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zoom RSS 【779】 岡多線北野桝塚駅での思い出

<<   作成日時 : 2017/03/20 06:20   >>

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先週は、国鉄時代の電車列車の出発合図についてお話しました。
今回は、岡多線の北野桝塚駅のお話です。
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国鉄北野桝塚駅は、JR東海を経て現在は愛知環状鉄道の駅で、愛知環状鉄道本社と車両基地の最寄り駅になっています。国鉄時代の岡多線には、70系〜113系〜165系電車が使用され、113系が走っていた時代に私は3年間ほど、この線に乗務していました。
岡崎から北野桝塚までは単線自動閉そく区間でしたが、ここから当時終点だった新豊田駅までは「通票式」によって運転され、北野桝塚駅長と運転士の間で通票の授受をして運行されていました。

ここからは先週書いたことの再確認ですが、

「@当務駅長―(出発指示合図)→A車掌―(閉扉=出発合図)→B運転士起動」

という流れで、この駅では、この前に通票の授受が加わりました。

@当務駅長が、運転士と通票の授受をしてから出発信号機の現示と時刻を確認して、発車時刻になると車掌に向かって「片腕を高くあげる」動作で「出発指示合図」を送る。

A車掌は、その出発指示合図を受けて、自らも出発信号機の現示と時刻を確認して、車掌スイッチを閉位にする。ドアが全部閉まると、車側表示灯の赤色灯が消灯し、前部運転室の「運転士知らせ灯」が点灯する。その点灯が車掌から運転士への「出発合図」とみなされる。

B運転士が「運転士知らせ灯」の点灯と、出発信号機の現示、時刻を確認し電車を起動させる。

このように運転に関しては、安全確保が徹底しているのですが、乗降客が少ないこの駅には、出札改札要員の配置がありませんでした。この駅は、貨物列車による自動車輸送の起点駅であり、貨物駅として規模はそれなりにあっても、旅客面でいえば無人駅の扱いでした。ですから運転要員(通票を授受し、転轍機を切換え信号機を取扱う運転取扱に従事)、構内要員(貨物列車の連結解放など組成に従事)と、貨物輸送関係の従事員が配置されているのに、車掌が下車客の集札と乗車客の車内補充券の発売をしなくてはなりませんでした。何やら理不尽に思えますが、とにかく国鉄にはそういう駅は結構ありました。通票の授受は安全運行には必要不可欠ですから当務駅長がホームに出場するのに、乗車客は乗車券は車内で買わねばなりませんし、駅の改札口には誰もいないのです。以前【765】電車列車での集札で書いたことですが、この北野桝塚駅でも出口階段が新豊田寄りにあるために、下り列車に限っては1人乗務の列車では集札が不可能でした。しかし下り列車の場合は、階段付近に先頭車が停まりますから、運転士との通票授受のために出場している当務駅長が集札くらいは片手間にやってくれていました。
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(画像は愛知環状鉄道に移管後の駅)

国鉄当時、この線区では、荷扱をするために車掌2人乗務の列車が、1日1往復だけありました。荷扱と言っても岡多線では列車による手小荷物扱は行っていなかったので、主に事業用物品の輸送が中心で、局と駅の間を行き来する書類が入った通袋や、印刷場や管理局から末端駅へ送られる乗車券類や、駅で掲示するポスター、駅相互間で回送する乗客の遺失物というのが主な運搬品でした。
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2人乗務の場合は、1人は荷扱、もう1人は運転扱(運転操作をするのではなくドア扱いなど運転に関する取扱)と客扱の兼務と指定されていましたが、荷扱は最後部運転室で行いましたので、実務上は、各駅とも運転客扱担当車掌が車内巡回する間や、無人駅など集札すべき駅では、荷扱担当がドア開閉から発車するまでの安全確認を手伝いました。

この北野桝塚駅でも、上下列車ともに荷扱担当車掌がドア扱いをしました。
下り列車では、出口階段に近い先頭車で、あらかじめ集札に備える運転客扱担当車掌に取り卸し荷物を託し、荷扱担務車掌は後ろでドア開閉をし、運転客扱担当車掌は集札とともに、通票を運転士に交付したあとの当務駅長と荷物の授受をしました。上り列車では、荷扱担務車掌がドアを開扉したあと、ホームの列車最後部の乗務員室停車位置付近に積み込む荷物を持って待機している当務駅長と荷物の授受をしました。運転客扱担当車掌は、到着前にあらかじめ乗務員室から出て、出口階段に近い最後部車両のドア前で待機して、荷扱担務の車掌がドアが開けるとすぐホームに降りて階段付近で集札をしました。

