【1190】あの年の6月30日《1983年・2010年》

1983年6月30日 ついにこの日、飯田線の旧形国電が定期運用から引退しました。 以上、飯田線平井(信)付近 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年6月30日 この日はEF6627が稲沢に来ていることまでは把握していました。中央西線の運用に入らないか期待していましたところ、多治見貨物に運用されました。 父がこの4日前に入院し、私は月末の時期なのに会社は休みがちになっていたので仕事が山積でした。この日も病院に事務手続きなどに行く必要があって会社を休んでいましたが、誰もいない早朝に出勤し、とりあえずするべきことをして10時前に勝川を通過していくこの列車を見てから、すぐ病院に直行したというあわただしい日でした。 高架工事がほぼ終了したころで、地平に降りた地点に仮置きされた工事用フェンスの隙間から線路内をのぞくように公道上から撮影しています。

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【1189】あの年の6月29日《1996年》

1996年6月29日 日の出が早いこの時期でないと撮影できなさそうな列車を撮影したいと思い、夜明け前に自動車で家を出ました。 「ちくま」大阪行です。中央西線内での走行写真は非常に難しいです。新守山・大曽根間でまだ薄暗い中、どうにもならない絵になってしまいました。 このあと先回りして、東海道本線五条川(信)付近に場所を移します。 すっかり夜は明けて、名古屋で牽引機がEF65PFに変わった「ちくま」を再び出迎えます。 飼料ホキを連ねたDD51 このほかにもこの時期でないと撮影できない列車を撮影しましたが、今ではこの付近には建物が建ったりフェンスが張り巡らされて、立入りができなくなりました。 EF651065 不意打ちで白ホキを牽いてきました。

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【1188】あの年の6月28日《1983年・2008年》

1983年6月28日 連日の飯田線詣で。 七久保~伊那本郷 合の子クモハ53008です。 自分にしては飯田線の聖地みたいな千代~金野。 特別な旧国ファンでもなく、どちらかというと伊那の風景と旧国とのマッチングが気に入っていただけなので、運用を調べたりして特定の車種を狙うようなことはしていませんでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年6月28日 地元画像です。 土曜日でしたので、春日井駅へ行っています。 入ってきたのはEF65 1076でした。大宮三色更新機なのに異常に汚れて二色かと思ってしまいます。 とび色2号のワムハチがめっきり少なくなってきたころです。

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【1187】あの年の6月27日《1983年》

1983年6月27日 この年6月いっぱいで飯田線の旧形国電が定期運用から離脱することになっていたので、この日は一日中飯田線沿線をさまよっていたようです。 天竜峡で折返し留置中のクモハユニ64に惜別マークが付けられていました。この留置時間帯だけ付けられていたみたいで、このあと上片桐のカーブで撮影した同じ編成の列車に惜別マークはありませんでした。 飯田線では、当時珍しくもなかった165系急行などスルーしてしまうことが多かったのですが、この日は駅通過時の通票授受シーンを撮影していました。 165系電車に通票はミスマッチですね。低速運転で受け取りは素手で行っていました。車両側にタブレットキャッチャーなどがあれば高速で通過できるのに…などと考えるまでもなく、今でも飯田線では駅前後の分岐器通過速度が25㎞などという駅はいくらでもあり、「伊那路」でも超低速で通過する駅が実に多く、特急とは名ばかりです。

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【1186】あの年の6月26日《1973年・1988年》

1973年6月26日 この日、明知線でC12重連が牽くお座敷列車の団臨が走りました。しかしこの日は平日、しかも1往復(下りは回送)設定されたダイヤは定期列車運転前の早朝でした。つまり始発列車で撮影に出かけても間に合わず、下りの回送が恵那を出るのは4時前という悪条件なのでした。 そこに救いの手が差し伸べられました。やすたろう様のお母様が軽乗用車で明知線の阿木まで私どもを乗せていってくださるというのです。帰路は列車に乗れば学校の始業時刻には十分に間に合いますので、往路だけをお願いしました。 現地では、まず下りの回送列車を撮影しましたが、阿木付近に列車が来るのは4時台前半で、まともには撮影できませんでした。阿木~飯羽間  C1269+C12230の重連で、客車はオロ80系でした。 明知から折返して乗客を乗せてくる上り列車のC12は逆向きで、明知では2両の機関車の前後が入れ替わって、下り同様にC1269が先頭でした。阿木~東野(現在の阿木~飯沼) この列車を撮影したあとは阿木駅まで歩いて恵那行の始発列車に乗車。恵那駅でその列車から降りると、まだお座敷列車は停車中でしたが、この先名古屋方面に直通するため機関車はEF64に付け替えられていました。このあと中央西線の下り始発列車に乗り継いでそのまま登校しても早く着きすぎますので、いったん家に帰りました。 お座敷列車は2本ともラジカセで走行音を録音しましたが、早朝にもかかわらず撮影者は他に何人もいて、足音や声が入っていてまともには録れていませんで…

