【984】 お召し列車を牽いた機関車

昭和の時代には、毎年開催される全国植樹祭と国民体育大会のときに運転されるお召し列車の撮影を楽しみにされていた方は多かったと思います。実際にお召し列車の撮影には行けないまでも、後日になってお召し列車をけん引したきらびやかな装飾の面影を残す機関車を見たり、雑誌で当日の写真を見たときには、お召し列車牽引機には後光が射しているように思えたものです。


令和元年を迎え、まもなく一ヵ月が経とうとしていますが、来月、令和になってから初めての全国植樹祭が愛知県で催されます。愛知県での開催は2度目で、前回は1979年(昭和54年)5月でした。そのときは県内の飯田線・東海道本線・岡多線でお召し列車が運転されましたので、昭和の鉄道員としてはそのときのことを思い出します。そのときのことは後日書くことにして、今回は、昭和の時代にお召し列車をけん引した経歴を持つ機関車たちの画像をいくつかアップします。


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【EF64 77とDD51 820】

撮影1987年8月22日 稲沢機関区
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国鉄が分割民営化された年の夏、JR貨物の公開イベント時の撮影です。

左側のEF64 77は1986年に山梨県で催された「かいじ国体」のとき10月11日に原宿→甲府間、同10月14日に大月→原宿間でお召し列車をけん引したということです。(日付と区間はRail Magazine誌1997年6月号を参照しました。)このときが、国鉄最後のお召し列車になりましたが、私個人はこの年の秋は人生の岐路に立たされていた時期でしたからお召し列車運転当日に撮影に行けるような状況下にはありませんでした。

右側のDD51 820は、1977年に和歌山県で催された全国植樹祭のとき、往路の4月16日に名古屋-伊勢線経由→津でお召し列車をけん引しました。

DD51820はJR貨物で運用から外れたあと、色あせた姿を長期間さらしていたので、保存展示するつもりかとも思っていましたが、結局解体されてしまったようです。ところでこの記事を書いている時点ではEF64 77が、まるでDD51 820と同じような状況にあって、愛知機関区で色あせた姿を長期間さらしていますが、この先の行方が気にかかります。


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【EF64 58】

撮影2003年7月20日 篠ノ井総合鉄道部
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篠ノ井総合鉄道部が、国鉄時代に篠ノ井機関区として開設されてから30周年の年、開催された記念イベントで、お召し装備で展示されたEF6458です。この機関車は1978年長野国体のとき、10月14日 長野→松本、10月16日 塩尻→原宿間でお召し列車をけん引したということです。(日付と区間は鉄道ファン誌1979年3月号を参照しました。)

展示された時点で、お召し列車に使用されてから25年も経っていましたから、窓枠のHゴムはグレーから黒色に、パンタグラフはPS22Bに交換されるなど、当時の鉄道ファン誌に掲載されたお召し列車運転時の写真のイメージとはかなり変わっていました。この長野国体では、お召し列車の往路が信越本線経由とされEF62 11が使用され、碓氷峠ではEF63 13・11の補機が付くとあって、そちらのほうにファンの関心が行っていて、EF64初のお召し列車は比較的地味だったようにも思えます。そういう私も比較的近い場所での運転だったのに撮影には出かけていません。今から思うに、お召し列車運転前月(9月)に地元の北恵那鉄道が廃止されており、その後の車両の処遇など廃線直後の動きに気持ちが傾いていた時期に重なります。


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【157系電車】

撮影1979年3月 原宿駅
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お召し列車の始発駅は原宿というのが国鉄時代の定番だったのですが、その際には宮廷ホームと呼ばれた皇室専用ホームが使用されました。今ではこのホームが使用される機会がほとんどないようです。


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【DF50 57とDF50 26】

撮影 1980年(月日不明)亀山機関区
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私が列車掛になった翌年1980年3月までに亀山機関区のDF50はDD51に置き換えられ、運用を外れたDF50が機関区構内に留置されていました。乗務先の亀山で仮眠する行路では機関区に併設されている乗務員宿泊所を利用していましたから、機関区構内に留置されている機関車や気動車群を間近に見ることができ、その中に元お召し機2台が並んで留置されていたことがありました。

左側のDF50 57は1977年に和歌山県で催された全国植樹祭のとき、DF50 59(次位機)とともに4月16日に津→那智、4月17日に串本→白浜、4月18日に紀伊田辺→和歌山で、お召し列車をけん引したということです。(日付と区間は鉄道ファン誌1977年7月号を参照しました。)

