昭和の鉄道員ブログ

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zoom RSS 【831】 乗り鉄12か月…1995年11月 JR五能・津軽・大湊線、下北交通 

<<   作成日時 : 2017/11/09 06:20  

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 14

再就職9年目に入った1995年春の異動で、3つ目の勤務地に転勤し、そこで初めて担当する職種に就いていた。仕事は遅々として進まないしトラブルの種をまく上司もいて、孤立無援で最悪の年であったが、腹いせでどこかに出かけることにした。このころはチマチマと青春18きっぷで日帰り乗り鉄旅をしていたころであったが、私としては非常に珍しく、特急日本海の寝台車で1人で東北に行った。使用した乗車券はミニ周遊券。
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出かけるのは金曜日にして、2時間ほど休暇を取って早退し、どこに行くともどんな用事があるとも会社では誰にも言わず、翌々日の日曜日の夜遅くに帰る行程であった。
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高蔵寺16:34―(3750M)―16:53金山
金山17:00―(1151M)―17:33大垣
大垣17:59―(2135M)―18:33米原
米原18:36―(161M)―19:24敦賀

万一、どうしても早退できないような事態が起こっても、新幹線としらさぎを使えば特急日本海1号には追いつけるようにしてあったが、仕事のほうは2時間早く片付けて列車に乗りたい。しかしそういう能力もないし、誰の協力もないから仕事は途中でも切り上げて、特急日本海に乗る敦賀駅までは普通列車の乗り継ぎで行った。無駄に新幹線や特急に乗る必要はない。その結果、米原から583系改造の419系電車でくつろぐことができた。

敦賀19:41―(4001 日本海1号▲)―6:25東能代

敦賀から乗った日本海1号は函館行であったが、私は東能代で降りた。できれば寝台車には始発から終点まで乗りたいが、今回の目的は五能線が含まれていたので、そういうことになる。それでも急な予定変更にも耐えられるよう、寝台券は青森まで買っておいた。寝台車に乗ったのは、いわゆる「ヒルネ」の座席使用を除けば、これが最後になった。
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五能線の乗換駅である東能代で下車したのは6時35分。できることなら車掌長氏による「おはよう放送」を聞いてから降りたかったのだが、聞けないまま下車すると、その代わり迎えてくれた駅の到着アナウンスは訛りのある「ひがすのすろ〜・ひがすのすろ〜」
ああ、俺は東北に来たのだと思わせる御発声である。小型のテープレコーダーを持っていたのだが、あいにく録音準備をしていなかった。幸い乗るべき五能線経由の川部行までは、1時間以上時間があるから、このあと時間つぶしも兼ねて、隣駅の能代まで1往復してくることにしている。そのときにもう一度東能代に戻ってくるから、そのときに録音すればよいと思って、2度目の東能代に着いたときに録音したが、アナウンスの主は別の人で、たいへん正しい標準語であった。

東能代6:30―(121D)―6:35能代
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能代7:05―(124D)―7:10東能代
東能代7:47―(2533D)―11:27五所川原

五能線は期待を裏切らなかった。
ローカル線なので無人駅が多いが、簡易委託駅もかなりあって、その多くは奥さん風女性が改札口に立って列車を見送っていた。
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一人旅らしい人は多少いたが、暖房が入って空いた車内から、11月だが積雪がある寒そうな日本海を眺める時間は、日ごろの理不尽な現実から抜け出た満足感があった。それでも天気はよくて、青い日本海のはるかかなたに大型フェリーらしき船が見えていて、ずっと並走した。
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五所川原で途中下車して津軽鉄道の駅に立ち寄ってストーブ列車の写真を撮ったりしたが、乗るほどの時間的余裕はなかった。非常に気に入った五能線には、この4年後に再訪し、そのときには津軽鉄道にも乗った。

五所川原13:50―(8527D)―14:22川部

五所川原から再び五能線の旅を続け、「時刻表二万キロ」に出てくるリンゴ畑の中の「林崎」を通って、終点の川部で五能線が完乗となった。この川部からは旧国鉄黒石線の「弘南鉄道黒石線」が分岐していたので乗っておかなければならなかったのだが、そういう時間もなく、その気動車の写真だけを撮って、次の目的地津軽線に乗るため奥羽本線で青森に向かった。
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しかし「弘南鉄道黒石線」はその後廃止(1998年)されてしまい、永遠に乗車することができないままになってしまった。このときに「弘南鉄道黒石線」に乗っておいて、今でも乗れる津軽線を後回しとするのが、このときの賢い選択だったことになる。

