【982】 平成から令和へ

画像
5月1日に令和元年がスタートしましたが、平成元年初日は1月8日でした。
画像

平成初日は日曜日で仕事が休みでしたので、私はその日付が入った入場券を買うために駅へ行きました。印字された年・月・日がすべて一けたの入場券を見るのは初めてで、違和感がありました。

同じように令和初日にも同じ駅で入場券を買ってみました。もちろん硬券はなくて、印字された日付は西暦表示、そして地平にあった小さな駅舎は新しい橋上駅に建て替えられて、30年の間にすっかり様変わりしています。それなのに30年も経って、こうして同じ行動をしている私は、まったく進化することもなく、変わったことといったら、ジジイになって劣化しただけなのには我ながら呆れますが、この2枚の入場券を見比べてみると、30年の年月を経ても変わらないことがあるのに気付きます。
画像

それは入場料金で、30年を経ても140円のままになっています。平成初日の時点では消費税法は成立していましたが、まだ施行前でした。その後も消費税の税率アップが2度あったのに、140円のままになっているのですね。


またくだらないことで恐縮ですが、昭和の時代に遡って、国鉄の入場券を振り返ってみましょう。

画像

上から、昭和37年、昭和51年、昭和61年に発行された国鉄の入場券です。様式は微妙に違っていますが似ています。いちばん古い昭和37年のものは平成元年から30年と遡ってはいませんが、料金は10円で、すでに平成時代を待たずに昭和61年のものは140円になっていますから、なんと14倍です。私の記憶でも、車掌時代には、ほぼ毎年運賃値上げが続いていました。公共料金の移り変わりに関しては、以前「【758】年賀ハガキの半世紀=日本の鉄道の半世紀」で書いたことがあります。国鉄運賃には国鉄固有の要因があったわけですが、平成の時代との大きな違いは、著しい経済成長とインフレの時代だったことです。


国鉄を退職した翌年、つまり昭和63年から、私が転職した先の現場で西国三十三所巡りが流行し始めました。それに影響を受けた私は、昭和64年1月4日(平成になる4日前)に初詣を兼ねて一人で「尾張四観音巡り」をしました。「尾張四観音」とは名古屋周辺にある荒子観音・甚目寺観音・龍泉寺観音・笠寺観音を言いますが、その1月4日午後に半日で4か所全部巡るつもりで出かけたところが、龍泉寺観音だけタイムアウトで行けなくなってしまいました。その次の日曜日、つまり平成最初の日となった1月8日に、その龍泉寺観音へ参拝して御朱印をいただいてきました。そして入場券と同じように、令和初日にも、同じ龍泉寺で御朱印をいただいてきました。

下の画像の左が令和初日、右が平成初日にいただいた御朱印です。平成初日の方の元号にご注目ください。
画像
「あ、しまったぁ!昭和と書いてまったわ…まあ昭和から平成の移り変わり記念ということで」と言って渡されました。つい、いつものくせで「昭和」と書いてしまわれたようでした。ちなみに、御朱印は平成元年は200円、令和元年は300円が相場です。


こうした寺院巡りは、西国三十三所巡りが結願すると熱が醒めましたが、信州の善光寺だけは、毎年欠かさずお参りしていることは、以前、「【607】変なコレクション7(善光寺の御朱印)」で書いたとおりです。そして、ここまで平成年間毎年一回の参拝を継続できました。
画像

善光寺に初めて行ったのは「【867】52年前の家族旅行を辿ってみる」で、書いた1966年4月1日ですから、53年前になります。初めての家族旅行であり、初めての信濃路の鉄道旅でした。今後は毎年とはいかないと思いますが、信州に出かける際はお礼参りに訪れたいと思います。人生最後の鉄道旅行も長野善光寺になるかも・・・という予感もしています。


ところで、本日5月5日は拙ブログ開設9周年の日です。国鉄時代のことを中心に書いておきたいことがなかなか書き切れず…と言うよりどうでもいい記事をたくさん挟んでしまいましたので、定期更新終了予定が延び延びになっていましたが、先月いっぱいで一応の完結にたどり着けました。
画像
本日正午までのアクセス状況です。予想を超える多数のご来訪まことにありがとうございました。今後の新記事アップ予定もその内容もまったく未定です。整理した資料や書籍に目を通しながら、何か書くべきことが見つかったら、その時点で新記事をアップします。