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【1185】あの年の6月25日《1982年・2009年》

1982年6月25日 この日は旧街道に残る石造道標の撮影に行きました。 場所は岐阜県瑞浪市内で中央西線の瑞浪~釜戸間にあたり、下街道と中街道との分岐点ということのようです。石造道標は旧道の交差点によくあるものですが、新道ができると顧みられることがなくなり放置されます。しかし徒歩交通時代の名残として私としては興味をそそられる遺物です。 そして旧街道の古い街並みには造り酒屋さんが似合います。「いとう鶴酒造」さんは中央西線(釜戸~武並)に沿った下街道旧道に面していて、列車の車窓からよく見え、煙突があるその風景はお気に入りで、列車の中からいつでも眺めるスポットでした。冬場の早朝に湯気が立ち上っている造り酒屋さんの風景は大好きですが、現在「いとう鶴酒造」さんは酒造をされていないようで、付近の酒屋さんで「いとう鶴」を見なくなって久しいです。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2009年6月25日 6月20日に続き、EF64-0番台の撮影をしています。この日もお手軽に高蔵寺前後で撮影しています。 広島更新色で人気があった67号機。一生涯稲沢(愛知)区に所属し、国鉄時代に仕事でも関わった機関車でした。 オーソドックスな大宮更新色の51号機+77号機 

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【1184】あの年の6月24日《1973年・1985年》

1973年6月24日 6月19日の記事に書いたように、望遠レンズを使いたくてしかたなかったので、また明知線に出かけています。   美乃坂本~恵那 中津川からは逆向き単行機関車列車として恵那まで中央西線を走っていきます。   山岡~明知(現在の山岡~野志) 急こう配を停まってしまいそうなゆっくりとした足取りで近づいてくるC12は、夏なのでまったく煙がなく絵になりませんが、ブラストはなかなかのものでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1985年6月24日 酒ラベル集めの一環で、長野県内に地酒の買い出しに行きました。 その日買った酒 このころは、道中で琺瑯看板を見つけると写真を撮るようにしていました。正確な場所を記録していないのが大きな手落ちですが、2枚とも長野県辰野町小野地内だったと思います。 アースの水原弘と由美かおる、金鳥の琺瑯看板はあちこちにありました。

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【1183】あの年の6月23日《1974年・2011年》

1974年6月23日 暗いうちから家を出て原付に乗って武並まで来ました。上り「きそ5号」の寝台車を撮影するためでしたが、通過時刻は4時35分ごろですから、非常に無理がありました。しかし日の出が早い時期だからこそ、わざわざTRI-Xを調達して何とか地元を走る寝台車の撮影をしようと意気込んでいたのも確かです。前にもアップした画像ですのでご容赦ください。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2011年6月23日  フレックスタイムでしたので、その出勤途中の撮影です。 春日井の王子製紙専用線の入換動車です。手前の線路は中央西線の本線。 そのあと少し名古屋方へ移動してEF66が牽く多治見貨物を撮影。遊ぶだけ遊んで、このあと出勤です。

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【1182】あの年の6月22日《1988年・1996年》

