【987】 EF58 60号機と61号機の思い出画像

下は1996年11月9日JRおおみや鉄道ふれあいフェアで撮影したEF5861号機のサイドです。 私は特別なEF58フリークというわけではありませんが、国鉄に就職した直後の約3年間、荷扱作業員として乗務していた荷物列車を東海道本線で牽引していた機関車がEF58だったので馴染みはあり、旅客用機関車としての威厳も感じています。その中で60号機と61号機はブラウン系の車体にステンレスのラインが入り、ひときわ目立っていたので印象に残りました。 60号機を初めて見たのは、高校生時代の名古屋駅でした。 九州へSL撮影に行く途中、名古屋駅で急行「桜島・高千穂」に乗る前に、偶然にも60号機が牽引する上り荷物列車に出くわしました。その列車は荷42列車で、それから3年後には実際にその列車の機関車の直後に連結された「マニ」に乗務することになる列車でありました。 1973年8月2日 名古屋 この画像は【549】思い出の乗務列車46:東海道本線 荷42列車の使いまわしです。乗務している荷物列車の牽引機が60号機だったことは幾度かありました。 上の画像では、正面窓がまだ原型を保っていますが、それから5年半後に撮影した下の画像では、正面窓はHゴム支持の小窓に改造されています。1979年3月9日 荷2033列車 新鶴見 私自身はこの画像を撮影した翌4月に荷扱乗務員を卒業しました。そしてEF5860はその年の5月に愛知県植樹祭で運転されたお召し列車の予備機を務めることになります。 _/_/_/_/_/_/…

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【986】 御料車1号編成の回送列車(1979年/岡多線・東海道本線)

前回、40年前の1979年5月26日~27日に愛知県で行われた全国植樹祭で運転されたお召し列車について書きましたが、今回はその続きです。 このお召し列車の運転日は土日曜でしたので、沿線はかなりの人出でした。これは飯田線の上りお召し列車を撮影した場所の様子です。警察官と鉄道公安職員も現れ、撮影者とのやりとりがありましたが、大勢の撮影者を排除させるようなことはなく無事に撮影できました。 このころの私は部内試験に合格し、列車掛(車掌業務に加え貨車の検査業務をする乗務員で 「【3】貨物列車」で仕事について書いています。)になるために名古屋市内にあった中部鉄道学園に入学中だった時期で、4か月半にわたる全寮制の学園生活を送っていました。土曜日の講義は半日だけで日曜日は休みでしたから、お召し列車と回送列車を撮影することができたというわけです。 以下、小難しい話になりますが、この植樹祭関連のお召し列車運転日当日に、車掌になるための運転法規などを学んでいる身にとってはたいへん興味深いことがありました。それは御料車1号編成をEF5861が後方から後押しする「推進運転」による回送列車が新豊田→北野桝塚間で運転されたことでした。列車の運転業務に従事されている方なら基本中の基本としてご承知のことですが、「推進運転」とは「最前部の運転室以外の場所で列車を運転すること」です。 このときは、東北本線の尾久~上野間の回送列車と同じ運転方式が用いられ、具体的に言うと、列車の先頭(1号編成の供奉車〈電源車460〉)…

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【985】 1979年全国植樹祭お召し列車(ED62・EF58)

本日、令和になって最初の全国植樹祭が愛知県で開催されました。愛知県での全国植樹祭開催は2度目で、前回は40年前の1979年5月でした。そのときは御料車1号編成によるお召し列車が、飯田線・東海道本線・岡多線で運転されました。そのとき撮影した画像とともに、運転経路などをたどってみようと思います。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 【1979年5月26日の御料車1号編成お召し列車】 豊橋―(お召)→三河槇原―(回送)→三河川合 三河川合-(回送)→本長篠-(お召)→豊橋 豊橋―(お召)→蒲郡―(回送)→名古屋 このときの天皇皇后両陛下は豊橋まで東海道新幹線をご利用されましたので、御料車1号編成によるお召し列車は豊橋始発でした。飯田線内の牽引機はED6215で、三河槇原から三河川合まで回送したわけは、折り返し運転で機関車を編成の反対側に連結しなおす(機回り)ためだと思われます。豊橋に向かう飯田線上りお召し列車(野田城~東条)※再掲画像 ED62によるお召し列車はこの日が唯一だったと思います。 折り返して本長篠を発車したお召し列車は豊橋に到着後、ED6215が切り離されて、編成の反対側にEF5861が連結され、進行方向が逆になってこの日の両陛下のご宿泊先最寄駅である蒲郡まで直通しました。 このあと蒲郡から御料車1号編成はEF5861とともに名古屋まで回送されました。名古屋に向かう東海道本線の回9003列車(蒲郡~三ヶ根) 回送列車なので編成はそのままで…

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【977】 中央西線を走った車両26:  工場入出場のパートナー +α

国鉄時代に中央西線で活躍した車両たちを、引き続きご紹介してまいります。このシリーズで紹介する車両の範囲は「国鉄分割民営化まで」としていますが、その間に走った車両を網羅する内容ではないことも、あらかじめご承知おきください。今回と次回は一般客扱いをしない回送列車などです。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 中央西線にあった車両基地のうち、電車を担当するのが神領電車区でした。瑞浪から中津川まで電化区間が延伸された1968年に開設され、中央西線のほかにも東海道本線など他線区で使用する車両を擁していました。 車両基地には営業用車両ではなく、黒子的存在として電車区内の入換作業や、車両工場への入出場のときの牽引用に使用される事業用車も配置されているものです。まず神領電車区に配置されていた事業用車を中心に取り上げます。 <クモヤ90>クモヤ90804 1979年撮影日不明 倉本駅で後部から。 先頭←クハ86+モハ80+クハ85+クハ165+クモヤ90 クモヤ90は神領に2両配置され、神領電車区の80系と165系が長野工場で検査担当をしていたので、そのうち1両(クモヤ90804)が中央西線南木曽以北にある狭隘トンネル通過を考慮して低屋根化改造されていました。画像は、その長野工場の検査上がり車両を回送しているところだと思われます。クモヤ90804のパンタ側のお面は正方形に近くて違和感を覚えます。 <クモハ40>クモハ40800  1977年…

