【633】 北恵那鉄道24:車両9「貨車たち」

先週に引き続いて、北恵那鉄道の車両について、私が知っていることを書いていこうと思います。
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北恵那鉄道は、木曽川に水力発電用ダムが建設されることによって、従来の木曽川を利用した木材流送ができなくなるために、代替輸送手段として敷設されました。しかしそれは昭和30年代にトラック輸送に切り替えられましたから、その時点で貨車の大半は役目を失い廃車されていましたので、私が知っている貨車は、ワム301形(301)とト101形(105・107)の計3両だけでした。
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ワム301は、車両番号の下に二重線があり国鉄直通車のようですが、+印の表記からブレーキシリンダがない車両であることがわかります。さらにバネ吊装置も2段リンクではありませんから、少なくとも43.10以降に、国鉄に入線していたとは思えません。この形式は301~303の3両が存在したはずですが、301以外の2両は中津川市周辺で廃線を待たず倉庫になっていたことを確認しています。301だけ残された理由は不明ですが、繁忙期における線内の小荷物輸送くらいしか用途が考え付きません。私が知っている廃線前の約5年間は、いつも下付知駅でその姿を見かけ、稼動している姿を見ることはありませんでした。

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こちらは下付知駅でのト105とト107です。一見、木材を積んでいるように見えますが、後ろの貯木場に積み上げてある木材が写り込んだだけです。どちらも、いつでも留置されていましたので末期には営業用に供されていたとは思われず、保線材料輸送などの事業用に残されたものと思われ、留置されている駅がときどき変わっていました。
その後、知らないうちに下の画像のように、妻板の上部を切り詰められ、形状が変わりました。
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廃止時点にはト105の姿は見かけませんでしたので、廃線を待たず廃車解体されたものと思います。残ったト107のほうは、3枚の板が貼られていたアオリ戸と妻板は、下の画像のように2枚に切り詰められ、全高が低くなってしまいました。上の画像でもアオリ戸右側最上部が腐食したのか欠けていることがわかりますので、修復するまでもないので上部を全部カットしてしまったのでしょうか。
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廃線時まで線路上に残った貨車はワム301とト107だけでしたが、いずれも連結面に自動連結器装備前にバッファーがあった跡に穴が開いていて歴史を感じます。
この2両は廃線後に、レールなど設備撤去作業用に利用されましたが、そのことは、改めて書くことにします。

路線廃止を待たず廃車となった有蓋車のなかには、駅構内などで車体だけを倉庫として利用される例がいくつもありました。
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上2つは中津町駅、下1つは下付知駅の敷地内にあったもので、いずれも路線廃止前の撮影です。
廃車後のこういう再利用法は中小私鉄でよくあったのですが、後に国鉄が貨物営業を縮小したときに、不要になった貨車を大々的に一般向けに販売したことによって、全国的に貨車の廃車体が倉庫として再利用される例が一気に増えました。足がないのでダルマと通称されますが、北恵那鉄道のダルマは木製でしたから、耐久性から考えても現在残っている例はないと思われます。




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この記事へのコメント

  • 門鉄局

     こんにちは、しなの7号様。
    このような貨車達もきちんと記録されているのですね、恐れ入ります。私は中学時代から鉄道写真を撮り始めましたが、フイルム代や現像代を捻出するのに苦労していて、コマ数が限られ貨車はあまり撮りませんでした。興味のある被写体は無限にあったのに経済的な理由で無理なもどかしさがありましたが、現在はカメラもデジタルで現像代の心配もなく写し放題になったにもかかわらず肝心の鉄道車両に以前ほど興味がなくなってしまったのは残念です。
     59・2のダイヤ改正までは貨物取扱駅も多く、側線に留置されている貨車をよく観察したものでした。ヨの車番にチョークで落書きがされていてあらヨッなんてのもありました。まだ後部にはヨ・ワフ・コキフなどの緩急車が連結されていて、赤いテールランプが風情を醸し出していましたね。
     北恵那鉄道の貨車ですが、バッファー取り外しの穴があるということは大正14年以前の車ということですね。のちに
    荷台の上部を切断したのは、「腐ってきたし目いっぱい積むことないから、上は要らんから切っとこうか」という感じでしょうか?

