【1220】あの年の7月30日《1973年・1975年・2011年》

1973年7月30日 
中央西線 美乃坂本~恵那
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この線路の手前にはリニア中央新幹線の高架橋がいずれ建設されることと思われます。
走っていくのは、SL時代の残り火のような存在になっていた明知線の貨物列車を迎えに行くC12単行機関車列車。家から自転車で行ける距離でSLが見られるとはありがたいことでした。

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同日同区間で撮影したデビュー間もないころの381系電車


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1975年7月30日 坂川鉄道廃線跡巡り
坂川鉄道は中央西線の坂下駅近くにあった新坂下駅から出ていた軽便鉄道でした。しかしその廃線時期は早く、私はその現役時代を知りません。多少は知識がある父と、その友人の方の記憶などを頼りに、父と原付2台に分乗して探索に出かけました。たいした予備知識もないままでしたが、自動車が入れないような道にも入れて駐車スペースに困らない原付は探索には便利で、それらしい遺跡が見つかりました。
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あいにく、現在は道路の付替えや圃場整備事業で、廃線跡の痕跡が失われた区間も多く、撮影場所を正確に記録していないので、現在のどのあたりなのか特定できていません。

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2011年7月30日 中央西線 美乃坂本駅
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線路の向こう側にはリニア中央新幹線の岐阜県駅が高架で建設されることと思われます。時が止まることは決してなく、今この瞬間も過去へ過去へと遠ざかっていくことが身に沁みるようになりました。

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この記事へのコメント

  • やくも3号

    しなの7号様 こんばんは。
    SLと足の速い381系のエル特急とが同じレールの上を走っていたとは、いまとなってはすごいことですね。
    以前書かせていただいたかもしれませんが、井倉洞にあるお召し機D51 838号機を使って伯備線の備中高梁~新見間で復活運転をしてはどうかということが議会で俎上に上がったらしいですが、一時間ヘッドで追いかけてくるやくもからちゃんと逃げ切れるかどうかが問題になって、お流れになったと聞いています。
    2020年07月30日 18:06
  • まころん

    C12の単機回送のシーンに、癒されます。
    消えゆく蒸機と、新進気鋭の381系。両車の対比が、胸に迫ってきます。
    2020年07月30日 19:10
  • しなの7号

    やくも3号様 こんばんは。
    新旧の入れ替わる時期だったということでしょう。1970年代は、鉄道に限らず社会全体が今より移り変わりが著しかったようにも思います。
    言うのは簡単でも、SLを本線で走らせるにはかなり高いハードルをクリアしなければなりませんね。
    2020年07月30日 21:18
  • しなの7号

    まころん様
    中津川~恵那間では381系がデビューする前から、SL・DL・EL・PC・DC・ECと種類豊富な車種が走る区間でした。しかしSLはこの年10月に明知線仕業を失い、この区間から離脱することになります。
    2020年07月30日 21:18
  • ムーンライトなごや

    坂川鉄道廃線跡巡りの橋脚は地形的に見ると現在の夕森公園入口に有る車両の置かれた赤い橋の橋脚のようですね。
    今有る橋げたは簡易的な物ですが、実際の橋は3mほど上空に線路が敷かれていたようで立派なトラス橋が架かってのでしょうね。
    線路跡はここの東側(後方)に少し残ってます。町道化してる所も多いですが面影は各所に残ってますね。
    橋から先、夕森公園側には公園化で面影は有りませんが、公園奥のキャンプ場内に坂川鉄道から奥に延びていた坂下森林鉄道の線路跡がキャンプ場内の通路として連続Ωカーブを描いて現存してたりします。
    さらに奥まで行くと木橋が現数年前まで有ったのですが現在は落橋してしまいその姿は残っていません。しかしながら下部軌道の終点までの路盤はハイキングコースの一部として今でもトレース出来ます。
    2020年07月30日 22:44
  • しなの7号

    ムーンライトなごや様
    「夕森公園入口に有る車両の置かれた赤い橋の橋脚」とは、「【1125】あの年の4月26日《1974年・1997年》」にある画像
    https://shinano7gou.at.webry.info/upload/detail/019/886/82/N000/000/000/158512152752063577918-thumbnail2.jpg.html
    のことをおっしゃっておられると思います。その橋梁は川上川本流を横断しますので、かなり立派な構築物だったことが想像できますね。
    ところで、今回貼った橋脚の画像はそれではなく、もっと小規模な橋梁跡でした。。その後の実態確認をしていませんので、本文に書いたように場所の特定は難しいですが、おそらく「夕森公園入口に有る車両の置かれた赤い橋の橋脚」から直線距離で約2.5㎞南下した岐阜県道411号裏木曽公園線の猿沢橋がある地点ではないかと考えております。当時は今のような立派な道路はなくて、鉄道はその橋の下にS字状に屈曲する旧県道と沢を橋梁で乗り越えて奥屋方面に登っていったように思われます。
    20代のころは林道走りが好きだったのですが、夕森公園から先は林道が一般車通行禁止となっていた記憶で、夕森公園から先は行ったことがありません。連続Ωカーブというのは、本の写真で存在を知りましたが、現存しているのなら行ってみたいです。情報提供ありがとうございました。
    2020年07月31日 20:42