川部14:52―(653M)―15:27青森
青森15:32―(335D)―17:09三厩

そうしてこの日、津軽線の終点三厩に着いた時は、17時過ぎではあったが晩秋の陽は落ちていた。
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三厩17:37―(342D)―18:18蟹田
蟹田18:55―(344M)―19:38青森△

その日は青森に引き返して泊まった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

青森7:37―(1006M はつかり6号)―8:05野辺地
野辺地8:08―(723D)―9:04下北
下北9:10―(5D)―9:40大畑
大畑10:25―(6D)―10:55下北

翌日は、東北本線で野辺地へ出て、大湊線と、その途中の下北から分岐している旧国鉄大畑線の下北交通大畑線を乗りつぶした。大湊線では小型のキハ110(200番台)が単行で使用され、しかも日曜日だったことも関係していたのか混んでいた。下北交通のほうはそれほどでもなく、乗った車両は旧国鉄のキハ22であるキハ85形気動車(側面の車体表記はSKK85とあるが、正面には正式なキハ85の表記がある。)で、エンジンはDMH17C搭載。車内では点検蓋から漏れ聞こえるかつての国鉄標準縦型機関の音を存分に楽しんだ。録音もして今でも子守歌代わりにして聞くこともあるが、縦型機関の国鉄形気動車に乗ったのは、このときが最後になった。
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ところで下北交通のキハ85という形式名は、下北交通が国鉄大畑線を引き継いだ開業年1985年に由来しているとのことで、JR東海にある同名形式の特急車両より先輩である。下北交通は国鉄の第一次特定地方交通線からの移管であるが第三セクター鉄道ではなく、もとからこの地方で路線バス事業をしていたバス会社であった。開業に際して新車の気動車を新造するでもなく、国鉄が分割民営化されたあとは、国有財産であった付帯施設と土地は最低10年間は鉄道事業に使うという条件で無償譲渡を受けたはずだったと思うが、その期限が切れたらあっさり廃止された。

下北10:59―(3725D 快速しもきた)―11:02大湊
大湊11:13―(3730D 快速しもきた)―12:01野辺地

この下北交通大畑線を1往復したあと、下北駅で下りの大湊線大湊行快速「しもきた」で終点大湊に行ってから、すぐ折り返し列車で野辺地に戻る行程であったが、下りの快速「しもきた」は強風のため抑止があって30分以上遅れてやってきた。もともと大湊ではわずか9分折り返す列車だから、遅れてきたその大湊行に乗ったら、終点大湊では乗降が終わればすぐ折り返す。大湊駅ではいったん改札を出て駅舎を正面から一瞥しただけで、駅舎や駅名標の写真を撮る暇もなく、混み合った上り青森行快速「しもきた」の客になって、野辺地に戻らざるをえなかった。

これでこの旅で乗るべき線区は乗り終えたが、もう2つ目的があって、1つは野辺地駅で南部縦貫鉄道のレールバスを見ることであった。ここでもレールバスに乗る時間は取れず心残りではあったが、改めて1年半後に乗りに行っている。
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最後の目的は、帰路の東北本線で全国的に減りつつあった機関車けん引の客車普通列車に乗ることであった。

野辺地14:12―(534)―15:22八戸

野辺地ではその東北本線の上り盛岡行客車普通列車まで、所定でも2時間以上待ち時間があったから、大湊線の遅れは問題にならなかった。

ED75 706が50系客車3両を牽く上り534列車盛岡行。
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私は機関車の直後のオハフ50 2201に乗った。乗客は少なかったが、あいにく幼児を随伴した乗客が同じ車両に乗っていて、その幼児が走り回ってうるさかった。走行音の録音もしてきたが、うるさくて下北交通のキハ85のような子守唄代わりにはならなかった。それ以前に、東北本線はロングレール化が進捗していて、規則正しいジョイント音がなく、昔ながらの客車列車を味わえる録音はできず、どのみちボツ録音であった。
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幹線の普通列車らしく、途中で貨物列車に追い抜かれたりして1時間強。多少心残りであるが途中の八戸で下車した。ここで抜かれる485系の「はつかり」で盛岡まで先を急ぎ、1時間以上の時間を稼ぐことによって、「やまびこ」「ひかり」の両新幹線を乗り継いで、その日のうちに家に帰れる。

