【1198】あの年の7月8日《1985年》

1985年7月8日 この日、東海道本線に日中2本の20系臨客が運転されたので、撮影にでかけました。三河大塚~三河三谷 上の20系は北オク車です。下り列車ですが、いつも東海道筋で見る20系編成とは逆で、下り方がカヤ21でなくナハネフ22になっていました。 サロンエクスプレス東京も見ることができました。 そのあとは岡崎~安城(現在の岡崎~西岡崎)間にある矢作川に場所を移しました。このころの20系客車は2本ラインに変わりつつあるころでしたが、画像のカヤ21は3本ラインのようで、しかも車体が煤けた感じで、おそらく熊クマ車ではないかと思われます。こちらも下り列車ですが、下り方がカヤ21の見慣れた編成になっています。

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【1196】あの年の7月6日《1973年・2008年》

1973年7月6日 中央本線 中津川機関区たしか下校途中だったと思いますが、中津川機関区に立ち寄ってみると、この3日後に運転される予定になっていた「さよなら列車」を牽く本務機D51 827に、本番で使用する装飾が取り付けられているところに出くわしました。ついに来るべき時が迫っていたのでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年7月6日 篠ノ井線 桑ノ原(信)~姨捨 篠ノ井線には当時、羽尾信号場・姨捨駅・桑ノ原信号場と連続して3つのスイッチバック式停車場がありました。そのうちの一つである羽尾信号場が廃止されることになり、実際に羽尾信号場でスイッチバックする臨時快速列車「スイッチバック街道惜別羽尾号」が運転されました。クモユニ143×2+115系×3の編成で、聖高原駅停車中にクモユニ143の車内見学が可能でした。

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【1191】あの年の7月1日《1984年・1992年・1994年》

1984年7月1日 落合川~中津川スロ81・スロフ81お座敷列車を牽くEF64です。 このころ、お座敷列車は12系改造車が主流になっており、旧客改造のお座敷列車は南シナと大ミハに1編成ずつしかなかったはずですので、そのどちらかですが特定しかねます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1992年7月1日 松本建設のDL愛知県東加茂郡旭町(現在は豊田市の一部)にある製材所には、こんな機関車がいました。何のついでだったか忘れましたが、たぶん三河山間部のドライブ途中にクルマを停めてちょっと撮影しただけですが、今になってみると大変興味をそそられます。鉄橋もある本格的な施設で、軌道は山間部の狭隘な地形にある製材所敷地内に分散する現場を結んでいました。軌間は508㎜だったらしいです。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1994年7月1日 九州乗り鉄旅初日この日は金曜日でしたので仕事を昼過ぎに切り上げて、3人で2泊3日の九州乗り鉄に出かけました。 その旅のことは【693】鉄旅1994年7月「787系つばめ・熊本のキハ52・豊肥本線」で書いています。この日に乗った新幹線は、名古屋から食堂車を利用する目的で、あえて途中の岡山まで100N系「ひかり」に乗車して、岡山で300系のぞみに乗り換えています。そのときの食堂車のレシート画像が、【992】変なコレクション12: レシートのなかにアップしてあります。

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【1186】あの年の6月26日《1973年・1988年》

1973年6月26日 この日、明知線でC12重連が牽くお座敷列車の団臨が走りました。しかしこの日は平日、しかも1往復(下りは回送)設定されたダイヤは定期列車運転前の早朝でした。つまり始発列車で撮影に出かけても間に合わず、下りの回送が恵那を出るのは4時前という悪条件なのでした。 そこに救いの手が差し伸べられました。やすたろう様のお母様が軽乗用車で明知線の阿木まで私どもを乗せていってくださるというのです。帰路は列車に乗れば学校の始業時刻には十分に間に合いますので、往路だけをお願いしました。 現地では、まず下りの回送列車を撮影しましたが、阿木付近に列車が来るのは4時台前半で、まともには撮影できませんでした。阿木~飯羽間  C1269+C12230の重連で、客車はオロ80系でした。 明知から折返して乗客を乗せてくる上り列車のC12は逆向きで、明知では2両の機関車の前後が入れ替わって、下り同様にC1269が先頭でした。阿木~東野(現在の阿木~飯沼) この列車を撮影したあとは阿木駅まで歩いて恵那行の始発列車に乗車。恵那駅でその列車から降りると、まだお座敷列車は停車中でしたが、この先名古屋方面に直通するため機関車はEF64に付け替えられていました。このあと中央西線の下り始発列車に乗り継いでそのまま登校しても早く着きすぎますので、いったん家に帰りました。 お座敷列車は2本ともラジカセで走行音を録音しましたが、早朝にもかかわらず撮影者は他に何人もいて、足音や声が入っていてまともには録れていませんで…

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【1182】あの年の6月22日《1988年・1996年》