1988年6月22日 中央東線(辰野線)でC56 160が牽く臨時列車「SLほたる号」が運行されることになり、この日、試運転が行われました。 最初の1往復は客車なしでDE10をお供につけて。 次の1往復は客車3両を牽引していますが、煙はサッパリです。最後部の客車には大勢の人が乗っているようですが報道関係者? ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1996年6月22日 稲沢に行っています。手前のEF65には一休車の札があります。EF64は黒ゴム。国鉄が分割民営化されて9年目で、そんなところにも少しずつ歴史が動いていることを感じます。 DD51重連は、つい最近までは当たり前の風景でした。 この2枚以外に撮影していないようなので、何をしに行ったのか不明。この時期は、よく子連れで買い物ついでに東海道本線の列車を見に行っていたので、そのとき撮影した画像のようです。

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【1181】あの年の6月21日《1973年》

1973年6月21日 中央西線と篠ノ井線の電化工事が完成し、381系しなの号がデビューする7月10日のダイヤ改正を控えた中津川の様子を撮影していました。下校途中に立ち寄ったものか、いったん家に帰ってからカメラを持ちだしてきたものか、記憶にありません。撮影したネガを順に見ると、途中でかなり強い雨が降ってきたにもかかわらず、日没が遅いこの時期、日が暮れて撮影が難しくなるまで徘徊していたようです。そのうちから4枚をピックアップします。 すでにD51は役目を終えており、検修庫沿いに留置されていました。 検修庫内には中津川駅の入換用C12の後継となるDD16の姿があり、スタンバイしていました。 本線には165系4両編成の試運転列車が運転されていました。 給炭設備のあたりには、まだ入換用として稼働していたC12、そのとなりにDD51。 そしてその隣にはD51・DD51から代わった主役EF64夕立があり、地面が濡れ、照明灯が点灯しています。

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【1180】あの年の6月20日《2009年》

2009年6月20日 近場ということで中央西線の定光寺~高蔵寺間に出没しています。 すでに高崎から愛知区へEF64 1000の第一陣4両が転入し、0番台の引退は時間の問題となっていたころでした。国鉄色で残った0番台34・33のコンビでした。特に次位の白ゴム33号機は一番人気でした。しかしこの2両が中央東線から中央西線に活躍の場を変えたのは国鉄末期の61.11ダイヤ改正からでしたので、私の仕事上での接点はありませんでした。 JR貨物更新色の47号機ですが、こちらは国鉄時代には篠ノ井機関区に所属しており、国鉄時代の中央西線には縁が深い機関車で、私が乗務した貨物列車を牽いてもらったことがありました。中央西線の旅客列車がすでにJR世代に代替わりしていた中でEF64 0番台の引退は、国鉄から中央西線でずっと残されてきた車両がなくなってしまうことも意味していました。

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【1179】あの年の6月19日《1973年》

1973年6月19日  明知線の阿木へ出かけました。 中央西線のD51が引退した直後でしたが、中津川機関区のC12は、中津川駅構内入換用と明知線貨物列車用として2両が常時稼働していました。この日は初めて使う望遠レンズの試用が目的でした。135㎜ではありましたが、カメラに付属していた50㎜しか使ったことがない私には感動的なレンズに思えました。父でさえ望遠レンズどころか一眼レフを持っていない(そのかわり8㎜カメラでズームレンズを使用)くらいでした。当時の田舎住まいの高校生にはそれは贅沢なものだと自覚はしていました。列車本数が少ないので練習にはなりませんでしたが、遠い日の充実した1日がほほえましく思えてきます。

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【1178】あの年の6月18日《2005年》

2005年6月18日 昨日書いた「中山道徒歩の旅」の前身にあたる「中山道宿駅巡り」第二回目の2日目は、宿泊先の高崎から坂本宿の最寄り駅である横川駅まで列車移動したのち坂本宿まで徒歩で往復しました。その後には「碓氷峠鉄道文化むら」にも立ち寄りました。6月14日の記事で書いた最後の碓氷峠の列車乗車から8年ぶりとなるこの日はトロッコ列車に乗車してみました。信越本線時代の面影がしっかり残っていることに感動します。以前もこのトロッコ列車のことは【999】銀河鉄道999と碓氷峠鉄道文化むらで書きましたが、現在このトロッコ列車は丸山変電所前にある「まるやま」には停車しないそうですのでご注意ください。このあとバスで軽井沢へ出て、レンタサイクルで軽井沢宿・沓掛宿・追分宿を訪問しました。

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【1177】あの年の6月17日《1972年・2005年》

