【1221】あの年の7月31日《1982年・2005年・2010年》

1982年7月31日  国鉄時代は撮り鉄中心だった私にしては珍しく、1982年7月30日~31日には北陸・信越方面へ乗り鉄に出かけています。そのことは、【811】乗り鉄12か月…1982年7月 北陸・信越で書いていますので、ここでは省略とします。 この旅で7月31日は3食とも駅弁で過ごしたようで、 朝食=上野駅 生姜焼弁当 昼食=小淵沢駅 編笠釜めし 夕食=塩尻駅 とり釜めし の掛け紙が残っています。 (朝食と昼食の弁当掛け紙の画像は、上記【811】の記事内に掲載しています。) 2食連続で釜飯ですが、手ごろな幕の内弁当がなかったからでしょうか? まったく覚えていませんが、釜飯は箱でなく薄紙の掛紙でしたから、掛紙の保存には適していることを考慮した結果でもあると思われます。容器は保存していません。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2005年7月31日 愛知環状鉄道 瀬戸口駅「愛・地球博」開催期間中でした。この日は夏休み中の日曜日ということで、観客輸送用の「快速エキスポシャトル」が増発され113系電車で運転されました。 「愛・地球博」開催期間中に毎日運転されていた「快速エキスポシャトル」と「エキスポシャトル」は211系が使用されていました。この画像は、同じ7月31日に、瀬戸市駅で撮影しています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年7月31日  中央西線恵那駅で乗…

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【1220】あの年の7月30日《1973年・1975年・2011年》

1973年7月30日  中央西線 美乃坂本~恵那この線路の手前にはリニア中央新幹線の高架橋がいずれ建設されることと思われます。 走っていくのは、SL時代の残り火のような存在になっていた明知線の貨物列車を迎えに行くC12単行機関車列車。家から自転車で行ける距離でSLが見られるとはありがたいことでした。 同日同区間で撮影したデビュー間もないころの381系電車 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1975年7月30日 坂川鉄道廃線跡巡り 坂川鉄道は中央西線の坂下駅近くにあった新坂下駅から出ていた軽便鉄道でした。しかしその廃線時期は早く、私はその現役時代を知りません。多少は知識がある父と、その友人の方の記憶などを頼りに、父と原付2台に分乗して探索に出かけました。たいした予備知識もないままでしたが、自動車が入れないような道にも入れて駐車スペースに困らない原付は探索には便利で、それらしい遺跡が見つかりました。あいにく、現在は道路の付替えや圃場整備事業で、廃線跡の痕跡が失われた区間も多く、撮影場所を正確に記録していないので、現在のどのあたりなのか特定できていません。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2011年7月30日 中央西線 美乃坂本駅 線路の向こう側にはリニア中央新幹線の岐阜県駅が高架で建設されることと思われます。時が止まることは決してなく、今この瞬間も過去へ過去へと遠ざかっていくこと…

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【1219】あの年の7月29日《1974年・1985年・1995年・1999年》

1974年7月29日 昨日に続いて、高校生の夏休みに一泊でローカル鉄道の写真撮影に出かけたときの2日目です。行程その他詳細は、【810】撮り鉄12か月…1974年7月「越後交通栃尾線・銚子電鉄」に書いたので省略しますが、その記事の中でアップしていない画像を・・・ 銚子から仲ノ町に向かう列車です。海水浴シーズンで書き入れ時のようです。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1985年7月29日 国鉄稲沢機関区で公開イベントがありました。稲沢機関区は稲沢第一・第二の両機関区を、この年の3月に統合して誕生した機関区で、現在のJR貨物愛知機関区とは別の位置にあり、現在は影も形もありません。このイベントでユーロライナー塗装になったEF64 66がお披露目されました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1995年7月29日夏休みの定番イベントとして松屋銀座で開催される鉄道模型ショウに行きました。模型店で模型を買ったら招待券がいただけたので、高い交通費を使って行ってみました。人ごみに辟易しながらも、新製品情報や掘り出し物は、当時インターネット環境がまだなかった私には有益でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1999年7月29日旧国鉄汐留駅跡地の様子です。今は高層ビル街になっていますが、20年以上前はこんな状態でした。ところで、なぜこの時期に東京の銀座近…

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【1218】あの年の7月28日《1974年・1975年・1996年》

