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zoom RSS 【821】 乗り鉄12か月…1994年8月 四国日帰り

<<   作成日時 : 2017/08/10 06:30   >>

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国鉄時代に連絡船を介していた北海道と四国は、私にとって縁遠かったところで、国鉄時代にはどちらにも足を踏み入れることなく、青函トンネルと瀬戸大橋が開通後にいずれも列車で初上陸している。四国へ初上陸したのは、この1994年よりわずか3年前、それも瀬戸大橋を乗ってみただけで坂出で折り返したから、四国島内は全くの未乗に等しい状態であった。そこでこのときも瀬戸大橋を起点にして、高松〜鳴門〜徳島〜阿波池田〜多度津と四国の4分の1を日帰りで乗ってくることにした。
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高蔵寺5:44―(620M)―6:11名古屋 クハ111-2001

名古屋6:21―(こだま491号)―8:46岡山 100系

全車自由席の「こだま」。岡山まで「ひかり」の待避は1本だけ。がら空きの16号車で6人分のボックス席を作って余裕のスタート。車窓からは、建設中の明石海峡大橋にワイヤーが張られていたのが見えた。橋の開業はこれからさらに4年も後のことになる。姫路では機関区の扇形庫が見えたが壊される寸前のように見えた。

岡山9:03―(3133Mマリンライナー13号)―10:00高松 クハ212-2

初めての高松駅。まだ連絡船の設備が残っていた。やはりここまで連絡船で来ておくべきだったと思う。

高松10:11―(65Dうずしお5号)―10:46三本松 キハ185-1014

先行している普通列車に追いつくために、高松から50qまでの最短区間で収まる三本松までの新幹線乗継特急券を用意しておいた。自由席特急券250円を出費することによって、鳴門で1時間の食事タイムを作れる。普段は普通列車の車内での飲食が基本だが、どうもJR四国ではそんなことができる普通列車は少なそうなので、車内での昼食はできないものとして行程を作った。
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三本松10:51―(4337D)―11:30池谷 1010

1000形というJR四国のオリジナル気動車。通路を挟んでロングシートとクロスシートという不思議な車内。新車ながら力行中の車体のビビリ振動が大きい。
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池谷11:37―(4740D)―11:54鳴門 キハ402143

国鉄形は落ち着くが乗車時間はわずか。鳴門での折り返し時間に、糸コンニャクのようなざるそばを食べた。
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鳴門13:16―(4747D)―13:55徳島 キハ402143

4人ボックスに途中から乗ってきたのは女子大生2人。終点の徳島まで2人は喋りづめで、関西なまりが強い。今さらながら海を隔てているものの、大阪に近いところにいるのだと思う。車窓にはレンコン畑。

徳島14:14―(421D快速)―15:52阿波池田 キハ58654
吉野川が見える進行右側に席を確保する。キハ65+キハ58の2両編成だが急行「よしの川」用の車両。廃車されたキハ181系の回転クロスシートを装備しているから、窓割が座席と一致していないのでよく考えて座る必要がある。乗ったのは2両めのキハ58であったが、先頭のキハ65が黒煙を噴き上げておりSL列車乗っているように窓外を煙がたなびく。阿波加茂を過ぎると吉野川の景観がよくなり、佃の手前で土讃線の鉄橋が見える。佃では下車せずに列車終点の阿波池田までルートからはみ出し乗車した。対岸の山腹に貼りついて、高度を上げていく土讃線の線路があるのがわかる。箸蔵山ロープウェイの支柱も見える。阿波池田に着くと、乗っていた列車は折り返し急行「よしの川4号」になるのでヘッドマークが取り付けられた。
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阿波池田16:24―(264D)―17:35多度津 キハ58194