この記事へのコメント

  • 門鉄局

    しなの7号様、こんばんは。
    平成から令和になりましたね。
    私も20歳から50歳、随分長生きしたものだなあと(笑)。
    好きだから続いた乗務員生活、激励のお言葉をいただけてもう少し頑張ろうかなと思います。
    5月5日がブログ開設の日だったとは。私の父親が昭和12年5月5日生まれなので不思議な縁を感じます。
    2019年05月05日 19:29
  • しなの7号

    門鉄局様 こんばんは。
    2回の改元を跨いで生きてきたことになりますね。これはすべての人が経験できるわけではないので幸運?なわけですが、自分たちが子供のころ「じいさんばあさん=明治の人」だったように、「高齢者=昭和の人」になるのはもうすぐで、昭和生まれと聞いただけで前世紀の遺物みたいな印象を持たれることでしょう。昭和の鉄道?、国鉄?、そりゃ何じゃ???って、、、そんな時代もすぐそこに!
    門鉄局様、お仕事を通じて
    ・平成生まれの鉄道員たちにはご指導を!
    ・令和生まれの子たちには鉄道への夢を!
    伝えてくださるようお願いいたします(*'▽')

    9年前は、4月に転勤があり5月1~5日は5連休だったような記憶です。その連休中に準備して5月5日の連休最終日22時22分に最初の記事をアップしました。
    2019年05月05日 21:27
  • 九州の鉄子さん

    しなの7号さん

    長きに渡り興味深い鉄道職員のお仕事を紹介くださりありがとうございました。
    私は鉄道が好きで、一時は本気で鉄道会社への就職も考えましたが、大学入試で医学部にまぐれで受かってしまい、鉄道の仕事は諦めました。
    それでも今でもチャンスが有れば、鉄道の仕事をしてみたいな、という気持ちがあるのですが、趣味は趣味として仕事にしないほうが幸せなんだよ、と大学時代の恩師に言われたことがあります。
    私は鉄道は趣味の範囲で楽しむしかないのかな、とちょっと残念なのですが・・・

    話は変わりますが、写真にある神領駅の5月1日のきっぷは元号ではなく西暦なのですね。
    私はしなの7号さんに影響されて、鉄道に乗ったときは必ずきっぷに無効印を押してもらい、持ち帰るようにしています。
    手元にある持ち帰ったJR九州のきっぷを調べたら、昨年8月のきっぷまでは元号、9月以降のきっぷは西暦表示になっていました。
    他のJR各社はどうなのかわかりませんが、今年の2月に東京に行ったときに持ち帰ったJR東日本の東京駅入場券は西暦表示でした。

    私の職場では元号と西暦が混在していますが、間違いを未然に防ぐためにも、どちらかに統一(西暦の方が望ましいように思います)した方がいいのではないか、と感じています。

    新しい元号に変わりましたが、九州にはまだ国鉄時代の車両が現役で頑張っています。その中でも私はキハ66,67が一番好きです。山陽新幹線博多開業時に新造されて、もう車齢40年を越えていますが、廃車になったのは1ユニットだけ(確か車番が4番のユニットだったと記憶しています)で、今でも長崎地区の普通列車や快速列車として地域の足を支えています。

    これからは臨時列車のみの運行とのことですが、ご無理のない範囲での更新を楽しみにしています。
    2019年05月06日 12:31
  • しなの7号

    九州の鉄子さん様 こんにちは。
    長くご覧いただきましてありがとうございます。
    職業に自らの趣味を活かすべきなのか、選択は難しいですね。人生のお試し期間があったら…と思わないでもありません。けれど誰もがなれるわけではない医師というやり甲斐がある仕事に就ける方なればこそ、趣味は趣味とされて正解でしょう。働き方改革で問題になるような激務に加え、理不尽なことが山積するお仕事に疑問を感じる日々の連続かと思いますが、私の場合も転職後のそうした仕事上のストレスは、大好きな鉄道が癒してくれたことがほんとうに多かったです。自由に時間が取れないお方が、自宅で鉄道模型を走らせている例がよくあるように私は思っていますが、私も仕事で自由に出かけることができなかった時期は、よく通販で思い入れのある車両の模型を買い漁っって眺めていたもので、出かけなくても楽しめる「鉄の道」はあるものだと思っています。

    乗車券類には発着駅や日付が印字されますので、昔から保存するようにしていました。乗車券類は収集するというより、自分で使った乗車券類を残す(→集まる)というスタンスでした。

    JRの乗車券類は昨年のうちに西暦を使用するようになっているようですね。今の時代、ビジネス的に言えば西暦表示に統一されるのがいちばん合理的でしょう。けれど日本の伝統と文化という観点から考えれば、年号は言語のように時と場合によって使い分けられると理想的かと思っています。

