予想どおり海水浴場も列車も空いていて、帰路、疲れた子供たちは、2人分のシートを独占して眠らせて快適な往復でした。今では名古屋からはそういう列車がなくなってしまい鉄道旅の良さが半減しています。
【1215】あの年の7月25日《1992年》
家族で日帰りで海水浴に行きました。うちの子たちが幼児だったころの家族旅行には青春18きっぷを愛用していました。例によって人ごみは苦手なので、マイナーなところへマイナーな列車で、ということで、臨時快速「あたしか」に乗って紀勢本線新鹿駅に近い新鹿海水浴場へ行きました。キハ65の5000番台は時速110㎞対応のリクライニングシート車で、本来は快速「みえ」用の車両。「国鉄コンテナ」の文字が残る廃コンテナも懐かしい。。。場所は特急を先に通すために長時間停車した三瀬谷駅だったと思います。
予想どおり海水浴場も列車も空いていて、帰路、疲れた子供たちは、2人分のシートを独占して眠らせて快適な往復でした。今では名古屋からはそういう列車がなくなってしまい鉄道旅の良さが半減しています。
予想どおり海水浴場も列車も空いていて、帰路、疲れた子供たちは、2人分のシートを独占して眠らせて快適な往復でした。今では名古屋からはそういう列車がなくなってしまい鉄道旅の良さが半減しています。
この記事へのコメント
唐獅子
叔父(母の妹の旦那)にすすめられて、親に連れて行ってもらったことが何回かあります。
民宿(夏だけ営業する所で、25年たった今もう廃業したらしいですが)で、離れの6畳間で家族4人で雑魚寝した記憶があります。
2017年2月に奈良交通の八木新宮線の旧型車の乗り納め(実際は新車が来た)のために新宮へ行ったことがあって、翌日のその帰路で新宮から南紀4号の海側の展望席を確保したことがありました。
その時山側の展望席を確保したカップル(おそらく新郎の新宮近辺の実家へ新婦が挨拶に行ったようでした)は、あろうことか山側の展望席を後ろ側に反転して、運転席側にトランクを置いて4席使ってタブレットで動画にふけっていました。
車窓には目もくれない二人でしたが、新婦だけ新鹿の海水浴場を見て「良さそうなところね」新郎「昔よく海水浴で行ったよ」と会話していたのを思い出します。
特急の臨時停車もなくなって久しくなりましたね。
しなの7号
子供が小さいころは、例年会社が借り上げていた民宿があった敦賀湾の海水浴場に出かけていました。新鹿に出かけたのはこの年だけでしたが、海水浴場そのものは新鹿のほうが広くて遠浅、何より水がきれいでした。
車窓に関心がない人でも新鹿の海に目が向くのはわかる気がします。車内で気になる人をつい観察してしまうことはよくあります。自分が変わり者として逆に見られていることもあるだろうとも思っているので、少なくとも一般乗客や乗務員の皆さんの迷惑にはならないように、「一般人」を装っていますが、見る人が見れば正体がバレていると思います。
唐獅子
敦賀湾と言えば、2009年の夏に、学生時代の友人が3年付き合った彼女と別れて、彼を慰めるつもりで夏休みに、大阪(近辺)→福知山(駅の高架下の餃子の王将で昼間からビールを飲んだ)→天橋立→西舞鶴→東舞鶴→若狭高浜(泊・翌日は海水浴)→小浜→(JRバス)→近江今津→大阪梅田→彼の家、というルートで廻ったことを思い出します。
高浜の宿で給仕してくれた舞鶴からバイトで通っている娘が私たちと同い年だったこと、高浜は役所と銀行と関電以外職場がない事を話してくれました。昨年ぐらいだとかなりリアルな話ですね。
話は離れますが、90年代中盤に熊野市の新鹿に行った時に、「原発反対」の看板を道中でいくつか目にしました。駅で言うと大泊~波田須間の海側の入り江で、80年代に中○電力主体でそういう計画があったようです。結局は地元の強硬な反対で消え去りました。地元の市議会議員でこの経緯を詳細に書かれているブログを出している方がいらっしゃいます。
しなの7号
海に向かってバカヤローですかね?
20歳前後に若狭湾へ海水浴に行ったことがあります。夏休み中には名古屋から若狭湾方面に敦賀経由で直通する臨時急行「エメラルド」が毎日走っていました。
水がきれいと言われる若狭には原発が集中しますが、紀伊半島には皆無ですね。
唐獅子
しなの7号
ご教示ありがとうございます。エリアと言えば、中部電力配電エリア内にある木曽川水系の発電ダム群は関西電力のものなんですね。そういうことも中央西線の車窓からダムや発電所を見て知ったことです。
尾鷲の旧火力発電所の大きな煙突も、紀勢本線の車窓のアクセントで、往き帰りに意識せずとも目に入ります。