【1053】あの年の2月14日《1976年》

連日名古屋市内の話になりますが、今日は1976年までさかのぼります。
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名鉄瀬戸線の「お濠電車区間」が最終日を迎えたのが2月14日でした。
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当日は冷たい雨が降り、30分の1解放でも露出不足になるようなる最悪のコンディションでした。それでも堀川駅ではお別れのセレモニーがあったので、たくさんの人が集まりました。
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直角に曲がった外堀にそって一気に曲がる急カーブはサンチャインカーブと呼ばれていました。曲線半径3チェーン(約60m)であることが由来らしいです。
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翌日から名鉄瀬戸線は土居下~尾張瀬戸間だけの運行となり、翌々年には1500Vへの昇圧、続いて栄町までの地下区間の開業へと続きました。

◆全部1976年2月14日撮影

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この記事へのコメント

  • ヒデヨシ

    しなの7号様こんばんは
    カーブや堀川駅では腕章を着けた係員やヘルメット着用の警官らしい人もいますね
    特急の映っている写真のホームのヘルメットの人物は明らかに警官

    とはいえ時代でしょうが線路内立ち入り撮影が激しいw
    2020年02月17日 22:38
  • しなの7号

    ヒデヨシ様 こんばんは
    当日は線路に沿ってロープが張られ、要所には警備員が配置されていました。この日撮影した他の画像から察するに、見通しが悪く人が集まるサンチャインカーブはお濠そのものへの立入りが禁止されていたように見えます。特急が写っている画像は本町駅(無人駅)ですが、ここは画面奥にガントレットがあるので人がたくさん集まり、警察官と名鉄関係者両方の警備のなかでの撮影でした。画面の後方で線路内から撮影している人たちは、電車到着後に線路内立入りが許されたのでしょう。一方、画面手前に並んだ人たちは、上下ホームを結ぶ構内踏切上に居られます。画面右に制帽が半分写っていますが、赤色旗を持った名鉄関係者のもので、踏切上のその位置までは電車の走行に支障がないということで侵入を認めたものと思われます。複線であってもガントレットがあるので、大津町~堀川間は事実上単線と同じでしたから、対向列車が来ることはないという判断があってこんなことが許されたのかもしれませんが、警察官・鉄道会社側とも、最大限の便宜を図ってくれていたことがわかります。44年も前ですから、今とは比較にならないおおらかさですね。
    2020年02月18日 20:59
  • 堀地俊也

    私は中央西線の矢田川橋梁の近所に住んでいたので、瀬戸線は非常に身近な電車でした。
    子供の頃は毎年せともの祭に行く時に乗る瀬戸線の電車が楽しみで、数少ない『緑色の電車』に乗ると、当たりクジを引いたように嬉しかったことを覚えています。
    小学生になる前の年に1500Vに昇圧となり、走る電車はごっそり入れ替わって『緑色の電車』もいなくなってしまったわけですが、その後は3780系がお気に入りとなりました。
    この当時、車体の角ばった2330型などは、サンチャインカーブで接触しないように山側の尾灯が出っ張りが短く改造されていたんですよね。
    鉄ちゃんあるあるですが、あと10年早く生まれていたら実際に確認できたのに...と思ってしまいます(笑)
    2020年03月06日 23:17
  • しなの7号

    堀地俊也様
    緑の電車が「ハズレくじ」でないとは、鉄の素質十分だったのですね。私も吊掛車は好きなので3780系は瀬戸電の中でも一目置いていました。
    骸骨形尾灯の出っ張り改造は存じませんでした。
    2020年03月07日 20:37