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【975】 中央西線を走った車両25: ジョイフルトレイン 

国鉄時代に中央西線で活躍した車両たちを振り返りながらここまでまいりましたが、一般客扱いではない団体専用列車や回送列車、試運転列車なども、いくつか画像に記録しておりますので、引き続きご紹介してまいります。 国鉄では昭和40年代から、「ジョイフルトレイン」の嚆矢ともいうべき団体用の特殊車両を誕生させていました。それが畳敷きの和式客車で、最初に盛岡鉄道管理局で試作され、その後はオハ35・オハフ33を改造して編成単位の臨時運転を前提にして「お座敷列車」と銘打って名古屋鉄道管理局と長野鉄道管理局で各1編成ずつ誕生しました。 両者はオハ80・オハフ80を名乗りましたが、のちにグリーン車扱いとなってオロ80・オロフ80と形式変更されています。 1973年6月26日 恵那(「名ナコ」のオハ80・オハフ80編成) そのあとも各鉄道管理局で続々とお座敷列車が誕生しましたが、改造種車が冷房付グリーン車スロ62・スロフ62に変わり、スロ81・スロフ81を名乗りました。1973年5月12日 落合川~中津川 スロ81・スロフ81編成 外観上はグリーン座席車時代とほとんど変わらず、他のグリーン車同様、のちにグリーン帯が消されて特別感がなくなりました。後発の東京南局と大阪局の編成だけは改造時に車体側面には2本の白いラインが入れられて登場しました。↓1984年7月1日 落合川~中津川 時代が移り、スロ81・スロフ81改造のお座敷列車も世代交代が進行して、新たなお座敷列車は12系座席車から改造されるようになっ…

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【973】 中央西線を走った車両24: 20系客車(団体と回送)

国鉄時代に中央西線で活躍した車両たちを振り返りながらここまでまいりましたが、一般客扱いではない団体専用列車や回送列車、試運転列車なども、いくつか画像に記録しておりますので、引き続きご紹介してまいります。1985年1月22日 大桑~須原(既出画像) 20系寝台客車については、「ちくま」関連で以前に書いたのですが、「ちくま」の20系客車は12系客車との併結編成でした。しかも夜行列車でしたから中央西線内で撮影した画像がありません。しかし国鉄末期になり、20系客車が特急運用から外されて団体用に転用されるようになると、九州方面から信州方面への団体臨時列車として入線してくることが増えてきました。 1986年(撮影日不明) 釜戸 ほとんどが冬場の運転で、高校のスキー学習の団体さんのようでした。こういう列車が冬場の信州には集中しましたから、現地に車両の留置や整備清掃する基地がなく、輸送後に空いている車両基地まで回送する列車が運転され、逆に車両基地から帰路の団体さんを信州にお迎えに行く回送列車もあったわけで、こういう列車は日中に運転されることが多かったのです。 1987年(撮影日不明) 美乃坂本~中津川 このころの20系客車の車体に3本あったラインのうち、一番上の1本が消されつつあった時代で、それが特急用から格下げされた証のようにも思えました。 1986年月日不明 中津川~美乃坂本(既出画像) 20系の入線が増えたころ、名古屋鉄道管理局に欧風客車ユーロライナーが誕生し、EF64 66が…

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【963】 中央西線を走った車両19:159系・155系・167系・169系電車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないので、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 159系は大垣電車区に所属した中京地区の修学旅行用電車でした。 この電車は、修学旅行以外にも臨時急行・臨時快速に使用されたほか、定期列車にも153系に代わって運用されることがよくあり、先週書いた中央西線中津川と東海道本線を直通する朝夕1往復の快速列車でも、運用されているのを見たことがありました。 1973年2月26日 快速2636M 美乃坂本 前日夕刻の大垣発中津川行に159系が運用されているのを見て、翌日の朝、登校前に駅まで出かけて撮影した画像です。 ところで、私は中学校の修学旅行で159系に乗った世代ですが、徐々に新幹線に移行し始めるころでした。小学校6年生のときに、まだまだ先の中学校の修学旅行について保護者向けのアンケートがあったことを今でも記憶しているのですが、その内容は、修学旅行で新幹線を使いたいか、それとも従来どおり在来線の修学旅行列車を使いたいかという希望調査でした。従来のように在来線利用なら、修学旅行の行先は箱根と東京だけになるが、往復新幹線を使えば日光まで足を延ばせる。ただし新幹線利用だと、費用負担が1人3000円余計にかかるが、さてどうする?ということでした。私は言うまでもなく「こまどり」がいいと親に伝えました…

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【945】 2018年中の少ない鉄分から昔を回顧(3):急行「中山道トレイン」

前回に引き続き、この1年間に地元で撮影した画像をもとに、それより前に時代に遡った関連画像で、時の流れを感じていただく企画ですが、最後は地元中央西線の木曽方面を対象とした行楽臨時列車に絞って書きました。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ このところ毎年JR東海では秋に急行「中山道トレイン」が運転されています。 今年は383系電車を使用して6日間運転されました。 過去には途中駅で長時間停車する「木曽路クルーズ」という臨時急行が、やはり383系で運転されたことがありましたが、「中山道トレイン」を名乗る急行は、昨年までの3年間373系が使用されていました。 その前、2013・2014年には371系が使用されて、これはかなり注目されました。 2011・2012年には、117系の改装車「トレイン117」が使用され、運転区間は短く南木曽までの運転で、列車種別が快速でした。2012年は「中山道トレイン」を名乗りましたが、2011年に運転されたときの列車名は「宿場町トレイン」で、その年だけは車体にキノコやモミジなどがラッピングされ鮮やかな装いでした。 現在の「中山道トレイン」のルーツは、この列車か、急行ということを考慮すれば前述の383系急行「木曽路クルーズ」ということになりましょうか。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 木曽路への行楽用臨時快速列車(運転区間が中京圏から塩尻までで完結する列車)は、秋に限らず観光シーズンには国鉄時…