1988年6月22日 中央東線(辰野線)でC56 160が牽く臨時列車「SLほたる号」が運行されることになり、この日、試運転が行われました。 最初の1往復は客車なしでDE10をお供につけて。 次の1往復は客車3両を牽引していますが、煙はサッパリです。最後部の客車には大勢の人が乗っているようですが報道関係者? ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1996年6月22日 稲沢に行っています。手前のEF65には一休車の札があります。EF64は黒ゴム。国鉄が分割民営化されて9年目で、そんなところにも少しずつ歴史が動いていることを感じます。 DD51重連は、つい最近までは当たり前の風景でした。 この2枚以外に撮影していないようなので、何をしに行ったのか不明。この時期は、よく子連れで買い物ついでに東海道本線の列車を見に行っていたので、そのとき撮影した画像のようです。

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【1154】あの年の5月25日《1983年・1985年》

1983年5月25日 明知線でマヤ検がありました。  明知~山岡(現在の野志駅付近)   飯羽間~阿木 明知線に貨物列車があったころは、貨物列車にマヤ34が併結されて検測をしていましたが、このときはもう明知線内の貨物列車が廃止されていましたので、臨時試運転列車が仕立てられるようになりDD16が牽引しました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1985年5月25日 サロンエクスプレス東京が中央東線から西線に直通してきました。  落合川~中津川    中津川~美乃坂本 雨に煙ってコンディションは最悪で、画像では読み取れないと思いますが、当時は八王子機関区所属だったEF64 78が牽引しています。当時の中央西線の定期列車には稲沢機関区(以前の稲沢第二機関区)と篠ノ井機関区のEF64が使用されていましたので、こうして中央東線から直通する臨客でしか見ることがないブロック式ナンバーの第8~9次量産車(76~79)には新鮮さを感じたものです。しかし、その翌年に国鉄分割民営化前提で行われた61・11ダイヤ改正時には、車両の転配が行われ、このEF64 78も含め、8~9次車全部が稲沢機関区に転属し、そのままJR貨物に引き継がれる結果となりましたので、以後は中央西線で日常的にみられる機関車となりました。一期一会という言葉もありますが、二度と会うことはないと思っていた人と、腐れ縁になることだってあるのですね。

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【1130】あの年の5月1日《1986年》

この年は、愛知県に鉄道が開業して100年目ということで、大型連休中には名古屋を起点として武豊線と東海道本線で蒸気機関車が1日1往復運転されました。日によって運転区間が異なり4月29日・5月3~5日が武豊~名古屋間、4月30日・5月1・2日が名古屋~木曽川間の運転でした。また使いまわし画像ですのでご了承願います。 1986年5月1日、行った先は高架化される前の尾張一宮駅です。 489系電車による「しらさぎ2号」(後方より) 80系気動車による「ひだ3号」 本番のSL列車はC56160が12系客車を牽く「SL一世紀3号」 当時は国鉄最末期で、笹島(貨物駅)の機能は名古屋貨物ターミナルに移転済みでした。その笹島駅をイベント会場として「愛知の鉄道100年フェア」が同時開催されていましたので、本線運転終了後のC56は、そこで展示されました。 この日はC56のSL列車を撮影した後に、その会場へ行ってみました。そのときのことは 【353】愛知の鉄道100年フェア ~27年前の笹島~で書いています。

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【1089】あの年の3月21日《2005年》

2005年3月21日 国鉄名古屋鉄道管理局~JR東海で特色ある車両として外せない存在がユーロライナーでした。 国鉄末期の1985年、12系座席車からの改造でデビューしてからJR東海に引き継がれて20年となる2005年に引退の時を迎えました。この日が事実上のラストランであったと記憶します。 まず最初に共和へ行きました。 そのあと、この列車が折り返す豊橋へ行き、その停車中に国鉄時代に関わった懐かしい列車を、この日を限りに見ることはないだろうという思いで観察しました。 いったん駅から出て米原に向けて発車していくユーロライナーを見送ったあとは、駅前で豊橋鉄道市内線を撮影。 そのあと、時間つぶしで浜松まで行き、かつて仕事で泊った乗務員宿泊所や車掌区などを外から眺めてきました。浜松駅停車中の115系電車。 折り返して岐阜へ向かい、こんどはこの年の3月いっぱいで廃止となる名鉄岐阜市内線に立ち寄りました。ドアが開いているので客扱中なのですが、乗車するための安全地帯はプラットホーム状に嵩上げされておらず、路面に着色しただけというのが、以前から恐ろしい電車に思えていました。改良されるでもなくそのまま廃線となってしまいました。 この日、そのあとに最後の最後、米原から戻ってくるユーロライナーの走行写真を撮るために柏原へ向かいました。そこでのことは、【306】乗務した車両:ユーロライナー(5)最末期の再会で書いていますので、今回はここまでにします。

