【975】 中央西線を走った車両25: ジョイフルトレイン 

国鉄時代に中央西線で活躍した車両たちを振り返りながらここまでまいりましたが、一般客扱いではない団体専用列車や回送列車、試運転列車なども、いくつか画像に記録しておりますので、引き続きご紹介してまいります。


国鉄では昭和40年代から、「ジョイフルトレイン」の嚆矢ともいうべき団体用の特殊車両を誕生させていました。それが畳敷きの和式客車で、最初に盛岡鉄道管理局で試作され、その後はオハ35・オハフ33を改造して編成単位の臨時運転を前提にして「お座敷列車」と銘打って名古屋鉄道管理局と長野鉄道管理局で各1編成ずつ誕生しました。

両者はオハ80・オハフ80を名乗りましたが、のちにグリーン車扱いとなってオロ80・オロフ80と形式変更されています。

画像
1973年6月26日 恵那(「名ナコ」のオハ80・オハフ80編成)


そのあとも各鉄道管理局で続々とお座敷列車が誕生しましたが、改造種車が冷房付グリーン車スロ62・スロフ62に変わり、スロ81・スロフ81を名乗りました。
画像
1973年5月12日 落合川~中津川 スロ81・スロフ81編成

外観上はグリーン座席車時代とほとんど変わらず、他のグリーン車同様、のちにグリーン帯が消されて特別感がなくなりました。後発の東京南局と大阪局の編成だけは改造時に車体側面には2本の白いラインが入れられて登場しました。↓
画像
1984年7月1日 落合川~中津川


時代が移り、スロ81・スロフ81改造のお座敷列車も世代交代が進行して、新たなお座敷列車は12系座席車から改造されるようになっていきました。当初は各局の改造車とも外観上は12系座席車のイメージをそのまま残した青色に2本の白線が入った装いでしたが、名古屋鉄道管理局では、【289】臨時列車の乗務(15):2度目の「ナコ座」で書いたように、両端のスロフ12が展望車になって外観に大きな変化がありました。その展望車もそうですが、お座敷列車は単に畳敷きというだけでなく、共用のラウンジ的なスペースが付加されるように進化していました。下は新潟鉄道管理局のお座敷列車です。7両編成で中央1両がサロンカーで「サロン佐渡」を名乗っていました。
画像
1986年6月6日 恵那~美乃坂本


国鉄が解体されようとしているころで、混迷を極めた時代でしたが、日本はバブル景気に沸いていました。国鉄は民営化されたあとを見据えて、鉄道再生のために、あれこれ試行錯誤で増収策を打ち出し、グリーン車扱いのお座敷列車などを使用したゴージャスな旅行商品を旅行会社とタイアップして積極的にPRしていました。中央西線では信州へ向かう団体列車が乗り入れ、逆に農閑期には信州地方の乗客を乗せた列車が各地に向かって行ったのです。


基本的にお座敷列車や新ジャンルとして登場する欧風客車は、ほぼすべてが座席車の改造車でしたが、独自の塗装を施して改造種車の印象を打破する車両も登場するようになっていきました。
画像

1984年3月18日 中津川~落合川

上は、12系座席車を改造した長野鉄道管理局のお座敷列車「白樺」で、これは初期の塗装。

下は、14系座席車を改造した大阪鉄道管理局のお座敷列車「みやび」

画像
1986年8月17日 恵那~美乃坂本


「みやび」は事故によって短命に終わった車両で、中央西線に入線したところを何回か目撃していますが、【412】台風12号通過で、少し触れましたように、JRに引き継がれることもなく不運なジョイフルトレインでした。


欧風客車で最初にデビューしたのが、東京南鉄道管理局の「サロンエクスプレス東京」で、すぐ続いたのが大阪鉄道管理局の「サロンカーなにわ」でした。
画像
サロンエクスプレス東京 1985年5月25日 落合川~中津川

サロンカーなにわ 1983年10月17日 恵那~美乃坂本


そのあと、名古屋鉄道管理局の「ユーロライナー」

岡山鉄道管理局の「ゆうゆうサロン岡山」

と続きました。

画像

ユーロライナー 1986年1月19日 中津川~落合川

ゆうゆうサロン岡山 1986年5月30日 中津川~美乃坂本


20系客車による臨客のついて、以前書いていますが、20系客車の寝台を簡易個室に改造し、14系オシ14改のサロンカー(オハ14 701)を含めたジョイフルトレインが「ホリデーパル」でした。国鉄時代にはこのように外部塗装に手を加えられることなく、運用されていました。
画像
1986年6月6日 落合川~中津川

のちに、何とも形容しがたい塗装になり愕然としました。

撮影日は、上のほうにある「サロン佐渡」編成と同じ日となっています。1日に何本もの団体臨時列車がある日も珍しくなかったわけです。撮影場所は、上のほうのD51牽引の81系和式客車を撮影した同じところで、上下線間が広く空いた場所ですが、今では門扉が設置され立ち入りができなくなっています。