八戸15:33―(1020M はつかり20号)―16:46盛岡

秋田新幹線開業まで、あと1年4か月。E3系量産先行車が完成したころで、カップ酒のラベルやオレンジカードの図柄にも使われていた。
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盛岡16:54―(やまびこ20号)―19:44東京
東京20:00―(ひかり279号)―21:52名古屋
名古屋21:55―(1653M)―22:23高蔵寺

欲を張って盛岡まで普通列車に居座り続けると、自宅最寄り駅からの終バス(深夜バス)に間に合わないという事情があった。

言ってみれば、この旅自体が気分転換というより現実逃避の旅というのがふさわしいが、本州の果てまで行ってしまえば、会社でどんなことがあっても関係ない。連絡も絶対ないという解放感がそこにあった。
このころは、まだ携帯電話が普及し始めたばかりで、持っていない人が珍しくなく、私もまだ持っていなかった。今はどんな遠くに逃避しても、連絡がつく安心感がある一方で、この旅のような解放感は得られないような気がする。便利になった代償と言えるかもしれない。

この旅で初乗りした旧国鉄線
五能線 東能代〜川部 147.2q
津軽線 中小国〜三厩24.4q
大湊線 野辺地〜大湊58.4q
下北交通大畑線 下北〜大畑18.0q

<11月10日追記>
【791】「土岐市駅(土岐津駅)昭和の風景」と「さわやかウォーキング」で、今年春に土岐市駅2階にある「土岐市郷土物産陳列所(観光案内所)」で行われた写真展示について書きましたが、11月12日には、同駅スタートで秋のさわやかウォーキングが開催されます。春のときと同じように 「土岐市駅(土岐津駅)昭和の風景」の写真が展示されています。(展示内容は春と同じ)
そこに付随して、私の「中央線を駆け抜けた昭和の列車たち」の写真14枚を展示させていただきました。こちらのほうは展示内容を春とは変更しています。土岐市駅にお越しいただいたついでにご覧いただければと思います。秋のさわやかウォーキング終了後も当分の間展示していただけるとのことです。
(開館 9時〜12時・13時〜17時  月曜日休館)






今月まで暫定ダイヤでの記事更新をしております。12月以降は従来のダイヤに戻しますので、次回は12月4日の更新予定です。今後ともよろしくお願いいたします。

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コメント(14件)

内 容 ニックネーム/日時
しなの7号様、こんばんは。
東北方面へほぼほぼ一筆書きプラス別途往復ですね。三厩、大湊往復を考えると循環型片道乗車券より低額だったのでしょうか。
「日本海」寝台券の前日購入からすると思い立ってのご旅行? この時期でも車内改札鋏が使用されていたのですね。
私が青森-野辺地間で客車列車に乗ったとき、12系3両でした。なめらかなスタートと停車、客車列車を忘れるぐらいびっくりしました。
私は津軽線上り列車で貨物に追い越されたのを覚えています。普通列車ですが485系間合い運用でした。
NAO
2017/11/10 03:52
しなの7号様、こんにちは。
青春18ではなく特急で一気にパーッと東北入り、仕事の反動、ヤケクソでしょうか?孤立無援は辛いですね。私も完全孤立とまではいきませんでしたが昔の会社で無援に近い状態はありました。2001〜2年の事ですから携帯電話は既に普及しており、休日でも幹部からはくだらない事で呼び出されるわで最低最悪の時代でした。心休まる暇なんてありません。
東北へは一度だけ訪れています。特急日本海利用でした。羽越本線でも50系が活躍をしていた頃です。鶴岡駅には今度のダイヤ改正でディーゼル車に置き換わる旨のポスターが掲示されていました。
カップ酒の画像が2枚ありましたが、車内で呑まれたモノですね?東北の呑み鉄旅も楽しそう。
はやたま速玉早玉
2017/11/10 12:31
NAO様 こんにちは。
津軽線と大湊線はけっこう距離があるので両線を往復すればミニ周遊券のほうが少しですが安かったと思います。
なにせ、冒頭に書いたような動機ですから、週末にはどこか行くぞと決め、前日に寝台券が確保できたら行程を決めて、次に合理的かつ経済的な切符を選び、当日周遊券を買うという経過ですね。