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【1086】あの年の3月18日《1984年》

1984年3月18日 落合川へ団臨の撮影に行きました。 長野局のお座敷列車「白樺」は、12系座席車の改造車でしたが、客車というより電車か気動車を思わせる明るい塗装でデビューしました。排気管付近の汚れがたいへん目立ちます。このあと、しばらくしてから黄緑色部分がやや濃い緑色になるとともにスロフの貫通扉の塗装がクリーム色一色に変更された時期を経て、国鉄分割民営化後には全体が濃緑色主体の、それまでの軽快なイメージとままったく異なる塗装に装いを変えていきました。汚れが目立ったからだったのでしょうか。 この日は東京南局の欧風客車「サロンエクスプレス東京」もやってきました。こうしたジョイフルトレインが続々と誕生してきたこのころから、中央東西線直通の団臨がときどき見られるようになり、国鉄分割民営化後まで継続されていました。 ◆以上4枚の画像は中津川~落合川で撮影

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【1049】あの年の2月10日《1974年・1996年》

1974年2月10日、上松・木曽福島両駅の入換用として残されていた木曽福島機関区のC12を撮影しに行きました。中央西線は、その前年に全線電化されていたので、当時、家から一番近くに残る蒸気機関車ということになります。そのときの往復に使った乗車券。まだ高校生でしたが、父の割引証を使ったので職員割引になっています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ それから22年後の1996年2月10日には、JR東海の青空フリーパスを使って、臨時列車をいくつか撮影しています。 北陸本線 坂田 SL北びわこ号 青空フリーパスのエリア外になる米原~坂田間往復は別払いでした。 東海道本線 岐阜 ユーロ高山スキー号(回送か?) 岐阜駅は高架化工事中でした。このあと、美濃太田で名鉄キハ8500系北アルプスを駅撮りして、太多線で多治見に出ています。 最後は中央西線多治見でシュプールユーロ赤倉志賀(回送)を撮影して予定終了。 あのころは、さまざまな臨時列車をお手軽に撮影できました。

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【1048】あの年の2月9日《1979年・1985年》

このころ国鉄の一般形気動車の塗色が首都圏色に塗り替えられ始めていました。その前に一般色の気動車の撮影をしておこうと、1979年2月9日、車掌区の撮り鉄数人と自家用車2台に分乗して国鉄二俣線(現在は天竜浜名湖鉄道に移管)に出かけました。  宮口~都田 二俣線にはDE10重連の貨物列車も健在でした。 上2枚とも宮口~都田 都筑~三ケ日 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ つくば科学万博が開催されたのは1985年でしたが、そのPRを目的として「サイエンストレイン エキスポ号」という列車が全国の主要駅を巡回しました。12系客車1編成7両の座席などを取り払い、車内を移動パビリオンとして展示スペースに改造してありました。地元名古屋駅で、1985年2月9日に見学してきました。名古屋駅ではこの日を含め2~3日公開していた記憶です。

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【1030】あの年の1月22日《1979年・1985年》

1979年1月22日 同僚と一緒に高山本線に出かけていました。 鷲原(信)~白川口 一般形気動車の塗装が首都圏色への塗り替えが始まったころ 飛水峡信号場での行き違い 中川辺~古井 上り「ひだ6号」 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1985年1月22日 中央西線で撮影可能な時間帯に20系寝台客車が入線しました。 贄川~日出塩 自動車で追いかけましたが、冬の朝のことですから、木曽谷の線路上に冬の陽が射すことはありませんでした。

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【1029】あの年の1月21日《1973年・1982年》

1973年の1月21日、当時の私は中学生で、高校受験に向けて勉強に集中すべき時期だったにもかかわらず、落合川に蒸機の写真を撮影に行っていました。 中央西線 落合川~坂下 中央西線 中津川~落合川 D51の撮影がメインでしたが、その間にキハ91も通過していきました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1982年5月17日、関西本線の名古屋・亀山間電化開業に伴うダイヤ改正が行われました。電化工事そのものはこの前年末までに完成しており、1982年1月21日に集電試験が行われました。 永和~弥富 下り集電試験列車 試9281列車 編成はEF65+DD51+ヨ6000+トラ70000+ヨ6000 長島~弥富 試9282列車で、折返しの上り集電試験列車です。 ◆この日より一ヵ月少々前には入線試験列車(オイラン列車)が運転され、そのときにEF65がDD51に牽かれて亀山まで入っていましたから、EF65が関西本線名古屋口に入線したのは、この日がおそらく2回目だと思われます。(そのときの画像は、12月にアップしたいと思います。)

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【1024】あの年の1月16日《1986年》

国鉄末期には全国でジョイフルトレインが誕生しました。このユーロライナーもそのうちの一つで、名古屋鉄道管理局の欧風客車でした。稲沢機関区のEF64 66が専用塗色に塗り替えられてお披露目されましたが、国鉄時代に限れば、実際にEF64 66がユーロライナーの運用に就くことは意外にも少なく、他の一般塗装のEF64がユーロライナーを牽引してくることが多かったような記憶ですが、この日は当たりでした。 1986年1月16日 中央西線  美乃坂本~中津川 急行「ユーロライナー赤倉」 ユーロライナーは団体列車に用いられただけでなく、一般客扱の臨時列車としても用いられました。

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【993】 1977年全国植樹祭お召し列車(DD51・DF50・DE10)

