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zoom RSS 【775】 撮り鉄12か月…1974年3月 「名古屋市電最後の日」

<<   作成日時 : 2017/03/06 06:40   >>

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毎月第1月曜日に、過去その月に行った撮り鉄の話を、そしてその週の木曜日には、その月に行った乗り鉄の話をアップしています。
今回は、今から43年前の1974年3月31日に名古屋市交通局の路面電車の最終日に撮影に行ったときのことを振り返ってみます。

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名古屋の市電は昭和20〜30年代には100qを超える営業路線があったといいます。その全盛期の記憶はありませんが、母方の実家が名古屋市東区内にあったために、昭和40年代前半から、市電の記憶があります。それから、この廃止の日までには少しずつ路線廃止が続いていて、最後まで残っていたのは、矢田町四丁目〜昭和町・大久手〜安田車庫・金山橋〜市立大学病院の3路線(19.8q)だけでした。
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 折返し電停「矢田町四丁目」

このころ、私は高校生で、同行したのは「北恵那デ2様」だったと記憶します。蒸気機関車が身近なところでは見られなくなった後、ローカル私鉄や路面電車など、生活に密着した鉄道の写真を撮ることが多くなっていました。そういう傾向は今でもあって、車庫に行けば、その鉄道の全容がわかってしまうような小規模でアットホームな感じの鉄道が好みです。この日も名古屋市電のほか、当時600Vのまま残っていた名鉄瀬戸線の列車も撮影しています。赤に白帯の3700系特急です。
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本題である最終日の名古屋市電の話に戻りましょう。
この日は日中だけの運転で、すべての列車に無料で乗車できました。混雑が予想されましたので、私はその1週間前にも名古屋へ来ており、そのときは最後まで残っていた3路線のうち、最も長い矢田町四丁目〜昭和町間に乗って、車内走行音の録音をしてきましたので、最終日の最大の目的は乗車ではなく装飾された電車を撮影することでした。

続行で電車が運転されていても、乗る人があふれ、反対側の乗り場にも乗る人、撮る人が大勢います。
場所は今池です。↓ 
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高辻付近の歩道橋から、金山橋発の装飾電車を撮影しました。↓
後継の市バスも写り込んでいます。
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大久手電停の様子です。↓
道路を横断してくるのは、大久手電車運輸事務所から出庫してくる電車。
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大久手電車運輸事務所構内では、装飾された電車が展示されていました。↓
この日は敷地内が開放され自由に立ち入りができました。
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大久手では安田車庫前へつながる短い枝線が斜めに分岐していました。↓
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その枝線の終点「安田車庫前」には文字どおり「大久手電車運輸事務所安田車庫」があり、手狭な大久手電車運輸事務所の車庫機能がありました。この枝線は、この3年前まではさらに先の八事までつながっていたということですが、八事まで乗車したことはありませんでした。

私が趣味と関係なく名古屋市電を利用したのは、最初に書いた母方の実家に行くときに乗った大曽根〜赤塚〜栄町が記憶に残っています。朝早く、母に連れられて中央西線の大曽根駅で降りて、市電で母の実家に行ったあと、昼には栄のデパートに寄ってデパートの大食堂でお子様ランチ。地下鉄で名古屋駅まで出て、午後遅くの中央西線の列車で座って帰ってくるというのが、いつものコースでした。母は近眼でしたので栄町を通る系統番号を確認するのが私の役目でした。電停に近付いてくる電車を見て「13番!」「それはだめ」「22番!」「それに乗るよ」というやり取りでした。中学生になる少し前からは親と一緒に出掛けることはなくなりましたが、母が市電の回数券を持っていたので、1枚欲しいというと、一組未使用のままくれました。
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そういう思い出がある道路に、今は路面電車の面影をとどめるものはほとんどありません。この小学生の頃に市電に乗った道路も、そして最終日に撮影に行ったこの道路も、自分が走らせるクルマで幾度となく通りました。信号で止まると、ふと、そのときのことを思い出すことがあり、逆に仕事や通勤でいつも歩いた道が、実は市電の軌道があった道であったことを、あとになって本を見たりして初めて気付くようなことが何度もありました。