和歌山国体のときに運転されたお召し列車のことは、いつになるかわかりませんが、いずれ改めて記事化する予定にしています。

右側のDF50 26は1971年の和歌山国体のときDF50 8とともに10月23日、25日、26日にお召し列車をけん引したということです。(日付はRailguy誌1982年秋号を参照しました。区間はその記事には記述されてなかったので不明)

DF50 26は、撮影時点でお召し列車牽引から8年半ほども経っていたのにステンレス帯がその名残をとどめ、亀山ではたいへん目立った1台でした。(DF50 57のほうは、お召し列車牽引時にはステンレス帯ではなく白塗装でした。)このあとDF50 57が廃車解体されたのに対し、DF50 26は高松運転所に転属しています。


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【DD51 842】

撮影2005年5月28日 大宮総合車両センター
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大宮総合車両センター恒例のJRおおみや鉄道ふれあいフェアで、お召し装備で展示されたDD51842です。この機関車は1973年10月に千葉県で開催された若潮国体に始まり、その後もJR時代に入ってからも複数回お召し列車のけん引に使用され、現在もお召し装備を残したまま現役なので、今となればいちばん身近なお召し列車牽引機とおっしゃる方が多いのではないでしょうか。


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最後に、高校生のころ旅先の九州で偶然出会ったお召し牽引蒸機を2両


【C11 200】

撮影1973年8月6日 志布志機関区
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この4か月前の1973年4月に宮崎県で全国植樹祭が行われ、4月10日に宮崎→串間でC11 200+C56 92の重連で、4月12日に青島→宮崎間でC11 200単独によるお召し列車をけん引したということです。(日付と区間は鉄道ファン誌1973年7月号を参照しました。)菊のご紋章を取り付けるステーをはじめとする部材にステンレス鋼が用いられ、煤けてはいても、本番の面影がはっきりと残っていました。


【C56 92】

撮影1973年8月7日 吉松機関区
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前述のとおり、宮崎県で行われた全国植樹祭のとき、1973年4月10日に宮崎→串間でC11 200+C56 92の重連でお召し列車をけん引したほか、その前年1972年に鹿児島県で行われた太陽国体のとき、同年10月20日に加治木→鹿児島、10月24日に指宿→西鹿児島、10月25日に西鹿児島→加治木でC5691+C5692の重連でお召し列車をけん引したということです。(日付と区間は鉄道ファン誌1973年1月号と同7月号を参照しました。)

以上2両の蒸機は、いずれも静態保存されているそうです。


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お召し列車と言えば欠かせないのがEF5861ですが、それは冒頭に書いたように来月愛知県で催される予定の全国植樹祭開催時期に合わせて、40年前に愛知県下で走ったお召し列車の画像をアップする予定にしています。








この記事へのコメント

  • 3RT生

    しなの7号様、こんばんは。
    懐かしい、見覚えのある機関車が登場して、感慨深く拝見しました。
    DF5026号機は、高松に来てから何度か撮影したことがあります。ステンレス帯はお召し仕様だったのですね。1両だけ異彩を放っていました。
    九州の蒸機は美しかったのですが、お召し機となれば格別です。ピカピカのC11200が牽くお召しの訓練運転に、日南線で遭遇したことがありました。子どもごころにも、とてもドキドキした記憶があります。C5692の吉松の入換風景の写真、ウチにもありましたが8月4日の雨の日で、写真の出来は今ひとつだったのです。ご紹介の画像は山野線の貨物が帰ってからの写真でしょうか。美しい画像を拝見できとても嬉しく思いました。
    2019年05月26日 22:18
  • しなの7号

    3RT生様 こんにちは。
    高松時代のDF5026はまったく知りません…という以前に国鉄時代に四国に足を踏み入れたことがないので。 
    Railguy誌1982年秋号によれば、DF50がお召し列車を牽いたことは10回(列車本数でなく植樹祭・国体などの回数で、そのほとんどが重連使用)もあったようで、高松区に配置されていた元お召し機は、少なくとも8・24・26・59(以上元亀山)のほかに1・20・41が配置されていたことが読み取れ、けっこう多いなと思いましたが、そのなかでも26のステンレス帯は目立っていたのでしょうね。

    C11 200がお召しの試運転をしていたであろう時期は地元中央西線のD51終焉直前に当たりましたので、遠出をする気持ちがありませんでした。
    その年の8月4日はまだ北九州で、田川線油須原におりました。ただただ暑く、そこでは雨に降られた記憶はありません。画像にある8月7日の吉松のC5692は、山野線から帰ってくる貨物を栗野で撮影してから機関区で撮影しましたので、おっしゃるとおりです。
    2019年05月27日 10:23
  • やくも3号