1972年6月17日  2泊3日の修学旅行最終日でした。行先は箱根と東京で、この日予定どおり行程を消化して、ずいぶん早く品川駅の団体待合室に着いて、待たされた後、159系「こまどり」に乗車して帰りました。単独行動はできなかったので、ホームで「こまどり」の先頭部の撮影などはできませんでした。2日前に往路で乗車したときに入線する編成先頭部には「こまどり」のヘッドマークがなかったですから、帰路の編成にもなかったのだろうと思います。そういうわけでそのときの159系の画像は撮影できていません。その列車内から、並走していた京浜東北線の103系の写真を1枚だけ撮影していました。昔の通勤列車は換気対策十分でした。まだ中京圏に103系は走っていませんでしたし、田舎者には列車の並走シーンなどめったに見られることではなかったので撮影したのでしょう。フィルムは自前ではなく、グループに1人指定された写真係として学校から支給されたものでしたから、勝手に鉄道写真を撮影することができない中の1枚です。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2005年6月17日  5月28日に書いた「中山道徒歩の旅」の前身にあたる「中山道宿駅巡り」の第二回目に出かけました。この日は倉賀野宿・高崎宿・板鼻宿・安中宿・松井田宿を訪問しました。安中宿から松井田宿までは列車で移動しました。列車待ちの安中駅では濃硫酸専用タンク車が停車中 この日の宿は高崎市内に取りました。

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【1176】あの年の6月16日《1974年》

1974年6月16日 6月8日に続いて、また木曽福島と上松に来ています。 こうして通うわけは、蒸気機関車が身近にいなくなった反動というより、それまで中央西線で見られるのがD51とC12ばかりだったのに、新たにC56が見られるようになったことへの興味のほうが大きかったと思います。そもそも私はC12とC56は以前から好きでしたが、C12は身近にあったのでいいとしても、C56のほうはそうでもなく、小海線には最後に行く機会があったのに、わけがあって直前に行けなくなり、一度も行けずじまいになってしまったという悔しい思いもありました。そしてこの124号機は七尾線時代に見たことがあり、思いがけず自宅から楽に日帰りできる場所で再会できるようになったということもありました。

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【1175】あの年の6月15日《1997年》

1997年6月15日  昨日の続きで、一泊で長野県内を中心とする保存車両巡りの2日目 佐久市内でC56 101と、旧佐久鉄道キホハニ56 旧別府鉄道キハ3の里帰り。 そのあと坂城でD51 245(画像省略) 屋代でD51 1001この機関車については、以前「【1001】「千」がつく日本酒ラベルコレクション / 1001回なのでD51 1001について」で書きましたが、解体され現存しません。 麻績のD51 769は再塗装作業の途中 伊那のD51 209は2月8日の記事で書いたのですが、この4か月前の2月に出かけた折には防雪用にカバーが掛けられて見られなかった機関車でした。

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【1174】あの年の6月14日《1997年・2008年》

1997年6月14日  この年の秋に信越本線の横川~軽井沢間が廃止されました。そこで、最後の乗車をすることと、長野県内とその周辺の保存車両巡りをすることを目的に、一泊の行程で出かけました。 子連れでもあり、効率を重視して自動車で出かけています。 清里 C56 149  現在の保存場所は駅前ですが、当時は清泉寮付近で荒れ果て、悲惨な状態で放置されていました。 そのあと、画像は省略しますが、野辺山のC56 96、軽井沢のED42 2と巡り、碓氷峠旧線跡の見学をしながら横川まで下ってED42 1を撮影しました この日の最大の目的は、横川~軽井沢間でEF63が後押しする列車に乗車することでした。最後に御代田でD51 787を見てからこの日の予定を終了。この日の宿は佐久市内のビジネスホテルでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年6月14日 青空フリーパスを使って、日帰りで三重県方面のJR線に乗るだけの目的で出かけました。 まずは名松線で伊勢奥津まで1往復して、そのあと紀勢本線を南下。 青空フリーパスの有効区間は紀伊長島までなので、ここで下車しました。 紀伊長島駅 駅周辺の「社会探訪」(駅周辺の街歩き)をして、折り返し紀勢本線を多気まで戻り、参宮線にも乗ってきました。 鳥羽駅 ロングシートの普通列車が主体になった今では、こういう旅程で出かけたいとはあまり思わなくなりました。

