めて3両まで給電可能な4VK冷房電源用エンジンと発電機を搭載した2000番代の車両が使用されて、2両の普通車指定席のキハ58に冷房電源を供給していました。自由席のキハ58は基本的に非冷…

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【943】 字幕

先週の記事(【941】思い出の乗務列車54:武豊線931D名古屋行)の終わりに、国鉄分割民営化を前提にした61.11ダイヤ改正で、私が在籍していた車掌区の普通車掌行路では、気動車の貫通ホロやホース・ジャンパ等の連結切り離し作業が新たに加わったと書きましたが、このダイヤ改正では、そのほかにも、いくつか新たにすべき仕事が増えました。 そのひとつに普通列車の行先表示幕の表示がありました。それまで名古屋鉄道管理局管内所属の普通列車用車両で、車掌が表示していたのは、117系電車の側面字幕だけでした。(特急用車両まで含めれば、381系しなの号の側面字幕操作も従来から車掌が行っていました。) それまで 103系・113系・165系電車と気動車はサボと呼ばれる車両側面に行先(区間)を表示した板を枠に差し込んで表示する方式で、このサボ交換作業は業務委託された関連会社の社員が行い、車掌はその作業のためにホーム反対側のドアを開閉したり、その表示の確認をするだけでしたが、このダイヤ改正時に、大垣~東京間の夜行列車と急行以上の優等列車を除きサボの使用が全廃されました。代わりの行先表示方法としては、今まで「急行」表示以外は無表示になっていて使用していなかった前頭部の字幕(方向幕)によるものでした。このことで、側面からは列車の行先がわからない状態になってしまいました。(名古屋鉄道管理局管内での話であります。鉄道管理局によっては前頭字幕を古くから行先表示として使うことによって、側面のサボを廃止していました。) 編成一斉指令…

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【941】 思い出の乗務列車56: 武豊線931D名古屋行

私が武豊線で乗務していた昭和50年代、名古屋第一機関区には12両のキハ35形式が配置されており、3両編成2本と4両編成1本に分けて運用されていました。武豊線では朝夕に急行編成が入り、キハ35のほうは、朝だけ3両編成を2本連結して6両編成を生み出して、武豊~名古屋~武豊~大府と、武豊線内を1往復半しました。 1往復したあとの武豊発名古屋行が931Dで、朝の通勤通学輸送が一段落した8時41分に6両で武豊を発車して、途中の大府で後寄り3両を切り離して、前寄り3両だけが名古屋まで直通し、機関区へ入庫して整備を受けました。大府で切り離された3両はそのあとすぐに折返しの武豊行に変わり、引き続き4両編成と交互に日中の武豊線内運用に用いられました。 名古屋に10時前に着く列車というのは通勤通学時間帯のような混雑はないものの、休日には買い物などで名古屋に出る利用者が多く、車内で乗車券を発行する枚数がけっこう多い列車でした。 車掌は、武豊から、切り離しがある大府まで2人乗務で、大府から先は1人乗務になり、それで名古屋に着くと乗務終了。大府で降りた車掌は、切り離された3両編成で折り返す行路になっていました。 大府での切り離し作業の関係上、名古屋へ直通する車掌は始発の武豊から3両目の名古屋行車両の最後部に乗務し、大府で折り返す車掌は、その直後となる4両目の乗務員室に乗り込み、向かい合う運転室に携行品を置いて、ちょうど中間部で相対する乗務員室を拠点にして仕事をしました。2人の車掌は担務指定がされ、名古屋まで乗務する…