    しなの7号様 こんばんは。
    今日のYahoo!ニュースで、京都鉄道博物館のC51形にお召し仕様の装飾を施して展示を行っているという記事がありました。
    しかし一方では、こちらのブログの記事のように、お召し列車を牽引した花形機関車であっても、そのほとんどは淘汰される運命にあるということを知りました。現役の任を解かれて不動となって、博物館入りならばVIP待遇、公園での静態保存ならまだましといったところでしょうか。
    (博物館入りしてもどこかの新幹線博物館もどきのように安泰ではない場合もありますが・・)

    新見でも伯備線でお召列車を牽いたD51 838型機が井倉洞に程度よく展示されています。お召し牽引当時のことは全く知りませんが、祖母たちがそのことを話していたくらいですから、きっと地元では一大イベントだったのだろうと思いますし、ちくわ社とリアルラインの両方から模型化されるほどの有名機となったのでしょう。
    そういえば数年前、新見市議会だったか岡山県議会だったかで、この838号機を使ったSL列車を備中高梁~新見間で復活してはどうか、という案が俎上に上がったことがありました。結局、『ターンテーブルどうするの』『1時間ヘッドの特急やくもからちゃんと逃げ切れるの』といったことで、この提案は叶わなかったと聞いています。
    2019年05月27日 20:00
  • しなの7号

    やくも3号様 こんにちは。
    展示される機関車にお召し装備を施すイベントは昔から多く、観覧者からの受けがよい企画だと思います。
    模型業界では、お召し仕様車はバリエーション展開に使えますから潤いますね。私もこれまでにお召し機の模型を数両買いましたが、そのうち「ちくわ社のC5692」だけは手放しています。

    機関車、地味に消えていったその一両ごとに功績があるわけですが、彼らの代表として、栄誉を称えせっかく保存展示された機関車が、その後のメンテも満足にされず放置されるケースは嘆かわしいことです。復元復活運転にしても、言うのは簡単でも実現させるのは困難ですね。
    保存車のうち商業利用のケースでは、短期間で廃棄されることが多いですが、鉄道会社が経営主体の博物館でさえ、所蔵車両の使い捨て?姿勢が見えてきて、これもただの商業的利用にすぎなかったのかと思うと呆れてしまうばかりです。
    伯備線のD51お召し列車が運転された時期は、自分がカメラを持つようになり、鉄道雑誌を毎月購読するようになった直後でしたので、鉄道雑誌の見開きカラーページで紹介されていたことをよく覚えています。
    2019年05月28日 07:00
  • やくも3号

    しなの7号様 おはようございます。
    連投すみません。早速出ていますね。
    ttps://news.yahoo.co.jp/byline/torizukaakira/20190528-00127585/
    2019年05月28日 11:30
  • しなの7号

    やくも3号様 こんにちは。
    関連のニュースも含め読みました。
    「文明的には先進国にはなりましたが、文化的には発展途上国」
    まったく、そのとおりですね。
    2019年05月28日 14:30
  • 中央西線

    中央線名古屋口でも太多線から入ったC58牽引のお召列車が走ったことがあり、あの古虎渓駅で沢山の人が見物する写真を図書館で見たことがあります。
    2019年05月28日 23:13
  • ヒデヨシ

    しなの7号様こんにちは
    お召し列車牽引機
    専用であるEF58 60/61ですら団体や臨時など
    指定解除の60は荷物列車と一般仕業もこなしていますが
    客車は正真正銘年に2回くらいしか使いません
    走行距離も伸びないので客車が24系25型とかの時代になっても20系をもとにした仕様そのままでビックリ
    中には優雅ではありますが絞り折り妻の車両までありました
    乗ってみたい・・・
    2019年05月29日 18:03
  • 門鉄局

    しなの7号様こんばんは。
    私はお召し列車を見たことはありませんが一般仕業に充当されたEF5860・61号機は何度も遭遇しており、この2機だけに施された車体中央に貫くステンレス帯はお召し機の貫禄十分で憧れでした。
    1977年の植樹祭のお召し機がDF50重連であったことはしなの7号様と同じ鉄道フアン77年7月号で知りました。当時松阪市に在住しておりあの煤だらけのDF50がまるで新車になったような写真に驚いたものでした。
    リニア鉄道館早速あちこちで話題になっていますね。この調子だとそのうち「無能な国鉄労使と闘った我が創業者 葛西敬之」など旧共産圏ばりの一方的な展示をしだすのではないかと本気で心配しています。
    2019年05月29日 19:20
  • しなの7号