12系や50系は車内設備が電車に近くなったし、ELに3〜4両では加減速も電車に近くなりました。いちばん旧客に近かったのは非電化区間でSGを使用して蒸気があちこちから漏れでている50系でした。

東海道本線の普通列車では、フレートライナーに抜かれる列車にも乗務してました。
しなの7号
2017/11/10 13:37
はやたま速玉早玉様 こんにちは。
日本海号乗車経験者でいらっしゃいましたか。自棄酒、自棄衝動買いがあるなら、自棄乗りもあって、私の場合はそれが日本海の寝台車とも言えますね(;^ω^)

このころには、一日のほとんどが仕事で休日返上でしたから、Nゲージ模型の新製品が出ると買うことを繰り返して鬱憤を晴らしていました。これは自棄買いで、買って1度見るだけで、走らせる暇もなく…
理不尽で自分が納得できない仕事に追われていると行動や思考回路がおかしくなっていたようにも思えます。おかげで買い込んだ不要な模型はこの数年で全部処分し、生活費の一部に充当されました。

あわただしく1分1秒を争うように走る特急でなく、貨物列車に抜かれても我関せず、けれども気まぐれでなく決められた時刻どおりに正確に走り確実に終点に着くこういう普通列車が自分は好きです。それに乗った時に合うのがカップ酒で、これは自棄酒でそれを呑みながら特急では見逃してしまうような車窓風景を眺めながらの汽車旅がしたいものですが、近年はそんな列車は邪魔とばかりに分断され、廃止されるばかりです。
しなの7号
2017/11/10 18:52
しなの7号様こんばんは
お話の中で出てくる各線で私が乗車したのは国鉄五能線、国鉄黒石線、国鉄大湊線、南部縦貫鉄道です
しなの7号様とは乗車時期が全く違うのでその環境も大いに違います。
時代が違っても楽しいですね。
五能線はしなの7号様とは逆に川部からの入線でした。
昔の事で思い違いもあるかも知れません
五能線の混合列車に乗りたい
風光明媚らしいし
という訳で国鉄の同期同僚と総勢3人で急行津軽で弘前下車、すでに昼近くになっていて最初黒石線乗車
平野の中を走るだけの退屈な線だった記憶しかありません。
五能線は当然客車列車でDE10の後ろにワラ1、スユニを含む旧客でした。
ネット等無い時代ですので大喜び
実はワラ1は常に連結されているようで途中駅での停車時間で小口貨物の積み降ろしをしていました。
津軽鉄道も興味を引いたのですが時間の都合でパス
その後ものっていません。
線区終盤は日も暮れて東能代では真っ暗でした。
大湊線は別の機会ですが終点大湊で旧海軍からの軍港見学をしました。
南部縦貫鉄道は寝台特急で三沢下車のあと乗車した覚えがあります。
ヒデヨシ
2017/11/10 23:03
ヒデヨシ様 こんにちは。
さすがに国鉄時代の東北各線は、平成になってからとは状況が大違いだったのでしょうね。平成時代になると、ここで書いたように下北交通の元キハ22に感動するくらいに国鉄時代とは変わっていました。それからさらに二十余年経つと鉄道事情はまたまた変化していること感じずにはいられません。

五能線の混合列車はでSL(8620)時代に有名でしたので、その存在は中学生のころ雑誌の記事で知っていましたが、別次元の世界でした。DE10時代になってからも混合で走っていたことは、あまり話題にもならずそれほど知られていなかったようにも思います。客車は機関車との間に貨車が介在することから暖房管の引き通しができないので専用の暖房装置を持った客車が使用されていたそうで、さらにさかのぼると「ストーブ列車」にたどり着くわけです。

弘南鉄道黒石線も、これより前には旧国鉄から譲渡された旧キハ22が使用されていたので、それがまだ運用されていたなら、このとき乗る計画を立てたかもしれません。このころはJRからキハ22が全滅したころでしたから。