今月に入って令和初のお召し列車がE655系によって運転されたそうです。昭和のお召し列車については、40年前になる1979年5月に愛知県で開催された全国植樹祭のときのことを6月に書きましたが、今回はその2年前(1977年)に和歌山県で開催された全国植樹祭のときのお召し列車について書いておきます。 当時の私は国鉄に入って1年経ったばかりで、荷扱乗務員として荷物車に乗務しているころでした。所属する車掌区は、人数のわりに意外なほど鉄道ファンが少ない車掌区でしたが、同じ荷扱の仕事をしている先輩で鉄道写真を撮る方が1人おられたので鉄道談議ができるようになり、その先輩がお召し列車を撮りに行くがいっしょに来るか?というので、撮影に出かけたのです。お召し列車の往路は、1977年4月16日、名古屋までの新幹線を受けて、 名古屋-(伊勢線経由)→津(DD51820〔稲一〕) 津→那智(DF50 57〔亀〕+DF50 59〔亀〕) というリレーで運転されました。当日の私は休みでした。お召し列車は津を境に牽引機が変わるのですが、両方を撮影することは時間的に不可能でしたので、以後あるかないかわからないDF50重連を優先して、紀勢本線内で撮影することにして、走りの撮影地は多気の櫛田川橋梁となりました。 その日、津までのお召し牽引機DD51820は稲沢から名古屋駅まで単機回送され、私どもは名古屋駅の構内側線に留置されたのを見届けた直後に天王寺行特急「くろしお5号」で津まで移動しました。 直接撮影地の多気まで行かずに津…

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【987】 EF58 60号機と61号機の思い出画像

下は1996年11月9日JRおおみや鉄道ふれあいフェアで撮影したEF5861号機のサイドです。 私は特別なEF58フリークというわけではありませんが、国鉄に就職した直後の約3年間、荷扱作業員として乗務していた荷物列車を東海道本線で牽引していた機関車がEF58だったので馴染みはあり、旅客用機関車としての威厳も感じています。その中で60号機と61号機はブラウン系の車体にステンレスのラインが入り、ひときわ目立っていたので印象に残りました。 60号機を初めて見たのは、高校生時代の名古屋駅でした。 九州へSL撮影に行く途中、名古屋駅で急行「桜島・高千穂」に乗る前に、偶然にも60号機が牽引する上り荷物列車に出くわしました。その列車は荷42列車で、それから3年後には実際にその列車の機関車の直後に連結された「マニ」に乗務することになる列車でありました。 1973年8月2日 名古屋 この画像は【549】思い出の乗務列車46:東海道本線 荷42列車の使いまわしです。乗務している荷物列車の牽引機が60号機だったことは幾度かありました。 上の画像では、正面窓がまだ原型を保っていますが、それから5年半後に撮影した下の画像では、正面窓はHゴム支持の小窓に改造されています。1979年3月9日 荷2033列車 新鶴見 私自身はこの画像を撮影した翌4月に荷扱乗務員を卒業しました。そしてEF5860はその年の5月に愛知県植樹祭で運転されたお召し列車の予備機を務めることになります。 _/_/_/_/_/_/…

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【986】 御料車1号編成の回送列車(1979年/岡多線・東海道本線)

前回、40年前の1979年5月26日~27日に愛知県で行われた全国植樹祭で運転されたお召し列車について書きましたが、今回はその続きです。 このお召し列車の運転日は土日曜でしたので、沿線はかなりの人出でした。これは飯田線の上りお召し列車を撮影した場所の様子です。警察官と鉄道公安職員も現れ、撮影者とのやりとりがありましたが、大勢の撮影者を排除させるようなことはなく無事に撮影できました。 このころの私は部内試験に合格し、列車掛(車掌業務に加え貨車の検査業務をする乗務員で 「【3】貨物列車」で仕事について書いています。)になるために名古屋市内にあった中部鉄道学園に入学中だった時期で、4か月半にわたる全寮制の学園生活を送っていました。土曜日の講義は半日だけで日曜日は休みでしたから、お召し列車と回送列車を撮影することができたというわけです。 以下、小難しい話になりますが、この植樹祭関連のお召し列車運転日当日に、車掌になるための運転法規などを学んでいる身にとってはたいへん興味深いことがありました。それは御料車1号編成をEF5861が後方から後押しする「推進運転」による回送列車が新豊田→北野桝塚間で運転されたことでした。列車の運転業務に従事されている方なら基本中の基本としてご承知のことですが、「推進運転」とは「最前部の運転室以外の場所で列車を運転すること」です。 このときは、東北本線の尾久~上野間の回送列車と同じ運転方式が用いられ、具体的に言うと、列車の先頭(1号編成の供奉車〈電源車460〉)…

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【985】 1979年全国植樹祭お召し列車(ED62・EF58)