1974年7月28日 高校の夏休み、一泊でローカル鉄道の写真撮影に出かけました。行程その他詳細は、【810】撮り鉄12か月…1974年7月「越後交通栃尾線・銚子電鉄」に書いたので省略しますが、その記事の中でアップしていない画像を・・・ 新潟色の70系電車(長岡) 181系電車による上り特急「とき7号」(長岡) 越後交通栃尾線の車両基地(下長岡) ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1975年7月28日 その翌年には、名古屋鉄道金山橋付近で名鉄の列車を何枚も撮影していますが、目的になるような変わった被写体は写っていないので、何の目的でここに来たのかわかりません。その合間に東海道本線のEH10が写っていました。この機関車にしても当時は別に珍しい存在でもありませんでした。5月28日の記事にも書いたこの場所は総合駅になる前の金山の様子で、画面右上に中央西線の金山駅があることがわかります。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1996年7月28日 JR貨物機関車撮影会が吹田機関区で行われましたので、うちの子だけでなく近所の子も引き連れて青春18きっぷを使用して出かけました。

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【1217】あの年の7月27日《1991年・1996年・2003年》

1991年7月27日 青春18きっぷを使った家族での日帰り旅。出かけた先は、大阪弁天町にあった交通科学博物館でした。  ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1996年7月27日 東海道本線五条川信号場付近夏場でないと撮影できない時間帯の列車を撮影するために、夜明け前に家を出て東海道本線五条川信号場付近へ行きました。現在はフェンスが造られてこういう写真は撮れなくなりましたが、当時は定番撮影スポットであったようで、このときも獣道のような踏み跡をたどっていくと、そこだけ草が踏み倒された撮影ポイントに自動的にたどりつけたことを覚えています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2003年7月27日 昨日に引き続き、関東地方に散在していた未乗の旧国鉄線やローカル私鉄乗り鉄旅の2日目 ◆以下の車両画像はすべて当日撮影 当日の行程は まず、取手~水海道・・・ 旧国鉄のキハ35だった車両を見るために、水海道駅から水海道車両基地まで徒歩で往復しました。 水海道~下館・・・ 真岡鐵道のSL列車が停車中でしたが、それには乗らず、その1本前の普通列車に乗りました。 下館~市塙~茂木(市塙ではSL列車撮影のため下車) 茂木~下館~小山~西大井~品川~大崎(折返し)~東京~(東海道新幹線)~名古屋 途中、小山から湘南新宿ラインの列車で西大井まで行っていますが、大崎~蛇窪ルートに荷物列車乗務…

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【1216】あの年の7月26日《1972年・2003年》

1972年7月26日  中学生の自由研究で、中央西線に「乗り鉄」しました。詳細は【903】1972年夏・自由研究で出かけたときの画像より (中央西線 第829列車)で記事化していますので省略します。 画像は当日塩尻駅(移転前)で見たDD51です。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2003年7月26日 この日から一泊で、関東地方に散在していた未乗の旧国鉄線やローカル私鉄に乗りに出かけました。 ◆以下の画像はすべて当日撮影 当日の行程は 名古屋~(東海道新幹線)~東京~千葉~大網~東金~成東~銚子~外川(折返し)~仲ノ町銚子電鉄仲ノ町駅 仲ノ町…(徒歩)…銚子~佐原(折返し)~鹿島神宮~新鉾田鹿島臨海鉄道新鉾田駅 新鉾田…(徒歩)…鉾田鹿島鉄道鉾田駅 鉾田~石岡~取手(泊) 鹿島鉄道乗車中、途中の常陸小川に留置してあったDD901 わかる人にしかわからないと思いますが、こういうのを見るとワクワクします。なんでも名古屋の笹島で使用されたこともあるそうな。 ◆この日初乗りした線区 ・東金線全線 ・成田線のうち香取~松岸 ・鹿島鉄道線全線

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【1215】あの年の7月25日《1992年》

家族で日帰りで海水浴に行きました。うちの子たちが幼児だったころの家族旅行には青春18きっぷを愛用していました。例によって人ごみは苦手なので、マイナーなところへマイナーな列車で、ということで、臨時快速「あたしか」に乗って紀勢本線新鹿駅に近い新鹿海水浴場へ行きました。キハ65の5000番台は時速110㎞対応のリクライニングシート車で、本来は快速「みえ」用の車両。「国鉄コンテナ」の文字が残る廃コンテナも懐かしい。。。場所は特急を先に通すために長時間停車した三瀬谷駅だったと思います。 予想どおり海水浴場も列車も空いていて、帰路、疲れた子供たちは、2人分のシートを独占して眠らせて快適な往復でした。今では名古屋からはそういう列車がなくなってしまい鉄道旅の良さが半減しています。

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【1214】あの年の7月24日《1979年・1983年・1994年・2008年》