南部縦貫には、私も三沢から入り十和田観光電鉄線とセットで乗りましたが、それは廃線間近のことでした。国鉄時代に、自動車(レンタカー)で七戸駅に立ち寄ったことがあり、そのときの静まり返った駅構内のほうが印象に残ります。
しなの7号
2017/11/11 09:17
しなの7号様、こんばんは。
土岐市駅の写真ですが、11月30日(木曜)でも展示されてますか?
この日なら行けるのですが、遅いですかね…
はやたま速玉早玉
2017/11/11 23:17
はやたま速玉早玉様 こんにちは。
今回も、本日開催されたさわやかウォーキング参加者の方にご覧いただく趣旨でした。そういう私は町内会の清掃活動の日でしたので、本日は出かけていません(;^ω^) さきほど関係者の方に確認しましたら、30日もそのまま展示してあるそうですから、大丈夫です。前回の展示のときにも書きましたが、わざわざお出かけいただくほどのものでもありませんので、晩秋の木曽路や栗きんとんの中津川などにお出かけ(紅葉には遅いですが)の予定などあれば、ついでにお立ち寄りくださいませ。
(12時〜13時にはお昼休みがあります。また月曜日は休館日です。)
しなの7号
2017/11/12 17:28
こんばんは。初めての東北旅行は、1987年9月でした。
東北新幹線で一ノ関、ED75の50系鈍行で八戸泊。三沢基地航空祭を撮影青森泊。青函航路摩周丸で函館往復(上りは夜行便)。津軽鉄道で津軽中里往復、弘南鉄道黒石線キハ22で黒石、弘南線で弘前。弘前市内散策後青森へ。青森港にて青函連絡船を撮影、特急「日本海」2号で帰阪しました。陸海空乗り物撮影は楽しかったですね。青森の帆立貝、函館のイカソーメン、黒石のラーメンが美味しかったです。長文失礼でした。
つだ・なおき
2017/11/12 22:26
しなの7号様、こんばんは。
ご丁寧に教えて頂き、有難うございます。
実は、中央本線旧愛岐トンネル一般公開の話を今年の夏に初めて知り、早速旧トンネル歩き旅を実施しようとおもいました。しかし春と秋にそれぞれ10日間ずつ位しか公開されないとの事で、今年秋の公開期間中で都合つく日が30日の木曜しかなかったのです。
30日も展示されているのが分かり安心です。午前中にトンネル歩き、その後少し足をのばして土岐市駅に行くプランが出来上がりました。
はやたま速玉早玉
2017/11/12 23:35
つだ・なおき様 こんにちは。
夜行を活用して最大限に乗車されていますね。そのころの私は転職直後で、旅に出られる状況ではなかったです(*_*;
青函連絡船の末期ですね。船と飛行機が苦手だった私は、青函トンネルが開業したら北海道へ!という思いでした。そして1990年に初めて北海道に行き、そのときの帰路が「日本海2号」でした。
【768】乗り鉄12か月…1990年2月「初めての北海道」
http://shinano7gou.at.webry.info/201702/article_3.html
しなの7号
2017/11/13 10:44
はやたま速玉早玉様 こんにちは。
旧愛岐トンネル群へお越しですか。かつては地元民しか来ませんでしたが、近年は有名になりました。イメージ的には保津川のようなところです。私が小学生低学年のころまで現役の路線でしたので、何度も蒸気列車で通過したことがあります。歩かれた後、現トンネルで一気に岐阜県側に抜ける2910mの長大トンネルとの比較もご体験ください。
しなの7号
2017/11/13 10:45
しなの7号様 こんにちは。
昨日、仕事で名古屋に行きましたので、土岐市駅まで足を延ばして展示のお写真を拝見してきました。古いバスの写真などと合わせて80系やカーブをくねるDCの写真があり、興味深く見させていただきました。
京都から土岐市までは特急ひだ+太多線経由であっという間でしたが、案内所に陳列されている陶器を見て、自分が岐阜県までやって来たことを実感しました。
やくも3号
2017/11/18 15:46
やくも3号様 こんにちは。
遠路をご来訪いただきありがとうございました。
展示はブログで使った写真が多くて申し訳ありませんです。
素直に新幹線名古屋経由で来られないところが、さすがですね???
日中の太多線ではキハ75が多いのですが、大阪発の「ひだ」に接続する列車はロングシートのキハ25運用だったと思いますので残念でしたね。そういう昨日の私も名古屋に用事があり、午後に太多線から高山本線に乗り継いで岐阜経由の遠回り乗車で名古屋市内に出かけています。わずかな時間ですが坂祝〜鵜沼の日本ライン区間が好きです。

しなの7号
2017/11/18 16:14

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