本日、令和になって最初の全国植樹祭が愛知県で開催されました。愛知県での全国植樹祭開催は2度目で、前回は40年前の1979年5月でした。そのときは御料車1号編成によるお召し列車が、飯田線・東海道本線・岡多線で運転されました。そのとき撮影した画像とともに、運転経路などをたどってみようと思います。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 【1979年5月26日の御料車1号編成お召し列車】 豊橋―(お召)→三河槇原―(回送)→三河川合 三河川合-(回送)→本長篠-(お召)→豊橋 豊橋―(お召)→蒲郡―(回送)→名古屋 このときの天皇皇后両陛下は豊橋まで東海道新幹線をご利用されましたので、御料車1号編成によるお召し列車は豊橋始発でした。飯田線内の牽引機はED6215で、三河槇原から三河川合まで回送したわけは、折り返し運転で機関車を編成の反対側に連結しなおす(機回り)ためだと思われます。豊橋に向かう飯田線上りお召し列車(野田城~東条)※再掲画像 ED62によるお召し列車はこの日が唯一だったと思います。 折り返して本長篠を発車したお召し列車は豊橋に到着後、ED6215が切り離されて、編成の反対側にEF5861が連結され、進行方向が逆になってこの日の両陛下のご宿泊先最寄駅である蒲郡まで直通しました。 このあと蒲郡から御料車1号編成はEF5861とともに名古屋まで回送されました。名古屋に向かう東海道本線の回9003列車(蒲郡~三ヶ根) 回送列車なので編成はそのままで…

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【977】 中央西線を走った車両26:  工場入出場のパートナー +α

国鉄時代に中央西線で活躍した車両たちを、引き続きご紹介してまいります。このシリーズで紹介する車両の範囲は「国鉄分割民営化まで」としていますが、その間に走った車両を網羅する内容ではないことも、あらかじめご承知おきください。今回と次回は一般客扱いをしない回送列車などです。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 中央西線にあった車両基地のうち、電車を担当するのが神領電車区でした。瑞浪から中津川まで電化区間が延伸された1968年に開設され、中央西線のほかにも東海道本線など他線区で使用する車両を擁していました。 車両基地には営業用車両ではなく、黒子的存在として電車区内の入換作業や、車両工場への入出場のときの牽引用に使用される事業用車も配置されているものです。まず神領電車区に配置されていた事業用車を中心に取り上げます。 <クモヤ90>クモヤ90804 1979年撮影日不明 倉本駅で後部から。 先頭←クハ86+モハ80+クハ85+クハ165+クモヤ90 クモヤ90は神領に2両配置され、神領電車区の80系と165系が長野工場で検査担当をしていたので、そのうち1両(クモヤ90804)が中央西線南木曽以北にある狭隘トンネル通過を考慮して低屋根化改造されていました。画像は、その長野工場の検査上がり車両を回送しているところだと思われます。クモヤ90804のパンタ側のお面は正方形に近くて違和感を覚えます。 <クモハ40>クモハ40800  1977年…

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【975】 中央西線を走った車両25: ジョイフルトレイン 

国鉄時代に中央西線で活躍した車両たちを振り返りながらここまでまいりましたが、一般客扱いではない団体専用列車や回送列車、試運転列車なども、いくつか画像に記録しておりますので、引き続きご紹介してまいります。 国鉄では昭和40年代から、「ジョイフルトレイン」の嚆矢ともいうべき団体用の特殊車両を誕生させていました。それが畳敷きの和式客車で、最初に盛岡鉄道管理局で試作され、その後はオハ35・オハフ33を改造して編成単位の臨時運転を前提にして「お座敷列車」と銘打って名古屋鉄道管理局と長野鉄道管理局で各1編成ずつ誕生しました。 両者はオハ80・オハフ80を名乗りましたが、のちにグリーン車扱いとなってオロ80・オロフ80と形式変更されています。 1973年6月26日 恵那(「名ナコ」のオハ80・オハフ80編成) そのあとも各鉄道管理局で続々とお座敷列車が誕生しましたが、改造種車が冷房付グリーン車スロ62・スロフ62に変わり、スロ81・スロフ81を名乗りました。1973年5月12日 落合川~中津川 スロ81・スロフ81編成 外観上はグリーン座席車時代とほとんど変わらず、他のグリーン車同様、のちにグリーン帯が消されて特別感がなくなりました。後発の東京南局と大阪局の編成だけは改造時に車体側面には2本の白いラインが入れられて登場しました。↓1984年7月1日 落合川~中津川 時代が移り、スロ81・スロフ81改造のお座敷列車も世代交代が進行して、新たなお座敷列車は12系座席車から改造されるようになっ…

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【973】 中央西線を走った車両24: 20系客車(団体と回送)