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【942】 2018年中の少ない鉄分から昔を回顧(1):愛環・木曽あずさ

2018年もあとわずかになりました。今年のまとめを書くにしても、このところめっきり鉄道旅が減って、今年は春に青春18きっぷを使って、飯山線の雪見(【863】飯山線)と津山(【871】「津山まなびの鉄道館」での再会:DE50 1)へ行ったくらいのものでした。鉄道で遠出をするときには、よくお世話になった新幹線ですが、振り返ってみますと2015年に九州まで往復したのが最後で、新幹線には以後3年間乗る機会がなかったことからも、近年は遠くに出かけていないことがわかります。その九州行のときに、最後まで未乗で残ったままになっていた線区に乗ったことによって、「現在乗ることができる旧国鉄線」は全部乗りつくしたものですから、「【647】九州乗り物乗りある記(前篇)」の末尾に「乗るべき線区や乗るべき列車がなくなりつつある現状から考えるに、一人で泊まり込みの旅に出ることなど、もうないようにも思います。」と書いたのですが、今のところ、そのとおりになっています。出かけたくても出られないのはストレスになりますが、見たい列車乗りたい列車がなくなってしまい、遠くに「行く用事」がなくなっただけであって、仕事や付き合いで「遠くに行かなければならない」、または「行かされる用事」がないことは、むしろありがたいことでもあるのです。かつてはそんな「行かされる」ような機会にも、ちゃんとカメラを携えて撮るべき車両を撮り、乗るべき列車に乗ったりしたものです。そういう気にさせてくれる対象物がすっかりなくなりました。 そして、地元を走る列車を見渡して…

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【544】 スチール棚の企画展3:ジョイフルトレイン(後篇)

「スチール棚の企画展」今回も国鉄時代に誕生したジョイフルトレインたちの後篇です。すべて機関車が牽引する客車です。機関車との組み合わせは線区によってバリエーションが豊富なので、その意味では「統一感がない列車」と位置付けられる場合もありますが、専用色の機関車まで用意して、統一感を求めたジョイフルトレインもありました。これらのうち、乗務したことがある編成については、過去に記事にしていますので、そのリンクを交えながら、各編成を簡単に順にご紹介していきます。全部で10編成ありますので、先週に引き続き、今回は後半5編成を登場させます。 ************************** ●東京南鉄道管理局の和式客車スロ81系「シナ座」  旧形客車のグリーン車スロ62・スロフ62から改造された6両編成でした。12系や14系から改造されたジョイフルトレインが主流になる以前の古い車両で、類似の和式客車は他局でも多数存在しましたが、2本の白線が入っていたのは、改造時期が遅かった東京南鉄道管理局「シナ座」と大阪鉄道管理局の「ミハ座」だけでしたので、この2編成はブルートレインのように格が上のような感じに見えました。国鉄末期に前篇で登場したお座敷列車「江戸」と交代する形で水戸鉄道管理局へ転属し、「ミト座」として茶色塗装にグリーン帯という国鉄全盛期の1等車を思わせる塗装に変更されて、分割民営化後以後まで活躍しました。 しょせんは旧形客車。暖房熱源エネルギーを機関車から受ける必要がありましたので、冬場の運用で…

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【542】 スチール棚の企画展3:ジョイフルトレイン(前篇)

9月に「スチール棚の企画展2:統一感がない列車たち」 (前篇)と(後篇)で、一編成中にバリエーション豊富な列車を眺めて楽しんだあとは、統一感を持った列車の企画展示に戻しました。 今回は普段着の列車たちでなく、ビジネスユースでもない、国鉄時代に誕生したジョイフルトレインたちで、すべて機関車が牽引する客車列車です。こういうジョイフルトレインは、機関車との組み合わせが走行線区によってバリエーションが豊富なので、その意味では「統一感がない列車」と位置付けられる場合もあろうかと思いますが、専用色の機関車まで用意して、統一感を求めたジョイフルトレインもありました。展示したもののうち、乗務したことがある編成については、過去に記事をアップしていますので、そこへのリンクも交えながら、簡単に各編成をご紹介していきます。全部で10編成ありますので、記事は前後半に分け、今回は前半5編成を登場させます。 ************************** ●長野鉄道管理局の和式客車「白樺」  12系座席車から改造された6両編成でした。若葉と白樺の木をイメージしたらしい客車とは思えない明るい塗装が大いに目立ちましたが、さすがに汚れが目立ったのか、国鉄末期には黄緑色が濃い緑色に変更されたと思ったら、分割民営化後にはさらに別編成のように車体全体が濃緑色の塗装に変更されイメージが一変しました。自分的には登場時の塗装が好きです。ここでの牽引機関車は信州にもっとも似合うEF64の0番台です。 *******…

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【520】 臨時列車の乗務(30 最終回):最後の臨時列車乗務と臨時貨物列車EF6654~その再会