※今回の記事を書くにあたって「名古屋市電が走った街 今昔」(徳田耕一著 JTBキャンブックス)を参考にしました。


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コメント(10件)

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自分も母方の実家が川名にあり矢田町四丁目〜昭和町・大久手〜安田車庫に乗った記憶があります。廃止時は小学4年でした。大曽根から矢田町四丁目までは徒歩でしたね。
中央西線
2017/03/06 08:03
中央西線様 こんにちは。
私の小学生時代とは国鉄大曽根駅をはさんで反対側を利用されていたのですね。私が利用していた国鉄及び名鉄の大曽根駅西側には枝線の末端電停「東大曽根」があり、市電に乗りかえるには便利でしたが、この枝線は本数が少なく後に廃止されたこともあって、母はあまりここからは乗らず、いつも徒歩で1つ先の「大曽根」電停まで、当時はまだ賑やかだった大曽根本通の商店街を歩くのが常でした。そこまで行くと上飯田から来る複数系統の市電が頻繁に運転されていました。
しなの7号
2017/03/06 15:37
モーターゼーリションには勝てず捲られていった軌道。線路が無くなれば今度はECOの課題。
我々というより人間を取り巻く環境が変わり、近年、地方の路面区間で線路が新設、付け替えられた箇所も出てきていますが、果たして鉄道がどこまで見直されるのでしょうかねえ。
もう10年も前になりますが、地元東西の通り中央車線で、2社の私鉄終端駅を結ぶ電車に見立てたバスを走らせる社会実験が行われたことがあります。沿線住民の約半数から賛同を得られずに実現には至らなかった"LRT"構想、まあ一般の方々からすれば邪魔者扱いされて消えていった「路面電車」のイメージなのかもしれません。
NAO
2017/03/07 00:00
NAO様 こんにちは。
40年以上も前には思いもしなかった環境の変化に加え、新しい価値観が生まれて、鉄軌道の位置付けを単純に語れなくなりましたね。
中京圏では自動車がないと行動できないような街ばかりです。 それでも路面電車を存続させる都市があり、近年みられるように積極的に路面電車を活用し、利用しやすい環境づくりをする都市もあって、都市部での自家用車との共存は、多少なりともあるべき姿に誘導されつつあるとは思います。 ただ、いったん破壊したものを再生するには多くのエネルギーが必要ですから、工夫次第で有効に利用できる公共の財産を、単に古くて時代遅れと言って一気に廃棄したことへの反省は必要でしょう。ある程度見通せる数年先を見て判断するか、環境も価値観も変わるかもしれない何十年先を見て判断するか、たいへん難しいこ選択だと思います。
しなの7号
2017/03/07 09:53
しなの7号様、こんばんは。
『小規模でアットホームな感じの鉄道』私も好きで、愛着を感じます。何か癒されますね…

今池、大久手、八事…懐かしいですねぇ。名古屋に住んでいた頃を思い出します。以前にコメントさせて頂いたとおもいますが、名古屋在住時代は自家用車移動が中心でしたので、名鉄、地下鉄、JR、あまり利用していませんでした(決して嫌いではなく、名鉄7000系パノラマカーに当たった時は心の中でガッツポーズ決めました)。

路面電車の走る名古屋の風景も良いですね。単行でコトコト走る姿がかわいいです。もし私が名古屋に居た1998〜99年、現役で活躍していたら…ちょっと自家用車をおいといて、路面電車を利用していたでしょうね。

5日日曜の『六角精児の呑み鉄旅』、ラッセル車のカッコ良さにシビれました。貝殻に味噌入れて焼く料理、味わってみたいですなぁ…
(しなの7号様が録画されたままで、まだご覧になってないならネタバレになるので、詳細は差し控えます)
はやたま速玉早玉
2017/03/07 22:23
はやたま速玉早玉様 こんにちは。
田舎でしたら中小私鉄や国鉄ローカル線、都市でしたら路面電車やモノレール、新交通システムなど日常の足として誰もが身近に接している鉄道が好きです。私も在職中は仕事で名古屋市内を会社の車で走ることが多く、地下鉄以外の公共交通機関を使うことは稀でしたが、最近はプライベートで一日乗車券を買って市バス地下鉄を利用して出かけることが増えました。駐車場の心配をしないで済むので、市電も今あれば当然積極的に利用しただろうと思います。