国鉄時代に中央西線で活躍した車両たちを振り返りながらここまでまいりましたが、一般客扱いではない団体専用列車や回送列車、試運転列車なども、いくつか画像に記録しておりますので、引き続きご紹介してまいります。1985年1月22日 大桑~須原(既出画像) 20系寝台客車については、「ちくま」関連で以前に書いたのですが、「ちくま」の20系客車は12系客車との併結編成でした。しかも夜行列車でしたから中央西線内で撮影した画像がありません。しかし国鉄末期になり、20系客車が特急運用から外されて団体用に転用されるようになると、九州方面から信州方面への団体臨時列車として入線してくることが増えてきました。 1986年(撮影日不明) 釜戸 ほとんどが冬場の運転で、高校のスキー学習の団体さんのようでした。こういう列車が冬場の信州には集中しましたから、現地に車両の留置や整備清掃する基地がなく、輸送後に空いている車両基地まで回送する列車が運転され、逆に車両基地から帰路の団体さんを信州にお迎えに行く回送列車もあったわけで、こういう列車は日中に運転されることが多かったのです。 1987年(撮影日不明) 美乃坂本~中津川 このころの20系客車の車体に3本あったラインのうち、一番上の1本が消されつつあった時代で、それが特急用から格下げされた証のようにも思えました。 1986年月日不明 中津川~美乃坂本(既出画像) 20系の入線が増えたころ、名古屋鉄道管理局に欧風客車ユーロライナーが誕生し、EF64 66が…

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【963】 中央西線を走った車両19:159系・155系・167系・169系電車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないので、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 159系は大垣電車区に所属した中京地区の修学旅行用電車でした。 この電車は、修学旅行以外にも臨時急行・臨時快速に使用されたほか、定期列車にも153系に代わって運用されることがよくあり、先週書いた中央西線中津川と東海道本線を直通する朝夕1往復の快速列車でも、運用されているのを見たことがありました。 1973年2月26日 快速2636M 美乃坂本 前日夕刻の大垣発中津川行に159系が運用されているのを見て、翌日の朝、登校前に駅まで出かけて撮影した画像です。 ところで、私は中学校の修学旅行で159系に乗った世代ですが、徐々に新幹線に移行し始めるころでした。小学校6年生のときに、まだまだ先の中学校の修学旅行について保護者向けのアンケートがあったことを今でも記憶しているのですが、その内容は、修学旅行で新幹線を使いたいか、それとも従来どおり在来線の修学旅行列車を使いたいかという希望調査でした。従来のように在来線利用なら、修学旅行の行先は箱根と東京だけになるが、往復新幹線を使えば日光まで足を延ばせる。ただし新幹線利用だと、費用負担が1人3000円余計にかかるが、さてどうする?ということでした。私は言うまでもなく「こまどり」がいいと親に伝えました…

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【945】 2018年中の少ない鉄分から昔を回顧(3):急行「中山道トレイン」

前回に引き続き、この1年間に地元で撮影した画像をもとに、それより前に時代に遡った関連画像で、時の流れを感じていただく企画ですが、最後は地元中央西線の木曽方面を対象とした行楽臨時列車に絞って書きました。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ このところ毎年JR東海では秋に急行「中山道トレイン」が運転されています。 今年は383系電車を使用して6日間運転されました。 過去には途中駅で長時間停車する「木曽路クルーズ」という臨時急行が、やはり383系で運転されたことがありましたが、「中山道トレイン」を名乗る急行は、昨年までの3年間373系が使用されていました。 その前、2013・2014年には371系が使用されて、これはかなり注目されました。 2011・2012年には、117系の改装車「トレイン117」が使用され、運転区間は短く南木曽までの運転で、列車種別が快速でした。2012年は「中山道トレイン」を名乗りましたが、2011年に運転されたときの列車名は「宿場町トレイン」で、その年だけは車体にキノコやモミジなどがラッピングされ鮮やかな装いでした。 現在の「中山道トレイン」のルーツは、この列車か、急行ということを考慮すれば前述の383系急行「木曽路クルーズ」ということになりましょうか。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 木曽路への行楽用臨時快速列車(運転区間が中京圏から塩尻までで完結する列車)は、秋に限らず観光シーズンには国鉄時…

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【942】 2018年中の少ない鉄分から昔を回顧(1):愛環・木曽あずさ

2018年もあとわずかになりました。今年のまとめを書くにしても、このところめっきり鉄道旅が減って、今年は春に青春18きっぷを使って、飯山線の雪見(【863】飯山線)と津山(【871】「津山まなびの鉄道館」での再会:DE50 1)へ行ったくらいのものでした。鉄道で遠出をするときには、よくお世話になった新幹線ですが、振り返ってみますと2015年に九州まで往復したのが最後で、新幹線には以後3年間乗る機会がなかったことからも、近年は遠くに出かけていないことがわかります。その九州行のときに、最後まで未乗で残ったままになっていた線区に乗ったことによって、「現在乗ることができる旧国鉄線」は全部乗りつくしたものですから、「【647】九州乗り物乗りある記(前篇)」の末尾に「乗るべき線区や乗るべき列車がなくなりつつある現状から考えるに、一人で泊まり込みの旅に出ることなど、もうないようにも思います。」と書いたのですが、今のところ、そのとおりになっています。出かけたくても出られないのはストレスになりますが、見たい列車乗りたい列車がなくなってしまい、遠くに「行く用事」がなくなっただけであって、仕事や付き合いで「遠くに行かなければならない」、または「行かされる用事」がないことは、むしろありがたいことでもあるのです。かつてはそんな「行かされる」ような機会にも、ちゃんとカメラを携えて撮るべき車両を撮り、乗るべき列車に乗ったりしたものです。そういう気にさせてくれる対象物がすっかりなくなりました。 そして、地元を走る列車を見渡して…