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【939】 使用停止の車内トイレ

垂れ流し式の列車のトイレには「停車中は使用しないでください」という注意書きがドアに書かれていたのをご記憶の方は多いと思います。(画像は、 碓氷峠鉄道文化むらの保存車) 停車中の便所使用が制限されていることは、子どものころから知っていましたが、走行中の使用を制限する例を初めて知ったのは、高校生のときでした。 それは、初めて九州へ行った時の、下り急行「桜島・高千穂」でのことで、朝の4時前、下関到着前におはよう放送が入りました。その中では、「下関を出ますと、すぐに関門海底トンネルに入ります。トンネル内では衛生保持のために、便所・洗面所の使用を一時お断りいたします。およそ5分くらいですので、少々御辛抱願います。」ということでした。なるほどとわかる話ではあります。 ちなみに前夜のお休み放送のときには、転落した方も「おおぜい」あるからデッキのドアは必ず閉めるようにという内容の放送も入り、いずれも今の列車では考えられない環境で列車が走っていたなあと思うわけです。 (画像は大井川鐵道の客車であり、桜島・高千穂号とは無関係です。) 私も、以前は撮り鉄らしきこともしていましたから、知らない間に被害にあっていたかもしれません。 画像の電車は長野電鉄の電車で、トイレがありませんので安全ですが、国鉄の列車をこんな角度から撮影したら、ぶっかけられることを覚悟する必要アリです。たいてい写真を撮ったら、後追い写真を撮るために撮影者は列車の前方を向きますから、背後からやられるのではないでしょうか。高速だと霧状に…

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【937】 列車のトイレと乗務員

ご承知のように、国鉄時代の列車は、いわゆる垂れ流し式のトイレが当たり前でした。少しずつ循環式のタンクを装備して車両基地で処理する方式に改良されつつありましたが、冷房化同様、国鉄分割民営化の時点でも垂れ流し式は残存していました。当然、これは昔から問題となっていて、とくに保線区など施設関係の職場環境問題でもありましたので、組合も改善要求を出していました。画像は大井川鐵道の旧形客車です。利用は制限されていますが、設備的には今もそのまま残っているようですね。 「臭いものにはフタ」を地で行くようなことですが、国鉄時代からトイレを使用禁止にして施錠していた例がありました。 そこは、私が普通車掌時代に乗務していた岡多線(現愛知環状鉄道の一部)でした。私が乗務していたころは113系が使用されており、クハには一部を除き垂れ流しトイレが装備されていたわけですが、岡崎駅に回送された車両には例外なくサボ交換などを請け負う業託社員の手によって車内トイレのドアを客車カギで施錠されて「使用禁止」の札をドアノブにぶら下げて岡多線内を運用されていました。こうすると便所使用灯が点灯しますので、人為的に使用中の状態にしてしまう結果となるわけです。岡多線は比較的新しい路線でしたから、岡崎駅構内に踏切が1つある以外すべての道路が立体交差で、特に市街地区間のほとんどは高架区間でした。高架区間で上から黄害を撒き散らすのはやめてくれという要望があったのだろうと思われます。施錠しないまでも、車内トイレを使用制限する区間は大都市などにありま…

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【935】 ノリホ

ノリホとは列車乗車人員報告書のことです。 国鉄時代は大きな駅のホームの柱に、このような「のりほ」「ノリホ入れ」などと書かれたポスト状の挿入口がある小さな箱や、吸い殻入れと間違えそうな空き缶が括り付けてある光景をよく目にしました。最近はあまり鉄道で出かけませんので今でもあるのかどうか知りませんが、下の画像は2014年にJR東日本の某駅ホームで見かけたものです。 近付いてみましょう。 子供のころから「ノリホ」ってなんだろうと思っていた私は、糊に関係があるものかと思っていましたが、ぜんぜん違いました。「乗り報」だったんですね。 乗車人員が、普通車自由席・普通車指定席・グリーン車指定席の順に書かれています。この駅で列車ごとに集計するのでしょう。乗務中に車掌は乗客数をカウントして、ノリホ用紙に記入して指定された駅で卸します。複数乗務の列車では客扱担務の車掌が記入します。優等列車では車掌長が取りまとめて記入しますので、専務車掌は自分が担当する車両の乗客数を集計して、ノリホ取り卸し指定駅到着前までに車掌長に報告します。列車乗車人員報告を求められる区間は、全区間ではなく、あらかじめ決められていました。また報告する方法も、ノリホ用紙によって駅に報告する区間と、車掌区へ帰区後に備付用紙に車掌が直接記入する区間とがありました。報告する数値は該当区間の最高乗車人員です。 ノリホ用紙によって駅に報告する場合、ホームに出場している駅員がいれば直接渡しますが、列車の停車位置に駅員がいるとは限りませんので、列車…