1979年7月24日 中央西線 新守山~勝川 このころ私は名古屋市千種区内にあった中部鉄道学園に入学中でした。全寮制でしたので、この日は講義終了後、夕食時間までの自由時間に、寮に常備してあった自転車で庄内川の堤防へ出かけました。上の画像はクモニ83を先頭にした80系快速列車。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1983年7月24日 東海道本線 尾張一宮~稲沢以前にもアップした上りリバイバル「平和」です。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1994年7月24日 名古屋駅 これも前に書いたことですが、名古屋駅から貨物線を使ってナゴヤ球場のナイトゲーム観客輸送を行っていた臨時列車です。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年7月24日 東海道本線 笠寺JR東海管内にJR西日本の583系電車による団臨が日中に入線しました。画像はその折り返しの回送列車です。

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【1213】あの年の7月23日《1979年・2005年》

1979年7月23日 高山本線 鷲原(信)~下油井キユニ28が高山本線らしさを演出しているなと思います。 以下2枚:同日 高山本線 鷲原(信)~白川口特急「北アルプス」・DD51が牽く貨物列車 貨物列車の編成を眺めてみると、セメントタキ・チップ積トラ・石油類タキで、専用列車化が進行していたように見受けられます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2005年7月23日 昨日2006年に行った「中山道徒歩の旅」(愛知川宿から武佐宿)のことを書きましたが、その前年の2005年の夏には、青春18きっぷを使って、「中山道宿駅巡り」のため信州へ4回出かけていました。毎回中央西線の下り一番の普通列車で出かけ、塩尻で篠ノ井線の列車に乗り換えました。その待ち合わせ時間には、いつも南松本から辰野へ向かう貨物列車が通過していきました。 2005年7月23日の行程は、篠ノ井から「しなの鉄道」(青春18きっぷが使えないので、別途乗車券を購入)経由で小諸、そこから小海線に乗り換え、岩村田駅で下車。岩村田宿から八幡宿の先までを徒歩で歩きました。。帰路はバスで小諸に戻り、また篠ノ井まではしなの鉄道線を利用しました。長野県内の中山道は鉄道が並行していないところが多いのと、鉄道が並行していても列車本数が少なく、歩いた方が早いことが多々ありました。そんなこともあって、この2005年秋からは、宿場間を公共交通機関でつなぐ「中山道宿駅巡り」から、中山道全区間を徒歩で結ぶ「中山…

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【1212】あの年の7月22日《1979年・1990年・2006年》

1979年7月22日 恵那~武並80系電車です。先頭のクハ85はそっけない顔ですが、画像でも側窓が下降式なのが確認でき、サロ85・300番台の改造車であることがわかります。旧1等車の気分を味わえる内装が魅力的な車両でした。 恵那~武並間は「槇ヶ根越え」という急勾配区間であり、複線化されるときに新設された現下り線の大部分が在来線(現上り線)から離れて敷設されているので、単線区間のようにも見えます。画像は上り線です。 同じ日、美乃坂本~中津川 明知線から中央西線中津川へ直通する普通気動車列車です。当時のこの列車はキハ20単独運用とキハ52の2両運用を連結した3両編成が所定編成だったのですが、前日からキハ20の運用がキハ52+キハ20の2両運用に変更されたために4両編成になりました。明知線内で団体輸送やイベントのため多客が見込まれる場合に、このように4両編成が出現することが稀にありました。この編成では一般色の車両がキハ20で、首都圏色の車両3両がキハ52です。 美乃坂本~中津川間でも、複線化されるときに新設された現下り線が一部在来線(現上り線)から離れて敷設されています。画像は下り線です。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1990年7月22日 JR東海 神領電車区夏のイベントで神領電車区が公開されていました。この日は幼児を連れての訪問でしたので、たいして写真撮影をしていません。 国鉄分割民営化から4度目の夏でした。 ゚*:。+◆+…

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【1211】あの年の7月21日《1973年・1993年・1998年》

