昨日書いた高山本線上麻生の続き(翌日)になります。実家に行って正月用の食料などの買い出しが終われば、特にすることもないので、父とうちの子供といっしょに自動車で地元の保存蒸機の様子を見に行ってきました。
恵那市に保存されているC12 74廃車後は恵那市役所の敷地内に保存してあったものが、ここ(現在地)に移設されていました。のちに、このすぐ隣に恵那市中央図書館の建物が建設されました。事故防止のためなのはわかるとしても、展示物である機関車本体にフェンスを取り付けてしまう神経が自分にはわかりません。それにしても、機関車に乗ってもいいから落っこちないようにするためなのか、機関車に乗せないためなのかの判断にも苦しみます。
明智小学校に保存されていたC12 244当時は埃を被っていましたが、ご承知のように現在は明知鉄道明智駅で圧縮空気による構内運転が行われるまでに整備されています。
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2006年12月31日
この日は2006年最後の日の出を東谷山(とうごくさん)山頂で眺めるつもりで、まだ夜が明けない中、閑散とした高蔵寺駅から徒歩でスタートしました。
東谷山は標高198 mで、名古屋市守山区と瀬戸市にまたがっています。山頂には尾張戸神社(おわりべじんじゃ)があり、元日は初日の出を目的とする人々がたくさん来るでしょうから、1日ずらしました。初日の出ではなく大晦日の日の出を見に来るもの好きはそんなにいないはずです。
名古屋市側から登り、山頂で日の出を待ちます。山頂の東側には日の出の位置と時刻が刻まれた銅板が設置してありました。
そして2006年最後の太陽は猿投山の東側から顔を出しました。
このあとは、長い長い石段が続く参道を瀬戸市側へ下山し、愛知環状鉄道中水野駅まで歩いて列車に乗って帰りました。
このウォ-キングは単発ではなく、後日、また中水野駅からスタートして瀬戸市~尾張旭市~名古屋市と、国鉄転職後に仕事で関わった思い出の場所を巡りながら4回に分けて熱田神宮まで歩きました。熱田神宮に到達後は、そのまま引き続き、方向を長野善光寺に向けて歩き出しましたが、これはすぐに挫折して、終点を実家があった中津川に変更、行程を大幅に短縮しました。現在は釜戸駅まででストップしています。
日の出を見た場所とは違いますが、この日は見晴らしのよい場所から2006年最後の落日も眺めました。
市街地の向こうに見えるのは鈴鹿山脈で、中央が鎌ヶ岳、右は御在所岳です。初日の出は神々しく来たるべき年への期待をもって手を合わせたくなるものでありますが、いろんなことがあった1年が終わろうとする大晦日の夕日は、初日の出同様にもっと思いを込めて見つめられてもいいのにと思いますが、一般にはそうでもありません。そもそも「忘年会」「年忘れ○○大会」という催しがあるように、旧いことは忘れるべきなのでしょうか。今年などはかつてない異常な1年であったのは確かですが、良いも悪いもこの1年があったからこそ新年があり未来に続くのです。
この翌年(2007年)春には国鉄が分割民営化されてから20年めを迎えようとしていました。大晦日の落日を見送ったあと新しく昇るのは新年の初日の出。そして時は止まることなく、あれから十何年も経ってみれば遠い過去の出来事は人々の記憶から消えていきつつあります。「国鉄」も、はるか遠くに霞んでいきますが、その記憶をあのころの時代背景とともに永遠にとどめておくことができたら・・・そう思っております。
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ブログ開設10周年を記念して1年間続けてきた「あの年の〇月〇日」のシリーズ記事は、今回が最終回となります。
2021年元日お昼までには「新年のごあいさつ」記事をアップする予定にしております。その後は1月中旬ごろまでに、このシリーズのまとめ記事を作るつもりですが、その記事をもって拙ブログはお休みさせていただく予定です。この1年、毎日の記事にお付き合いいただきありがとうございました。来たる新年が皆さまにとってよいお年となりますように🙏👋
この記事へのコメント
やすたろう
毎日の記事アップお疲れ様でした。とにかく一日も休まずと言うことに感服いたします。
私どもの年齢になってきますと一日が早く過ぎるような感覚になり、コメントしようにもあっという間に次の記事が出てしまい書きそびれたことが何度もありました。
また、同じようなコメントを書いたこともあったかもしれないことはお詫びいたします。
いずれにしろ行動を克明に記録されていたからこそできたのでしょう。大事業を成し遂げたことをお祝いいたします。おめでとうございます。
桃花台民
毎朝こちらの記事を拝見するのが楽しみで、おかげさまで今年は例年よりも10分ほど早起きする生活をすることができましたw
末期のパノラマカー関連のネタがなかったのは意外でしたが、やはり東濃地方ご出身ということで、愛知県民や名鉄沿線の岐阜県民ほどの馴染みはないのでしょうか。
そういえばテレビで実際のお顔を拝見したのも今年のトピックでしたね。
来年以降も楽しい記事を期待しています。
それでは、良いお年を。
1538M車掌
しなの7号
ありがとうございます。特に1970年代、撮影行動が貴殿と重なるところが多かったので、思い出を共有できたならうれしく思います。そんな大事業なんて思っていませんが、何もアップすることが見当たらない日の記録を探し出すのに時間がかかることがときどきありました。
時間感覚はホントに早くなりましたから、やっておくべきことはやれるうちにやっておきたいと思っています。書きそびれたとおっしゃる過去記事へのコメント投稿はこの先にしていただいても構いません。ただし、今後は返信コメントするまでに今まで以上にお時間をいただくことになると思いますのでご了承ください。
しなの7号
名鉄7000系をアップしたのは中山道歩きの途中に撮影した3月29日だけでした。2002年以降の撮影手段はコンデジのみになり、7000系末期には撮り鉄活動をやっていませんでした。この1年で名鉄関連画像を25回使いましたが、瀬戸線関連が最も多く、そのほかも末端の支線区ばかりで、これは管理人の嗜好によるものです。
テレビ放映は今年ではなく昨年(2019年1月)でした。
毎朝6時台に気持ち玉をくださる方がおられたことに気付いていましたが、桃花台民様でしたでしょうか? 独りよがりのような企画でしたが、おつきあいいただきありがとうございました。
しなの7号
国鉄を離れてからも、国鉄の面影を求めて乗ったり撮ったりしていたこともお判りいただけたでしょうか。毎日のお仕事疲れを癒していただけたとすれば、この上ない喜びであります。
ともに国鉄で乗務員をしていた時期は人生のほんの一部でしたが、もっとも思い出深く、言い過ぎかもしれませんが、あの時代にあの仕事をできたことこそが一番大切に思う無形財産になったと思いませんか?
1538M車掌
しなの7号
そのとおりですね。今の時代とは常識が違ってきたこともありますが、基本的に国鉄魂は物事を進めるうえで正しい判断をするうえで通用すると思います。
やや酔っ払い気味なので?多少脱線気味ですが、国鉄の安全綱領など、その一例と言えます。
・安全は、輸送業務の最大の使命である。
・安全の確保は、規程の遵守及び執務の厳正から始まり、不断の修練によって築き上げられる。
・確認の励行と連絡の徹底は、安全の確保にもっとも大切である。
・安全の確保のためには、職責をこえて一致協力しなければならない。
・疑わしいときは、手落ちなく考えて、もっとも安全と認められるみちを採らなければならない。
では、よいお年を。