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【933】 ストライキと給料カット

欠乗は、恐ろしいことでしたが、私は意図的に指定された列車の乗務をしなかったことがありました。 そんなことがあるのかと思われるかもしれませんが、国鉄時代を思い出してください。 そう、ストライキのときです。(この画像は、1974年(昭和49年)10月の撮影で、私が国鉄に入る前のものです。) 私は列車掛として貨物列車に乗務していたころのことでした。この日は、稲沢から名古屋経由で関西本線富田まで便乗。富田から8397列車で四日市。折返し1264列車で稲沢。再び東海道本線便乗で名古屋。271列車で笹島。仮眠したあと便乗で稲沢に戻る行路に乗務予定でした。 すでに組合からストライキ指令書を受け取っており、まず、ストライキと関係なく(またはストライキを見込んだ荷主側の都合?)富田からの8397列車が運休との指令が当局側から出たので、出勤時間が変更され遅くなっています。(540M便乗のところ、542Mに変更)出勤時刻には車掌区へ出向くものの、出勤簿に印鑑は押さず直接分会事務室へ行って勤務時間終了までの予定で、その所在車掌区の分会闘争本部の支配下に入りました。ここからがストライキ参加となります。職場での勢力は国労が多数派でしたから、列車掛が出勤していない貨物列車が多かったはずで、ストライキをしていない鉄労の列車掛の列車も、たぶんその多くは、機関士側のストライキで運転できない状況になって、運転休止となったものと思われます。 この日は夕方になって中央の労使交渉で折り合いがついたと見え、ストライキ中止…

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【931】 欠乗

先週は、列車が遅れた話をしましたが、車掌のほうが列車に間に合わないこともあります。 乗務員は「遅刻」という言葉を使いませんでした。出勤に遅れたら「出勤遅延」であり、車両のいる場所へ出場するのが遅れれば「出場遅延」であり、結果として乗務すべき列車に乗れなければ「欠乗」と言いました。常に時刻を気にしなくてはならない仕事ですから、それらはすべて「事故」として取り扱われます。 欠乗は乗務員では最も恥ずべきこととされていました。乗務員個人のミスによる原因であれば、どのような場合でも決められた時刻に間に合わなかった事実に対しては厳しい処分があり、その中のひとつである「日勤教育」という懲罰は見せしめ的要素もあって、翌年の昇給はカットされました。 国鉄の乗務員を11年やってきて、転職した先で集合時刻ギリギリに現れる人や、たとえ1~2分であっても遅れてくる人が咎められないのを見ていると、一般社会では「遅刻」に対して寛大なのだと感じました。それが普通なのかもしれませんが、いつでも時刻を気にしながら生きてきた私は、自然と時計は秒単位まで合わせ、風呂に入るときと水仕事以外は、寝床でも腕時計を手放せない習慣が身についてしまって、退職後30年直りませんでした。時刻がわからないと不安でたまらないのは、今でも変わりません。そして「欠乗」の夢を車掌は皆見ますし、不思議と退職後でも見ると言います。夢の中では、決まって目の前に見えている列車に追いつこうと走るのに、列車には追いつけず、目が覚めるというものです。 私は、欠乗を…

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【929】 超過勤務手当

当然のことですが、乗務員は終点についたら仕事はそれで完結です。車内巡回が中途半端で、無人駅から乗ったお客さんに切符が書ききれなくても、壊れた冷房がなおっていなくても、乗客と揉めごとがあっても残業があるわけではありません。のちに国鉄を退職して自分の山のよう残った仕事を残業で片付けているときや、朝出勤して前日の取引先とのトラブルの後始末のしかたを考えているときに、後腐れがない仕事とはいいもんだと思ったものです。まあ裏を返せば、乗務員の仕事は、締切日時が絶対に延びない中で完結させるため、後回しとか締切の延長はないわけですから、それはそれで辛い面があるにはあるのですが…。(画像は別に直接本文と関連はありません。) 乗務員に残業はないと書きましたが、列車が遅れれば超過勤務手当は出ます。こんな様式の列車遅延証明書で乗務終了後車掌区に提出しました。 遅れは1か月単位で積算し、30分を境として1時間の超過勤務手当がつくか、手当はナシか運命の分かれ道になります。月初めに25分くらい遅れて、その分の列車遅延報告を出してあれば、月末までにあと数分遅れないかといつも気になりますから、そういう人は遅れろ遅れろと念じますが、なかなかそうはなりません。短時間で折り返す場合は勤務時間が継続しているので、多少遅れても全く勤務時間に関係しません。ただ折り返し駅で駆け足で乗務位置を運転士と入れ替わるわけですから、何の得にもなりません。列車が終点に着いたら寝るだけとか、行路の最後の列車など、勤務時間が連続しない列車でないと超過勤…