    中央西線様 
    岐阜県で開催された1957年の植樹祭のときでしょうかね。
    亡父の当てにならない伝説によると「うちのジイサマ(私の祖父)は機関助士時代にお召し列車のカマを焚いたことがあるらしい」というのですが、1957年と言えば祖父は国鉄を退職しているはずの年齢ですから、その時ではありません。乗務したとしたら年齢から考えて大正時代である可能性が高いので、せめて当時の中央西線を走ったお召し列車運転記録があればと思うのですが、そんな昔のことはわかりません。
    2019年05月29日 21:20
  • しなの7号

    ヒデヨシ様 こんばんは。
    皇室用客車に対する価値観とは、一般に豪華な装飾などの芸術性にあるんじゃないかと思うのですが、私は芸術にはまったく縁遠くてそういうことはさっぱりわかりません。その代わりに供奉車の一部が3軸ボギー台車のまま長く現役でであったことに興味がありました。20系ベースで製造された1号御料車と旧型の供奉車では、ブレーキ装置が違うと思うのですが、性能差でブレーキ作動時に衝動が発生しそう?です。供奉車のブレーキ装置の改造をしたのではないかと思いますが、今のところ未知の世界。(K社Nゲージ製品の床下表現を見ると、両端の3軸ボギー車だけ旧式のA制御弁っぽい表現に見えます)
    2019年05月29日 21:20
  • しなの7号

    門鉄局様 こんばんは。
    EF5860・61号機、名車でありスター的存在でしたね。予告どおり来月の全国植樹祭のタイミングでアップする記事で画像紹介予定にしています。
    DF50お召しのことは…まったく未定ですが今年中にはアップできるようにします。DF50の画像はありますが、あのエンジン音を記録しておくべきだったと後悔しています。

    何回かアフィリエイト広告を出している須田寛著「私の鉄道人生半世紀」を読みましたら、最後のほうに「国鉄が民営化され、国内の鉄道は地下鉄など都市圏の市内交通の一部を除いて会社経営となりました。早く保存の機運を醸成しないと貴重な文化財が失われるという危機感を持ちました」との記述がありました。佐久間レールパークも美濃太田での車両保管も須田氏のその思いを具現化したものと推察しますが、初代取締役社長の想いは代が変われば裏切られ、リニア鉄道館に移設されることなく解体されていった多くの車両があったことを知る人は多いと思います。
    2019年05月29日 21:31
  • おき2号

    お召し列車を牽引したことがあっても残念ながら廃車解体となってしまうのもあるのは残念ですね。
    上手いこと保存されればいい方で動態保存ともなるとなかなか難しいのでしょうね。やまぐち号のC571や大井川のC11190はまだ当分大丈夫でしょうが、あとは心配ですね。

    リニア鉄道館ですが、あれは博物館法によらない「博物館類似施設」です。
    ちなみに、大宮の鉄道博物館は教育委員会から認められた「登録博物館」で、京都鉄道博物館も先日教育委員会から「博物館相当施設」と認められたようです。この二館は博物館法の適用を受けます。
    2019年05月30日 17:05
  • しなの7号

    おき2号様 こんにちは。
    世の中に永遠はないですし、形あるものすべてに必ず終わりがあることは、齢を重ねるほどに実感として迫ってきます。特に動態保存というものは経費が掛かることもありますから、廃止されないまでも方法や形態、走行区間や期間などが、時とともに変化していくのは避けられないだろうと思います。

    博物館についてのご教示ありがとうございます。一般に博物館と認識している施設でも、法律による適用の有無で、ホンモノかどうかは判断できるのですね。リニア鉄道館がホンモノになる日は来ないのでしょうか。文化の継承という観点を軽視した姿勢では難しいようですね。それ以前にあの立地は、今後必ず起こると言われている大地震による津波で壊滅するのではないかという心配は付きまといます。
    2019年05月30日 17:38
  • おき2号

    しなの7号様、こんばんは。
    残された車両たちをどう大切にして次世代に伝えるか考えていける最後の時期なのでしょうね。しなの7号様たちの世代が創ったものを伝えていくのは私たちの世代の責務ですね。