1973年7月21日 中央西線恵那駅中央西線が全線電化された後ですが、恵那から分岐する明知線にはC12が牽く貨物列車が1日1往復残っていました。画像は左から、貨物列車を組成するために入換作業一休み中のC12と、通過する381系上り特急「しなの1号」、それを待避中の165系上り急行「きそ1号」 そしてこのあと、明知線内でC12を撮影するために、気動車列車に乗って山岡へ行っています。(その画像は省略) ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1993年7月21日 中央東線(辰野線)小野~塩尻昨日も書いた「信州博アルピー号」の試運転列車です。辰野でD51の方向転換ができないので、下りはEF64が牽引し、D51が最後部にぶら下がっています。SL列車もいいですが、客車列車が少なくなったこのころになると12系を牽引するEF64が決して脇役でなく主役に思えるのでした。 実家を宿にして青春18きっぷで20日に続いて出かけています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1998年7月21日 そして、これもまた連日書いてきた3泊4日の北海道乗り鉄旅最終日。 行程は、 旭川~(快速 狩勝)~富良野~滝川~(特急ライラック10号)~岩見沢=三笠ターミナル=鉄道記念館前=旧三笠駅=三笠ターミナル=岩見沢~苫小牧~(特急北斗11号)~南千歳~新千歳空港―(空路)―名古屋 旧三笠駅構内に保存してあるキハ80系ですが、編成…

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【1210】あの年の7月20日《1986年・1993年・1998年・2003年》

1986年7月20日 美乃坂本~中津川 急行「たてしな」 前にも貼った画像ですが、名古屋発小淵沢行169系急行「たてしな」が走ったのが、国鉄最後の夏1986年の7月19・20日でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1993年7月20日塩尻~小野「信州博アルピー号」(試運転) この年の夏に開催された信州博覧会に合わせて松本・辰野間にD51 498の牽引で運転されたのが「信州博アルピー号」で、この日はその試運転でした。   ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1998年7月20日 昨日の続きで、3泊4日の北海道乗り鉄旅の3日目 この日の行程は、 釧路~(釧路湿原ノロッコ2号)~釧路湿原~(釧路湿原ノロッコ1号)~東釧路~(快速しれとこ)~網走~(オホーツク6号)~旭川(泊) この日に初乗りした区間は、かつてタクシー移動したために乗り残していた釧網本線の北浜・網走間わずか11.5㎞だけでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2003年7月20日 JR貨物の篠ノ井総合鉄道部開設30周年を記念したイベントが開催されました。EF64 4は中央西線中津川電化時から馴染みの機関車。 EF64 1015は現在の中央西線でも見かける愛知機関区の現役機関車ですが、この当時はEF65を思わせる3色更新色でした。この塗装はEF64 1000…

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【1209】あの年の7月19日《1982年・1986年・1998年》

1982年7月19日 この日は岐阜県地方にある旧街道の石道標を探しながら、加子母村~蛭川村~八百津町をクルマで巡っていました。 (加子母村と蛭川村は、のちに中津川市に合併)加子母村万賀で撮影 右 白川街道 志らかわ やをつ 左 南北街道 つけち さか志た とあり、明治年間のものらしいです。 「志らかわ」は高山線の白川口駅が最寄 「やをつ」は名鉄旧八百津線の終点 「つけち」は旧北恵那鉄道の終点だった下付知が最寄 「さか志た」は中央西線の坂下 八百津は木曽川舟運の拠点でした。徒歩交通時代の物や人の流れがわかる遺物ですが、鉄道が開業・延長されるたびに、その流れは変わっていったのでしょう。その鉄道も道路網の発達によって地方では廃れてゆき、常識はいつも変わっていきつつあると感じます。こういうものに出会うと、廃駅跡を発見したのと似た何かが心の中で湧いてきます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1986年7月19日 国鉄の専務車掌時代で、この日は早い勤務明けでした。地酒のラベル収集をしていましたので、家に帰る前に名古屋市中川区内へ酒を買いに出かけました。この日買った酒のラベルです。流通量が少なく地元でしか入手できない酒は、直接蔵元さんを訪ねて買ってくるのがいちばん確実です。よく間違われるのですが、私が入手すべき酒は製造量の少ない高級酒ではなく、地元で消費される一般酒です。鉄道で例えれば乗るべき対象はローカル列車なのであって、あっさり…

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【1208】あの年の7月18日《1998年》

1998年7月18日から3泊4日で2人で北海道へ出かけました。往路は鉄道利用で、初日7月18日の行程は、 東海道・東北新幹線~盛岡~(はつかり7号)~青森~(海峡9号)~函館~(北斗17号)~札幌(泊) 当時の「のぞみ」は300系、「やまびこ」は200系の時代でした。 この「はつかり」は485系電車。相方はスモーカー。 「海峡」は14系客車で、カーペット車もありましたが、私どもは普通車自由席でした。 「北斗」は183系気動車で、すでに新塗装になっていました。 名古屋を発ったのが7時05分で札幌着は20時50分。この間、乗り継ぎ時間は東京10分・盛岡10分・青森5分・函館31分と、ほぼ連絡はスムーズでしたが、13時間以上もかかっています。今だと鉄道利用でも10時間かからないと思います。 明日以降もこの続きの行程について書いてまいります。