長らく「臨時列車の乗務」シリーズを続けてまいりました。これまでで30回。乗務列車を完全網羅できていませんが、それでも乗務したほとんどの種類の臨時列車についてご紹介できたので、臨時列車については今後も断片的に書く機会もあろうかと思いますが、シリーズとしての展開は今回で終了とします。 これまでの内容は、昭和59~61年までの専務車掌時代の約2年間のことでした。 私が最後に乗務した臨時列車は1986年10月23日の関西本線の9230列車で、その車両は地元のジョイフルトレインであるユーロライナーでした。 (画像は中央西線での別の列車で、乗務当日のものではありません。) ユーロライナーについては、すでに何回もブログ記事で取り上げましたので、あえて今回は詳細を記しませんが、このときは「加佐登駅旅行友の会」180名様の旅行帰路の列車で、加佐登・河原田・四日市・桑名とお帰りの方々を降ろしたあとは、名古屋まで回送扱となる列車でした。 この列車に乗務したのは、翌月に国鉄最後のダイヤ改正(61.11)を控えていた時期で、このダイヤ改正によって事実上分割民営化へ移行する体制が完了したのでした。 このときのダイヤ改正を機に仕事上の取扱方が大きく変わり、運転取扱も一変しました。例えばEB装置を装備した回送列車等の場合、複線区間で列車防護無線を装備し列車無線等による連絡網が整備されていれば、車掌の乗務が原則省略されることになったのでした。 具体的に乗務していた範囲で車掌省略列車の該当になったのは、38…

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【518】 臨時列車の乗務(29):「ゆうゆうサロン岡山」の入換作業

先週の続編になります。 回送で高塚駅についてから折返しの長い時間。そのほとんどが勤務時間ではありませんので、出先での無駄な時間になるはずなのに、退屈せずに過ごせる珍しいジョイフルトレイン乗務は楽しいのですが、その間じゅう気にかかることがありました。 それは、この駅での機回し入換作業のことでした。電車や気動車とは異なり、客車列車である「ゆうゆうサロン岡山」が折り返すには、東京方に連結されているEF65を、折返し回送の前に切り離し、反対側(神戸方)に付け替える作業をする必要がありました。「オカママワシ」と言われるその作業は、大きな駅では駅に操車担当がいて、機関車を誘導し信号担当とも連携を取りながら行ったのですが、小駅である高塚駅では操車担当は配置されていませんでしたから車掌が入換作業を行うことになっていました。入換作業そのものは列車掛で貨物列車に乗務していたころに何度でも経験していましたが、貨物列車では無線機を使用していました。高塚駅では貨物の入換作業はしませんでしたので、無線の設備はなく、手旗による入換作業になりました。もっとも列車掛から普通車掌になってからは気動車や電車の転線入換作業を手旗によって日常的に行っていましたし、武豊駅では連結作業もやっていましたから、作業自体は大して難しい内容ではありませんでしたが、このときの私は専務車掌になっていたこともあって、入換作業に携わらなくなってから1年半以上が経過していました。しかもこの駅での入換作業は初めてで、駅との進路要求などのやりとりは、手旗で…

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【516】 臨時列車の乗務(28):EF65123牽引「ゆうゆうサロン岡山」

「ゆうゆうサロン岡山」は1985年(昭和60年)11月に12系座席車からの改造によって誕生した欧風客車でした。 私が乗務したのはその翌年の2月でしたから、改造後まだ日が浅いうちに乗務する機会を得たのでした。ですから、実車を見たこともない状態での乗務でした。 そのときの編成は以下のとおりです。 1986年(昭和61年)2月10日 東海道本線 9402列車 EF65 123(岡) 2/9臨A2382 6.スロフ12 704 岡オカ 5.オ ロ12 710 岡オカ 4.オ ロ12 709 岡オカ 3.オ ロ12 708 岡オカ 2.オ ロ12 707 岡オカ 1.スロフ12 703 岡オカ (岡臨513)伊勢初詣の旅(162名) 運転区間(新見)大阪~豊橋(豊橋~高塚回送) 乗務区間 名古屋5:30~豊橋~高塚7:37 折返し 回9445列車 機関車同じ・編成同じ(逆編成) 乗務区間 高塚11:54~名古屋13:54 乗務した2月の名古屋駅では、日の出まで1時間以上もあって、まだ暗い早朝5時17分。0番線に初めて見るジョイフルトレイン「ゆうゆうサロン岡山」が入線してきました。専用機として客車と同じ色に塗り替えられたEF65 123号機が先頭でした。身近なジョイフルトレインだった「ユーロライナー」が、せっかくEF64 66号機を専用塗色に塗り替え用意されていたのに、実際の「ユーロライナー」運用にはなかなか使用されなかった時期でもあり、暗いホーム…

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【465】 14系客車のバックサイン

先週アップした「【463】臨時列車の乗務(27):名古屋の14系座席車」に乗務の際、ちょっとした調べ物をしました。 14系客車スハフ14とオハフ15の後位側貫通扉には、列車愛称名を表示する手動巻取式の字幕(バックサイン)が装備されていました。名古屋客貨車区の14系への乗務はこの時が初めてだったので、バックサインに、どんな列車名が隠されているのかが、関心事でありました。しかし、その内容が書かれた表示板が乗務員室か貫通扉あたりにありそうなものなのですが、見当たりませんでした。バックサインは臨時の「金星」で使用されるとき以外はいつも白幕でなにも表示されていないのが普通でした。だから字幕は「金星」さえあればよさそうなものなので、そうした列車名の内訳を表示する必要はなかったのかもしれません。しかし、「金星」のほかにいろんな列車名が用意されていることは、ありえない表示を出したまま疎開留置されているところを見たことがありましたのでわかっていたのです。 この日も白幕でした。ちょうど回送列車なので、乗務中は異常さえなければ走行中に特別やるべき仕事はありませんでしたので、乗務車両の最後部スハフ14 42の貫通扉に内蔵されている幕に印刷されている列車名を確認したいと思ったわけです。 下の写真は米原で撮影した他区同系車両を使用した日本海51号です。 きっと、こんな列車名も入っているのかとも思うと調べてみたくなります。しかし調べることを躊躇するような問題がありました。 このころには、ジョイフル…

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【463】 臨時列車の乗務(27):名古屋の14系座席車