    ときには、新記事のアップをするかと思いますので、よろしくお願いします。
    2019年05月06日 16:36
  • やくも3号

    しなの7号様 こんばんは。
    九州の鉄子さん様の上のお話を読ませていただいて、大変耳が痛く感じました。周囲の勧めもあって、自分も医学部(私立)を受験してどういうわけか合格をいただきましたが、自分には人の命を預かるような仕事は到底つとまらないと認識していたのと、趣味を仕事にしたい気持ちのあまり、工学部に進みました。ありがたいことに『やりたいこと』を職にすることはできましたが、大好きなはずの車両を見るのもある日突然苦痛を感じるようになったりして、設計者としては長続きしないまま、ご存知のように現在は全く畑違いの仕事に就いています。おかげで、現在は時間がないながらも好きな電車に乗ったり、車を手に入れたり、模型を作ったりして楽しめるようになりました。

    鉄道会社も現在新元号キャンペーンを打ったりして、『改元景気』『改元ビジネス』を当て込んでいる割には切符は西暦のままなのですね。元号使用のメリットとしては、リニアの大阪開業が『平成49年』と言われていましたが、『2037年』と言われるよりは近い将来感があり、「平成の間に完成するよ!」と人々に期待を持たせるには良かったかもしれません。(テレビの制作の方々が、仕事の終了が明日午前3時であることを「今日は27時解散でよろしく!」と言っているのと同じ感じではありますが・・)


    追伸:
    うちの祖母ですが、あと数年早く生まれてあと2か月長生きしていれば、明治から令和までを経験できたのに、と思います。
    2019年05月06日 20:52
  • しなの7号

    やくも3号様 こんにちは。
    「現在は全く畑違いの仕事に就いています」は共通項で、ゆくゆくは「それでよい」という結論にたどり着いてしまうことが多いのかなと思います。それは時の流れとともに絶えず社会の変革に適応するため職業自体が質的変化をしていくのも一因ではないでしょうか。進化することが前提ですが、その過程で失われるものが必ずあり、20代のころまで光って見えたものの多くが、永遠に光っているわけではないことに気付きます。その一方で、「好きこそ物の上手なれ」を地で行く職業に定着できた方には、かつての光の意味と大切さを現場で伝えてほしいものです。
    皆さんの足下に及ばない仕事ばかりをしてきた私ではありますが、転職した先で、趣味として鉄道に向き合うための余暇を取れたことは、(職種はどうあれ)幸せなことでした。

    ありえない「平成」は今持っている運転免許証にも残っていますが、私の国鉄清算事業団への編入発令通知書にも、「派遣員を命ずる。派遣期間を昭和62年4月1日から昭和65年3月30日までとする」とされていました。昭和65年は実在せず、平成2年でしたが、派遣先が昭和63年に正式採用してくださったので、平成になるまえに私は国鉄清算事業団から縁が切れました。

    「あと数年早く生まれてあと2か月長生きしていれば、」に似たことは限りなくあるものですね。自分の意志ではなんともならないことがあまりにも多くて、偶然のなかで生かされていると思います。
    2019年05月07日 11:28
  • 唐獅子

    やっとたどり着きました。
    このブログにたどり着いたのは今から5年ほど前ですが、改めてこのブログを通しで読もうと思ったのが、今から2年ほど前です。
    そして今日、最新回まで追い付きました。
    一番思い出深い回は「レチ弁」の回です。
    私の地元の事を、「鹿と大仏」以外の独特の言い回しで表現していて、とてもうれしく思いました。
    同時にそんな昔があったのかとも思います。
    これで終わりではないと思いたいので、またちょくちょく見に来ます。
    2019年05月12日 02:23
  • しなの7号

    唐獅子さま
    ブログを通しでお読みいただき、ほんとうにありがとうございました。そうとうにくだらないことが多く、時間を取らせてしまったみたいで申し訳ない気もします。今後もたまには新記事の投稿をしますが、鉄道に関係ないことも相変わらずあると思いますので、よろしくお願いします。

    レチ弁は長距離列車が減っていき、コンビニの普及で食事事情が変わってきたことに伴い消えていった昭和の文化?とも言えるでしょう。
    何もかも便利で手間がかからなくなった今が、つい当たり前のように錯覚しがちですが、災害などで困ったときにその有難さに気付きます。
    2019年05月12日 09:05

この記事へのトラックバック