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【544】 スチール棚の企画展3:ジョイフルトレイン(後篇)

「スチール棚の企画展」今回も国鉄時代に誕生したジョイフルトレインたちの後篇です。すべて機関車が牽引する客車です。機関車との組み合わせは線区によってバリエーションが豊富なので、その意味では「統一感がない列車」と位置付けられる場合もありますが、専用色の機関車まで用意して、統一感を求めたジョイフルトレインもありました。これらのうち、乗務したことがある編成については、過去に記事にしていますので、そのリンクを交えながら、各編成を簡単に順にご紹介していきます。全部で10編成ありますので、先週に引き続き、今回は後半5編成を登場させます。 ************************** ●東京南鉄道管理局の和式客車スロ81系「シナ座」  旧形客車のグリーン車スロ62・スロフ62から改造された6両編成でした。12系や14系から改造されたジョイフルトレインが主流になる以前の古い車両で、類似の和式客車は他局でも多数存在しましたが、2本の白線が入っていたのは、改造時期が遅かった東京南鉄道管理局「シナ座」と大阪鉄道管理局の「ミハ座」だけでしたので、この2編成はブルートレインのように格が上のような感じに見えました。国鉄末期に前篇で登場したお座敷列車「江戸」と交代する形で水戸鉄道管理局へ転属し、「ミト座」として茶色塗装にグリーン帯という国鉄全盛期の1等車を思わせる塗装に変更されて、分割民営化後以後まで活躍しました。 しょせんは旧形客車。暖房熱源エネルギーを機関車から受ける必要がありましたので、冬場の運用で…

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【542】 スチール棚の企画展3:ジョイフルトレイン(前篇)

9月に「スチール棚の企画展2:統一感がない列車たち」 (前篇)と(後篇)で、一編成中にバリエーション豊富な列車を眺めて楽しんだあとは、統一感を持った列車の企画展示に戻しました。 今回は普段着の列車たちでなく、ビジネスユースでもない、国鉄時代に誕生したジョイフルトレインたちで、すべて機関車が牽引する客車列車です。こういうジョイフルトレインは、機関車との組み合わせが走行線区によってバリエーションが豊富なので、その意味では「統一感がない列車」と位置付けられる場合もあろうかと思いますが、専用色の機関車まで用意して、統一感を求めたジョイフルトレインもありました。展示したもののうち、乗務したことがある編成については、過去に記事をアップしていますので、そこへのリンクも交えながら、簡単に各編成をご紹介していきます。全部で10編成ありますので、記事は前後半に分け、今回は前半5編成を登場させます。 ************************** ●長野鉄道管理局の和式客車「白樺」  12系座席車から改造された6両編成でした。若葉と白樺の木をイメージしたらしい客車とは思えない明るい塗装が大いに目立ちましたが、さすがに汚れが目立ったのか、国鉄末期には黄緑色が濃い緑色に変更されたと思ったら、分割民営化後にはさらに別編成のように車体全体が濃緑色の塗装に変更されイメージが一変しました。自分的には登場時の塗装が好きです。ここでの牽引機関車は信州にもっとも似合うEF64の0番台です。 *******…

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【520】 臨時列車の乗務(30 最終回):最後の臨時列車乗務と臨時貨物列車EF6654~その再会

長らく「臨時列車の乗務」シリーズを続けてまいりました。これまでで30回。乗務列車を完全網羅できていませんが、それでも乗務したほとんどの種類の臨時列車についてご紹介できたので、臨時列車については今後も断片的に書く機会もあろうかと思いますが、シリーズとしての展開は今回で終了とします。 これまでの内容は、昭和59~61年までの専務車掌時代の約2年間のことでした。 私が最後に乗務した臨時列車は1986年10月23日の関西本線の9230列車で、その車両は地元のジョイフルトレインであるユーロライナーでした。 (画像は中央西線での別の列車で、乗務当日のものではありません。) ユーロライナーについては、すでに何回もブログ記事で取り上げましたので、あえて今回は詳細を記しませんが、このときは「加佐登駅旅行友の会」180名様の旅行帰路の列車で、加佐登・河原田・四日市・桑名とお帰りの方々を降ろしたあとは、名古屋まで回送扱となる列車でした。 この列車に乗務したのは、翌月に国鉄最後のダイヤ改正(61.11)を控えていた時期で、このダイヤ改正によって事実上分割民営化へ移行する体制が完了したのでした。 このときのダイヤ改正を機に仕事上の取扱方が大きく変わり、運転取扱も一変しました。例えばEB装置を装備した回送列車等の場合、複線区間で列車防護無線を装備し列車無線等による連絡網が整備されていれば、車掌の乗務が原則省略されることになったのでした。 具体的に乗務していた範囲で車掌省略列車の該当になったのは、38…