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【856】 車補のこと・腕時計のこと

先週は、乗客扱いの専務車掌は司法巡査に指定されたというお話をしました。司法巡査の証やバッジを紛失したら厄介なことになると書きましたが、毎日違った列車が職場になるのが乗務員ですから、このほかにも、乗務中には大切なものをいくつも身に付けなければなりませんでした。 紛失すると始末書では済まず厄介なことになるのは、車内補充券の類もそうでした。 (画像は私が旅行に行ったときに購入した他車掌区発行のものです。) 乗車券類は有価証券ですから、紛失したらただでは済まないことは当然です。以前にも書いたように車内補充券は魔法の切符です。どんな切符にも化けますから、拾得した人が書き方さえ知っていれば使い道は幅広いです。車内補充券の領収額欄の桁数は6ケタあり、一冊で50枚の切符が、複写の控片とともに綴じてありました。と、いうことは、1枚で999,999円までの切符が書けてしまいますから、未使用の1冊を紛失すると、最悪5000万円近くの払い戻しも可能というわけです。そんな金額で払い戻されることはないにしても、悪用される可能性は大いにありますから、出先宿泊先の車掌区で到着点呼をするときに、そこで売上の現金とともに車内補充券も貴重品袋に入れ、錠前で鎖錠のうえで翌日まで預かってもらうこともありました。 私どもの車掌区では車掌1人に車内補充券一冊ずつを専用で渡され、残りが少なくなると未使用の1冊を新たに持たされたので、2冊持ち歩くこともありました。発行枚数が多い行路のときには、そうでなくとも初めから複数冊の車内…

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【854】「鉄道公安職員」と「鉄道司法警察職員」 

先週の記事「【852】緊急停車@揖斐川橋梁」の例では、一般公衆が鉄道用地内への立入って列車の運行を妨害したとして、その者に任意同行を求め駅に引き継いだことになるわけですが、現在だとどんな手順で事が進むのでしょうか? 現行の取り扱いマニュアルどころか法律を知らないので、なんとも申せませんが、素人なりに考えると、まず一般公衆の軌道内立入事実がある以上、防護無線を使用して、他列車も緊急停止手配により停車させることになるでしょう。無線で列車指令に連絡。最寄りの駅員がすぐに来られる距離でもありませんから、列車指令から管轄の警察署へ110番通報し、その場で警察官に引き継いでから運転再開することになりましょう。 (画像はただのイメージです。) そうなれば現場で必要があれば現場検証・事情聴取後、オッサンと警察官が敷地外に出てからしか運転再開できないと思われますので、短く見積もっても数十分にわたって東海道本線がストップすることでしょうし、いらない心配ですが、列車遅延に伴うオッサンへの損害賠償額も相当なものになるでしょう。先週ご紹介した例ではわずか7分の停車でしたから、せいぜい後続の1~2本の列車に影響したくらいのものだと思われます。 ところで、国鉄では大きな駅に鉄道公安室があり、そこには「鉄道公安職員」がおりました。一般には鉄道公安官の通称で知られ、鉄道敷地内の警備や列車の警乗をしてました。彼らは警察官ではなく国鉄職員であって、私が勤務した車掌区からも鉄道公安職員に転進した者がいました。 下の画像…