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【1173】あの年の6月13日《2011年》

梅雨の時期、さすがにこの時期に出かけることは少ないので、アップできる画像は限られてきます。 この日はどこかへ行った記録が見当たりませんので、9年前の「昼休みの春日井貨物」の画像を。 2011年6月13日 春日井~勝川 このころには、このようなEF65PFの2色更新色が現れる確率がいちばん高かったのですが、日によってPFの色違いとか他形式のELが運用されることもあって、それが昼休みのお楽しみでした。 まだJRFのPFが1000番台だったころで、+1000=2000番台への改番が始まったのは、この翌年でした。

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【1172】あの年の6月12日《2007年》

2007年6月12日 このころ、名古屋臨海高速鉄道あおなみ線の車両が朝の通勤時中央西線を神領車両区に向けて回送されているのを時折見かけましたので、いつか出会えたらと思って気に留めていたところ、この日大曽根に停車しているところに遭遇しました。 383系「しなの1号」とのツーショット その「しなの1号」のあとを神領に向けて発車していきました。(後方から撮影)

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【1171】あの年の6月11日《1994年・2010年》

1994年6月11日 昨日書いた車掌区時代の先輩2人と私の計3人で行く温泉旅の2日目です。 宿泊したのは奈良県にある入之波温泉でした。 ダム湖に面した急傾斜地に張り付くようにある旅館で、秘湯感が溢れます。帰りにダムの反対側から泊った旅館のほうを眺めた画像です。橋の下の方に木々に覆われた旅館があるのですが、そう言ってもわからないような立地です。 あれから26年経ちましたが、この旅館は今も営業されているようで、ホームページもあります。 そもそも「車掌区時代の先輩2人と私の計3人で行く温泉旅」は秘湯巡りからスタートしています。今は日帰り温泉旅orただの飲み会に変わっていますが、最低年1回は継続中です。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年6月11日 いつもの春日井貨物です。どうという特徴もない1069号機がワムハチを牽いてきました。10年前の日常です。 何の変哲もない日常が続くことこそが幸せというものであって、何の変哲もない日常と思えることは、実は奇跡の連続とWith a Little Help from My Friendsとで成り立っていることに気付くまで、どれだけかかったことかと…みなさんに感謝です。

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【1170】あの年の6月10日《1994年》

車掌区時代の先輩2人と私の計3人で行く温泉旅が1994年6月10~11日にあり、奈良県方面に向かいました。 行先は奈良県にある入之波(しおのは)温泉でした。 その往路では、近江鉄道と信楽高原鐡道の列車を撮影 そのまま信楽高原鐡道沿いにクルマを進め、ここに立ち寄りました。 信楽高原鐵道列車衝突事故現場近くに建立された慰霊碑です。事故が起きたのはこの3年前でした。事故についての詳細はここでは省きますが、本当にいろいろ考えさせられた事故でした。

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【1169】あの年の6月9日《1990年・2010年》

先週も書いたように、こういう行楽シーズンでもなく臨時列車も少ない時期は、乗務員は休みが取りやすいので、乗務員の親睦会が行われることがよくありました。 1990年6月9日 この日から一泊で列車掛の同期会が岐阜市内にあったJRの保養所で行われました。私はすでに鉄道員ではありませんでしたが、JRに採用された者が多いという関係と、土日曜が休みの転職者の都合も配慮した結果、6月の土曜日であるこの日が設定されたのだと想像します。 同期生は20代前半の時期に4か月半にわたって全寮制の学園生活を共にしてきただけに、結びつきは強かったはずでしたが、それから10年以上経過したというだけではなく、その間に国鉄分割民営化を経験して3年経っていましたから、25人の同期生の進路や立場はバラバラになってしまい、この日の同期会に参加した人数は多くありませんでした。同じ鉄道会社に採用された者どうしであっても、立場上互いに顔を合わせたくないことがあろうことは、鉄道会社とは関係のなくなった私にも容易に理解できました。こういう同期会などは共済組合の保養所を利用することが多かったものです。全国各地にこうした施設がありました。 「【862】変なコレクション9:国鉄保養所のマッチ箱など」で宿泊した施設について書いています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年6月9日 春日井~勝川 朝のホームライナー太多出勤途中にフェンスの切れ間がある地蔵川で無理やりの撮影です。 …

