この日は北恵那鉄道へ行っていました。
【716】北恵那鉄道26:「混合列車」に書いた記事中、「とある休日」となっているのが1974年11月23日のことで、美濃福岡駅側線の画像以外は、この日に撮影した画像です。
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2000年11月23日 のと鉄道 穴水駅
前日から、のと鉄道の初乗りに来ていて、輪島に泊まっていました。この日は蛸島まで一往復してきました。
帰路は和倉温泉駅から名古屋へ直通する「しらさぎ12号」で帰りました。
和倉温泉駅
【1282】あの年の9月30日《1973年・2005年》で少し触れましたが、国鉄時代には名古屋から高山本線経由で夜行急行「のりくら」が季節延長運転で七尾線・能登線に乗り入れていたことがありました。それは廃止になりましたが、時は流れてJR西日本時代に入ると、七尾線が和倉温泉まで電化されたことによって、名古屋から和倉温泉まで北陸本線経由で直通する特急「しらさぎ」が運転されるようになり、これは大きな進化だと思ったものの、北陸新幹線金沢開業と同時に名古屋から七尾線への乗入れは終了しました。
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2003年11月23日 名鉄三河線
猿投~西中金間の廃止が翌年春に迫ってきていました。仕事ではときどき自動車で通るところだったのですが、仕事中に撮影などできませんので、祝日を利用して自家用車で早朝に家を出て撮影してきました。
三河広瀬~枝下
三河広瀬~西中金
そのあと、中央西線高蔵寺~神領間に移動し、臨時夜行急行「ちくま」の回送を待ちました。
多治見貨物は65PFの時代
そして「ちくま」の回送
以上2枚の画像の背後には新しい住宅が線路と並行して一列に連なって建っています。この敷地は国鉄清算事業団から売却された国鉄瀬戸線建設用地でした。計画では現在の愛知環状鉄道線と東海交通事業城北線とが中央西線の腹付けで結ばれる予定になっていました。
この記事へのコメント
やくも3号(仕事中)
ちくま号は非貫通型だったんですね。中央西線では珍しく感じます。
しなの7号(私事中)
この年10月のダイヤ改正で、383系「ちくま」は臨時列車に格下げとなり、381系化されました。すでにこのころには、神領の381系は波動輸送用として、大阪方が非貫通クハ・長野方パノラマクロの6両編成2本だけしか配置されていませんでした。