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出札改札要員が配置されていないだけのことはあり、乗降客はいつも少数でした。運転客扱担当車掌は集札が終わると後ろにいる荷扱車掌に向かって集札オーライの合図とともに乗車して、そのまま車内で乗車客に対して乗車券の発行を始めました。上り列車の場合、当務駅長のほうは、荷物の授受をしたあと列車の先頭へ走って運転士から通票を受け取ります。通票を受け取ると、懐中時計で時刻を確認したり、ときどき振り返って出発信号機の現示が進行に変わっていて、定時刻で乗降が終了していれば、ホーム上の適当な位置で車掌に向かって「片腕を高くあげる」動作で出発指示合図を送ってきますので、前述の一連の流れがあって電車が起動します。

私が荷扱担当のとき、ある日の上り岡崎行列車。いつものように私がドアを開け、荷物の授受も済ませました。先輩の運転客扱担当車掌は集札のために階段付近のドアからホームに降りました。発車時刻になって出発信号機は進行現示。ホームには乗降客もおらず、先輩の運転客扱担当車掌の姿もありません。当務駅長は通票授受を終えて出発指示合図をよこしましたので、ドアを閉めました。
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ところが、そのとき集札のためにホームに降りていた先輩の運転客扱担当車掌は、まだ列車に乗っていなかったのでした。無札の下車客から運賃をもらう際、階段を歩いていく下車客を逃がすまいとそのままくっついて階段の下のほうまで行ってしまったらしいのです。階段を下りた位置にいる車掌は、私にも当務駅長からも死角でした。ドアが閉まる音に気づいた先輩、慌てて階段を駆け上がりホーム上に姿を現し、オーイと叫びます。列車はすでに発車していますので、こちらも慌てて連絡用ブザーを乱打して運転士に停止するよう伝えました。当務駅長も気が付いて赤色旗を表示しました。列車は10メートルくらい走っただけで止まり、事なきを得ましたが、私は集札オーライの合図を確認しておらず、ホームに人影はなかったので、もう乗ったのだろうと勝手に判断したのは明らかにミスでした。それと当務駅長が出発指示合図を出しているのだからと、信用して何も考えず機械的にドアを閉めたことも問題でした。
ホームが長い駅でしたから、列車がホームから外れていなかっただけでなく、長い貨物列車が発着する駅だったので、出発信号機の位置はホームからかなり先にあった関係で、他列車に影響があるわけでもなく、特にお咎めもありませんでしたが、お互い心臓にはよくない思いをしました。
私はあちこちのローカル線に乗りましたが、第三セクターの某鉄道の棒線駅で、列車が発車してから「乗せて〜」と駆け込んできた乗客に気が付いたワンマン列車の運転士氏がホームを外れて停車し、バックして乗せてあげた例を見たことがあります。そういうシーンに出会うと、このときのことを思い出してしまいます。

※駅と車両の画像はすべて、愛知環状鉄道移行後の撮影です。


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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
しなの7号様、こんにちは。
当時岡多線には『通票式』が存在していたのですね。どうしても客車、気動車のイメージがありますので、電化区間の通票式には意外性を感じます。
北野桝塚駅の役割分担、確かに矛盾を感じます。このような駅が結構存在していたなら、誰かが改善要望を出していた気もしますが…?

以下脱線コメントとなり、申し訳ございません。本日夜は、勤務先のアルバイトさんの送別会が開催されます。2名が4月から新社会人として旅立ちます。矛盾を感じる事、理不尽な事、多々あるでしょう。そんな中でも自分自身を見失わずにご活躍される事を願います。


はやたま速玉早玉
2017/03/21 12:14
はやたま速玉早玉様 こんばんは。
北野桝塚〜新豊田間は鉄建公団によって建設され、踏切が1つもないような近代的な新線でした。新車の113系冷房車2000番代が使用されていたのですが、ここでこの電車に通票式は似合わないなあといつも思ってました。

安全運行のため配置された要員に他の仕事をさせないような事務分担を見ていると、国鉄はまさに役所そのものだったと思いますね。もっとも列車の安全運行も出改札も今では自動化され、無人駅が激増しました。ところで今、この駅の営業体制はどうかと、愛知環状鉄道HPを拝見しますと「営業時間(きっぷの発売)7:05〜18:55」とされており、定期券の発売はなく、早朝と夜間は無人のようです。

「さだまさし」さんは、高校時代の恩師に「学校は勉強しに来るところではない、勉強する方法を教わりに来る所だ。学校で方法を教わり、一生をかけて自分のテーマを勉強してゆく、それが生きるということだろう。」(出典:國學院高校HP)と言われたそうです。
そのとおりだなと思います。バイト君たち、これからが勉強ですね。
しなの7号
2017/03/21 20:23
しなの7号様、こんばんは。
先輩の車掌さんをホームに残していって出発して、しなの7号様は先輩から怒られませんでしたか?
私事ですが、今の職についた頃、先輩からよく怒られました。大は規定に反することから、小は挨拶に至るまで、「何でこんなことまで怒られやなあかんのや。」と思いましたが、働いて給与を貰うということは理不尽の連続です。この歳になりよく分かりました。