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【852】 緊急停車@揖斐川橋梁

国鉄がなくなるまで1年を切った昭和61年6月のことでした。 夕方、113系電車6両編成の下り米原行普通列車に名古屋で乗継いで、東海道本線を終点米原へ向けて乗務していました。 (今回の画像はすべて当該列車ではないのはもちろんのこと、その時代の画像ではありません。上の画像はさらに遡って昭和47年名古屋駅に停車中の113系電車) 米原行は18時13分に穂積駅を定刻に発車しましたが、6月ですからまだ暗くはなっていませんでした。名古屋から米原までのほぼ中間地点とも言える揖斐川鉄橋上を高速で走行中、列車が急停車しました。 揖斐川は木曽川・長良川と並んで濃尾平野を潤す木曽三川と呼ばれる大河のうちのひとつですので、東海道本線の揖斐川橋梁はトラス桁がいくつも続いて300m以上もある非常に長い鉄橋でした。 運転士からの「電話機にかかれ」のブザー合図で受話器を取ると、慌てた声で、「鉄橋の上で上り線からこっちの列車の直前を人が渡った!その瞬間に、人が消えた!音がしなかったから、轢いてないとは思うが、川に落ちたんじゃないかと思う。降りて見てくれんか。わしもすぐ降りて後ろへ行くから!」 これは一大事ですが、当時は列車無線がありませんでした。 「ただいま、運転士が線路上に人影を発見して急停車をしました。これから状況確認をしますので、しばらく停車します。」 とりあえず車内放送を入れて、乗務員室扉から降りるのですが、こちらが川に落ちてもおかしくないような状況で、鉄橋上はむきだしの鉄骨に、線路に沿って格子状に…

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【850】 ランキングと車掌 

いきなり鉄道にまったく関係ない話から始めますが、下の画像は昭和時代の月刊誌の切り抜きです。読者による女性タレントの人気投票の結果です。 なつかしいタレントさんが名を連ねていますね。そして下の画像はまったく同時期の別の雑誌の切り抜きです。同じ時期であっても、集計によって順位が入れ替わるものですから、順位が全てではないはずで、私はこうしたベスト〇〇は傾向を知るうえでの参考程度に見ていますが、1位にこだわって一喜一憂したりしない人です。特に人気といった正体がつかめないもので比較して順位付けをすることには賛成しかねるところがあって、1位こそがほんとうのベストなのかと思ってしまいます。 ここから鉄道の話にしましょう。国鉄でも、決算が終わると前年度の各線区の収支状況、営業係数などが発表されたので、マスコミはそれに順位をつけて報道していました。 こういうことは、単純に数値だけで比較され、知らされる私どもは、ベストあるいはワーストに入った対象だけが強く印象付けられてしまいがちです。線区別にそれぞれ固有の事情を抱えているので、それぞれの線にしてみれば、異議や、言い訳の一つも言いたくなることでしょう。しかし傾向はわかります。順位が多少前後してもおよその感触はつかむことができ、上の女性タレントの2つの集計結果を見てもそうですが、10人の顔ぶれはまったく変わっていません。上の画像にある国鉄の線区で言えば、美濃太田~北濃(越美南線)が営業係数ではワースト1で、名古屋鉄道管理局内では一番の赤字路線として糾弾され…

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【848】 車内補充券は魔法の切符

冒頭の画像は、使用済として発行された車内補充券です。もう使えませんよとお客様に対して明確な表現です。視点を変えると、この乗車券は北陸本線下り方向行なのに、上りの特急列車で発行されたものであることが列車番号からわかります。車内補充券は50枚の冊になっていて控片が車掌側に残りますので、控片を見れば乗務行路の時間的経過と発行した乗車券の発着駅が連動します。上り方面行きで発行された控片のなかに1枚だけ下りの片道乗車券が発行されていれば不自然で、あとで審査する部署の担当者が不審に思いますが、「使用済」と書いてあれば、「ああ、無札で野々市から乗って、金沢で折り返しそのまま上りの特急に乗ったお客様からの申告だったのだな」と想像がつきます。 車内ではどんな申告があるかわかりませんから、事前印刷された1つの様式でありながら、車内で起こりうるケースに可能な限りの事例に対応できる車内補充券は、魔法の切符と言ってもいいと思います。企画乗車券のような切符を除けば、これ1枚で片道・往復・連続乗車券・特急券・急行券・グリーン券・寝台券のほか、区間変更、指定席変更、種類変更は言うに及ばず、不正乗車の増運賃の精算も可能でした。ほかには、 間違って小児用の乗車券の買った時の精算 私鉄からの連絡乗車券の区間変更 誤って乗継割引として発行された特急券の精算 運賃を誤って発行された乗車券の精算 自由席グリーン車が満員で着席できなかった時の不使用証としての発行 複数人に1枚で発行された乗車券の分割 往復割引が適用されなくなる…