この日は名古屋から中央西線中津川までの14系客車の回送列車でした。列車自体は長野まで運転されましたが、私の乗務は臨時回送列車の乗務範囲として決められていた中津川までで、その先は他区乗務員と乗継になりました。 1986年(昭和61年)3月3日 中央本線 回9821列車 運転区間 名古屋~長野(名古屋臨回303) 乗務区間 名古屋7:36~中津川9:08 EF64 51(篠) 変臨A301 オハフ15   2 名ナコ オ ハ14   7 名ナコ  オ ハ14   2 名ナコ  オ ハ14   3 名ナコ  オ ハ14 144 名ナコ  スハフ14  42 名ナコ 奇しくも、この記事をアップした28年前の同じ日のことになります。 回送の目的は不明ですが、長野鉄道管理局への貸出なのではないかと思われます。当時の長野鉄道管理局の団体用座席車は12系2編成しかなかったのに対し、名古屋鉄道管理局(配置区は名古屋客貨車区)には14系のほか12系も多数配置されていました。名古屋客貨車区の14系は多客期に運転される臨時特急金星に代表されるような「波動輸送用」車両でしたので、その運転期間以外は使用されることは少なく、その間は車両の置場に困ることから、関西本線の蟹江駅や永和駅で長期間留置(これを「疎開」といいます。)されていることが多かったものです。そんな状態でしたから、閑散期には他局からの貸出にも応じられる状況にあったと考えられます。 14系客車は特急用なのに、名古屋客貨車区…

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【461】 臨時列車の乗務(26):たった2両の回送電車

国鉄当時、大垣電車区と神領電車区を結ぶ回送電車のダイヤがありました。 その回送の目的を確かめたことはありませんが、車輪踏面のフラットやレールとの摩擦でいびつな形状になった車輪を削正する車輪転削の設備がある神領電車区へ、その作業のために大垣電車区の電車を送り込むための列車のようでした。この列車は定期列車ではなく「予定臨」と呼ばれる臨時列車で、予め作ってあるダイヤで必要に応じて運転されていました。私が所属する車掌区では、このうち中央西線部分のみを乗務していました。 1986年(昭和61年)3月2日 回8617M 乗務区間 名古屋18:14~春日井18:37 クモニ143‐  2 名カキ ク ハ165‐126 名カキ クハ165を回送するために、クモニ143が牽引する列車のようです。 たった2両ですが、いずれも湘南色でお似合いのカップルのようです。クモニ143が乗務列車に連結されているのは2度目で、最初の出会いは東海道本線の定期列車1547M(【234】乗務した車両:荷電クモニ143併結列車をご参照ください。)でした。そのときは本来の用途である「荷物車」としての仕業でしたが、この回送列車では牽引車役でした。前回も今回も先頭車として連結されており、直接クモニ143に乗務することはできませんでした。シンプルながらも凛々しい顔つきが機関車みたいで私は好きです。 今のJRに2両編成の電車などは、営業列車としてふつうに存在し、珍しくもないですが、国鉄時代の電車では、特にMM'ユニッ…

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【459】 臨時列車の乗務(25):12系座席車の天理臨

宗教団体は国鉄の団体列車のよいお客様だったようで、天理教、創価学会や金光教などの団体臨時列車が多数運転されていました。このうち1986年(昭和61年)は、天理教の教祖100年祭の年でしたので、特に「天理臨」の運転本数が多かったようで、2月に連続で「天理臨」に乗務しました。いずれも12系座席車の列車でした。 (画像は別の列車です。) 1986年(昭和61年)2月8日 中央本線8802列車~関西本線8201列車 乗務区間 中津川1:05~2;23名古屋3:41~亀山4:46 中央本線 8802列車 EF64 43(篠) 臨A301(2/6) スハフ12  35 長ナノ オ ハ12 119 長ナノ オ ハ12 120 長ナノ オ ハ12 121 長ナノ オ ハ12  69 長ナノ スハフ12 103 長ナノ 名古屋から逆編成 関西本線8201列車 DD51(車番不明)(稲)臨A558(2/8)  ※亀山から8223列車に継送 12系お座敷車には、これまで何種類にも乗務したのに、オリジナルの12系座席車への乗務は意外にもこれが最初だったと記憶しています。 この時は、名古屋を通り越して亀山まで通す行路でした。列車は松本始発で、深夜であるがゆえに停車駅は主要駅の運転停車のみで、乗降はもとより、弁当の積み込み等もないのでドア扱いは一切ありませんでした。団体列車の場合は、お客さんのことは添乗員さんに任せておけばよく、車掌は起きていればよいような乗務でした…

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【457】 臨時列車の乗務(24):167系・165系団体列車

167系電車は165系を基本設計として製作された修学旅行用電車でした。(上の画像で先頭車はクハ167です。伊東線での撮影で、私の乗務区間内ではありません。) かつては修学旅行用専用塗色の赤と黄色のたいへん目立つ電車でしたが、私が乗務したころは165系と同じ湘南色に塗り替えられ、中央西線では季節運転の「ちくま・くろよん」と、多客期に運転されたりスキーなどの団体輸送に活躍し、その姿をよく見かけたものです。 実際に乗務したときの編成は次のようなものでした。 1986年(昭和61年)1月31日 9801M 運転区間 大 阪~長 野 乗務区間 名古屋11:03~中津川12:09 クハ167-21  大ミハ モハ167-12  大ミハ  モハ166-12  大ミハ クハ165-158 大ミハ  クハ167-19  大ミハ モハ167-14  大ミハ  モハ166-14  大ミハ クハ165-168 大ミハ クハ167-20  大ミハ モハ166-11  大ミハ  モハ167-11  大ミハ クハ165-184 大ミハ 1/31宮原(電)臨A855 大臨127(後)K高校397名 (名古屋~長 野)                 ↑名古屋まで新幹線                   大臨128(前)Y高校388名(大 阪~長 野) 乗務した167系は大阪鉄道管理局宮原電車区所属で、4両単位の編成を複数つなぎ合わせた長編成でした。165…