2017/03/21 22:27
しなの7号様、こんばんは。
北野桝塚で思い出すのは、久保田博氏の保育者カラーブックス 新しい日本の鉄道です。確か北野桝塚の自動車積み込みヤードの俯瞰写真が載っていて、ク5000がずらーっと並び、地上に置かれた自動車もずらーっと。
積み込みを終えた自動車運転手さんたちが長編成ク5000の階上通路を通って引き上げるところも写っていたのですが、私の地元の二条にもかつては自動車積載ヤードがあったものの、ク5000も空か搭載後のシーンばかりで積み込むところは一度しか見たことがなく、自動車産業の街とのギャップを感じたものでした。
地上要員省力化を図るのであれば二人乗務の常態化が望まれますね。私の部署は現業管理職2人配置ですが、スケールの大きい今の事業所に慣れない者同士、相勤日は内心ほっとしています。
ちなみに画像の荷物受領証ですが、新豊田から名古屋に向けて集札済み切符の運搬でしょうか。経理部審査課長宛てのように読めそうです。ゴールデンウィークの乗務ですね。
NAO
2017/03/22 02:30
天様 こんにちは。
こういう場合は、乗せなかった方はもちろん悪いですが、乗れなかった方も悪いとされ、双方に落ち度があるとされましたので、怒られはしませんでした。
「何でこんなことで怒られやなあかんのや。」という思いは、駅がすべき仕事をしなかったとき、列車が遅れないようにとの親切心のつもりで、その仕事に乗務員の私が駅の仕事に手を出して怒られたときに思いました。定時運行を優先すれば理不尽なようですが、それぞれが自分の与えられた仕事に対しては誠実に働き、それが停車時間内にできないのは、駅の職員が適正配置されていないからだという理屈です。同時に決められた労働の対価として賃金が支給されているのであって、無報酬で働くべきでないということでもあります。こういう考えが「働かない国鉄職員」と言われる所以で、そういうことでは今の時代には生き残れないのでしょうけれど、労働者としての意識を持つならばあるべき考え方ではないでしょうか。学校では教えられなかったことでした。
しなの7号
2017/03/22 07:58
NAO様 こんにちは。
北野桝塚の貨物のことは前にも書いたことがありますが、けっこうな規模がありました。車掌時代だった昭和50年代後半にはその取扱量は激減していたようで、隣駅の三河上郷駅近くまでの複線用地に延々と敷かれた留置線に赤錆びたク5000形式が連なっていました。
複数人での勤務はどのような場合でも心強いですね。先々月に書いたその三河上郷での酔っ払いの一件でも、2人乗務であれば、よりよい対応ができたと思います。まあ岡多線ごときでの全列車2人乗務は現実的ではないでしょうが、長大編成や長距離乗務列車での1人乗務は何かと問題があったものです。
この受授証は書留扱いの特殊荷物用です。使用済乗車券は書留にしませんので、たとえば運賃改定で不要になった旧運賃の乗車券類などで、局に返還されて処分される未使用券ではないでしょうか。
しなの7号
2017/03/22 07:59
しなの7号様おはようございます
死角に隠れていたので気がつかなかったとは言え当該の車掌氏の合図で戸閉めになるわけですから言い訳になりませんね
私もボーンヘッドなどもありました
また機会があればお話いたします
ところで北野桝塚駅の構内
入換業務は民間に委託されていたようです
少なくとも昭和52年頃はそうだったと思います
民間と言っても操車掛等は国鉄OBでした
また岡多線の一部区間が通票方式とは驚きました
ちなみに私の国鉄勤務の始まりも通票を取り扱う駅でタブレットの操作もしたことがあります
それは名鉄三河線刈谷駅です
つまり運転関係と南口営業は国鉄に委託されていたから
ヒデヨシ
2017/03/24 10:23
ヒデヨシ様 こんにちは。
最近は恥さらしシリーズのような様相です(;´Д`) それにしても、まさか相方の車掌が階段の下まで降りて行ってしまったとは思えませんでしたが、もちろん言い訳にはなりません。一人乗務のときに、このような某高架駅で列車から離れて、階下にある改札口まで走っていったことがあるのですが、自分がいなければ絶対発車しないとわかっていても、列車が階下では見えないですから心配でした。
岡多線は新しい線でしたから、そう言われてみれば駅の貨物関係業務は民間委託であるほうが自然ですね。線内の有人他駅の出改札も全部委託だったように記憶します。その券売機発行の乗車券には「マルム」表示がありました。

「通票式」は現行の「スタフ閉そく」に当たりますので、「通票閉そく式」とは違い閉そく器がありません。「通票閉そく式」は当時の名古屋鉄道管理局管内には数か所ありましたが、「通票式」は岡多線北野桝塚〜新豊田間のほかには、樽見線の末端区間(美濃本巣〜美濃神海)だけだったようで、通票の種類は両区間とも第1種(〇)を使用していたみたいです。刈谷駅では、名鉄の運転業務も国鉄に委託されていたというのも驚きますね。
しなの7号
2017/03/24 13:23

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