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zoom RSS 【826】 撮り鉄12か月…1974年9月「岡山電軌・水島臨海・瀬野八」

<<   作成日時 : 2017/09/04 06:30   >>

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毎月1回第1月曜日に、その月に行った撮り鉄の話を、そしてその週の木曜日には、その月に行った乗り鉄の話をアップしています。 今回は今から43年前に水島臨海鉄道と山陽本線の瀬野・八本松間の撮影に行ったときのことを書いてみます。

このシリーズで7月に越後交通栃尾線と銚子電気鉄道に行ったときのことを書いたのですが、その同じ年、わずか2か月後に出かけたのが、この山陽行でした。いかに勉強せず、鉄道のことばかりに没頭していた高校生であったのか、今さらながら呆れます。今回は1日目が単独行動、2日目が、7月の旅で往路の一部を共に行動したばかりの友達と合流しました。

1人で新幹線で岡山へ向かいます。
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(岡山駅で見た「つばめ」 再掲画像です。)
最初の目的地は岡山電気軌道でした。ここでの目的となる車両は3800形という形式の路面電車でした。【775】撮り鉄12か月…1974年3月 「名古屋市電最後の日」で、この年の春に名古屋市電が全線廃止されたことを書いたのですが、その廃止後に、名古屋市電1550形2両が岡山電気軌道に譲渡され、3800形となったことを知り、新しい仕事先での様子を見たかったのです。
しかし駅前から、車庫がある東山本線の終点まで路面電車に乗っていくうちに、お目当ての3800形には出会わず、車庫を覗くと、敷地内屋外留置線の一番奥に2両が押し込まれていましたので、この時点ではまだ営業運転されていなかったのかもしれません。画像右が3800形です。
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見慣れた名古屋市電のスタイルは一目でわかり、この鉄道独特の錘が付いたパンタグラフには換装されず、Zパンタのままでした。このあと岡山に出向くことがなく、そのあと再会する機会はないまま、知らない間に廃車されたようです。
このあと岡山駅に戻ると、クモユニ81に出会いました。
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そして岡山から山陽本線の下り列車で倉敷へ向かい、水島臨海鉄道の車両の撮影に行きましたが、ここでの最大の目的は、旧国鉄キハ07であるキハ320でした。かなり国鉄在籍時の面影を残しているということが雑誌記事でわかっていたのですが、ほかに大した情報を持っていたわけでもなく、行き当たりばったりでしたが、夕方の3両編成でキハ320が現れました。
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中間と最後部はナハニフ153とキハ303という夕張鉄道からの流れ者。こういうシーンは国鉄では味わえない中小私鉄の最大の魅力として、ほんとうにわくわくしたものです。

翌日は、山陽本線の瀬野・八本松間へ行きました。
こうした大幹線の列車の写真を撮ることは自分としては多くはなかったのですが、この直前のRF誌1974年8月号に「瀬野八」の特集記事があって、これを見たことが行く動機になりました。早朝の閑散とした瀬野駅に列車から降り、駅前にあった個人タクシーのお宅で、まだ寝ていた運転手をたたき起こす結果となり、撮影ポイントへ連れて行ってもらいました。

やって来る列車は、機関車がEF15,EF58,EF59,EF60,EF61,EF65,EF66 電車は80形,73形,153系,485系,581系と、多種多彩でした。その中から、EF58+AB寝台とグリーン車を含む旧形客車12両+EF59屋久島2号202列車(西鹿児島⇒大阪)。
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逆に急勾配を下っていく581系12両つばめ1号1011M(岡山⇒熊本)。
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ひととおり撮影して瀬野駅まで戻りました。

上りの特急貨Bの最後尾に連結されたEF59重連。
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下り153系急行山陽2号303M
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この画像の撮影時刻が昼頃で、翌日は学校があったはずでしたから帰路についたと思われますが、どんな列車でどういう経路で帰ったかまったく記憶にありません。実は前夜は夜行列車を宿代わりにして座席で過ごしましたので、帰路の列車では、熟睡状態であったことは間違いありません。




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コメント(12件)