******************


国鉄改革によって地域分割された民営会社になると、他の鉄道会社のエリアに乗り入れる団体列車は少なくなっていきました。たとえば関西対信州のルートでは、JR東海エリアを介さない北陸経由にシフトしていったように思います。それだけでなくバブル崩壊により、こうした団体列車そのものが減り、JR各社が新たに団体用としての代替え車両を用意することが少なくなっていきました。国鉄から引き継いだ車両が老朽化して廃車されると、このような「ジョイフルトレイン」による団体列車を見ることがなくなりました。団体列車のほか、多客期に車両を寄せ集めて運転された臨時列車なども今では見ることがめっきり少なくなっただけでなく、前述のように撮影場所にも制限が増え、撮り鉄人口の増加とともに、身勝手で危険な行為を平気でする者が目立つようになり、撮影地でストレスを感じるようになりました。私は特定の列車を待って線路端でカメラを構えることがほとんど無くなってしまい、撮り鉄の看板を降ろすまでになりました。


<2018年4月11日9:20 20系ホリデーパルを追加しました。>






この記事へのコメント

  • おき2号

    しなの7号様、こんにちは。
    私は残念ながらここに載っているような列車には乗れませんでした。なにわだけはまだチャンスがありますし、一度くらいは乗ってみたいものですが、かなり厳しそうですね。
    でも、乗務する方から見たらいつもと同じような車掌室でしょうか。
    2019年04月12日 14:01
  • しなの7号

    おき2号様 こんばんは。
    私もプライベートでこの手の列車に乗ったことはありません。お座敷列車も一人あたりの占有スペースは狭いですから、必ずしも快適とはいえません。やはり団体で乗るものですからバブル時代の産物であって、ジョイトレは個人でも乗れる豪華列車に進化していったと言えるのかもしれません。
    仕事で乗務した記事は、これまでいくつか書いてきましたが、団体列車での客扱業務は添乗員にお任せです。車両に対する趣味的な興味は尽きませんが、仕事上はふつうの12系・14系であります。
    一方で、地元にこういう列車が乗り入れてくることには興味があり、撮影には力が入りました。
    2019年04月12日 19:10
  • 早通団地

    おはようございます。

    国鉄時代に客車を改造して誕生したジョイフルトレイン、一度も乗る機会はありませんでした。
    大人になり、国鉄解体から20年近く経って世紀末に誕生したSLばんえつ物語でさえ未だに乗車していません。

    新潟に配置されてたカヌ座(正式な愛称ではないですが)に組み込まれていたサロン佐渡、晩年は編成から外されて上沼垂運転区に放置。いや、留置されてる姿を何度か見ましたが、あまり思い入れがないこともあって生き残った編成と共に撮影すらしていません。

    客車列車で思い出しましたが、高校の修学旅行から帰りに京都から乗った団体12系(or14系?)、どこの所属だったのか気になります。妥当なところでは、向日町でしょうか。わざわざ新潟から回送で京都まで送り込んできたとも思えません。
    まだ当時は国鉄が解体されて一年半。保安装置も共通で、他社線への乗り入れもやり易かったのでしょうか。
    2019年04月13日 07:00
  • しなの7号

    早通団地様 こんにちは。
    国鉄末期からジョイフルトレインが増殖しましたが、私も乗客として乗る機会はなく、お遊び列車となると青春18きっぷと指定券で乗れるトロッコ列車の類に子供をダシにして乗ったくらいでしょうか。基本的に一人旅には向きませんね。

    カヌ座はのちに北海道の後期型183系DCみたいな塗装になって、2編成に分割して運用されることが多かったと記憶しますが、中央西線内では夜行が多く撮影する機会はありませんでした。

    修学旅行の団臨はどこの車両だったのでしょうね。国鉄時代には、他局への車両貸出はよくありました。JRでは会社が分割されてしまいましたからどのように車両を調達したのかわかりませんが、他社との車両貸借には使用料も発生するのではないかと。
    ちなみにJR初期の昭和63年3月31日配置表には、上沼垂に12系と14系が各12両ずつ配置とされています。
    2019年04月13日 09:28
  • 風旅記

    こんばんは。
    今日も楽しく拝見させて頂きました。
    こうして振り返りますと、国鉄の終わりの頃から、余っている車両を活用して乗客の獲得に努力してきた側面があったのだと、改めて理解できました。時代や世相がきっとそのような車両を求めていて、新しい車両を作らずに考えた結果のようにも映ります。
    そして、後に登場する車両に向けて、どんどん洗練されてゆくのが興味深いところです。サロンエクスプレス東京の時代が、客車でのジョイフルトレインの頂点と言えましょうか。走る姿の流麗さに、感心するばかりです。
    最後の20系客車は、趣味的には面白い存在ですね。中間の元14系1両だけが新しく見え、車内の改造だけで済ませているように映るのが趣味的に興味を惹かれます。
    風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
    2019年04月14日 19:58
  • しなの7号

    風旅記様 こんばんは。
    ジョイフルトレインの多くはグリーン車扱いでしたので、定員が少ないですが客単価としては高く、国鉄末期からJR初期にかけて、鉄道の新商品として積極的に改造されたのですね。お座敷列車が続々と改造された後、サロンエクスプレス東京で初めて欧風客車というジャンルができました。その後も欧風客車は、大阪・名古屋・岡山と増え続け、いちばんジョイフルトレインの種類が豊富で賑やかだったのは、分割民営化直後の時期だったように思います。それでも私もサロンエクスプレス東京がいちばん内外装ともに特別感を持っていました。一方で商品としての完成度は名古屋のユーロナイナーに軍配を上げたいです。
    20系∔旧オシ14の「ホリデーパル」は、広島局の列車でしたが、低予算で簡易個室に改造し、普通の寝台列車としても使えるアイデア商品と言えるのではないでしょうか。
    2019年04月14日 20:55

この記事へのトラックバック