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【846】 釣銭と概算収受

車掌は車内で乗車券類を発行する関係上、運賃早見表、営業キロ早見表と車内補充券の冊などを持ち歩きます。 車内巡回中には、左手に運賃早見表、営業キロ早見表と車内補充券の冊を持ち、売上金の紙幣はその2つの早見表にまたがって掛けた表紙カバーの裏側にはさんでいました。硬貨は画像にあるような小銭入れも使いましたが、左手がふさがっていますから、右手だけで釣銭を素早く出せるように、10円硬貨と50円硬貨を上着のポケットに、100円硬貨をズボンのポケットというように裸銭のまま分けて入れていました。50円硬貨は穴があるので、ポケットの中に手を突っ込んで硬貨に触れた指の感触で他の硬貨と区別がつきますが、10円と100円は上着とズボンのポケットに分けておかないと、感触だけでは区別がつきません。けれど、上着を着用しなくてもよい夏場には上着のポケットが使えないので、ズボンの尻側のポケットを使ったこともありました。なお、私が車掌になったときには、まだ500円は紙幣しか発行されていない時代でした。それでも500円硬貨が普及するにつれて、500円紙幣をお客さんから受け取ることが急激に少なくなっていきましたが、500円硬貨は大きさでわかるので、100円硬貨に混ぜていました。 (上は再掲画像ですが「車内補充券」です。さまざまな乗車券類をこれ1枚で発行可能な様式になっていました。) 乗務するにあたり、あらかじめ準備しておく釣銭は自前でした。私の場合は、常に10,000円を用意し、このうち紙幣の内訳は5000円札1枚…

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【844】 割引切符

上の画像は、自分で購入、使用した乗車券です。そのころ私は名古屋鉄道管理局と静岡鉄道管理局管内有効の職務乗車証を交付されていたので、同じ国鉄線であっても、乗車証の区間外については乗車券を購入しなければなりませんでした。そこで別に支給される職員用割引券を使って、名古屋鉄道管理局と長野鉄道管理局の境界駅であった中央西線の坂下から東京南鉄道管理局と静岡鉄道管理局の境界駅であった函南駅までの乗車券を買ったということで、つまり、中央西線・中央東線・東海道本線をぐるりと一周してきたわけです。目的地は東京で、安産祈願のため水天宮へ参詣したときのものです。 割引券には種類がいくつかありました。 手前から、職員本人用、家族用、永年勤続者用です。それぞれ、在職年数などで発行枚数に基準が設けてあり、このころはすでに、こうした乗車証や割引制度は国民の理解を得られないとして、適用範囲や交付枚数がかなり縮小されたあとでした。それ以前は「運賃料金割引証」という名称でした。 画像では見難いですが、割引証には〇に「職」の字が書かれていて、乗車券類にも同じようなゴム印が捺されて「マルショク」と呼ばれました。再掲画像ですが、自分が使用した切符です。 このような職員割引をはじめ、学生割引、身体障害者割引など割引証を必要とする割引乗車券類は、旅行開始前に発売するものであって、原則として旅行開始後に車掌が車内で割引乗車券を発行することはありません。しかし、無人駅から乗車される場合は除かれていたので、車掌も割引の乗車券類を発…

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【842】 切符を失くしたとき

「【806】車内の遺失物」そして「【808】変な忘れ物」と、昨年2週続けて忘れ物の話をしてきましたが、旅行中大切な切符をなくしてしまうことも、ときにはありますね。私は、東京都内のどこかで、名古屋市内着の乗車券を落としたのが最高額の切符紛失事例で、このときは結局発見に至りませんでした。 切符を紛失したときには、どうしたらよいかということは、時刻表の営業案内のページに書いてあります。要するに紛失したのと同じ切符を買い直し「紛失再」の表示がある切符を発行してもらいます。下車駅ではその切符は改札で渡してしまわずに、その切符に「再収受証明」を受けて持ち帰れと言う意味のことが書かれています。1年以内に紛失した切符が発見されたら、再収受証明がされた切符と一緒に駅に持っていけば、手数料を差し引いて払い戻しを受けられるという取り扱いです。これは定期券や回数券のほか多くの割引切符では適用されません。私の場合は、長距離に乗車する場合、金券ショップの切符や企画切符を買って乗ることが多く、まともな運賃で乗ることが少ないので、あまり関係がないのですが、それでも高額な切符や、変わった切符を購入したら、撮影しておき券面事項が特定(確認)できるようにしています。もっとも主目的は、自分が使った切符の収集に代わるもので、画像で保存しようというだけのことです。 当然ですが、車内で紛失されたお客さんに新たな乗車券を発行するケースも稀にあるので、車内補充券で発行する場合は事由欄「紛失」として発売することになっていました。下の例は、木…