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【1168】あの年の6月8日《1974年》

中央西線が全線電化されたあとも木曽福島機関区には、木曽福島駅と隣の上松駅の入換用として蒸気機関車が配置されていました。 1974年6月8日 木曽福島を訪れています。中央西線からD51が引退して約1年が過ぎていました。 扇形庫には保存を控えた機関車が背を向けて眠っていました。 この日はC56124が稼働していました。とは言っても、もうこのころの稼働機はこの1両のみになってしまっていたようです。七尾から来た機関車でした。どうでもいいことですが、四角い区名札差しに「木」の字が入っていると「困」と読めてしまい、余命わずかで困っている感じだなあといつも思っていました。 入換作業が終わると水を飲みカマガエをして、早々と扇形庫に入って睡眠時間に入りました。 定年後にちょっと軽めのバイトをしながら年金暮らしをしている人みたいだなあと今になって思ってみたりします。

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【1167】あの年の6月7日《1997年・2003年》

1997年6月7日 この日は、子連れで保存機関車巡りで名古屋市内に行っています。 今はリニア鉄道館に保存されているC62 17当時は東山動植物園内の入園者の目に触れにくい、かなり奥の方に保存されていました。 そしてこちらも、今はリニア鉄道館に保存されているC57 139当時は名古屋市千種区にあったJR東海社員研修センターに保存されていました。現地は国鉄時代には中部鉄道学園という教育施設で、私は4か月半の全寮制研修所生活をしたことがありました。C57 139の保存場所は道路に沿ったところで、国鉄時代には自由に入れるようになっていたと記憶するのですが、フェンスにある扉は施錠され、木々もあって写真が撮りにくかったので、玄関にいた警備員氏に写真が撮りたいと申し出ました。こちらは子連れなので、昔なら「どうぞどうぞ」となったでしょうし、場合によっては「運転室にも乗るか?」カギを開けてあげようなどとなることも考えられるところでしたが、もうこの時代には「立ち入りはできません」という事務的な返事でしたので、敷地外から無理やり撮影しました。 国鉄が分割民営化されてちょうど10年が経っており、一般常識は確実に変わりつつありました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ そのように冷たい時代になった代わりに、JR東海は国鉄時代の鉄道車両を見学できる保存施設として、飯田線中部天竜駅構内に「佐久間レールパーク」をオープンさせていました。そこには幾度か出かけましたが、…

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【1166】あの年の6月6日《1987年・1992年・2009年》

1987年6月6日~7日に、篠ノ井線にEF55が臨時運転されたので撮影に出かけています。そのことは【802】撮り鉄12か月…1987年6月「篠ノ井線のEF55」で、書きましたので、今日と明日の記事からは省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1992年6月6日、家族で大阪へ行っています。 この日は子連れで海遊館と交通科学博物館を見学して、この乗車券を使って日帰りしています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2009年6月6日 1992年6月6日に海遊館と交通科学博物館へいっしょに行った子は、それから17年後には成人になっていました。その子が金券ショップで買った近鉄の切符が2枚余ったというので、その切符を使って家内と2人で淡路島まで日帰りしてきたのが同じ6月6日でした。 往路は鶴橋からJR線に乗り換え、明石から「たこフェリー」でした。 帰路は大阪まで高速バス バスから降ろされた場所が大阪駅のどのあたりなのかさっぱりわからず、迷子になりかけながらたどりついたJR大阪駅では、スカートが切り裂かれてみじめな姿ながらも、国鉄色の485系に出会いました。 このあと新大阪から東海道新幹線で帰ってきました。

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【1165】あの年の6月5日《2004年》

2004年6月5日 昨日書いた南東北方面への一泊乗り鉄2日目です。 以前【803】乗り鉄12か月…2004年6月「みなみ東北乗り歩き」で書いたので、旅の詳細はそちらをご覧いただくことにして、昨日に引き続き当日の未公開画像をアップしておきます。 この日は山形鉄道全線に乗車 そのあとは米坂線を通って新潟へ出ました。 直江津までは485系の快速「くびき野」に乗車 長野経由で帰っています。 国鉄分割民営化後17年経っていました。この時点で国鉄から引き継がれた車両たちのほとんどは車齢20年以上を越え、姿かたちを変えていましたが、それらを乗り継いで旅ができたころでした。