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【455】 臨時列車の乗務(23):165系3両編成 東海道本線9441M

1985年(昭和60年)は、12月28日に臨時特別改札行路で関西本線と東海道本線に乗務した後に名古屋で泊り、翌29日早朝に臨時列車で名古屋から東海道本線岡崎まで1往復する行路でしめくくりとなりした。 臨時列車は、165系の回送で岡崎まで行き、その編成で折り返し一般客扱の普通列車として名古屋へ戻ってくるといった行路でした。 昭和60年12月29日 東海道本線回9440M  運転区間・乗務区間とも 名古屋4:10~岡崎4:40 ク ハ165- 50 名カキ モ ハ165-509 名カキ クモハ165-132 名カキ (垣変302) 折り返し同編成で 東海道本線 9441M  運転区間・乗務区間とも 岡崎5:23~名古屋6:06 時刻表にも掲載されていました。 (当時の名古屋鉄道管理局のポケット時刻表より)使用された車両は大垣電車区の165系の3両編成で、朝の関西本線に運用される前に岡崎まで1往復する変運用でした。往路回9440Mは送り込みの回送なのですが、復路の一般客扱9441Mは、こんな早朝にどのような目的で運転されたのかおわかりでしょうか。 <ヒント> この9441Mの岡崎発時刻の5分後5:28には、東京始発の大垣行夜行普通列車345Mが運転されていました。そして同様に9441Mは終点の名古屋へ345Mの4分前に到着するダイヤでした。 もうおわかりでしょうか。 時は年末の多客期。そもそも大垣夜行は中京地区の朝の一番列車としての使命があ…

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【453】 臨時列車の乗務(22):169系・165系団体列車

先週ご紹介した神領電車区のクモヤ22に乗務した1985年(昭和60年)12月には、169系と165系混成の団体列車にも乗務しました。 1985年(昭和60年)12月25日 9521M 運転区間・乗務区間とも 高塚8:00~名古屋11:04 (高塚~豊橋間 回送) 1 クモハ169- 21 長モト 2 モ ハ168- 21 長モト 3 ク ハ165-144 長モト 4 ク ハ165- 40 長モト 5 クモハ169-  5 長モト 6 モ ハ168-  9 長モト 7 サ ハ165-102 長モト 8 ク ハ169-  6 長モト このあと中央本線に入ります。 9825M 運転区間 名古屋~長野 乗務区間 名古屋11:14~中津川12:21 (編成は9521Mの逆) 団体名 ○○地区高体連スキー教室 536名 前回の試運転列車に引き続いて高塚始発の臨時です。 今回は浜松工場とは関係なく、前日から留置してあった編成への乗務でした。高塚駅のホームがない中線は、豊橋や浜松が始発終着となるべき臨時列車が折り返すための留置線としてよく使われていたのです。この列車も団体の乗車は豊橋からでしたので、高塚~豊橋間は回送扱となっていました。団体名でお判りのように高校生のスキー教室の団体さんで、下車駅は松本と長野に別れていました。上に示した運転時刻で、高塚~名古屋間の運転時間が異常に長いのは蒲郡で51分もの長時間停車があったためでした。この駅でほとんど席が埋まりま…

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【450】 臨時列車の乗務(21):旧形電車クモヤ22

1985年(昭和60年)12月、浜松工場から検査上がりで出場した神領電車区所属103系の試運転を兼ねた臨時回送列車でした。 1985年(昭和60年)12月14日 試8515M~回8515M 運転区間 高塚16:26~名古屋19:12 (試運転区間は豊橋まで) クモヤ90102  名シン モハ102-137 名シン モハ103- 94 名シン クモヤ22118  名シン   (神602) このあと私もこの編成にお伴する形で中央本線に入りました。 回8615M 運転区間 名古屋19:33~春日井19:52 (編成は上記「試~回8515M」の逆) 始発駅は浜松工場の入出場線が接続していた東海道本線の高塚でした。上下本線に挟まれたホームのない中線からの発車。豊橋までは試運転ということで、浜松工場の職員も103系に乗車していたはずで、運転士の場合はブレーキの作動確認などで、工場の職員との連携作業がありました。車掌の場合は工場の職員と仕事上のつながりは特にありませんでした。(写真は神領電車区で別途撮影したクモヤ22118) この列車は工場出場車両がある日だけ運転される「予定臨」と呼ばれる臨時列車で、時刻が予め決められていました。こういう列車は、その日によってつながっている車両が違うのでおもしろく、このとき検査上がりで出場したのは、中間に挟まった水色の103系2両だけです。この2両はモハで、いずれにも運転台がない中間車でしたから、前後に運転室があるクモヤがお伴として…

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【398】 思い出の乗務列車28:165系臨時急行「きそ52号」名古屋行

先週の続きになります。 北長野からの回送列車は長野からは臨時急行「きそ52号」8812Mと名を変え、それほど多くない乗客を乗せて名古屋へ向けて発車したのでした。編成は往路のきそ51号と全く同じでした。 連休最終日午後に名古屋へ向けて運転される上り列車というのは、一般的には乗車効率がよいものです。この列車の乗客が少ない理由は、定期列車の特急が発車した直後に発車する臨時列車であり、知名度も低いからなのですが、あまりにも不人気なのには他にも理由がありました。その理由とは所要時間がかかる足の遅い列車ということでした。特に長野~塩尻間の遅さと言ったら往路の「きそ51号」にさらに輪をかけて遅く、異常としかいいようがなかったのです。 (写真は定期列車であり「臨時の「きそ52号」ではありません。) 「きそ52号」は長野を15時25分に発車すると、塩尻までの停車駅は篠ノ井、聖高原、明科、松本でした。ちなみに往路の「きそ51号」では、このうち聖高原、明科の2駅は通過でしたので2駅も停車駅が増えたことになります。 それでも停車駅の数と停車駅そのものは、急行ということを考えればまあ妥当でしょう。現行ダイヤでも、一部の特急しなの号で、この2駅に停車する列車があるくらいです。 しかし「きそ52号」では、これ以外に「隠れた停車駅」があったのでした。 なんと、上に記した駅以外に、この列車は塩尻までに、さらに4ヵ所で行違い待ちのためドアを開けない「運転停車」があったのでした。そのうち2ヵ所はスイッチバ…