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【838】 思い出の乗務列車55:高山本線「ひだ1号」「ひだ4号」

タイトルを「思い出の乗務列車」シリーズ記事にしましたが、内容は先週アップした「【836】乗務した車両:80系気動車」の続編になります。特急は「しなの」しか乗ったことがなかった最下位組の専務車掌だった私が、予備勤務のとき、急に高山本線の特急「ひだ号」に1往復乗務した時のことを書いています。 (画像はリニア鉄道館で撮影) 乗務した日の編成表です。 1985年12月27日 5001D「ひだ1号」 運転区間・乗務区間とも名古屋~高山 1 キハ82 94 名ナコ 2 キロ80 44 名ナコ 3 キハ80 102 名ナコ 4 キハ80 133 名ナコ 5 キハ80 136 名ナコ 6 キハ82 84 名ナコ 「名1」 1号車寄りが岐阜方 (岐阜・高山間逆編成) 折り返す5004D「ひだ4号」も同じ編成 画像は1985年10月31日 5003Dひだ3号 (飛騨小坂~渚 列車の後方から撮影) 先週はキハ80系で取扱う機器操作のことを書きましたが、それとは別に、いつも乗務している線区でない場合は、その路線固有の列車運転上の取扱いを把握しておくことが大切です。 この日1往復する「ひだ」の停車駅の中には、以前の乗務で通過した駅や信号場もあったので、そういった駅の信号機の位置やホームの状態のほか、駅員との連携については、チェックしておかねばなりません。 列車を発車させるには、乗務員室からいったんホームに出て自分の列車に対する信号機の現示を確認し、時刻と…

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【836】 乗務した車両: 80系気動車

特急は「しなの」しか乗務行路上になかった最下位組の専務車掌だった私ですが、予備勤務のときには変わった列車に乗ることもありました。 1985年(昭和60年)の12月のこと、その日は緊急対応の日勤で、どのような列車に乗務してもよい覚悟をきめて、朝8時30分に車掌区に出勤すると、いきなり助役から「“ひだ”に乗ってもらうで、用意しといてな」と言われました。高山本線の特急「ひだ1号」に乗務予定の専務車掌が何かの事情で乗務できなくなったようでした。 (画像は「ひだ3号」1986年5月1日 尾張一宮で) その行路は 名古屋9:23-(5001Dひだ1号)-高 山12:20 高 山13:24-(5004Dひだ4号)-名古屋16:27 本務2回目の高山本線、そして初めて乗務するキハ80系。高山で折り返して夕方に名古屋まで戻って勤務終了。1日中、車掌区で待機しているよりいいではないですか。まるで一般サラリーマンの定時帰宅みたいな、こんなにいい時間帯の日勤行路など、最下位組の専務車掌には1本もありませんでした。 「ちょっと“しらさぎ”で富山まで行ってよ」と言われれば、仕事がきちんとできる自信が全くないので、たじろぐことになりますが、ローカルな高山本線には、この1か月前に急行「ユーロライナーのりくら」(詳細は「【386】思い出の乗務列車24:臨時急行「ユーロライナーのりくら」(前篇)」で書きました。)で1往復したばかりでした。そのとき停車した駅の信号機や出発反応標識の位置は覚えています。それに予…

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【835】 スチール棚の企画展12:乗務した列車をイメージしてみる