折返し、土讃線の普通列車で多度津まで行く。この列車もキハ58+キハ65の2両編成だが、こちらは普通列車仕様で、前後3分の1ずつがロングシート化されていて、驚いたことにキハ58のトイレも撤去されている。そういえば鳴門線のキハ40もトイレがなかった。国鉄時代の先入観を持って乗るとエライことになりそうである。再び佃を過ぎ、こんどは左にカーブしてから吉野川の長い鉄橋を渡って、さらに左へカーブしてさきほど下から見上げた山腹に敷かれた線路を登っていく。今渡った鉄橋が左後方に見え、佃の駅のあたりもはるか下の方に見下ろすが、家々の陰に隠れてホームや線路は確認できない。エンジン音がアイドリングになると箸蔵。さらに登ってスイッチバックの坪尻駅で、後続の特急「南風12号」の通過待ちのために、しばらく停車する。
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車内放送が「この列車にはお手洗いがありませんので、停車中にこの駅のお手洗いをご利用ください」と。
特急が通過すると、いったんバックしてから、いま停まっていた坪尻駅を見下ろす。
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多度津17:48―(1546M)―18:56岡山 クハ111-3001

観音寺から来る電車列車に乗り換えると、111系電車であった。通勤通学時間帯に入っているが学生が夏休みということもあるのか、乗客は多くはなく、1ボックス占領して夕陽を浴びながらの瀬戸大橋は1日の終わりにふさわしい演出であった。

岡山19:12―(ひかり60号)―21:16名古屋 0系

名古屋21:20―(173M)―21:49高蔵寺 モハ102-94

この旅で乗車済となった未乗区間
予讃線 高松〜多度津 33.0q
高徳線 高松〜徳島 74.8q
鳴門線 池谷〜鳴門  8.5q
徳島線 佐古〜佃   67.5q
土讃線 多度津〜阿波池田 43.9q

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●先月から画面右カラム内で告知しておりますように、8月下旬〜11月いっぱいまでは第1月曜日に、毎月連載している「撮り鉄12か月」を、そしてその週の木曜日には、「乗り鉄12か月」をアップしますが、それ以外に新規記事はアップしません。これによって木曜日に連載しておりましたシリーズ記事「あいうえき」が中途半端に途切れてしまうことになってしまわないよう、このあと3回、月・木曜日に「あいうえき」を連続アップすることにして、その連載終了時点(8/21)で、これまでの定期更新パターンを中断させていただくことにします。



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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
しなの7号様こんばんは
国鉄時代は通勤通学で混む路線以外はクロスシート車を揃えていましたが
JR後は長距離とか風光明媚な路線でさえ平気でロングシートそしてトイレ無し車両などあります
国鉄車両も私から見たら何しちゃってんの?みたいな改造しています
JR東海は車両に関して国鉄の良かったところは引き継いでいて好きです

さて四国
国鉄在籍時に2回の訪問で全線完乗達成しています
予土線、中村線、旧内子線、池田線、小松島線、仁堀航路、宇高航路など
JRになってから1ヶ月間高松出張で休みのとき社線のりまくりました
もちろん屋島ケーブルカーも戦国好き兼ねての乗車

行っていませんが
佐多岬半島
両側海で細長いのでなんか気になります
行きたい
ヒデヨシ
2017/08/11 01:29
ヒデヨシ様 こんにちは。
国鉄時代は急行型の転用で普通列車にも2ドアクロスシート車が多かったとも言えますが、昨今は普通列車は普通列車用として新製されて多くはロングシート主体のようですね。JR東海も高山線紀勢線のキハ40系とキハ11置き換え車が、転用車以外は全部ロングシート車だったのはショックで、一気に鉄道離れが進みました。
四国は国鉄時代に蒸機は早々になくなるわ、連絡船に「乗らなければ」行けないわで、まったく行こうとしたことがありませんから、旧国鉄線完乗計画を立ち上げなければ、おそらく未だ香川県内くらいしか行っていないと思われます。
和歌山〜四国〜九州の中央構造線ルートは、一度行きたいと思っていますが、行くとしてもフェリーと自家用車になると思います。
やっぱり私の鉄道離れは顕著なようです(*´ω`)
バースデイきっぷが今年から事実上値上げされたのも、いっそう四国の鉄道を遠ざけました。
しなの7号
2017/08/11 07:44
しなの7号様 こんにちは。
やはり、本州〜四国、本州〜北海道は航路なのかそれとも鉄路でつながっているのかで、大きく心理的な距離が変わってくるものなのですね。連絡船では『ちょっと行ってきます』とはなかなかならないでしょうし。。
そういえば母が岡山の女子大に通っていたころ、四国では本州より数か月遅れて新作映画が封切られていたそうで、はやりの映画を見逃すと友人と連れ立って学校帰りに宇野線+宇高連絡船に乗って高松まで見に行っていたそうです。
しかし、岡山に戻ってきてもそれからまだ新見まで帰っていたといいますから、授業後ではなくどうやら朝から学校サボって行ってたんじゃないかと・・・笑
やくも3号
2017/08/11 15:28
やくも3号様 こんにちは。
海、川、山は往来する上での障害ですので、文化面でも差が出る部分ですね。映画用フィルムは荷物車乗務時代に急送品として運んでいました。タイトルが書かれた荷札が括り付けてあるので、都会で上映後にフィルムを田舎の映画館に向けて発送されていることがわかりました。