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【1164】あの年の6月4日《2004年》

2004年6月4日 この日、南東北方面へ一泊で出かけています。以前、【803】乗り鉄12か月…2004年6月「みなみ東北乗り歩き」でこの旅について書いていますが、今回はこの日の行程に沿って、未公開画像をアップしておきます。 その日の往路に福島まで乗ったE4系 福島から阿武隈急行線に初乗りし、槻木から東北本線に乗り換え、移動中の小牛田駅の様子。キハ58系もこのころには健在だったようです。 石越で下車し、くりはら田園鉄道を乗り鉄 細倉マインパーク前で折返し、中間駅である沢辺からバスで「くりこま高原」駅に出て、東北新幹線に乗り換え。 くりこま高原から乗ったE4系の1階から見たプラットホームです。 このあと、仙台で仙山線に乗りかえて山形で泊まっています。

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【1163】あの年の6月3日《1973年》

1973年6月3日 先月はD51最末期1973年の中央西線の画像を連日アップしたのですが、もうこのころD51を本線上で見ることはなくなり、代わって電車の試運転などが行われていました。その年7月10日のダイヤ改正でデビューする381系特急電車の試運転列車です。まだ営業編成(9両)でなく暫定の6両編成で走っています。運転室窓から電気ケーブルが出ているのが見えます。 そして、中央西線全線電化に伴い、D51だけでなくDD51も中央西線から姿を消すことになりますので、カメラを向けました。大阪行の季節急行「ちくま1号」です。 ◆今回の画像は2枚とも中津川~美乃坂本で撮影

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【1162】あの年の6月2日《1983年・1996年》

1983年6月2日  行楽シーズンでもなく、臨時列車も少ないこの時期は、乗務員は休みが取りやすいもので、車掌区の親睦旅行はこういう時期に行われることがふつうでした。1983年には、私が所属していた車掌区内で組織された、ある親睦会の旅行が6月1~2日にあり、その行先は静岡県の寸又峡温泉でした。その2日目(6月2日)は、寸又峡からバスで奥泉に出たあと、大井川鉄道井川線に乗って終点井川に出て、そこからバスに乗り継いで静岡に出て新幹線で帰るというルートでした。 途中で行き違った対向列車です。井川線の車両が小さいので1067㎜の軌間が、やけに広く見えます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1996年6月2日 これより少し前に、尾張旭市内をクルマで仕事で外回りしていたところ、偶然にもコキフ50000の車掌室ユニットを見つけました。そういうことは気になるので日曜日だったこの日、プライベートで自分のクルマで現地へ行きました。 (失礼なことに、バックに撮影目的としていない他人様の家がもろに入ってしまいましたので、モザイク処理をしました。死ねと言われても困るので???)発見場所は資材置き場みたいなところで、現場事務所として使われているようにお見受けしましたが、現地には、のちに住宅が建ってしまったようで、その後この車掌室ユニットは行方不明になりました。 このあと、名鉄瀬戸線の車両基地があった喜多山に立ち寄りました。すでに瀬戸線では貨物輸送が行われていません…

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【1161】あの年の6月1日《2006年》

2006年6月1日  中山道徒歩の旅で、5月14日の続きとして関ケ原宿から鳥居本宿までを歩きました。 車窓が気になる人であることは以前から書いていますが、昔から東海道新幹線に乗っていると、東海道在来線(関ケ原~柏原)の下をアンダークロスするあたりで、下り列車だと進行右側の車窓から一瞬見える民家の茅葺屋根が気になっていました。この日は、その家の屋根をすぐ際に眺めながら歩いて通過しました。(現在、その茅葺屋根の民家はないようです。) 画面左が東海道新幹線の線路で、中央付近でその上を跨いでいるのが東海道在来線の橋梁です。 道中、番場宿にあった石の道標。指さす方向は米原駅方面で「汽車汽船道」と読めます。こういうものが時代を越えて残っていることにいたく感動します。 この日、鳥居本宿まで予定どおりに歩き通して、鳥居本駅から近江鉄道に乗車して帰路につきました。

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