『六角精児の呑み鉄旅』は放映翌日に録画で見ました。冬の飲み鉄の醍醐味は「暖かい車内で雪見酒」と思っているのですが、雪の降る中、ホームでの缶ビールはちょっと真似できそうもありません(;^ω^) あえて観光客向けのストーブ客車に乗らないところがたいへん気に入りました(^^)/ 
しなの7号
2017/03/08 08:51
 こんばんはしなの7号様、ご無沙汰していました。
決して忘れていたわけではなく、ちょっとバタバタしていて書き込みができませんでした。ちゃんと毎回の更新と皆様のコメントは拝見していましたよ。
名古屋市電は稲葉地町が近くだったので見たことも乗ったこともあるはずですが、記憶があいまいです。むしろ廃止後応急的に敷石はそのままで、線路部分だけアスファルトで埋められた光景が子供心にすごく寂しく悲しく思ったことのほうが鮮明です。排気ガスをモウモウ吐いて走るバスに替えることがどうして進歩することなのか疑問に感じてもいました。
三つ子の魂百までと言いますが、私の感性はどうも幼少期より変わらないようで新しいものより古いものへの愛着、未来より過去への興味が強いようです。新幹線より蒸気機関車の大好きな幼児に周りの大人は戸惑っていたようですが、今ではただ単に世の中の流れについていけないオッサン。「オートマチック車は勝手に動くので怖い、つまらないし」なんて言っていたら、我が愛車は先月で18才の誕生日を迎えました。
門鉄局
2017/03/08 22:27
門鉄局様 こんにちは。
私はもと岐阜県民でしたので、再就職するまで名古屋市街地の地理には疎かったのですが、市電の字幕にあった「稲葉地」行は子供のころから馴染みがありました。実際に稲葉地町に行ったのは何年もあとのことで、会社の用事での出張でした。
名古屋市電では、廃線跡の敷石が一般に払い下げられて、これが大人気との新聞記事を見た記憶があります。公共施設でもアスファルトがこびりついた四角い踏み石を見たこともあります。
私も今の世の流れからは取り残されています。平成初期には、社用車にはマニュアル車が残っていて、社員に人気がありませんでしたが、私は出張の際には好んで古いマニュアル車を使って運転を楽しんでいました。
今は、自動車は移動と運搬手段の道具と考えていますので、所有するのは十数年前から軽自動車1台だけですが、軽自動車にもグリーン税制が導入されたので一昨年秋に低燃費の軽自動車に入れ替えました。これがたぶん自分が所有する最後の自動車になると思います。
しなの7号
2017/03/09 12:53
しなの7号様こんばんは
大久手のところ斜めに道があり
確かに八事に通じています
名古屋はだいたい東西南北に道がありますがこの道と近くを通る飯田街道が斜めで八事の手前で合流しているような
路面電車が走っている頃の街並みを見てもぴんときませんが当時から現在まで建っているビルなどがあると納得するものです
名古屋市電はほとんど乗っていなく高校受験で金山から高辻に乗ったくらいです
大江交差点で名鉄跨線橋の急勾配を登り下りしていたのが印象に残っています
ヒデヨシ
2017/03/09 21:02
ヒデヨシ様 こんにちは。
大久手交差点は、斜めに分岐した道がある変則的な五差路交差点ですね。先週地下鉄で八事に行きましたが、地下鉄から地上に出るのと、バスや路面電車で移り行く街並を見ながら行くのとでは、どうも感覚が異なり、地下鉄は航空機で降り立つのと似て、道中の印象が省略されて連続感がありません。
この撮影の一週間前に、昭和町から今池まで路面電車の車内録音をしました。地図を見ながら録音を聴くのも一興で、運転士氏による電停の肉声放送と地図を照合していくと、多少地理に疎くても信号で停まった交差点名や、大江の名鉄跨線橋を登り降りする場面もわかって楽しいです。
しなの7号
2017/03/10 14:45

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