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【396】 思い出の乗務列車27:165系臨時回送列車 回9811M~回9812M

先週の続きになります。 車掌長Iさんとともに、名古屋から乗務した「きそ51号」で終点長野に着くと、列車は回送(回9811M)になるまで25分も停車しました。回送列車は隣の北長野駅まで1往復するのですが、これは折り返しの名古屋行きの「きそ52号」まで時間があり過ぎて、その間に長野駅に留置する場所がないため、わざわざ隣駅で留置するための列車でした。 長野到着後は次のような行程でした。 長野から臨回電9811M 運転区間・乗務区間とも長野13:34~北長野13:40 折返し北長野から臨回電9812M 運転区間・乗務区間とも北長野15:05~長野15:11 長野から臨急電 きそ52号 8812M 運転区間・乗務区間とも長野15:25~名古屋20:30 長野駅の停車中に私どもは駅裏(東口)にある弁当屋へ昼食用の弁当を買いに出かけました。当時は長野新幹線など当然のことながらあるはずもなく、駅の構造も現在とはまったく異なっていました。東口への長い跨線橋からは客貨車区や放置された長野工場栗田分所跡地が見え、駅周辺も区画整理されておらず、いかにも駅裏だといった煤けた街並みでした。今、その弁当屋さんがあった場所がどこだったのか特定すら私にはできないほどの変わりようです。このころには、「ホカ弁」が各地で増加した時期で、乗務中の食事も便利になりつつあった時期でした。この長野駅裏の「ホカ弁」はチェーン店ではなく、おかずも充実していたので、乗務員には好評だったようです。 買った弁当…

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【394】 思い出の乗務列車26:165系臨時急行「きそ51号」長野行

「ユーロライナーのりくら」で高山まで1往復した翌日の1985年(昭和60年)11月24日は、165系電車での臨時急行で名古屋から北長野までの一往復が待っていました。 名古屋9時02分発急行きそ51号長野行に乗務し、そのまま回送編成で隣駅の北長野まで1往復し、長野からは急行きそ52号で名古屋まで戻ってくるという行路でした。 1985年(昭和60年)11月24日 臨急電 きそ51号 8811M 運転区間・乗務区間とも名古屋9:02~長野13:09 8  ク ハ 165-7   名カキ 自由席 7  モ ハ 165-17  名カキ 自由席 6  モ ハ 164-839 名カキ 自由席 5  ク ハ 165-6   名カキ 指定席 4  ク ハ 165-183 名カキ 指定席 3  クモハ 165-48  名カキ 指定席 2  モ ハ 164-507 名カキ 指定席 1  ク ハ 165-205 名カキ 指定席 (垣406) 定員 指定席368 自由席224 長野から臨回電9811M 運転区間・乗務区間とも長野13:34~北長野13:40 折返し北長野から臨回電9812M 運転区間・乗務区間とも北長野15:05~長野15:11 長野から臨急電 きそ52号 8812M 運転区間・乗務区間とも長野15:25~名古屋20:30 以上すべて同編成。  急行列車とはいえ、グリーン車もなく珍しくもない大垣電車区の165系でした。 …

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【386】 思い出の乗務列車24:臨時急行「ユーロライナーのりくら」(前篇)

1985年11月は、臨時列車にはよく乗務しました。 天王寺鉄道管理局(竜華客貨車区)のお座敷列車に乗ったその日の深夜、2度目となる205系電車の新車回送列車に乗務しましたが、その行路は【293】臨時列車の乗務(17):205系電車新車回送の記事でご紹介した時刻と全く同じでしたので、その記事は今回省略とします。 その月はさらに一般客扱の多客臨時急行列車の乗務へと続きました。 その一つが名古屋~高山間に運転された臨時急行「ユーロライナーのりくら」でした。 この年の夏にデビューしたばかりの欧風客車ユーロライナーは、主に団体用として使用されましたが、多客時には臨時急行列車として使用され、個人の行楽客用にも「みどりの窓口」で指定券を発売し、乗車することができました。ユーロライナーについては、以前のブログ記事「乗務した車両:ユーロライナー(1)~(5)」で5回に分けてご紹介しましたが、その中でも 【297】乗務した車両:ユーロライナー(1)そのデビューと概要 【299】乗務した車両:ユーロライナー(2)その国鉄時代 が、参考になろうかと思いますので、よろしければご覧ください。 さて、私が急行「ユーロライナー高山」に乗務したのは11月23日の祝日(土曜日)でした。 運転区間・乗務区間 名古屋~高山 1985年(昭和60年)11月23日 東海道本線~高山本線 9913列車 臨急客「ユーロライナーのりくら」 DD51 592(稲)  1.スロフ12  名ナコ ロザ(開…

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【366】 臨時列車の乗務(20):天王寺鉄道管理局の12系お座敷列車