国鉄在職中に乗務した列車のイメージを模型で再現してみようという企画展です。 例によって所有するNゲージ模型には限りがありますので、忠実に再現することはできません。模型を眺めて30~40年前にやっていたことを思い出しながら、その雰囲気だけでも味わえればという程度のことです。そして今回登場する展示車両も、前回同様ほとんど全部が以前このシリーズで出演した模型ばかりです。 スペースの関係もありますので、定期列車を対象にしました。 以下の3枚の画像がその全容です。 ところで、先月まで拙ブログは定期更新の間引きをしながら運転していました。その間にも古い記事に多くのアクセスをいただきました。古い記事にも興味を持ってご覧いただけるとはありがたいことです。改めてお礼申し上げるとともに、今回は展示車両(列車)ごとに、拙ブログで過去に書いた関係記事のリンク集のような形態にいたしました。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ①  381系電車 車掌になってからすぐに、中央西線で回送列車に乗務したことに始まり、専務車掌になってからは「しなの号」で退職間際まで乗ることになった車両です。揺れることで悪名が高かった特急で、私の最終乗務列車にもなりました。 模型は9両編成で国鉄時代を再現しています。 【199】乗務した車両:381系電車 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ②  485・489系電車 「しらさぎ3号→12号」で1度だけ北陸本線の…

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【834】 思い出の乗務列車54:中央西線489系 回3M…そして京都鉄博

私は、特急「しらさぎ」に本務で乗務したことはなく、専務車掌になったときに名古屋~富山~(回送)~東富山間で1往復の見習乗務をしただけでした。「しらさぎ」の行路は、専務車掌でも上位組でないと交番(乗務ローテーション)に組み入れられず、最下位組の私が乗務する特急はいつも「しなの」でした。 1986年5月1日 2M しらさぎ2号 尾張一宮(後方から最後尾を撮影) しかし、意外なことはあるもので、1986年11月1日に、短区間の回送列車ではありましたが489系電車に乗務する機会が訪れました。 その列車とは、前夜に名古屋に着いて神領電車区で滞泊した「しらさぎ」編成を、名古屋まで回送する列車で、乗務区間は中央西線の春日井~名古屋間、運転時分にしてわずか24分でしたが、いろんな意味でめったにないチャンスでありました。 国鉄時代の神領電車区(1985年5月16日) しなの編成に交じって、夜間には2本の「しらさぎ」編成が滞泊し、翌日の1号・3号として出区していきました。 画像中央が「しらさぎ」編成 乗務した1986年11月1日は、翌年4月からの国鉄分割民営化に先行して行われた国鉄最後のダイヤ改正初日でした。この日から列車ダイヤはもちろんのこと、乗務の基準や勤務時間などが民営化後の新基準に切り替わりました。私は前日の10月31日に出勤して、ダイヤ改正前の中央西線を何往復かして神領泊まり。通常ですと翌日も中央西線のローカル列車で行ったり来たりして乗務終了という行路でしたが、この日だけダイヤ…

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【808】 変な忘れ物

列車の中での忘れ物は多いわけですが、宮脇俊三さんは、生前、国鉄時代の東京駅を取材され「東京駅 素顔の24時間」(著書 終着駅は始発駅に収録)という短編を書いておられます。その中から引用させていただくと、東京駅へ取材に行った折の「お忘れ物承り所」で、「なかに入ると、無いものは無いといってよいほど何でもある。人間とはこんなに何でも忘れることができるのかと感心してしまう。」という感想をお持ちになったようです。 私たちも、テレビ番組で、どうしてこんなものが?と思うような忘れ物が紹介されるのを知って驚いたりもします。私も車掌在職中に変な忘れ物に出会ったことがあります。 (以下の画像はJR東海になってから撮影したもので、当日の撮影ではありません。) 国鉄時代のある日、乗務していた東海道本線下りで、大垣から支線に直通する美濃赤坂行。 終点美濃赤坂に着くと無人になった最前部車両の進行左側の荷棚に縦横各30㎝、高さ15㎝くらいの無地の段ボール箱が1個載っているのを見つけました。 途中駅で降りた乗客の忘れ物のようでした。先々月に「【787】美濃赤坂線」の最後のほうで書いたように、終点の美濃赤坂駅は、旅客営業上は無人駅でした。列車はすぐ折り返して大垣行になりますから、忘れ物も折り返して大垣駅に引き継ぐことになります。 その箱は持つととても軽く、何も入っていないようにも感じましたが、粘着テープでしっかりと封がされ、側面にはキリか千枚通しが開けたと思われる小さい穴がたくさん開けられていました。 その様子か…

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