    2015年10月15日 16:22
  • しなの7号

    門鉄局様 こんにちは。
    私も国鉄の客車貨車は、あんなによく見てよく乗ったのに、ほとんど撮っていません。言うまでもなく1本のフィルムを大事に大事に、あと残り何枚と気にしながら写していた結果です。カメラは中2から始めましたが、田舎の学校でもあり、カメラを持っている子はほとんどいませんでした。父がカメラいじりが多少好きだった(でも鉄道は写さない(^_^;))のと当時のSLブームが影響しています。
    今は、自ら見たモノやその状態を記録しておくため撮影するくらいですので、コンデジで十分。門鉄局様と同じで、撮りたい車両がありません。

    北恵那のワム301とト101は、どちらも大正13年製です。自動連結器の一斉交換はその翌年でしたかね。
    ト101のアオリ戸と妻板切り詰め改造?の理由は、おっしゃるとおりだと思います。私は廃止までに、これら北恵那所有の貨車を牽く列車を記録できていないのは、フィルムを節約したわけではなく、見たことがないからです。各駅でワムから小荷物を卸したりする場面もあったなら見たかったものです。
    2015年10月15日 17:18
  • 北恵那デ2

    こんばんは。確かに晩年は、これらの貨車が稼働しているところは見ることができませんでしたね。ところで自分が子どもの頃、栗本駅近くの川へ遊びに行く時に電車の後ろに国鉄貨車が付いてました。途中の駅(たぶん並松駅)でその貨車を側線に押込む入換え作業が行われました。もちろん多数のお客さんが乗っているままの電車によって入換え作業を行うのです。当然カメラを持つことのできるような年齢に達していませんでしたので写真はありません。もっとも写真を撮っていたら電車に置いてきぼりを食わされてしまいますが。北恵那鉄道には滅多に乗りませんでしたから私は驚きましたが、考えてみれば混合列車でしたから国鉄であっても昔はそういうことがあったのでしょうけれども。
    2015年10月15日 21:53
  • NAO

    上部カットの無蓋車、積載量も減ってそれでも間にあったのでしょうね。
    ワムをはじめとする有蓋車、木製だそうですが、晩年は雨漏りしたのではないでしょうか。天井が丸屋根ではなくフラットだったら貨車に見えないかもしれませんね。
    2015年10月16日 02:33
  • しなの7号

    北恵那デ2様 こんばんは。
    トのほうは、ときには留置場所が変わったり、補修もされていることから、事業用車として整備され隠れたところで、災害復旧や補修のために、救援列車とか工臨として稼働したこともあったのだろうと想像しますが、留置されている姿しか見られませんでしたねえ。

    国鉄との連絡運輸と思われる北恵那鉄道での混合列車体験は小学生時代に私も経験しました。私のときは下り列車で、入換があった駅は美濃福岡ではなかったかと思います。混合列車については、来年予定している第三部?で、ご一緒に撮った末期の混合列車の画像をアップする予定です。
    国鉄では、旅客が乗車している車両で入換作業をする場合には突放入換が禁止されていましたが、押し込みは貫通ブレーキを使用していれば制限がなかったはずです。
    2015年10月16日 19:50
  • しなの7号

    NAO様 こんばんは。 
    木材輸送がトラックに移行したあと、積載するモノはおそらく枕木や砕石だったように思われ、これらは高く積み上げるわけではないので、落下しないだけの高さがあればよかったのでしょう。
    有蓋車のほうはダルマになってからも、屋根布を張り替えたりしていたかもしれません。コンテナのように陸屋根ではないにしろ、屋根の防水は難しいです。私はマンションの管理組合の役員を今やってますが、バルコニー天窓部からの漏水は、よくあるらしいですし、この前は出窓部分からの漏水補修。杭は大丈夫か?との声はたぶん話題にのぼることでしょう。
    2015年10月16日 19:51

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