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【1207】あの年の7月17日《2003年》

愛知環状鉄道にJR東海の「ドクター東海」が検測のために入線しました。2枚とも2003年7月17日 愛知環状鉄道 中水野駅 この駅で定期列車と行違うダイヤでした。まだ単線であることが画像からわかります。2年後には「愛・地球博」が開催されたので、それにあわせてこの駅の前後は複線化されます。 愛知環状鉄道には国鉄・JRから再就職された方が多数在籍されていました。この写真を撮って何日も経った後、その中の一人で、車掌区時代の先輩だった方に通勤の車内で偶然に出会い、「このまえ中水野で検測車の写真撮っていただろう」と言われました。その方は当時愛知環状鉄道の現場の管理者をされており、当日このドクター東海に添乗されていたとのことでした。そう言われてみれば、上の画像の助士席側に誰かいますので、その人かもしれません。 このころ愛知環状鉄道のオフィシャルサイトでは、こうした非営業列車の時刻を掲載したり、列車ダイヤ作成ソフトなどを販売したりと、鉄ヲタにやさしい鉄道会社だった印象です。

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【1206】あの年の7月16日《2007年・2008年》

2007年7月16日 旧街道や古い商店街を歩くのが好きなほうなので、この日名古屋市内の大曽根駅から名古屋駅まで歩いてみました。そのとき北区内で見掛けたものを・・・ 名古屋市電2000形の先頭部がありました。建物と一体化していますが、ホンモノのようで、すばらしい保存方法だと思います。 これは、自動車と建物が一体化しているわけではなさそうで、車庫なのだと思われますが、近年よくある「アクセルとブレーキを踏み間違えて突っ込んだ」ように見えなくもない図です。 おもしろい屋号のお店です。 すべて2007年7月16日の撮影ですので、これらの現況は確認しておりません。 <所有者及び関係者の方へ> どの物件も、あまりに感動して、お声がけもせずに撮影してしまいました。申し訳ございません。もし不都合がございましたら削除します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年7月16日 中央西線 春日井駅 王子製紙の入換動車が貨車を牽いて入ってきました。 昨日2008年7月15日に撮影したEF65 1082が牽引する東海道の赤ホキの画像をアップしましたが、そのEF65 1082は翌日(2008年7月16日)は春日井貨物に充当されて春日井に現れました。

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【1205】あの年の7月15日《1973年・2008年・2009年》

1973年7月15日 中央西線 中津川~美乃坂本(再掲画像) 7月10日に書いたとおり、この年には中央本線全線が電化されダイヤ改正が行われました。そのダイヤ改正で名古屋口に日中毎時1本の快速列車が運転されるようになり、主に神領に新たに配置された113系が使用されました。新製車ではなく首都圏からの転属車だったので、湘南色と横須賀色との混色編成も見られました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年7月15日 中央西線 金山駅(再掲画像) 1059が牽引する春日井貨物です。 このあとすぐ名古屋へ移動して東海道の赤ホキ。EF65 1082この日もフレックスタイムで、出勤途中のオアソビでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2009年7月15日 中央西線 美乃坂本~中津川EF64 1041+EF64 1040です。 この当時、中央西線のEF64は0番台が主流で、1000番台は愛知区には4両しか配置されていませんでした。EF64 1000番台が岡山・高崎からいっせいに愛知機関区に転属して集中配置となったのはその翌年でした。

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【1204】あの年の7月14日《1988年・1990年》

1988年7月14日 梅小路蒸気機関車館 D51 200梅小路に行ってからのD51 200は黒ナンバーという認識なので、赤ナンバーには違和感を覚えます。本線運転に復帰して一時的に赤ナンバーになったことは記憶に新しいですが、撮影した1988年はJR発足翌年にあたります。手元にその日に丹波口駅で買った乗車券があるので、この日に行ったことは間違いないですが、赤ナンバーを見た記憶がないだけでなく、誰と何の目的で行ったのかも記憶が怪しいです。その日のネガには、京都駅で撮影した特急日本海、その日梅小路での展示運転機関車8630と、このD51 200が写っていますが、そのほかには何も撮影されていません。時期的に子供に手がかかるころなので家族で出かけたとも思えず、思い当たるのは、そのころ一人で特急「出雲」の個室にわざわざ乗りに行ったりしていた会社の同僚がいたので、彼と2人でフラッと出かけたのかもしれません。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1990年7月14日 会社のメンバーで始まった西国三十三所巡礼旅 この日で結願となりました。 名神八日市インターで降りて長命寺(第31番)・宝厳寺(第30番)・華厳寺(第33番)と巡りました。 宝厳寺は琵琶湖に浮かぶ竹生島にありますので、長浜港から船で往復しなければなりません。 華厳寺は「谷汲山」のほうが通りがよく第33番結願の地です。華厳寺では、御朱印が3つあります。オフィシャルサイトから引用すると、「三つの御朱…