品川の81系お座敷、沼津の12系お座敷「いこい」、宮原の「14系サロンカーなにわ」と2日間で立て続けに乗務したあと休みを1日はさんで、またお座敷列車の乗務がありました。 こんどは天王寺鉄道管理局所属の12系お座敷車でした。 写真は中央西線での撮影ですが、乗務時のものではありません。 1985年(昭和60年)11月19日 関西本線9224列車 DD51 749(稲)臨A652 スロフ12 808 天リウ 紀伊  オ ロ12 816 天リウ 和泉 オ ロ12 815 天リウ 河内 オ ロ12 814 天リウ 大和 オ ロ12 813 天リウ 伊賀 スロフ12 807 天リウ 伊勢 名古屋から逆編成 中央本線 9725列車 EF64 66(稲) 臨A634 運転区間 奈良~名古屋~中津川(恵那~中津川間回送) (奈良以西は列車番号、運転区間等不明) 乗務区間 亀山11:58~13:25名古屋14:01~15:39中津川 中津川から回送逆編成 中央本線 回9726列車 ※機関車・客車とも同じ 運転区間 中津川~名古屋 乗務区間 中津川16:11~17:50名古屋  天臨41 木曽路恵那峡探勝と妻籠の旅(240名) 亀山からの乗務でした。関西本線はすでに電化されていましたが、DD51ディーゼル機関車の牽引でした。名古屋から中央本線部分を担当したEF6466はユーロライナー専用塗色に塗り変えられて間もないころでした。 当…

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【364】 臨時列車の乗務(19):お座敷列車「いこい」と「サロンカーなにわ」

1985年(昭和60年)11月は、スロ81系お座敷列車に乗務した後も引き続き団体臨時客車列車の乗務が続きました。 まずは、スロ81系お座敷列車に乗務して浜松に着いたあと乗務員宿泊所で泊り、早朝に隣の高塚駅まで定期列車の補助で行き、そこから静岡鉄道管理局の12系お座敷列車「いこい」に乗務しました。 東海道本線で名古屋まで下り、中央西線に入って中津川までの行路でした。 1985年(昭和60年)11月17日 東海道本線9431列車 EF65 1108(新)臨A127(11/15) スロフ12 811 静ヌマ 狩野川 オ ロ12 821 静ヌマ 富士川 オ ロ12 822 静ヌマ 安倍川 オ ロ12 823 静ヌマ 大井川 オ ロ12 824 静ヌマ 天竜川 スロフ12 812 静ヌマ 豊 川 名古屋から逆編成 中央本線 9823列車 EF64 50(篠) 臨A335(11/16) 運転区間 高塚~名古屋~塩尻(高塚~舞阪間回送) 乗務区間 高塚7:15~9:46名古屋10:09~中津川11:21 (静臨100)晩秋の白樺湖の旅(240名) この団体輸送に備えて、編成は前日から機関車ともども高塚駅に留置してありました。高塚駅はこうした一時的な留置によく使われる駅でした。 この列車は、舞阪から豊橋までのほとんどの駅で停車し、その都度、募集した団体のお客さんが乗車されました。また、車掌が交代した中津川では弁当の積み込みが行われたので、この列車では団…

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【362】 臨時列車の乗務(18):EF62牽引スロ81系お座敷列車

1985年(昭和60年)9月の予備勤務で乗務した臨時列車までは、これまでに紹介してきましたが、その翌々月の11月~12月にかけて、また予備に指定されたので、臨時列車に乗務する機会がありました。 (右カラムの「ブログテーマ」欄のなかの「臨時列車」をクリックしていただきますと、過去にアップした臨時列車関係の記事を検索できます。→) この年の11月に入って乗務した最初の臨時列車は、旧型客車列車の生き残りとも言えるスロ81とスロフ81で組成されたお座敷列車でした。 1985年(昭和60年)11月16日 東海道本線 8106列車 運転区間 (長浜)米原~辻堂 EF62 38(関) 変A45 1.スロフ81 2114 南シナ 鳥越 2.ス ロ81 2125 南シナ 湯島 3.ス ロ81 2126 南シナ 深川 4.ス ロ81 2128 南シナ 花川戸 5.ス ロ81 2127 南シナ 向島 6.スロフ81 2113 南シナ 柴又 (南東臨413)湘南地区お座敷列車北陸路の旅(245名)         乗務区間 名古屋16:18~浜松17:56 列車のスジは2か月前に乗務した14系欧風車「サロンエクスプレス東京」に乗務したときとまったく同じでした。 この車両はスロ81系などと通称されました。(このブログ上でも以下スロ81系と記述します。) 鋼体化客車オハ61からの改造された1等車オロ61を、さらに冷房化改造したグリーン座席車スロ62とその緩急車スロフ62…

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【354】 C56 160「1世紀号」  ~27年前に名古屋で走ったSL~

今から27年前の1986年(昭和61年)4月29日から5月5日まで、名古屋で蒸気機関車が運転されました。 愛知の鉄道100年を記念して、C56160号機を当時の大阪鉄道管理局梅小路機関区から借り入れての運行でした。今年「あおなみ線」で実験走行したのと同じ機関車だったわけですが、客車もまた今回同様12系客車が使用されました。このころは名古屋にも12系客車が配置されていましたので、借り入れたのは機関車だけでした。 上の写真は笹島の「愛知の鉄道100年フェア」会場で撮ったものですが、画面右側の高いところにに架線柱が見えているのがおわかりでしょうか。ここは先月「SLあおなみ号」が走行した現在のあおなみ線そのもので「ささしまライブ」駅付近です。そしてC56160が停まっている場所は、「SLあおなみ号」の撮影場所として解放されていた国鉄笹島駅跡地の空地付近にあたるものと思います。   このとき運転されたSL列車は「1世紀号」と名付けられ、その運転区間は、武豊~(名古屋)~木曽川間でした。 1886年(明治19年)愛知県内で最初に開通したのが、この区間だったというわけです。 4月29日・5月3日~5日に、名古屋~武豊間に1往復 4月30日・5月1日・2日に、名古屋~木曽川間に1往復 このように名古屋を起点として、日によって運転区間が変わっていました。 例によって本番前には試運転が行われました。そのとき撮影した写真がこちらです。 大府を出て武豊線が東海道本線を乗り越えるところで…

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