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こんにちは.
タクシーでセノハチですか、撮る気漫々ですね〜。
ここはどうしても補機のことばかり思い浮かぶのですが、153系急行は単独で登れたのでしょうか。「宮島」や151系特急はEF61に助けてもらっていた印象ばかりです。MT比が変わったのかな。
蒸機「かもめ」C62はDNAを受け継いでくれた?D52の力を借りていましたが、広島まで迎えにゆくのは次世代の顔を立てているように思えました、しかもお手製まる出しのテールマークをテンダーに付けて。
だいぶ前ですが、地元百貨店催し会場で16番運転会が開かれ、セノハチ蒸機重連「かもめ」が再現されていたのですが、D52は足まわりが貧乏揺すり?のような震えが止まらない走り方で、模型の世界でも走行性能を合わせるのは難しいものだと思いました。
NAO
2017/09/04 15:08
しなの7号様、こんにちは。
お忙しい中、魅力的な記事のアップありがとうございます。

岡山は子ども時代の地元ではありますが、見ることのできなかったシーン多数・・嬉しい画像でした。
岡山駅のは伯備線ホームからの撮影ですね。新幹線博多開業前年の活気に満ちていた頃、線間の旅客車用の給水設備も活躍していました。
クモユニ81+クモハ51他4連は赤穂線の編成でしょうか。
岡電3800は、ここでは大型で目立つ存在ですね。大分から来た3500は出番が少なかったのですが、3800の方はよく見かけました。
倉敷市駅のうらぶれた倉庫のような建物も懐かしいです。当時は国鉄駅の脇まで入れず、離れた場所から発着していました。キハ320単行は乗ったことがありますが、ご紹介のDTD編成は初めて拝見しました。
当時の瀬野八は、さぞ賑やかだったものと思います。近かったのに行けなかった所です。力行音が聞こえて来そうな所ですね。

山陽筋の夜行、何処か折り返し乗車されたのでしょうか。興味津々です。

3RT生
2017/09/04 17:12
しなの7号様おはようございます
1974年といいますと私は16歳高校1年生
旅行とか興味もなく撮り鉄でもないし
そもそもカメラを持っていませんでした
それから3年ほどたって国鉄入社後これら近辺を訪れています
が、瀬野八は通っただけ
岡山電気軌道も乗りましたがあまり印象に残っていません
水島臨海鉄道は私が訪れたときはキハ10でした
有名な貨物ホームのような駅には笑いました
現在は立派な高架線路になって発展しています
ビックリです
ヒデヨシ
2017/09/05 07:59
しなの7号様、こんにちは。
私も高校時代は勉強しませんでしたねぇσ(^_^;)その分クラブ活動に注力してたので、まあ良しとしてますが(笑)

3歳の時に家族で広島そして岩国に旅行に行きましたが新幹線利用、山陽新幹線博多開業以降しか知らない私としては信じ難い画像の連発、当時を生で見たいですね〜
ドラえも〜ん!タイムマシン出してぇ〜
はいはい、無理ですね( >д<)、;'.・模型で再現するとしましょうか。

セノハチ越えは補機が付いて後押ししますよね。15年前の事ですが平行する国道2号線を車で走行中、単機で(多分)瀬野駅に戻る赤い機関車を数回目撃しています。しかし当時(仕事で広島に居ました)は鉄道に関心が最も薄かった頃、当時仕事で知り合った方々には鉄道ファンだという事は一切カミングアウトしていません。セノハチにも興味を示さずにいました。行き交う列車が単調だという以前に、以前にコメントさせて頂きましたが当時は売上未達成だと幹部に殴る蹴るの暴行を受ける会社でした。仕事が充実していないとプライベートも比例して弱るものですね。