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【1203】あの年の7月13日《1973年・2008年・2011年》

1973年7月13日 恵那~美乃坂本 余命わずかな明知線のC12でしたが、学校があるので明知線には休日しか行けません。日没時刻が遅いこの時期であれば、帰宅後に恵那から中津川に帰っていく単行機関車列車の撮影がかろうじて可能だったので、天気がよい日には学校から帰ってから線路端に出かけていました。この時間帯には153系電車や、80系電車の先頭に付いたクモニ83といった1日1往復しか見られない車種も見られました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年7月13日 高蔵寺~定光寺多治見貨物の牽引機はこのころ新鶴見のEF65PFでした。国鉄特急色の機関車が来るのが楽しみでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2011年7月13日 高蔵寺~定光寺 その3年後の多治見貨物。牽引機は吹田のEF66に変わっていました。7月10日にも同じEF66 35が牽く3日前の多治見貨物の画像をアップしましたが、この時期には35号機の多治見貨物ループ運用が目立った記憶です。

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【1202】あの年の7月12日《1984年・1985年》

1984年7月12日 八ヶ岳公園有料道路を通行 そして着いた先は清里。列車に乗るでもなく、そのまま自動車で野辺山まで行って、その日のうちに帰りました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ その翌年1985年7月12日 近鉄内部線内部駅 この2~3年ほど前から新車が導入された近鉄内部線に乗ってきました。高校生の頃に行ってから2回目の訪問でした。近鉄線には疎い私ですが、このときは近鉄に詳しい人といっしょでした。現在この鉄道は「四日市あすなろう鉄道」となっています。

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【1201】あの年の7月11日《1973年・1983年・2009年》

1973年7月11日 全線電化でD51が引退した中央西線でしたが、その後も3ヵ月ほどは明知線の貨物列車用のC12だけが中津川機関区所属のまま運用され、中津川から明知線分岐駅の恵那まで、毎日単行機関車列車が運転されていました。恵那~美乃坂本 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1983年7月11日、線路のバラストを輸送する臨時工事列車が、この日恵那~阿木間に運転されました。阿木駅での機関車転線作業の様子。 すでに明知線では貨物列車は廃止されていたので、このような工事列車が運転されたことになります。この日は、上のC12を撮影して10年目になるわけですが、後継機DD16が本来の役目である貨物列車の牽引に就いた期間が異常に短かったことに気付かされます。 明知線では貨物列車・工事列車などの車掌乗務は省略できるのですが、阿木駅には入換作業要員がいませんので、阿木駅の管理駅である恵那駅から入換作業要員がこの列車に便乗していました。この駅で入換作業をすることは異例でしたので、恵那駅長も添乗してきて作業を見守っていました。(ヨの左にいる人物) 夏場なので駅長は白い接客夏服用ズボンを穿いているので、それと判別できるわけですが、暑いので上着は省略し、ヘルメットを着用されています。 そして列車は折返し恵那駅に戻っていきました。阿木~東野(現阿木~飯沼) ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2009年7月1…

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【1200】あの年の7月10日《1973年・2011年》

1973年7月10日 中津川~木曽福島間で「さよならSL列車」が運転された翌10日にはダイヤ改正がありました。この日「しなの」で381系電車がデビューし、名古屋発の下り初列車「しなの1号」の到着に合わせて中津川駅でセレモニーが催されました。 「しなの1号」の中津川着時刻は朝の8時前だったので、ちょうど登校する時刻にあたりました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2011年7月10日 EF66 35 中央西線 定光寺 下りの多治見貨物です。EF66が中央西線で撮影できるとは国鉄時代には考えもしませんでした。この画像を撮影した時点で381系デビューの日から38年経っていますから、中央西線の日常もずいぶんと変わったものですが、今ではEF66が入線することはなくなり、このEF66 35は、京都鉄道博物館に保存展示されています。今の日常もまた遠い過去の世界になっていくのが世の常です。

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【1199】あの年の7月9日《1973年・1991年・1995年》