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【518】 臨時列車の乗務(29):「ゆうゆうサロン岡山」の入換作業

先週の続編になります。 回送で高塚駅についてから折返しの長い時間。そのほとんどが勤務時間ではありませんので、出先での無駄な時間になるはずなのに、退屈せずに過ごせる珍しいジョイフルトレイン乗務は楽しいのですが、その間じゅう気にかかることがありました。 それは、この駅での機回し入換作業のことでした。電車や気動車とは異なり、客車列車である「ゆうゆうサロン岡山」が折り返すには、東京方に連結されているEF65を、折返し回送の前に切り離し、反対側(神戸方)に付け替える作業をする必要がありました。「オカママワシ」と言われるその作業は、大きな駅では駅に操車担当がいて、機関車を誘導し信号担当とも連携を取りながら行ったのですが、小駅である高塚駅では操車担当は配置されていませんでしたから車掌が入換作業を行うことになっていました。入換作業そのものは列車掛で貨物列車に乗務していたころに何度でも経験していましたが、貨物列車では無線機を使用していました。高塚駅では貨物の入換作業はしませんでしたので、無線の設備はなく、手旗による入換作業になりました。もっとも列車掛から普通車掌になってからは気動車や電車の転線入換作業を手旗によって日常的に行っていましたし、武豊駅では連結作業もやっていましたから、作業自体は大して難しい内容ではありませんでしたが、このときの私は専務車掌になっていたこともあって、入換作業に携わらなくなってから1年半以上が経過していました。しかもこの駅での入換作業は初めてで、駅との進路要求などのやりとりは、手旗で…

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【516】 臨時列車の乗務(28):EF65123牽引「ゆうゆうサロン岡山」

「ゆうゆうサロン岡山」は1985年(昭和60年)11月に12系座席車からの改造によって誕生した欧風客車でした。 私が乗務したのはその翌年の2月でしたから、改造後まだ日が浅いうちに乗務する機会を得たのでした。ですから、実車を見たこともない状態での乗務でした。 そのときの編成は以下のとおりです。 1986年(昭和61年)2月10日 東海道本線 9402列車 EF65 123(岡) 2/9臨A2382 6.スロフ12 704 岡オカ 5.オ ロ12 710 岡オカ 4.オ ロ12 709 岡オカ 3.オ ロ12 708 岡オカ 2.オ ロ12 707 岡オカ 1.スロフ12 703 岡オカ (岡臨513)伊勢初詣の旅(162名) 運転区間(新見)大阪~豊橋(豊橋~高塚回送) 乗務区間 名古屋5:30~豊橋~高塚7:37 折返し 回9445列車 機関車同じ・編成同じ(逆編成) 乗務区間 高塚11:54~名古屋13:54 乗務した2月の名古屋駅では、日の出まで1時間以上もあって、まだ暗い早朝5時17分。0番線に初めて見るジョイフルトレイン「ゆうゆうサロン岡山」が入線してきました。専用機として客車と同じ色に塗り替えられたEF65 123号機が先頭でした。身近なジョイフルトレインだった「ユーロライナー」が、せっかくEF64 66号機を専用塗色に塗り替え用意されていたのに、実際の「ユーロライナー」運用にはなかなか使用されなかった時期でもあり、暗いホーム…

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【465】 14系客車のバックサイン

先週アップした「【463】臨時列車の乗務(27):名古屋の14系座席車」に乗務の際、ちょっとした調べ物をしました。 14系客車スハフ14とオハフ15の後位側貫通扉には、列車愛称名を表示する手動巻取式の字幕(バックサイン)が装備されていました。名古屋客貨車区の14系への乗務はこの時が初めてだったので、バックサインに、どんな列車名が隠されているのかが、関心事でありました。しかし、その内容が書かれた表示板が乗務員室か貫通扉あたりにありそうなものなのですが、見当たりませんでした。バックサインは臨時の「金星」で使用されるとき以外はいつも白幕でなにも表示されていないのが普通でした。だから字幕は「金星」さえあればよさそうなものなので、そうした列車名の内訳を表示する必要はなかったのかもしれません。しかし、「金星」のほかにいろんな列車名が用意されていることは、ありえない表示を出したまま疎開留置されているところを見たことがありましたのでわかっていたのです。 この日も白幕でした。ちょうど回送列車なので、乗務中は異常さえなければ走行中に特別やるべき仕事はありませんでしたので、乗務車両の最後部スハフ14 42の貫通扉に内蔵されている幕に印刷されている列車名を確認したいと思ったわけです。 下の写真は米原で撮影した他区同系車両を使用した日本海51号です。 きっと、こんな列車名も入っているのかとも思うと調べてみたくなります。しかし調べることを躊躇するような問題がありました。 このころには、ジョイフル…

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