心理的な面での障害といえば、海や川は橋がなければ船ですし、山はトンネルがなければ九十九折の道を行くバス。私の場合は就学前の乗り物酔いがトラウマになっていて、鉄道で行けるところが好きでした。しかし鉄道にも乗りたくない例外ができてしまいました。それが381系振子車です。皆が酔う酔うと脅すものですから、仕事で乗らなければならなくなるまで避けていて、それまでただの一度も381系電車に乗ったことがありませんでした。仕事でトラウマも解けて、今では好んで一番揺れる席を選んで乗ったりします(*^▽^*) でももう乗ることはたぶんないでしょう。
しなの7号
2017/08/11 17:29
★何年前かは忘れましたが、
瀬戸大橋を渡ってみたい、と言うだけで、
四国15分滞在という、
スケジュールを組んだことがあります。
クロ212?のいちばん前に着席、
帰りの車掌も同じ人だった気がします。
そのときのメインは、岡山市電でした。
★乗り物酔いした元車掌
2017/08/11 20:15
乗り物酔いした元車掌様
自分も1991年、瀬戸大橋渡り初め後、坂出で即マリンライナー折り返し。
2回目は、この記事で1994年。
3回目は、1996年、下津井からフェリーで丸亀港上陸、即丸亀から瀬戸大橋で本州へ折り返し。そのときは名古屋→児島・丸亀→名古屋、往復とも18きっぷ使用で日帰り強行。このあたりからフェリーが結構好きになりました。
しなの7号
2017/08/11 21:05
しなの7号様、おはようございます。
四国はJRになってからは予讃、内子線しか乗っておらず、その他の地域での営業はバスばかりでした。訪問先の利便性を考えるとどうしてもそうなってしまっておりましたから。
鳴門の会話での関西圏の話しは理解できます。とあるサイトで、国鉄末期鳴門駅発行の新神戸→東京の新幹線指定席特急券完全常備券がアップされていて、恐らく淡路島経由での関西圏との往来が多かったのでしょう。
種村氏は福知山線伊丹で降りられ、そこから苦労して着かれた伊丹空港からYS11で徳島へ飛ばれたのを思い出しました。
坪尻ですが、夕方の上り普通DCが下り急行「土佐」退避で停車したとき、遥か上方にある国道へ向けてランドセルを背負った小学生がひとり山道を登って行ったのを見て吃驚でした。恐らく国道には親御さん出迎えのクルマが待っているのでしょうが、中学卒業直後の私でも抵抗がありそうな山道でした。あの小学生も40代後半になられていることでしょう。
NAO
2017/08/13 06:08
お疲れ様です。新人教育などもありましてしばらくご無沙汰いたしました。記事を読ませていただいてさっそく旅の記録を引っ張り出したところ高徳線、鳴門線に初めて乗ったのは1992年の事でした。特急うずしおの車種は185系でした。あれから25年…N2000系を経て2600系と言う車種になろうとしています。2000系気動車は不可能とまで言われた気動車の制御付き自然振り子。世界発の実用化。2600系の迫り来る足音を聞きながらもまだまだ頑張っている2000系です。
鉄子おばさん
2017/08/13 08:49
NAO様 こんにちは。
ビジネスで鉄道が選択しづらいということは、鉄道にとってまずい事態だと思われますが、なにも四国に限ったことではなさそうです。時代遅れの鉄道人間なので、鳴門線の女子大生の言葉で近畿圏との直線距離の短さに気が付いたりもするのですが、2003年、5回目の四国訪問の帰路に高松から鳴門・淡路経由の大阪行高速バスを利用して、これは安くて便利と納得したものです。
その代わりに、地方に残る味わい深いスイッチバック駅や車窓からの景観は体感しにくくなっていくものです。車内でその土地の言葉を聞くなんてことも少なくなり、新幹線や高速バスで、満席なのにシーンとした冷たい空間には旅情は感じられません。
しなの7号
2017/08/13 11:09
鉄子おばさん様 こんにちは。