1973年7月9日 中津川~木曽福島間で、中津川機関区のD51 827+D51 549+客車5両編成による「さよならSL列車」が運転されました。当日は平日だったのですが、学校は中津川駅を見下ろす位置にあり、下りの「さよならSL列車」が中津川駅の発車時刻は9時32分。学校の1~2時限の間の休憩時間にあたっていたのは神の思し召しでした。 教室からは駅が見えないので外に出て撮影しました。 折返しの上りが中津川に着くのは15時35分で、その日の授業がすべて終わった直後でしたから、かろうじて中津川到着直前の姿を見ることができました。上下列車とも場所など構っていられないほどの際どい中での撮影でしたが、私が中央西線のD51が本線走行をしているのを見たのはこれが最後になりました。余談になりますが、翌月、8月26日に木曽福島機関区のD51 775による「さよなら列車」が木曽福島~塩尻間で運転されたということです。それを知っていれば出かけたと思うのですが、そういう情報はキャッチできませんでした。中津川機関区は名古屋鉄道管理局、木曽福島機関区は長野鉄道管理局の管轄下にありましたので、それぞれの鉄道管理局が運転区間を変えて「さよなら列車」を別々に運転したということだったのでしょう。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1991年7月9日  前日、名古屋から大垣発東京行夜行普通列車に乗って、この日の早朝に南武線浜川崎支線・鶴見線に初乗りしました。鶴見線大川 …

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【1198】あの年の7月8日《1985年》

1985年7月8日 この日、東海道本線に日中2本の20系臨客が運転されたので、撮影にでかけました。三河大塚~三河三谷 上の20系は北オク車です。下り列車ですが、いつも東海道筋で見る20系編成とは逆で、下り方がカヤ21でなくナハネフ22になっていました。 サロンエクスプレス東京も見ることができました。 そのあとは岡崎~安城(現在の岡崎~西岡崎)間にある矢作川に場所を移しました。このころの20系客車は2本ラインに変わりつつあるころでしたが、画像のカヤ21は3本ラインのようで、しかも車体が煤けた感じで、おそらく熊クマ車ではないかと思われます。こちらも下り列車ですが、下り方がカヤ21の見慣れた編成になっています。

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【1197】あの年の7月7日《1989年・1996年・2007年》

1989年7月7日 この日は仕事で同僚と2人で名古屋市内を回っていました。途中、相方が愛知県体育館内で仕事をしている人に会う用事があるとのことでしたが、私にはまったく関係がなかったので、その間、 たまたま開催中だった大相撲本場所6日目の取組を観て待たせてもらうことになりました。 その日にもらった前日までの星取表彼の用事はほどなく終わりましたが、そのあとも予定があり観ることができた取組は、幕下のほんの一部だけでした。 そういうわけで、この幕内の取組は観ていないのですが、今になって星取表を眺めてみると、このとき東の横綱は北勝海と千代の富士、西の横綱は大乃国となっています。千代の富士は故人となりましたが、北勝海は公益財団法人日本相撲協会の現八角理事長であり、ちょっと調べてみると現在の理事を勤めておられる10人のうち8人までが、この場所の幕内で現役力士として名前がありました。 星取表で、横綱大乃国は前日5日目が不戦敗となっており、これも調べてみるとこの日から休場となっています。大乃国の引退は1991年7月場所で、その引退までの2年間をケガと病気と闘い始めたのが、この1989年7月場所になっています。 下は幕下の星取表幕下に貴花田・若花田の名前があることにも時代を感じます。この日は若花田の取組はありませんでした。前述のようなわけで、早々と愛知県体育館を後にすることになりましたが、貴花田の取組くらいは観ていこうと2人で言っていたことは記憶していますが、勝ったのか負けたのか記憶がありません。し…

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【1196】あの年の7月6日《1973年・2008年》

1973年7月6日 中央本線 中津川機関区たしか下校途中だったと思いますが、中津川機関区に立ち寄ってみると、この3日後に運転される予定になっていた「さよなら列車」を牽く本務機D51 827に、本番で使用する装飾が取り付けられているところに出くわしました。ついに来るべき時が迫っていたのでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年7月6日 篠ノ井線 桑ノ原(信)~姨捨 篠ノ井線には当時、羽尾信号場・姨捨駅・桑ノ原信号場と連続して3つのスイッチバック式停車場がありました。そのうちの一つである羽尾信号場が廃止されることになり、実際に羽尾信号場でスイッチバックする臨時快速列車「スイッチバック街道惜別羽尾号」が運転されました。クモユニ143×2+115系×3の編成で、聖高原駅停車中にクモユニ143の車内見学が可能でした。