暴力のおかげ(?)で打たれ強くはなりましたが(笑)
脱線コメントとなりスミマセン。
はやたま速玉早玉
2017/09/05 12:25
NAO様 こんばんは。
このころ瀬野八の上り列車では、ほとんどの貨物列車に補機が付きましたが、撮影可能な時間帯で補機が付くの客車列車や荷物列車は1日数本だけでした。夜明け前に瀬野に着きましたが、瀬野駅から撮影地まで4〜5qあり、夏に比べれは日の出は遅くうす暗い中、交通量が多く歩道もない国道2号線を歩くのは危険で、バスもそんな時刻にはありませんでした。それと1本でも多くの列車を撮影するために、撮影ガイドで知った個人タクシーを使いました。早朝からたたき起こされた運転手氏には今更ながら申し訳なかったなあと思いますが、今さらながら感謝します。当時の補機は全部EF59の時代で電車列車に補機は付かず、153系の急行はサロと非営業サハシが組み込まれた6M4Tでした。
模型で2台の動力車が協調せず脱線することを幾度も経験していますが、個人的には模型機関車にもダミー重連用またはディスプレー用として使えるT車製品があればと思っていますが、そういうニーズはないのでしょうか。乗務していた113系とクモニ83併結列車の加減速はスムーズさに欠けゴツンゴツンと振動が伝わりました。
しなの7号
2017/09/05 20:02
3RT生様 こんばんは。
あのころ、新幹線は岡山までだったですね。山陽特急・急行は種類が豊富で折り返しが多かったころで、給水設備もフル稼働だったことでしょう。
湘南色のクモユニ81を撮影したのはこの時が初めてでした。私が住んでいる中部地方で見られるクモユニ81は、大糸線のスカイブルー、飯田線はクモニ83 100に改造された車はスカ色でしたから、湘南色のオリジナルクモユニ81ににいたく感動しました。ぶどう色の旧国にしても同じで、ぶどう色編成になじみがなかった自分は新鮮な印象さえ持ちました。この画像はおっしゃるように赤穂線用の列車だと思われます。
走行する岡山電軌3800に会いたかったですが、叶いませんでした。
この日、水島臨海鉄道には乗りませんでしたので、改めてそれから29年後に乗りに行きましたが、このときの駅のイメージが頭の中にあったので面食らいました。この日、日中の単行列車には同和片上経由で入ったキハ321のほうが使用されていました。このあと夕方の急行山陽5号下関行で下って、折り返し上りの寝台急行日南3号に2両だけ連結された普通車指定席車に乗車(←このスハ44が目的)して、瀬野着はまだ暗い朝の4時台でした。
(父親の家族乗車証を使用しましたので、経費としては600円の急行・指定席券を別払いしただけでした。)
しなの7号
2017/09/05 20:02
ヒデヨシ様 こんばんは。
私は高校生の頃がいちばん鉄分豊富で、あちこちに出かけていました。勉強もせず…
高校時代に、各地の路面電車を撮影しておこうなどとも考えていたものの、そのままフェイドアウトでストップしました。ヒデヨシ様とは反対に国鉄就職後に非鉄時代があって、移動も自家用車中心で仕事と通勤以外で鉄道に乗ることが稀でしたから近傍の岡山臨港鉄道のほうには乗れずじまいになりました。

キハ07がお気に入りというのは以前に書いたと思いますが、この年の冬には有田鉄道を訪問しています。上のコメントにも書きましたが、水島臨海には29年後に乗りに行って、私も別の鉄道のようになったことにビックリしたわけですが、終点の車両基地の奥のほうには除籍され色褪せた元国鉄キハ10がいたのにもビックリでした。キハ20は現役でしたが乗れませんでした。
しなの7号
2017/09/05 20:03
はやたま速玉早玉様 こんばんは。
高校生のころは遊んでばかりでしたが、別に勉強してエライ人になろうとか全然思っていませんでしたし、今もそうですので、その行動に後悔はしていませんよ。 
模型は、見ることができなかった列車や、乗ることができなかった過去の鉄道を再現する手段の一つでもありますね。不思議ですが、乗ったり見たりした列車では、私の場合キハ17やオハフ61とか実際に乗るのを敬遠したようなボロ車両のほうが、模型としては特急なんかより味わいがあって楽しめています。
職場環境は私生活にも影響しますねえ。気持ちの切り替えが下手な私は家庭にまで影響を引きずりました。仕事上で行き詰まる場面に出くわせば、余暇の鉄分補給でその場をしのぐといったことで切り抜けてこられただけで、いつも鉄道に慰めてもらっていました。田舎のローカル列車に乗っていると、なぜに人生争って特急に乗る必要があろうか、会社では他人と競争させられていただけだったという当たり前のことに気付きます。こちらも脱線コメントとなりスミマセン。
しなの7号
2017/09/05 20:04
セノハチ、懐かしいです。
就職が決まった1977年の冬の或る日、八本松駅に降り立ちました。
瀬野方面へ歩いて補機開放ポイントへ。やって来たのはEF58の荷物列車です。補機はEF61200番台。見事に?走行開放してくれました。さらに歩いてEF66の特急貨物「とびうお」を撮影。補機はEF59重連でした。下り補機回送の59四重連など撮影しながら、八本松駅へ戻ります。そのとき上り本線の山側に線路を発見。スイッチバックの跡かと思いましたが、米軍弾薬庫専用線と知ったのは、更に後年の事でした。その後、電車で瀬野駅へ。瀬野機関区でEF59を撮影して夕刻に広島へ。夕食にカキフライ定食を食べて新幹線で帰阪しました。今や瀬野機関区も亡く走行開放も無く、あれは幻だったのかと思うほどの変わり樣ですね。長々と失礼しました。
つだ・なおき
2017/09/05 21:02
つだ・なおき様 こんにちは。
1977年といえば、私が荷扱乗務員の頃です。当時名古屋〜汐留間で乗務していた東小倉始発の荷30列車が「とびうお」に、たぶん岡山あたりで抜かれるダイヤでしたので、その走行中解放をご覧になった荷物列車に名古屋から私が乗務したのかもしれないです。