    リニア鉄道館ですが、先の二館とは違い公益法人などではなくJR東海直接の運営ですから、根拠はありませんが、より営利的な面があるのかもしれません。
    また、東・西・四国(鉄道文化館)・九州(鉄道記念館)の博物館は一応外の線路とつながる構造ですが、東海はそうしなかったのも在来線より新幹線ということかもしれません。
    確かに津波が脅威ですね。HPには浸水エリア外とありますが時に人の予想を超えますからね……
    2019年05月30日 19:36
  • しなの7号

    おき2号様
    本気で国鉄から引き継いだ鉄道文化を遺す気がある会社であれば、営利事業と切り離した財団法人を設立して、積極的な活動ができる基盤を整えるはずだと思います。
    2019年05月30日 20:51
  • 3RT生

    しなの7号様、こんばんは。

    保存と採算は相容れないですよね。
    集客優先の施設、客単価の高い豪華客車やSLだけでは「産業遺産」としての鉄道保存は成り立ちません。
    車両が活躍した時の姿で動態保存しようとすればなおのことです。道床は時とともに土に還っていくので、まくら木は朽ちていきます。消耗した部品も絶版で入手できず、当時のやり方で残そうとすれば作らねばなりません。客車にしても木造部分は傷んでいき、緩むと突風で屋根がめくれたりします。これらの維持には当然お金がかかり、人的な資源や技術も必要ですが、それに見合った収入が見込める訳ではありません。やはり採算優先の企業では無理で、市民レベルの盛り上がりが要るのでしょうか。
    まだ、チャンスは残されていると思います。

    小生の理想像は、駅で鋏を入れてもらった切符を持って列車に乗り込み、37kレールの上をガタゴト進む光景です。そこには客車や貨車もあって・・そんな昭和の鉄道風景ですね
    2019年05月30日 22:39
  • NAO

    しなの7号様、おはようございます。
    臨時便に乗らせてもらっております。
    お召列車は見たことはありませんのと、お召車両で見た記憶があるのは予備機になってからのEF5860と梅小路でお召装飾がなされたC571ぐらいでしょうか。
    昔は夜行で運行されたり、戦後巡幸では御料車自体が宿泊場所になったりと、いろんな歴史があるのですね。
    以前勤めていた営業職では、トップセールスに同行する際、高級車に「添乗」(運転は専門社員)し、訪問先が多い場合は営業担当者が乗り切れないので軽自動車で先行していましたが、これの運転担当になったときは心のなかで(供奉車)と呼んでいました(実際には先行車両なのですが)。
    2019年05月31日 08:14
  • しなの7号

    3RT生様 こんばんは。
    私も含め多くの人が廃墟としか意識していなかったものが、権威ある機関の「お墨付き」によって一躍有名な「産業遺産」になって注目される例がいくつも生まれるようになりました。幸いにして鉄道愛好者の人口は非常に大きくて、他の産業遺産に比べれば鉄道遺産を取り巻く環境は格段に恵まれているように私は思います。
    鉄道の文化財を遺すためには鉄道事業者の協力は欠かせませんから、せめて鉄道会社自らが鉄道遺産の保存伝承組織を立ち上げる発起人になっていただき、その足掛かりを築いてほしいなあと思います。それに呼応して設立される組織が現役ローカル線を保存鉄道として運営し、その集客力で鉄道会社は公共交通機関としてローカル線を維持でき、地方も潤うといいですね。出資すれば(または料金をその都度払えば)免許がいらない範囲での鉄道員の体験ができるとあれば、人は呼べるんではないでしょうか。。。などと甘い考えが出てきます。
    名松線に残る票券閉そく式などは、現役産業遺産だと思います。車両はもとより、おっしゃるような昭和の時代にあった鉄道システム全体を保存対象として考えるべきでしょう。
    2019年05月31日 20:05
  • しなの7号

    NAO様 こんばんは。
    運転本数が少ないローカル線になりましたが、ご乗車ありがとうございます。
    梅小路で忘れてはならないのはC51239で104回ものお召し列車牽引歴があるということです。その履歴こそが梅小路蒸気機関車館開館時期まで解体されなかった理由だったと思われます。
    お偉いさんの随行とか送迎とかまったく縁遠いですが、会社の黒塗り高級車に乗せてもらったのは2度。1度目は転職初日の本社辞令交付式を終わって配属先まで。そのときの運転手曰く、「これにあんたたちが乗れるのは最初で最後だと思えよ」
    でも2度目があり、鉄道での出張を総務に申し出たら、それでは金も時間もかかってしまうから、空いている運転手を付けてやるから黒塗りを使えと言われ・・・いずれも間合い運用ですが、御料車には間合い運用はありえません。という話は前に書いた気がしますね。。。
    2019年05月31日 20:06

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