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【1195】あの年の7月5日《1983年・1989年・2000年》

1983年7月5日 岐阜県の白川村荻町の合掌集落父と2人で、私の自動車で白川村へ一泊の予定で出かけました。 ところが急に家に帰らなければならなくなって当日決めた民宿で夕食だけ食べて宿泊をキャンセルすることになったという忌まわしい思い出の旅でした。経緯は【930】天生峠越えと白川郷の後段に書いています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1989年7月5日 千里浜なぎさドライブウェイ車掌区時代の先輩2人と私の計3人で行く温泉旅で、能登半島にある新宮温泉へ行きました。 途中、千里浜海岸の砂浜を道路として利用できる千里浜なぎさドライブウェイを走ってみました。   ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2000年7月5日  画像は2000年の善光寺参りの往路で使用した「しなの号」の特急券です。途中駅からの乗車なので指定席。平成年間は毎年1回長野市にある善光寺に参拝していました。

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【1194】あの年の7月4日《1999年》

中央西線木曽区間を中心に運転されていたJR東海165系が、313系にバトンを渡し引退しようとしていました。 1999年7月4日 中央西線中津川 165系の撮影会が催されました。 普段は横サボなしで運用されていましたので、ヘッドマークともども、展示用の演出だと思われます。 ゲスト?としてEF64 2+オハフ46×3+EF64 35の編成も展示されていました。

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【1193】あの年の7月3日《1993年・1994年》

1993年7月3日 因美線高野駅タブレットと腕木式信号機、そして国鉄色の気動車。そういったかつてのローカル鉄道の日常の風景が、この時点で因美線だけになっていましたので、日帰りで出かけました。いきなり砂丘色先頭の列車がやってきて出鼻をくじかれました。 同日 因美線美作河井駅それでも最後には国鉄色キハ58の行き違いを目にすることができたのですが、この日はカメラのフィルム感度設定を誤るという凡ミスがあり、減感現像を依頼することになりました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1994年7月3日 豊肥線 立野~赤水 7月1日から書いている2泊3日の九州乗り鉄旅3日目の画像です。この旅の行程は【693】鉄旅1994年7月「787系つばめ・熊本のキハ52・豊肥本線」で書いていますので、ここでは省略します。 この日見たSLあそボーイは、SLが不調だったらしくDLが先頭に連結されていました。

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【1192】あの年の7月2日《1994年》

1994年7月2日 昨日書いた2泊3日の九州乗り鉄旅2日目です。この旅の行程は【693】鉄旅1994年7月「787系つばめ・熊本のキハ52・豊肥本線」で書いていますので、ここでは省略します。 肥薩線を八代から隼人まで普通列車を乗り継いで行く途中に、人吉で厚化粧の急行「くまがわ」が停車中でした。 西鹿児島(現鹿児島中央)駅では長旅を終えた特急「なは」が停車中同じ青でも、こちらは厚化粧を思わせないのはなぜでしょう? 初乗りの指宿枕崎線終点「枕崎」では、乗車した下り列車が遅延していたために慌ただしい折返しになってしまいました。

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【1191】あの年の7月1日《1984年・1992年・1994年》

1984年7月1日 落合川~中津川スロ81・スロフ81お座敷列車を牽くEF64です。 このころ、お座敷列車は12系改造車が主流になっており、旧客改造のお座敷列車は南シナと大ミハに1編成ずつしかなかったはずですので、そのどちらかですが特定しかねます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1992年7月1日 松本建設のDL愛知県東加茂郡旭町(現在は豊田市の一部)にある製材所には、こんな機関車がいました。何のついでだったか忘れましたが、たぶん三河山間部のドライブ途中にクルマを停めてちょっと撮影しただけですが、今になってみると大変興味をそそられます。鉄橋もある本格的な施設で、軌道は山間部の狭隘な地形にある製材所敷地内に分散する現場を結んでいました。軌間は508㎜だったらしいです。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1994年7月1日 九州乗り鉄旅初日この日は金曜日でしたので仕事を昼過ぎに切り上げて、3人で2泊3日の九州乗り鉄に出かけました。 その旅のことは【693】鉄旅1994年7月「787系つばめ・熊本のキハ52・豊肥本線」で書いています。この日に乗った新幹線は、名古屋から食堂車を利用する目的で、あえて途中の岡山まで100N系「ひかり」に乗車して、岡山で300系のぞみに乗り換えています。そのときの食堂車のレシート画像が、【992】変なコレクション12: レシートのなかにアップしてあります。

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