私がここへ行ったときにはEF59の6重連回送がありましたが、まともな画像にはなりませんでした(-_-;) 
山陽路は新幹線を利用しがちで、山陽本線の瀬野八区間はもう何年通っていないか思い出せないほどです。明るい時間帯に通ったことは、この時以来ないかもしれません。そのためEF61 200の現役中の姿には一度もお目にかかっていません。改造前は中央西線で使用されたこともあるEF60クイル機でしたから見ておきたかったです。
この場所に限りませんが、昔撮影に赴いた現場に再度行ってみたいという思いはけっこう強いですが、その変わりようを見てしまうのが恐い気もします。
しなの7号
2017/09/06 11:35
 しなの7号様、こんにちは。
私にとっていつもの羨望の時代、新幹線博多開業直前の山陽本線が最後の輝きを見せていた時代の記録ですね。車両のバラエティの豊富さは夢のようです。今この場所で何が撮れるか考えると…悲しくなるのでやめときます。ただ碓氷峠も板谷峠も過去のものとなった今、補機の活躍が見られるのはここだけで貴重な存在だと思います。
私も高校時代は鉄道のことばかり考えてろくに勉強をしませんでした。当時分割民営化に向けての動きが顕著になり、好きな国鉄がなくなるという焦燥感に駆られていました。ローカル線の廃止・貨物輸送の縮小・荷物輸送の撤退とどう見ても縮小再生産に過ぎず、鉄道の未来をひらくという掛け声とは裏腹のうすら寒いものを感じていました。あと数年の期間限定の遊びという大げさに言えば刹那的感情もありました。
今思うと残念なのは前にも書きましたが、国鉄ショックで鉄道趣味活動を一時期休止したことです。当時まだまだ地方私鉄には吊掛電車や旧型気動車が残っており、自家用車も所有していたので高校時代と比べ行動しやすかったはずですが、ほとんど訪問することなく終わってしまいました。なんか脱線コメントになってしまったようで、ごめんなさい。
門鉄局
2017/09/06 11:37
門鉄局様 こんばんは。
このころは、幹線、地方交通線、私鉄それぞれに、特徴ある車両があって、今から思うと贅沢な時期でしたが、蒸機の最末期でもありましたから、体が2つか3つあって、さらにそれに見合ったお金と時間がないと行くべきところに行けないくらいだったかなと思いますね。
個人的な妄想で申し訳ないですが、鉄道が今でも物流のシェアが高かったら、ヲタク的な面で興味をそそられる場所や列車が残り、それだけでなく新しく魅力ある車両や列車が増えただろうと思います。
お互い、鉄分が薄かった時期もあるようですが、鉄道との付き合い方は、自分のこれまでの経過を見ると常に変化していますから、それでよいのではないかと思っています。今は撮影や乗車は従になり、民営化された国鉄を、30年経った現在から改めて見つめ直すことに楽しみを見出しているといったところでしょうか。回顧するだけでなく、そのころの問題点にも目を向けつつ今の鉄道の進化を認めながら、昭和の鉄道の魅力を自分自身の中で掘り起こしています。
しなの7号
2017/09/06 19:25

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