1992年ですと、このときの日帰り行の2年前。JR四国では似たような車種構成だったのでしょうね。JR四国が形式に4桁数字を採用したことで、自分は違和感を持ちました。JR世代の車両に対しての知識はまったくなくて、形式名だけでなく性能や特徴なども自分にはついていけません。この旅での未乗区間の踏破以外の、車両的な興味の点での成果?と言えば、国鉄最末期の新形式キハ185に短区間だけ乗れたことと、キハ58に転用された元キハ181系の座席に座れたことでしょうか。
キハ185の試運転は名古屋で見ることができました。その時の画像は、
【7】臨時列車(http://shinano7gou.at.webry.info/201005/article_7.html)
の記事でアップしましたが、実際に四国で運用されているキハ185の姿を見て、乗れたことで満足でした。四国の車内放送のオルゴールが好きになれませんが。。。
しなの7号
2017/08/13 11:18
こんばんは、しなの7号様。
私は重度の高所恐怖症で飛行機は苦手ですが船旅は好きで、青函連絡船には6回、宇高連絡船には4回乗船しています。トンネルや橋の完成で発展的解消を遂げる運命の連絡船には独特の哀愁が漂い、国鉄の経営ということもあって親しみを持っていました。昭和63年「一本列島」のキャッチフレーズとともに北海道と四国が地続きになりましたが、あの「はるばる来たぜ」という感動は薄れたように思います。
JR四国の民鉄のような形式は私も違和感があります。国鉄色を一掃という狙いがあったのかもしれませんが、経営的には失敗したとは言え次世代に継承していくべき良き伝統もあったはずです。国鉄そのものを全否定されているようで面白くありません。あの独特な千鳥配置のシートですが、クロス部に座ると向かいのロング部の方からの視線を感じ、どうも落ち着きませんでした。
紀勢線に投入されたキハ25がオールロングシートなのはショックでした。風光明媚な路線で少ないとはいえ観光需要もあるはずです。また鈍行旅行ができない(したくない)線区が増え、我が家の鉄道離れは一層進みそうです。
門鉄局
2017/08/30 00:47
門鉄局様 こんにちは。
門鉄局様の弱点また知ってしまいました(^^) 爬虫類以外に高所もダメでしたか。そういう私は地に足が付いた高所は好きですが、地に足が付かない航空機や船舶の苦手意識は払拭されません。まず、乗る前に氏名を書かなければならないことで、その必要性があるほど危険な乗り物なのだと認識し、乗ると風の強さや波の高さなどがアナウンスされると不安定さを感じ取って萎縮します。しかも鉄道やバスのように途中で降りることができないというのもダメな要因です(/o\)
船の場合は、乗船名簿もなく乗船中は視界に陸地が見える近距離フェリーまでが限度です。ただし元の場所に戻ってくる遊覧船の類は近距離でも嫌いで、日常の移動手段となっている航路はローカル線に乗る感覚で乗りたいです。てなわけで連絡船は乗れずに国鉄時代の北海道と四国は未踏の島でした。航路を介することで、単なる時間以外の感覚的な距離が広がるもので、相反する利便性と旅情の高まりに大いに関係しますね。
私はたまに信州に行きますが、篠ノ井線で乗るE127系が片側(北アルプスが見えるほう)がセミクロス、反対側(姨捨の展望が見えるほう)がロングという配置で、四国1000形と同じように落ち着きません。紀勢線、キハ25 1000就役後まったく行く気が失せました。紀伊長島など主要駅での長時間停車とかに長距離鈍行の面影がダイヤ上に残されていただけにロングシート化は残念至極です。我家でも鉄道旅からの撤退は進みつつあって、毎年行く善光寺参りも今年は軽自動車で行きました。
しなの7号
2017/08/30 10:35

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